春の訪れ [日記]
八ヶ岳山麓にもようやく春が訪れてきました。
真っ白けだった八ヶ岳も、雪化粧を落として春の装いです。
私の自宅の庭の水仙も花を咲かせました。
梅の花も盛りです。
そうこうするうちに、桜の花が咲き始めました。
こぶしの花も咲いています。
今年は例年になく雪が多く、道路などの雪かきの出払いが何度もありました。
6時くらいの早朝の、まだ暗いうちからの雪かきは結構大変で、それでも地区の人たちは文句ひとつこぼさずに出払いの指定時間よりも早くから作業を進めていました。
昨年の11月に帰ってきたばかりの私としては、そうした地区の人たちの姿勢があまりにまぶしくて、心の底から感動した次第です。
私の郷里(今では現住所ですが)は、標高が高い(1000m)せいもあって、冬の訪れは早く春の声を聴けるのはかなり遅い。
従って春の花たちは、大抵の場合、気温の上昇に応じて一斉に花を咲かせます。
まだ、梅の花の香りが漂う中で桜の花が咲いていたりする。
ついこの間、福寿草の花が咲いたな、と思ったら、日を措かずして水仙が花を咲かせるのでした。
これからは遅れてきた花の季節、そして新緑の季節を迎えます。
昨年の11月にこちらに転居し、こちらでの生活も早いものでそろそろ半年になろうとしております。
ある程度予想もし覚悟もしていたのですが、介護というものは実際に体験してみないと本当のところはわからないのだなということを改めて痛感しています。
母や今年92歳となりますが、幸いなことに認知症の傾向はなく内臓系統にも問題はないので、恐らく介護の手間ということから考えれば軽い部類なのではないかと思います。
それでも、歩行は困難でいったん座ったりすると立ち上がるのにも介助が必要であり、手もなかなかうまくは使えません。
従って、トイレや着替え寝起きの時などは介助が必要ですし、もちろん、三度の食事をはじめ飲食関係も私が対応しております。
週に三回デイサービスを受けておりますので、その間は解放されるわけですが、洗濯・掃除・布団干しをはじめ食品などの買い出しをしなければならず、結構忙しい。
ただ、そうはいっても一人で気軽に行動できますから、それはそれなりに息抜きとなっています。
そう、実際の介護もさることながら、母が在宅の折にはずっと一緒にいて、ある意味その一挙手一投足に目を配り、かつ様々な繰り言めいた母の話につきあうことが、私にとっては一番のストレスなのです。
なんでも率先して行動し、むしろ周囲を引っ張っていくことの多かった母なので、恐らく現状の有様を最も辛く悲しい想いで受け止めているのは母自身であることは間違いありません。
私に、食事や洗濯はもちろん下の世話までさせることは、母にとって名状しがたい痛恨事でありましょう。
それがわかるだけに、なるべく母を刺激したくない、というのが私の本音でもあります。
ただ、その中でも、何とか自分でできることはやっていきたいと頑張っている姿には心を打たれます。
先日も、大を失敗してしまいましたが、何とかできるところは自分で後始末をしようと、床に広がった排泄物を新聞紙などで集めて片付けようとしておりました。
もちろん、汚れた下着など洗うことは無理ですからはそこは私がせざるを得ませんが、床を拭くなどといったことは母自身が自分でしようとしていて、そうした姿勢が強まってきていることはうれしい限りではあります。
さて、変な言い方ですが、このような未来の姿が待っていようとは、私自身思ってもいなかったことで、折に触れてやはりため息をついてしまいます。
この後どのような生活が待っているのか、あまり深く考えたくはないのですが、やはりついつい考え込み、なんとなく鬱っぽくなりますね。
ただ、近所に住んでいる妹や姪たちのサポートには本当に助かっています。
これがなければ、恐らく早晩破綻していたことだろうと、この点については感謝の言葉もないところです。
春を迎え、それでも少し気持ちを前向きにして、これからの生活を受け入れていこうと思う昨今ではありました。
なんだか泣き言ばかりになりましたが、とりあえずの近況の書き込みです。
乱文妄言多謝。
真っ白けだった八ヶ岳も、雪化粧を落として春の装いです。
私の自宅の庭の水仙も花を咲かせました。
梅の花も盛りです。
そうこうするうちに、桜の花が咲き始めました。
こぶしの花も咲いています。
今年は例年になく雪が多く、道路などの雪かきの出払いが何度もありました。
6時くらいの早朝の、まだ暗いうちからの雪かきは結構大変で、それでも地区の人たちは文句ひとつこぼさずに出払いの指定時間よりも早くから作業を進めていました。
昨年の11月に帰ってきたばかりの私としては、そうした地区の人たちの姿勢があまりにまぶしくて、心の底から感動した次第です。
私の郷里(今では現住所ですが)は、標高が高い(1000m)せいもあって、冬の訪れは早く春の声を聴けるのはかなり遅い。
従って春の花たちは、大抵の場合、気温の上昇に応じて一斉に花を咲かせます。
まだ、梅の花の香りが漂う中で桜の花が咲いていたりする。
ついこの間、福寿草の花が咲いたな、と思ったら、日を措かずして水仙が花を咲かせるのでした。
これからは遅れてきた花の季節、そして新緑の季節を迎えます。
昨年の11月にこちらに転居し、こちらでの生活も早いものでそろそろ半年になろうとしております。
ある程度予想もし覚悟もしていたのですが、介護というものは実際に体験してみないと本当のところはわからないのだなということを改めて痛感しています。
母や今年92歳となりますが、幸いなことに認知症の傾向はなく内臓系統にも問題はないので、恐らく介護の手間ということから考えれば軽い部類なのではないかと思います。
それでも、歩行は困難でいったん座ったりすると立ち上がるのにも介助が必要であり、手もなかなかうまくは使えません。
従って、トイレや着替え寝起きの時などは介助が必要ですし、もちろん、三度の食事をはじめ飲食関係も私が対応しております。
週に三回デイサービスを受けておりますので、その間は解放されるわけですが、洗濯・掃除・布団干しをはじめ食品などの買い出しをしなければならず、結構忙しい。
ただ、そうはいっても一人で気軽に行動できますから、それはそれなりに息抜きとなっています。
そう、実際の介護もさることながら、母が在宅の折にはずっと一緒にいて、ある意味その一挙手一投足に目を配り、かつ様々な繰り言めいた母の話につきあうことが、私にとっては一番のストレスなのです。
なんでも率先して行動し、むしろ周囲を引っ張っていくことの多かった母なので、恐らく現状の有様を最も辛く悲しい想いで受け止めているのは母自身であることは間違いありません。
私に、食事や洗濯はもちろん下の世話までさせることは、母にとって名状しがたい痛恨事でありましょう。
それがわかるだけに、なるべく母を刺激したくない、というのが私の本音でもあります。
ただ、その中でも、何とか自分でできることはやっていきたいと頑張っている姿には心を打たれます。
先日も、大を失敗してしまいましたが、何とかできるところは自分で後始末をしようと、床に広がった排泄物を新聞紙などで集めて片付けようとしておりました。
もちろん、汚れた下着など洗うことは無理ですからはそこは私がせざるを得ませんが、床を拭くなどといったことは母自身が自分でしようとしていて、そうした姿勢が強まってきていることはうれしい限りではあります。
さて、変な言い方ですが、このような未来の姿が待っていようとは、私自身思ってもいなかったことで、折に触れてやはりため息をついてしまいます。
この後どのような生活が待っているのか、あまり深く考えたくはないのですが、やはりついつい考え込み、なんとなく鬱っぽくなりますね。
ただ、近所に住んでいる妹や姪たちのサポートには本当に助かっています。
これがなければ、恐らく早晩破綻していたことだろうと、この点については感謝の言葉もないところです。
春を迎え、それでも少し気持ちを前向きにして、これからの生活を受け入れていこうと思う昨今ではありました。
なんだか泣き言ばかりになりましたが、とりあえずの近況の書き込みです。
乱文妄言多謝。
介護は大変と言いますが、現実と空想とではかなり相違がありそうですね。自分の父も障害者1級となり、徐々に手が掛かる度合を増してきました。最終的に特養を視野に入れつつも、難しい選択でもあります。
by のら人 (2024-04-17 18:39)
偉いです。誰にでもできることではありません。
by 夏炉冬扇 (2024-04-17 20:51)
のら人さん、こんばんは。
お父様は障碍者1級ですか。
具体的な障碍の状況がわかりませんので軽々に申し上げることはできませんが、本当に大変なことと存じます。
仰る通り最終的には特養というご選択も現実的な対応ではないかと存じます。
本当に難しい選択ではありますが。
by 伊閣蝶 (2024-04-17 21:22)
夏炉冬扇さん、こんばんは。
温かな励ましのコメント、心にしみました。
もとより誰かに評価してもらうようなことではありませんが、このように仰っていただけることは本当に胸にしみて嬉しく存じます。
by 伊閣蝶 (2024-04-17 21:24)
私は介護の期間は、自分にとって母親とは一体何だったのだろうと考える時間になりました。
by いっぷく (2024-04-20 01:52)
いっぷくさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
仰る通りと思います。
私もまさに今現在そういうことを考える時間となっております。
肉親の介護は、ある意味、そうした過去の振り返りになるのかもしれません。
by 伊閣蝶 (2024-04-20 21:39)
お疲れ様です。私の友人は奥様の介護に明け暮れる日々で施設への入居も考えています。記事を拝見し改めて、伊閣蝶さんの献身的な介護と日々のご苦労を深くお察しいたします。またお母上のお気持ちも同様に感じ入ります。
私の両親は父が幼少のころ、母は30年ほど前に病院で亡くなり親の介護の経験はほとんどありませんでしたが、いづれは自分が介護、非介護で向き合わなければならないマターです。私どもには子供もいませんし、縁戚も近くに居ませんので、セルフケアか施設に入るしかありません。最近エンディングノートを記事にしましたが、これからは自分の終末がいろいろと選択できるような仕組みがあってもいいように思えます。個人で出来る限界もあります。国も子供のことは積極的ですが、いまの高齢者は置き去りとなります。なんとか元気でぽっくりと生きたいですが・・ 適切なコメントも出来ずご容赦ください。
by Jetstream (2024-04-21 12:10)
標高1000mのご実家では春の訪れも一斉なのですね。
雪解け後に一斉に花を咲かせる山の花を思い出してしまいました。
ご母堂の介護は大変ですよね。
私の母は5年前に他界しましたが、介護施設にお世話になったことで日常の世話はしないで済んでいました。
現在の生活から自身の未来を考えると鬱になることもありますよね。
私も他人事ではありません。Jetさんと同じくできるだけ病気をせずにぽっくり逝きたいと思っています。
by tochimochi (2024-04-21 19:28)
Jetstreamさん、こんばんは。
ご友人は奥様の介護をされていて、施設への入居も考えておられるとのこと。
私自身、末期がんを患っていた連れ合いの介護をしていた経験もありますので、そのお気持ちは痛いほどわかります。お辛いことでしょう。
ただ、正直に申し上げて、連れ合いの介護は私にとって「愛して自分で選んだ人間」が対象だったわけですから、むしろ献身的にできたように思います。
母の介護にはそうした「想い」はなく、息子としての義務感なので、どうしても気持ちが前向きにならないようです。
私にも子供はありませんので、私がそのような状況になれば同じく施設への入所を考えざるを得ません。
しかし、考えようによっては、介護を職務をしているプロに任せられるわけですから非常に効率的かつ快適かもしれませんね。
いずれにしても、今の国の施策は子供優先で高齢者は置き去りです。辛い時代ですね。
by 伊閣蝶 (2024-04-21 21:56)
tochimochiさん、こんばんは。
自宅の庭さきではチューリップや海棠・モクレン・ツツジの花が咲き始めています。
ついひと月前までは雪に覆われていたのに、今は花盛り。嬉しいことです。
自宅での介護はかなりつらいものがありますし、正直、介護施設への入所をとも願いたいところですが、母はやはり自宅での生活を強く望んでいますので、現状では無理なようです。
母の介護をしている中で、やはり自分の将来のことも考えざるを得ません。仰る通り、病気をせずに穏やかにぽっくり逝きたいなと願っているところです。
by 伊閣蝶 (2024-04-21 22:03)