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ドライブ・マイ・カー [映画]

ソメイヨシノが満開となり、散り始めています。
今シーズンの寒さは格別でしたが、寒波が収まってからは急速に気温が上がり、開花はむしろ早まったくらいという気がしますね。

濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が、カンヌ国際映画祭の脚本賞・国際映画批評家連盟賞、ゴールデングローブ賞の非英語映画賞などの受賞に続いて、アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞しました。



先日、ウォーキングのついでにツタヤに立ち寄ったところ(シン・エヴァンゲリオンリピートがDVD化されていないかな、と思って)、この映画のDVDがリリースされていたので、早速借りてきて鑑賞。

大変評判になっている映画でしたので、胸を躍らせながら観たのですが、予想にたがわぬ素晴らしい作品でした。

「サーブ900ターボ」が重要なアイテムになっていることから、一種のロードムービーということもいえましょうが、その意味からすれば、人の深層心理をたどる旅、という点にこそ着目すべきと感じます。

チェーホフの「ワーニャ伯父さん」の舞台演出が物語の中心に据えられ、その劇中劇における「そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。」というソーニャのセリフ(この映画では手話)に収斂されていく。

悲しみや苦しみや辛い想いを心の中に押しとどめて生きていこうとする人々が、最後にその桎梏から解放されることによって大きく深い癒しと魂の救済に到達する。

非常に壮大な魂の旅路を描いた映画だと、私は感じました。

西島秀俊が演ずる家福悠介の心の痛みや苦しみ。
それは共に深く愛し合っていると信じていた妻がほかの男と激しく抱き合っている姿を偶然見てしまったことから始まります(妻は夫にその様子を見られたことに気づいていないと思われる)。
悠介は深く傷つきますが、それを妻に話すことはできない。なぜなら、それをすれば二人のこれまでの「幸せで満ち足りた」関係を壊すことにつながるから。
つまりこれは現実逃避であり、カタストロフを見たくない気持ちから出ているのでしょう。
ある日、妻が改まった口調で「あなたの帰宅後に話す時間をとってほしい」と夫に告げます。
夫はその言葉に怯えたかのように深夜に帰宅すると、妻はくも膜下出血で倒れておりそのまま帰らぬ人となりました。
その妻と深い関係にあった一人ではないかと悠介が疑っている高槻耕史(岡田将生が好演)が狂言回しのような役どころで、悠介の知らなかった妻の想いの一部分を彼に語ります(サーブ900ターボの車内でのことですから運転手の渡利みさきも聞いている)。
悠介は、自分の全く知らない妻の中にある深い闇にたじろぎ、さらなる深淵に叩き込まれる。
高槻はそんな悠介を見据えながら、それでも皆を取り巻くこの世界は表面上まったく変りなく平穏に過ぎていくように見える、しかし、内面は既に禍々しい何かに代わってしまっている、と語ります。

一方、サーブ900ターボの運転手である渡利みさき(三浦透子がこれまた好演)にも、胸に秘めた暗い過去があり、悠介とともに向かう彼女の郷里への車中旅の中でそれも明かされます。

こうしたテーマが進展していく中で、多国籍の俳優による「ワーニャ伯父さん」の公演に向けたやり取りが挟まれ、それが不思議な連携をしつつラストに向かいます。

感動したところがあまりに多く、ネタバレにつながってしまう虞が大きいため、内容についてはこの程度で止めておきましょう。

いずれにしても、非常に優れた脚本であり、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞しアカデミー賞でもそれにノミネートされた理由は誠に納得のいくものでした。

それから、映像、特に色彩の美しさには目を奪われます。
悠介の愛車「サーブ900ターボ」は赤で、これに対比させる色の使い方が素晴らしい。
接触事故を起こしたときの相手の車は紺色で、その二台を真上から撮っているシーンは配置も含めてハッとさせられるほど美しいものでした。
トンネルの内部は、私も時折運転するたびに、ああ、美しいな、と感ずることがあるのですが、このトンネルを車で走り抜けるシーンの美しさも印象に残ります。
そして、倒壊したみさきの実家の残骸を前に佇んで抱擁する二人を包み込むように、それまで冬の曇天だった空から陽射しが舞い降りてあたりを柔らかな黄金色に変えていくシーン、停車していたサーブも同じように光に包まれていく、ここは正に息を飲むような美しさです。

さらに、音楽も含めた音響効果も特筆すべき高いレベルにありました。
特に音楽の用い方は非常に抑制的で、それ故に効果も抜群です。
また、例えばモーツァルトのロンド・ニ長調やベートーヴェンの弦楽四重奏曲などの用いられ方にも見られるように、大変細やかな音響設定がなされています。

今の日本でも、このように丁寧に作られる映画があり、それがきちんと評価されていること。
そのことに満腔の喜びを感じております。
細部にわたっても大変丁寧に作られており、例えば、みさきの郷里である北海道の積雪を考慮して、途中のコメリで長靴を買ったり、車で通過したところに花を売る産地あったのに気付いてバックし、花束を買う、などという細かな描写もきちんとインサートされています。

このブログでも再三再四書いてきたことですが、私は、人が百人いれば百の思想があり百の偏見がある、と思っています。
つまり、人の数だけその人にとっての真実があるわけであり、他の人がそれの全てを知ることは完全なる不可能事。良くて一部に同調するとか理解はできる部分がある、というところが関の山でしょう。
それどころか、自分の深層心理さえも、状況によっては自分自身で把握することが難しいのではないか。
この映画の中では、解離性同一性障害を暗示する部分があります(みさきの母もそうであった可能性が高い)。
妻の「不貞」を許すことができずにそれによる苦しみに呻吟する悠介にみさきが問いかけます。
夫を深く愛している奥さんも、夫の他に男を求めてやまない奥さんも、両方とも奥さんなのであり、奥さんとしてはそこに何らの嘘も矛盾もない、そういう人だったということを認めてあげることはできないのですか、と。
これにはさすがにうならされました。
悠介は妻一筋で、妻だけを深く愛しており、他の女の人と関係をもつなどということは考えられなかったわけですが、恐らく知らず知らずのうちにそれを妻にまで求めていた、ということなのでしょう。
そのことで彼は深く傷つき苦しんだ。
その気持ちを正直に妻にぶつけるべきだった。
それによって寛解できるわだかまりもあったのかもしれない、ということなのかもしれません。

深く感動しつつも、やはり考え込んでしまいました。
もしも自分だったどうだろうか、そう問いかけることも含めて、この映画は様々なことを考えさせてくれます。

観返せば観返すほどに、また新たな想いが沸き起こる。
久々に接した、そういう映画であったことをうれしく思っています。
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夏炉冬扇

お若いですね。
私は根気が続かないので、長い作品、終わりまではとても。
でも心豊かになりますね。
by 夏炉冬扇 (2022-04-02 09:36) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんにちは。
この作品、確かに3時間弱の長さですが、私は時間が気になりませんでした。
そういう作品もあるのですね。
by 伊閣蝶 (2022-04-02 11:10) 

のら人

以前から思っていましたが、伊閣蝶さんの映画評論家並、否それ以上の映画評論能力に先ずは舌を巻きます。^^
肝心の映画よりもその事の方に感心致しました。
by のら人 (2022-04-02 19:34) 

Jetstream

評価も高くどんな映画なのかな?と興味を抱いていましたが、ストーリーの前半?の筋がわかりましたので取っつきやすいです。!(^^)! また伊閣蝶さん物語の展開と人の深層への考察はさすがです。ストーリーだけでなく映像の美しさや音楽も楽しめそうですね。DVDでレンタル出来たのもいいですね、映画館での臨場感も味わいたいですが・・見てみたいです。
by Jetstream (2022-04-02 22:38) 

伊閣蝶

のら人さん、こんにちは。
おほめに与り、汗顔の至りです。ありがとうございました。
職業的な評論家は、意に沿わない作品でも評価しなければならないので辛いところでしょうね。
私は自分が気に入った映画や音楽などに接すると、何だか自発的に書きたくなるので、その点は大きな違いと思います。
by 伊閣蝶 (2022-04-03 12:21) 

伊閣蝶

Jetstreamさん、こんにちは。
きちんとした方向性を以て丁寧に作れば、やはり評価は高くなるのだな、というのが私の実感です。
3時間弱という長さではありますが、それを感じさせない作品です。
誰でもが抱いている精神的な不安感、それが「ワーニャ伯父さん」を主軸に有機的に結びついて、最後には浄化される、そんなカタルシスを私は感じました。
本当は劇場で観た方が良いと思いますが、DVDでもそれは伝わりました。
by 伊閣蝶 (2022-04-03 12:26) 

tochimochi

訪問が遅くなり申し訳ありません。
他の方もコメントしてますが、伊閣蝶さんの音楽や映画に対する評論能力は凄いですね。
このところ長い間映画から遠ざかった生活を送っています。話題になっていることは存じてましたが、あまり興味はそそられていませんでした。
詳しい解説に興味を惹かれました。伊閣蝶さんのおすすめなら間違いないでしょう。機会を見て鑑賞したいと思ってます。

by tochimochi (2022-04-04 21:12) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんにちは。
過分なお言葉を頂き、恐縮に存じます。ありがとうございました。
この映画、確かに長尺ですので、お時間に余裕のある時にご覧になっていただければと思います。
ただ、私の感覚としては、時間の長さを感じさせませんでした。
派手なスペクタクルがあるわけでもなく、ひたすら深層心理に迫るような内容ですが、映像の美しさも特筆すべきものでした。
よろしければ是非ともご覧下さい。
by 伊閣蝶 (2022-04-05 11:19) 

Cecilia

西島秀俊さんは私が大好きな俳優の一人です。(「純情きらり」の杉冬吾役から好きになりました。)
レンタルも良いですが近くにショップがないですし是非劇場で観てみたいです。(ネットでレンタルしようと思えばできるのですがまだ経験ないです。)
伊閣蝶さんが評価されているなら間違いないと確信しました。早く観たいです。
by Cecilia (2022-04-07 09:33) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
西島秀俊さんは、さすがの名演技です。
本当に幅広くどの様な役柄もこなされますね。
私も映画館で観たかったなと思っています。
間違いなく、映画館の方が満足度が高いものと感じています。
もしもよろしければ是非ともご覧ください。
by 伊閣蝶 (2022-04-07 14:34) 

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