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ルーブル美術館展(愛を描く) [日記]
現在、国立新美術館で開催中の「ルーブル美術館展(愛を描く)」を観てきました。
「すみっコぐらし」とのコラボということで、若い女性やカップルもたくさん訪れていて、会場は相当な賑わいでした。
それでも、この頃の美術館では事前に観覧日時を指定しての前売りという形態が定着しているようで、人数の割には比較的混雑の度合いは小さかったような気がします。
ただ、照明が暗かったことと、絵の解説文の文字が小さかったこともあって、老人特有の弱視(白内障の疑いあり)の身には、その点が大変もどかしかった。
今回の企画展は。「LOVRE」の中から「LOVE」を強調するという、なかなか面白い試みです。
プロローグと第4室は写真撮影も許されていて、第4室では私も何枚かスマホで撮影しました。
今どきのデジカメは、スマホのものも含めて、ストロボなどをたかなくても光量的には問題なく撮影できますから、展示作品が痛む可能性というよりも、写真撮影に伴う渋滞や混雑を避ける、という意味合いでそれを制限しているのかもしれませんね。
というのも、本場のルーブル美術館では、目玉の「モナ・リザ」を含めて撮影は自由(ただし、確かストロボは禁止だったと記憶していますが)だったので。
私がルーブル美術館を初めて訪れたのはもう30年近く前になります。
ラファエロ、ドラクロワ、フェルメールなど、大好きだった画家の絵画はもちろん、ニケ像、ミロのビーナス、モナ・リザなど、観たくて憧れていたものが数限りなくあり、時間のたつのも忘れるほどでした。
今回の企画展で展示されている所蔵品は、その意味では現地でそれほど熱を入れて観たものではなく、そういえばその絵もあったな、程度の、作品に対して大変失礼な印象を持っていたような、少し申し訳ない気がして、今回はしっかりと「拝見」しました。
とはいえ、例えばアリ・シェフェールの「パオロとフランチェスカ」などは、その初めてのルーブル体験でも胸をうたれ、じっくりと見入った記憶が鮮明に残っています。
この二人の悲劇に関し、私は別のブログで次ような記事を書いたことがあります。
パオロとフランチェスカ
ダンテの神曲はさすがに稀代の名著で、何度読み返しても新たな発見がありますが、その中でもこの「パオロとフランチェスカ」と「ウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカ」を取り上げた下りは涙を禁じえません。

この絵では、パオロとフランチェスカの右横に、ダンテとウェルギリウスが描かれており、神曲における地獄の第二環で永遠に黒い風に吹き流され漂い続ける二人に出会い言葉を交わす場面を彷彿とさせます。
改めてじっくりと観ましたが、悲しいほどに繊細で美しい作品ですね。
この二人の悲劇に触発され、絵画は勿論、音楽(チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」)、戯曲、ザンドナーイなどによるオペラなど、数多くの派生的芸術作品が生み出されているのは皆さまご存じのことと思います。
さて、先にも書きましたように、今回の企画展ではフラゴナールとドラクロワくらいが、私のように絵画にあまり明るくない人間でも作品と紐づけで知っている画家でした。
しかし、展示されている作品は、さすがにルーブル所蔵だけあり、どれも大変見ごたえのあるものばかりです。
写真を撮れたものだけ、以下に紹介します。
「アモルとプシュケ」フランソワ・ジェラール

「アポロンとキュパリッソス」クロード=マリー・デュビュッフ

「エンデュミオンの眠り」アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾン

「ヘロとレアンドロス」テオドール・シャセリオー

「友情の杯を交わすヒュメナイオスとアモル」ジャン=バティスト・ルニョー

画像が不鮮明なのは何卒ご容赦のほどを。
ところで、この企画展の入場料は2100円でした。
このところ都心の美術館に出向くことがほとんどなかったので、相場がどのくらいになっているのか知らなかったのですが、意外に高いな、というのが実感です。
フランスからの運搬や保管、それに関する各種の保険料などを鑑みれば、やはりこのくらいの価格になるのはやむを得ないのでしょうか。
「すみっコぐらし」とのコラボということで、若い女性やカップルもたくさん訪れていて、会場は相当な賑わいでした。
それでも、この頃の美術館では事前に観覧日時を指定しての前売りという形態が定着しているようで、人数の割には比較的混雑の度合いは小さかったような気がします。
ただ、照明が暗かったことと、絵の解説文の文字が小さかったこともあって、老人特有の弱視(白内障の疑いあり)の身には、その点が大変もどかしかった。
今回の企画展は。「LOVRE」の中から「LOVE」を強調するという、なかなか面白い試みです。
プロローグと第4室は写真撮影も許されていて、第4室では私も何枚かスマホで撮影しました。
今どきのデジカメは、スマホのものも含めて、ストロボなどをたかなくても光量的には問題なく撮影できますから、展示作品が痛む可能性というよりも、写真撮影に伴う渋滞や混雑を避ける、という意味合いでそれを制限しているのかもしれませんね。
というのも、本場のルーブル美術館では、目玉の「モナ・リザ」を含めて撮影は自由(ただし、確かストロボは禁止だったと記憶していますが)だったので。
私がルーブル美術館を初めて訪れたのはもう30年近く前になります。
ラファエロ、ドラクロワ、フェルメールなど、大好きだった画家の絵画はもちろん、ニケ像、ミロのビーナス、モナ・リザなど、観たくて憧れていたものが数限りなくあり、時間のたつのも忘れるほどでした。
今回の企画展で展示されている所蔵品は、その意味では現地でそれほど熱を入れて観たものではなく、そういえばその絵もあったな、程度の、作品に対して大変失礼な印象を持っていたような、少し申し訳ない気がして、今回はしっかりと「拝見」しました。
とはいえ、例えばアリ・シェフェールの「パオロとフランチェスカ」などは、その初めてのルーブル体験でも胸をうたれ、じっくりと見入った記憶が鮮明に残っています。
この二人の悲劇に関し、私は別のブログで次ような記事を書いたことがあります。
パオロとフランチェスカ
ダンテの神曲はさすがに稀代の名著で、何度読み返しても新たな発見がありますが、その中でもこの「パオロとフランチェスカ」と「ウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカ」を取り上げた下りは涙を禁じえません。

この絵では、パオロとフランチェスカの右横に、ダンテとウェルギリウスが描かれており、神曲における地獄の第二環で永遠に黒い風に吹き流され漂い続ける二人に出会い言葉を交わす場面を彷彿とさせます。
改めてじっくりと観ましたが、悲しいほどに繊細で美しい作品ですね。
この二人の悲劇に触発され、絵画は勿論、音楽(チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」)、戯曲、ザンドナーイなどによるオペラなど、数多くの派生的芸術作品が生み出されているのは皆さまご存じのことと思います。
さて、先にも書きましたように、今回の企画展ではフラゴナールとドラクロワくらいが、私のように絵画にあまり明るくない人間でも作品と紐づけで知っている画家でした。
しかし、展示されている作品は、さすがにルーブル所蔵だけあり、どれも大変見ごたえのあるものばかりです。
写真を撮れたものだけ、以下に紹介します。
「アモルとプシュケ」フランソワ・ジェラール

「アポロンとキュパリッソス」クロード=マリー・デュビュッフ

「エンデュミオンの眠り」アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾン

「ヘロとレアンドロス」テオドール・シャセリオー

「友情の杯を交わすヒュメナイオスとアモル」ジャン=バティスト・ルニョー

画像が不鮮明なのは何卒ご容赦のほどを。
ところで、この企画展の入場料は2100円でした。
このところ都心の美術館に出向くことがほとんどなかったので、相場がどのくらいになっているのか知らなかったのですが、意外に高いな、というのが実感です。
フランスからの運搬や保管、それに関する各種の保険料などを鑑みれば、やはりこのくらいの価格になるのはやむを得ないのでしょうか。
垣谷美雨著「姑の遺品整理は、迷惑です」 [映画]
ようやく春めいてきているようです。
陽も長くなってきましたが、厄介なことに花粉も飛び始めました。
私は花粉症対策として三年間シダキュアの服用をし、備えてきましたが、どうやら効果はかなりあるように実感しています。
先日、連れ合いの姉と妹が拙宅を訪ねてくれました。
4年前の連れ合いの葬儀のあと、遺骨を前に一人残される私が心配だと、その晩は拙宅に二人で泊まってくれて、私は本当に助かったものです。
その後、COVID19蔓延などの影響もあり、なかなか会うことができなかったので、今回の訪問はとっても嬉しく、三人で深夜まで語り明かし私も大いに力づけられました。
昨年末にも、連れ合いの従妹夫婦に招かれ楽しく歓談したところで、身内のありがたさと、連れ合いがつないでくれている絆に感謝の念を禁じえません。
本当にありがたいことです。
さて、義姉は映画や本が大好きで、その意味では私と話題が共通するところが多く、以前このブログでも取り上げた、又吉直樹の「火花」も、その義姉が貸してくれたものです。
今回も是非にと貸してくれたのが表題に挙げた本。
垣谷美雨著「姑の遺品整理は、迷惑です」です。

垣谷美雨さんのことは、映画「老後の資金がありません!」で存じておりましたが、この作品も大変印象に残りました。

これは、「老後の資金がありません!」にも言えることだと思いますが、読み始めて最初のうちは、なんでこんな羽目に陥ったのだろう、という主人公の無念さと葛藤とやるせなさに胸を突かれ、なかなかページが進みません。
しかし、中盤を過ぎるころから俄然テンポ感がよくなり、最後は一気に読み終えてしまう。
それも、大団円とはこういうものをいうのだろう、という爽快感いっぱいに包まれます。
はじめのころに数々張り巡らされた伏線が、最後に一つ残らず回収されていく。
その鮮やかな筆力にも瞠目させられます。
「老後の資金がありません!」では典型ですが、この作品でもお金についての考察が非常に具体的で説得力があります。
壮年から老年に移りゆくに従い、生活費も含めたお金の問題は看過することのできない深刻さが増してきます。
老後の貯蓄2000万円問題の提起もあって、高齢者には殊に避けて通りえない課題となりました。
生活に不安のない老後を送るために、ある程度の貯蓄は必要と思いますし、生活そのもののダウンサイジングも考えなければならない。
それは厳然たる事実ですが、果たしてお金さえあればそれでいいのか。
QOL(Quality of life)という言葉があり、これはがんなどの疾病に罹患した患者の予後などで使われることが多いようですが、読んで字のごとく生活の質です。
これを高く保つことが、ある意味で真に幸せな生き方ともいえるように感じます。
そしてそれは、畢竟コミュニケーションのあり方ではないかと、この作品を読んで改めて思いました。
お金というものにはある種の魔力があり、一定程度のお金が手元にたまってくると、それを使うことよりもさらに貯めて増やすことに注力しがちになるのではないか。
どけちとか業突く張りとか、いわゆるお金持ち(小金持ち)が、己の資産を一文たりとも減らすことなく汲々としている様は、はたから眺めると実に見苦しく映ります。
これはポイントなどにも言えることかもしれませんが、一定程度たまってくると、貯めることが目的となり、それを減らすことを恐れるようになります。
つまり、貯めることが目的化するわけで、どう考えても本末転倒ですね。
自身がいよいよ身罷ろうというときに、使いきれないほどのお金を残して後悔する、などということもあり得ましょう。
なに、財産は子供や孫に残せばいい、という考え方もあるのかもしれませんが、「児孫(じそん)のために美田(びでん)を買(か)わず」という西郷隆盛の言葉にもあるように、これも考え物かもしれません。
この本では、姑の、それこそ見事な生き方が最後の方で明らかになり、正しく価値のあるお金の使い方が描かれていきます。
内容に触れてしまうことになるので細かくは触れませんが、主人公が悪態をついた(処分に困窮するので)姑の遺品も、実はそうした姑の生き方ゆえにもたらされた品々でもありました。
物語の終盤で、主人公の実母と姑の日記が明らかにされます。
この対蹠的な二人。
主人公は、実母の凛とした自らに厳しい生きざま(そして見事な亡くなり方)を賛美し、姑の自由奔放な生き方(そして思いがけない急逝)に呪詛の念を浴びせかけます。
私の父もそうでしたが、つい先日まで元気でいた人が突然逝ってしまうと、残された者たちは本当に途方にくれます。何もかもが「そのまま」の状態なのですから。
主人公の実母は、がんを告知された後、手術を拒んで緩和ケアを受けつつ数年の後に亡くなりました。
その間、まるで自分の生きてきた軌跡を消し去るがごとく就活を進め、娘(主人公)と息子の嫁に(指輪のサイズまで考慮したうえでの)貴金属類の形見分けを遺言します。
処分に困りそうなもの、あまり価値がないと思しきものは、自身の存命中にすべて片付けてしまう。
その潔さに主人公は感激し、返す刀で姑の、貯めこまれた(主人公にしてみれば無価値無意味な)遺品などを罵倒するわけです。
そんな実母を尊敬するあまり、義妹(弟の嫁)はきっと幸せだったことだろうと想いを馳せる。
そして、そうした主人公の思い込みは、義妹から聞いた話や実家の整理のこともあり、物語に終盤に入って大きく揺らいでゆきます。
先に述べた、実母と姑の日記。
それは、この二人の生き方や性格の違いを鮮やかに描き出し、物語を重層的に膨らませてくれました。
市長の妻ということもあり、自分を厳しく律し、目立つことを避け、他者との交流も必要最小限にとどめてきた実母。
周囲の人たちを大切に思い、時にはおせっかいともなりかねない容喙を働きかけ、自分のできることは何でもやろうとした姑。
日記の記述でその違いを明らかに浮かび上がらせるところも、さすがに素晴らしいと感じました。
なによりも読後感が大変さわやかです。
これは「老後の資金がありません!」にも言えることですが、垣谷さんは、本を読んだ人に幸せになってもらおうと考えて書かれたのかもしれません。
確か、山本周五郎氏の言葉ではなかったかと曖昧に記憶しているのですが、小説は、それを読んだ人が充実感を覚え幸せな気持ちになれることを目指すべきだ、ということ。
この本は、文句なしにさわやかな幸福感を味わえる佳作ではないかと感じております。
人が信じられなくなったり、将来に不安感が過った折などに読まれることを強くお勧めする所以です。、
陽も長くなってきましたが、厄介なことに花粉も飛び始めました。
私は花粉症対策として三年間シダキュアの服用をし、備えてきましたが、どうやら効果はかなりあるように実感しています。
先日、連れ合いの姉と妹が拙宅を訪ねてくれました。
4年前の連れ合いの葬儀のあと、遺骨を前に一人残される私が心配だと、その晩は拙宅に二人で泊まってくれて、私は本当に助かったものです。
その後、COVID19蔓延などの影響もあり、なかなか会うことができなかったので、今回の訪問はとっても嬉しく、三人で深夜まで語り明かし私も大いに力づけられました。
昨年末にも、連れ合いの従妹夫婦に招かれ楽しく歓談したところで、身内のありがたさと、連れ合いがつないでくれている絆に感謝の念を禁じえません。
本当にありがたいことです。
さて、義姉は映画や本が大好きで、その意味では私と話題が共通するところが多く、以前このブログでも取り上げた、又吉直樹の「火花」も、その義姉が貸してくれたものです。
今回も是非にと貸してくれたのが表題に挙げた本。
垣谷美雨著「姑の遺品整理は、迷惑です」です。

垣谷美雨さんのことは、映画「老後の資金がありません!」で存じておりましたが、この作品も大変印象に残りました。

これは、「老後の資金がありません!」にも言えることだと思いますが、読み始めて最初のうちは、なんでこんな羽目に陥ったのだろう、という主人公の無念さと葛藤とやるせなさに胸を突かれ、なかなかページが進みません。
しかし、中盤を過ぎるころから俄然テンポ感がよくなり、最後は一気に読み終えてしまう。
それも、大団円とはこういうものをいうのだろう、という爽快感いっぱいに包まれます。
はじめのころに数々張り巡らされた伏線が、最後に一つ残らず回収されていく。
その鮮やかな筆力にも瞠目させられます。
「老後の資金がありません!」では典型ですが、この作品でもお金についての考察が非常に具体的で説得力があります。
壮年から老年に移りゆくに従い、生活費も含めたお金の問題は看過することのできない深刻さが増してきます。
老後の貯蓄2000万円問題の提起もあって、高齢者には殊に避けて通りえない課題となりました。
生活に不安のない老後を送るために、ある程度の貯蓄は必要と思いますし、生活そのもののダウンサイジングも考えなければならない。
それは厳然たる事実ですが、果たしてお金さえあればそれでいいのか。
QOL(Quality of life)という言葉があり、これはがんなどの疾病に罹患した患者の予後などで使われることが多いようですが、読んで字のごとく生活の質です。
これを高く保つことが、ある意味で真に幸せな生き方ともいえるように感じます。
そしてそれは、畢竟コミュニケーションのあり方ではないかと、この作品を読んで改めて思いました。
お金というものにはある種の魔力があり、一定程度のお金が手元にたまってくると、それを使うことよりもさらに貯めて増やすことに注力しがちになるのではないか。
どけちとか業突く張りとか、いわゆるお金持ち(小金持ち)が、己の資産を一文たりとも減らすことなく汲々としている様は、はたから眺めると実に見苦しく映ります。
これはポイントなどにも言えることかもしれませんが、一定程度たまってくると、貯めることが目的となり、それを減らすことを恐れるようになります。
つまり、貯めることが目的化するわけで、どう考えても本末転倒ですね。
自身がいよいよ身罷ろうというときに、使いきれないほどのお金を残して後悔する、などということもあり得ましょう。
なに、財産は子供や孫に残せばいい、という考え方もあるのかもしれませんが、「児孫(じそん)のために美田(びでん)を買(か)わず」という西郷隆盛の言葉にもあるように、これも考え物かもしれません。
この本では、姑の、それこそ見事な生き方が最後の方で明らかになり、正しく価値のあるお金の使い方が描かれていきます。
内容に触れてしまうことになるので細かくは触れませんが、主人公が悪態をついた(処分に困窮するので)姑の遺品も、実はそうした姑の生き方ゆえにもたらされた品々でもありました。
物語の終盤で、主人公の実母と姑の日記が明らかにされます。
この対蹠的な二人。
主人公は、実母の凛とした自らに厳しい生きざま(そして見事な亡くなり方)を賛美し、姑の自由奔放な生き方(そして思いがけない急逝)に呪詛の念を浴びせかけます。
私の父もそうでしたが、つい先日まで元気でいた人が突然逝ってしまうと、残された者たちは本当に途方にくれます。何もかもが「そのまま」の状態なのですから。
主人公の実母は、がんを告知された後、手術を拒んで緩和ケアを受けつつ数年の後に亡くなりました。
その間、まるで自分の生きてきた軌跡を消し去るがごとく就活を進め、娘(主人公)と息子の嫁に(指輪のサイズまで考慮したうえでの)貴金属類の形見分けを遺言します。
処分に困りそうなもの、あまり価値がないと思しきものは、自身の存命中にすべて片付けてしまう。
その潔さに主人公は感激し、返す刀で姑の、貯めこまれた(主人公にしてみれば無価値無意味な)遺品などを罵倒するわけです。
そんな実母を尊敬するあまり、義妹(弟の嫁)はきっと幸せだったことだろうと想いを馳せる。
そして、そうした主人公の思い込みは、義妹から聞いた話や実家の整理のこともあり、物語に終盤に入って大きく揺らいでゆきます。
先に述べた、実母と姑の日記。
それは、この二人の生き方や性格の違いを鮮やかに描き出し、物語を重層的に膨らませてくれました。
市長の妻ということもあり、自分を厳しく律し、目立つことを避け、他者との交流も必要最小限にとどめてきた実母。
周囲の人たちを大切に思い、時にはおせっかいともなりかねない容喙を働きかけ、自分のできることは何でもやろうとした姑。
日記の記述でその違いを明らかに浮かび上がらせるところも、さすがに素晴らしいと感じました。
なによりも読後感が大変さわやかです。
これは「老後の資金がありません!」にも言えることですが、垣谷さんは、本を読んだ人に幸せになってもらおうと考えて書かれたのかもしれません。
確か、山本周五郎氏の言葉ではなかったかと曖昧に記憶しているのですが、小説は、それを読んだ人が充実感を覚え幸せな気持ちになれることを目指すべきだ、ということ。
この本は、文句なしにさわやかな幸福感を味わえる佳作ではないかと感じております。
人が信じられなくなったり、将来に不安感が過った折などに読まれることを強くお勧めする所以です。、
シンエヴァンゲリヲン劇場版:|| [映画]
立春が過ぎました。
今シーズンの一月は、ことのほか寒さが厳しかったような感覚がありますが、陽も長くなりようやく春の兆しが見えてきそうな陽気です。
連れ合いが旅立ってから4年が過ぎました。

連れ合いが生前かわいがっていた長寿梅の花が咲き始め、今年はたくさんの花が咲きそうです。
昨年、私の不注意から鉢を割ってしまい、少し大きめの鉢に植え替えざるを得なくなったのですが、どうやらそれが功を奏したようで、これまでになくたくさんの花を咲かせ、なんと実まで生りました。
今年はどうだろうと、今から楽しみです。
こちらは水仙の花。

今はもう盛りを過ぎておりますが、この写真を撮った一月の初め\頃は、たくさんの花を付けてくれました。
以前、このブログでも書きましたが、これも連れ合いが大切にしていたもので、連れ合いの生前には花を付けなかったのに、一昨年の12月に初めて花を咲かせ、今年はさらに多くの花を付けてくれています。
これはシャクナゲです。

三年前、弔事のお返しに頂いたものですが、この三年間、毎年きちんと花を咲かせてくれています。
花が大好きだった連れ合いは、ベランダの植木鉢やプランターをこまめに手入れしていたもので、私はミニトマトとかバジルのような、食せる植物ばかりに関心がいっていて花の類は完全に任せきりでした。
連れ合いが亡くなってから、花の世話もするようになったのですが、こうして元気に花をつけてくれると、やはり嬉しいものですね。
こうした鉢植えやプランターあるいは生け花などは別として、大地に生育する植物は、自身の根を取り巻く無数の植物性微生物・細菌などによって地球全域にわたる相互の巨大なネットワークで補完されている、という説があるそうです。
つまり、自分の家の庭や畑にある草や樹木は、地球の裏側など隔絶されていると思われる場所に生育する植物たちとつながっているということ。
あまりに壮大な話でちょっと眩暈もしますが、私は非常に納得してしまいました。
いわば植物は、地球という大きな存在(ある種の生命体)を形作る神経系や血管のようなものなのかもしれません。
植物には、私たち動物とは違った形での感情がある、という説もあります。
水を上げたり肥料を上げたりすると喜び、火を近づけたり傷つけたりすると嫌がるのだそうです。
音楽を聴かせるとご機嫌なものもいる、などと聞くと、愛着がわきかわいくなりますね。
このブログに記事を書くのにずいぶん時間が経ってしまいました。
要因の一つに、生家のリフォームの実施があります。
母が高齢のため、以前から生家のバリアフリーや耐寒対策を施す必要を感じており、私もようやく重い腰を上げたというところです。
昨年の8月から着工して、先月の終わりにようやく完了しました。
私も近い将来、そちらに居を移すつもりもあり、そうしたことを念頭に置いてレイアウトなどを調整したりしたことから、予想以上の手間がかかった次第です。
書きたい題材はたくさんあったのですが、とても文章にまとめる気力もなく、そのまま荏苒と時が過ぎてしまいました。
今回も、本音を言うときちんとまとめられるかどうか非常に心もとないのですが、冒頭に書きました花たちに感動してしまい、このことは書いておきたいと思いましたので、アップ致します。
さて、生家のリフォームにも関連するのですが、いくつかの家具を購入しなければならなくなり、ネットですとAMAZONでしか入手できないものがありました。
そこでAMAZON経由で注文したわけですが、そのついでにAMAZONプライムにお試しで加入。
二年ほど前にも一度お試し加入をしており、改めて、ということです。
理由の一つに、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観たかった、というものがあります。
この映画は、どうやら来月の初めにようやくDVD・BD化されるようですが、せっかくなのでこの機会に、と考えました。
それまでの序破Qは、NHKBSでも既に放送されていましたから、私としては是非とも完結編を観たい!という気持ちがあったわけです。
新世紀エヴァンゲリオンは、1995年から96年にかけて放送されたアニメで、熱狂的なファンを生み出しましたが、テレビアニメの最終回では、それまでの展開とはかけ離れた精神的葛藤が中心となり具体的な完結には程遠く、それを補完する意味で制作された「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」で、そうした観客の不満にこたえるための一応の結末が描かれました。
しかし、稀有壮大なまでに拡大された多くの伏線は、きちんとした回収がなされたとは言えず、これを観た観客を路頭に迷わせる結果となります。
登場人物のほとんどが死ぬか廃人化してしまうという凄惨な作品でもありますから、そもそもそれを通常のアニメ作品的な大団円に持ち込むのは無理があったのかもしれません。
庵野監督ご自身も、恐らく相当苦しんだことと思われ、どうしてもこの作品の決着をつけたいという決意を新たにしたのでしょうか。
新劇場版、序破Qそしてシン・エヴァンゲリオンは、庵野監督のそのような想いが結実した作品といえるのかもしれません。
さて、先に述べたような経緯で、今回シンエヴァンゲリヲンリピートを観たのですが、これを観たことによって、序破Qの中で感じていた疑問や戸惑いが解消された感がありました。
序破Qを再度観たのですが、なるほどそういうことだったのか、とかなりの部分納得させられたのです。
ただし、この物語の一番の肝である「人類補完計画」に関していえば、やはり私には謎が残ります。
ゼーレも冬月や碇ゲンドウも、知恵の実を食べて己の欲望のみに突っ走る不完全なリリン(第18の使途=人間)をすべて清算し、完全なる人類として再生させるという点では同じなのでしょうが、ゼーレはそれを神の子として考え、ゲンドウは神と同一のもの(つまりゲンドウがそれになる)として昇華させる、という違いがあるのでしょう。
いずれにしても、それらはセカンドインパクトやサードインパクトという地球の強制浄化の果てのものであり、人間のみならず地球上のすべての生命体が巻き添えを食って消滅するというもの。
シンジは、その人類補完計画発動のトリガーとされていたものの、最終的は他者の存在と共生を願い、ゼーレの思惑はもちろんゲンドウの願いも打ち砕きます。
そのシンジの背中を押すことで、自らを犠牲にしてしまう葛城ミサト。
旧劇場版「Air/まごころを、君に」における最期も切ないものでしたが、シンエヴァのそれはさらに壮絶かつ痛切なものでした。
このミサトの最期ののシーンから、きっと多くの人は宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を思い起こすことでしょう。
赤城リツコをはじめとするヴンダーの乗組員全員を艦から退避させ、ヴンダーもろとも一人でマイナス宇宙のイマジナリー(巨大なレイ=リリスの瞳)に特攻をかけ、命を賭してガイウスの槍をシンジに渡します。
そして、シンジの乗る初号機のコア(魂)であるユイ(ゲンドウの妻、シンジの母)はシンジを初号機から離脱させ、背後から抱きすくめる13号機(ゲンドウが搭乗している)を初号機もろともガイウスの槍で串刺しにします。
それによってゲンドウの人類補完計画は潰え、ゲンドウの野望は頓挫したかに見えますが、ゲンドウの真の目的は愛する妻のユイと一体化することだったので、図らずもそれは成就した、ということでしょう。
さて、結構謎の存在であった真希波・マリ・イラストリアスについても、シンで(明確には描かれていませんが)かなりの存在感を以て描かれています。
冬月が持っていた写真から、ゲンドウやユイとともに冬月の教え子だった関係性が見て取れ、冬月先生、ゲンドウ君、ユイさんと呼んでいた背景もわかりました。
写真には生まれたばかりのシンジも映っており、マリがシンジを何くれとなくサポートする根拠もわかります。
冬月が、彼女のことを「イスカリオテのマリア」と呼んだことも象徴的です。
イスカリオテといえば、恐らく誰しもがユダを思い起こすものと思われ、冬月・ゲンドウ・ユイがもくろんだ「神殺し」の人類補完計画を、シンジに与することで阻止したことから、つまり「裏切り者」であり、またイエスの最期と復活を見守るマグダラのマリアでもあった。
最終的に人間をはじめ多くの生命を復活させる役割を担ったシンジを、彼女が最後まで見守り「必ず迎えに行くから待っていて」と力強い言葉をかける背景もこのあたりにあるのでしょうか(ラストシーンも象徴的)。
などと、書けば書くほど散発的でまとまりを欠いてしまいそうですので、このあたりでやめておきます。
この作品を観て、一番心に響いたのは、庵野監督の誠実さでした。
先にも触れた通り、旧劇場版で一応の決着を描いたものの、庵野監督はそれを良しとは決してしなかった。
庵野監督はシンエヴァの脚本を2009年から書き始めていた、と聞きます。
序の公開が2007年で、破は2009年ですから、そのころから結末に向けて具体的な構想を練ってきたのでしょう。
シンジの口癖である「逃げちゃだめだ」や、最後にミサトに告げる「これは僕が落とし前をつける」という決意の言葉は、きっと庵野監督の想いを具体化してものなのだろうと感じます。
単なるロボットアニメや兵器物の枠を超え、哲学的・宗教的な世界まで内包し、稀有壮大な物語に膨張してしまった新世紀エヴァンゲリオン。
その複雑かつ拡散してしまった(かに見える)厖大な伏線を、庵野監督はでき得る限り回収しようとした。
その誠実な姿勢には満腔の賛意と尊敬の念を抱きます。
そして、それでもなお、この作品は様々な解釈の余地を残した。
観客一人一人が、様々に違った解釈をし、独自の世界観を広げることを許してくれる、アニメとしては非常に珍しい作品なのではないでしょうか。
今シーズンの一月は、ことのほか寒さが厳しかったような感覚がありますが、陽も長くなりようやく春の兆しが見えてきそうな陽気です。
連れ合いが旅立ってから4年が過ぎました。

連れ合いが生前かわいがっていた長寿梅の花が咲き始め、今年はたくさんの花が咲きそうです。
昨年、私の不注意から鉢を割ってしまい、少し大きめの鉢に植え替えざるを得なくなったのですが、どうやらそれが功を奏したようで、これまでになくたくさんの花を咲かせ、なんと実まで生りました。
今年はどうだろうと、今から楽しみです。
こちらは水仙の花。

今はもう盛りを過ぎておりますが、この写真を撮った一月の初め\頃は、たくさんの花を付けてくれました。
以前、このブログでも書きましたが、これも連れ合いが大切にしていたもので、連れ合いの生前には花を付けなかったのに、一昨年の12月に初めて花を咲かせ、今年はさらに多くの花を付けてくれています。
これはシャクナゲです。

三年前、弔事のお返しに頂いたものですが、この三年間、毎年きちんと花を咲かせてくれています。
花が大好きだった連れ合いは、ベランダの植木鉢やプランターをこまめに手入れしていたもので、私はミニトマトとかバジルのような、食せる植物ばかりに関心がいっていて花の類は完全に任せきりでした。
連れ合いが亡くなってから、花の世話もするようになったのですが、こうして元気に花をつけてくれると、やはり嬉しいものですね。
こうした鉢植えやプランターあるいは生け花などは別として、大地に生育する植物は、自身の根を取り巻く無数の植物性微生物・細菌などによって地球全域にわたる相互の巨大なネットワークで補完されている、という説があるそうです。
つまり、自分の家の庭や畑にある草や樹木は、地球の裏側など隔絶されていると思われる場所に生育する植物たちとつながっているということ。
あまりに壮大な話でちょっと眩暈もしますが、私は非常に納得してしまいました。
いわば植物は、地球という大きな存在(ある種の生命体)を形作る神経系や血管のようなものなのかもしれません。
植物には、私たち動物とは違った形での感情がある、という説もあります。
水を上げたり肥料を上げたりすると喜び、火を近づけたり傷つけたりすると嫌がるのだそうです。
音楽を聴かせるとご機嫌なものもいる、などと聞くと、愛着がわきかわいくなりますね。
このブログに記事を書くのにずいぶん時間が経ってしまいました。
要因の一つに、生家のリフォームの実施があります。
母が高齢のため、以前から生家のバリアフリーや耐寒対策を施す必要を感じており、私もようやく重い腰を上げたというところです。
昨年の8月から着工して、先月の終わりにようやく完了しました。
私も近い将来、そちらに居を移すつもりもあり、そうしたことを念頭に置いてレイアウトなどを調整したりしたことから、予想以上の手間がかかった次第です。
書きたい題材はたくさんあったのですが、とても文章にまとめる気力もなく、そのまま荏苒と時が過ぎてしまいました。
今回も、本音を言うときちんとまとめられるかどうか非常に心もとないのですが、冒頭に書きました花たちに感動してしまい、このことは書いておきたいと思いましたので、アップ致します。
さて、生家のリフォームにも関連するのですが、いくつかの家具を購入しなければならなくなり、ネットですとAMAZONでしか入手できないものがありました。
そこでAMAZON経由で注文したわけですが、そのついでにAMAZONプライムにお試しで加入。
二年ほど前にも一度お試し加入をしており、改めて、ということです。
理由の一つに、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観たかった、というものがあります。
この映画は、どうやら来月の初めにようやくDVD・BD化されるようですが、せっかくなのでこの機会に、と考えました。
それまでの序破Qは、NHKBSでも既に放送されていましたから、私としては是非とも完結編を観たい!という気持ちがあったわけです。
新世紀エヴァンゲリオンは、1995年から96年にかけて放送されたアニメで、熱狂的なファンを生み出しましたが、テレビアニメの最終回では、それまでの展開とはかけ離れた精神的葛藤が中心となり具体的な完結には程遠く、それを補完する意味で制作された「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」で、そうした観客の不満にこたえるための一応の結末が描かれました。
しかし、稀有壮大なまでに拡大された多くの伏線は、きちんとした回収がなされたとは言えず、これを観た観客を路頭に迷わせる結果となります。
登場人物のほとんどが死ぬか廃人化してしまうという凄惨な作品でもありますから、そもそもそれを通常のアニメ作品的な大団円に持ち込むのは無理があったのかもしれません。
庵野監督ご自身も、恐らく相当苦しんだことと思われ、どうしてもこの作品の決着をつけたいという決意を新たにしたのでしょうか。
新劇場版、序破Qそしてシン・エヴァンゲリオンは、庵野監督のそのような想いが結実した作品といえるのかもしれません。
さて、先に述べたような経緯で、今回シンエヴァンゲリヲンリピートを観たのですが、これを観たことによって、序破Qの中で感じていた疑問や戸惑いが解消された感がありました。
序破Qを再度観たのですが、なるほどそういうことだったのか、とかなりの部分納得させられたのです。
ただし、この物語の一番の肝である「人類補完計画」に関していえば、やはり私には謎が残ります。
ゼーレも冬月や碇ゲンドウも、知恵の実を食べて己の欲望のみに突っ走る不完全なリリン(第18の使途=人間)をすべて清算し、完全なる人類として再生させるという点では同じなのでしょうが、ゼーレはそれを神の子として考え、ゲンドウは神と同一のもの(つまりゲンドウがそれになる)として昇華させる、という違いがあるのでしょう。
いずれにしても、それらはセカンドインパクトやサードインパクトという地球の強制浄化の果てのものであり、人間のみならず地球上のすべての生命体が巻き添えを食って消滅するというもの。
シンジは、その人類補完計画発動のトリガーとされていたものの、最終的は他者の存在と共生を願い、ゼーレの思惑はもちろんゲンドウの願いも打ち砕きます。
そのシンジの背中を押すことで、自らを犠牲にしてしまう葛城ミサト。
旧劇場版「Air/まごころを、君に」における最期も切ないものでしたが、シンエヴァのそれはさらに壮絶かつ痛切なものでした。
このミサトの最期ののシーンから、きっと多くの人は宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を思い起こすことでしょう。
赤城リツコをはじめとするヴンダーの乗組員全員を艦から退避させ、ヴンダーもろとも一人でマイナス宇宙のイマジナリー(巨大なレイ=リリスの瞳)に特攻をかけ、命を賭してガイウスの槍をシンジに渡します。
そして、シンジの乗る初号機のコア(魂)であるユイ(ゲンドウの妻、シンジの母)はシンジを初号機から離脱させ、背後から抱きすくめる13号機(ゲンドウが搭乗している)を初号機もろともガイウスの槍で串刺しにします。
それによってゲンドウの人類補完計画は潰え、ゲンドウの野望は頓挫したかに見えますが、ゲンドウの真の目的は愛する妻のユイと一体化することだったので、図らずもそれは成就した、ということでしょう。
さて、結構謎の存在であった真希波・マリ・イラストリアスについても、シンで(明確には描かれていませんが)かなりの存在感を以て描かれています。
冬月が持っていた写真から、ゲンドウやユイとともに冬月の教え子だった関係性が見て取れ、冬月先生、ゲンドウ君、ユイさんと呼んでいた背景もわかりました。
写真には生まれたばかりのシンジも映っており、マリがシンジを何くれとなくサポートする根拠もわかります。
冬月が、彼女のことを「イスカリオテのマリア」と呼んだことも象徴的です。
イスカリオテといえば、恐らく誰しもがユダを思い起こすものと思われ、冬月・ゲンドウ・ユイがもくろんだ「神殺し」の人類補完計画を、シンジに与することで阻止したことから、つまり「裏切り者」であり、またイエスの最期と復活を見守るマグダラのマリアでもあった。
最終的に人間をはじめ多くの生命を復活させる役割を担ったシンジを、彼女が最後まで見守り「必ず迎えに行くから待っていて」と力強い言葉をかける背景もこのあたりにあるのでしょうか(ラストシーンも象徴的)。
などと、書けば書くほど散発的でまとまりを欠いてしまいそうですので、このあたりでやめておきます。
この作品を観て、一番心に響いたのは、庵野監督の誠実さでした。
先にも触れた通り、旧劇場版で一応の決着を描いたものの、庵野監督はそれを良しとは決してしなかった。
庵野監督はシンエヴァの脚本を2009年から書き始めていた、と聞きます。
序の公開が2007年で、破は2009年ですから、そのころから結末に向けて具体的な構想を練ってきたのでしょう。
シンジの口癖である「逃げちゃだめだ」や、最後にミサトに告げる「これは僕が落とし前をつける」という決意の言葉は、きっと庵野監督の想いを具体化してものなのだろうと感じます。
単なるロボットアニメや兵器物の枠を超え、哲学的・宗教的な世界まで内包し、稀有壮大な物語に膨張してしまった新世紀エヴァンゲリオン。
その複雑かつ拡散してしまった(かに見える)厖大な伏線を、庵野監督はでき得る限り回収しようとした。
その誠実な姿勢には満腔の賛意と尊敬の念を抱きます。
そして、それでもなお、この作品は様々な解釈の余地を残した。
観客一人一人が、様々に違った解釈をし、独自の世界観を広げることを許してくれる、アニメとしては非常に珍しい作品なのではないでしょうか。
体力の衰え [山登り]
金木犀の花と香りが最盛期です。

街路樹も少しずつですが色づき始め、秋の気配は濃厚という感じですね。
陽もだいぶ短くなり、その意味ではやはり寂しさも募ります。
寂しさ、というキーワードからの実感ですが、昨年の夏に腰を痛め、その流れで膝も痛めてから、まともな運動ができなくなっています。
しかも、追い打ちをかけるように、この一年のうちに二回も肋骨を痛めてしまいました。
バリエーションを含めた山登りをやってきたこともあって、肋骨の骨折などはこれまでにも何度か経験しており、診察を受けなくてもどの程度の損傷かおおむねわかったりするのですが、そのうちの一回は久方ぶりに耐えがたい痛みに襲われて、寝返りを打つことも厳しい状況でした。
今はようやく様々な痛み(腰・膝・肘・わき腹など)も和らぎつつあり、恐る恐るですが少しずつ体を動かし始めています。
しかし、一年以上のブランクはやはり厳しいものがあり、表題に書いた通り「体力の衰え」を痛感しています。
例えば懸垂。
恐れてはおりましたが、できなくなっておりさすがに愕然としました。
今は何とか7回くらいまでできるように戻しておりますが、その時のショックはかなり大きかった。
それから、立ち座り。
立った状態から手を使わず胡坐をかいたり、その状態から手を使わずに立ち上がること。
座る方は出来ましたが、胡坐をかいている状態から立つことができなくなっていたのです。
これにもかなり落胆させられました。
足腰の筋力というよりも、背筋や腹筋をはじめとした体幹の力が著しく衰えているのでしょう。
反動をつければ何とか立ち上がれるのですが、スッと立つことは出来ません。
66歳という年を考えればあまり無理をしたくはないのですが、少しずつでも筋力を取り戻していければと考えているこの頃です。
先日、重度の肺疾患を患っている昔の山仲間から、
「登れるうちに山に登りたい。簡単な山、例えば日向山くらいなら登れると思う。」
という要請があり、前向きな気持ちになっている友人の想いが嬉しく、一緒に登ることにしました。
この友人とは、30年以上前に日向八丁尾根を辿ったことがあり、そのことも念頭にあったのだと思います。
矢立石から登るのが楽なのですが、彼は尾白川渓谷駐車場からきちんと歩きたいとのこと。
その意気に感じ入り、無理をさせないようにゆっくりしたペースを保ちながら歩を進め、時間をかけて登りました。
私は久しぶりに長靴で登りましたが、やはり一番足になじみますね。

鴈河原の景色は相変わらず素晴らしいもので、友人も満足。
これで辛い治療もまた頑張れると、明るい顔で彼は微笑んでおりました。
途中でかなり苦しそうな表情もしており、そのたびに励まして共に登ったので、彼がさらに前向きな気持ちを持ってくれたことに感動して、思わず涙ぐんでしまいました。
ところで、彼に無理をさせないようにとゆっくり登ったこともあり、私はほとんど汗もかかず、背負っていった水は山頂で作ったラーメンに使っただけで済みました。
息が切れることもなく、下山後にもさして筋肉痛も出なかったこともあり、歩く力だけはまだ何とか保たれているのかなと、少しだけ安堵したところです。
そうそう、この山行で栗をたくさん拾ったので久しぶりに栗ご飯を炊きました。
鬼皮や渋皮を剥いて水にさらすなどの準備が必要なのですが、焼いてしまうとそれが要らなくなります。
皮に穴をあけてグリルで焼くと破裂をだいぶ抑えられるようです。
ささやかながら秋の味覚を楽しみました。

街路樹も少しずつですが色づき始め、秋の気配は濃厚という感じですね。
陽もだいぶ短くなり、その意味ではやはり寂しさも募ります。
寂しさ、というキーワードからの実感ですが、昨年の夏に腰を痛め、その流れで膝も痛めてから、まともな運動ができなくなっています。
しかも、追い打ちをかけるように、この一年のうちに二回も肋骨を痛めてしまいました。
バリエーションを含めた山登りをやってきたこともあって、肋骨の骨折などはこれまでにも何度か経験しており、診察を受けなくてもどの程度の損傷かおおむねわかったりするのですが、そのうちの一回は久方ぶりに耐えがたい痛みに襲われて、寝返りを打つことも厳しい状況でした。
今はようやく様々な痛み(腰・膝・肘・わき腹など)も和らぎつつあり、恐る恐るですが少しずつ体を動かし始めています。
しかし、一年以上のブランクはやはり厳しいものがあり、表題に書いた通り「体力の衰え」を痛感しています。
例えば懸垂。
恐れてはおりましたが、できなくなっておりさすがに愕然としました。
今は何とか7回くらいまでできるように戻しておりますが、その時のショックはかなり大きかった。
それから、立ち座り。
立った状態から手を使わず胡坐をかいたり、その状態から手を使わずに立ち上がること。
座る方は出来ましたが、胡坐をかいている状態から立つことができなくなっていたのです。
これにもかなり落胆させられました。
足腰の筋力というよりも、背筋や腹筋をはじめとした体幹の力が著しく衰えているのでしょう。
反動をつければ何とか立ち上がれるのですが、スッと立つことは出来ません。
66歳という年を考えればあまり無理をしたくはないのですが、少しずつでも筋力を取り戻していければと考えているこの頃です。
先日、重度の肺疾患を患っている昔の山仲間から、
「登れるうちに山に登りたい。簡単な山、例えば日向山くらいなら登れると思う。」
という要請があり、前向きな気持ちになっている友人の想いが嬉しく、一緒に登ることにしました。
この友人とは、30年以上前に日向八丁尾根を辿ったことがあり、そのことも念頭にあったのだと思います。
矢立石から登るのが楽なのですが、彼は尾白川渓谷駐車場からきちんと歩きたいとのこと。
その意気に感じ入り、無理をさせないようにゆっくりしたペースを保ちながら歩を進め、時間をかけて登りました。
私は久しぶりに長靴で登りましたが、やはり一番足になじみますね。

鴈河原の景色は相変わらず素晴らしいもので、友人も満足。
これで辛い治療もまた頑張れると、明るい顔で彼は微笑んでおりました。
途中でかなり苦しそうな表情もしており、そのたびに励まして共に登ったので、彼がさらに前向きな気持ちを持ってくれたことに感動して、思わず涙ぐんでしまいました。
ところで、彼に無理をさせないようにとゆっくり登ったこともあり、私はほとんど汗もかかず、背負っていった水は山頂で作ったラーメンに使っただけで済みました。
息が切れることもなく、下山後にもさして筋肉痛も出なかったこともあり、歩く力だけはまだ何とか保たれているのかなと、少しだけ安堵したところです。
そうそう、この山行で栗をたくさん拾ったので久しぶりに栗ご飯を炊きました。
鬼皮や渋皮を剥いて水にさらすなどの準備が必要なのですが、焼いてしまうとそれが要らなくなります。
皮に穴をあけてグリルで焼くと破裂をだいぶ抑えられるようです。
ささやかながら秋の味覚を楽しみました。
句読点の考え方 [日記]
9月も半ばを過ぎ、だいぶ陽が短くなってまいりました。
先日も、帰宅時に職場を出る際、既に陽が落ちていることに気づき俄かに寂しさを感じたところです。
月みれば ちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
私は大江千里のこの歌が大好きで、秋を感ずるときに常に頭をよぎります。
この歌は、いうまでもなく白居易の「燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長」によったもので、のちに鴨長明がこれを本歌として「ながむればちぢに物思ふ月にまたわが身ひとつの峰の松風」と詠んだように、秋の月に同じような想いを馳せる人は数多くいたのでしょうね。
ちょっと恥ずかしい経験ですが、15年ほど前にピアノ伴奏つきソプラノ・バリトンの二重唱で「秋の月」という曲を作ったことがあります(後に混声合唱に編曲)。
もちろん稚拙極まりない曲ではありますが私自身としては気に入っている曲の一つで、作曲した動機の一つにこの大江千里の一首があったことはいうまでもありません。
秋は食べ物もおいしく気候も過ごしやすくなりますから良い季節なのですが、やはり寂寞感は如何ともしがたく「千々に物悲しさ」を感じさせるようですね。
ところで先日このような記事を読み、考えさせられました。
中高年は知らない…若者がLINEで句読点がついた文を心底嫌悪する本当の理由
この話はかなり以前から話題になっていたので、真偽のほども含めて興味を持っていました。
一読後、なるほどなあ、というのが実感です。
LINEは、トークによる文字のやり取りのほか、画像その他ファイルの添付、音声会話・ビデオ会話もでき、ケータイのみならずPCなどでもやり取りが可能な、かなり優れたコミュニケーション・ツールであり、私も重宝に利用しております。
なんといっても、メールなどに比べてレスポンスが格段に速く、友だち毎に履歴も追えるので業務上の連絡にも使えたりします。
つまり、どこかしら、使い勝手の良いビジネスチャットツールのような扱いもしているわけです。
なぜかといえば、
という、LINEに対する彼我の位置づけの夥しい乖離にその原因があるとのこと。
うーむ、というところが私の正直な感想ですね。
子供のころから本を読んできた私などにとっては、たとえそれが電子媒体であっても、文字によってあらわされたものは「文章」だという認識が強くあります。
LINEなどのタイムラインに流れてきたものであってもその根本的な感覚は変わりません。
従って、文章であれば当然のこととして句読点は必要、と考えるわけです。
しかし、これを「会話」としてとらえることになれば、(通常、会話の場合、句読点は意識しませんから)空間を行きかう話し言葉のやり取りと同じようにその都度費消されていくのでしょう。
思えば、日本語における句読点が、現在のような形でそれなりに用いられ始めたのは、明治時代から大正・昭和にかけて口語体が確立されてきたことと軌を一にしています。
それ以前の時代で公用文や実用文を書く場合は文語文すなわち漢文をもとにした候文(●●相勤可申御坐候のような)を用いていましたし、庶民の文のやり取りでは短い言葉を段落に分けて表現していましたから、いずれにしても句読点は必要なかったものと思われます。
明治時代に入り、国民の教育ことに識字率の上昇が進んだことから、より多くの読者を確保したい小説家などが中心となって新たな筆記方式となる口語文の確立が試みられます。
樋口一葉や幸田露伴、森鴎外の初期の作品などにみられるように、基本的に明治初期の小説は文語文で書かれていたわけですけれども、夏目漱石などによって新しい文体(口語体)が生み出され彫琢されて、それが現在まで連綿と続いている。
つまり、私たちが使っている現在の口語文は、たかだか百年くらいの歴史しかないわけです。
そんな文章作法の中でも、句読点、とりわけ読点は厄介です。打ち方によって文意さえも異なってしまう。
因みに、古文、中でもかな書きを中心にした文章(源氏物語や伊勢物語や竹取物語や平家物語などなど数多)に漢字が付け加えられたり句読点が打たれているのは、後年における学者や研究者などの親切心や老婆心によるもので、原本にそのような措置は施されておりません。
それでも口語文の普及は、「達意」という実用文の最重要使命を果たすために大きく寄与しているものと思います。
私たちが文章を書く上で最も大切に考えなければならないのは、この達意ということ。
それゆえにこそ、句読点とりわけ読点の使い方には細心の注意を払わなければならないのだろうと愚考する次第です。
このようなことをつらつら考えてみると、いわゆるZ世代と称される若年層(読書からも遠ざかっている人が多いようです)が、面倒くさい実用文記述のしきたりにとらわれることを忌避して、より会話に近いやりとりをSNSなどで使う理由もわかる気がします。
尤も大人になって実社会に出れば、それだけでは済まなくなるわけですから、いつかはそうしたしきたりに従わざるを得なくなるとは思いますけれども。
先日も、帰宅時に職場を出る際、既に陽が落ちていることに気づき俄かに寂しさを感じたところです。
月みれば ちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
私は大江千里のこの歌が大好きで、秋を感ずるときに常に頭をよぎります。
この歌は、いうまでもなく白居易の「燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長」によったもので、のちに鴨長明がこれを本歌として「ながむればちぢに物思ふ月にまたわが身ひとつの峰の松風」と詠んだように、秋の月に同じような想いを馳せる人は数多くいたのでしょうね。
ちょっと恥ずかしい経験ですが、15年ほど前にピアノ伴奏つきソプラノ・バリトンの二重唱で「秋の月」という曲を作ったことがあります(後に混声合唱に編曲)。
もちろん稚拙極まりない曲ではありますが私自身としては気に入っている曲の一つで、作曲した動機の一つにこの大江千里の一首があったことはいうまでもありません。
秋は食べ物もおいしく気候も過ごしやすくなりますから良い季節なのですが、やはり寂寞感は如何ともしがたく「千々に物悲しさ」を感じさせるようですね。
ところで先日このような記事を読み、考えさせられました。
中高年は知らない…若者がLINEで句読点がついた文を心底嫌悪する本当の理由
この話はかなり以前から話題になっていたので、真偽のほども含めて興味を持っていました。
一読後、なるほどなあ、というのが実感です。
LINEは、トークによる文字のやり取りのほか、画像その他ファイルの添付、音声会話・ビデオ会話もでき、ケータイのみならずPCなどでもやり取りが可能な、かなり優れたコミュニケーション・ツールであり、私も重宝に利用しております。
なんといっても、メールなどに比べてレスポンスが格段に速く、友だち毎に履歴も追えるので業務上の連絡にも使えたりします。
つまり、どこかしら、使い勝手の良いビジネスチャットツールのような扱いもしているわけです。
若者からすれば、句読点は「大人(中高年)」が自分たちに向ける“文書”に用いられているものであり、往々にしてその内容は目的志向的で、なにより批判的なニュアンスが含まれていることが多い。だからこそ、LINEなどのメッセージアプリ上で句読点がある“文書”を目にすると、そこに自分の責任を追及されているような、いうなれば「詰問」に近いニュアンスを感じてしまい、嫌なのである。
なぜかといえば、
すなわち、若者たちにとってそれは「会話の一形態」であるのに対して、年長者たちは「簡易版メール」のような感覚を持っていて、つまり手紙やメールの延長上にある「文書送信の一形態」なのである。
という、LINEに対する彼我の位置づけの夥しい乖離にその原因があるとのこと。
うーむ、というところが私の正直な感想ですね。
子供のころから本を読んできた私などにとっては、たとえそれが電子媒体であっても、文字によってあらわされたものは「文章」だという認識が強くあります。
LINEなどのタイムラインに流れてきたものであってもその根本的な感覚は変わりません。
従って、文章であれば当然のこととして句読点は必要、と考えるわけです。
しかし、これを「会話」としてとらえることになれば、(通常、会話の場合、句読点は意識しませんから)空間を行きかう話し言葉のやり取りと同じようにその都度費消されていくのでしょう。
思えば、日本語における句読点が、現在のような形でそれなりに用いられ始めたのは、明治時代から大正・昭和にかけて口語体が確立されてきたことと軌を一にしています。
それ以前の時代で公用文や実用文を書く場合は文語文すなわち漢文をもとにした候文(●●相勤可申御坐候のような)を用いていましたし、庶民の文のやり取りでは短い言葉を段落に分けて表現していましたから、いずれにしても句読点は必要なかったものと思われます。
明治時代に入り、国民の教育ことに識字率の上昇が進んだことから、より多くの読者を確保したい小説家などが中心となって新たな筆記方式となる口語文の確立が試みられます。
樋口一葉や幸田露伴、森鴎外の初期の作品などにみられるように、基本的に明治初期の小説は文語文で書かれていたわけですけれども、夏目漱石などによって新しい文体(口語体)が生み出され彫琢されて、それが現在まで連綿と続いている。
つまり、私たちが使っている現在の口語文は、たかだか百年くらいの歴史しかないわけです。
そんな文章作法の中でも、句読点、とりわけ読点は厄介です。打ち方によって文意さえも異なってしまう。
因みに、古文、中でもかな書きを中心にした文章(源氏物語や伊勢物語や竹取物語や平家物語などなど数多)に漢字が付け加えられたり句読点が打たれているのは、後年における学者や研究者などの親切心や老婆心によるもので、原本にそのような措置は施されておりません。
それでも口語文の普及は、「達意」という実用文の最重要使命を果たすために大きく寄与しているものと思います。
私たちが文章を書く上で最も大切に考えなければならないのは、この達意ということ。
それゆえにこそ、句読点とりわけ読点の使い方には細心の注意を払わなければならないのだろうと愚考する次第です。
このようなことをつらつら考えてみると、いわゆるZ世代と称される若年層(読書からも遠ざかっている人が多いようです)が、面倒くさい実用文記述のしきたりにとらわれることを忌避して、より会話に近いやりとりをSNSなどで使う理由もわかる気がします。
尤も大人になって実社会に出れば、それだけでは済まなくなるわけですから、いつかはそうしたしきたりに従わざるを得なくなるとは思いますけれども。
LPレコードの処分 [音楽]
酷暑続きだったこの夏も、このところようやくその暑さも落ち着いてきた感があります。
異常なまでに早かった梅雨明け後、雨模様の日が続き、それが治まってからは猛暑がやってくる。
なんとも厳しく高齢者には辛い気候でした。
私事になりますが、7月から新たな職場で働くことになりました。
契約終了のため3月末で退職して無職となり、その後ハロワなどで職探しに勤しみましたが、さすがに65歳を超えると難しいものがあります。
そんな中、以前の職務経験をそれなりに生かせる仕事を見つけることができ、一息ついたところです。
収入確保も重要な要件の一つですが、無職の単身世帯では当の本人に何か事故が出来した場合のリスクが極端に高くなってしまうため、それを回避する意図もありました。
考えたくはないのですが、自宅で体調不良となり、結果として落命した場合に、その事故が明らかになるのに相当な時間を要してしまいます。
その間は放置されるわけで、周りの知るところとなった時の惨状を想像するだけでも背筋が寒くなりますね。
就職して新たな職場に通うことになれば、仮にそのような事態となっても登録した緊急連絡先(私の場合は郷里に住んでいる妹)を通じてタイムリーな対処が可能となることでしょう。
ほっと一息、とは正にそんな想いからです。
さて、八ヶ岳山麓にある私の実家で一人暮らしをしている母が、今年で90歳となりました。
足腰が極端に弱くなり、手もかなり不自由になってきたことから、調理器具をガスからIHに変えたりディサービスを利用したりと、様々な対処をしてきましたが、その一環でバリアフリーを中心とした実家のリホームに着手したところです。
ほぼ全面改築といってもいいほどなので、様々な家具や荷物を整理しなければならず、母も積極的に絡みながら、妹家族の強力な手助けもあって半年近く片付けに邁進しました。
私の荷物もかなりの量に上っており、大量の書籍のほか、オーディオ関連の機材も数多く残っています。
以前もこのブログに書きましたスピーカーやアンプなどもあり、作ったまま未調整で放置しているアンプも倉庫から引き釣りだし、一部は横浜の自宅に持ち帰ることにしました。
そんな中、大量のLPレコードの処分がかなりのネックになりました。
初めて自分の小遣いでレコードを買ったのは中学一年生の時で、購入の中心がCDに移行したのは30歳のころでしたので、20年近く買いあさったわけです。
これを廃棄するとなると、ジャケットからレコードを取り出して分別ごみとして処分しなければなりません。
しかし、それなりに思い入れも強くあり、そうした即物的な廃棄はやはり無念。
そんな中、このところCDなどを購入する際に利用していたHMVがLPレコードの買取も行っていることを思い出し、申し込みました。
本人確認に現住所との突合が必要なため、対象のLPレコードを自宅に車で持ち帰り選別。
これはどうしても捨てられない!、というものをそれでも5~60枚くらい残しましたが、200枚を出すことにしました。

結構な量です。
若いころはワグナーを夢中になって聴いていたこともあり、フルトヴェングラー指揮やカルロス・クライバー指揮の「トリスタンとイゾルデ」とかショルティ指揮の「さまよえるオランダ人」、クナッパーツブッシュ指揮の「パルジファル」なども、今回処分の対象としています。
「ニーベルンゲンの指輪」も、ベーム指揮とショルティ指揮のものをそれぞれ所持していますが、こちらはさすがに残しました。それぞれ18枚組と15枚組なので、果たしてこれからレコードで聴く気になるのか定かではないのですが。
ほかにも、ヴァルヒャ演奏のJ.S.BACHオルガン曲全集(7枚組)などもあり、搬送用の箱に詰めながら、やはり胸に迫るものがありました。
買取価格がどの程度になるのか見当もつきませんが、値段はともかく、もしかすればどこかでまた再生される可能性があると考えるだけで、少し気持ちが落ち着きます。
廃棄物として捨ててしまえば、これらの名演奏レコードが顧みられる可能性は全くなくなってしまいますから。
実家のリホームについては、先日、内部の取り壊しが始まりました。
私は仕事の関係で立ち会えませんでしたが、LINEで写真が送られてきて、ある程度現状を把握することができます。
便利な世の中になりました。
因みに、私がこの年で再就職を考えたのも、このリホームが一つの要因です。
かなりまとまった資金が必要となりますから、これからのことも考えると年金収入だけに頼るわけにはいきません。
これは大きなモチベーションでした。
異常なまでに早かった梅雨明け後、雨模様の日が続き、それが治まってからは猛暑がやってくる。
なんとも厳しく高齢者には辛い気候でした。
私事になりますが、7月から新たな職場で働くことになりました。
契約終了のため3月末で退職して無職となり、その後ハロワなどで職探しに勤しみましたが、さすがに65歳を超えると難しいものがあります。
そんな中、以前の職務経験をそれなりに生かせる仕事を見つけることができ、一息ついたところです。
収入確保も重要な要件の一つですが、無職の単身世帯では当の本人に何か事故が出来した場合のリスクが極端に高くなってしまうため、それを回避する意図もありました。
考えたくはないのですが、自宅で体調不良となり、結果として落命した場合に、その事故が明らかになるのに相当な時間を要してしまいます。
その間は放置されるわけで、周りの知るところとなった時の惨状を想像するだけでも背筋が寒くなりますね。
就職して新たな職場に通うことになれば、仮にそのような事態となっても登録した緊急連絡先(私の場合は郷里に住んでいる妹)を通じてタイムリーな対処が可能となることでしょう。
ほっと一息、とは正にそんな想いからです。
さて、八ヶ岳山麓にある私の実家で一人暮らしをしている母が、今年で90歳となりました。
足腰が極端に弱くなり、手もかなり不自由になってきたことから、調理器具をガスからIHに変えたりディサービスを利用したりと、様々な対処をしてきましたが、その一環でバリアフリーを中心とした実家のリホームに着手したところです。
ほぼ全面改築といってもいいほどなので、様々な家具や荷物を整理しなければならず、母も積極的に絡みながら、妹家族の強力な手助けもあって半年近く片付けに邁進しました。
私の荷物もかなりの量に上っており、大量の書籍のほか、オーディオ関連の機材も数多く残っています。
以前もこのブログに書きましたスピーカーやアンプなどもあり、作ったまま未調整で放置しているアンプも倉庫から引き釣りだし、一部は横浜の自宅に持ち帰ることにしました。
そんな中、大量のLPレコードの処分がかなりのネックになりました。
初めて自分の小遣いでレコードを買ったのは中学一年生の時で、購入の中心がCDに移行したのは30歳のころでしたので、20年近く買いあさったわけです。
これを廃棄するとなると、ジャケットからレコードを取り出して分別ごみとして処分しなければなりません。
しかし、それなりに思い入れも強くあり、そうした即物的な廃棄はやはり無念。
そんな中、このところCDなどを購入する際に利用していたHMVがLPレコードの買取も行っていることを思い出し、申し込みました。
本人確認に現住所との突合が必要なため、対象のLPレコードを自宅に車で持ち帰り選別。
これはどうしても捨てられない!、というものをそれでも5~60枚くらい残しましたが、200枚を出すことにしました。

結構な量です。
若いころはワグナーを夢中になって聴いていたこともあり、フルトヴェングラー指揮やカルロス・クライバー指揮の「トリスタンとイゾルデ」とかショルティ指揮の「さまよえるオランダ人」、クナッパーツブッシュ指揮の「パルジファル」なども、今回処分の対象としています。
「ニーベルンゲンの指輪」も、ベーム指揮とショルティ指揮のものをそれぞれ所持していますが、こちらはさすがに残しました。それぞれ18枚組と15枚組なので、果たしてこれからレコードで聴く気になるのか定かではないのですが。
ほかにも、ヴァルヒャ演奏のJ.S.BACHオルガン曲全集(7枚組)などもあり、搬送用の箱に詰めながら、やはり胸に迫るものがありました。
買取価格がどの程度になるのか見当もつきませんが、値段はともかく、もしかすればどこかでまた再生される可能性があると考えるだけで、少し気持ちが落ち着きます。
廃棄物として捨ててしまえば、これらの名演奏レコードが顧みられる可能性は全くなくなってしまいますから。
実家のリホームについては、先日、内部の取り壊しが始まりました。
私は仕事の関係で立ち会えませんでしたが、LINEで写真が送られてきて、ある程度現状を把握することができます。
便利な世の中になりました。
因みに、私がこの年で再就職を考えたのも、このリホームが一つの要因です。
かなりまとまった資金が必要となりますから、これからのことも考えると年金収入だけに頼るわけにはいきません。
これは大きなモチベーションでした。
山の手空襲 [映画]
5月25日、77年前のこの日、太平洋戦争における最後の都心空襲となった山の手空襲がありました。
4000人余犠牲の山の手空襲から77年 小学生も参加し追悼の集い
広津和郎さんの著作「年月のあしおと」にもそれに関する記述があり、当時広津さんがお住まいになっていた世田谷四丁目までは来なかったものの、三軒茶屋は火の海になったそうです。
3月10日の東京大空襲(死者10万人以上)に比べれば少ない数かもしれませんが、焼夷弾によって焼き尽くされる恐怖は、想像するだに身の震える思いが致します。
空を悠々と飛行しながら焼夷弾を落とすB29の姿、そのうちのいくつかが高射砲などによって撃墜されることがあったそうですが、きりもみなどということはなく、大きく旋回しながら落ちていき、この世の物とは思えない印象があったとのことでした。
米軍による無差別爆撃のことを想うたびに、私は「メンフィスベル」というアメリカ映画を想起せざるを得ません。
これは、ウィリアム・ワイラー監督による同名の記録映画を劇映画化したものですが、敵地の上空を飛びながら爆弾を落とす爆撃機の恐怖と緊迫感をサスペンスフルに描いた映画です。
この映画の中で、ドイツ軍の戦闘機工場を爆撃する目的で旋回しつつ、爆撃による煙などで視界不良となっていることから、工場の付近にある病院や小学校などを爆撃しないように注意を払う、という場面があります。
病院や学校を攻撃したくはない、という、実に人道的な行動で、そのために爆撃機は危機に陥ってしまう、という筋書き。
なんというご都合主義的かつ偽善的な描き方か、と、私はこの映画を観たときに憤りを禁じえませんでした。
いうまでもなく、米軍によって行われた絨緞爆撃は、その下に病院があろうが学校があろうが全く関係なく、むしろそうした場所には多くの人々が集まっているとばかりに集中的な攻撃をしてきたのではないか。
B29による絨緞爆撃のほか、P51などによる機銃掃射によって、「動くものはすべて標的」といった攻撃にさらされた当時の日本の庶民。
私の父母もそのときの恐怖を、常々語っておりました。
私は、毎年、三月くらいから、東京大空襲、沖縄の地上戦、日本各地に広がった空襲、広島・長崎への原爆投下、などへの想いを新たにしています。
こうした悲劇を招いた原因がどこにあるのか、そして、それでも(米国は)ここまでする必要があったのか、また、どさくさに紛れたこそ泥のような行為(ソ連による北方領土侵攻など)はどうなのか、考えてみても、なかなか納得はいきません。
ただ、忘れずにいたいなと、思うばかりです。
また、もう一つ忘れてはいけないことは、この 無差別爆撃の端緒を開いたのは日本軍による重慶爆撃であったということ。
大変嫌な言い方ですが「因果応報」という冷笑を浴びる虞もなしとしません。
このブログでは、こういうことを書かないように気を付けてきましたが、山の手空襲の記事を読み、つい愚痴をこぼしてしまいました。
いけませんね。
ちょっと反省しつつアップします。
4000人余犠牲の山の手空襲から77年 小学生も参加し追悼の集い
広津和郎さんの著作「年月のあしおと」にもそれに関する記述があり、当時広津さんがお住まいになっていた世田谷四丁目までは来なかったものの、三軒茶屋は火の海になったそうです。
3月10日の東京大空襲(死者10万人以上)に比べれば少ない数かもしれませんが、焼夷弾によって焼き尽くされる恐怖は、想像するだに身の震える思いが致します。
空を悠々と飛行しながら焼夷弾を落とすB29の姿、そのうちのいくつかが高射砲などによって撃墜されることがあったそうですが、きりもみなどということはなく、大きく旋回しながら落ちていき、この世の物とは思えない印象があったとのことでした。
米軍による無差別爆撃のことを想うたびに、私は「メンフィスベル」というアメリカ映画を想起せざるを得ません。
これは、ウィリアム・ワイラー監督による同名の記録映画を劇映画化したものですが、敵地の上空を飛びながら爆弾を落とす爆撃機の恐怖と緊迫感をサスペンスフルに描いた映画です。
この映画の中で、ドイツ軍の戦闘機工場を爆撃する目的で旋回しつつ、爆撃による煙などで視界不良となっていることから、工場の付近にある病院や小学校などを爆撃しないように注意を払う、という場面があります。
病院や学校を攻撃したくはない、という、実に人道的な行動で、そのために爆撃機は危機に陥ってしまう、という筋書き。
なんというご都合主義的かつ偽善的な描き方か、と、私はこの映画を観たときに憤りを禁じえませんでした。
いうまでもなく、米軍によって行われた絨緞爆撃は、その下に病院があろうが学校があろうが全く関係なく、むしろそうした場所には多くの人々が集まっているとばかりに集中的な攻撃をしてきたのではないか。
B29による絨緞爆撃のほか、P51などによる機銃掃射によって、「動くものはすべて標的」といった攻撃にさらされた当時の日本の庶民。
私の父母もそのときの恐怖を、常々語っておりました。
私は、毎年、三月くらいから、東京大空襲、沖縄の地上戦、日本各地に広がった空襲、広島・長崎への原爆投下、などへの想いを新たにしています。
こうした悲劇を招いた原因がどこにあるのか、そして、それでも(米国は)ここまでする必要があったのか、また、どさくさに紛れたこそ泥のような行為(ソ連による北方領土侵攻など)はどうなのか、考えてみても、なかなか納得はいきません。
ただ、忘れずにいたいなと、思うばかりです。
また、もう一つ忘れてはいけないことは、この 無差別爆撃の端緒を開いたのは日本軍による重慶爆撃であったということ。
大変嫌な言い方ですが「因果応報」という冷笑を浴びる虞もなしとしません。
このブログでは、こういうことを書かないように気を付けてきましたが、山の手空襲の記事を読み、つい愚痴をこぼしてしまいました。
いけませんね。
ちょっと反省しつつアップします。
BS松竹東急 [映画]
今年のGWはお天気に恵まれ、新型コロナウィルス感染防止のための行動制限も解除されたことから、行楽地を中心に大変な人出となりました。
ニュースなどでは各地の高速道路の連日の大渋滞を繰り返し伝えておりました。
恥ずかしいことですがちょっと転倒して怪我をしたこともあって、連休は大人しく家で養生中です。
怪我をしたのが2日の晩でしたので、三連休中は病院にも行けず、6日に診察してもらったところ、残念なことに肋骨骨折との診断。
現役で山登りをしていた時には、結構この手の怪我はしていたので、恐らくやっちゃったんだろうなと思ってはいましたが、やはり無念でした。
尤も、私はこの三月末で、それまで勤務していた会社の雇用契約が終了し、現在ハロワに通う失業者となっておりますから、そもそも連休など何の関係もなかったのですが。
三月末に、衛星放送で「BS松竹東急」が開局されました。
松竹映画の名作などが放映され、私のようなオールド映画ファンにとっては大変うれしいチャンネルです。
このところテレビではほとんど放映されなくなった、野村芳太郎監督の「張込み」や山田洋二監督の「霧の旗」などが立て続けにラインナップされ、久しぶりに胸をときめかせながら観ました。


今年が没後三十年ということもあってか松本清張特集も組まれており、「張込み」や「霧の旗」に引き続き「わるいやつら」や「疑惑」も放映。
面白く観たところです。
「わるいやつら」は、片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)・藤田まこと・緒形拳・佐分利信といった実力派俳優を綺羅星のごとく集めた映画ですが、細部が詰め切れておらず散漫な印象が強く残る、野村芳太郎監督としては凡作の一つなのではないかとの感想をあらがえません。
それはともかく、片岡孝夫演ずる戸谷信一の情婦・寺島トヨの役を宮下順子が演じており、ちょっと時代を感じました。
宮下順子と云えば、私たちにとってはロマンポルノの女王としてゆるぎない地位を築いた類まれなる女優の一人です。
団地妻シリーズが有名ですが、私は、神代辰巳監督の「赫い髪の女」と田中登監督の「実録阿部定」がお気に入り。
何れも、ロマンポルノの枠組みを軽々と超越した名作だと思っています。
ご興味のある向きは是非とも一度ご鑑賞ください。


さて、医院を経営する戸谷信一は次から次へと女を誑し込んで金を巻き上げる悪徳医師であり、それ故にそうした女性たちとの情交のシーンが数多く出てきます。
その医院の看護師長であり情婦でもある寺島トヨとの間でももちろんそうした濃厚なシーンが展開されます。
そうした濡れ場のシーンで、宮下順子の裸の胸部がぼかされていました。
それ以前の、ナイトクラブのシーンで裸で踊る外人女性の胸部も同じくぼかされていましたので、あれ?と思ったのですが、私が映画館でこの映画を観た時にはそのような処置はされていなかったと記憶します。
なるほど、これは「BS松竹東急」の見識なのでしょう。
放送時間帯が20時前から、ということを鑑みれば、子供たちが観ることも当然ありうることですから。
この映画作品の性格上、情交シーンは不可欠なのでしょうが、そうしたシーンで女性の裸の胸部をさらけ出さなければならない必然性は果たしてあるのか。
先に取り上げたドライブ・マイ・カーでは、妻がニンフォマニアであるのかもしれないという疑いを視覚的に表す必要もあってそうしたシーンも登場しますが、裸体ではありつつも非常に抑制的だったと私は感じています。
ロマンポルノのように、それが基本的かつ重要な制作条件で一つの売り物となっている場合はいざ知らず、それが主たる目的ではない映画で、徒に女性が裸の胸部などあられもない姿を画面にさらす必要が果たしてあるのか。
溝口健二の「祇園囃子」という映画があります。
木暮実千代演ずる芸妓の美代春が、若尾文子演ずる舞妓の栄子(美代栄)を救うために、贔屓先企業の事業認可担当である役所の神崎課長に(それまで拒み続けてきた)身をゆだねるシーン。
神崎の寝ている寝室の隣部屋で着物を脱ぎ襦袢姿となった美代春は、そっと足袋を脱ぎます。
それだけのしぐさで全てを表した溝口監督の演出力に感嘆したことをふと思い返しました。
たまたま手元にその映画があったので改めて見返しましたが、今観ても切なさと哀れさのほかになんとも云えない艶を感じたものです。
意に沿わない相手の男に抱かれる理不尽さは、想像するに余りありますね。

そう、別に即物的な映像を見せつけられなくても、観客は流れの中でそうした行為も感じ取るものなのでしょう。
もちろん、女性にしても男性にしても、一糸まとわぬ姿にならなければ表現の核心に迫れない作品もあることは私も認めます。
しかし、そうした必然的な理由がないのであれば、表現者はもう少し観客の想像力を信ずるべきだとも思います。
因みに、「わるいやつら」の中での宮下順子以外の女優さんは、情交シーンでも彼女ほど「サービス(?)」はしておりません。
女優さんと監督の判断の問題なのでしょうが、そのあたりの差異を論ずるのは、これまたなかなかやっかいなものがありそうですね。
映画というものは一種のエンターテインメントですから、観客の興味を引くためにエロ・グロ・バイオレンスをふんだんに盛り込むという行き方も当然にあります。
ハリウッドなどでもそういう映画はたくさんありますし、もちろん邦画でも。
従って、最初からそれを当て込んだ映画製作も当然あってしかるべきでしょうし、そういう映画が大好きだという観客が存在する以上、商業映画としてはそれを無視するわけにはいきません。
ただ、映画というものを一つの表現芸術だと考えた場合、そうしたある意味あからさまな表現を用いることの必然性、そのことによって表現したいもっと奥深いものを観客に訴えかけるという目的、そうした表現者としての確固たる視点も求められるように思います(先にあげたロマンポルノの作品には、そうした視点がありました)。
「観客もそういうシーンを求めているから」というところに安直に寄りかかって映画作りをする、そういう姿勢がもしもあるとするのであれば、それは表現者として一種の限界に至っているのではないか。
私はそのように考えてしまいます。
もちろんこれは私の大いなる偏見ではありますが。
妄言多謝。
ニュースなどでは各地の高速道路の連日の大渋滞を繰り返し伝えておりました。
恥ずかしいことですがちょっと転倒して怪我をしたこともあって、連休は大人しく家で養生中です。
怪我をしたのが2日の晩でしたので、三連休中は病院にも行けず、6日に診察してもらったところ、残念なことに肋骨骨折との診断。
現役で山登りをしていた時には、結構この手の怪我はしていたので、恐らくやっちゃったんだろうなと思ってはいましたが、やはり無念でした。
尤も、私はこの三月末で、それまで勤務していた会社の雇用契約が終了し、現在ハロワに通う失業者となっておりますから、そもそも連休など何の関係もなかったのですが。
三月末に、衛星放送で「BS松竹東急」が開局されました。
松竹映画の名作などが放映され、私のようなオールド映画ファンにとっては大変うれしいチャンネルです。
このところテレビではほとんど放映されなくなった、野村芳太郎監督の「張込み」や山田洋二監督の「霧の旗」などが立て続けにラインナップされ、久しぶりに胸をときめかせながら観ました。


今年が没後三十年ということもあってか松本清張特集も組まれており、「張込み」や「霧の旗」に引き続き「わるいやつら」や「疑惑」も放映。
面白く観たところです。
「わるいやつら」は、片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)・藤田まこと・緒形拳・佐分利信といった実力派俳優を綺羅星のごとく集めた映画ですが、細部が詰め切れておらず散漫な印象が強く残る、野村芳太郎監督としては凡作の一つなのではないかとの感想をあらがえません。
それはともかく、片岡孝夫演ずる戸谷信一の情婦・寺島トヨの役を宮下順子が演じており、ちょっと時代を感じました。
宮下順子と云えば、私たちにとってはロマンポルノの女王としてゆるぎない地位を築いた類まれなる女優の一人です。
団地妻シリーズが有名ですが、私は、神代辰巳監督の「赫い髪の女」と田中登監督の「実録阿部定」がお気に入り。
何れも、ロマンポルノの枠組みを軽々と超越した名作だと思っています。
ご興味のある向きは是非とも一度ご鑑賞ください。


さて、医院を経営する戸谷信一は次から次へと女を誑し込んで金を巻き上げる悪徳医師であり、それ故にそうした女性たちとの情交のシーンが数多く出てきます。
その医院の看護師長であり情婦でもある寺島トヨとの間でももちろんそうした濃厚なシーンが展開されます。
そうした濡れ場のシーンで、宮下順子の裸の胸部がぼかされていました。
それ以前の、ナイトクラブのシーンで裸で踊る外人女性の胸部も同じくぼかされていましたので、あれ?と思ったのですが、私が映画館でこの映画を観た時にはそのような処置はされていなかったと記憶します。
なるほど、これは「BS松竹東急」の見識なのでしょう。
放送時間帯が20時前から、ということを鑑みれば、子供たちが観ることも当然ありうることですから。
この映画作品の性格上、情交シーンは不可欠なのでしょうが、そうしたシーンで女性の裸の胸部をさらけ出さなければならない必然性は果たしてあるのか。
先に取り上げたドライブ・マイ・カーでは、妻がニンフォマニアであるのかもしれないという疑いを視覚的に表す必要もあってそうしたシーンも登場しますが、裸体ではありつつも非常に抑制的だったと私は感じています。
ロマンポルノのように、それが基本的かつ重要な制作条件で一つの売り物となっている場合はいざ知らず、それが主たる目的ではない映画で、徒に女性が裸の胸部などあられもない姿を画面にさらす必要が果たしてあるのか。
溝口健二の「祇園囃子」という映画があります。
木暮実千代演ずる芸妓の美代春が、若尾文子演ずる舞妓の栄子(美代栄)を救うために、贔屓先企業の事業認可担当である役所の神崎課長に(それまで拒み続けてきた)身をゆだねるシーン。
神崎の寝ている寝室の隣部屋で着物を脱ぎ襦袢姿となった美代春は、そっと足袋を脱ぎます。
それだけのしぐさで全てを表した溝口監督の演出力に感嘆したことをふと思い返しました。
たまたま手元にその映画があったので改めて見返しましたが、今観ても切なさと哀れさのほかになんとも云えない艶を感じたものです。
意に沿わない相手の男に抱かれる理不尽さは、想像するに余りありますね。

そう、別に即物的な映像を見せつけられなくても、観客は流れの中でそうした行為も感じ取るものなのでしょう。
もちろん、女性にしても男性にしても、一糸まとわぬ姿にならなければ表現の核心に迫れない作品もあることは私も認めます。
しかし、そうした必然的な理由がないのであれば、表現者はもう少し観客の想像力を信ずるべきだとも思います。
因みに、「わるいやつら」の中での宮下順子以外の女優さんは、情交シーンでも彼女ほど「サービス(?)」はしておりません。
女優さんと監督の判断の問題なのでしょうが、そのあたりの差異を論ずるのは、これまたなかなかやっかいなものがありそうですね。
映画というものは一種のエンターテインメントですから、観客の興味を引くためにエロ・グロ・バイオレンスをふんだんに盛り込むという行き方も当然にあります。
ハリウッドなどでもそういう映画はたくさんありますし、もちろん邦画でも。
従って、最初からそれを当て込んだ映画製作も当然あってしかるべきでしょうし、そういう映画が大好きだという観客が存在する以上、商業映画としてはそれを無視するわけにはいきません。
ただ、映画というものを一つの表現芸術だと考えた場合、そうしたある意味あからさまな表現を用いることの必然性、そのことによって表現したいもっと奥深いものを観客に訴えかけるという目的、そうした表現者としての確固たる視点も求められるように思います(先にあげたロマンポルノの作品には、そうした視点がありました)。
「観客もそういうシーンを求めているから」というところに安直に寄りかかって映画作りをする、そういう姿勢がもしもあるとするのであれば、それは表現者として一種の限界に至っているのではないか。
私はそのように考えてしまいます。
もちろんこれは私の大いなる偏見ではありますが。
妄言多謝。
映画界の性加害問題 [映画]
四月という時期にもよるのでしょうか、このところ天候が安定せず、気温の変化も大きくなっています。
どうも体調を崩しがちで、先日も大腸憩室炎が再発してしまい、早めに対処したので抗生物質の投薬だけで治りましたが、念のため大腸内視鏡検査を受けることにしています。
やはり年齢を重ねるとともに、あちこち体にガタが来てしまうようですね。
適切なメンテナンスが必要だなと、改めて痛感しているところです。
映画界の性加害に関し、地獄の釜の蓋が開いたような状況になっています。
水原希子が告白、新たに女優3人も告発…映画界の性加害者たちに共通する「悪辣手口」
この問題に関していえば、2007年に米国の性暴力被害者支援の草の根活動のスローガンとして提唱された「Me Too」運動が思い起こされます。
2017年、ハリウッドで「大物プロデューサーによる性加害」が被害女優によって告発された際、この運動が爆発的な広がりを見せたことは記憶に新しいところです。
もちろん日本でも例外ではなく、様々な局面や媒体で隠然と語られてきた話でしたから、恐らく早晩そうした問題が明るみ出ることだろうと思っておりました。
一世を風靡した女優の有馬稲子さんが、その著作の中である映画監督との不倫・堕胎で苦しんだことを告白しており、「あれほどの女優さんでも…」と慨嘆したことを思い起こします。
これに対して、是枝裕和監督を中心とした6名の映画監督有志が声明文を発表しました。
是枝裕和監督、俳優演出に関し持論つづる 背景には反対声明を出した映画監督ハラスメント問題
全く仰る通りと思いますし、これが当の監督さんたちの集まりの中から発せられたことは大変有意義なことだと思います。
完全な形で改善されていくのかどうかはかなり難しいものと思われますが、恐らくこれからもこうした声は続々と上がってくることでしょう。
脛に傷を持つ人たちは、もしかすると戦々恐々としているのかもしません。
ところで、私はこのことに関して、個人的にある疑問を感じています。
映画監督は、いわば己の表現世界を映像と音響のもとに具現化させることを目指すアーティストなのであり、そのためにはその作品に関し、そのすべてを俯瞰し透徹した目で精査することが求められているのではないかと考えます。
それにもかかわらず、もしも仮に、その中の特定の演技者に肩入れするようなことがあれば、その段階で表現者としては失格なのではないか。
これに関し、私は次のような森谷司郎監督(故人)の言葉を思い起こします。
そのため、森谷監督は「今までのカットは全部リテークする。これは自分のミスだ」とみんなに頭を下げて全カットを撮り直しました。
新人監督ではありましたが、それまで黒澤明監督の下でチーフ助監督を務めるなどの実績を積んできていたわけで、周りからの反発や冷笑を一斉に浴びることになったそうです。
それでも「なんでもいい、もう一回やらせてくれ」と言ったことで、その後が変わったとのこと。
森谷監督の言葉にもあるように、一つの作品の制作に取り組んでいる時の監督の立場は非常に厳しいものが要求され、俳優はもとより、スタッフ全般、ロケ地の天候など、様々な事象に対して細心の注意を払わなければなりません。
特定の俳優にちょっかいを出して、それで作品をまともなものに仕上げることなど、果たしてできるのでしょうか。
現在告発されている監督たちは、ある方面ではそれなりの評価をされているようですが、実は私はいずれも未見です。
そして、この問題が起きたことから、さらに彼らの作品を観たいという気持ちが失せました。
これはあくまでも独断と偏見による思い込みではありますが、恐らくそこにはかなり粗雑なものを感ずることになると思われますので。
なお、こうした性加害に関することは、啻に映画界のみならず、音楽でも演劇でも絵画でもスポーツでも起きています。
それらについて書き始めると際限がなくなりますので、今回はここで収めたいと思います。
いずれにしても、指導・監督するなどの絶対的な立場にいる人間が、それを受ける立場の人に対して強権的にふるまう。
そうしたことが当然のように繰り返されていることに、私たちは問題意識を持ちきちんと目を向けねばならないと考えます。
どうも体調を崩しがちで、先日も大腸憩室炎が再発してしまい、早めに対処したので抗生物質の投薬だけで治りましたが、念のため大腸内視鏡検査を受けることにしています。
やはり年齢を重ねるとともに、あちこち体にガタが来てしまうようですね。
適切なメンテナンスが必要だなと、改めて痛感しているところです。
映画界の性加害に関し、地獄の釜の蓋が開いたような状況になっています。
水原希子が告白、新たに女優3人も告発…映画界の性加害者たちに共通する「悪辣手口」
この問題に関していえば、2007年に米国の性暴力被害者支援の草の根活動のスローガンとして提唱された「Me Too」運動が思い起こされます。
2017年、ハリウッドで「大物プロデューサーによる性加害」が被害女優によって告発された際、この運動が爆発的な広がりを見せたことは記憶に新しいところです。
もちろん日本でも例外ではなく、様々な局面や媒体で隠然と語られてきた話でしたから、恐らく早晩そうした問題が明るみ出ることだろうと思っておりました。
一世を風靡した女優の有馬稲子さんが、その著作の中である映画監督との不倫・堕胎で苦しんだことを告白しており、「あれほどの女優さんでも…」と慨嘆したことを思い起こします。
これに対して、是枝裕和監督を中心とした6名の映画監督有志が声明文を発表しました。
是枝裕和監督、俳優演出に関し持論つづる 背景には反対声明を出した映画監督ハラスメント問題
「特に映画監督は個々の能力や性格に関わらず、他者を演出するという性質上、そこには潜在的な暴力性を孕み、強い権力を背景にした加害を容易に可能にする立場にあることを強く自覚しなくてはなりません。だからこそ、映画監督はその暴力性を常に意識し、俳優やスタッフに対し最大限の配慮をし、抑制しなくてはならず、その地位を濫用し、他者を不当にコントロールすべきではありません。ましてや性加害は断じてあってはならないことです」
全く仰る通りと思いますし、これが当の監督さんたちの集まりの中から発せられたことは大変有意義なことだと思います。
完全な形で改善されていくのかどうかはかなり難しいものと思われますが、恐らくこれからもこうした声は続々と上がってくることでしょう。
脛に傷を持つ人たちは、もしかすると戦々恐々としているのかもしません。
ところで、私はこのことに関して、個人的にある疑問を感じています。
映画監督は、いわば己の表現世界を映像と音響のもとに具現化させることを目指すアーティストなのであり、そのためにはその作品に関し、そのすべてを俯瞰し透徹した目で精査することが求められているのではないかと考えます。
それにもかかわらず、もしも仮に、その中の特定の演技者に肩入れするようなことがあれば、その段階で表現者としては失格なのではないか。
これに関し、私は次のような森谷司郎監督(故人)の言葉を思い起こします。
(監督デビュー作である「ゼロ・ファイター/大空中戦」を撮影していたとき)八丈島でロケーションをしたんだけれど、その中に、加山雄三の隊長が、飛行機で基地に飛んでくるのを、八人の航空隊員が待っている、というシーンがあった。
──中略──
その八カット目を撮っていたときに、撮っているぼくには、そのシーンに出てる人間八人の内の一人しか、見えなくなってしまったのね。「こりゃ、いかん」と思いましたね。つまり監督というのは、ある画面の中に八人の人間が入っているとしたら、その八人の総体を見てなきゃ、いけないわけだよね。
そのため、森谷監督は「今までのカットは全部リテークする。これは自分のミスだ」とみんなに頭を下げて全カットを撮り直しました。
新人監督ではありましたが、それまで黒澤明監督の下でチーフ助監督を務めるなどの実績を積んできていたわけで、周りからの反発や冷笑を一斉に浴びることになったそうです。
それでも「なんでもいい、もう一回やらせてくれ」と言ったことで、その後が変わったとのこと。
もし、あの時、そのまま撮り進んでいたら、その後のぼくの映画作りは、かなり駄目だったんじゃないか、というね、気持はあるな。
(出典:白井佳夫著「監督の椅子」)
森谷監督の言葉にもあるように、一つの作品の制作に取り組んでいる時の監督の立場は非常に厳しいものが要求され、俳優はもとより、スタッフ全般、ロケ地の天候など、様々な事象に対して細心の注意を払わなければなりません。
特定の俳優にちょっかいを出して、それで作品をまともなものに仕上げることなど、果たしてできるのでしょうか。
現在告発されている監督たちは、ある方面ではそれなりの評価をされているようですが、実は私はいずれも未見です。
そして、この問題が起きたことから、さらに彼らの作品を観たいという気持ちが失せました。
これはあくまでも独断と偏見による思い込みではありますが、恐らくそこにはかなり粗雑なものを感ずることになると思われますので。
なお、こうした性加害に関することは、啻に映画界のみならず、音楽でも演劇でも絵画でもスポーツでも起きています。
それらについて書き始めると際限がなくなりますので、今回はここで収めたいと思います。
いずれにしても、指導・監督するなどの絶対的な立場にいる人間が、それを受ける立場の人に対して強権的にふるまう。
そうしたことが当然のように繰り返されていることに、私たちは問題意識を持ちきちんと目を向けねばならないと考えます。
ドライブ・マイ・カー [映画]
ソメイヨシノが満開となり、散り始めています。
今シーズンの寒さは格別でしたが、寒波が収まってからは急速に気温が上がり、開花はむしろ早まったくらいという気がしますね。
濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が、カンヌ国際映画祭の脚本賞・国際映画批評家連盟賞、ゴールデングローブ賞の非英語映画賞などの受賞に続いて、アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞しました。

先日、ウォーキングのついでにツタヤに立ち寄ったところ(シン・エヴァンゲリオンリピートがDVD化されていないかな、と思って)、この映画のDVDがリリースされていたので、早速借りてきて鑑賞。
大変評判になっている映画でしたので、胸を躍らせながら観たのですが、予想にたがわぬ素晴らしい作品でした。
「サーブ900ターボ」が重要なアイテムになっていることから、一種のロードムービーということもいえましょうが、その意味からすれば、人の深層心理をたどる旅、という点にこそ着目すべきと感じます。
チェーホフの「ワーニャ伯父さん」の舞台演出が物語の中心に据えられ、その劇中劇における「そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。」というソーニャのセリフ(この映画では手話)に収斂されていく。
悲しみや苦しみや辛い想いを心の中に押しとどめて生きていこうとする人々が、最後にその桎梏から解放されることによって大きく深い癒しと魂の救済に到達する。
非常に壮大な魂の旅路を描いた映画だと、私は感じました。
西島秀俊が演ずる家福悠介の心の痛みや苦しみ。
それは共に深く愛し合っていると信じていた妻がほかの男と激しく抱き合っている姿を偶然見てしまったことから始まります(妻は夫にその様子を見られたことに気づいていないと思われる)。
悠介は深く傷つきますが、それを妻に話すことはできない。なぜなら、それをすれば二人のこれまでの「幸せで満ち足りた」関係を壊すことにつながるから。
つまりこれは現実逃避であり、カタストロフを見たくない気持ちから出ているのでしょう。
ある日、妻が改まった口調で「あなたの帰宅後に話す時間をとってほしい」と夫に告げます。
夫はその言葉に怯えたかのように深夜に帰宅すると、妻はくも膜下出血で倒れておりそのまま帰らぬ人となりました。
その妻と深い関係にあった一人ではないかと悠介が疑っている高槻耕史(岡田将生が好演)が狂言回しのような役どころで、悠介の知らなかった妻の想いの一部分を彼に語ります(サーブ900ターボの車内でのことですから運転手の渡利みさきも聞いている)。
悠介は、自分の全く知らない妻の中にある深い闇にたじろぎ、さらなる深淵に叩き込まれる。
高槻はそんな悠介を見据えながら、それでも皆を取り巻くこの世界は表面上まったく変りなく平穏に過ぎていくように見える、しかし、内面は既に禍々しい何かに代わってしまっている、と語ります。
一方、サーブ900ターボの運転手である渡利みさき(三浦透子がこれまた好演)にも、胸に秘めた暗い過去があり、悠介とともに向かう彼女の郷里への車中旅の中でそれも明かされます。
こうしたテーマが進展していく中で、多国籍の俳優による「ワーニャ伯父さん」の公演に向けたやり取りが挟まれ、それが不思議な連携をしつつラストに向かいます。
感動したところがあまりに多く、ネタバレにつながってしまう虞が大きいため、内容についてはこの程度で止めておきましょう。
いずれにしても、非常に優れた脚本であり、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞しアカデミー賞でもそれにノミネートされた理由は誠に納得のいくものでした。
それから、映像、特に色彩の美しさには目を奪われます。
悠介の愛車「サーブ900ターボ」は赤で、これに対比させる色の使い方が素晴らしい。
接触事故を起こしたときの相手の車は紺色で、その二台を真上から撮っているシーンは配置も含めてハッとさせられるほど美しいものでした。
トンネルの内部は、私も時折運転するたびに、ああ、美しいな、と感ずることがあるのですが、このトンネルを車で走り抜けるシーンの美しさも印象に残ります。
そして、倒壊したみさきの実家の残骸を前に佇んで抱擁する二人を包み込むように、それまで冬の曇天だった空から陽射しが舞い降りてあたりを柔らかな黄金色に変えていくシーン、停車していたサーブも同じように光に包まれていく、ここは正に息を飲むような美しさです。
さらに、音楽も含めた音響効果も特筆すべき高いレベルにありました。
特に音楽の用い方は非常に抑制的で、それ故に効果も抜群です。
また、例えばモーツァルトのロンド・ニ長調やベートーヴェンの弦楽四重奏曲などの用いられ方にも見られるように、大変細やかな音響設定がなされています。
今の日本でも、このように丁寧に作られる映画があり、それがきちんと評価されていること。
そのことに満腔の喜びを感じております。
細部にわたっても大変丁寧に作られており、例えば、みさきの郷里である北海道の積雪を考慮して、途中のコメリで長靴を買ったり、車で通過したところに花を売る産地あったのに気付いてバックし、花束を買う、などという細かな描写もきちんとインサートされています。
このブログでも再三再四書いてきたことですが、私は、人が百人いれば百の思想があり百の偏見がある、と思っています。
つまり、人の数だけその人にとっての真実があるわけであり、他の人がそれの全てを知ることは完全なる不可能事。良くて一部に同調するとか理解はできる部分がある、というところが関の山でしょう。
それどころか、自分の深層心理さえも、状況によっては自分自身で把握することが難しいのではないか。
この映画の中では、解離性同一性障害を暗示する部分があります(みさきの母もそうであった可能性が高い)。
妻の「不貞」を許すことができずにそれによる苦しみに呻吟する悠介にみさきが問いかけます。
夫を深く愛している奥さんも、夫の他に男を求めてやまない奥さんも、両方とも奥さんなのであり、奥さんとしてはそこに何らの嘘も矛盾もない、そういう人だったということを認めてあげることはできないのですか、と。
これにはさすがにうならされました。
悠介は妻一筋で、妻だけを深く愛しており、他の女の人と関係をもつなどということは考えられなかったわけですが、恐らく知らず知らずのうちにそれを妻にまで求めていた、ということなのでしょう。
そのことで彼は深く傷つき苦しんだ。
その気持ちを正直に妻にぶつけるべきだった。
それによって寛解できるわだかまりもあったのかもしれない、ということなのかもしれません。
深く感動しつつも、やはり考え込んでしまいました。
もしも自分だったどうだろうか、そう問いかけることも含めて、この映画は様々なことを考えさせてくれます。
観返せば観返すほどに、また新たな想いが沸き起こる。
久々に接した、そういう映画であったことをうれしく思っています。
今シーズンの寒さは格別でしたが、寒波が収まってからは急速に気温が上がり、開花はむしろ早まったくらいという気がしますね。
濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が、カンヌ国際映画祭の脚本賞・国際映画批評家連盟賞、ゴールデングローブ賞の非英語映画賞などの受賞に続いて、アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞しました。

先日、ウォーキングのついでにツタヤに立ち寄ったところ(シン・エヴァンゲリオンリピートがDVD化されていないかな、と思って)、この映画のDVDがリリースされていたので、早速借りてきて鑑賞。
大変評判になっている映画でしたので、胸を躍らせながら観たのですが、予想にたがわぬ素晴らしい作品でした。
「サーブ900ターボ」が重要なアイテムになっていることから、一種のロードムービーということもいえましょうが、その意味からすれば、人の深層心理をたどる旅、という点にこそ着目すべきと感じます。
チェーホフの「ワーニャ伯父さん」の舞台演出が物語の中心に据えられ、その劇中劇における「そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。」というソーニャのセリフ(この映画では手話)に収斂されていく。
悲しみや苦しみや辛い想いを心の中に押しとどめて生きていこうとする人々が、最後にその桎梏から解放されることによって大きく深い癒しと魂の救済に到達する。
非常に壮大な魂の旅路を描いた映画だと、私は感じました。
西島秀俊が演ずる家福悠介の心の痛みや苦しみ。
それは共に深く愛し合っていると信じていた妻がほかの男と激しく抱き合っている姿を偶然見てしまったことから始まります(妻は夫にその様子を見られたことに気づいていないと思われる)。
悠介は深く傷つきますが、それを妻に話すことはできない。なぜなら、それをすれば二人のこれまでの「幸せで満ち足りた」関係を壊すことにつながるから。
つまりこれは現実逃避であり、カタストロフを見たくない気持ちから出ているのでしょう。
ある日、妻が改まった口調で「あなたの帰宅後に話す時間をとってほしい」と夫に告げます。
夫はその言葉に怯えたかのように深夜に帰宅すると、妻はくも膜下出血で倒れておりそのまま帰らぬ人となりました。
その妻と深い関係にあった一人ではないかと悠介が疑っている高槻耕史(岡田将生が好演)が狂言回しのような役どころで、悠介の知らなかった妻の想いの一部分を彼に語ります(サーブ900ターボの車内でのことですから運転手の渡利みさきも聞いている)。
悠介は、自分の全く知らない妻の中にある深い闇にたじろぎ、さらなる深淵に叩き込まれる。
高槻はそんな悠介を見据えながら、それでも皆を取り巻くこの世界は表面上まったく変りなく平穏に過ぎていくように見える、しかし、内面は既に禍々しい何かに代わってしまっている、と語ります。
一方、サーブ900ターボの運転手である渡利みさき(三浦透子がこれまた好演)にも、胸に秘めた暗い過去があり、悠介とともに向かう彼女の郷里への車中旅の中でそれも明かされます。
こうしたテーマが進展していく中で、多国籍の俳優による「ワーニャ伯父さん」の公演に向けたやり取りが挟まれ、それが不思議な連携をしつつラストに向かいます。
感動したところがあまりに多く、ネタバレにつながってしまう虞が大きいため、内容についてはこの程度で止めておきましょう。
いずれにしても、非常に優れた脚本であり、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞しアカデミー賞でもそれにノミネートされた理由は誠に納得のいくものでした。
それから、映像、特に色彩の美しさには目を奪われます。
悠介の愛車「サーブ900ターボ」は赤で、これに対比させる色の使い方が素晴らしい。
接触事故を起こしたときの相手の車は紺色で、その二台を真上から撮っているシーンは配置も含めてハッとさせられるほど美しいものでした。
トンネルの内部は、私も時折運転するたびに、ああ、美しいな、と感ずることがあるのですが、このトンネルを車で走り抜けるシーンの美しさも印象に残ります。
そして、倒壊したみさきの実家の残骸を前に佇んで抱擁する二人を包み込むように、それまで冬の曇天だった空から陽射しが舞い降りてあたりを柔らかな黄金色に変えていくシーン、停車していたサーブも同じように光に包まれていく、ここは正に息を飲むような美しさです。
さらに、音楽も含めた音響効果も特筆すべき高いレベルにありました。
特に音楽の用い方は非常に抑制的で、それ故に効果も抜群です。
また、例えばモーツァルトのロンド・ニ長調やベートーヴェンの弦楽四重奏曲などの用いられ方にも見られるように、大変細やかな音響設定がなされています。
今の日本でも、このように丁寧に作られる映画があり、それがきちんと評価されていること。
そのことに満腔の喜びを感じております。
細部にわたっても大変丁寧に作られており、例えば、みさきの郷里である北海道の積雪を考慮して、途中のコメリで長靴を買ったり、車で通過したところに花を売る産地あったのに気付いてバックし、花束を買う、などという細かな描写もきちんとインサートされています。
このブログでも再三再四書いてきたことですが、私は、人が百人いれば百の思想があり百の偏見がある、と思っています。
つまり、人の数だけその人にとっての真実があるわけであり、他の人がそれの全てを知ることは完全なる不可能事。良くて一部に同調するとか理解はできる部分がある、というところが関の山でしょう。
それどころか、自分の深層心理さえも、状況によっては自分自身で把握することが難しいのではないか。
この映画の中では、解離性同一性障害を暗示する部分があります(みさきの母もそうであった可能性が高い)。
妻の「不貞」を許すことができずにそれによる苦しみに呻吟する悠介にみさきが問いかけます。
夫を深く愛している奥さんも、夫の他に男を求めてやまない奥さんも、両方とも奥さんなのであり、奥さんとしてはそこに何らの嘘も矛盾もない、そういう人だったということを認めてあげることはできないのですか、と。
これにはさすがにうならされました。
悠介は妻一筋で、妻だけを深く愛しており、他の女の人と関係をもつなどということは考えられなかったわけですが、恐らく知らず知らずのうちにそれを妻にまで求めていた、ということなのでしょう。
そのことで彼は深く傷つき苦しんだ。
その気持ちを正直に妻にぶつけるべきだった。
それによって寛解できるわだかまりもあったのかもしれない、ということなのかもしれません。
深く感動しつつも、やはり考え込んでしまいました。
もしも自分だったどうだろうか、そう問いかけることも含めて、この映画は様々なことを考えさせてくれます。
観返せば観返すほどに、また新たな想いが沸き起こる。
久々に接した、そういう映画であったことをうれしく思っています。
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