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近くの公園のクライミングボード [山登り]

長い梅雨が明けたと思ったら酷暑がやってきました。
特に熱帯夜は厳しく、さすがにエアコンをつけっぱなしという状況が多くなっています。
ところによっては38度を超えているそうで、風邪を引いた時の発熱レベルですね。
水分補給を怠ることなく、熱中症には十分な注意が必要です。

携帯電話を買い換えました。

現在使用中のガラケーは、2015年8月に買い換えたものですが、通信方式が4GLTEへのグレードアップされることに伴い、以前の3Gケータイは使えなくなるのだそうです。
やむを得ず買い替えの検討を始めました。

この際だからスマホへの切り替えも念頭に置いて、まずは現在利用しているキャリアのauに連絡。
還暦を超えてからのスマホデビューで料金が安くなるという話を聞いていたので、その辺を確認してみました。
しかし、いろいろと聞いてい見ると、確かに筐体の割引とかポイントを利用しての値引きはあるようですが、結局、月の利用料金は5000円近くになりそうです。
では、ナンバーポータビリティを利用して別のキャリアに乗り換えたい、と云ったら、ガラケーの乗り換えであれば、安いプランがあるとのこと。

携帯電話に関して、私は電話とメールくらいしか使っていないので、その旨を強調して見積もってもらったところ、2000円の前半くらいのプランがありました。
無料通話がひと月1000円分ついてくるので、現在の契約とほとんど変わらず、少し安くなるような感じです。
楽天電話などへの切り替えも真剣に考えましたが、回線の充実や店舗のことなどを考えるとやはり躊躇するものがあり、この値段ならとこちらにしました。
気を付けるべきはネット利用で、「ダブル定額ケータイ」というプランは500円から4200円までの幅があり、10MBまでなら500円、それを超えると従量課金となり1KBで0.02円かかることになるそうです。
2GB以上は4200円で定額(ただし通信速度は遅くなる)なので、ネットを使いすぎるとかえって高くついてしまいます。
私の場合、eメール以外でケータイをネット接続に使うパターンがごく限られており、その場合は自宅などのWi-Fi環境を使うので、恐らくそれほど超過するとは思えません。
モバイルでネットに接続するのはタブレットとポケットWi-Fiですから、このパターンを続けていけばそれほどの料金にはならないと思います。

まあ、とにかく、実績をみてみないとわかりません。
8月が終わった段階でチェックしてみるつもりです。

新しいケータイは、京セラの簡単ケータイ「KYF37」というもの。
電池の持ちも結構よく、満充電で一週間は使えます。
もともと通話をあまり利用しないのでそんなものなのでしょう。

このケータイのカメラで、近頃ちょっとはまっている近所の公園の遊具を撮りました。
yugu01.jpeg
これは滑り台へ上る斜面なのですが、裏から見るとちょうど被った壁になります。
これの一番下から取りついて一番上まで上ると、ちょっとした前傾壁っぽいクライミングを体験できます。
実際に、下に降りずに何度か上り下りを繰り返しながら壁の中にいると、腕がパンパンになり、なかなか面白い。

yugu02.JPG
こちらはちゃんとホールドを付けた小さなクライミングボード。

裏表にホールドがあり、高さは2メートルくらいでしょうか。
yugu03.jpeg

低い位置から取りついて、裏表をトラバース気味に何度か回っていると、こちらもかなり腕に来ます。
赤いホールドと青いホールドがあるので、ホールドを限定して裏表を回ると、カウンターなどを使う大変面白いボルダリングができます。

夕方など、子供たちや家族連れがいない時を見計らって遊ぶのですが、それなりのトレーニングにはなります。

以前通っていた近所の駅前のボルダリングジムが閉店してしまい、いいトレーニング場所がなかったのですが、手ごろな遊び場所が見つかりました。

因みにこの場所を見つけて教えてくれたのは連れ合いでした。
一緒に遊べなかったのが残念です。

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りぶらの逸品「世界に一つだけの酒器HITOHADA」 [日記]

久方ぶりに本格的な梅雨空となっています。
週末に雨がちとなることが多く、週末に洗濯や掃除やアイロンがけをしなければならない私のような単身者には困ったお天気ですね。
それでもこの時期に雨が降るのは日本古来の習わしですし、それがあってこそ、お米をはじめとする作物の生育ももたらされるわけですから、徒に怨嗟の声をあげても詮無いことでしょう。

またまた更新が滞ってしまいました。

書きたい・取り上げたい話題はたくさんあるのですが、そうした題材を読むに堪えうるテキストにするための気力がなかなか湧いてきません。
一人取り残されてから、何と言いましょうか、きちんと論理的に思考を進めていくことが億劫になったようにも思います。

音楽CDのことで云えば、ゲルト・シャラーによるブルックナーの交響曲第9番補筆完全版(シャラー自身の手による校訂完成版)に大変心を打たれたのですが、それをきちんとテキストにまとめる目途が今のところ立っておらず、そのままになっている状況、などです。

こういう作業は、やはり気持ちが前を向いていないと難しいものなのでしょうね。
現状ではもう少し時間がかかりそうですが、何とか近々まとめてみたいと思っております。

そんな中で今回更新をしたのは、どうしても皆様に知って頂きたい品があって、それを紹介したいという想いにかられたからです。

りぶら-世界に一つだけの酒器HITOHADA-

極めて高度なアルミニウムの鍛造技術を持つ職人が、製品一つ一つを丹念に仕上げて、顧客のもとに届ける「人肌」。
蜂の巣に触発されたという正六角形の酒器の底には、製品個別に固有の木の葉の葉脈が彫り込まれており、正に「この世においてただ一つの酒器」となっているのです。

この製品を産み出しているのは、私の小学校からの友人です。

先日、彼が上京した折に、久しぶりに一献を傾けたのですが、その折にこの人肌と出会い(友人が試作品を持参してきた)、その器から頂くお酒の味わい深さに驚倒しました。
早速、人肌 「輝」KAGAYAKI 色:シルバー・ゴールド 2個セットを注文し、それが届いたところです。
なんと、着物の生地を使った敷物を特別につけてもらいました。
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こうして飾っておくだけでも、思わず顔がほころんでくる見事な出来栄えです。

一つ一つに固有に刻まれた葉の葉脈はこのように浮き出ています。
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因みに、人肌の製造に関する次のような動画がアップされています。

http://www.venusnet-chino.jp/video/maestro/auvo5k00000017h2.html

人肌を世に送り出した匠の想いと情熱がひしひしと伝わってきますね。

価格について、一番安価な「輝」でも6,400円ということで、あるいは高価だという印象を持たれる方もおられると思います。

しかし、例えば切子のぐい飲みだとか漆の盃などをみてみれば、手間をかけて作られた良品は万単位の値段がつけられています。

この人肌が、先の動画でもお分かりの通り、アルミニウムの丹念な鍛造と研磨により一つ一つ入魂の手作業を経て仕上げられていることを鑑みれば、私はむしろ「よくぞこの値段で提供できるものだ」と感嘆してしまいます。
型に流し込んでポンポンと流れ作業的に作られている雑多な金属製品とは、まさしく一線を明確に劃する逸品といえましょう。

このような、純粋な想いのこもった酒器を通し、同じく想いを込めて醸造した清酒を飲む幸せ。
それを今、しみじみと味わっているところです。
アルミニウムですから、本来無味無臭のはずなのに、この器にお酒を注いで頂くと、何とも言えない爽やかなお酒の甘味と旨味が感ぜられました。
お酒を飲む楽しみがまた増えそうです。

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ダイエットにはやはり食事の見直し [ダイエット]

ようやく春らしい爽やかな気候になってきました。
職場近くの愛宕神社ではツツジの花が真っ盛りです。
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シャガも咲いていました。
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今年の連休は10連休という超大型ですから、いろいろと計画を立てている人も多かろうと思います。
尤も、金融機関がこの間全休となったり、賃金が日給の方は大きな収入減となったりするなど、問題点も結構ありそうです。
もちろん、特定観光地や電車などの混雑とか渋滞といった、人々の移動に伴う混乱もかなりのものがありましょうから、よくよく考えての行動にした方がいいのかもしれません。
私の方は、今のところ、八ヶ岳山麓の実家に帰省し、連れ合いを鎮めたお墓の掃除とか、実家の用事をやろうと思っています。
時間を見つけて八ヶ岳などに出かけられればうれしいところ。
また、この連休を利用して連れ合いのお墓参りを是非!という方もおられ、本当にありがたい限りです。
連れ合いは召されましたが、こうして偲んでくださる方がおられる限り、魂はすぐそこにあるのだなとしみじみ感じ入っている次第です。

さて、久しぶりにダイエットのことを書こうと思います。

昨年の11月の連れ合いの入院から1月に亡くなるまで、そのほとんどを私は独居状態で暮らしており、もちろん、それは4月中旬になった現在でも継続しています。
連れ合いが入院する前までは68~9kgくらいだった体重が、現在では63kg台に落ち、私の身長が174cmですから、現在は標準体重(66kgくらい)よりも少し少ないというところでしょうか。
体脂肪率も11%台で、内臓脂肪レベルも7となり、こちらもほぼ標準値。
BMIも20.8くらいですから普通ですね。

これまで「ダイエット」の項で書いてきた通り、90kg近くまであった体重を20kgくらい落としてきましたが、標準体重まではなかなか届かない状況が続いてきました。
一時、そこまで行きそうだったのは津での単身赴任期間中のことで、「単身」という意味では状況的に近似といえるのかもしれません。
ただ、津にいたときはほぼ毎週末は山に登っていましたから、トータルの運動量という意味では現在の方が見劣りするように思われますが。

一つには食事によるところが大きな要因となっているようです。

私の主食は米ですが、友人の勧めもあり、今はもち麦を混ぜたものを食べています。
朝、朝食の用意に並行して弁当のおかずを作り、昼食はその弁当。夜も自宅でとり、野菜を中心に、適量の肉や魚を配した献立としています(弁当も含め三食とも基本はその路線です)。
外食・間食は基本的にしていません。

昼食を弁当にしているのは津の単身赴任のころからの習慣で、これは基本的に自分で作ってきました。
特に都心で昼食を外でとると、かなりの値段になる上、たいていは行列になっているなど、かなりストレスが溜まります。
一緒に昼食をとる同僚がいれば別ですが、一人でこんなコスパが悪いことをする気にはなれず、かといって、コンビニで弁当やおにぎりやサンドウィッチなどを買って食べるのも抵抗がありますから、やはり弁当は一押しのアイテムと思います。

毎食を自分で作ることから、まず念頭に置いているのは、先ほども書いたように野菜を中心とすること、できるだけ朝食時には果物をとること(ヨーグルトなどの乳製品も)、肉類や魚などの動物性たんぱく質もバランスよくとること、丁寧にだしを取りなるべく減塩に努めること、などです。

主食は、米1.5合にもち麦0.5合を合わせ2合炊いて、弁当込でおおむね二日間分となります(一日に一合というところ)。
みそ汁は必ず作ります。

お酒は、夕食時にビール系の飲料を350ml缶一本と清酒を8勺程度(たまに1合)。週末はちょっと量が増えるかな。
そんなわけで、夕食のおかずはちょっと品数が増えます(おつまみ用に)。

運動について。
通勤時に往復で30分をなるべく速歩で歩き、昼休みには30分くらいのウォーキング(一部に階段上り下りを加えている)などを日課としています。
週末は、付近の里山を中心に1時間30分程度のウォーキングを実施。こちらは山登りなどに発展することもあります。

などとつらつら書いてまいりましたが、効果的なダイエットという観点のみを考えれば、中心は食生活による対応となりましょう。
  • おおむね決まった時間に三食をとり、間食はしない。
  • 炭水化物を控える。
  • 糖質を控える。
  • おかずは野菜を中心にし、バランスよくたんぱく質もとる。
  • よく噛んで食べる(少量でも満腹感が得られます)。
  • 乳製品や果物をとる。

などが思いつきますが、一番肝心なことは、

お酒を控える。

これでしょうね。

お酒を控えると、脂っこいものや塩辛いものもあまり欲しくなくなりますし、夜遅くまでダラダラ食べ続ける(飲み続ける)こともなくなります。

この効果は覿面です。

私はなかなか68kgからの減量が叶わなかったのですが、それをクリアして63kg台まで落とせたのは間違いなく、酒量が落ちたことによるものと思っています。
特に外での宴会。
これが一番のネックだったことに改めて気づかされました。

連れ合いの加減が急速に悪化した昨年の11月以降、私は基本的に宴会などの外飲みを控えるようになり、家でも、緊急事態に備えてお酒を極力控えてきました。
一種の外的要因によって酒量を激減させられたのですが、結果として標準体重以下の現体重を得たわけです。

以前もダイエットの項で書いてきたことですが、運動だけで痩せるというのは、通常ではほぼ不可能だと思います。
私自身、一時期スポーツクラブに通っていましたし、姿勢矯正などによる効果や意識改革の上で大きな成果があったことは認めますが、ダイエットという観点からの効果を求めるのは間違いなのではないでしょうか。
ライザップのCMなどを見て、ジムに行けばあんな風になれるんだ、と安直に考えるのは危険です。
聞くところによると、ライザップが重視するのは食事、それも糖質制限だそうです。一日の接種糖質を50g以下(茶碗一杯分)に抑える指導がなされるそうです。
さらに、朝食・昼食・夕食の接種割合は3:5:2とし、夕食を少なめにすることが求められます。
その上でのジムでの各種トレーニングなわけですから、確かに効果的だし合理的でしょう(挫折する人も多いそうですが)。

先日テレビを見ていたら、あるスポーツクラブでは、月に一回スイーツの食べ放題という「お駄賃」を会員に提供するとのことで、これが女性を中心に大評判とのこと。
頑張った自分に対するご褒美、ということらしいのですが、正直に言って目が点になってしまいました。
ジムも差別化が進んで、会員獲得が非常に厳しい状況だそうですが、健康増進や体質改善という目的を見失って変な方向に進むのは考え物ですね。

ただし、私はジムを否定するつもりは全くありません。
事実として、(先ほども書きましたが)姿勢矯正や意識改革という効果がありましたし、それを念頭に置いた筋トレなどによって基礎代謝量も1530kcalを超えたあたりを堅持しています。
私の年齢は62歳で、先に書いた身長体重ですと、基礎代謝量の平均値は1330kcalだそうですから、それなりの筋肉を維持できているのかなとちょっと自負しているところです。
でも、別にジム通いをしなくても、腕立て伏せ・腹筋・スクワットなどで、いくらでも筋トレはできますから、わざわざお金を払ってまで行くつもりはいまのところありませんが。
むしろ、NHKで放映している「みんなで筋肉体操」の方が有益かもしれませんね。

ダイエットに王道はない。

何度かそのことを書いてきましたが、消費カロリー以上のカロリーを摂取しない、あるいは、摂取カロリー以上にカロリーを消費する、という単純な理屈に尽きます。

その意味でも、お酒を控えるのは大変効果的だと痛感しました。
「断酒」ができればより良いことだとは思いますが、連れ合いを見送った後、私は基本的に毎晩少量ながらもお酒を飲んでいます。
それで特に体調を崩したこともなく(風邪などは一切引いていません)、先日受けた人間ドックでも何ら問題はありませんでした。
先週、久しぶりに宴会が二件入り、その時は珍しく大量のお酒を飲んだのですが、その影響でひどい下痢を起こし、まるでムーベン液(大腸スコープ検査の折に腸内を洗浄する薬)を飲んだ時のような状況に陥りました。
発熱や腹痛はなかったので、食中毒などではなく、久しぶりに大量のアルコールが入ってきた腸が驚いてパニックを起こしたのかもしれません。
そう思うと苦笑を禁じえませんが、改めて少量のお酒をゆっくり味わいながら飲んで楽しもうと考えているところです。

ところで、いろいろと書いてきましたが、67kgあたりから65kgくらいまで短期間に体重が落ちた一番大きな要因は、いうまでもなく連れ合いを亡くしたことです。
最初の月命日を迎えるあたりまでは眠れない夜が続き、気力もどん底まで落ち込んでいました。
食事だけはきちんと規則的にとろうと努力したのですが、やはり精神的な影響は大きく、それに体が敏感な反応を示した、ということでしょう。
ただし、そのあとにもう一段の体重減少ができたのは、やはり食生活の変化によるものだと思います。
二人で暮らしていた時には、夕食のご飯の量も多く、夕食後などはお茶を飲みながらお菓子やアイスクリームを食べたりしていましたからね。

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ブルックナーとブラームス [音楽]

冬に戻ったような気温となりましたが、そのおかげで桜の花は散らずに残っています。
私の職場近くの桜坂は、その名にふさわしい桜の花が盛りとなりました。
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ブルックナーとブラームス。

しばしば対蹠的な関係として取り上げられますが、両者の残した音楽のいずれも大好きな私としては、どうもそのあたりに居心地の悪さを感じてしまいます。

これは恐らく、ワーグナーとハンスリックとの間の対立・反目が引き起こしたものではないかと思われ、ブラームスとしては自分の熱烈な支持者であるハンスリックの手前、ブルックナーの音楽を公式に認めるわけにはいかなかったのでしょう。
ハンスリックはワーグナーとその信奉者(ブルックナーなど)を徹底的に批判し、ブラームスを高く評価して擁護しましたが、当のブラームスとワーグナーは、ある点ではお互いに認め合っていたそうですから、偏屈者の評論家の存在は、今も昔も鬱陶しいものであったのかもしれません。

交響曲というジャンルから見てみれば、両者とも4楽章制を墨守しており(ブルックナーの9番は3楽章ですが、これは未完ゆえのことであり、本来は4楽章の交響曲としての完成を目指していたのは周知のとおりです)、両端楽章にソナタ形式かそれに類する重厚な楽想を置いて、第2楽章に緩徐楽章を配置するという、古典的な交響曲の形式に則っています。
ブルックナーの8番と9番は第3楽章に緩徐楽章を持ってきておりますが、これはベートーヴェンの9番に倣っているようにも思われます。

いずれにしても、交響曲の三大B(という言葉があるかどうかは不明ですが、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス)の中で、ベートーヴェンを崇拝した両者が、「田園」の5楽章制とか「第九」の声楽導入といったような方向性を採ることなく、古典的な形式にこだわった点では、きわめて近似的な印書を受けてしまいます。

因みに「田園」はその後の交響詩方向(標題音楽)へ、「第九」はマーラーによって徹底的に巨大化が試みられます(ワーグナーの楽劇も、原点は第九にありそうな気もします)。

しかし、両者の音楽は大きく異なっています。

ブルックナーはいつ果てるともしれない高山の延々たる山脈を想起させ、ブラームスは堅固に凝縮された構造物を目の当たりにするような感覚を湧きあがらせます。
これを、両者の個人的な気質の違いに帰結させるのは常套と思いますが、私はそこに、オーストリアとドイツとの違いを感じてしまう。
これはもしかすると、カトリックとプロテスタントとの違い、ということもあるのかもしれません。

シューベルトもそうですが、オーストリア人の音楽では主題の反復がカタルシスに至るまで繰り返され、それこそ延々と続く印象があります。
「疾走する悲しみ」などと表現されることもあるモーツァルトの交響曲第40番。
ブリテンは、この曲における繰り返しの指定を忠実に再現したレコードを残していますが、これは実に考えさせられる演奏で、駆け抜けるように演奏されることの多かったこの曲の本来の響きがどのようなものであったかを知ることができます。
いうまでもなくモーツァルトもオーストリア人でありましたから、同様の感性を持っていたのではないでしょうか。

延々と続くかのような主題の繰り返しと、ほかの交響曲などからの引用も含めた壮大な念押しコーダ。
これはブルックナーの交響曲の大きな特徴であり、現在ではそれを美点として評価されていますが、ブルックナーの存命中は、それを欠点ととらえ、弟子たちによる「改訂」が猖獗を極めたわけです。

「本当に必要な音符しかモーツァルトは書かなかった」として、自分はともすれば無駄な音符を書きすぎると自身を戒め、徹底的な推敲を重ねたというブラームス。
無駄な音は一音たりとも許さず、納得のいかない作品や習作的なものは完全に破棄したといいます。
以前にも書いたことがあると思いますが、頭の中にある主題が浮かんだ時、いったんはそれを封じ込めるためにほかの仕事などに熱中し、ひと月くらい経ってなおかつその主題が頭の中から去らなかったときにはじめて使うことを考える、というほど、厳しい態度で作曲に臨んでいたのだそうです。

そうしたブラームスからすれば、ブルックナーの音楽は主題を次から次へと野放図に紡ぎだす我慢のならないシロモノと思えたのかもしれません。
オルガン奏者としてのブルックナーを高く評価し、ウィーン大学などでの音楽理論の講義についても、特にその対位法などに関しては肯定的に受け止めていたらしいのですが、彼の交響曲については「内容が全くなく徒にこけおどかしの大きさを持った交響曲の化け物」という評価を下し、認めませんでした。
ただ、これにも様々な見方が存在するようで、ブルックナーのような創作態度を才能のない人間が軽々に真似ることを戒めるという意図もあったらしく、仮にそうであるとすれば至極ご尤もな見解ともいえましょう。
因みに、ブルックナーの第6番が1883年にムジークフェラインザールで初演された折(ただし、第2・3楽章のみ)、聴衆からは絶大なる拍手が沸き起こりましたが、ブラームスもその観客たちとともに拍手を送ったそうです(例のハンスリックは冷淡だったようですが)。

同じドイツ語圏であることから、なんとなくドイツとオーストリアを同一視してしまう嫌いが私にはありますが、その成り立ちなどからみると国民性にはかなりの違いがあるようです。
ハプスブルグ家とメディチ家は、ヨーロッパの文明や芸術を語る上でやはり閑却できない存在ですが、考えてみればオーストリアも神聖ローマ帝国の流れを汲んでいるわけで、その意味では同根なのかもしれませんね。
15年以上前のことですが、たまたま職場で欧州各国の話をしていた時に、うらやましいとは思いつつも日本人には真似のできないこととして、私は「そういえばイタリアにおいて何よりも大切なのはmangiare(食べること)cantare(歌うこと)amore(愛すること)の三つで、これを聞いた時には驚きました」という話題を提供したことがあります。
すると、ドイツでの勤務経験のある上司がその話を受け取り「それはオーストリアも全く同じだ」と述べたのです。
そして、ハプスブルク家とメディチ家の話で、その場はしばし盛り上がったのでした。
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雪の入笠山 [山登り]

桜の季節が始まりました。
朝の気温は低いものの、日中は20度近くまで上がることもあり、春本番を迎えている感があります。

先日、入笠山に出かけ、スノーシューでの散策を楽しんできました。

スノーシューの経験はほとんどない私ですが、そんな初心者でも履いて少し遊んでいるうちにコツを呑み込むことができ、深雪での高い踏破性能を味わうことができます。

比較的雪が少なかった入笠山の今シーズンでしたが、三月の半ばあたりからかなりの降雪があり、私が出かけた折はおあつらえ向きの銀世界でした。
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早速、入笠山の山頂を目指します。
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一年を通じて登山者の多い山であるだけに、この時期でもトレースはしっかり残っています。

ワカンのような「花魁歩き」の必要はないものの、踏み固められたトレースをたどるのにはあまり向いていないのかもしれません。
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それでも、前爪などがあるため、踏み固められた雪面でもかなりグリップが効き、狭いところなどで自分のスノーシューを自分で踏んだりしない限り快適に歩けます。

穏やかなお天気ではありましたが、低気圧が急速に近づいてきていることもあり、山頂での景色はいまひとつです。
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この山の一番の売りは360度の展望なのですから、その点は少し残念でした。
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とりあえず記念写真。
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何枚か写真を撮っているうちに、寒さゆえかデジカメのバッテリーが切れてしまい、それではとケータイを使おうと思ったらこちらもバッテリー切れ。
そんなわけで、これ以降の画像はなしとなりました。

首切り清水方面に下ります。

こちらのほうはほとんど人がいなかったので、思い切りコースを外れて雪原に入っていきました。
これがまことに快適で、ツボ足ならば腰まで、ワカンでも太ももくらいはもぐってしまうところも、まったく問題なく進めます。
この時期特有の、嫌らしいモナカ雪もなんのその、という感じで、なるほどこれなら人気が出るのも当然、と納得です。

しばらく雪原や吹き溜まりなどで遊び、林道に出ました。
林道は所々で雪が消えていて、アイスバーンになっていたりします。
それでも、スノーシュー自体に前爪などがあるため、ほとんど問題ありません。

入笠山周辺のような、逍遥雪山歩きには最高に適合するアイテムだなと感じました。

傾斜の強い岩稜地帯やキレットなどの狭い場所で使うのはかなり危険と思いますし、雪稜でも、傾斜の強い斜面では、やはり靴と一体化しているワカンの方が優れていると思います。
これまで山スキーで登っていたようなところは、スノーシューに切り替えることでコントロールがしやすくなり行動範囲も広がることでしょう。

今回、私はストックなどを使いませんでしたが、その方が無駄な力が入らず、こうした雪原のハイクには合っているようです。

いずれにしても、用途によっては大変快適で優れた雪上アイテムだと改めて感じました。
携行するのにちょっと大変ですが、目的に応じて使ってみてもよいのではないでしょうか。

閑話休題

このブログ、長らく記事をアップしておりませんでした。

今年の1月18日、連れ合いが永眠しました。

昨年の2月初めに、がんの肺への転移が確認され、肺の切除、抗がん剤治療などを行った後、ホルモン治療の可能性も調べてみたのですが、残念ながら効果が期待できず、セカンドオピニオンなども活用しつつ、放射線治療や保険外の分子標的薬など様々な治療を試みたところです。

しかし、いずれも効果が上がらず、昨年の10月、新たな抗がん剤治療を試みようとしたのですが、それに耐えられるだけの体力が連れ合いには残っておらず、手詰まり。

肺と気管支の腫瘍を除去する目的の放射線治療を受けるため、昨年11月より入院し、これは一定の効果があったのですが、根治に結びつくことは到底期待できず、最後は緩和ケアを中心とする療養になりました。

連れ合いは在宅医療介護を望んでおりましたので、介護用ベッドや車いす、酸素吸入器そのほかの医療用機材を借り受け、在宅医療専門の医師・看護師・薬局の方などの手厚いご協力を得て、しばらくは自宅で過ごしました。

年も押し迫ったころ、自宅にほど近い総合病院の緩和ケア病棟に空きができましたので、そちらに入院し、私なども泊まり込んで一緒に年越し。

その後いったん自宅に戻ったのですが、連れ合いの体力はいくらも残っていなかったのでしょう、16日にはほとんど食事がとれなくなり、18日の朝、緩和ケア病棟に再入院し、その日の午後に旅立ったのでした。

眠るように逝ってしまったので、私はとてもそのことを受け入れられず、手を握り体を揺さぶり胸をマッサージしたりして、「戻ってこい!」と何度も叫びました。
小一時間、そうした徒労に近いことをしていた私に、病棟の看護師さんが「お気持ちはわかりますがもう休ませてあげてはいかがですが」と声をかけてくれました。
しかし、連れ合いの体はまだ生きているときのように温もりがあるのです。
絶望の涙を流しつつ、医師からの臨終宣告を聞きました。
昨年の終わりくらいから体中の血管がもろくなっていて、タオルなどで体をこすって洗ったりすることができなくなっておりましたから、せめて最期くらいは私の手で体を拭いてあげたいと思い、病院側で用意してくれた温かなタオルで体中を拭いてあげ、「最後までよく頑張ったね」と声をかけたところです。

1月25日に告別式を行って火葬し、3月2日、私の郷里の八ヶ岳山麓の町にある私の家の墓に納骨を済ませました。
30年ほど前に、私の実家を訪ねた折、○○家のお墓はどこにありますか?と、連れ合いは私の父に聞きました。
まだお墓など眼中にもなかった父は、墓はない、と答えたのですが、そのとき連れ合いは「ええ!私が死んだときに入るお墓がないのですか?」と訴え、父はその場で墓の購入を即決した、という経緯があります。
そのお墓に、まさか自分が一番最初に入るとは思ってみなかったことでしょう(私の父母はまだ健在です)。
急遽、墓石を立て、整地した墓に納骨をする際、私はそのことを思い出し、言い知れぬ悲しみに浸ったところです。

先に入笠山に出かけたことを書きましたが、月命日にお墓参りをし、花を飾りたいという想いもあってのことです。
葬儀の日も、納骨の日も、お墓参りの時も、穏やかなお天気に恵まれました。

そういうお天気を連れ合いがあつらえてくれたんだなと、私は勝手に考えております。

連れ合いが旅立ってから二度目の月命日が過ぎました。

遺骨が自宅にあった時には、毎日、影膳を上げ、今でも、毎日、米・塩・水そしてお茶を上げています。
少し微笑んでいる遺影を見ながら、私の寂しさは一向に果てることをしりません。
最期の時の連れ合いの温もりは、まだ私の全身の記憶として残っています。
私を一人残して(私たち夫婦には子供がありませんので)、勝手に先に逝ってしまうとは!と、理不尽だとは思いつつも口惜しさと悲しさと怒りに満ちた感情を抑えることができずにいます。

ただ、最後は本当に眠るように安らかだったこと。
そして、病院にいる時を除いて、一日たりとも連れ合いを一人にはしなかったこと(連れ合いの姉妹や私の妹も来てくれましたので)。
そのことだけがわずかな救いでありました。
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孤独のとらえ方 [山登り]

山登りのスタイルについて、基本的に単独行である人と、仲間を募って登る人に、なんとなくですが分かれるような気がします。
半世紀くらい前にはスタンダードであった「パーティ」は、チーフとサブというリーダーの元に隊員が組織され、それぞれに「食料担当」「装備担当」「記録係」「天気図作成」などといった役割が付されて統率されていましたが、今や、学生や社会人山岳会でもこうした形態は衰退してきているように思われます(実際はどうなのでしょうか?)。
つまり、仲間を募って登る、というのは、正しく「同好の士」が集まってワイワイ楽しく行動する、という感じになっているようです。
そういう山行にはこのところ全くご無沙汰ですので、あくまでも私の想像の限りでは、というエクスキューズが付きますが。

「何のために山に登るのか」という無粋な問いかけに対して、恐らく山に登っている人たちそれぞれに固有の目的や理由や想いがあろうかと思います。
20年以上も前に、私はそのことについて自分のサイトの記事として書いたことがあります。
改めて読み返すと青臭さに辟易としますが、当時としては正直な気持ちだったのでしょう。やはり一種の現実逃避だったのかもしれません。

都市部での生活を余儀なくされている私たちは、毎日毎日混雑した通勤電車に揺られて出勤し、多くの人々に囲まれながら仕事をし、時には熱くなって議論も重ね、やはり満員電車でもみくちゃにされながら帰宅、くたくたに疲れて泥のように眠る、などという、生物としてはいささか異常な環境の中で日常を生きています。

縄文時代は狩猟が主だったこともあり、人口密度は一万平米に10人くらいのものだったそうです。
つまり、山手線の内側に60人程度の人間しか住んでいなかった、ということなのでしょう。
人間は雑食ですから、木の実・草・虫・動物などなど、生きていくのに必要な獲物は、天候と環境にさえ恵まれれば造作なく手に入ったことと考えられます。
縄文時代が一万年をはるかに超えて長く続いたのも、比較的温暖で安定した気候が続いていたからといえるのかもしれません。
そして地球は再び寒冷化に向かい、自然界の恵みに頼る生活形態では対応ができなくなって、縄文時代は終わりを告げます。
古事記や日本書紀にみられる天岩戸伝説は、恐らく長きにわたって太陽光を遮った天体現象や気候変動を伝えたものなのでしょう。
安定した食料調達のため、人間は農耕の道に進み、作物を栽培し家畜を飼育して、その土地に定着するようになります。
まとまった人間が共同で生活するようになると、そこに暮らす人々は当然に互助の意識をもつようになり秩序や社会性が必要となってきます。
本来、動物は自身の防御本能から個体距離(パーソナル・ディスタンス)を設定し、そこに近づく他者を排除するため攻撃する(あるいは自らが逃走する)ものなのですが、生活のために共に生きる者同士は、その目的ゆえにその距離が縮まることを敢えて忌避しなくなる。
しかし、本能的にはやはり嫌なことなのだろうと思います。
「私たちは愛し合っているからいつもくっついていたい」
などと甘い想いに浸っているカップルだって、恐らく四六時中そばにいたら辟易するのではないでしょうか。
ましてや、何の関係もない赤の他人が自分の個体距離(臨界距離)の中に入ってくるのは、本来耐え難いことだと思います。
通勤時などの満員電車に詰め込まれているとき、私は石になろうと努めています。少なくとも感情を表出させることのないように押し込めます。
そこから逃れようとしても物理的にできないわけですから仕方がありません。何故そんな理不尽に耐えられるかといえば、その中に押し込まれていることが経験上危険な状態ではないことを認識しているからなのでしょう。
考えようによっては誠に哀れな「習慣」だとは思いますが。

そんなわけで、私にとっての山歩きは、そうした日常からの解放が目的といえるのかもしれません。
なるべく人のいない時期やルートを選び、一人の時間を満喫する。
30年以上前の私は幕営による長期単独縦走にはまっていて、一週間から十日間くらいかけた山行に汗を流していました。
同好の士がいなかった、ということもありますが、今振り返ってみれば、あれは単独だったからこそ意味があったようにも思われます。
長期間の縦走となりますと、食料やルートも計画通りにいかなくなることは当然のように起こり、その都度判断を求められるわけですが、単独であるからこそ徒な逡巡といったマイナス要素を排除できるのです(もちろんそれによるリスクは全て自分持ちですが)。

今となっては家庭や仕事上の都合もあり、こうした山行を試みることは困難ですが、たとえ日帰りでも、意識としては全てを自分の判断と責任で行動したい、という想いが強く残っています。
ある種、日常的な束縛から逃れるために山に行く部分もあるわけですから、不思議なことではないとも思いますが。

それから、これはかなり根本的なことであると思いますが、私は単独で山に入っていても、寂しさややるせなさや心細さといったような負の意味での孤独を感じたことはありません。
恐らく単独行を実践している人たちには、この気持ちがわかってもらえると思います。

ところで、こんな記事を目にしました。

中高年男性が軒並みハマる「孤独」という宗教

私は、以前こんな記事を書いたこともあり、仲間外れにされる不安感から友人を求めるのは本末転倒ではないか、と考えています。
のっぴきならない問題が起きた時に、身を挺して助けてくれる人を一人でも持っていればそれで十分。
また、自分としてもそうしてあげたい大切な人がいる、そのことが重要なのではないか、と。
そして、そういう関係性を築くことができるのは、自身の孤独を見つめそれを鍛えることのできる自立した者同士なのではないかと思っています。

ご紹介した東洋経済の記事は、そんな私の思い込みに警鐘を鳴らすものなのかもしれません。
しかし、
国立社会保障・人口問題研究所が今年8月に発表した調査では、65歳以上の高齢者で1人暮らしをしている男性の15%(女性は5%)、およそ7人に1人が、会話の頻度が2週間に1回以下であるという結果だった。また、65歳以上で一人暮らしの男性の30.3%(女性は9.1%)が「日ごろのちょっとした手助け」で頼れる人が「いない」と答えた。

とか、
アメリカの財団が同じ8月に発表した日米英の孤独に関する調査では、孤独であると回答した人のうち、10年以上、孤独であるという割合が35%と、アメリカ(22%)、イギリス(20%)より圧倒的に高かった。

というくだりには考えさせられます。

人は社会的な生き物ですから、たった一人で生きるということはできません。
生きていくうえでの他者とのつながりは基本的で重要な要素です。
ただ私は、そうしたつながりを、家庭とか学校とか会社とか地域(ご近所)といったような既存コミュニティのみに求めるのはどうなのかな、と思います。
既存コミュニティの中にいて得られる安心感は、仮にそこから疎外されてしまった場合、致命的かつ絶望的な喪失感へと激変することになるのではないでしょうか。
従って、そのコミュニティの中にとどまれるように、ある時には自分を抑え同調圧力に身をゆだねていかなくてはならなくなる。
やはり本末転倒だな、とつくづく感じます。

つながるのは組織やコミュニティなどではなく、あくまでも個人なのではないでしょうか。
個人同士で自在にしなやかにつながっていく、そんなつながりこそが必要なのではないかと思います。

その意味では、ブログを通じたつながりというのも非常に有効なのではないか。
事実、私は、私の拙い記事に貴重なnice!やコメントを付けて下さる皆様に対して、個人的に深いつながりを感じています。
なかなか記事がアップできないので内心忸怩たる想いはありますが、拙いながらも記事を書いていこうとするのは、そうした自在なつながりを求める気持ちからくるような気もしています。

何かにつながることによって自分自身の存在を思索し確認する。
ある意味では人間だけに与えられた特権なのかもしれませんね。

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晩秋の入笠山 [山登り]

10月も終わりに近づき、秋も深まってきた感があります。
高峰は徐々に雪化粧を施しており、山は晩秋から初冬の趣といったところでしょう。

この夏、入笠山に案内した友人たちから、「是非ともビーフシチューを食べたい!」とのオファーがあり、マナスル山荘本館に再来しました。

前回、時間の都合で歩けなかったテイ沢から大阿原湿原を回る周回コースを、今回は高座岩に立ち寄って、紅葉を楽しもう、というものです。

比較的落ち着いたお天気が続いていましたが、土曜日の朝はあいにくの雨。
しかし、そのおかげもあってか、週末の中央道にしては目立った渋滞もなく、快適に走ります。
と思ったら、甲府南と甲府昭和の間で事故が発生し、2km・30分という渋滞にはまってしまいました。

それでも10時前にはマナスル山荘に着くことができ、宿泊とお昼のビーフシチューを予約して、小雨の降る中を長谷村につながる入笠山林道を歩き始めます。
お昼ご飯のサービスは14時30分までとのことでしたが、まあ、時間的には余裕だろうと高を括っておりました。

林道わきの樹々にかかるサルオガセです。
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これほどに育っているサルオガセを見るのは久しぶりで、思わず目を見張ってしまいました。

紅葉もだいぶ進んでいました。
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しばらく行くと、「南無入笠観世音」と書かれた石碑がありました。
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登って行って確かめると、蛇をかたどったレリーフが祭られています。
縁起を読むと、昭和38年当時、この小黒川林道の工事を実施していた自衛隊員の夢枕に観世音菩薩が立ち「ここは私(観世音菩薩)が治めた地である。土を掘り起こし、私の神体である白蛇の姿を認めたなら粗略に扱わないように」といった趣旨のお告げがあった由。
そのお告げの通り、掘り起こした土中からこの白蛇のレリーフが出てきたので、工事や山里の安全祈願のために手厚く祀ったのである、とのこと。

小黒川林道は現在補修工事をしているようで、途中から車は通行止めになっていました。
30年位前に、この林道を車で走って戸台に向かい、甲斐駒に登ったことがあるのですが、その当時も、車で走るのには厳しい道でした。

法華道への分岐を見送り、林道の左側に小黒川が流れ、静かな林道歩きを続けていると、右に高座岩への指導票を見つけました。
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濡れて滑りやすい急登を稼ぐと林道に出て、そこにも指導票がありました。
「高座岩・法華道」と書かれた矢印の方向を、林道の先と勝手に思い込み、そのまま林道をたどってしまいました。
25000分の1の地形図には載っていない林道なので、法華道に続くのだと勘違いしてしまったようです。
左側に下る林道を二本やり過ごして緩やかな登りに転じてしばらくしたところで行き止まり。
右上に大岩があったので、あれを回り込むのかと、クマザサの藪の中を強引に登りますが、大岩の周辺で藪はさらに濃くなってしまいました。
どう考えても間違っていると思い、先ほどの指導票まで引き返しました。

注意深く、左側の尾根に至る踏み後を探しながら歩くと、何本かのタラノ木が紅葉しています。
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タラの芽の一本残しはちゃんと守られているんだなと、ちょっと感慨深くなりました。

さて、指導票のところまで戻って周囲を見ると、少し後ろに下がったところに右の尾根に回り込みながら登る踏み後がありました。
指導票では右の矢印になっていたので、完全に私の思い違いです。

踏み後に従って登ると、法華道に出ました。
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そこから一登りで高座岩につきます。
日蓮宗の僧である日朝上人が、見晴らしの良い岩峰を定めてそこで法華経の教えを講じたとされるところで、法華道の由来もそこからきているのでしょう。
眼前には木曽山脈が望まれます。
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私の勝手な思い違いのせいで、大変な道草を食ってしまいました。

小黒川林道に戻ってしばらく歩くと、橋を渡り小黒川を右に見るようになります。
そこからしばらくで、テイ沢分岐。
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25000分の1の地形図では、左側の尾根に登って大きく高巻く道が書かれていますが、実際には沢沿いに右岸・左岸とわたり返しながら進みます。
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透明度の高い穏やかな流れの中には魚影もあり、紅葉した樹々も相俟って、実に好もしい散策路となっていました。
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もちろん、沢沿いの道ですから、足場の悪いところや岩をへつる部分も時折出てきますが、いずれも何ということもなく進めます。

いくつかの橋を渡った時、獲物に出くわしました。
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誠に見事なもので、まさかこんなところに群生しているとは思いもせず、早速、ザックの中から行動食を入れていたポリ袋を出して、行動食を他に移したのち、獲物を少しばかり採取しました。

思わぬ余禄に頬を緩ませて歩いていくと、視界が開けて源頭の趣です。
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左側に威圧的な岩がそびえていました。
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大阿原湿原はクサモジミの最盛期。
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白樺の樹が点々とし、紅葉したカラマツが黄金色に輝いています。

大阿原湿原を後にして、車道をマナスル山荘に向かう道すがら、八ヶ岳方面の展望ポイントから富士山を眺めました。
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八ヶ岳の頂稜には雲がかかっています。
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マナスル山荘では、年に四回、ジャズのライブ演奏会を開いています。

今夜はたまたまその日に当たり、テナーサックスのジェントル山本さんをリーダーに、ベース:広目亮さん、ギター:矢羽佳佑さん、のお三方によるジャズトリオの演奏を楽しむことができました。
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ジェントル山本さんは、近々修行のためニューオーリンズに渡米するそうですが、彼はもちろん、あとのお二方も素晴らしい実力の持ち主で、お酒を飲みながら、久しぶりのジャズの生演奏を楽しむことができました。
「いそしぎ」などのポピュラーな曲における丁寧な編曲とアドリブの素晴らしさも忘れがたいものでしたが、何といってもウェス・モンゴメリーの「フル・ハウス」には痺れました。
この歴史的な超絶ライブのCDを私も所持していますが、久しぶりにその感動がよみがえる心地がしたものです。

演奏の合間、あまりにも月がきれいなので、八ヶ岳展望所まで散歩に出かけてきました。
富士見町はそれほど規模の大きな街ではありませんが、それなりに夜景もきれいに見えます。
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なかなか幻想的で、いい酔い覚ましになりました。

翌朝、5時前に起きて身支度を整え、入笠山山頂を目指します。
もちろん、「ご来光」を見るためです。

日の出は6時過ぎと見込み、5時前に起床。
5時15分くらいに山荘を出ました。

入笠山山頂での雲海は、恐らく麓も冷え込んでいるからでしょう、一部分しか起きていないようです。
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10月の終わりの山頂は、風はないもののさすがに底冷えがします。

6時を回るころ、金峰山の右側が金色になってきました。
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ご来光です。
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この景色はいつ見ても嬉しくなりますね。
陽が昇ると、ありがたいことに体が暖かくなってきました。
太陽の光のすごさに圧倒されてしまいます。

朝の光の中の富士山です。
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入笠山の山頂にはたくさんの人たちがいました。
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槍・穂高連峰も朝日に輝いています。
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さすがに冠雪していますね。

木曽山脈です。
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カラマツが朝日に輝いています。

仙丈岳・鋸岳・甲斐駒・北岳・鳳凰三山などです。
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荘厳な眺めをたっぷり楽しみ、下山しました。

ひかげの斜面は霜で真っ白けです。
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山荘で、ボリュームたっぷりの朝食を頂き、今回も大満足で帰途につきました。

そうそう、例の獲物ですが、帰宅して早速汚れなどを取り、酒とみりんと醤油で煮びたしにして、大根おろしをかけて食べました。
体調のすぐれない連れ合いを気遣って、実家から連れ合いの妹が来てくれていたのですが、二人とも、「あたるといやだから」といって食べません。
野生のエノキダケなんて、そうそうは見つからないんだぞ、と勢い込んだのですが、どうも信用してもらえないようです。
結局私一人が、市販のもやし・エノキとは全く別物の、薫り高く歯ごたえの素敵なエノキダケの煮びたしを楽しんだのでした。

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金木犀と台風 [日記]

台風24号が関東に接近する前に、とりあえず必要なものを買っておこうと、ウォーキングがてら買い出しに出かけました。
朝のうちは怪しい雲もありましたが、昼前からは晴れ間も出て、風も穏やか。
台風が間近に迫っているような雰囲気は感じさせません。

金木犀の香りがそこかしこから漂うようになりました。
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この花たちも、台風の暴風雨を受け、きっとはかなく散ってしまうことでしょう。
なんだか無残な気持ちもしました。

連れ合いのことなどもあり、週末に山に行くこともままならない日々が続いています。
そんな無聊を慰めてくれるのが、近所の里山歩きなのですが、今年は結構獲物(キノコ)が豊作です。
もちろん、松茸やホンシメジといった貴重な獲物には出会えず、いわゆる雑キノコですが、タマゴタケ・ナラタケ・イグチ類・アミタケなどが得られます。
ただし、例の白い笠をかぶった、見た目は食べられそうな毒キノコもかなりあるので注意が必要ですが。
先日、これらを中心にまとまった量の雑キノコをゲットし、一部を塩で煮て冷凍しておきました。
どうやって食べようかと思案中です。
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ところで台風24号、予想通り日本列島各地に深い爪痕を残しました。

私の自宅では、昨晩の1時過ぎに停電となり、復旧はお昼過ぎとなりました。
山道具としてヘッデンやランタンがあるので、暗闇は何とかなりましたが、水が出ないのにはまいりました。
もちろん、飲み水や生活用水はある程度確保していたのですが、御手洗のことを失念していたのです。
幸い、水洗タンクに外部から注水できるタイプだったので、風呂の残り湯を用を足す都度補給し何とか事なきを得ましたが、真っ暗な御手洗の中でヘッデを点けながら用を足すのは何だか山小屋にいるみたいでちょっとおかしくなりました。

また、ガスは問題なく使えたので、煮炊きはでき、これもラッキーでした。
尤も換気扇が使えないので、焼き物や炒め物はできませんでしたが。

いずれにしても、オール電化でなくて本当に良かった。
日頃、水やガスや電気を、そこにあるのが当たり前のように思って使っていましたが、都市においては、電気が止まるだけで水も出なくなり、場合によっては食物の煮炊きすら不可能になる危険性がある。
頭ではわかっていましたが、実際にそういう目に遭うと、その脆弱性がにわかに現実味を帯びてきますね。
オール電化は一時ほどもてはやされなくなっているようですが、そうしたリスクに気付くユーザーが増えている、ということかもしれません。

電気を中心に置いた利便性の向上は、こうした災害時にはもろに脆弱性を曝け出すようです。

テレビのCMなどを見ていると、EV車がトレンドみたいな扱いをされ、人気を博しているような錯覚に陥りますが、街中でしばしば見かけるなどいうことは、少なくとも私にはありません。
アウトランダーPHEVはそれなりに見かけますが、あれは駆動系に内燃機関を持っており、電気一辺倒ではないからでしょう。
その意味で、ハイブリッド車を多く見かけるのは非常によく理解できます。

オール電化やEV車を「エコ」などと表現する場面に出会うこともありますが、これも私は大いに疑問を感じています。

発電された電気が家庭などに届く間には相当のロスが発生することは、その構造上自明の理であり、発電所から変電所そして家庭までの送電の間にその電力の大半を喪失してしまいます。
原子力のように、いったん稼働を始めれば次々に核反応によるエネルギーを(燃料なしに)生み出す、というおとぎ話の世界ならいざ知らず、現在、発電の中心となっている火力では膨大な化石燃料がそれによって費消されます。
その燃料となっている石油やガスをそのまま使ってエンジンを駆動させる方が効率的であろうことは、少し考えればわかることなのではないでしょうか。

これはIHにも言えることでしょうが、たとえ熱効率などの高い製品であろうとも、そのエネルギーのもとが火力発電なのであれば、その電力を作り出す際のCO2の排出量など観点からして、環境にやさしいなどと短絡的に捉えるのはいかがなものでしょうか。
また、原子力によってそれを解決するという夢物語は、福島第一原発事故によって木っ端微塵に吹き飛んでしまいました。

私たちは、あまりにも電気に頼りすぎる生活を見直し、電気の生み出す利便性を享受するという安直な態度から少しずつフリーになる必要があるのではないか。
今回の台風と停電から、改めてそんなことを感じた次第です。

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芸術の創造と訴求力。交響曲を巡って。 [音楽]

以前にも書いたことがありますが、音楽の中で、私はとりわけ交響曲を好んで聴く傾向があります。

haydn.jpg交響曲における、ソナタ形式-緩徐楽章-メヌエット-ソナタあるいはロンド形式、という四楽章制をハイドンが確立させ、序奏-主題提示部(第一主題、第二主題)-展開部-再現部-結尾部(Coda)というソナタ形式もハイドンによって完成されました。
ベートーヴェンが、メヌエットをスケルツォに変更してより抽象性を強め、交響曲の形式をさらに発展・強化させたのはご案内の通りです。

しかし、交響曲の歴史を詳しく見てみると、物事はそれほど単純ではなく、それまでオペラの序曲などに用いられて発展してきたシンフォニアが独立した管弦楽曲となって、18世紀の数多の作曲家がそれを発展させる形で様々な実験を試みていたようです。
その動きは欧州全土に広がり、ウィーン、マンハイム、北ドイツ、南ドイツ、イタリア、フランス、イギリスなどで様々な作品が生み出されました。
18世紀の交響曲に関するカタログは一万章にも及んでいたという事実もあり、それまでの三楽章にメヌエットを加えて四楽章にするという試みも、マンハイム楽派の創設者であるJ.シュターミッツによってなされていたようです。
そうした活動の最先端を走っていたのは、そのJ.シュターミッツ、北ドイツのC.P.E.バッハなどで、ウィーンはむしろ立ち遅れていた存在でした。
ハイドンでも、初期の交響曲などはパリで出版されていたとのことですから、今日の感覚からすれば不思議な気もしますね。

ただ、ある意味からすれば、ウィーンが立ち遅れていたことによって、余計な観念からフリーとなり、ハイドンはより自由な発想から様々な実験や試行錯誤を続け今日に伝わる交響曲の形式を確立し得た、ともいえるのではないでしょうか。
ハイドンの衣鉢を受け継いだモーツァルトの交響曲が、ウィーンに腰を落ち着けてからのハフナー以降とその前との間で大きく変わっているように受け止められるのもこうした背景があってのことかな、などと思ったりもします。

いずれにしても、18世紀当時には正に百花繚乱たる趣があったであろう当時の交響曲のほとんどが現在では演奏される機会もなく、一般の聴衆からは忘れ去られた存在になっていることに、ある種の感慨を抱かざるを得ません。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンによって確立・発展した交響曲の系譜が現在まで命脈を保ち、ロマン派の作曲家たちもベートーヴェンの交響曲をその範として拡大・充実させてきた、ということでしょう。

ブラームスやブルックナーは4楽章制というベースを頑なに守り、ドヴォルザークやチャイコフスキー(第3番は「例外」ですが)もその系列だと思われます。

一方、第9番「合唱付き」は、マーラーによって極限にまで拡大・発展化を遂げます。
マーラーによる4楽章の交響曲は、第1番・第4番・第6番・第9番ですが、第5番や第7番も、序奏の部分が巨大化して5楽章になったという見方もあります。
シベリウスの交響曲では第7番で単一楽章に至りましたが、ベートーヴェンは第5番や第6番で楽章の切れ目なしの演奏を指示していることから、その流れを汲んで純粋に高めた境地の作品ということもできましょう。

一方で、第6番「田園」は、作曲者自身が標題を付けてその意図を明確化したという点でも画期的な方向性を示す作品であり、この曲がなければベルリオーズの「幻想交響曲」もあのような形のものとして確立したかどうかわかりません。
「田園」は、ロマン派によって育まれた交響詩の出発点とも考えられますし、音楽評論家の松本勝男さんによれば、それはスメタナの「モルダウ」にまでつながっていく、とのことで、これは非常に興味深い見解ですね。

さて、18世紀から19世紀にかけて発展を遂げ、特に19世紀に至り、作曲家は、交響曲というジャンルで自己における最大限の表現を達成したいと願った。
ワーグナーのように、ベートーヴェンを神のごとく尊敬しつつ、交響曲というジャンルにおいては到底その域に達することができないとして、楽劇という独自の芸術の道を切り開くとか、リストのように交響詩を創設し新たな表現形式を確立しようとした人たちも、交響曲の作曲は試みているのですから、やはりその範疇に入るのでしょう(リストなどはベートーヴェンの交響曲全曲をピアノ曲に編曲しています)。

文字通り心血を注ぎこんで作品を生み出そうとするわけですから、生涯に世に送り出せる曲数にはおのずから限られます。
交響曲の創作は9曲が限界、という言い伝えも、あながち俗説とばかりはいえないのかもしれません。

ところで、演奏会のプログラムは、
  1. 序曲など短い管弦楽曲
  2. 協奏曲
  3. 交響曲

などという形になることが多いようですが、やはり締めくくりに持ってくる曲は、作曲家が心血を注ぎこんで作り上げた交響曲を、という聴衆の要望が強かったからなのではないかと思います。
私も何度かそういう演奏会に行きましたが、マーラーやブルックナーなどの場合は、交響曲1曲だけ、というメニューとなることも少なくありません。
「春の祭典」や「海」などが締めとなる演奏会もあったりしますが、楽器編成からしても曲の内容からしても交響曲と遜色ない規模の曲でありながら、「最後にドーンと聴きごたえのある交響曲がほしかった」などという聴衆の声も少なからずあるのだそうです。
私も含めて、いわゆるクラシック音楽のファンや聴衆にとって、交響曲はいまだに閑却すべからざる存在なのではないでしょうか。

しかし、以前も書きましたが、20世紀に入って交響曲の創造は徐々に終局を迎え、21世紀の現在では、わずかな例外を除いて、19世紀のように己の創作の重大なメモリアル的作品に位置付ける作曲家はほとんど存在しない状況となりました。

理由はいくつか考えられるのでしょうけれども、音楽の世界でもグローバル化が非常な勢いで進展し、それまでの西洋音楽では考えもつかなかった楽器や表現が創造者の前に開かれ、多彩な音のパレットの中から、それぞれの音の特徴を最大限に生かしたい、つまり、ドビュッシーなどが推し進めた「一音の響き」を重要視する傾向が強まっていったことがあるのかな、と個人的には考えています。
古典的な二管編成から後期ロマン派の四管・五管へと編成は拡大しても、演奏母体であるオーケストラの楽器自体は変わらず、そうした楽器の合奏によって構造的な響きを定まった形式の中で構築する。
大変失礼な言い方をあえてすれば、そうした行き方の中ではもはや新しい響きの創造は困難だと、先達たちの偉業を前にして、20世紀以降の作曲家たちは立ちすくんでしまったのかもしれません。

機能和声や厳格なポリフォニーからフリーとなり、旋律の束縛を排した無調や12音階と発展していった前衛音楽。
しかし、そうした新しい音楽が演奏会のメインに据えられることは非常に難しかったのではないでしょうか。
先ほど述べた演奏会のプログラムの雛形からも類推されるように、聴衆の好みはロマン派以前の作品に向かいます。
私自身、20世紀の音楽、シェーンベルク、ベルク、バルトーク、ウェーベルンなどからピエール・ブーレーズに至るまで、好んで聴きますし、武満徹の音楽などはほとんど「溺愛」しているといっても過言ではないほど聴きこんでいます。
でも、やはり聴いていて最も気持ちが安らいだり感動を新たにしてしまうのは、ブルックナーやブラームスやマーラーだったり、J.S.バッハだったりします。
新しい時代の音楽、特に現在の自分と同じ時間の流れの中にある音楽は、それを同時代性の中から理解しようと努めたりはしますが、真に魂を震わせるような感動を呼び起こされるものにはなりえません。

これは、決して懐古趣味的な観点からのものではないと思います。

先にも述べたように、18世紀中に1万章を超える作品が存在したとされる交響曲の中で、現在も脈々と演奏され続けている曲はほんの一握り。
これらは例外なしに、そうした聴衆の厳しい選別という熾烈な競争を勝ち抜いて残ってきたものばかりなのですから。

さらにいえば、そのようにして現在まで残った名曲ですら、生み出された同時代に、今のような至高の存在になり得ていたわけではありません。
これはおそらく、芸術という、人の内面に働きかけ感動を呼び起こす表現全般に当てはまるものなのでしょう。

例えば絵画の世界においても、ルネサンスから古典主義、ロマン主義、印象派といったあたりの作品を私は好みます。
ラファエロ、グレコ、ルーベンス、フェルメール、ドラクロワ、ミレー、ゴーギャン、セザンヌなどなど。
キュビスムやシュールレアリスムへと時代が進む中で、ピカソやダリやマグリットの作品に胸は打たれつつも、先に挙げた画家のような全幅的な感動にまでは至りません。
20世紀以降では、フランシス・ベーコンとかグスタフ・クリムトなどの例外を除いて、心を激しく揺さぶられるような絵を思い浮かべることがなかなかできません。
現在開催される美術展の中で多くの観客を呼び込む力のあるのは、誤解を恐れずに云えば、やはり印象派以前のものが大半を占めるのではないでしょうか。
進歩派を気取ってはいても、人の心の奥底は相当に保守的なものなのでしょうね。

「芸術は未来において完結する」

芸術家は、いつの時代もそうした重い十字架を背負い続けて、作品を生み出そうとしているのかもしれません。
奥深くも厳しい世界だなとつくづく思います。



締めくくりとして、矢代秋雄さんの交響曲のCDをご紹介します。
20世紀に至って交響曲を世に送り出した日本人作曲家はたくさんおられますが、その中で矢代さんの交響曲こそが本来の形を失わずに屹立した孤高の作品の一つと、私は考えるからです。
欧州に大幅な遅れを取った日本人による交響曲が、このような形で生み出された奇跡に感謝しつつ。
機会がございましたら、是非ともお聴き下さい。

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転職 [日記]

昨日今日と雨模様のお天気となり、酷暑や熱帯夜も少し治まっています。陽もだいぶ短くなってきました。
台風の動きも気になりますが、気温はまたまた高くなりそうな気配です。

今年の9月で仕事を変わりました。
前回の転職から3年ちょっとということで、拙速の感が無きにしもあらず、というところでしょうか。
しかも、まもなく62歳を迎えるところですから年寄りの冷や水もいいところですが、こんな私でも必要と云ってくれる先があることに感激し、このような仕儀となりました。
今年の初詣の際、小さなだるまを買って片目を入れておいたのですが、ようやく両目が入ったところです。
daruma.jpg
実は、一昨年の末にもオファーがあり、その折にもだるまを買ったのですが、これは片目のみのままでどんど焼きに行ってしまったのでした。

今回の転職。
連れ合いの体調のこともありますし、あまりリスクを冒したくないとの躊躇もありました。
還暦直前に試験を受けて採用された、前の職場にも、多少の未練は残りました。

しかし、これから先のことをつらつら考えるにつけ、未来に向けた何らかの希望を見通せないことがやはり哀しかった。

仕事は生活の手段かもしれませんが、たとえ小なりとはいえ何らかの達成感は必要なものなのではないでしょうか。
前の職場でも、それを何とか見出そうと頑張り、それなりの信頼関係もようやく出来上がってきていました。
しかし、経営者側などの執行部を動かすことは結局できず、己の非力さと無力さを痛感するばかり。

還暦を超えた人間を正社員として雇用してくれたことを考えれば、その環境を手放すのは得策とはいえないのかもしれません。
余計なことは考えずに、給料に見合った分だけ働き続けるという選択もありえたのかもしれない。
でも、本当にそれだけでいいのかと、そういう想いを私は捨て去りたくなかったのでした。

と、なんだか久しぶりの更新なのに、極私的な状況を書いてしまいました。
忸怩たるものがあります。

タグ:転職 だるま
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