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ユニットバスのバスタブの汚れ落とし [日記]

不安定なお天気が続きます。
朝のうち晴れていても、急に黒雲が張り出してきて雷雨が襲来。
洗濯はもちろん布団干しも油断ならない状況です。

とはいえ、線状降水帯の影響で大きな被害が出ている各地のことを思えば、こんな能天気なことを言っている場合ではありませんね。
下手に山を弄ると、それまで保たれてきたバランスが崩れ土砂災害発生の誘因になります。
そのことはこれまでにもずいぶん言われてきたと思うのですが、行政の対応はいつも後手に回っているような気がして仕方がありません。
予算や定員に限りがあることはわかるのですが、住民本位の行政を執行してもらいたいと強く感じます。

ところで先日、バスタブの汚れを車用のコンパウンドで落としてみる、ということを試行してみたと書きましたが、とりあえず一段落となりましたので結果を追記します。

これが汚れていたときのバスタブの縁。
furo01.jpg

これが試行後です。
furo02.jpg

汚れはかなり頑固で、場所によってはコンパウンドでは歯が立ちませんでした。

そこで、これはかなり乱暴なやり方だとは思うのですが、目の細かい紙やすりを水に湿らせて撫でるように汚れを削り、その後、コンパウンドで磨いたところです。

ある意味では荒療治になってしまったので、今後どのような影響が出るのかわかりませんが、しばらく様子を見て大丈夫そうであれば、そのほかの気になる箇所もやってみようと思います。

ただ、これはかなりの体力勝負で、今のような蒸し暑い季節に行うと、(風呂はある意味密室ですから)汗だくになってしまいます。
そこまでするのか?、というところが分かれ道かもしれませんね。
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ミニトマトが色づき始めました。 [日記]

連日の雨で、鬱陶しいばかりでなく、土砂崩れなどによる大きな災害が出ております。
このところ、梅雨の時期に大量の雨が降る傾向が強く、これに台風の影響まで来た日には、正に踏んだり蹴ったりという感じです。
自然災害ゆえにどうしようもない、という考え方もありましょうが、やはり気候変動による影響も大きそうな気がしてなりません。
もしも、産業革命以降の人間の営みがそれを加速しているとするのであれば、人間も自然の一部であることを顧みて、これからの生き方を考えてみるべきではないでしょうか。

ベランダのミニトマトが予想以上に大きく育ち、ようやく色づき始めました。
minitomato.jpg

花や実もかなりの数がついているので、今年の夏は楽しみが増えそうです。
なお、この初物は、鳥や虫などに食べられてしまっては残念ですので、さっそく収穫しました。

私が現在の住居(マンション)に移ってから、もうすぐ21年となります。
幸い管理組合がしっかりしているため、長い年月が経っている割には大きな不具合もありません。
ただ、経年劣化の影響を受けるところももちろん多くあり、私の自宅でも、ガスコンロや給湯システムなどは入れ替えておりますし、網戸などももう二回張り替えています。

そんな中、ユニットバスのバスタブの手すりなどの汚れが目立ってきました。
ひび割れなどといった深刻な不具合はないのですが、おそらくカビ由来なのでしょう、角になっている部分が黒く薄汚れ、いつしか洗剤などでは落ちなくなっていました。
業者に頼むと、全体を削って再塗装するという作業となるため、かなりの金額がかかりますし、何よりもその間、風呂に入れなくなるのがつらいところです。
ネットで検索すると、自分で溶剤や塗料などを購入し、研磨して補修する方法なども載っていましたが、私の場合は手すりの一部なのであり、それほど大掛かりな対応が必要なのか、やはり疑問も残ります。

どうせ風呂に入るのは私一人なのだし、まあ我慢すればいいだけかな、と思っておりました。

そんな折、考えてみればバスタブもFRPであるわけで、もしかすると車用の研磨・ワックス剤で対応できるのではないかと、物は試しでやってみることに。

ということで、風呂を洗った際にこれを実行してみたところ、かなりの磨きこみなどで頑張らなくてはなりませんでしたが、それなりに効果が期待できそうです。
汚れを落とした後、時間の経過とともに何かの不具合が出るかもしれませんので、今回は一部分とし、様子を見ることにしました。

一週間ほど経って特に大きな問題がなければ、もう少し頑張ってみるつもりです。
うまくいきましたら、またこのブログでご報告させていただきます。

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家事について [日記]

平年より七日遅れで、関東地方に梅雨入りが宣言されました。
先週まで、6月としては異常な暑さの日も多く、これでようやく気温も平年並みになるのかもしれません。

ちょっと迷ったのですが、日光消毒を完了したプランタを利用することにし、先日、バジルとミニトマトの苗を購入してきました。
のら人さんのコメントに触発され、コンパニオンプランツとして植えてみたところです。
basiltomato.JPG

バジルの方はすでにトマトなどと一緒にサラダにして楽しんでおりますが、ミニトマトが収穫できればさらにありがたいなと思っています。
花も数輪咲き始めていますし、早、実もついてきました。
楽しみですね。

ところで、梅雨入りに触発されたわけでもないのですが、昨日、衣替えをしました。

箪笥と衣装ケースの中身を入れ替え、防虫剤を入れるだけなので、さほどの手間ではないのですが、何となく実行するまでには腰が重くなる傾向があるようです。

連れ合いがいたときには、考えてみればすべて連れ合いがやってくれており、大体この時期には箪笥の中身が夏物に変わっていました。
連れ合いを亡くして全部自分でやらなくてはならなくなって今回で5回目(年に二回ですので)。
何となく手際はよくなってきたように思います。

衣替えを実行する前にウォーキングに出かけていたのですが、その衣替えが念頭にあったのでしょう、歩きながら家事のことを何となく考えてみました。

家事というと、一般には炊事・洗濯・掃除、の三つが思い浮かびます。
これはつまり「衣食住」にかかわっている作業なのではないか。

「洗濯」は「衣」、「炊事」は「食」、「掃除」は「住」。

そう考えてみると、家事というものの概念は極めて広いものだなと改めて気づかされました。

「衣」というものを考えたとき、それにまつわる作業は言うまでもなく洗濯だけということはありません。
衣替えも当然ですし、また着替えが必要となる場面も思い浮かべつつ収納のことも考えなければいけない。

また洗濯ということだけを考えてみても、対象は着たものだけにとどまらず、枕カバーやタオルや布巾やマットなどや当節ではマスクのこともありますから、それらの交換や回転についても考慮する必要があります。
例えば私の家の場合、タオル類だけでも、洗面・入浴用・台所・手洗いのほか、足ふき(マットの上に敷いています)、食卓用のハンドタオル(台拭きや雑巾ではなく、手や口を拭ったりするもの)、食器用の布巾、ハンカチなどがあり、それらをどのように干すのかも考えなければなりません。
外干しが基本ですので、ベランダや物干し竿のスペースも考え、どうやって合理的に干すか、などもあります。

洗濯という日常的な作業だけでもそんな感じで、単に洗濯機に洗剤を入れて洗濯物を放り込めばいいというものではない。
汚れの具合によってはつまみ洗いや漂白剤を使う必要もあります。

その集大成が、収納や衣替えということ(クリーニングもありますね)になるのでしょうか。

つまり、洗濯という、家事の一つをとってみても、それにまつわる様々に細かな作業や手順が必要となるわけです。

「食」についても、もちろん炊事だけではない。
食材の調達を考えてみても、短期的・中期的・長期的な視点をある程度もって行う必要があります。
お店で買うという行為だけでなく、場合によっては身内や知人からもらったりすることもあるわけですから、そうしたものも勘定に入れて、食材の備蓄や活用を考える。

もう少し広げると、私はウォーキングついでに、近所の里山や道端などで、カラスノエンドウ・ナルコユリ・ウコギ・野蒜・アカツメクサ・蕨その他の野草を採取することがあります。時期によってはタマゴタケなどのキノコもいただきます(もちろん禁止されているかどうかは確認しその場合は手出しをしませんが)。
山に出かけたときには、それらの収穫物はさらに広範囲になり、場合によってはそれを目的に入山することもかなりあったりします。
ベランダなどでの栽培や、野菜の再生栽培なども、この範疇に入るのかもしれません。

その上で、冷蔵庫などの中身と相談し、食材の買い出しに出かけるわけです。
頭の中では、大体、一週間くらいの大まかな方向性を描きつつ、三日間くらいの献立を思いめぐらせています。

料理をしている最中も、予め後片付けのことを考え、手の空いた時に必要のなくなった調理器具や入れ物などを洗ってしまいます。
これも、いかに合理的に行うか、というところが重要だと思っています。

「住」はさらに規模が大きくなりますが、掃除はそのメンテナンスという意味でも重要な作業でしょう。
これに関しては、正直に言って私は全く対応ができていないと思っています。

私自身、以前は(連れ合いがいたころは)「埃なんかで死にゃあしないよ」などとうそぶいていたものでした。

しかし、自分ですべてやらなくてはならなくなると、そんないい加減な態度は許されなくなります。
掃除機をかける前に、椅子などの家具類は移動させ、棚や桟や家具の引き出し、扉の枠などの埃をまず落としておかなければならないわけで(そうしないと掃除機をかけ終わった後にチリなどが発生する)、つまりは昔、箒をかける前に叩きなどで埃を落としていた作業をきちんと行う必要があるというわけです。
風呂場や手洗いなどの換気扇も曲者で、これらの掃除を怠ると知らず知らずのうちに部屋の中に埃が充満したりします。

ゴミ出しの日に合わせて生ごみを集める際には、ついでにシンク周りの掃除もしなくてはなりません。
さらに、レンジ回りの掃除も定期的に行う必要がある。

玄関やベランダの掃除、不要物の片づけ・廃棄など、結局、自分自身の住環境を整備する(可能な限り快適に過ごそうと考える)ための作業なのであり、一言で「掃除」といっても、まことに深いものがあるように思われます。

こうして改めて書き起こしてみても、おそらく皮相的なものばかりで、かなりの部分が抜け落ちているものと思料します。

家事というもののとらえ方は、語弊があることを承知で敢えて言えば、それを主に負担している人と手伝い程度に考えている人との間で相当の開きがあるようにも思います。

仮に男性が、家事を手伝い程度に考えているとすれば(本人はそう思っていないのかもしれませんが)、洗濯は洗濯機に洗濯物と洗剤を入れて回し干すだけ。炊事は料理をするだけ、掃除は掃除機をかけるだけ、だと考えている傾向が強いのではないでしょうか。
それだけしかしていないのにもかかわらず、「自分は家事をきちんとこなしている」と自負してしまう。
ここに大きな陥穽があると思います。

そうした、単に手伝っているだけの人の認識をはるかに超える「定義の難しい」「目に見えない」家事作業が相当数存在する。
私のところは単身世帯ですのでこの程度の手間で済んでいますが、家族など同居者が増えればその手間や気遣いなどは幾何級数的に増大します。
同居者全員の現状や嗜好などを把握しつつ、個別に対応しなければならなくなりますから。
考えてみただけでも大変な作業量になるものと思われます。

連れ合いを亡くして私はそれをしみじみと実感し、ああ、こんなことならもっと早く気づいて、きちんと分担しておけばよかった、と帰らぬ後悔をしています。

余計なことだということは承知の上ではありますが、世のご亭主各位は一度そうした観点で家事を見てみたらいかがかと、老婆心ながら申し上げたく存じます。
大きなお世話であることは重々承知しているのですが、後悔先に立たずということもありますので。
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新型コロナウィルスワクチン接種券が届きました [日記]

近所の田んぼではほとんどが田植えを終わり、浅黄色の苗が輝くように波打っています。
もうすぐ関東地方も梅雨入りとなるのでしょうが、こうした柔らかな景色は本当に心を和ませますね。
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先日、「新型コロナウィルスワクチン接種券」が送られてきて、ちょっと驚きました。

私は現在64歳ですから、高齢者枠には入らず、9月以降を目途としている一般接種になるのだろうなと考えていたからです。
しかしそうではなく、今年度に65歳を迎える人は前期高齢者という括りになり、それ故に高齢者枠での扱いになるのですね。
尤も、私たちのような年代への接種券の発送が始まったのは5月17日かららしく、そのあたりの区別はあるようですが。

せっかくなのでWeb予約をしてみようとアカウントをとりアクセスしたのですが、既にWeb予約枠は満杯。
朝9時からのアクセスでもダメでした。
それどころか、朝一番ですと予約サイトにつながること自体が難しい。

東京や大阪といった大都市圏では自衛隊による大規模接種が始まっており、予約も比較的スムーズと聞きますが、やはり地方では簡単にいかないようです。

まあ、最初から9月以降でいいや、と考えていたわけですから仕方がないかなと思いましたが、もしかするとどこかに手違いでもあるのではないかとやはり不安になり、コールセンターに電話をかけてみました。
予想はしていたのですが、これが全くつながらない。
10回ほどかけなおして、ようやく順番待ちとなり、それからかなり待って通話が可能となりました。
状況を聞くと、順次拡大はしているけれども、Web予約は週の初めの月曜日の朝一で、瞬く間に満杯になってしまうとのこと。
9時前ではログインできませんから、9時の時報とともにアクセスが集中し、早い者勝ちで埋まってしまうそうです。
予想通りの展開でしたが、高齢者のデジタルデバイドが問題視されている中で、即座にWeb予約枠が満杯になるほど精力的にネットで予約をしている高齢者の方々がかなりおられることに、ちょっと驚きました。
私の素朴な疑問を察知してくれたオペレーターの方は「身内の高齢者のために子供や孫たちが手分けをして予約をしているようですよ」と話してくれました。
なるほど、これは納得です。
なんだか、愛知博の時のパビリオン予約を思い出してしまいました。
あのときは一族郎党血道をあげてネット予約に精を出し、妹がようやく一つ確保したのですが、朝から大変な騒ぎでした。
今回はお遊びではなく、身内のおじいちゃんやおばあちゃんのためなのですから、さらに真剣なのでしょうね。

そんなわけで、状況が分かったこともあり、しばらく時間を置くつもりです。
私自身、特にこれといった基礎疾患はありませんし、肝機能・中性脂肪・コレステロール・血糖値・血圧なども全くの正常値。身長174cmで体重は63kg台、体脂肪も13%程度と、肥満体でもないので、そのうち空きができたら接種してもらうことにしましょう。

接種券が届いたことで、ちょっと気持ちの上でバタバタしてしまい、コールセンターのオペレーターの方にもお時間を取らせ申し訳ないことと思っています。
ただ、オペレーターの方の対応は非常に素晴らしく、私が「ではしばらく待つことにします」といったところ、「来週の月曜日には、接種場所を拡大して新たに予約を受け付けるはずですから、そこでアクセスされてはいかがでしょうか」と勧めてくれたのみならず、厚労省の「コロナワクチンナビのほうがさらに細かく調べることができますから、そちらで空き状況などをご確認されてはいかがですか」とのアドバイスもしていただきました。
うんざりするほどの問い合わせが殺到していることでしょうに、こちらが不安感を抱いていることを察して可能な限り丁寧な受け答えとアドバイスをされる。
全く頭の下がる想いでした。

ブログ上ではありますが改めて心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
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ショートカットキーの活用 [日記]

今日は春らしい穏やかなお天気になりました。
在宅ワークでのお昼休みに散歩に出かけ、ついでにバジルの苗木を買いました。

去年まではベランダのプランターでたくさん栽培していたのですが、アブラムシなどの大量襲来によりほぼ全滅。
毎年、種を収穫して蒔いていたので、まことにショックでした。

それでもバジルがあると、トマトサラダなどにこれを刻んでオリーブオイルと塩を混ぜてかけたりするなど大変重宝ですので、今年は台所に置いて育ててみようと思っています。
ピザなどを焼く場合のバジルソースにも使えますし。
うまく育ってくれるといいのですが。
basil.jpg

新型コロナウィルスの感染拡大はとどまるところを知らず、またまた緊急事態宣言が発せられることになりました。

当面のところ在宅ワークでの対応が主体となる体制が続きそうです。

ただ、在宅ワークでも仕事がこなせる環境には感謝しなければなりません。
お仕事の関係で、どうしても出勤する必要のあるソーシャルワーカーの方々のためにも、在宅ワークが可能な環境にある者は率先してそうした働き方を選択すべきものと思います。

さて在宅ワークですが、Web会議なども含めディスプレイを介して処理を実行する局面がかなり多くなっています。
メールをはじめ、資料作成や情報収集にもPCを使うことがほとんどで、結局、一日中、PCの前に座って作業をするということになります。

気分転換のための散歩(時には食料などの買い出しも含む)、在宅ワーク終了後の体操や筋トレなどで、こわばった体をほぐしてはいますが、寄る年波もあるせいか、肩や肩甲骨の凝りがひどくなる一方です。

中でも特に肩こりなどの原因となるのは、これは恐らく皆様も首肯してくださると思うのですが、マウスの操作です。
ポインターを動かしながらクリックをしたり、関連個所を選択したり、右クリックでアプリの操作をしたりと、ほとんどの処理はマウスでできてしまったりするので、それはそれで大変便利なのですが、長時間これをやっていると、ものすごく疲れてしまいます。
その点、キーボード操作は、あくまでも比較論ですが、マウスよりは肩こり等の点でかなりましです。

そんなわけで、資料作成などでは、文字や数値などの入力はもちろん、カット・コピー・ペースト、該当箇所の選択や修正などの操作をショートカットキーで行っている方も多いのではないでしょうか。
作業効率の面でも優れていますし、何よりも右肩ばかりが不自然に凝ってしまうマウス操作を極力避ける、という点でも効果はかなりあるものと考えます。

余談になりますが、私のメインサイトでは、Hnなどの各見出しブロック要素に「accesskey」を設定し、キーボード操作による分岐ができるようにしています。
これは、マウスを使うことによる肩こり防止というよりも、マウスを使いづらい環境などへの対応を考えてのことでしたが、環境対応という意味では現在でも同じ効果があるようにも思います。

先日、次のような九九の表をExcelで作る、という課題を紹介する記事を読みました。
kuku.jpg

これを如何に効率的に作ることができるか、ということで、その記事では30秒以内で完成させた人がいた半面、12分かかった人もいたそうです。
それぞれの計算式をどのような形でコピーし、数式の修正をどのように行うか、という点で、おそらく相当の差がつくのだろうと思います。

ちなみに私もやってみましたが、39秒かかってしまいました。
もう少し効率的にやれるかもしれないなと感じています。
数式への$の的確な付加、Ctrl+C・Ctrl+V・F2・Backspaceキー等の使用などのほか、カーソル移動の無駄な動きを極力排除することなどがポイントとなるのかもしれません。

ご興味をお持ちの向きは、一度試してごらんになることをお勧めします。ちょっとした頭の体操にもなるかも。

ちなみにショートカットキーの一覧は、wikiにも載っていました。

ショートカットキー一覧

あ、こんなこともできたのか、知らなかったなあ、などと結構新鮮な驚きがありました。
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どうしても飲みたい人々 [日記]

初夏のような陽気が続きます。
食材も様々なものが出回るようになってきました。
食材の調達に出かける近所のスーパーでは、このところブリの切り身が手ごろな値段で販売されています。
養殖物ではありますが、三切れで500円は結構ありがたく、売り出されるとついつい買ってしまうことになります。
買って帰ると、早速、味噌漬けにします。
こんな感じです。
burimiso.jpg
味噌に刻んだ生姜を混ぜて全体にまぶし、冷蔵庫で保管すると一週間は楽しめます。
使った後の味噌も、味噌汁にすれば(ブリに塩気が移っているので)減塩にもなりますし、ブリの旨味や生姜も効いてなかなか乙な味になります。

サクで売っている刺身用の魚は、塩を振って寝かせると、浸透圧によって余分な脂が抜けて美味しく頂けます。
減塩になるのかどうかはわかりませんが、これを刺身にすると醤油はいらなくなり、ワサビだけで充分です。

私は清酒がことのほか好きなので、こういうひと手間で美味しくなる魚は、最高の「肴」になります。
とはいえ、飲みすぎには十分に注意をしているのですが。

ところで、こんな記事があり、ちょっと考えさせられました。

どうしても飲みたい人々 路上だけでなく電車、喫煙所、オフィスにも増殖

テレビのニュースなどでも取り上げられていますが、いわゆる路上飲み・公園飲みなどで夜遅くまで街中を徘徊する人々がかなりいることに、やはり懸念を感じずにはいられません。

変異株の新型コロナウィルスは感染力が非常に強く、これまでかかりにくいとされてきた若年層にも感染が広がり重症化していることは周知のことと存じます。
未だにワクチン接種が進んでいない我が国において感染拡大を極力防ぐためには、とにかく人との接触を可能な限り避けることしかないといわれます。
多くの人たちは我慢を強いられつつもそれを実践しているのでしょう。

しかし、当然ストレスも溜まります。
「以前は週4で飲みに行っていたくらいですから、今の状況は地獄。時短営業店で飲んでも、一番調子が上がってくる時間に店を追い出される。本当は一人で酒を飲みたいなんて気持ちはなく、家でもほとんど飲まなかったのに、コロナで一人飲みせざるを得なくなってからは、酒の量まで増えてしまいました」

仕事帰りに同僚などと飲む酒は、絶好のストレス解消であり、鬱屈した気分も切り替えられ、大げさに言えば翌日からの仕事に対するモチベーションアップにもつながるものでしょう。
金曜日などはその集大成であり、「この一週間もよく頑張ったなオレ」なーんちゃって盛り上がってしまう。

私自身、50代くらいまでは、ほとんど毎日、仕事帰りには飲み屋に直行。仲間とおだを上げて騒いでいたものでした。

そういう習慣が身についている飲兵衛にとって新型コロナウィルス感染拡大のもとでの自粛生活は骨身にこたえることと同情を禁じえません。
飲酒の場で感染が広がっている、というのは事実だろうし、居酒屋などへの時短営業要請も理解はできる。飲み控えしよう、感染したくないから我慢しようという人がいる一方で、行政や世間からの抑圧を感じ、以前にも増して飲酒の機会が増えたという人々がいる。ここまでくると、適度な飲酒でバランスがとられていたメンタルの崩れを心配したほうが良さそうにも思えてくるが、コロナに振り回される生活にならなければ、こんな問題も浮上しなかったことだろう。

これは全くその通りでしょうね。

おとなしく家で適量を飲めばいいじゃないか、というまっとうな意見もありますが、きっと、様々な事情で自宅で飲むことができない人もおられるのでしょう。家族の目が痛いとか。
一人暮らしの人でも、家に閉じこもって一人で飲んでいることでさらに気分が沈んでしまう、ということもありましょうし、そもそも料理が苦手、という場合もありましょう。

ただこれは私の感じ方なのですが、おそらくお酒を飲むことが目的なっているからではないかと思います。

私自身、お酒は大好きですが、それは美味しいものを美味しく食べ美味しいお酒を美味しく飲みたい、というところからきています。
若いころには、お金がなかったこともありますが、それこそ合成酒やリカー系の焼酎を塩を舐めながら飲んでおりました。
正体不明なほどに酔っぱらって、路上や駅のベンチで寝ていたことも数限りなくあります。

しかしあるときにふと、そうした飲み方がいかにも不合理で無駄な時間の使い方ではないか、と思い返しました。
さらに、健康面でも極めて悪影響を与える。

そして、先ほど書きました「美味しいものを美味しく食べ美味しいお酒を美味しく飲みたい」というところに落ち着いたのです。

連れ合いを亡くしてから、外で飲むことはめっきり減り、新型コロナウィルス感染拡大以前であっても、せいぜい月に一度くらいしかそういう飲み方はしませんでした。
在宅ワークが中心となった昨年の四月以降、外で飲んだのは二回だけです。

毎日の生活では、ちょっと不埒なことではありますが、17時を過ぎるころから夕食のおかずのことを考え始め、18時に在宅ワークを手じまいにしてからいそいそと支度をはじめます。
食材の種類によって、その日に飲むお酒の種類を決め、風呂を焚きながら夕食の準備。
風呂から上がったら料理の仕上げをして、19時30分くらいから楽しい(?)夕食となります。
お酒を飲むといっても、ビール(ほとんど第3のビールですが)の350ml缶一本と清酒を1~2合くらい。
それも、お酒を飲む前に、野菜やご飯を食べるようにしています。
以前は、喉をカラカラにさせて、一気にビールを流し込む!などということをしておりましたが、年とともに控えるようになり、それがいつの間にか習慣となりました。

それこそ、冒頭に書きましたブリの味噌漬けとか塩締めした魚を食べつつ、少しずつ嗜みながら飲む。
これが現在の私にとって無上の喜びでもあります。
寂しいことではありますが、独り身となってしまったことによって、このような生活パターンが身についた、ということでしょう。
従って、現在のように剣呑な状況で敢えて外飲みをしようなどとは思いません。

ただ、家族などの手前、家で飲むことがはばかられる人たちは本当に気の毒ですね。
余計なお世話ではありますが、飲む量を控え、家族に受け入れられるような嗜み方に変えてみてはどうかと考えます。
私程度の量であれば、それほど目くじらを立てられるようなこともないと思うのですがいかがでしょう?
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池江選手、東京五輪代表に [日記]

私は、スポーツというものが元来大変苦手で、従ってスポーツ観戦とかスポーツ中継とかスポーツニュースなどには全く興味がありません。
若いころには野球場にも試合観戦に行きましたが、先輩や同僚に誘われてのことであり、観客席でビールなどを飲みながらぼうっとしていることのほうが多かった記憶があります。
少なくとも私自身が積極的にスポーツ観戦に出かけたいと思ったことは一度もありません。

そんな私ですが、次のニュースにはさすがに胸を突かれるものがありました。

池江選手、東京五輪代表に 白血病乗り越え―競泳

正直に申し上げれば、私はこれまで、池江選手の話題には比較的冷淡であり、白血病の苦しい闘病からレースに復帰した折のマスコミの異常な取り上げ方に一種の嫌悪感すら抱いておりました。
それらのレースで優勝した選手のことは取り上げず、彼女のことばかり話題にするマスコミの態度に辟易とした、ということです。

池江選手は、闘病中に体重が15kgも落ちたそうですが、そのほとんどは筋肉であったことでしょうから、それを元に戻すためにはどれほどの努力と忍耐力が必要であったか、それこそ凡人の私などには想像もつきません。
自身に寄せられてきた期待とそれに基づくプレッシャーは如何ばかりであったか。
それを乗り越えてのこの「快挙」。脱帽せざるを得ません。

アスリート、アーティスト、クリエイターといった人たちの中には一流のエキスパートが存在しますが、それは極限られた方々なのでしょう。
プロフェッショナルはそこそこいるかもしれませんが、エキスパートは本当に少数です。
そうした方々を目の当たりにすると、その才能、いわば天賦の才に打ちのめされる想いすらします。
それらは生まれつき天から与えられた才能なのではないかと考えると、そうしたものを与えられなかった己のありように愕然としてしまいますね。

しかし、才能とは何か、と考えてみると、もちろん生まれながらの鋭い感受性とか身体能力とか場合によっては遺伝形質なども重要なのかもしれませんが、本質的なところは、池江選手の言葉にもあるように、本当に苦しい中でも心が折れることなく忍耐しあらん限りの努力を重ねることができる、ということではないでしょうか。
これは、言葉に出していうことは比較的優しいのですが、実行に移すことは並大抵の覚悟ではできません。
まず、明確な目標を定めることさえも、私のような凡人には至難の業です。

思い出したことがあります。

これはベトナム戦争当時、ハノイ取材のためビエンチャンのホテルで、松本清張さんとともに待機していた当時の朝日新聞編集委員の森本哲郎さんの話ですが、ハノイに入るのに都合3週間も待たされ退屈で退屈で「死ぬほど身を持て余し」ていました。
それはもちろん清張さんも一緒で、隣り合ったホテルの部屋で二人とも無聊を囲っていたのです。
清張さんの無聊を慮った森本さんは、ホテルのレターペーパーを使って原稿用紙を作ることを提案し、お二人は時間も忘れてその作業に取り掛かりました。
清張さんにとって原稿を書くことは最大の退屈撃退法、出来上がった大量の原稿用紙を手に、清張さんはいそいそと自分の部屋に戻ろうとしたのですが、その時、ドアのノブに手をかけながら森本さんに問いかけたとのこと。

「きみ、作家の条件ってなんだと思う?」

森本さんは「才能でしょう」と答えます。

すると、
「ちがう、原稿用紙を置いた机の前に、どれくらい長く座っていられるかというその忍耐力さ」
と清張さんは答えました。

それ以降、幾日も清張さんは森本さんの部屋を訪ねることはなく、自分の部屋の机で執筆をつづけていた。

「才能ではなく忍耐だ」といった清張さんの言葉を思い返しながら、待てよ、その「忍耐」こそ「才能」ではないのか、と、森本さんは初めて気づいたそうです。

池江さんのニュースに接し、私はそのことを思い返して、ちょっと感動を新たにしたのでした。

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赤ちゃん本部長 [日記]

週末になると春の嵐が吹き荒れる中でも、まだ頑張って花をつけている桜の木もありました。
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テレビ番組を話題するのもどうかなと思いましたが、ちょっと感動してしまったのでご紹介いたします。

赤ちゃん本部長

日曜日の晩(3月29日24時40分)、何とはなしにテレビをつけていたら、このアニメが始まりました。
一話5分ずつで、トータル40分の番組です。

寝る前にちょっとだけ、と思っていたのですが、ついつい引き込まれてみてしまいました。
おそらくどこかのタイミングで再放送されるとは思いますが、NHKプラスで視聴できるので、ご興味がおありの方はぜひともとおすすめします。

このアニメの原作は、竹内佐千子さんのコミックです。
47歳の武田本部長が、ある日突然赤ちゃん(生後8ヶ月くらい)になってしまう、という一見荒唐無稽なお話ですが、中身がおじさんの赤ちゃん目線で世の中のありようをみる、という面白い設定です。

この物語の一つの肝は、赤ちゃんになってしまった本部長を職場の人たちがきちんと受け入れサポートする、というところ。
しかも、本部長のお世話(ベビー用品の調達、食事の世話、おむつなど排せつの世話、外回りや会議などのサポートなどなど)を、職場の男性の部下が自発的に(困惑しつつも愛情を持ち面白がって)行っている。
おそらく、女性社員がこれらを担当したとすれば、なんだかありきたりのジェンダー決めつけ的絵面になってしまったことでしょう。
赤ちゃんの世話は女性(母親など)がするもの、という決めつけを軽々と超えているのは、天野課長や西浦君のように、そもそもそうした決めつけからフリーであるパーソナリティの存在もさることながら、「中身が本部長」という設定によるところも大きいのかもしれません。
武田本部長は部下思いで愛社精神にも満ち、人間的にも優れているという設定です。
そうした前提があったので、少なくとも私にはまったく違和感がなく、自然に受け入れられました。

短いながらもそれぞれの回に唸らせるテーマがあって、いわゆる一般常識的なものが果たして本当に常識なのか、と考えさせられます。
「結婚しなくてさみしくないですか?」と西浦に問われた天野課長が「結婚も恋愛も無理にする方が何倍もさみしい。自分の生き方を模索しているうちにこういう形になった。それをお前にさみしい形だと思われていることの方がさみしい」と返し、自身が同性のパートナーとともに暮らしていて女の子(1歳半)を育ている西浦は、ハッと胸を突かれて謝るシーン、などは私も心を打たれました。

また、旧態依然とした価値観にとらわれている橘部長(55歳)をめぐる回なども非常に興味深いものがありました。
西浦君が同性愛者であり、しかもパートナーと一緒に女の子を育てていることに対して、「悪いことだ」「そんな家庭に育った子は不幸だ」「子供は父親と母親がいてその中で育つのが一番幸せなんだ」と橘部長は赤ちゃん本部長に訴えかけますが、それに対して本部長は「もしもその子たちの家庭が幸せになれないとしたら、橘さんのような考え方の人がいるせいでしょうね」と答えます。
橘部長は絶句。
しかし実は、橘部長は息子から「ゲイだ」と告白され途方に暮れていたのでした。自分の価値観を押し付けていたのではないかと。
そこから橘部長は変わろうと努力を始めます。

こんな感じで、さりげなく世の中の不自由な部分に光を当てて考えさせてくれる。
こういう良質なコミックやアニメもあるのだなと、またまた瞠目させられました。

私などもそうした部分が残っているのではないかと反省させられるのですが、一昔前は常識だと思われていたものが覆されていくとき(例えば、五輪招致委員会の森前会長に関する顛末とか、同じく五輪開会式演出を任されていた佐々木氏の顛末など)生きづらい世の中になった、などとため息をつくおやじの姿を時折見かけます。
しかしそれは、そうしたおやじたちの思い込みの中で、声を上げることができずにそれこそ生きづらい思いをしていた人たちの言葉や主張にようやく光が当たり始めた、ということでもあるのでしょう。
少なくともこうして点に関しては、世の中は良い方向に進んでいるのではないかと私は思います。
そんな「気づき」も味わわせてくれたアニメでした。

エンディングテーマであるヒャダインの「また明日逢いましょう」も非常に良い曲で、「生きているだけでいいじゃないの また明日逢いましょう」という最後のフレーズには心が躍りました。



タグ:赤ちゃん
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小松菜の再生栽培 [日記]

先日、大根葉の再生栽培のことに触れましたが、先日、小松菜の値段がようやく落ち着いたので購入し、こちらもさっそく再生栽培をしています。
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水を替えるのが一日一回で済むのは大根葉と同じで、この時期だからこそですね。
栽培を始めてまだ一週間も経っていませんが、どうやら順調に生育しているようです。
植物の生命力というものは誠に驚嘆すべきものだと、改めて感じ入っています。

ところで、在宅ワークが続くと、どうしても運動不足になってしまいます。
殊に、COVID-19の感染拡大が要因となっている現在の状況からすれば、なるべく初対面の人との接触は避けるべきであり、外出の頻度も時間も限られたものにならざるを得ません。
勤務地が都心であったこともあり、以前は通勤だけで一日の歩数が一万歩を超えていました。
それが現在では、積極的にウォーキングなどに取り組まなければ達成はおぼつかない状況です。
以前にも記事でご紹介しましたが、キノコなども採れる里山がいい塩梅の距離にあるので、ここへの散歩で何とか埋め合わせをしています。
ただ、あくまでも「在宅」の勤務体系ですから、昼休みを利用した限られた時間内での対処となってしまいます。

そんなわけで、在宅でもできる運動として、ラジオ体操第一・第二、それから、NHKで紹介されている「みんなで筋肉体操」がかなりのおすすめかな、と思います。

https://www.nhk.or.jp/d-garage-mov/movie/82-14.html

私は昨年末に64歳となり、本年はとうとう「前期高齢者」になってしまいます。
その年で、このサーキットは、当初かなり厳しいものでした。
しかし、継続は力なりというのでしょうか、毎日取り組んでいるうちに少しずつできるようになり、時折インターバルでズルをしたりしますが、何とかなってきたりします。

年をとっても筋肉を鍛えることはできる。
「ほんとかな?」などと、以前は疑っていましたが、どうやら人間の体はそんなにやわなものではないようですね。

それから、お天気が悪かったり冷え込みが厳しかったりして外に出られなかった場合の対策として、踏み台昇降がかなりいい運動になります。
15cmから20cmくらいの踏み台で一時間程度上り下りを繰り返すと、歩数計で5~6000歩くらいは稼げます。
冬場でもじんわりと汗をかくことができますし、腕をきちんと振るとかなり良い全身運動になるようです。

連れ合いと父を立て続けに亡くして気落ちしていたことと、COVID-19感染拡大の影響もあって、このところ全く山登りからは遠ざかっておりましたが、今年は少しずつでも前向きに取り組んでいきたいなと考えています。

そのためにも、体力づくり・身体づくりは大切ですね。
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梅雨がなかなか明けません。 [日記]

昨日と今日、思いがけず晴れ間がのぞいていますが、梅雨明けは未だし、という状況にあります。
気温差も激しく、体調管理もなかなか難しい。
新型コロナの関係もありますから、ほんの少しの体調不良でも気がかりになってしまいますね。

このブログに記事を書くのはいつ以来のことかとため息をついています。一年くらいは間が空いておりましょうか。

昨年の一月に連れ合いを亡くした後、心理的な低空飛行が続き、仕事のような身過ぎ世過ぎのものはまだしも、己に生きがいにつながるような趣味や行動に対しては何事も億劫になってしまっておりました。

そんな中、今年の一月に父が亡くなりました。

連れ合いと父は、奇しくも誕生日が同じで、二人とも誕生日を目前に旅立ってしまい、父がことのほか連れ合いを大切にしてくれていたこともあってか、云いようのない喪失感にさいなまれたところです。
早朝、妹から、父が呼吸困難になり入院した、と聞き、おっとり刀で駆け付け、連れ合いが眠る墓所を横目で見ながら、「頼むからまだ連れて行かないでくれ、母が悲しむから」と、必死で訴えたことを今も思い返しています。
集中治療室での父は、酸素吸入や点滴を受けつつもまだ意識はしっかりしており、体につながれた管を外せとしきりに訴えておりました。
肺炎球菌による肺炎を起こしており、レントゲン写真を見ると、大半が真っ白になっていて状況が予断を許さないことは一目でわかりました。
ディサービス施設での感染ではないかとのことでしたが、父は肺炎球菌ワクチンを接種しておりましたので、何とか持ち直してくれるものと私は信じたのです。

そのうちに、遠くに嫁いでいた孫やひ孫たちも集まってきて、父の入院しているICUはさながらお祭り騒ぎのような活況を呈しました。

病状が落ち着いたようにも思えたので、その晩はとりあえずそれぞれ家に戻りました。

明け方に、病院から緊急の連絡が入り、駆け付けると、すでに父の意識はありません。
病状はさらに進み、SpO2が30%を割り込むような状況になっています。
抗生剤の効き目も芳しくなく、どのようなことがあってもおかしくない、との宣告を受けました。

それでも、人工呼吸器の助けを借りつつ驚異的な復活を見せ、昼前にはSpO2が95%以上まで戻りました。
我々は狂喜し、奇跡を信じたものです。
しかしこれはつかの間のことで、燃え尽きる前のろうそくの炎が一瞬大きく輝くのと同じことだったのかもしれません。

その日の昼過ぎ、我々に手を握られ体をさすられながら、父は眠るように逝きました。

連れ合いや子供や孫やひ孫や甥たちに囲まれたその最期は、誠に穏やかな表情に包まれておりました。

昨年の私の連れ合いの最期も同じく眠るようであったことから、そのことを思い返し、さすがに胸が締め付けられる思いでありました。

二人とも、亡くなる直前まで食事がとれていたこともあり、いわゆる「死に窶れ」とはならず、そのまま起き上がってきそうな表情であったことが唯一の救いです。

連れ合いが亡くなって一年半、父が亡くなって半年が過ぎました。
今、二人の遺骨は、八ヶ岳山麓の墓所で隣り合って眠っています。

私以上に母の心痛が甚だしく、しばらくの間、足しげく帰省をしておりましたが、新型コロナ感染の拡大により、他県への移動が厳しく制限され、3月以降6月の末まで足止め。
昨年は、連れ合いの月命日をめどに毎月墓参りをしていたので、やはり残念です。

一日も早く、この新型コロナの感染が落ち着いてくれるようにと願わずにはいられません。

はなはだ個人的なことを書いてしまい申し訳ありませんが、久しぶりの記事としてアップさせていただきます。
これまで記事をアップできなかった理由などは、またおいおいと書いていきたいと存じます。

それはともかく、私の連れ合いも父も、結果としては肺炎で亡くなりました。
肺炎は本当に恐ろしい。
新型コロナウィルスは、若い人にとってはさほど恐れる必要はないという報道を頻繁に見ますが、ウィルスはともかく、肺炎は致死率の極めて高い疾病です。
甘く見ることのないように、くれぐれもご注意ください。
結果として肺炎で大切な身内を亡くした私の心からの願いです。
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