天井桟敷の人々、4K修復版 [映画]
新型コロナウィルス・オミクロン株の脅威はとどまるところを知らず、未曽有の感染者を出しております。
デルタ株などに比べ重症化率は低い、などと言われていましたが、高齢感染者が増大するにつれて亡くなる方も増えてきたとのことです。
しかもたちの悪いことに若年層ことに子供たちへの感染が広がっていて、予断を許しません。
有効といわれている対策の一つとされるワクチンのブースター接種もなかなか進んでおらず、結局、現状では個人個人がこれまで有効とされてきた感染対策に努めるほかはないようですね。
そんな状況の中、北京冬季五輪が始まりました。
新疆ウィグル自治区の人権侵害問題もあり、とかくの批判もある中での開催。
まあ、私としてはこれまでも何度も書いてきたように、こうしたスポーツイベントには全く興味はありませんので、ある意味白けた目線で眺めざるを得ないのですが、予想通りテレビなどがこれ一色になるのは実に度し難いことです。
そんなわけで、これまで録り貯めてきた映画のビデオを観ることにしましょう。
先日、NHKBSプレミアムで「天井桟敷の人々」の4K修復版が放映されました。
この映画を最初に観たのはもう40年位前のことですが、深く感動し、その後も何度も観返しています。
そしてその都度新しい発見があるのですが、今回もやはり同じくありました。
これは誠に迂闊な事でしたが、ジョセフ・コスマによる音楽でオーケストラを指揮していたのはシャルル・ミュンシュであったことを初めて知ったのです。
クレジットにしっかりと載っていたのに、なぜこれまで気づかなかったのか。
当時、彼はパリ音楽院管弦楽団の指揮者であったはずですから、恐らくこの演奏もそのコンビなのでしょう。
いずれにしても、あの流麗で美しいメインテーマの印象がさらに強く私の心に刻まれたことに変わりはありません。
そう思って聴き返すと、感動がまた新たになりますね。
この映画の公開は1945年ですが、撮影・制作には三年三月かかっており(費用は16億円かかったそうです)ますから、ナチス占領下(ヴィシー政権)のパリで作られています。
非常に有名な映画ですから、恐らく内容をご存知の方は多いことでしょう。
当時の抑圧体制の中で、時局に全くおもねることなくこのような映画を作ったマルセル・カルネ監督。
ジャック・フェデー、ルネ・クレール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・ルノワールといった当時のフランス映画界の監督たちのほとんどが米国などに亡命していた中で、彼はパリにとどまり、映画を製作することによって反ファシズムを貫いたわけです。
そういえば、ミュンシュもパリにとどまって指揮者を続けていたのですね。
こういう非時局的な映画にしぶとくかかりきりだったマルセル・カルネのレジスタンスは、芸術家としてこれ以上もない熱い行動であり、心の底からの尊敬を禁じえません。
さて、4K修復版ということで、細部に至るまで実に念入りで丁寧な補修がなされいます。
ガランスがバチストを評して「目がきれい」とつぶやく、そのバチストの目の輝きが、この修復によってより鮮やかに浮かび上がってきていたりします。
「白」が基調となる作品なのですが、この修復版でその微妙なコントラストもくっきりと蘇っております。
技術の進展は誠に素晴らしいものだなと改めて感心しました。
主な登場人物にはほとんどモデルが存在し、主役のパチスト、俳優のルメートル、劇作家・詩人でかつ犯罪者でもあるラスネールなどは実在の人物とされております。
ガランスを演じたアルレッティを含め、いずれも素晴らしい演技を見せてくれますが、やはりバチストを演じたジャン=ルイ・バローの存在感と美しさには胸をうたれます。
彼のパントマイム。
ルメートルが感に堪えたように「君のマイムは言葉を超えて観る人の目に突き刺さる」とつぶやく気持ちが、映画を観ている私たちにも伝わってくるようです。
マイケル・ジャクソンで有名になったムーン・ウォーク、これをバローはいとも自然にこなしていますが、このような些細な部分からもその確かな演技力に瞠目させられます。
バローは、1960年の初めての来日の際に華の会の能を鑑賞しました。
その折の演目で、観世寿夫の演ずる「半蔀」に接し、「死ぬほど感動した」と感想を述べています。
「能の静止は息づいている」という彼の秀句が残されていますが、さすがに一流の舞台人の言葉だなと、その能の本質を見抜いた慧眼には感嘆を禁じえません。
「半蔀」は、私も何度も観たことがありますが、源氏物語の「夕顔」を題材にとっており、光源氏と夕顔の上との間の短くも情熱的な恋の物語です。
前場の前シテはゆったりと歩いたり回ったりするくらいで、ほとんど動きはなくじっと舞台の上で囃子や地謡からの圧力に耐えながら静止しています。
後場では後シテによる舞が見られますが、これも激しい動きはなく優美でむしろ静寂さを感じさせるもの。
光源氏の詠んだ歌「折りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見えし花の夕顔」を語りつつ昔の恋を懐かしみながら舞う姿は、観る者の心の中に静とした感動を与えます。
能の重要な構成要素として「クセ」があり、これは言うまでもなく「曲舞(くせまい)」から観阿弥が確立させたものです。
クセには「舞グセ」と「居グセ」があって、後者は、舞うという身体的表現を凝縮し集約して型を捨て去り、演者の心の中で昇華させた表現ともいえるのでしょう。動かずにいながら表現するということの困難さは想像を絶するものがあります。
華の会では、桜間龍馬(当時、後の桜間金太郎)が「熊坂」を舞いました。
これは、大盗賊熊坂長範の亡霊が薙刀を手に舞台狭しと飛び跳ね回る、非常に激しい演目です。
その意味では先に挙げた「半蔀」の対極にあるものともいえましょう。
しかし、この「熊坂」の中にも、薙刀を立てたままじっと動かずにいる表現もあり、それゆえに爆発的な舞が却って印象付けられるような気もします。
バローは、この二つの対極的な演技が同一の訓練体系のもとに確立されたものであることに、特に注目したそうです。
じっと動かずにいる表現は、どれほどにでも動きうる役者によってのみ演ずることができるということを、さすがにフランス演劇界きっての名優である彼は見抜いていたのでしょう。
このバローの感動は、のちにフランス政府招聘の芸術留学生制度を生むきっかけともなったとのこと(因みに観世寿夫は1962年にこの留学生として渡仏しバローの教えを受けています)。
実に感慨深いことではないでしょうか。
デルタ株などに比べ重症化率は低い、などと言われていましたが、高齢感染者が増大するにつれて亡くなる方も増えてきたとのことです。
しかもたちの悪いことに若年層ことに子供たちへの感染が広がっていて、予断を許しません。
有効といわれている対策の一つとされるワクチンのブースター接種もなかなか進んでおらず、結局、現状では個人個人がこれまで有効とされてきた感染対策に努めるほかはないようですね。
そんな状況の中、北京冬季五輪が始まりました。
新疆ウィグル自治区の人権侵害問題もあり、とかくの批判もある中での開催。
まあ、私としてはこれまでも何度も書いてきたように、こうしたスポーツイベントには全く興味はありませんので、ある意味白けた目線で眺めざるを得ないのですが、予想通りテレビなどがこれ一色になるのは実に度し難いことです。
そんなわけで、これまで録り貯めてきた映画のビデオを観ることにしましょう。
先日、NHKBSプレミアムで「天井桟敷の人々」の4K修復版が放映されました。
この映画を最初に観たのはもう40年位前のことですが、深く感動し、その後も何度も観返しています。
そしてその都度新しい発見があるのですが、今回もやはり同じくありました。
これは誠に迂闊な事でしたが、ジョセフ・コスマによる音楽でオーケストラを指揮していたのはシャルル・ミュンシュであったことを初めて知ったのです。
クレジットにしっかりと載っていたのに、なぜこれまで気づかなかったのか。
当時、彼はパリ音楽院管弦楽団の指揮者であったはずですから、恐らくこの演奏もそのコンビなのでしょう。
いずれにしても、あの流麗で美しいメインテーマの印象がさらに強く私の心に刻まれたことに変わりはありません。
そう思って聴き返すと、感動がまた新たになりますね。
この映画の公開は1945年ですが、撮影・制作には三年三月かかっており(費用は16億円かかったそうです)ますから、ナチス占領下(ヴィシー政権)のパリで作られています。
非常に有名な映画ですから、恐らく内容をご存知の方は多いことでしょう。
当時の抑圧体制の中で、時局に全くおもねることなくこのような映画を作ったマルセル・カルネ監督。
ジャック・フェデー、ルネ・クレール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・ルノワールといった当時のフランス映画界の監督たちのほとんどが米国などに亡命していた中で、彼はパリにとどまり、映画を製作することによって反ファシズムを貫いたわけです。
そういえば、ミュンシュもパリにとどまって指揮者を続けていたのですね。
こういう非時局的な映画にしぶとくかかりきりだったマルセル・カルネのレジスタンスは、芸術家としてこれ以上もない熱い行動であり、心の底からの尊敬を禁じえません。
さて、4K修復版ということで、細部に至るまで実に念入りで丁寧な補修がなされいます。
ガランスがバチストを評して「目がきれい」とつぶやく、そのバチストの目の輝きが、この修復によってより鮮やかに浮かび上がってきていたりします。
「白」が基調となる作品なのですが、この修復版でその微妙なコントラストもくっきりと蘇っております。
技術の進展は誠に素晴らしいものだなと改めて感心しました。
主な登場人物にはほとんどモデルが存在し、主役のパチスト、俳優のルメートル、劇作家・詩人でかつ犯罪者でもあるラスネールなどは実在の人物とされております。
ガランスを演じたアルレッティを含め、いずれも素晴らしい演技を見せてくれますが、やはりバチストを演じたジャン=ルイ・バローの存在感と美しさには胸をうたれます。
彼のパントマイム。
ルメートルが感に堪えたように「君のマイムは言葉を超えて観る人の目に突き刺さる」とつぶやく気持ちが、映画を観ている私たちにも伝わってくるようです。
マイケル・ジャクソンで有名になったムーン・ウォーク、これをバローはいとも自然にこなしていますが、このような些細な部分からもその確かな演技力に瞠目させられます。
バローは、1960年の初めての来日の際に華の会の能を鑑賞しました。
その折の演目で、観世寿夫の演ずる「半蔀」に接し、「死ぬほど感動した」と感想を述べています。
「能の静止は息づいている」という彼の秀句が残されていますが、さすがに一流の舞台人の言葉だなと、その能の本質を見抜いた慧眼には感嘆を禁じえません。
「半蔀」は、私も何度も観たことがありますが、源氏物語の「夕顔」を題材にとっており、光源氏と夕顔の上との間の短くも情熱的な恋の物語です。
前場の前シテはゆったりと歩いたり回ったりするくらいで、ほとんど動きはなくじっと舞台の上で囃子や地謡からの圧力に耐えながら静止しています。
後場では後シテによる舞が見られますが、これも激しい動きはなく優美でむしろ静寂さを感じさせるもの。
光源氏の詠んだ歌「折りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見えし花の夕顔」を語りつつ昔の恋を懐かしみながら舞う姿は、観る者の心の中に静とした感動を与えます。
能の重要な構成要素として「クセ」があり、これは言うまでもなく「曲舞(くせまい)」から観阿弥が確立させたものです。
クセには「舞グセ」と「居グセ」があって、後者は、舞うという身体的表現を凝縮し集約して型を捨て去り、演者の心の中で昇華させた表現ともいえるのでしょう。動かずにいながら表現するということの困難さは想像を絶するものがあります。
華の会では、桜間龍馬(当時、後の桜間金太郎)が「熊坂」を舞いました。
これは、大盗賊熊坂長範の亡霊が薙刀を手に舞台狭しと飛び跳ね回る、非常に激しい演目です。
その意味では先に挙げた「半蔀」の対極にあるものともいえましょう。
しかし、この「熊坂」の中にも、薙刀を立てたままじっと動かずにいる表現もあり、それゆえに爆発的な舞が却って印象付けられるような気もします。
バローは、この二つの対極的な演技が同一の訓練体系のもとに確立されたものであることに、特に注目したそうです。
じっと動かずにいる表現は、どれほどにでも動きうる役者によってのみ演ずることができるということを、さすがにフランス演劇界きっての名優である彼は見抜いていたのでしょう。
このバローの感動は、のちにフランス政府招聘の芸術留学生制度を生むきっかけともなったとのこと(因みに観世寿夫は1962年にこの留学生として渡仏しバローの教えを受けています)。
実に感慨深いことではないでしょうか。
素養が深くていらっしゃる。
オリンピックはやめた方がいいと思っています。
by 夏炉冬扇 (2022-02-07 20:28)
東京に続いて問題だらけのオリンピックですね。
オミクロン株拡大により、公営施設は利用禁止となって不便も囲っています。
テレビも揃って5輪一色となって、観る気になりません。
この機に映画鑑賞もいいですね。何時もながらの思い入れの深さに感じ入ってしまいます。
私はと言えば鬼滅の刃にはまってます。無限列車編、遊廓編さらに立志編を観ています。
by tochimochi (2022-02-07 22:51)
夏炉冬扇さん、こんにちは。
オリンピック、いったい何を目的に開催するのか、どんどんわからなくなってきていますね。
アスリートが可哀想です。
by 伊閣蝶 (2022-02-08 12:24)
tochimochiさん、こんにちは。
オミクロン株の感染拡大で、外出も自粛し、家でオリンピックでもみていろ、ということなのでしょうか。
なんとも腹立たしいことです。
ところで鬼滅の刃にはまっておられるとのこと。
現在テレビで放送されている遊郭編、コミックをさらに膨らませて非常に面白く作られています。次回が最終話ですが、私も楽しみに観ています。
by 伊閣蝶 (2022-02-08 12:26)
「天井桟敷の人々」まだ見てません。名作も時を経て見返すと新たな発見があると云うのは、私にも思い当たります。オリンピックも冗長なところがあり、昨日もHDに録ってあった昔のハリウッド映画観てました。GクーパーとGケリーの「泥棒成金」俗っぽいですが楽しめます。!(^^)! 政治目的と政治に利用されるオリンピックは止めた方がいいとさえ感じます。O株の感染力は強いので、感染対策はほぼ隙間なしと自負している私すら(笑)、自身の判断でおとなしくしています。仰る通り各自の感染対策しかないです。もう他人は他人、自分は自分と割り切って考えるようにしています。
by Jetstream (2022-02-08 23:12)
こんちは。
こちらは、鬼滅も一通りコミック映画問わず見た後、アマプライムでたまたま見た約束のネバーランドに感銘し自分的には鬼滅越え。その後、前科者と言う6話のドラマにも感銘。どちらもやはり漫画コミックから派生したものでした。^^
by のら人 (2022-02-09 06:51)
こんにちは
私はイスラム教徒です。 イスラム教について学ぶよう人々を招待します。
幸せな人生をお祈りします……ありがとう
45秒で無神論の説明
https://youtu.be/Mg1a8yPjlXQ
*******
【 人生の意味 】
https://youtu.be/bBCC1qaOkWw
*******
ある宗教の真偽を見極めたいと思う者は、その感情や感覚、習慣に照らし合わせて判断するのではなく、むしろ理性と知性に依拠して判断すべきである。
諸預言者を遣わした時、神は彼らが神から遣わされた真の預言者であり、 彼らに託された教えが真の宗教であることを証明するために奇跡や証拠を示し、彼らを支えたのである。
このウェブサイトは、いくつかの人々が尋ねるいくつかの重要な質問に答える:
1- クルアーンは本当に神によって啓示された言葉なのか。
2- ムハンマドは本当に神によって遣わされた預言者なのか。
3- イスラームは本当に神からの教えなのか。
((( イスラームの真実性の証しでは )))
https://jpis1.blogspot.com/2017/03/httpsislamhouse.html
********
イスラームでは
説明
これらは包括的な言葉であり、イスラム教の原理、柱、長所、目的を示しています。
これは、イスラムを理解するための鍵です
https://jpis1.blogspot.com/2017/03/httpsislamhouse.html
by イスラームでは (2022-02-09 16:31)
Jetstreamさん、こんばんは。
「泥棒成金」、これは傑作ですよね。
私も大好きな映画の一つです。
オリンピックが、スポーツを通じ国境を越えた平和の祭典であるという幻想は、おそらく大多数の人が疑いを持っているところでしょう。
興行の一つと考えればあまり目くじらを立てることもないと思うのですが、仰る通り、あまりに政治的利用がひどすぎます。
オミクロン株に関しては、まさしく最後は自分自身の心構えによるところが大きいのでしょう。
様々な考え方の人がいますが、他人は他人、自分は自分、というところはまさにその通りと感じております。
by 伊閣蝶 (2022-02-09 18:07)
のら人さん、こんばんは。
「約束のネバーランド」これは興味深い作品のようですね。
早速見てみたいと思いますが、見てしまうとまたまたはまりそうで少し怖くなります。
コミックの世界は、様々なジャンルで非常に優れた作品を輩出しています。
侮れない世界ですね。
by 伊閣蝶 (2022-02-09 18:12)
独身時代”天井桟敷”という意味の名前のサークルに少しだけ参加したことがあり、それもあって気になっている映画です。
私も「鬼滅の刃」遊郭編を見ていますが鬼滅にはまる前に「約束のネバーランド」にはまりました。ちょっとケン・イシグロの「私を離さないで」に似ているとも思いましたが・・・。(”提供”のために育てられるという設定が)鬼が出てくる話が流行っているのかなあ?と思いました。
私もスポーツ観戦ほとんどしませんのでオリンピック見ていません。
もっぱらNHKオンデマンドで過去の朝ドラ・大河ドラマを見ています。
by Cecilia (2022-02-21 08:23)
Ceciliaさん、こんにちは。
そうですか、やはり「約束のネバーランド」は見ごたえがありそうですね。
かなり心を惹かれていますので、これは見てみたいと思いました。
ただ、アマプラに登録するかどうかでちょっと迷いがありますが。
by 伊閣蝶 (2022-02-22 18:01)