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春の訪れ [日記]

八ヶ岳山麓にもようやく春が訪れてきました。

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真っ白けだった八ヶ岳も、雪化粧を落として春の装いです。

私の自宅の庭の水仙も花を咲かせました。
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梅の花も盛りです。
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そうこうするうちに、桜の花が咲き始めました。
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こぶしの花も咲いています。
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今年は例年になく雪が多く、道路などの雪かきの出払いが何度もありました。
6時くらいの早朝の、まだ暗いうちからの雪かきは結構大変で、それでも地区の人たちは文句ひとつこぼさずに出払いの指定時間よりも早くから作業を進めていました。
昨年の11月に帰ってきたばかりの私としては、そうした地区の人たちの姿勢があまりにまぶしくて、心の底から感動した次第です。

私の郷里(今では現住所ですが)は、標高が高い(1000m)せいもあって、冬の訪れは早く春の声を聴けるのはかなり遅い。

従って春の花たちは、大抵の場合、気温の上昇に応じて一斉に花を咲かせます。
まだ、梅の花の香りが漂う中で桜の花が咲いていたりする。
ついこの間、福寿草の花が咲いたな、と思ったら、日を措かずして水仙が花を咲かせるのでした。

これからは遅れてきた花の季節、そして新緑の季節を迎えます。

昨年の11月にこちらに転居し、こちらでの生活も早いものでそろそろ半年になろうとしております。

ある程度予想もし覚悟もしていたのですが、介護というものは実際に体験してみないと本当のところはわからないのだなということを改めて痛感しています。

母や今年92歳となりますが、幸いなことに認知症の傾向はなく内臓系統にも問題はないので、恐らく介護の手間ということから考えれば軽い部類なのではないかと思います。
それでも、歩行は困難でいったん座ったりすると立ち上がるのにも介助が必要であり、手もなかなかうまくは使えません。
従って、トイレや着替え寝起きの時などは介助が必要ですし、もちろん、三度の食事をはじめ飲食関係も私が対応しております。

週に三回デイサービスを受けておりますので、その間は解放されるわけですが、洗濯・掃除・布団干しをはじめ食品などの買い出しをしなければならず、結構忙しい。
ただ、そうはいっても一人で気軽に行動できますから、それはそれなりに息抜きとなっています。

そう、実際の介護もさることながら、母が在宅の折にはずっと一緒にいて、ある意味その一挙手一投足に目を配り、かつ様々な繰り言めいた母の話につきあうことが、私にとっては一番のストレスなのです。

なんでも率先して行動し、むしろ周囲を引っ張っていくことの多かった母なので、恐らく現状の有様を最も辛く悲しい想いで受け止めているのは母自身であることは間違いありません。
私に、食事や洗濯はもちろん下の世話までさせることは、母にとって名状しがたい痛恨事でありましょう。
それがわかるだけに、なるべく母を刺激したくない、というのが私の本音でもあります。

ただ、その中でも、何とか自分でできることはやっていきたいと頑張っている姿には心を打たれます。
先日も、大を失敗してしまいましたが、何とかできるところは自分で後始末をしようと、床に広がった排泄物を新聞紙などで集めて片付けようとしておりました。
もちろん、汚れた下着など洗うことは無理ですからはそこは私がせざるを得ませんが、床を拭くなどといったことは母自身が自分でしようとしていて、そうした姿勢が強まってきていることはうれしい限りではあります。

さて、変な言い方ですが、このような未来の姿が待っていようとは、私自身思ってもいなかったことで、折に触れてやはりため息をついてしまいます。
この後どのような生活が待っているのか、あまり深く考えたくはないのですが、やはりついつい考え込み、なんとなく鬱っぽくなりますね。

ただ、近所に住んでいる妹や姪たちのサポートには本当に助かっています。
これがなければ、恐らく早晩破綻していたことだろうと、この点については感謝の言葉もないところです。

春を迎え、それでも少し気持ちを前向きにして、これからの生活を受け入れていこうと思う昨今ではありました。

なんだか泣き言ばかりになりましたが、とりあえずの近況の書き込みです。
乱文妄言多謝。
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新年あけましておめでとうございます。 [日記]

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2024年、新年あけましておめでとうございます。
八ヶ岳山麓はこのところ暖かな日が多く、昨日の大みそかは時ならぬ雨となりました。
それでもさすがに八ヶ岳は雪化粧となっております。

このブログへのアップも大変滞ってしまいました。

昨年の11月下旬、二度目の引越しを完了し、八ヶ岳山麓の生家に転居いたしました。

引越しをめぐる後片付けそのほかの雑事に追われ、かつ、母の介護という予想以上の労働に時間を取られてしまい、とても記事を書く余裕もなく、それどころか皆様のブログを拝読しコメントを書くことすらもできない状況が続いております。

その中で、12月中旬に母と私が二人して新型コロナウィルス感染症に罹患してしまいました。

そんなこともあり、年末年始の行事(年賀状書きやおせち料理、大掃除など)も、息絶え絶えに何とかこなし、ようやく新年を迎えた次第です。

しばらくは同じような状況が続き、皆様のブログへの訪問もできないものと思います。
そのような状況ではありますが、どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。

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言葉の好みなど [日記]

連日酷暑が続きます。
さすがに体力的に厳しさを感じておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

退職し時間ができたこともあって、今、源氏物語を再読しております。

源氏物語を初めてまともに読もうと思ったのは大学の教養課程で国文学を選択したことによります。
もちろん「いづれの御時(おほむとき)にか女御更衣あまた侍ひ給ひける中にいとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めき給ふありけり」などは高校生のころから知っており、その流麗な表現にはため息をつく想いでしたが、せっかくなのできちんと読んでみようと思ってのことでした。
しかしこれはやはりかなりの難物で、古語辞典と首っ引きで頑張ったのですが、ついに最後まで読み切ることはできなかった。
もともと二部でしたし、専攻は法学でしたので、そこで挫折し、ま、しかたがないかな、などといい加減なところであきらめたわけです。

66歳を超え、仕事を辞めたことによって、挫折してしまった源氏物語に再度チャレンジ、といったところでしょうか。
何とも恥ずかしい話ではありますが。

改めて読み返してみると、源氏物語が日本の文学史上に燦然と輝く大名作であり、とてつもない深みと世界観を有した大河小説であることを再認識しました。
源氏物語の成立は平安時代中期とされていますが、当時、いわゆる「女流作家」で、これほどの規模の物語を書いたのは世界広しといえども紫式部のほかには存在しなかったものと思われます。
源氏物語の内容そのものについての感想や考察などにつきましては、また機会を改めて申し述べたいと思います。何しろ読み進むほどに様々な想いと感動が沸き起こり、容易にまとめることが今現在ではできませんので。

そんな中、読み進むうちに感じたことがいくつかありましたがので、先行的に少し触れたいと存じます。

源氏物語はいうまでもなく大和言葉=かな文字でかかれております。
今の私たちが読んでいるものは後世の人々が手を入れて漢字を補ったり句読点を入れたり改行したりしてくれたもので、はるかに読みやすくなっておりますが、本来はほぼひらがなの文章がだらだらと際限なく続いていたことでしょう。
また、藤原定家がきちんとした巻物にまとめ上げたことも、私などの無教養人にとってはありがたい限りでした。
紫式部は幼少の頃より漢学にも親しみ、長ずるに及んで一条帝の后(顕子)の家庭教師役を務める女官となったほどに、相当に聡明で詩情豊かな文化人・教養人であったことがうかがわれます。
源氏物語の中でも、自身の作と思しき短歌は言うに及ばず、古今の名歌を適時適切に引用し、物語を膨らませていました。

とりわけ漢詩からの引用は白眉で、中でも「須磨」における白居易の七言律詩の用い方には筆舌に尽くしがたいものがあります。
配所である須磨に流された源氏(尤もこれは自らが選んだものでしたが)が、8月15日の望月を眺めながら「二千里外故人心」という白居易の詩(江陵に流された親友元稹を思って8月15日の月を眺めながら白が詠んだもの)を口ずさむのですが、いうまでもなくこれは元稹を自らにだぶらせ、中間に白居易を置くことによってそのふくらみをさらに増していることがわかります。
つまり源氏は白と元の双方の役割を演じている。
この巻では、そのあとに「恩賜御衣今在此」という菅原道真の七言絶句を引き、正に今の源氏が帝から恩賜の御衣を戴いていることとの関連を描いています(いうまでもなく菅原道真も大宰府に流されたのだから)。

このような絶妙極まりない引用が物語の随所にちりばめられ、また、その効果を際立たせるためなのでしょうか、作者が大和言葉と漢文とのそれぞれの用い方を厳格に分けていたこともうかがえます。
つまり、大和言葉による地の文章には漢文臭の強い用語を使わなかった。例えば「ひそかに」などという表現は使わず「しのびやかに」とした。
この鋭い感覚は誠に瞠目すべきものがあると思います。

そうしたことを感じながら読み進めることは、多少の時間は要しますが、非常に興味深くまた深い感動も得られましょう。私はまさに今、そうした楽しみの中で読み進めているのです。
現在「総角(あげまき)」を読んでいる最中で、残すところあとわずか。
ここまでくると、一気に読んでしまうのがなんだか惜しいような気持になってきますね。

さて、文章を綴るという行為は、それを他者に読んでもらうということを前提とした場合、自ずから様々な制約を受けることとならざるを得ません。
自分が示そうとする想いや感情の機微などをある程度理解してもらうためには、それを文章に引き写す場合、まず論理的であることが求められ、かつ、極力誤解を生じさせないような表現を用いる必要があるからです。
この場合、自分の思想などに共感してもらうところまで求めてはならない(共感してもらえればそれに越したことはもちろんありませんが)。
「これを書いている人間はまともな奴だ」「論理は破綻していない」「言っている意味は分かる」、ただし「この考えには賛成できないけれども」くらいのところまで行くことができれば最高なのだと思っています。いや、このレベルの文章を書くこと自体かなり難易度は高く、私は残念ながらとてもここまでには至っておりません。

私には、その時々の状況に応じて臨機応変に用語を使い分ける力などはとても持ち合わせておりませんが、それでもやはり言葉の好みなどはあります。
また、このブログの記事のように「です」「ます」調で書いている場合とメインサイトの記事とでは、表現ぶりを意識的に変えていますので、当然用いる言葉も異なってきます。

そんな中でも、使いたくない言葉、はっきりいれば嫌いな表現というものは共通してあります。

たとえば、「とんでもありません」「とんでもございません」などというもの。
これは、「とんでもな・い」という形容詞の用法を無視して無理やり敬語っぽくしてもので、「もったいない」とか「やるせない」と同じ性質のものです。
敬語表現で使いたいのであれば、「とんでもないことです」とすればいいだけの話です。
おなじようなものに、「みっともよくない」というようなものもあったりします。
これもいうまでもなく「みっともな・い」が形容詞である以上、誠にすわりの悪い表現ではないかと感じます。

それから「お気をつけて」。
「気を付ける」というのは動詞ですので、活用形につく助詞である「て」を連用形である「気を付け」につけて「気を付けて」となる用法にはもちろん問題はありません。
しかし、動詞の連用形に「お」という接頭語をつけると、その言葉は名詞扱いとなります。
「たずね」→「おたずね」、「はいり」→「おはいり」、「求め」→「お求め」というような感じでしょうか。
こうしてできた名詞に、活用形につく助詞である「て」をつけるのは、やはり不自然極まりないと思います。
敬語的に使いたいのであれば、「お気を付けになって」とか「お気を付けください」とすればいいだけの話です。

などとこの調子で書いていくと際限がなくなりますので、ここでいったん止めますが、駄文といえども自分で文章を綴る折には、やはり書いていて不自然を感じない書き方をしていきたいなと、源氏物語にかこつけて改めて感じ入っているこの頃ではあります。

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白内障の手術を受けました。 [日記]

台風二号の接近や前線の活動などで、ぐずついたお天気が続きます。

白内障の手術を受けました。

5月23日に左眼を、5月31日に右眼を手術。

一昨年くらいから目のかすみが気になっていたのですが、眼科を受診するのが億劫で放置してきました。
昨年の秋ごろには細かな字が見えづらくなり、太陽の光がまぶしく感じられるようになって、さすがにまずいと重い腰を上げることにしたのが今年の三月です。
というのも、30年位前に網膜色素変性症という診断を受けており、その折には「徐々に視野が狭くなっていって70歳までには失明する」と宣告され、しかも「有効な治療はなく進行を抑えることも基本的にできない」と医師に告げられため、そんな状況で眼科にかかっても意味がないと感じたことが大きかったのです。
その後、再就職にあたって健康診断を受けることとなり、その際に、目の状況を調べるようにと再就職先の人事担当から要請され、正に「嫌々ながら」眼科にかかったのですが、当初の診断を受けた時から20年近くたっているのに、網膜色素変性症による視野狭窄はあまり進んでいないのではないかと言われました(その時には白内障の兆候もありませんでした)。
そこでまたしても「放置」という態度に出てしまったわけです。

しかし、前述したような深刻な状況となり、車の運転も躊躇せざるを得ず、何よりも仕事に多大な影響が出始めましたので、意を決して、知人が紹介してくれた眼科にかかった次第です。
医療技術の進展はどの分野でも目覚ましいものがありますが、眼科においてももちろん例外ではなく、以前に私が受けていた診察からは想像ができないほど格段に進化していました。
診察の結果、やはり白内障が進行しており、網膜色素変性症の影響もあって前眼房などの組織が弱く、放置しておくと緑内障を起こす確率が高いとのこと。
白内障の手術によって網膜色素変性症の病変が進む可能性があるのではないか、との質問に対しては、その可能性は否定できないが、緑内障を発症すれば失明のリスクが高まるので、それの防止のためにも白内障の手術をお勧めする、との診断。
私が引っかかっている網膜色素変性症については、どうも進行の速度がかなり遅い珍しいタイプらしく、それによるいきなりの失明という事態にはなりにくいのではないかとのことでした。

喫緊の課題は緑内障発症による失明を防ぐこと、という説明を受け、白内障の手術を決意しました。

さて、手術を受けることを決意したのはいいのですが、設備の整った総合病院や大学病院では予約がいっぱいで半年くらい待たねばならないと聞き、愕然。
診察を受けた眼科医の推薦を受けて、個人病院で受けることになりました。
大きな病院ですと入院が可能ですから、両目を短期間で施術することができます。
しかし、推薦していただいた個人病院には入院施設はないため、片目ずつ日帰りでの手術となります。従って、手術にあたっては付添人がどうしても必要とのこと。片目に眼帯をしたまま一人で帰宅するのはあまりに危険であるとの判断からです。

こうなると、独り身にはハードルが高くなりますが、やむを得ず、八ヶ岳の実家の近くに住んでいる妹を頼ることにしました。快諾してくれたので本当に安心しました。

白内障の手術、様々な情報を見てみると、成功率も高く時間も15分程度で済む、比較的楽な部類の治療法のように記されてあります。
私の体験を申し述べれば、痛みを感ずることもなく術前術後の制約もあまり厳しくない手術であったように思われました。
それでも、手術中は得体のしれない焦燥感に襲われ、力を抜かなければと思いつつも肩や腕に力が入ってしまいました。
手術をする方の目にも不透明な膜のようなものをかけられ、水を常時流している状況なので、眼にメスなどが迫っているところは全く認識できませんでした。強い光を当てられていて、そこに視線を合わせるように言われます。光源は三つあって、強い光の中でその三つの光源を見つめている間に水晶体を抜かれるようです。
抜かれると眼前は真っ白になり、直後にいったん光を消されてそのあとに人工のレンズを挿入されます。
しばらくすると先ほどの三つの光源がより強く感ぜられるようになり、どうやらレンズが装着された様子。やがて大きな眼帯で目を覆われ、手術終了を告げられます。
当日の入浴は厳禁。翌日から風呂は許されますが、一週間にわたり洗髪はもちろん顔を洗うことさえ許されず、三種類の消毒液を朝・昼・晩点眼することになります。
もちろん、眼をこすったり触ったりすることも厳禁。
これが結構負担に感ぜられました。
左眼の手術が終わった後、洗髪と洗顔ができたのは一週間後の右眼の手術の前日。この時の爽快感は忘れられません。実にうれしいものでした。
現在はまたもや洗髪洗顔を禁止されている状況ですので、来週の月曜日が楽しみでもあります。

今はまだ右眼の手術が済んだばかりですので途中経過なのではありますが、とりあえずこの段階でご報告してみたいと思いました。
白内障の手術をお考えの方に、何らかのご参考になれば幸いです。

なお、手術後の見え方ですが、かなり驚愕すべきものでした。一番象徴的なのは白色の見え方です。
左眼の手術の後一週間近く、かすんでいた右眼との比較を余儀なくされましたが、右眼のほうで見ている白色は灰色もしくは薄い黄土色という感じで、左眼の輝くばかりの白色の鮮やかさを痛感しました。あまりに鮮やかで怖いくらいの色でした。
目のかすみは一掃され、PCやスマホや本などの文字もしっかりと見えるようになります。
人工レンズは単焦点でありますから、すべての距離を網羅することはできませんが、ハズキルーペを使わなければPCの文字を読むことすら厳しかった状況は完ぺきに改善されました。
右眼の手術が終わった後は、さらによく見えるようになり、いまさらながらに手術を決断して良かったと感じております。
以前、かなり気になっていた、眼の中に見えるゴミや筋や虫や濁りのような変なものは一掃され、視界はくっきりします。
ただし、老眼や乱視は残るようで、これまで使っていた眼鏡をかけたほうが楽ですね。
いずれきちんと検査をして、今の目に合う眼鏡を買う必要が出てくるのかもしれません。

来週の月曜日に予定されている診察を受けるまで予断は許されませんが、今のところ手術は成功している模様です。
安定するまでにはやはりひと月程度はかかるようですが、その後は少しアクティブに動けるようになるかなと、今から楽しみに思っているところです。
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キッチンハイターで汚れ落とし [日記]

大型連休が始まり、気持の良いお天気となっています。
新型コロナの影響で出控えていた人たちも、今年の連休は楽しく旅行などに出かけておられることと思います。

そんな中ですが、私は在宅で仕事の追い込み。

というのも、6月末で今の職場を退職する予定で、かつ、今月末に白内障の手術を受ける予定ですので、今のうちに出来る限り仕事や課題を片付けておきたいからであります。
退職後は徐々に身辺整理を始めて、今年の秋くらいをめどに八ヶ岳山麓の生家に引っ越そうと考えています。

そんな事情もあり、このブログの更新もおろそかになっておりました。
きちんとした題材を取り上げ、まともな文章にまとめる余裕がなかったからです。

今回はちょっとした経験から、皆様も疾うにご存じとは思いますけれども、キッチンハイターを使った汚れ落としについて触れてみたいと思います。

以前、バスタブの黒ずみを、車用のコンパウンドとワックスで落とした話を書いたことがありますが、頑固な汚れでない限り、キッチンハイターをうまく使って落とす方が楽だということを実感しました。
もともと、生ごみ用の三角コーナーとかシンク回りの汚れ、急須の茶渋落とし、その他でキッチンハイターを使ってはいましたが、それをバスタブとか手洗いなどにも応用しようというものです。

まず、空になった霧吹き型のスプレーに、水で薄めたキッチンハイターを充てんします。
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キッチンハイターと水との分量は適当です。ほとんど目分量ですがあまり使用上の問題はありませんでした。
これは結構重宝で、先に書いた三角コーナーなどに吹き付けて使うこともできます。
何度か使ううちに霧吹き用の穴が詰まったりしますが、その場合は、風呂の掃除の際に残り湯の中に着けて何度かレバーを操作し、残り湯を通してやると回復します。

さて、今回は分かりやすいように、手洗いのウォシュレットのノズル出口の汚れ落としです。
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恥ずかしい画像ですが、トイレクリーナーなどを使ってもなかなか落ちません。
ここにティッシュペーパーをかぶせて、その上からキッチンハイター液を噴霧します。

しばらくそのままにしておくと見事に汚れが落ちました。
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こんな感じになりました。

バスタブとか目地などの黒ずみや汚れも、キッチンハイター液で簡単に落とせます。

ティッシュペーパーを使ったのは、縦や斜めになっている箇所ではキッチンハイター液が下に流れてしまうため、汚れの箇所にとどめておくためです。

この方法で、カビ由来のほとんどの汚れはきれいに落とせます。

テレビの通販などで、ジェル式の汚れ落としスプレーが紹介されたりしていますが、値段が6~7千円するなどといった法外なものばかり。
そんな高いものを買わなくても、この方法でほとんどの黒ずみや汚れは落ちます。
キッチンハイターはドラッグストアなどでは100円以下で買えますし、スプレーも空になったものの使いまわしですから、コストパフォーマンスは最高!

是非ともお試しあれ。

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ルーブル美術館展(愛を描く) [日記]

現在、国立新美術館で開催中の「ルーブル美術館展(愛を描く)」を観てきました。
「すみっコぐらし」とのコラボということで、若い女性やカップルもたくさん訪れていて、会場は相当な賑わいでした。

それでも、この頃の美術館では事前に観覧日時を指定しての前売りという形態が定着しているようで、人数の割には比較的混雑の度合いは小さかったような気がします。
ただ、照明が暗かったことと、絵の解説文の文字が小さかったこともあって、老人特有の弱視(白内障の疑いあり)の身には、その点が大変もどかしかった。

今回の企画展は。「LOVRE」の中から「LOVE」を強調するという、なかなか面白い試みです。

プロローグと第4室は写真撮影も許されていて、第4室では私も何枚かスマホで撮影しました。
今どきのデジカメは、スマホのものも含めて、ストロボなどをたかなくても光量的には問題なく撮影できますから、展示作品が痛む可能性というよりも、写真撮影に伴う渋滞や混雑を避ける、という意味合いでそれを制限しているのかもしれませんね。
というのも、本場のルーブル美術館では、目玉の「モナ・リザ」を含めて撮影は自由(ただし、確かストロボは禁止だったと記憶していますが)だったので。

私がルーブル美術館を初めて訪れたのはもう30年近く前になります。
ラファエロ、ドラクロワ、フェルメールなど、大好きだった画家の絵画はもちろん、ニケ像、ミロのビーナス、モナ・リザなど、観たくて憧れていたものが数限りなくあり、時間のたつのも忘れるほどでした。
今回の企画展で展示されている所蔵品は、その意味では現地でそれほど熱を入れて観たものではなく、そういえばその絵もあったな、程度の、作品に対して大変失礼な印象を持っていたような、少し申し訳ない気がして、今回はしっかりと「拝見」しました。

とはいえ、例えばアリ・シェフェールの「パオロとフランチェスカ」などは、その初めてのルーブル体験でも胸をうたれ、じっくりと見入った記憶が鮮明に残っています。
この二人の悲劇に関し、私は別のブログで次ような記事を書いたことがあります。

パオロとフランチェスカ

ダンテの神曲はさすがに稀代の名著で、何度読み返しても新たな発見がありますが、その中でもこの「パオロとフランチェスカ」と「ウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカ」を取り上げた下りは涙を禁じえません。

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この絵では、パオロとフランチェスカの右横に、ダンテとウェルギリウスが描かれており、神曲における地獄の第二環で永遠に黒い風に吹き流され漂い続ける二人に出会い言葉を交わす場面を彷彿とさせます。
改めてじっくりと観ましたが、悲しいほどに繊細で美しい作品ですね。
この二人の悲劇に触発され、絵画は勿論、音楽(チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」)、戯曲、ザンドナーイなどによるオペラなど、数多くの派生的芸術作品が生み出されているのは皆さまご存じのことと思います。

さて、先にも書きましたように、今回の企画展ではフラゴナールとドラクロワくらいが、私のように絵画にあまり明るくない人間でも作品と紐づけで知っている画家でした。
しかし、展示されている作品は、さすがにルーブル所蔵だけあり、どれも大変見ごたえのあるものばかりです。
写真を撮れたものだけ、以下に紹介します。

「アモルとプシュケ」フランソワ・ジェラール
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「アポロンとキュパリッソス」クロード=マリー・デュビュッフ
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「エンデュミオンの眠り」アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾン
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「ヘロとレアンドロス」テオドール・シャセリオー
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「友情の杯を交わすヒュメナイオスとアモル」ジャン=バティスト・ルニョー
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画像が不鮮明なのは何卒ご容赦のほどを。

ところで、この企画展の入場料は2100円でした。
このところ都心の美術館に出向くことがほとんどなかったので、相場がどのくらいになっているのか知らなかったのですが、意外に高いな、というのが実感です。
フランスからの運搬や保管、それに関する各種の保険料などを鑑みれば、やはりこのくらいの価格になるのはやむを得ないのでしょうか。

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句読点の考え方 [日記]

9月も半ばを過ぎ、だいぶ陽が短くなってまいりました。
先日も、帰宅時に職場を出る際、既に陽が落ちていることに気づき俄かに寂しさを感じたところです。

月みれば ちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど

私は大江千里のこの歌が大好きで、秋を感ずるときに常に頭をよぎります。
この歌は、いうまでもなく白居易の「燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長」によったもので、のちに鴨長明がこれを本歌として「ながむればちぢに物思ふ月にまたわが身ひとつの峰の松風」と詠んだように、秋の月に同じような想いを馳せる人は数多くいたのでしょうね。

ちょっと恥ずかしい経験ですが、15年ほど前にピアノ伴奏つきソプラノ・バリトンの二重唱で「秋の月」という曲を作ったことがあります(後に混声合唱に編曲)。
もちろん稚拙極まりない曲ではありますが私自身としては気に入っている曲の一つで、作曲した動機の一つにこの大江千里の一首があったことはいうまでもありません。

秋は食べ物もおいしく気候も過ごしやすくなりますから良い季節なのですが、やはり寂寞感は如何ともしがたく「千々に物悲しさ」を感じさせるようですね。

ところで先日このような記事を読み、考えさせられました。

中高年は知らない…若者がLINEで句読点がついた文を心底嫌悪する本当の理由

この話はかなり以前から話題になっていたので、真偽のほども含めて興味を持っていました。
一読後、なるほどなあ、というのが実感です。

LINEは、トークによる文字のやり取りのほか、画像その他ファイルの添付、音声会話・ビデオ会話もでき、ケータイのみならずPCなどでもやり取りが可能な、かなり優れたコミュニケーション・ツールであり、私も重宝に利用しております。
なんといっても、メールなどに比べてレスポンスが格段に速く、友だち毎に履歴も追えるので業務上の連絡にも使えたりします。
つまり、どこかしら、使い勝手の良いビジネスチャットツールのような扱いもしているわけです。
若者からすれば、句読点は「大人(中高年)」が自分たちに向ける“文書”に用いられているものであり、往々にしてその内容は目的志向的で、なにより批判的なニュアンスが含まれていることが多い。だからこそ、LINEなどのメッセージアプリ上で句読点がある“文書”を目にすると、そこに自分の責任を追及されているような、いうなれば「詰問」に近いニュアンスを感じてしまい、嫌なのである。

なぜかといえば、
すなわち、若者たちにとってそれは「会話の一形態」であるのに対して、年長者たちは「簡易版メール」のような感覚を持っていて、つまり手紙やメールの延長上にある「文書送信の一形態」なのである。

という、LINEに対する彼我の位置づけの夥しい乖離にその原因があるとのこと。

うーむ、というところが私の正直な感想ですね。

子供のころから本を読んできた私などにとっては、たとえそれが電子媒体であっても、文字によってあらわされたものは「文章」だという認識が強くあります。
LINEなどのタイムラインに流れてきたものであってもその根本的な感覚は変わりません。
従って、文章であれば当然のこととして句読点は必要、と考えるわけです。

しかし、これを「会話」としてとらえることになれば、(通常、会話の場合、句読点は意識しませんから)空間を行きかう話し言葉のやり取りと同じようにその都度費消されていくのでしょう。

思えば、日本語における句読点が、現在のような形でそれなりに用いられ始めたのは、明治時代から大正・昭和にかけて口語体が確立されてきたことと軌を一にしています。
それ以前の時代で公用文や実用文を書く場合は文語文すなわち漢文をもとにした候文(●●相勤可申御坐候のような)を用いていましたし、庶民の文のやり取りでは短い言葉を段落に分けて表現していましたから、いずれにしても句読点は必要なかったものと思われます。
明治時代に入り、国民の教育ことに識字率の上昇が進んだことから、より多くの読者を確保したい小説家などが中心となって新たな筆記方式となる口語文の確立が試みられます。
樋口一葉や幸田露伴、森鴎外の初期の作品などにみられるように、基本的に明治初期の小説は文語文で書かれていたわけですけれども、夏目漱石などによって新しい文体(口語体)が生み出され彫琢されて、それが現在まで連綿と続いている。

つまり、私たちが使っている現在の口語文は、たかだか百年くらいの歴史しかないわけです。

そんな文章作法の中でも、句読点、とりわけ読点は厄介です。打ち方によって文意さえも異なってしまう。
因みに、古文、中でもかな書きを中心にした文章(源氏物語や伊勢物語や竹取物語や平家物語などなど数多)に漢字が付け加えられたり句読点が打たれているのは、後年における学者や研究者などの親切心や老婆心によるもので、原本にそのような措置は施されておりません。

それでも口語文の普及は、「達意」という実用文の最重要使命を果たすために大きく寄与しているものと思います。
私たちが文章を書く上で最も大切に考えなければならないのは、この達意ということ。
それゆえにこそ、句読点とりわけ読点の使い方には細心の注意を払わなければならないのだろうと愚考する次第です。

このようなことをつらつら考えてみると、いわゆるZ世代と称される若年層(読書からも遠ざかっている人が多いようです)が、面倒くさい実用文記述のしきたりにとらわれることを忌避して、より会話に近いやりとりをSNSなどで使う理由もわかる気がします。

尤も大人になって実社会に出れば、それだけでは済まなくなるわけですから、いつかはそうしたしきたりに従わざるを得なくなるとは思いますけれども。

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猪肉 [日記]

相変わらず寒い日が続いています。
オミクロン株の影響もあり、すっかり巣ごもり状態となってしまいました。
先月の初めに顧客のところに出向いて以来、基本的に在宅ワークで、周辺のスーパーなどへの買い出しや散歩くらいしか、外出をしていません。
それでも、ありがたいことに、Web会議やメールや電話などである程度の打ち合わせや意思の疎通が図れますので助かっています。
こうなると、エッセンシャルワーカーなど、私たちの生活や健康維持のために現場で働く人たちへの感染リスクを極力避けるためにも、在宅ワークが可能な職種は率先してそれに取り組む姿勢が必要になろうかと思います。

いつのころからか、「ジビエ」などという言葉とともに、野生の動物の肉などを料理して食べることの話題を頻繁に見聞きするようになりました。

私たちのような山村で育った人間は、いわゆる山のケモノの肉にはそれなりのなじみを持っておりますので、「ジビエ」などというハイカラな名前を聞くとちょっと居心地の悪い思いをしてしまいます。
子供のころ、わなを仕掛けて野ウサギを捕ろうとしたりしたこともありました(なかなか成功しませんでしたが)し、狐を崖に追い込んで捕ってきたこともありました。
狐の肉は臭くてとても食べられないので、毛皮をはいで座布団かなんかにしてもらった記憶があります。
家ウサギを飼うのも子供の役割でしたが、これは毛皮をとるためと食料のためであり、ペットなどという扱いではありません。
今はウサギのペットも流行っているそうですが、なんか違うな、というのが実感です。

そんな私の、以前の職場での一年後輩が、定年後に鳥取の山間部に移り住み、現在は猪とか鹿など、農作物や植林などに被害を及ぼす野生動物の駆除に当たっています。
専ら空気銃を使うそうですが、これが結構な殺傷能力があるそうで、50mくらいの距離があっても眉間を狙えば一発で仕留められるとのこと。

その後輩が、猪肉を送ってきてくれました。
sisiniku01.jpg
これはもも肉で、ほかにロースとランプです。
キッチンペーパーに包んで丁寧に血をふき取ります。

早速焼いて食べました。
sisiniku02.jpg
塩・胡椒を擦り込んで、タレはポン酢にニンニクを混ぜたもの。
抜群の美味さです。

実は、長火鉢があるので炭で焼こうと思ったのですが、厚さが3mmと薄いこともあり、これは断念して、セラミック混合の金網を用いガスレンジ焼きました。
sisiniku03.jpg
盛大に炎が上がりましたが、うまく焼けました。

猪肉は、なんといっても脂が美味しく、その歯ごたえといい甘さといい、とても豚肉の及ぶところではありません。
まだ食べないでとってあるロースはその脂肪がたっぷりと乗っていますので、こらからの楽しみにしようと思います。
熊本に単身赴任していた折、猟師もしていた山仲間が分厚く切った猪肉を持ち込み、これを炭火で焼きながら焼酎を飲んだことがあります。
それまでは味噌ベースの猪肉鍋くらいしか経験しておりませんでしたから、その圧倒的な美味さにはうなりました。

鳥取在住の後輩は、また送りますと言ってくれているので、次を楽しみに待ちましょう。

因みに、鹿肉も大変美味しく、特に私は刺身で食べた時の味が忘れられません。

猪も鹿も、「害獣」とか言われて駆除されるのはひどい話だなと思いますが、農業や林業に携わっている人たちからすればこれはやむを得ないことと考えます。
せめてこうやって(感謝しながら)ちゃんと頂くことで、彼らの命を全うさせて上げられれば、などとちょっとご都合主義的なことも考えてしまいました。
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2022年になりました [日記]

新年あけましておめでとうございます。
遅ればせながらではありますが、2022年の年頭に当たり、改めまして新年のご挨拶をさせていただきます。
今年もどうぞ相変わらずのご愛顧のほど、お願い申し上げます。

今シーズンの冬は、とりわけ冷え込みが厳しい印象があります。
年末年始は実家のある八ヶ岳山麓の町に帰省しておりましたが、連日、最低気温が氷点下10度を下回るありさまで、真冬日が続きました。

八ヶ岳もこんな感じです。
2022yatu.jpg

緊急事態宣言も明けたことから、八ヶ岳にはかなりの入山者があった模様ですが、年末年始はかなり荒れていたと思われます。
事故などが起きていなければ良いのですが。

新型コロナの影響もあって、なかなか帰省も叶いません。
昨年は今回も含めて4回にとどまりました。
高齢の母は、頭はしっかりしているのですが手足の動きがかなり厳しくなっております。
それゆえ、帰省した時は家事全般私がしております。
もちろんこの時期ですからおせち料理の用意もしていきました。
尤も、自分で作ったのは煮卵と昆布巻きくらいで、あとはスーパーで購入したものですが、重箱などに盛り付け、それなりの体裁を整えたところです。
母とはいえ、自分以外の人のために料理や掃除や様々な介添えなどをしていると、多少ながらも「人の役に立っている」という気持ちになり、気持ちが楽になるようです(ただ、母がしきりに申し訳ながることには閉口しますが)。

食事の支度などは、自分一人でいると、朝晩はそれなりにきちんとしたものを作ろうと思いますが、昼食などは結構いい加減になってしまいます。
母にきちんと食べさせなければならないと思うとさすがに三食とも手抜きはできませんので、その意味でもこれまでのいい加減な対応を自省する気持ちが涌いてきました。

さて、初日の出ではありませんが、自宅に戻ってきてからの朝日です。
2022sinnen.jpeg

実家では、あまりの寒さに、外に出て写真を撮ることも厭いました。
何しろ、私の寝ていた部屋に干しておいたタオルが凍ってしまうくらいの冷え込みでしたので。
子供の頃の冬の寒さを久しぶりに思い起こしました。

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冷え込んでいます [日記]

昨日から冷え込みが厳しくなっています。
北日本や日本海側だけでなく、近畿や東海地方でもかなりの降雪があって各地で車の立ち往生が発生したそうです。
日中は陽射しがあるのでなんとかなりますが、陽が落ちると途端に寒さが迫ってきますね。

そんなわけで昨日から火鉢を出しています。
hibati2021.jpg

ヤカンをかけておくと湯気のおかげで乾燥を防ぐことができますし、寝床に入れる湯たんぽのお湯も確保できます。
何よりも遠赤外線効果で暖かさも格別です。

ただ問題があって、私の居室の密閉性がかなり高いため、一酸化炭素などが溜まりやすくなりガス警報機が作動してしまうこと。
窓を開け放って喚起すればいいのですが、せっかくの暖気も当然逃げてしまうので、その辺りはちょっと悩ましいところですね。

私は比較的、一酸化炭素中毒などにはなりにくい体質ですが、人によっては頭痛を引き起こしたりすることがあると思います。
その点については注意が必要ですね。
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