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明けましておめでとうございます [山登り]

暖かな2016年の年明けとなりました。
旧年中はたくさんのご愛顧を頂き、心より感謝申し上げます。
何卒本年も相変わらずのご愛顧のほど、お願い致します。

年末年始は八ヶ岳山麓の実家に帰省しておりましたが、あちらでもやはり暖冬で、入笠山方面などはほとんど雪の姿を見ませんでしたし、八ヶ岳でも、赤岳・権現岳・阿弥陀岳・横岳・硫黄岳や北八ヶ岳に冠雪はあるものの、編笠岳や西岳などに雪の姿は認められませんでした。
尤も、これらの山々は標高が低いので、余程の積雪がないと山麓から雪の姿は拝めないのですが。
それでも大晦日から元旦にかけて降雪があり、初日の出は雪景色の中でした。
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この写真は、実家の二階からの眺めです。
この時期は富士山の左方面からの日の出となりました。

さて、前回のブログ記事で取り上げましたお気に入りの十個。
山のことを考えてみました。
これは正直に言って音楽の時よりも難題です。
山というからには、やはり頂とすべきなのでしょうが、私個人としては、その登る過程にこそ意味があるのであって、「好みの山」というくくりで山の名前を挙げるのはなかなかに厳しい。
それでもうんうんと考えながら、やはり今、刹那的に頭に浮かんだ山を無理矢理上げてみたいと思います。
  • 永田岳(屋久島)
  • 三ノ沢岳
  • 毛勝山
  • 阿蘇山
  • 不動岳
  • 和名倉山
  • 丸山岳
  • 北岳
  • 鋸岳
  • 剣岳

キーボードを叩きながら、ほかの山の名前がどんどん出てきて収拾がつかなくなったので、敢えてそれによる名前の入れ替えはしません。切りがないからです。

頭に浮かんできた山のほとんどは、有り体に言えばあまり人の来ないところです(例外がありますので後述)。
永田岳や三ノ沢岳は、決して登るのに困難な山ではありませんが、主稜線から外れていて、かつ、すぐ近くに例の「百名山」があるため不遇をかこっている存在です。
しかしそれ故に、実に静かで清潔で美しい山頂が保たれています(いました)。

阿蘇山については注釈がいります。
想定しているのは、高岳の鷲ヶ峰、根子岳の天狗峰や西峰、烏帽子岳から御竈門山などの、いわゆるバリエーションルートです。
鷲ヶ峰や天狗峰・西峰などは、ルートのピッチグレードはせいぜい4級程度ですが、支点はもろく不安定で滑落は絶対に許されません。その上、空中懸垂も必要となります。
しかし、実に充実感に溢れた登攀が出来、それゆえに到達した頂の感動も大きなものでした。

毛勝山や不動岳や和名倉山や丸山岳は、その頂に達するまでの過程ももちろん重要ですが、その苦労のし甲斐のある山頂が待っていました。
鋸岳も同じような理由から挙げています。

北岳と剣岳は、告白しますと、いずれも敗退の記憶が強烈に残っているからです。
北岳バットレスを、下部フランケから中央稜を登攀した折、これはワンデイでやろうと目論みました。
夜中に広河原まで車で入り、4時前に出発。大樺沢二俣に荷物をデポして登攀開始。順調に登っていきましたが、中央稜の1ピッチをリードしていて突然、右手がうまく動かなくなり、中途で敗退。
実は、その二週間ほど前に、別の岩場で小滑落をし、右の肋骨を打撲していたのでした。恐らくそれが原因と思われますが、実に無念で、パートナーに対する申し訳なさに涙がこぼれたものです。
剣岳の方は、36年前、社会人山岳会に所属していた頃、正月山行で早月尾根から山頂を目指したのですが、天候悪化のため、平蔵小屋(当時)付近で待機。結局四日間粘った挙げ句の敗退となりました。
冬の剣岳の難しさを骨身に沁みて経験したのですが、まだ22〜3歳の駆け出しの若造には荷の重い経験だったのかもしれません。
北岳や剣岳は、百名山の中でも大人気の山ですから、私の主義としては挙げたくない気持も強かったのですが、やはり敗退の記憶をぬぐい去ることは出来ないようです。

ということで、今回のお題もやはりかなり中途半端なものになってしまいました。

私の試みは、斯様に面白みに欠けるものとなってしまいましたが、うんうんと唸りながら十個を選定するという作業自体は大変面白いのではないかと思います。
皆様も機会がございましたらお試しになっては如何でしょうか。
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丹沢大山南尾根 [山登り]

金木犀の香りが漂い始めました。黄金色の可憐な花がたくさん咲いて、あの甘い香りを放っています。
街路のイチョウは、たくさんの銀杏の実を落とし、これまた独特の臭いを醸し出していて、秋の深まりを感じさせますね。

今年は、敬老の日と秋分の日との絶妙な配置によって、5連休というこの季節では大変ありがたい休日を得ることができました。
次の5連休は11年後とのことですから、正に類稀な長期連休なのですね。
しかも、全国的にお天気に恵まれました。
高速道路や鉄道などは激混みだったようですが、連休の好天では、誰だって出かけたくなろうというものです。それに、お彼岸でもありますから。

そんなわけで、このシルバーウィーク中の21日、リハビリもかねて丹沢に出かけました。

9月5日の谷川岳で懲りたので、今回はできるだけ人の少ないところに行こうと思い、久しぶりに大山南尾根をターゲットに設定。
8時過ぎ、秦野駅のバス乗り場に行くと、「ヤビツ峠」方面は長蛇の列。「蓑毛」方面に並んでいる人は10人にも足りません。
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以前は、蓑毛行きの方が多く運行されていたと思うのですが、蓑毛行きを一本待つ間にヤビツ峠行きは2本も運行。
このあたりの様相もずいぶん変わってきたようです。
ヤビツ峠行きはギュウギュウ詰の満員で発車していますが、蓑毛行きはガラガラ。ゆったり山行を企図した私としてはありがたい限りです。

蓑毛から春岳沢に沿って車道を歩き、蓑毛越への分岐で足ごしらえ。今回は地下足袋で歩きます。
大山裏参道は静かな道で、整備された緩やかな道が続きます。
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途中、ところどころに道標があります。
ここが蓑毛越。
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大山南尾根を南にたどります。

携帯電話の基地局など、南尾根には様々な構造物が建造されていますから、東京CCあたりまでは道もきれいに整備されています。
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こういう写真を撮るのもちょっと複雑な想いがありましたが、秋の青空が何とも美しく、ついつい撮ってしまいました。

東京CCへの車道を横切り、高取山方面への山道に入ると、「大山古道」と書かれた看板がありました。
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しばらく行くと、不動明王の像があります。以前、この尾根を歩いた時には見かけなかったので、比較的新しいものなのでしょう。
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そこからひと登りで高取山に到着。

余り展望には恵まれない南尾根の中では、比較的良い展望を得られます。
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以前は、ここから吾妻山を経て鶴巻温泉駅に下ったり、弘法山を抜けて秦野駅に出たりしたのですが、今回はちょっと趣向を変えて聖峰に向かってみました。
のっけから急坂の下りが続きます。200mくらいの標高差を一気に縮めるので当然といえば当然なのでしょうが、これを登りに採るのはかなり大変かもしれません。
そのかわり、展望はかなり開けています。
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聖峰は広々とした大地となっており、立派な社がありました。
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ここからはこの日一番の展望が広がりました。
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さすがにお彼岸の時期だけあって、曼珠沙華がきれいに咲いています。
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そこから九十九曲がりという急坂を降りると、林道に出て栗原の集落に到着します。
ここで地下足袋を脱ぎ、運動靴に履き替えました。

車道をだらだらと下っていくと東名高速道路の下をくぐり、国道246号の神戸に突き当たります。
神戸からは伊勢原方面へのバスの便もありますが、一時間に一本程度のようですので、距離的近い鶴巻温泉駅に向かいました。
2kmくらいの歩きになりますが、246を桜坂まで行き、そこを左に曲がれば一本ですから、非常にわかりやすい道です。

肉離れの方は、もうほとんど問題はありませんが、左腕の五十肩の痛みが慢性化しており、腕を使うヴァリエーションルートにはまだちょっと対応できそうにありません。
そんなわけで、このような軟弱山行となりましたが、このコースは、どこに行っても人だらけの丹沢の中では稀有の静けさを保っています。
実際、途中で出会ったのはトレランの方を含めて10パーティもありませんでした。
朝方、ヤビツ峠行きの満員バスに乗っていた夥しい登山客のことを思えば、嘘のような静けさです。
あの登山客の人たちは、恐らく、コンピラ尾根から大山か、表尾根から塔ノ岳に向かったのでしょう。それらの尾根筋の混雑具合が目に浮かぶようです。
大山南尾根は、構造物がかなり目につく、眺望があまり効かない、単調な登り下り、下山後の車道歩き、などといった欠点も確かにありますが、人ごみにもまれてメインルートを登るよりははるかに精神的に楽なのではないでしょうか。
以前、トレーニングを兼ねて、この南尾根を辿って大山に登り北尾根を下ったことがありますが、これは実に充実した山行となりました。大山山頂付近の喧騒と、札掛からの林道歩きには閉口しましたけれども。

さて、初秋の山歩きということで、少しばかり「獲物」も探してみました。
しかし、目につくのはドクベニタケとかカキシメジやクサウラベニタケといった危ないシロモノばかりで、ドクツルタケもありました。
そんな中、わずかに二本だけでしたが、タマゴタケをGET!
豚肉と一緒に炒めて、ビールのつまみに美味しくいただきました。
このタマゴタケを、ゴミを取って新聞紙の上に広げておいたら、連れ合いがケータイで写真を撮り、友達に「ダンナがこんなあぶなそうなキノコを採ってきた」とメールに添付して送信。
友達から「くれぐれも中毒しないよう気を付けて」という返信が来、それを私に報告するという、実に人を馬鹿にした振る舞いをしやがりました。
というわけで、タマゴタケは私だけが美味しく頂戴したところです。

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久しぶりの山歩き [山登り]

秋雨全然に台風の影響などで、関東地方はこのところずっと雨続きです。
八月の下旬からずっとこんな感じで、その折のテレビのお天気コーナーでは、こうしたお天気は2003年以来、という趣旨のことを話していました。
ほほう、と思い、私のメインサイトの雑記でその頃の記事を読み返してみると、長梅雨に打ち続く台風の襲来、そして冷夏と長雨でうんざりしていた当時の記憶が蘇ってきました。
その雑記の記事によれば、それ以前は1993年に似たような気象状況だった模様で、10年周期くらいでこうしたお天気が襲来するということなのかもしれません。
そういえば宮澤賢治の「グスコーブドリの伝説」でも、ブドリたち一家を離散させた酷薄な低温・飢饉が再びやってくるのは17年後という設定になっていましたね。
野菜も高くなっていますし、お米の収穫にも影響が出るのでしょうか。心配な限りです。

さて、そんなお天気が続いていましたが、先週の土曜日は久しぶりの青空が望めました。

以前の職場での仕事関係の知人から、「一度、谷川岳に登ってみたい」とのオファーを受けていて、それなら夏休みが終わった直後の土曜日がいいかもしれない、休み明けだからそんなに混んでいないだろうし、ということで6月の終わりくらいから計画を立てておりました。
前の記事にも書きましたが、今年に入ってから全く山に登っていませんでしたので、リハビリを兼ねるのもちょうどいいかな、と思っていたのです。
幸い、連れ合いの具合もだいぶ安定してきましたので、実行に移しました。

その土曜日がおあつらえ向きの晴天。同道した知人ら共々「日ごろの行いの良さ」を言い募りつつ水上に向かいました。
朝の5時30分に彼らを拾い、東名→圏央道→関越と車を走らせたのですが、ほとんど渋滞もなく、8時30分には谷川岳ロープウェイ駐車場に到着。
そうなのです。何とも軟弱なことに、ロープウェイで天神平に出て天神尾根を往復するというプランなのでした。
知人たちは山登りの素人なので、さすがにのっけから西黒尾根などに連れて行くわけにもいかず、最も安全かつ楽勝なこのコースを選んだのです。
このコースから谷川岳に登るのは6年ぶりのこと。
谷川岳には何度も登っていますが、このルートを使ったのはその時が初めてでした。
余りの楽勝ぶりにちょっと驚いたのですが、とにかく人が多くて閉口したことを思い出します。
夏休みが明けた直後の週末を選んだのも、そのあたりならさすがに人出も少なかろうと踏んだからでした。

しかし、そんな思い込みは、駐車場に入った瞬間に打ち砕かれました。
ものすごい数の車が駐車されていたのです。
まいったなあ、と思いつつ身支度を整えてロープウェイの乗り口にいくと、そこは意外にも空いており、待ち時間もなしで乗ることができました。
それでも、天神平駅は登山者でごった返しており、先が思いやられます。
大勢の登山者の後にくっついて熊穴沢避難小屋を目指しました。
稜線に出ると、幕岩や俎倉方面が眺められます。
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登山道に設置されている木道や木の階段で、ちょっと足元の悪い個所に来ると、その都度渋滞が起こるほどの人出。
2009年に登った時は天神平から1時間30分足らずで肩の小屋に登りついたのですが、今日はどうやらそんなわけにはいきそうにありません。
熊穴沢避難小屋を過ぎて登りが急になると、ますます混んで渋滞が発生します。
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下から眺めてもうんざりするほどの登山者の数でした。
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ようやく肩の小屋につきましたが、小屋の周辺もものすごい人だかりで、昼食をとるのも一苦労。
さらに、トマの耳とオキの耳も大混雑!
山名表示板の前も、記念撮影をする人たちが順番待ちをしている有様です。

名にし負う悪天候の谷川連峰。昼過ぎからはガスが去来し、気温もぐっと低くなってきました。
それでも時折オジカ沢の頭方面の眺望が開けます。
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あまりの人出に気疲れしたのは知人たちも同様で、そそくさと頂上を後にします。
しかし、予想されたことではありますが、下りはさらにひどい状況になりました。

山を歩きなれていない人たちにとって、下りは登りよりも苦手なことが多いのですが、ちょっとした岩場の段差を下るのですら時間がかかってしまう。
足場の良くないところに長時間いること自体ハイリスクなことなのに、見ていると一歩が踏み出せない人がかなりいるのです。
後ろからプレッシャーをかけるのは危険なので、私たちも極力ゆっくり降りることにしました。

ようやくの想いで熊穴沢避難小屋に着くと、登ってくるときには気が付かなかったのですが、いわお新道方面の注意書きがありました。
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そういえば、水害で谷川温泉方面の道路が決壊したりした、という話を聞いていましたから、その影響もあるのかもしれません。

余計な気を遣いながら登った影響もあるのか、ようやく天神平に下りついた知人たちの疲労もかなりのものがありそうです。
それでも、谷川岳に登れて良かったと言ってくれたのには、私も安堵しました。

帰り道、せっかくなので、土合駅に立ち寄りました。
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私にとっては非常に懐かしい場所です。

名物(?)である462段の階段。81mの高低差を埋めています。
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上野発の上越線夜行列車に乗って、重荷を背負いながら、この階段を何度登ったことでしょう。
今でもその頃のアルバイトを思い出します。

さて、久しぶりの山歩きでしたが、このルートがこんなにひどい状況になっているとは思いもしませんでした。
私の見通しの甘さもありますけれども、連続する雨天の中にポカリと開いた土曜日の晴天ゆえに、多くの登山客が押し寄せた、という事情もあったのかもしれません。
中高年登山者は言うに及ばず、山ガールや山ボーイ、そして家族連れ(4~5歳くらいの子供を連れている)で、登山道はごったがえし。
登り優先や危険箇所での先入先出のような山の常識などは完全に打ち捨てられていました。
さらに、岩場における強引な追い越し、岩場の途中での団体による写真撮影など、目を疑うような光景が展開されます。
ペースの遅い団体が後ろから登ってくるパーティに先を譲るのは、これも常識だと思っていますが、ほとんど顧みられません。
遅い人たちが自らに日没時間切れなどのリスクに身をさらすのは勝手ですが、それにほかの登山者を巻き込むのは勘弁してほしいところ。
だからといって一般登山者でごった返す岩場での危険な追い抜きは、重大な事故を誘発する虞がありますから、許される行為ではないと思います。
中には、ダブルストックを振り回して岩場の追い抜きをする高齢登山者もいました。
この人が山慣れていて登るペースも速い、というのであればまだしも、ぜいぜいと息を切らしながら登っていて、岩場以外の上り坂では一気にペースが落ち、後続に抜かれいるのですから、いったい何を考えているのか。
勝手な想像ですが、自分のペースで動きたい、と思っているのでしょうね。もしかするとそういうわがままが許される職場だったり家庭で生活してきたのかもしれませんが。

なんだか、久しぶりの山歩きというのにぶつぶつと愚痴ばかり書いてしまいました。
私自身、いわゆる○○名山的な山には、ここのところとんとご無沙汰でしたので、まさかこんな状況になっているとは思いもしなかったのです。
肉離れの後遺症や左の五十肩、膝の痛みなどがある中で、どれだけ歩けるのか多少不安もありましたが、左ひざの嫌らしい痛みと五十肩には悩まされたものの、一番懸念していた肉離れの後遺症は大丈夫でした。
連れ合いの具合もだいぶ良くなってきていることもありますし、そろそろ「空いている」山に出向こうかなと、改めて思っているところです。

それから、こういうひどい状況ではありましたが、ゆっくり歩くというトレーニングを図らずもできたことは、ある意味では正解でした。
ボッカ訓練などをしていた頃の先輩のアドバイス。
「ボッカ訓練で一番大切なことは、ゆっくり歩く技術を身に着けることだ。重い荷物を担ぐ筋力の増加は二次的なもの。ゆっくり歩くということは、それだけバランスを意識するということで、そこを念頭に置くように」。
これを久しぶりに思い出し、いらいらする気持ちを抑えつつ、むしろ悪い足場で待たなければならないシチュエーションを生かしながらゆっくりバランスを意識して歩くことを考えてみたところです。
ほとんど人気のない山を、早いピッチで歩いておりましたから、その意味からすれば、(あくまでも反語的ではありますが)良い経験になったと考えています。

しかし、いわゆる百名山には、よほどのことがない限りもう出向くことはないと思います。
その意味でも、「良い勉強」になりました。

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ネパール大地震とエベレスト [山登り]

このところ日中は気温の高い日が続き、朝晩の気温差が結構大きいこともあって、体調を崩しがちです。
クールビズが始まっていることから、通勤は楽になりましたが、変にエアコンなどが効いているところに入ると体がびっくりしてしまいます。
これも寄る年波のせいなのでしょうか。

ネパールで4月25日に起きたM7.8の大地震と、余震と思えぬほどの規模(5月12日、M7.3)の地震。
現地では8000名を超える死者が出て、今なお被災者は塗炭の苦しみを味わっています。
これからモンスーンを迎える中で、住居や食料、水や各種エネルギーなどのライフラインを如何に確保して復興につなげていくのか、様々な困難が予想され、暗澹たる気持ちにさせられました。
特に山岳地帯に住む被災者の方々は大変なことと思います。
私たちのような非力な一般大衆には、せいぜいが募金などに参加するくらいしかできないのですが、被災された方々に一日も早く平安が訪れますようにと願うばかりです。

そんな中、何とも考えさせられる記事がありました。

41年ぶりにエベレスト登頂者ゼロに? エベレスト商業登山、考え直すとき

海抜世界最高峰の山として、山屋の憧れであったエベレスト(サガルマタ)。
様々なドラマを生んできたこの最高峰に商業登山の波が押し寄せ、深刻な環境破壊の問題が惹起していることはご案内の通りです。
エベレストに関する議論は、2つの話題の間を行ったり来たりしている。世界最高峰の圧倒的な魅力、そして対価となるお金だ。登頂という栄光を手にするために、7万ドル(約840万円)以上もの大金を払うことを厭わない裕福な顧客が後を絶たない。ネパールの基幹産業である観光を支えているのは、間違いなく登山客である。貧しい同国にとって、エベレストで働くシェルパは、非常に実入りのいい職種となっている。

そのような背景もあって、「ネパール政府は、外国からの登山客による現金流入に依存するあまり、登山許可証の発行数制限や、最低登山能力レベルの設定を拒んでいる」のも、国の実情に鑑みればやむを得ない仕儀と言えないこともないのでしょう。
そのためエベレストは、その冒険と同じぐらい、「騒動」で有名になってしまった。もう長いこと、ゴミと人糞の蓄積が問題になっている。ツアー会社は、アイゼンの付け方すら知らない経験不足な顧客に、山頂へのチケットを売りつけ続けている。登山客が多すぎるために複数の渋滞が発生しており、2012年には、ローツェフェイスに200人近くの登山者が連なる写真が話題になった。同年、12mの岩登りを伴う登頂前の最後の難関ヒラリーステップでは、2時間もの待ち時間が発生した。

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「最後の難関」といわれるそのヒラリーステップに、固定ロープどころか梯子をかけようという話まででているのですから、誠に以て大変な時代になったものだと思います。
それにしても、「アイゼンの付け方すら知らない経験不足な顧客に、山頂へのチケットを売りつけ続けている」ツアー会社が存在することには驚きを禁じえません。
確たる技術の裏付けもないのに人知を超えた過酷なエベレストの山頂を目指すなど、私から見れば、それこそ「命を捨てに行くようなもの」としか思えないのですが、世界最高峰の頂には抗しがたい魅力があふれているのでしょう。
「エベレスト登頂」は、山屋にとってまごうことなき勲章であることも、もちろん否定できません。
あるいは、「私はエベレストに登った」と、その快挙を人に吹聴したいという思いもあろうかと、ちょっと意地の悪いことも考えてしまいました。

ここ20年くらいのことでしょうか。中高年の登山ブームが本格化するにつれて、それまで閑古鳥が鳴いていたクラシックルートにガイドを伴った人たちが押し寄せてくるようになりました。
アイゼンのつけ方を知らないどころか、基本的なザイルの結び方や確保の仕方も知らないような人たちが、例えば冬の八ヶ岳赤岳主稜の取付点にいたりするのです。あるいは谷川岳一ノ倉沢南稜テラスとかに。
当然にこれらのルートは渋滞して、後続パーティは大迷惑を被るばかりではなく、ヴァリエーションルートですから、特に冬場などは日没時間切れのリスクにさらされ命の危険すら惹起してしまいますが、当のご本人たちは(自分が登るのに必死なのでしょう)全くそうしたことには無頓着で、実に恐ろしい光景だなと震撼したことを思い出します。
以前、冬の赤岳南峰リッジを登攀した折、当初は中山尾根に行こうと考えていたのですが、そちら方面にかなりの踏み跡があったので回避したことがありました。
幸い、南峰リッジに取り付いているパーティはほとんどおらず、快適に登ることができたのですが、帰路、中山尾根に取り付いたパーティに出会ったので状況を聞いたところ、ひどい渋滞で、最後の核心ピッチでは2時間近く待たされたとこぼしていました。
そのときは、「ルートを変更してよかった」と胸をなでおろしたものですが、ほとんど素人に近い登山者がこうしたルートを先行している現場に出くわし、「あー、しまった」とがっかりすることが結構あります。
どうして自分の実力を遥かに超えるようなルートに取り付こうとするのか、知り合いのガイドに聞いたところ、大要、次のような答えが返ってきました。

「若いうちにこれといった趣味もなく仕事に熱中していた人が、仕事を辞めてから、手軽に始められると考えて山登りを趣味に選択する例が多くなっています。」
「山登りなどは歩きの延長だから、さしたる技術もいらないだろうと高を括っていて、事実、単なる尾根縦走程度なら、天候にさえ恵まれれば問題なくいけてしまう。」
「そんな中で山登りを続けていて、同好の士が現れてくると、自分はこんな山に登ったなどとお互いに披露しあう展開になります。」
「たいていの人は、仕事の上での勝ち負けを意識して過ごしてきており、ある程度の地位にも就いているため、山登り仲間の間でも対抗意識が芽生えてくる。」
「槍穂縦走をした、などと聞くと、それなら自分は奥穂・西穂縦走に挑戦しよう、などとだんだんエスカレートしてきて、結果として山をやっている人の間ではある程度知られているクラシックルート登攀を目指すようになるのです。」

「名の通ったクラシックルート」というところが肝心で、つまり自分の周囲の山仲間も知っていて「それはすごいね!」と言ってもらえなければならないわけですね、と、友人は語りました。

どのような目的意識に基づこうが、自分の取り組んでいる趣味の上でさらなる高みを目指すのは素晴らしいことなのでしょう。
しかし、どうも、そのための地道な努力を重ねる、ということはないがしろにされているような気がしてなりません。
てっとり早く「実績」を上げるため、ガイドを雇い、金に物を言わせてアゴアシ枕つきで出かける場合もあるように思われます。
今年の連休も、中高年登山者を中心に多くの遭難事故が発生しているようですが、山登りには命の危険も付きまとうもの、という意識だけは持ち続けたいものですね。

さて、ネパールの人たちは非常に信心深く、サガルマタ(エベレスト)は神聖な山でもありますから、来春の登山再開にはその面でも様々な紆余曲折がありそうです。
技術面はもちろんのこと、そうした山に対する純粋な尊敬と敬虔の念を抱いて挑む人々の聖地であって欲しいと願わずにはいられません。

しかし、
それでも、山は呼んでいる。最高峰に立つチャンスがあるかぎり、エベレストへ登ろうとする力を抑止することはできないと、ロバーツ氏は言う。

これもその通りでしょう。
それは、どこでも同じだ。「カリフォルニア最高峰のホイットニー山は、人でごった返しています」。ホイットニー山から少し北に行くと、ノース・パリセードと呼ばれる見事な山がある。ロバーツ氏によると、そちらの方がいい旅になるそうだ。「そちらには誰も登りません。76m低いだけなのに」

この記事の最後の下りには頷かされます。
私事になりますが、屋久島で、荒川登山口から縄文杉や宮之浦岳・黒味岳・花之江河を経由して淀川に至る縦走に出かけた折、永田岳に寄ったことがあります。
深田百名山ではなくメインの縦走路からも離れているため、実に静かで清潔で、素晴らしい山頂でした。登山者でごった返し、ハエやアブの飛び交う宮之浦岳山頂とは大違い。
それこそ九州最高峰である宮之浦岳に比べて「50m低いだけなのに」。

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里山ウォーキング [山登り]

五月ももう中旬に入りました。
五月一日より新しい職場での勤務が始まり、日々それなりのカルチャーショックを受けつつも、何とか頑張っている次第です。
以前の職場では、役職定年とは言い上、一応の役職名がありましたが、現職場では肩書なしの「一般職員」。これまでの30年近くは何らかの肩書があったので、なんだか却って新鮮な気がします。
そうはいっても仕事自体は専門職なので、代替の利く一般事務というわけにはいかず、それなりのプレッシャーも感じている次第です。

久しぶりのこのブログの更新となります。
以前も書きましたが、四月中は無職でありながらも(無職ゆえにかもしれませんが)何だか落ち着かず、ブログの記事をまとめる気力もなかなか湧いてきませんでした。
家内が病気治療のためずっと家にいて、短期で入院をしたりもしたことなども影響したのでしょうか。山にも行けず音楽もあまり聴かず、ひたすら日々の雑事などをこなしていたのでした。

そんな状況でしたから、新しい仕事に就いて果たしてきちんとこなすことができるだろうか、と危ぶんでいたのですが、いざこうして仕事に就いてみると、意外なことに気持ちも安定してきたように思われます。
サラリーマンの習性が骨の髄まで浸み込んでいるということなのでしょうか。

さて、一か月間無職でおり、こんなに長い間仕事をせずにいたことはこれまでにありませんでしたから、これは私にとってある意味では貴重な体験でした。
せっかくなのだから山に行ければいいな、などとも考えましたが、現在の家内の状況を鑑みたとき、もしも私が山に行っている間に何かあったら困るわけで(これは家内にも私にも当てはまります)、さすがに自重せざるを得なかったわけです。
さりとて、日がな音楽を聴いているわけにもいかない。私と家内とでは聴く音楽の好みが違いますから、どちらかに合わせればどちらかに不満が残ります。
そんなわけで、あるときはテレビをつけっぱなしにしていたわけですが、平日の昼間のテレビというのは何とも不毛なコンテンツの垂れ流しという感じで、多少なりとも完結的な満足を得ようと思うと、日に3~4本くらい流れているサスペンス物の再放送を見るしかありません。CMなどは怪しげな通販広告みたいなものばかりで、これはあまりにも視聴者を舐めているのではないかと感じました。
一番困るのは体がなまってくることで、体重は増加し、柔軟性は失われ、持久力も低下してきます。
さすがに限界を感じ、近くの里山方面へのウォーキングを実施しました。
10km超の距離を、だいたい時速7kmくらいのペースで歩きます。
里山までの間も結構なアップダウンがありますから、距離以上の運動量も確保できました。

花粉対策は必要でしたが、季節の上でも良い時期でもありましたから、これは大正解でした。

里山の風景はこんな感じです。
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山の中に入ると、若葉がまぶしい。
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稜線上はそれなりに山らしい雰囲気をたたえています。
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ひどい雨降りでもない限り出かけましたので、きしんでいた体も徐々に動くようになってきました。

自宅のあるあたりはそれなりに都心近郊の住宅地なのですが、ちょっと足を延ばすと結構な自然が残されています。
ウコギやハリギリなどの山菜も生えていて(時期的に遅く、採取はできませんでしたが)、秋にはキノコも楽しめるエリアです。
土日や休日は、子供連れなどでかなりの人出がありますが、さすがにこの時期の平日はそれほど混んでいません。
ウォーキングやランニングをしている方も見かけますが、私の年齢あたりから下の世代はほとんどおられないようです(平日ですから当たり前なのですが)。
里山から街中に戻ってくると、頑張って働いている方々に出会い、なんだか無職の身が恥ずかしいような、不思議な感覚にとらわれました。
タグ:里山 就職
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御嶽山の噴火 [山登り]

このところお天気も安定していて、秋らしい爽やかな青空が広がっています。
肉離れのリハビリと買い物を兼ねて、自宅付近のウォーキングに出かけた折、金木犀の香りに出会いました。
もうそんな季節になったのだなと、ちょっと感傷的になってしまいますが、金木犀の花は陽の光を受けて輝いています。目立った大雨や強風にさらされなかったのが幸いしたのでしょう。
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街路には銀杏の実が落ちていて、あの独特の匂いを漂わせています。
次第に秋が深まってきているのだなと、肉離れの痛みが残るゆえに山に行けない悔しさがやるせなく感ぜられました。

そんな折の土曜日、なんと御嶽山が噴火したとのニュースが流れました。

死火山といわれてきた御嶽山が突如噴火し、大きな衝撃を与えたのは1979年のこと。
それ以降、「活火山」として継続的な監視と観測が必要な山岳に指定され、これまでに小規模な噴火を複数回繰り返してきています(因みに、この1979年の御嶽山噴火により、それまでカテゴリーとしてあった「休火山」が削除されることになりました)。
その一方、古くから「御嶽教」を始めとする宗教のご神体として崇められてきており、観光地としても脚光を浴びてきました。
乗鞍岳や立山などと並び、3000mを超える山岳としては比較的たやすく登ることができる上、例の「百名山」の対象となっていることもあって、多くの観光客を迎えています。
王滝口や黒沢口など、2000mを超える登山口まで車やロープウェイを使える利便性を備えた登山道が拓かれており、しかも小屋の数も多く、楽勝で登れる高山の代名詞のような存在でもありました。

紅葉真っ盛りの週末、しかも抜けるばかりの青空。こんな絶好の登山日和ゆえ、一説によれば頂上台地には250人くらいの人がいたのではないかとのこと。
9月27日11時52分、突如起こった水蒸気噴火によって、現場には夥しい量の噴石と火山灰が降り注ぎ、硫化水素を含んだ噴煙に包まれました。
被害の全貌はまだ明らかになってはおりませんが、相当数の死者・行方不明者が出ている模様です。
一方、命からがら付近の小屋に避難した人々(生存者)は、28日までに順次下山あるいは自衛隊などによって救出されました。

新聞などの報道によると、恐怖心からか体がすくんで動けず「一人では降りられない」と訴えた人もおり、「ここ(頂上小屋)にとどまっているのは危険だから」と説得され、ようやく下山に取り掛かった例もあったそうです。
先にも書きましたが、無風快晴時の登山であれば、初心者でも楽勝といえるようなコースのある山ですから、こうした「レベル」の方も数多くおられたのではないでしょうか。
というよりも、このような不意打ち的な事故を想定して行動するのは、一般的にほぼ不可能といってもいいのかもしれません。
9月11日に火山性地震を85回観測しましたが、その後は小康状態となり、当日に至って313回の火山性地震が観測されたとのことですけれども、それをもって「登山禁止」などといった勧告・措置を採ることは、現時点ではできますまい。
その場に居合わせれば、私も当然のごとくいそいそと山頂に向かっていたのではないでしょうか。

無事に下山した方々のインタビューを聞くと、とっさにハイマツの下に逃げ込んだりタープなどで体を覆ったり両手で口と鼻を覆って火山灰や噴煙の侵入を防ぐととも空気の層を確保したりしたとのこと。
こうした緊急措置は、例えば雪崩や暴風雪などの悪天候に遭遇した折にとることを想定したもので、恐らくそうした経験を積んでいるか知識を有していた人がそれを実行に移したのでしょう。
こうした経験と心構えが、このような緊急時に威力を発揮したのではないかと考えます。

しかし、噴火地点付近にいた人たちを襲った噴石は、ものによっては軽トラックほどの大きさのものもあり、それらが猛スピードで飛んできたわけですから、直撃を受けた人はひとたまりもなかったことでしょう。背負っていたザックの水筒がショックを吸収してくれたおかげで助かった、という方もおられましたが、御嶽山の一般登山道をヘルメットを着用して登る人は恐らく皆無でしょうから、頭に噴石の直撃を受ければ致命傷になります。
この強烈な不意打ちは、ベテランの登山者といえども防ぎようがなかったのではないか、と慨嘆させられました。

そして、今回の事故において、もう一つ考えさせられたのは「登山届」の提出です。

登山届“形骸化”し情報錯綜 難しい安否確認 「面倒だから提出しない人多い」
御嶽山には長野、岐阜両県の計4ルートにそれぞれ設置されているが、登山条例で義務づけられている富山、群馬両県と違い、提出は任意だ。長野県では提出率を上げるため事前にスマートフォンでの提出も始めたが、同県木曽町観光協会の担当者は「面倒だから提出しない人も多い。半数程度しか提出していないのではないか」と話す。頂上まで登らないことから登山ではないと勝手に判断し、登山届を出さないケースも少なくないという。

むしろ、「提出が義務付けられている」事例の方が稀なのであり、自宅にすら行先を告げない人も数多くいるのが現状なのではないでしょうか。
私の自宅にも、姻戚から「○○さんは御嶽山に登っていないでしょうね」という安否確認の電話がありました。
私は、山に出かける折には、必ずその行動予定などを家人に言い置き(紙などに書く)、登山届用のポストがあればそこにも登山届を提出することにしています。
万が一を想定しての、これは重要な自己防衛手段なのではないかと思うのですが、実態はこの記事のとおりなのでしょう。剣呑なことだと思います。

誠に以て不幸な事故ではありましたが、相手が人知の及ばぬ巨大な存在であることに鑑み、その危険地帯に踏み込むのだという自覚を常に持って臨むことの必要性を改めて教えてくれたのかもしれません。

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頑張りすぎないこと [山登り]

台風が来たわけでもないのに、各地で大雨が降ったりする、なんともひどい天気が続きます。
どうやら今週末の三連休は晴れそうな予報ですが、それにしても今年のお天気は、2月の大雪といい、8月の多雨といい、異常ですね。
地球規模の異常気象や温暖化の進展、などという話も聞きますが、地球の営みからすればほんの一瞬の出来事でしょうから、これは「我々人類にとって」という枕詞が必要な気もしますけれども。

いずれにしても、雨天の日はどうにもモチベーションが上がらず、出勤するのも億劫になってしまいます。勤め人としては誠に情けないことですが、齢を重ねるごとにそんな気分が強くなってきました。
津にいた折は、そうはいってもこなさなければならない対外的な用務がたくさんありましたので、出勤が億劫だなどと甘えたことは口にできませんでしたし、多忙とはいい条、仕事の中身も面白かったこともあって、こういうスピリットレスな気持ちにはなりませんでしたが。

仕事柄、会社のトップや経営者の方々とお話しする機会が結構ありましたが、そうした方々は例外なく気力が充実しておられました。
「休んだのは元旦だけだった」と苦笑しながらも、とにかく仕事が面白くて仕方がない、という感じがひしひしと伝わってきたのです。
なんとうらやましいことだろうと思いつつ、こういう方だからこそ会社経営という重責を担うことができるのだろうと、改めて痛感したのでした。
世の中には、このように、自らを甘やかすことなく一年間を乗り切ってしまうことのできる人もおられるのでしょうが、私は残念ながら、そうした才能には恵まれていないようです。
無気力な状態をねじ伏せるためには相当な気力の注入が必要ですが、そこであまり頑張りすぎると反動がやってきそうな気さえしますから。
誤解を恐れずに敢えていいますと、私などのように役職定年を迎えた人が鬱に陥ってしまう理由の一つは、そうした環境の変化や寄る年波が引き起こす無気力感に、頑張って立ち向かおうなどと足掻くからなのかもしれないな、と思ったりもします。

先日、鬼石沢で途中退却した話をアップしましたが、山に登っていても、状況によっては退却することを厭わなくなってきました。
20代や30代の頃は、風雨でも風雪でも、とにかく頑張って所期の目的を果たす!みたいな危ない山登りをしておりましたが、体力の衰えとともに、無理がきかなくなってきて、安全第一、という考え方に切り替えてきたわけです。
特にバリエーションルートでは、判断の遅れによって致命的なリスクが発生しますから、そうしたルートの登攀も含めて、長く山登りを続けるためには、撤退をする勇気も重要なファクターということかもしれません。
天候が回復するまで天幕や山小屋にこもって待機することを、私たちは「沈殿」といっておりましたが、若いころは唾棄すべき言葉のように感じていたものの、山の先輩たちがそうした行動も含めて楽しんでいる姿を、今は本当に理解できるようになりました。

がむしゃらに突き進む体力がなくなってきてからは、むしろ技術面で補うことを考えるようにしました。
一番わかりやすい例はロープワークや確保システムです。
以前、近郊の岩登りゲレンデに出かけた折、山岳会の新人研修と思しき団体がいて、その場で8の字結びやブーリン結びやインクノットなどを教えていた光景に接してちょっと驚きました。
こんなことは家で炬燵に入りながらでも自分で練習できるもの。
クライミングをしようと考えている人が、そんな基礎的なことすら自分で学ぼうとしないのかと、危惧を抱いたのです。
こうした基礎的なところを予め押さえたうえで、いかにそれを現場で効率的に生かすかについて実地で指導を受ける、というのは、山に限らず何事においても基本となるのではないでしょうか。
山の先輩に特に厳しく指導されたのは、各ピッチの確保点で、いかに安全かつ効率的に確保体制をとるか、ということです。
セルフビレイを取って確保体制に入るという作業は、各ピッチの確保点で必要となりますから、この作業で仮に5分間のもたつきによる遅れが発生した場合、10ピッチのルートであれば単純に50分のロスが生じます。そしてそれは、山においては致命的となる日没時間切れのリスクを招きよせることに直結してしまう。
ゆえに、もたついていると容赦ない怒号がとんだものでした。
山における先輩たちの危機管理能力は誠に素晴らしいもので、危険を察知する能力もケモノなみ。
そうした事態を察知すると、躊躇することなく撤退する判断力も瞠目すべきものでありました。

今年の夏山も、各地で多くの遭難事故が発生しています。
もちろん悪天候という要因も無視できませんが、山を登る際に必須とされる危機管理能力の点で、やはり疑問を感じずにはいられません。
それと、山の装備、殊に雨具やウェアの劇的な進歩も、ある意味では中高年登山者の遭難事例に拍車をかけている可能性もあります。
私が山に登り始めたころのカッパは、ゴム引きで蒸れる上に重くて非常に不快なシロモノでした。
濡れても冷たくならないようなウールの下着やシャツなどは高価で、社会に出たばかりの私には高値の花。
濡れた綿のシャツで震えながら、天幕の中で風雨の夜を明かした時のつらさを今でも時折思い出します。
そんな装備でしたから、いざというときには素早く安全地帯に逃げ込む技術と経験が必要不可欠だったのでしょう。

装備がよくなった分だけ無理がきくようになり、それが遭難につながっているとすれば皮肉な話です。
山登りは、なんといっても経験や場数がものをいうスポーツです。
私もまだまだ駆け出しの山屋ですし、無気力感が忍び寄ってくるようになった年頃でもありますから、一層の用心が必要だなと、改めて思っている次第です。

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ボルダリングジムに行ってきました。 [山登り]

今日も晴れて暑くなりました。
尤も、晴天が続いているのは関東地方だけのようです。
小笠原高気圧の勢力が弱く、その外側に湿った空気が流れ込み、南九州・中国・四国から日本海側そして北海道など、日本列島のほとんどの地域は大雨などが続き甚大な被害が出ている状況なのですから。
先ほどのニュースでも、広島では大雨による土砂崩れで子供二人を含む六人の方が亡くなり、24名の方が安否不明と伝えていました。
誠に悲しみで胸がふさがる想いです。

5月あたりに出された長期予報では、エルニーニョ現象によって今年の夏は冷夏になる、とされていましたが、6月から7月の頭にかけてはとてつもない猛暑となり、これは外れなのかと一瞬思われました。
しかし、現在の気候を見てみると、やはりこの予報は当たっていたのかもしれません。
土砂崩れなどによる直接的な被害はもちろん、夏野菜を中心とした農作物への影響も大きく、キュウリやナスといった定番の夏野菜が、品切れ・高騰という状況になっています。
レタスなどの葉物も高くなってきました。
さらに、全国的には雨勝ちの天気となっていることから、ビールなどの消費量も減少。
衣類も、夏物などは売れ行きが鈍っているそうです。

今年の四月に消費税率が3%上がり、消費への影響が懸念されましたが、引き上げ当初は駆け込み需要の反動減が予想よりも小さく、夏物商戦が活発化する7月あたりから回復するだろうという見込みを立てる向きも多くありました。
実際には、4~6月期のGDPは実質で前期比1.7%の減、年率換算で6.8%減という深刻なマイナス成長となってしまっています。
この値は東日本大震災直後の落ち込みを上回るものであり、消費税率引き上げの影響の大きさを如実に物語るものといえましょう。
その上、この異常気象。
関東地方を除く日本各地では、本来であれば晴天が続くこの時期の日照時間が激減し、記録的な大雨が続く状況となっています。
この気候が消費活動に与える影響は決して小さいものではありますまい。
東日本大震災以来の大不況からようやく抜け出せそうな明るさが見えてきた矢先のことゆえ、詮方ないこととは思いつつ、空を見上げて恨み言を叫びたくなってしまいました。

さて、今日は住居の消防設備点検があり、休暇を取りました。
点検の方がこられることもあって、掃除をし、ついでに床のワックスがけも実施。いいお天気なので布団も干しました。
点検は特に問題もなく無事終了。

点検のためにとった休暇ですが、せっかくなので、近くにあるボルダリング・ジムに出かけました。
津に単身赴任をする前には時折出かけていたのですが(このブログでも数回記事として取り上げました)、とんとご無沙汰でしたので、平日なら空いているだろうと目論んでのことです。
jim2014.jpg

当然のことながら、壁の課題はだいぶ変わっていました。
インドア・クライミングからはかなり遠ざかっていましたので、最初はちょっと戸惑い気味で、少しずつ体を慣らしながら登ります。
「かなり下手になっているな」というのが実感。まあ、二年以上のブランクがありますし、その間、まともなクライミングをしてこなかったわけですから、これも致し方ないことでしょう。
それでも、久しぶりのインドア・クライミングは楽しいものでした。
ただ、予想以上に早い段階で握力がなくなってしまい、難しい課題に対応できなくなったのは残念で、肉体的な衰えを実感しています。

そうそう、肝心の利用者数ですが、平日の昼間であるのにもかかわらず、意外に人出がありました。
もちろん、混み合っていて登れない、ということはありませんでしたので、自分のペースで快適にクライミングを楽しむことはできましたが、「独り占めかもしれない」という甘い期待は裏切られた格好です。

夕方からは久しぶりに時間をかけてカレーを作りました。
仕事で疲れて帰宅した家内も喜んでくれて、それなりに充実した休日を過ごしたところです。

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大滝沢本流(鬼石沢) [山登り]

暑い日が続きます。
自宅のエアコンが故障し、もう14年以上経つシロモノであるため修理用の部品もないため、やむを得ず購入することにしました。
しかし、取付はこの週末には間に合わず、私も家内も仕事をしているため、来週の土曜日までエアコンの使えない状況が延長することに(^^;
先週の木曜日くらいから熱帯夜が続き、このところ寝不足が続いているので、早くも夏バテ気味です。

エアコンが設置されるまで倒れなければ良いと思うのですが、ちょっと夏風邪気味でもあり不安も募っている今日この頃であります。

さて、このブログの更新が完全に滞っていました。

三木レク演奏会の翌週には合唱祭に出たり、昼休みに出かけている日比谷公園でも向日葵が元気に咲いていたりと、アップする題材は結構あったのですが、何だか記事を書こうという気力が沸いてこず、荏苒と時を過ごしていたところです。

そんな中ではありましたが、九州在住の山仲間Yさんが、仕事の関係で東京に出張することになり、ちょっと時間に余裕があるので、どこか手頃な沢に連れて行ってくれとのオファーがありました。
こちらに帰って来てから、山はもちろん、体を動かすことも(昼間の日比谷公園通いくらいしか)あまりなかったので、それでは出かけましょうということになったのでした。
どこに登りにいこうかなと考え、西丹沢の大滝沢本流鬼石沢はどうかと打診したところ、任せますとの回答。
鬼石沢は、F1の雨棚(あまんたな)が大核心で、これは高さ80mになんなんとする美瀑。
尋常な手段では登れず、中段から上部まではアブミの架け替えとなる領域です。
グレードは「5級A2」ということで、もちろん私は登ったことはありません。
大滝橋から大滝峠までを結ぶ東海自然歩道。途中にあるマスキ嵐沢から一軒屋避難小屋まで一気に100m近くの高度差を稼ぐ急登となります。
一軒屋避難小屋の脇には鬼石沢が流れていて、この間の標高差を埋めているのが雨棚なのでした。

さて、そんな鬼石沢ですが、一軒屋避難小屋から上は楽しんで登れる初・中級の沢となります。
私は、この上の方もまだ遡行したことはなく、それもあって選んだのでした。
丹沢の沢登りの際の情報源である「丹沢の谷110ルート」を読むと、ここから上ではF3が核心になるようです。

大滝橋から大滝キャンプ場に向かう道に入り林道脇の広場に駐車。
このまま林道を走ると林道終点に3台ほど駐車できるスペースがありますが、基本的には地元車や林業関係者の専用道路ですし、距離的にも400m程度のことですから、無理をして入る必要もないでしょう。

一軒屋避難小屋までは、ゆっくり歩いて1時間程度。先に触れたとおり急登もありますから体力を消耗しないように気をつけて歩きます。
一軒屋避難小屋で身支度を整え、鬼石沢右岸の仕事道を辿って最初の堰堤を越えます。
そこから沢におりましたが、少し荒れているような感じでした。
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しばらく辿るとF2となります。
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10mくらいの滝で、右側から登って水流際により、ちょっと傾斜のきつくなった上部のスラブをフリクションで越えました。

気持のいいナメ滝を越えていくと、間もなくでF3に到着です。
oniisi03.jpg
扇を開いたような形状をしていて、「丹沢の谷110ルート」の記事によれば、左から流れを横切って斜めに走る下部のラインの右端に良く利いている支点があるとのこと。
下からちょっと見えませんが、ザイルを結んで確保をお願いし取り付きました。
左から取り付き斜上バンドを越えていくと古びたハーケンが二本打ってありました。倒木が微妙なところにかかっているので、それをかき分けてランニングビレイをとります。
倒木を乗り越えて、ザイルの流れが滞らないように注意しつつ水流際によりました。
フリクションでスラブを乗り越えると、そこにも支点があります。
最後は扇の要のような急傾斜のスラブとなり、ここはちょっと微妙。
少し右から小さな斜上バンドを取り、フリクションで乗り越えました。
立ち木でビレイを取り、後続を確保。
セカンドのYさんは、倒木を乗り越える部分と上部のスラブで少し手間取り、最後はザイルを握ってしまいましたが無事に登攀終了。
この滝のグレードは3級上とのことでしたが、まあ妥当な評価だと思います。
しかし、あの倒木はかなりうるさく、できれば早いうちに流れてもらいたいものですね。

これから上部はさほどの悪場もないとのことでしたから、ここでいったんザイルを解きザックに入れて進みました。
石積みの堰堤を左側から越えて、なおも進んでいきますが、倒木が多く意外に歩きづらい感じです。
F4を目指して進むと三俣となり、水流の多い左俣を進みました。
小滝を越えていくと薄暗いゴルジュのようなところに入り、どうやら本流を外れているような感じです。
ゴルジュを抜けるとガレた感じの明るい谷となり、なおも連続する小滝を登りながら進むとグズグズの花崗岩のザレ場に出て、またまた三俣となりました。
明らかに本流を外れています。
仕方がないので上部に見える尾根を目指して抜けることにします。
ところがこれが予想以上に蟻地獄のようなザレで、沢靴でのキックステップもあまり利かず、手で掘ってホールドを探さなければならない始末。
這いつくばりながらしばらく登ると左側に急な尾根に出られそうな溝があり、そこを辿ってみますが、もう一歩たどり着けません。
仕方がなく、真ん中に戻り上部を子細に眺めます。
右側の方も急斜面のザレ場で、上部を目指すのであればこのまま詰めるしかないようです。
下の方ではYさんが心配そうな面持ちで眺めています。
確保できる立ち木でもあれば、そこからザイルを下ろすことも出来ますが、それもなく万事休す。
バイルでもあればそれを支点にして強引に突破することも出来ますが、こうしたツメがあるなどという情報は把握していなかったため持参もしていません。

退却を決めました。
「これ以上登るのは危険なので、退却します」と、上からYさんに呼びかけると、さすがに「この斜面を降りるのですか?」と心配そうな声。
こういうザレた斜面(沢の源頭の湿ったザレ場など)を降りる際に最も効果的なのは、斜面を背負い正面から斜面の下を見て腰を下ろし、お尻のフリクションを最大限利用した「究極の4点確保(5点確保)」です。
つまり、雪面を下るときに使う尻セードの応用ですね。
両手と両足で方向をコントロールしながら斜面を下っていくのです。
落石や岩雪崩の虞があるのではないか、とご心配の向きもあると思いますが、ここまで荒い砂礫が深く降り積もっているような斜面では、人がお尻で滑ったくらいで斜面が大規模に崩れるようなことはありません。
2〜3mくらいの滝も坐ったままで下っていきますから、いちいち滝に正対してホールドを探す手間も省けます。

下っていくと、先程の沢の分岐に出ました。
恐らくここで間違ったのでしょう。右俣が本流のような雰囲気です。
ここから改めて遡行することも可能でしょうが、時間もおしてきていますしさすがにちょっと疲れてしまったので、このまま出合いまで下ることにしました(寝不足で風邪気味の私のせいですが)。
F3の上の堰堤から仕事道に出て、そのまま一軒屋避難小屋まで下りましたが、さすがに仕事道だけあって、結構急な山道です。
普通の山靴や長靴ならどうということはないのでしょうが、沢靴だとさすがに滑りますので注意が必要です。

一軒屋避難小屋で、沢靴などを洗い、少し休んで東海自然歩道を下りました。
途中に、ネムノキの花が咲いていました。
oniisi04.jpg

せっかく宮崎から(仕事のついでとはいえ)来て下さった山仲間には申し訳ないことで、また機会を見つけてご案内しようと思っています。
その前に、私自身がきちんと遡行をしておかなければなりませんね。鬼石沢の命名の由来であるチョックストン滝「鬼石」も見ていませんし。
しかし、久しぶりの滝の登攀は楽しいものでした。
20m3級上というグレードではあっても、一応リードでオンサイトでの登攀でしたから私としては満足です。
体調を整えて、再度すっきりと遡行を目指そうと思います。

ところで、迂闊なことにデジタルカメラを濡らしてしまい、F3以降の写真は撮れませんでした。これも残念な失策です。

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奥山愛宕神社に行ってきました。 [山登り]

このところ、梅雨とは思えない好天が続いています。

そんな好天を利用して、青山高原にある「奥山愛宕神社」に行ってきました。

周囲にあるブナの原生林が有名で、640mという低い標高でこれだけのブナ林が生育しているのは珍しいことでしょう。
そのためもあってか、三重県の特別天然記念物にも指定されています。
本来は伊賀市の勝地から参道を登って参拝すべきなのでしょうし、実際、こちらからのルートはいかにも山深い神殿にお参りをするという雰囲気を味わえるのだそうです。
私は安直に、青山高原山頂小屋からの往復としました。

上々のお天気にもかかわらず、頂上小屋の第1駐車場はガラガラです。
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県道青山高原公園線にかかる鉄橋を渡って、杉の植林の中の明瞭な道を下り気味にたどります。
ツツジの花も咲いていました。
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急な下り坂を下っていくと、矢城川支流の小さな沢を渡って到着。
駐車場からは20分足らずで到着します。
本殿は残念ながら立ち入り禁止。
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拝殿はちょうど工事中で、大工の方がお二人おられました。
勝地からの参道を少し下って見上げると、何とも良い雰囲気です。
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建設中の拝殿の上に本殿が見えました。
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参道をたくさんの方が昇ってこられました。勝地からの参拝客でしょうか。
本殿付近は狭いので、早々に立ち去りました。

復路の急坂を登り、改めてブナ林を眺めます。
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このブナの古木には、キノコが生え始めていました。
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初夏の陽射しを受けて、ブナの葉も輝いていました。
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スギやヒノキの植林とブナの原生林の中を歩く、大変気持ちのいい登山道です。
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青山高原はウィンドファームでも有名ですが、この登山道の途中で大規模な工事が行われています。
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山の中でこういう光景に出会うのは複雑な思いがします。

せっかくなので三角点のある髻山にも立ち寄りましたが、この時期ですからあまりくっきりとした眺望は得られません。
山では、経が峰と矢頭山が、それとわかるくらいです。
それでも、たくさんの方が訪れていて、初夏の陽射しと眺望を楽しんでおられました。

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