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ユニットバスのバスタブの汚れ落とし [日記]

不安定なお天気が続きます。
朝のうち晴れていても、急に黒雲が張り出してきて雷雨が襲来。
洗濯はもちろん布団干しも油断ならない状況です。

とはいえ、線状降水帯の影響で大きな被害が出ている各地のことを思えば、こんな能天気なことを言っている場合ではありませんね。
下手に山を弄ると、それまで保たれてきたバランスが崩れ土砂災害発生の誘因になります。
そのことはこれまでにもずいぶん言われてきたと思うのですが、行政の対応はいつも後手に回っているような気がして仕方がありません。
予算や定員に限りがあることはわかるのですが、住民本位の行政を執行してもらいたいと強く感じます。

ところで先日、バスタブの汚れを車用のコンパウンドで落としてみる、ということを試行してみたと書きましたが、とりあえず一段落となりましたので結果を追記します。

これが汚れていたときのバスタブの縁。
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これが試行後です。
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汚れはかなり頑固で、場所によってはコンパウンドでは歯が立ちませんでした。

そこで、これはかなり乱暴なやり方だとは思うのですが、目の細かい紙やすりを水に湿らせて撫でるように汚れを削り、その後、コンパウンドで磨いたところです。

ある意味では荒療治になってしまったので、今後どのような影響が出るのかわかりませんが、しばらく様子を見て大丈夫そうであれば、そのほかの気になる箇所もやってみようと思います。

ただ、これはかなりの体力勝負で、今のような蒸し暑い季節に行うと、(風呂はある意味密室ですから)汗だくになってしまいます。
そこまでするのか?、というところが分かれ道かもしれませんね。
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ミニトマトが色づき始めました。 [日記]

連日の雨で、鬱陶しいばかりでなく、土砂崩れなどによる大きな災害が出ております。
このところ、梅雨の時期に大量の雨が降る傾向が強く、これに台風の影響まで来た日には、正に踏んだり蹴ったりという感じです。
自然災害ゆえにどうしようもない、という考え方もありましょうが、やはり気候変動による影響も大きそうな気がしてなりません。
もしも、産業革命以降の人間の営みがそれを加速しているとするのであれば、人間も自然の一部であることを顧みて、これからの生き方を考えてみるべきではないでしょうか。

ベランダのミニトマトが予想以上に大きく育ち、ようやく色づき始めました。
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花や実もかなりの数がついているので、今年の夏は楽しみが増えそうです。
なお、この初物は、鳥や虫などに食べられてしまっては残念ですので、さっそく収穫しました。

私が現在の住居(マンション)に移ってから、もうすぐ21年となります。
幸い管理組合がしっかりしているため、長い年月が経っている割には大きな不具合もありません。
ただ、経年劣化の影響を受けるところももちろん多くあり、私の自宅でも、ガスコンロや給湯システムなどは入れ替えておりますし、網戸などももう二回張り替えています。

そんな中、ユニットバスのバスタブの手すりなどの汚れが目立ってきました。
ひび割れなどといった深刻な不具合はないのですが、おそらくカビ由来なのでしょう、角になっている部分が黒く薄汚れ、いつしか洗剤などでは落ちなくなっていました。
業者に頼むと、全体を削って再塗装するという作業となるため、かなりの金額がかかりますし、何よりもその間、風呂に入れなくなるのがつらいところです。
ネットで検索すると、自分で溶剤や塗料などを購入し、研磨して補修する方法なども載っていましたが、私の場合は手すりの一部なのであり、それほど大掛かりな対応が必要なのか、やはり疑問も残ります。

どうせ風呂に入るのは私一人なのだし、まあ我慢すればいいだけかな、と思っておりました。

そんな折、考えてみればバスタブもFRPであるわけで、もしかすると車用の研磨・ワックス剤で対応できるのではないかと、物は試しでやってみることに。

ということで、風呂を洗った際にこれを実行してみたところ、かなりの磨きこみなどで頑張らなくてはなりませんでしたが、それなりに効果が期待できそうです。
汚れを落とした後、時間の経過とともに何かの不具合が出るかもしれませんので、今回は一部分とし、様子を見ることにしました。

一週間ほど経って特に大きな問題がなければ、もう少し頑張ってみるつもりです。
うまくいきましたら、またこのブログでご報告させていただきます。

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家事について [日記]

平年より七日遅れで、関東地方に梅雨入りが宣言されました。
先週まで、6月としては異常な暑さの日も多く、これでようやく気温も平年並みになるのかもしれません。

ちょっと迷ったのですが、日光消毒を完了したプランタを利用することにし、先日、バジルとミニトマトの苗を購入してきました。
のら人さんのコメントに触発され、コンパニオンプランツとして植えてみたところです。
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バジルの方はすでにトマトなどと一緒にサラダにして楽しんでおりますが、ミニトマトが収穫できればさらにありがたいなと思っています。
花も数輪咲き始めていますし、早、実もついてきました。
楽しみですね。

ところで、梅雨入りに触発されたわけでもないのですが、昨日、衣替えをしました。

箪笥と衣装ケースの中身を入れ替え、防虫剤を入れるだけなので、さほどの手間ではないのですが、何となく実行するまでには腰が重くなる傾向があるようです。

連れ合いがいたときには、考えてみればすべて連れ合いがやってくれており、大体この時期には箪笥の中身が夏物に変わっていました。
連れ合いを亡くして全部自分でやらなくてはならなくなって今回で5回目(年に二回ですので)。
何となく手際はよくなってきたように思います。

衣替えを実行する前にウォーキングに出かけていたのですが、その衣替えが念頭にあったのでしょう、歩きながら家事のことを何となく考えてみました。

家事というと、一般には炊事・洗濯・掃除、の三つが思い浮かびます。
これはつまり「衣食住」にかかわっている作業なのではないか。

「洗濯」は「衣」、「炊事」は「食」、「掃除」は「住」。

そう考えてみると、家事というものの概念は極めて広いものだなと改めて気づかされました。

「衣」というものを考えたとき、それにまつわる作業は言うまでもなく洗濯だけということはありません。
衣替えも当然ですし、また着替えが必要となる場面も思い浮かべつつ収納のことも考えなければいけない。

また洗濯ということだけを考えてみても、対象は着たものだけにとどまらず、枕カバーやタオルや布巾やマットなどや当節ではマスクのこともありますから、それらの交換や回転についても考慮する必要があります。
例えば私の家の場合、タオル類だけでも、洗面・入浴用・台所・手洗いのほか、足ふき(マットの上に敷いています)、食卓用のハンドタオル(台拭きや雑巾ではなく、手や口を拭ったりするもの)、食器用の布巾、ハンカチなどがあり、それらをどのように干すのかも考えなければなりません。
外干しが基本ですので、ベランダや物干し竿のスペースも考え、どうやって合理的に干すか、などもあります。

洗濯という日常的な作業だけでもそんな感じで、単に洗濯機に洗剤を入れて洗濯物を放り込めばいいというものではない。
汚れの具合によってはつまみ洗いや漂白剤を使う必要もあります。

その集大成が、収納や衣替えということ(クリーニングもありますね)になるのでしょうか。

つまり、洗濯という、家事の一つをとってみても、それにまつわる様々に細かな作業や手順が必要となるわけです。

「食」についても、もちろん炊事だけではない。
食材の調達を考えてみても、短期的・中期的・長期的な視点をある程度もって行う必要があります。
お店で買うという行為だけでなく、場合によっては身内や知人からもらったりすることもあるわけですから、そうしたものも勘定に入れて、食材の備蓄や活用を考える。

もう少し広げると、私はウォーキングついでに、近所の里山や道端などで、カラスノエンドウ・ナルコユリ・ウコギ・野蒜・アカツメクサ・蕨その他の野草を採取することがあります。時期によってはタマゴタケなどのキノコもいただきます(もちろん禁止されているかどうかは確認しその場合は手出しをしませんが)。
山に出かけたときには、それらの収穫物はさらに広範囲になり、場合によってはそれを目的に入山することもかなりあったりします。
ベランダなどでの栽培や、野菜の再生栽培なども、この範疇に入るのかもしれません。

その上で、冷蔵庫などの中身と相談し、食材の買い出しに出かけるわけです。
頭の中では、大体、一週間くらいの大まかな方向性を描きつつ、三日間くらいの献立を思いめぐらせています。

料理をしている最中も、予め後片付けのことを考え、手の空いた時に必要のなくなった調理器具や入れ物などを洗ってしまいます。
これも、いかに合理的に行うか、というところが重要だと思っています。

「住」はさらに規模が大きくなりますが、掃除はそのメンテナンスという意味でも重要な作業でしょう。
これに関しては、正直に言って私は全く対応ができていないと思っています。

私自身、以前は(連れ合いがいたころは)「埃なんかで死にゃあしないよ」などとうそぶいていたものでした。

しかし、自分ですべてやらなくてはならなくなると、そんないい加減な態度は許されなくなります。
掃除機をかける前に、椅子などの家具類は移動させ、棚や桟や家具の引き出し、扉の枠などの埃をまず落としておかなければならないわけで(そうしないと掃除機をかけ終わった後にチリなどが発生する)、つまりは昔、箒をかける前に叩きなどで埃を落としていた作業をきちんと行う必要があるというわけです。
風呂場や手洗いなどの換気扇も曲者で、これらの掃除を怠ると知らず知らずのうちに部屋の中に埃が充満したりします。

ゴミ出しの日に合わせて生ごみを集める際には、ついでにシンク周りの掃除もしなくてはなりません。
さらに、レンジ回りの掃除も定期的に行う必要がある。

玄関やベランダの掃除、不要物の片づけ・廃棄など、結局、自分自身の住環境を整備する(可能な限り快適に過ごそうと考える)ための作業なのであり、一言で「掃除」といっても、まことに深いものがあるように思われます。

こうして改めて書き起こしてみても、おそらく皮相的なものばかりで、かなりの部分が抜け落ちているものと思料します。

家事というもののとらえ方は、語弊があることを承知で敢えて言えば、それを主に負担している人と手伝い程度に考えている人との間で相当の開きがあるようにも思います。

仮に男性が、家事を手伝い程度に考えているとすれば(本人はそう思っていないのかもしれませんが)、洗濯は洗濯機に洗濯物と洗剤を入れて回し干すだけ。炊事は料理をするだけ、掃除は掃除機をかけるだけ、だと考えている傾向が強いのではないでしょうか。
それだけしかしていないのにもかかわらず、「自分は家事をきちんとこなしている」と自負してしまう。
ここに大きな陥穽があると思います。

そうした、単に手伝っているだけの人の認識をはるかに超える「定義の難しい」「目に見えない」家事作業が相当数存在する。
私のところは単身世帯ですのでこの程度の手間で済んでいますが、家族など同居者が増えればその手間や気遣いなどは幾何級数的に増大します。
同居者全員の現状や嗜好などを把握しつつ、個別に対応しなければならなくなりますから。
考えてみただけでも大変な作業量になるものと思われます。

連れ合いを亡くして私はそれをしみじみと実感し、ああ、こんなことならもっと早く気づいて、きちんと分担しておけばよかった、と帰らぬ後悔をしています。

余計なことだということは承知の上ではありますが、世のご亭主各位は一度そうした観点で家事を見てみたらいかがかと、老婆心ながら申し上げたく存じます。
大きなお世話であることは重々承知しているのですが、後悔先に立たずということもありますので。
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日南・北郷の岩壺山(再来) [山登り]

梅雨入り前ではありますが、突然雨雲が広がり驟雨がやってくるなど、初夏を思わせる不安定なお天気が続きます。
特に午後は危険ですから、洗濯物や布団干しには注意が必要ですね。

以前、「日南・北郷の岩壺山(敗退)」という記事をアップしました。
詳細はこの記事をお読みいただければと思いますが、敗退したことによるわだかまりは私の中にずっと残っておりました。
当時、連れ合いは再発したがんの治療で格闘していたのですが、私の意を酌んでくれて送り出してくれました。
にもかかわらず、という点も大きかったわけです。

そのような事情もあり、私自身としてはあまり考えないことにしておりましたし、(闘病中の連れ合いを置いて出かけたという後ろめたさもあって)気持ちとしては封印していたのでした。

ところで、そのときにご一緒いただいた宮崎の山仲間にとっても、ご自身が登山道に入る前に敗退したことがやはりかなり応えたようで、よかったら再チャレンジしてみないか、とのお誘いがありました。

心臓周辺に違和感を感じていた山仲間は、今年の初めに意を決して心臓の検査を受け、24時間ホルター心電図などのあと最終的には心臓カテーテル検査を受検。
結果として、心臓そのものには異常はないものの、周辺の血管が痙攣しやすく、その意味では狭心症という括りになるとのことでした。
血管を拡張する薬を処方され、念のためニトロも処方。
地道に運動はしていたつもりでも、結局のところ血液の循環を活発にするような活動はしてこなかったので、これを機に前向きに山登りも考えてみたいとの決意を固めたのだそうです。

そこで手始めに、敗退した岩壺山を克服したい、ついては同じく無念の涙をのんだ貴殿と一緒に登りたい、ということでのオファーです。
新型コロナウィルスの感染拡大が続く中、思うような山登りができなかったこともあり、喜んでお供しましょうと回答したわけです。

前回は林道が不通だったことから車で入れなかった五重の滝駐車場(本太郎コース登山口)ですが、現在はほぼ問題なく通行できるとのことで、山仲間の車でこちらを目指します。
駐車場の雰囲気は前回来た時とほとんど変わっておりませんでした。

身支度を整えて(渡渉が複数回あるので私は例によって地下足袋です)出発。

トライアルパーク北郷と岩壺山への案内板があります。
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トライアルパーク北郷は、このところテレビなどでも取り上げられていて、クロカン四駆などが頻繁に入り込み、前回来たときはだいぶ様子が変わっています。

しばらく進むと「岩壺山山頂へ」と書かれた案内板がありますが、前回、私はこれを見落とし(発見できず)、手前から藪漕ぎを強いられました。
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下り気味に進むと左側にテープがあります。
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入り口は草で覆われわかりづらいので注意が必要ですね。

藪っぽい中を下っていくと踏み跡も比較的しっかりしてきて、「猪八重照葉樹林生物群保護林」の看板に出合います。
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さらに進むと猪八重谷川にぶつかり、最初の渡渉。
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複数回の渡渉を繰り返すと、流れの穏やかな最後の渡渉となり、ここから山道に入ります。
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途中で五重の滝方面から上がってくる登山道への分岐点を右に分けると、緩やかな道の先に案内板があります。
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そこから急登急降下を繰り返し高度を上げていくと、次の案内板に出合います。
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さらに急登を稼ぐと、立派なもみの木に出会いました。
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山仲間は、その前からペースが遅れがちでしたが、このあたりでかなり息が上がってきている様子。
自分はここで待っているから登ってきてくれ、などと言います。
とにかく一息入れて、水を飲ませ、呼吸を整えさせると、顔色も戻り、息も正常になってきました。
ただ、心拍数が100を超えているようなので、心臓の状況を聞いてみます。
特に不整脈のようなものは出ていない様子で、気合を入れなおし、再度登ることを承知してくれました。
無理をさせるわけにはいかないので、できる限りゆっくり登るようにします。

地図上ではここから登り一辺倒のように見えますが、実際にはやせ尾根のアップダウンが延々と続きます。
足元には枯れ葉が盛大に散乱し、非常に滑りやすく、登りもそうですが下りの時のことを考え、かなりうんざりさせられました。

樹間から覗く高みを伺いながら、あれがピークかと期待しつつ、高度計を見るとどうもまだ先のようで、案の定、頑張って登った後に急降下があったりして、この点でもうんざりです。
時折、山仲間の登ってくるのを待ち、脈拍を計り顔色や呼吸の状況を見ながら、じりじりと先に進みます。

やがて大きな岩にぶつかり、これを左から巻き上ってさらに登ると、ようやく待望の岩壺山山頂に着きました。
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西方に展望が開け、鰐塚山と朝陣野の先には高千穂の峰や霧島連山が望めます。
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これには山仲間も大感激。
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きつかったけれども頑張って登ってよかった、と感動を新たにしておりました。
私も、宿題だった岩壺山山頂を極めたことで、大満足。
とりあえずグランドシートを出して、山仲間を横にならせ休ませました。

これは花切山への縦走路でしょう。
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男鈴山の左側遥か先の方に見えているのは恐らく高隅山ではないかと思います。
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あれも本当に良い山でした。

帰路、南に縦走し猪八重渓谷に下る道もありましたが、安全第一で往路を戻ります。

予想通り、枯れ葉満載の急降下は非常にいやらしいものでしたが、やはり登り切った充実感で気分が高揚しているのか、周りの景色を眺めながら下る余裕もできてきました。

時にはこのような穏やかな道もあり、距離は僅かですが少しほっとさせられます。
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それにしても、標高737mの低山ながら、立派な樹がたくさんあります。
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これは例のもみの木です。
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切り株がハート型になっている樹もありました。
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白い木と黒い木がぴったり寄り添っています。
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これなどはまるで抱き合っているかのようですね。
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なんだかメカゴジラの頭を思い起こしました。
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そろそろ渡渉点かな、と思われるところに、大山神社と書かれた石碑がありました。
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登っているときには気が付かず、景色を見ながら降りてきたのでわかったのでしょう。

猪八重谷川の渡渉を繰り返し、崩れやすい斜面のいやらしいトラバースを何度か重ねて、無事、登山口に戻りました。

山仲間とがっちり握手をし、お互いの宿題をやり遂げた喜びを分かち合いました。

こうした機会を作ってくれた山仲間には感謝しかありませんが、心臓カテーテル検査を行い、ニトロも処方されているわけですから、さすがに実行するまでには私も不安でなりませんでした。
主治医の意見はどうなのか、と聞くと、血流が滞ることの方が問題なので、体はきちんと動かした方がよい、ただし無理を禁物で、違和感を感じたらすぐさま中止し、状況によってはニトロの服用を躊躇わないように、とのアドバイスがあったそうです。
今回の山行で息が上がり苦しくなったのは、運動不足による心肺機能の低下が大きな原因と考えられ、少なくとも心臓に危険な負担をかけていたわけではない、むしろ、こうして長時間の山行に耐えられたことは大きな自信につながった、と、山仲間は笑顔で答えてくれました。
私もほっと安堵するとともに、私自身、まだまだきちんと歩けることを確認出来て少し自信を取り戻しました。
前回の敗退時から三年あまり経過しているのですが、体感的には今回の方が格段に楽で、ほとんど汗もかきませんでした。
考えてみれば、あの時に比べて体重は5kgくらい減り、お酒の量も減っているので、むしろ今の方が体調も良く体も強いのかもしれません。
ウォーキングや踏み台昇降、ラジオ体操やNHKのみんなで筋肉体操などを地道に続けてきたことも大きかったのでしょうか。
山仲間も、できる限りの運動に努めてきたそうです。
継続は力なり、という俚諺はまさしく正論ですね。

ところでこのコースですが、途中に案内板はあるものの、テープなどの目印を見逃さないようにする必要がありますし、非常に足場の悪いトラバースや急登・急下降があります。
また、尾根の広がっているところでは目印を見失うと迷う可能性もありますから、行動は慎重になさって下さい。
それでも、標高のわりに自然が色濃く残っていて、巨木に出会うと深山の趣をひしひしと感ぜられます。
山頂の眺望も相俟って、誠に素晴らしい山です。
機会があれば、渡渉を繰り返した猪八重谷川の遡行にもチャレンジしたいものと思っています。

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新型コロナウィルスワクチン接種券が届きました [日記]

近所の田んぼではほとんどが田植えを終わり、浅黄色の苗が輝くように波打っています。
もうすぐ関東地方も梅雨入りとなるのでしょうが、こうした柔らかな景色は本当に心を和ませますね。
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先日、「新型コロナウィルスワクチン接種券」が送られてきて、ちょっと驚きました。

私は現在64歳ですから、高齢者枠には入らず、9月以降を目途としている一般接種になるのだろうなと考えていたからです。
しかしそうではなく、今年度に65歳を迎える人は前期高齢者という括りになり、それ故に高齢者枠での扱いになるのですね。
尤も、私たちのような年代への接種券の発送が始まったのは5月17日かららしく、そのあたりの区別はあるようですが。

せっかくなのでWeb予約をしてみようとアカウントをとりアクセスしたのですが、既にWeb予約枠は満杯。
朝9時からのアクセスでもダメでした。
それどころか、朝一番ですと予約サイトにつながること自体が難しい。

東京や大阪といった大都市圏では自衛隊による大規模接種が始まっており、予約も比較的スムーズと聞きますが、やはり地方では簡単にいかないようです。

まあ、最初から9月以降でいいや、と考えていたわけですから仕方がないかなと思いましたが、もしかするとどこかに手違いでもあるのではないかとやはり不安になり、コールセンターに電話をかけてみました。
予想はしていたのですが、これが全くつながらない。
10回ほどかけなおして、ようやく順番待ちとなり、それからかなり待って通話が可能となりました。
状況を聞くと、順次拡大はしているけれども、Web予約は週の初めの月曜日の朝一で、瞬く間に満杯になってしまうとのこと。
9時前ではログインできませんから、9時の時報とともにアクセスが集中し、早い者勝ちで埋まってしまうそうです。
予想通りの展開でしたが、高齢者のデジタルデバイドが問題視されている中で、即座にWeb予約枠が満杯になるほど精力的にネットで予約をしている高齢者の方々がかなりおられることに、ちょっと驚きました。
私の素朴な疑問を察知してくれたオペレーターの方は「身内の高齢者のために子供や孫たちが手分けをして予約をしているようですよ」と話してくれました。
なるほど、これは納得です。
なんだか、愛知博の時のパビリオン予約を思い出してしまいました。
あのときは一族郎党血道をあげてネット予約に精を出し、妹がようやく一つ確保したのですが、朝から大変な騒ぎでした。
今回はお遊びではなく、身内のおじいちゃんやおばあちゃんのためなのですから、さらに真剣なのでしょうね。

そんなわけで、状況が分かったこともあり、しばらく時間を置くつもりです。
私自身、特にこれといった基礎疾患はありませんし、肝機能・中性脂肪・コレステロール・血糖値・血圧なども全くの正常値。身長174cmで体重は63kg台、体脂肪も13%程度と、肥満体でもないので、そのうち空きができたら接種してもらうことにしましょう。

接種券が届いたことで、ちょっと気持ちの上でバタバタしてしまい、コールセンターのオペレーターの方にもお時間を取らせ申し訳ないことと思っています。
ただ、オペレーターの方の対応は非常に素晴らしく、私が「ではしばらく待つことにします」といったところ、「来週の月曜日には、接種場所を拡大して新たに予約を受け付けるはずですから、そこでアクセスされてはいかがでしょうか」と勧めてくれたのみならず、厚労省の「コロナワクチンナビのほうがさらに細かく調べることができますから、そちらで空き状況などをご確認されてはいかがですか」とのアドバイスもしていただきました。
うんざりするほどの問い合わせが殺到していることでしょうに、こちらが不安感を抱いていることを察して可能な限り丁寧な受け答えとアドバイスをされる。
全く頭の下がる想いでした。

ブログ上ではありますが改めて心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
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メスティン [山登り]

梅雨の走りなのでしょうか、雨の鬱陶しい日が続いています。
それでも、家にこもりきりではますます気持ちが滅入りますので、小止み時を狙ってウォーキングに出かけたり、出られないときは踏み台昇降をしつつ、ラジオ体操や筋トレに取り組んでいるところです。

ところで、近頃様々な場面で「メスティン」が取り上げられるようになりました。
おしゃれっぽい名前ですが、要するに「飯盒」なのであり、その意味からすれば19世紀の後半から野戦時の炊飯用具として用いられてきていたもの。
古くからの山屋は結構お世話になっているのではないでしょうか。
その後、山用の調理器具としては機能的なコッフェルなどが主流となり、単独行の場合はメタクッカーなどへと発展していきます。

それがここにきて、メスティンとして改めて見直され山だけではなく簡易な弁当とか携行食調理などアウトドア以外でも用いられるようになり、レシピ本などもかなり出されている模様です。

昨日、近所のダイソーに寄ってみたら、なんと500円(税込み550円)で販売されていたので、試しに購入してきました。
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一合炊きなので少し小さめですが、値段の割には縁のバリはきちんと処理されており、アルマイト処理もなされておりました。
コスパはかなり高いと思います。

試しにスパゲッティを作ってみることにしました。
山での使用を考え、山用のガスコンロを使います。
水180ml程度に食塩を加え、沸騰したら、半分に折ったスパゲッティ75gを投入。
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吹きこぼれないように火加減を調整します。
ガスコンロはこの点で非常に便利ですね。

お湯がなくなるくらいまで茹でます。
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頃合いを見計らって、具を投入。
今回は、パプリカとぶなしめじとベーコンを予めオリーブオイルで炒めたものとツナ缶を混ぜ合わせました。
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実に簡単です。

調味料は塩と胡椒で味を調えるくらいで、スパゲッティや具などから出汁は十分に出ますから、この点も手軽ですね。

75gのスパゲッティでも一人前なら十分な量であり、いつか山行の折に使ってみようと思っております。

「火力調整いらずの半自動炊飯」などと箱には書かれておりましたが、そもそも炊飯などは鍋などでも問題なく対応可能です。
私は小学校4年生のころから釜でご飯を炊いてきましたから、今でも鍋などでご飯を炊くのはお手の物。
むしろ、電気炊飯器などで炊くよりも鍋で炊いたほうが美味いくらいです。
メスティンブームによって、電気釜がなくてもご飯が簡単に炊けることが一般に広がっていくとすれば、それはそれで非常にいい傾向だと思いますね。

ちょっと唐突に思い出しましたが、40年くらい前の固形燃料は、使用時にホルマリンガスが出たりして、臭いうえに目が痛くなったりしました。
その後、品質改良されてずいぶん使いやすくなり、メタクッカーなどの使用も積極的に行おうという気になりました。コンロなどに比べて軽量化が図れますから。
固形燃料を使って調理するという動きも、メスティンブームを機に盛り返すこととなるのかもしれませんね。

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ブーレーズの「ル・マルトー・サンメートル」 [音楽]

COVID-19感染拡大の影響で、今年の大型連休も私にとっては自宅での待機となりました。
屋外で、しかも人と接触する機会のないところであれば危険は少ないのでしょうが、そうした場所に出向く過程で、やはり他人との接触は避けられないと考え、もう少しの辛抱かなと自重しているところです。

こういう時間をどのように過ごすか。
そのあたりの心の余裕が、もしかしたら一つの指標となるのかもしれません。

連休の間中、仕事の関係は忘れて久しぶりに本を読んでいました。
それも、芥川龍之介とか島崎藤村とか田山花袋とか、ずいぶん昔に読み終えていながら、なんとなくもう一度読んでみようかな、などと思う作家の小説を中心に、ちょっと懐かしい思いに浸っていたところです。
そのあたりの感想はまた日を改めてこのブログに書ければいいなと思っております。

音楽ももちろん頻繁に聴いていました。

一番多かったのは、ウォーキングに出かけるときのBGMで、これが不思議とブラームスばかりでした。
私はブラームスが大好きで、その意味では「不思議」でもなんでもないのですが、歩く速度にブラームスの音楽はあまりにも良くフィットした、ということなのでしょう。

それとは別に、自宅にいるときはちょっと毛色の違った音楽を聴いたりもします。
ブーレーズの「ル・マルトー・サンメートル」などは、その典型かもしれません。

Pierre Boulez - Le Marteau sans maître, INSOMNIO cond. Ulrich Pöhl

ブーレーズは、指揮者としての功績が前面に出てしまうことが大きいように思われますが、20世紀の前衛音楽における指導的・先駆的な作曲家であったことを忘れてはならないように思います。
その態度は誠に厳しく、自身が大きく影響を受けたシェーンベルクやウェーベルンですら十二音においては不徹底であったと批判し、全面的セリーを旗印に掲げたほどでした。

しかし、自身が指揮者として活動をしていく中で、これは私の勝手な思い込みですが、より聴衆に訴えかけられる表現を目指すべきと考えた可能性は高く、この「ル・マルトー・サンメートル」は、音響的にはむしろ非常に官能的で響きを重視した音楽であるように思われます。
楽器が中音域のものに収斂しているのも、ある意味では聴く人の聴覚に訴えかけているのではなかろうかと感じます(声楽がアルトなのも象徴的ですね)。

この曲を聴いていると、ブーレーズがジョン・ケージとたもとを分かった理由もわかるような気もします。
ブーレーズは、やはり音楽、それも響きに対する可能性を決して忘れなかったということなのでしょう。

この曲は、恐らく20世紀の前衛音楽の中でも一つの金字塔といえると思います。
今、こうした試みはほとんど影も形もなくなっているように感じます。
現代の作曲家たちの目指している地平はどのあたりにあるのでしょうか。

ところで、この曲を聴きながら、指揮者としてのブーレーズのことを考えてしまいました。

自身の音楽的な立場もあるのでしょう、ブーレーズの演奏においてやはり特筆すべきは前衛音楽であろうかと思われます。
ことに、自作を筆頭に、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、バルトーク、ストラヴィンスキーなどといったあたりの作品の解釈や演奏は、ほとんど他の追随を許さないレベルなのではないでしょうか。

そして、マーラーや、とりわけワーグナー。

私も、彼の指揮による「リング」のLD(古すぎますね)を所持していますが、いまだに私にとっては(映像付きである中では)ベストです。
あの、一種醒めたような感覚からの「リング」の解釈。
醒めているからこそ、それに接する側の感性が問われるかのような演奏。
恐るべき冷徹さだなと、今でも感嘆します。

ところで、先に、このところブラームスばかり聴いていると書きました。

私が何故にブラームスを好むかといえば、やはり「好きだから」ということに尽きると思います。
あの、頑固なまでの古典へのこだわりは、ある意味、作品の根本を厳格な骨格から築き上げようと考えたからなのではないでしょうか。
ブラームス本人は、あのピアノ曲や歌曲からもわかるように、きわめてロマンティックな感性を持っていた。
しかし、それを徒に表すことをためらっていたような節があります。
己の想いを奔放に吐露しようとしたワーグナーとは、その意味でも大きな隔たりがありそうですね。

ブーレーズの演奏カタログには、残念ながらブラームスは「ドイツレクイエム」以外見当たりません。

考えてみれば、ワーグナーは、20世紀の前衛音楽における出発点ともいうべき作曲家でした。
あの、トリスタンで試みられた和音は、それまでの古典的な発想からは完全に別物なのであり、それゆえに、その時の時代のトレンドを目指したあまたのクリエイターの耳目を引き付けたのでしょう。

ブラームスは、むしろ、その時代において過去に遡ることによって己の創造の世界を打ち立てようとした。

ブーレーズが前衛である限り、ブラームスとは全く違う世界にいたとしても、それは不思議ではないのかもしれません。
少なくとも作曲家としての彼が、ブラームス的な方向を目指そうとしたはずはないと思われますので。

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ショートカットキーの活用 [日記]

今日は春らしい穏やかなお天気になりました。
在宅ワークでのお昼休みに散歩に出かけ、ついでにバジルの苗木を買いました。

去年まではベランダのプランターでたくさん栽培していたのですが、アブラムシなどの大量襲来によりほぼ全滅。
毎年、種を収穫して蒔いていたので、まことにショックでした。

それでもバジルがあると、トマトサラダなどにこれを刻んでオリーブオイルと塩を混ぜてかけたりするなど大変重宝ですので、今年は台所に置いて育ててみようと思っています。
ピザなどを焼く場合のバジルソースにも使えますし。
うまく育ってくれるといいのですが。
basil.jpg

新型コロナウィルスの感染拡大はとどまるところを知らず、またまた緊急事態宣言が発せられることになりました。

当面のところ在宅ワークでの対応が主体となる体制が続きそうです。

ただ、在宅ワークでも仕事がこなせる環境には感謝しなければなりません。
お仕事の関係で、どうしても出勤する必要のあるソーシャルワーカーの方々のためにも、在宅ワークが可能な環境にある者は率先してそうした働き方を選択すべきものと思います。

さて在宅ワークですが、Web会議なども含めディスプレイを介して処理を実行する局面がかなり多くなっています。
メールをはじめ、資料作成や情報収集にもPCを使うことがほとんどで、結局、一日中、PCの前に座って作業をするということになります。

気分転換のための散歩(時には食料などの買い出しも含む)、在宅ワーク終了後の体操や筋トレなどで、こわばった体をほぐしてはいますが、寄る年波もあるせいか、肩や肩甲骨の凝りがひどくなる一方です。

中でも特に肩こりなどの原因となるのは、これは恐らく皆様も首肯してくださると思うのですが、マウスの操作です。
ポインターを動かしながらクリックをしたり、関連個所を選択したり、右クリックでアプリの操作をしたりと、ほとんどの処理はマウスでできてしまったりするので、それはそれで大変便利なのですが、長時間これをやっていると、ものすごく疲れてしまいます。
その点、キーボード操作は、あくまでも比較論ですが、マウスよりは肩こり等の点でかなりましです。

そんなわけで、資料作成などでは、文字や数値などの入力はもちろん、カット・コピー・ペースト、該当箇所の選択や修正などの操作をショートカットキーで行っている方も多いのではないでしょうか。
作業効率の面でも優れていますし、何よりも右肩ばかりが不自然に凝ってしまうマウス操作を極力避ける、という点でも効果はかなりあるものと考えます。

余談になりますが、私のメインサイトでは、Hnなどの各見出しブロック要素に「accesskey」を設定し、キーボード操作による分岐ができるようにしています。
これは、マウスを使うことによる肩こり防止というよりも、マウスを使いづらい環境などへの対応を考えてのことでしたが、環境対応という意味では現在でも同じ効果があるようにも思います。

先日、次のような九九の表をExcelで作る、という課題を紹介する記事を読みました。
kuku.jpg

これを如何に効率的に作ることができるか、ということで、その記事では30秒以内で完成させた人がいた半面、12分かかった人もいたそうです。
それぞれの計算式をどのような形でコピーし、数式の修正をどのように行うか、という点で、おそらく相当の差がつくのだろうと思います。

ちなみに私もやってみましたが、39秒かかってしまいました。
もう少し効率的にやれるかもしれないなと感じています。
数式への$の的確な付加、Ctrl+C・Ctrl+V・F2・Backspaceキー等の使用などのほか、カーソル移動の無駄な動きを極力排除することなどがポイントとなるのかもしれません。

ご興味をお持ちの向きは、一度試してごらんになることをお勧めします。ちょっとした頭の体操にもなるかも。

ちなみにショートカットキーの一覧は、wikiにも載っていました。

ショートカットキー一覧

あ、こんなこともできたのか、知らなかったなあ、などと結構新鮮な驚きがありました。
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どうしても飲みたい人々 [日記]

初夏のような陽気が続きます。
食材も様々なものが出回るようになってきました。
食材の調達に出かける近所のスーパーでは、このところブリの切り身が手ごろな値段で販売されています。
養殖物ではありますが、三切れで500円は結構ありがたく、売り出されるとついつい買ってしまうことになります。
買って帰ると、早速、味噌漬けにします。
こんな感じです。
burimiso.jpg
味噌に刻んだ生姜を混ぜて全体にまぶし、冷蔵庫で保管すると一週間は楽しめます。
使った後の味噌も、味噌汁にすれば(ブリに塩気が移っているので)減塩にもなりますし、ブリの旨味や生姜も効いてなかなか乙な味になります。

サクで売っている刺身用の魚は、塩を振って寝かせると、浸透圧によって余分な脂が抜けて美味しく頂けます。
減塩になるのかどうかはわかりませんが、これを刺身にすると醤油はいらなくなり、ワサビだけで充分です。

私は清酒がことのほか好きなので、こういうひと手間で美味しくなる魚は、最高の「肴」になります。
とはいえ、飲みすぎには十分に注意をしているのですが。

ところで、こんな記事があり、ちょっと考えさせられました。

どうしても飲みたい人々 路上だけでなく電車、喫煙所、オフィスにも増殖

テレビのニュースなどでも取り上げられていますが、いわゆる路上飲み・公園飲みなどで夜遅くまで街中を徘徊する人々がかなりいることに、やはり懸念を感じずにはいられません。

変異株の新型コロナウィルスは感染力が非常に強く、これまでかかりにくいとされてきた若年層にも感染が広がり重症化していることは周知のことと存じます。
未だにワクチン接種が進んでいない我が国において感染拡大を極力防ぐためには、とにかく人との接触を可能な限り避けることしかないといわれます。
多くの人たちは我慢を強いられつつもそれを実践しているのでしょう。

しかし、当然ストレスも溜まります。
「以前は週4で飲みに行っていたくらいですから、今の状況は地獄。時短営業店で飲んでも、一番調子が上がってくる時間に店を追い出される。本当は一人で酒を飲みたいなんて気持ちはなく、家でもほとんど飲まなかったのに、コロナで一人飲みせざるを得なくなってからは、酒の量まで増えてしまいました」

仕事帰りに同僚などと飲む酒は、絶好のストレス解消であり、鬱屈した気分も切り替えられ、大げさに言えば翌日からの仕事に対するモチベーションアップにもつながるものでしょう。
金曜日などはその集大成であり、「この一週間もよく頑張ったなオレ」なーんちゃって盛り上がってしまう。

私自身、50代くらいまでは、ほとんど毎日、仕事帰りには飲み屋に直行。仲間とおだを上げて騒いでいたものでした。

そういう習慣が身についている飲兵衛にとって新型コロナウィルス感染拡大のもとでの自粛生活は骨身にこたえることと同情を禁じえません。
飲酒の場で感染が広がっている、というのは事実だろうし、居酒屋などへの時短営業要請も理解はできる。飲み控えしよう、感染したくないから我慢しようという人がいる一方で、行政や世間からの抑圧を感じ、以前にも増して飲酒の機会が増えたという人々がいる。ここまでくると、適度な飲酒でバランスがとられていたメンタルの崩れを心配したほうが良さそうにも思えてくるが、コロナに振り回される生活にならなければ、こんな問題も浮上しなかったことだろう。

これは全くその通りでしょうね。

おとなしく家で適量を飲めばいいじゃないか、というまっとうな意見もありますが、きっと、様々な事情で自宅で飲むことができない人もおられるのでしょう。家族の目が痛いとか。
一人暮らしの人でも、家に閉じこもって一人で飲んでいることでさらに気分が沈んでしまう、ということもありましょうし、そもそも料理が苦手、という場合もありましょう。

ただこれは私の感じ方なのですが、おそらくお酒を飲むことが目的なっているからではないかと思います。

私自身、お酒は大好きですが、それは美味しいものを美味しく食べ美味しいお酒を美味しく飲みたい、というところからきています。
若いころには、お金がなかったこともありますが、それこそ合成酒やリカー系の焼酎を塩を舐めながら飲んでおりました。
正体不明なほどに酔っぱらって、路上や駅のベンチで寝ていたことも数限りなくあります。

しかしあるときにふと、そうした飲み方がいかにも不合理で無駄な時間の使い方ではないか、と思い返しました。
さらに、健康面でも極めて悪影響を与える。

そして、先ほど書きました「美味しいものを美味しく食べ美味しいお酒を美味しく飲みたい」というところに落ち着いたのです。

連れ合いを亡くしてから、外で飲むことはめっきり減り、新型コロナウィルス感染拡大以前であっても、せいぜい月に一度くらいしかそういう飲み方はしませんでした。
在宅ワークが中心となった昨年の四月以降、外で飲んだのは二回だけです。

毎日の生活では、ちょっと不埒なことではありますが、17時を過ぎるころから夕食のおかずのことを考え始め、18時に在宅ワークを手じまいにしてからいそいそと支度をはじめます。
食材の種類によって、その日に飲むお酒の種類を決め、風呂を焚きながら夕食の準備。
風呂から上がったら料理の仕上げをして、19時30分くらいから楽しい(?)夕食となります。
お酒を飲むといっても、ビール(ほとんど第3のビールですが)の350ml缶一本と清酒を1~2合くらい。
それも、お酒を飲む前に、野菜やご飯を食べるようにしています。
以前は、喉をカラカラにさせて、一気にビールを流し込む!などということをしておりましたが、年とともに控えるようになり、それがいつの間にか習慣となりました。

それこそ、冒頭に書きましたブリの味噌漬けとか塩締めした魚を食べつつ、少しずつ嗜みながら飲む。
これが現在の私にとって無上の喜びでもあります。
寂しいことではありますが、独り身となってしまったことによって、このような生活パターンが身についた、ということでしょう。
従って、現在のように剣呑な状況で敢えて外飲みをしようなどとは思いません。

ただ、家族などの手前、家で飲むことがはばかられる人たちは本当に気の毒ですね。
余計なお世話ではありますが、飲む量を控え、家族に受け入れられるような嗜み方に変えてみてはどうかと考えます。
私程度の量であれば、それほど目くじらを立てられるようなこともないと思うのですがいかがでしょう?
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池江選手、東京五輪代表に [日記]

私は、スポーツというものが元来大変苦手で、従ってスポーツ観戦とかスポーツ中継とかスポーツニュースなどには全く興味がありません。
若いころには野球場にも試合観戦に行きましたが、先輩や同僚に誘われてのことであり、観客席でビールなどを飲みながらぼうっとしていることのほうが多かった記憶があります。
少なくとも私自身が積極的にスポーツ観戦に出かけたいと思ったことは一度もありません。

そんな私ですが、次のニュースにはさすがに胸を突かれるものがありました。

池江選手、東京五輪代表に 白血病乗り越え―競泳

正直に申し上げれば、私はこれまで、池江選手の話題には比較的冷淡であり、白血病の苦しい闘病からレースに復帰した折のマスコミの異常な取り上げ方に一種の嫌悪感すら抱いておりました。
それらのレースで優勝した選手のことは取り上げず、彼女のことばかり話題にするマスコミの態度に辟易とした、ということです。

池江選手は、闘病中に体重が15kgも落ちたそうですが、そのほとんどは筋肉であったことでしょうから、それを元に戻すためにはどれほどの努力と忍耐力が必要であったか、それこそ凡人の私などには想像もつきません。
自身に寄せられてきた期待とそれに基づくプレッシャーは如何ばかりであったか。
それを乗り越えてのこの「快挙」。脱帽せざるを得ません。

アスリート、アーティスト、クリエイターといった人たちの中には一流のエキスパートが存在しますが、それは極限られた方々なのでしょう。
プロフェッショナルはそこそこいるかもしれませんが、エキスパートは本当に少数です。
そうした方々を目の当たりにすると、その才能、いわば天賦の才に打ちのめされる想いすらします。
それらは生まれつき天から与えられた才能なのではないかと考えると、そうしたものを与えられなかった己のありように愕然としてしまいますね。

しかし、才能とは何か、と考えてみると、もちろん生まれながらの鋭い感受性とか身体能力とか場合によっては遺伝形質なども重要なのかもしれませんが、本質的なところは、池江選手の言葉にもあるように、本当に苦しい中でも心が折れることなく忍耐しあらん限りの努力を重ねることができる、ということではないでしょうか。
これは、言葉に出していうことは比較的優しいのですが、実行に移すことは並大抵の覚悟ではできません。
まず、明確な目標を定めることさえも、私のような凡人には至難の業です。

思い出したことがあります。

これはベトナム戦争当時、ハノイ取材のためビエンチャンのホテルで、松本清張さんとともに待機していた当時の朝日新聞編集委員の森本哲郎さんの話ですが、ハノイに入るのに都合3週間も待たされ退屈で退屈で「死ぬほど身を持て余し」ていました。
それはもちろん清張さんも一緒で、隣り合ったホテルの部屋で二人とも無聊を囲っていたのです。
清張さんの無聊を慮った森本さんは、ホテルのレターペーパーを使って原稿用紙を作ることを提案し、お二人は時間も忘れてその作業に取り掛かりました。
清張さんにとって原稿を書くことは最大の退屈撃退法、出来上がった大量の原稿用紙を手に、清張さんはいそいそと自分の部屋に戻ろうとしたのですが、その時、ドアのノブに手をかけながら森本さんに問いかけたとのこと。

「きみ、作家の条件ってなんだと思う?」

森本さんは「才能でしょう」と答えます。

すると、
「ちがう、原稿用紙を置いた机の前に、どれくらい長く座っていられるかというその忍耐力さ」
と清張さんは答えました。

それ以降、幾日も清張さんは森本さんの部屋を訪ねることはなく、自分の部屋の机で執筆をつづけていた。

「才能ではなく忍耐だ」といった清張さんの言葉を思い返しながら、待てよ、その「忍耐」こそ「才能」ではないのか、と、森本さんは初めて気づいたそうです。

池江さんのニュースに接し、私はそのことを思い返して、ちょっと感動を新たにしたのでした。

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