坪井直さんをとり上げたNHKクローズアップ現代プラス [音楽]
10月24日、被団協代表委員の坪井直さんが亡くなりました。
広島に原爆が投下された折、爆心地から1.5kmの地点で直接被爆して顔や両腕に大火傷という重症を負いながら、90歳を超えても第一線で活動され、96歳で逝去されたことに、やはり感慨を禁じえません。
私事になりますが、私は1980年代の初めの頃から足掛け10年近く原爆忌に合わせて、広島や長崎を毎年訪れていたことがあります。
米軍が撮影した原爆投下関連のフィルムを買い取るための市民活動である10フィート運動にも参加し、それらを基に作られた記録映画である「にんげんをかえせ」「予言」などの上映会も企画してきました。
当時は16mmフィルムでしたので、映写機を借りたり会場を手配するのにそれなりの苦労をしましたが、カラーで撮影された当時の惨状の映像記録は、観る者にとって大きな衝撃を与えたことを思い起こします。
そうした活動の中で広島を訪れた折、坪井さんをお見かけしたことが何度かあります。
もちろん個人的に言葉を交わすことなどできませんでしたが、核兵器に対する怒りを胸に核廃絶を希求する姿勢には、誠に頭の下がる思いでした。
その坪井さんが、5年前に米国大統領として初めて広島を訪れたオバマ大統領と対面し、米国への憎しみを抑え笑顔で語りかけた姿は忘れることができません。
11月11日の夜、NHKのクローズアップ現代プラスで、坪井さんのことを取り上げていました。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2021111101904?playlist_id=c62990e7-250f-4817-b8ed-8c3366df4c87
ご覧になった方も多いことと存じます。
以前、映画「地の群れ」でも触れていますが、原爆を落とされた側としてみれば、落とした側である米国を恨むのは当然の感情であると思います。
坪井さんも、番組の中でご子息が話しておられるように、米国に対する憤りの気持ちは終生お持ちだったことでしょう。
しかし、そうしたある意味では「個人的な」恨みを昇華し、この地上から核兵器を無くすという理想を追い求めようと決意されたことに、どれほどの葛藤や苦悩があったことか。
番組を見ていて思わず涙を流してしまいました。
原爆の投下から76年が経つ現在、直接的にその被害を受けた方々は次々に鬼籍に入られています。
この番組も含め、残された多くの記録をのちの世まで受け渡していくことが、残された私たちの使命であるのかもしれません。
先ほど紹介した記録映画ですが、二本ともその後はビデオテープとして販売され、なんとDVDで入手も可能なようです。
長崎原爆資料館ミュージアムショップ
https://nabmuseum.raku-uru.jp/
私は両方とも個人的にビデオテープで購入しましたが、当時、それぞれ35000円という価格でした。
高額ではありましたが、職場の仲間や後輩たちに見せることがこれで大変便利になり、様々な機会を通じてみんなに鑑賞してもらったことを思い出します。
今回、久しぶりに見返してみました。
これらのフィルムのないころ、私たちが見ることのできた原爆投下の映像はモノクロでした。
このモノクロフィルムは、戦後間もないころに映画プロデューサーだった岩崎昶さんが、GHQの目を盗んで隠し持っていた原爆記録フィルムであり、占領明けになって日の目をみたものです。
そのご苦労と果たされた役割を鑑みればこんなことを云うのは罰当たりとは思いますが、やはりカラーは迫力と迫真性の点で段違いですね。
「にんげんをかえせ」は10フィート運動の記念碑的な作品ですし、若かりし頃の大竹しのぶさんが語りを担当されたりと、大変話題になりました。
「明日への伝言」という、山川啓介さん作詞いずみたくさん作曲のテーマ曲も大変印象的でした(この曲は以前から歌われていましたが)。
しかし、恐らく作品の質としては「予言」の方がはるかに優れていると思います。
ドキュメンタリー映画の旗手でもあった羽仁進さんが監督を務め、音楽は武満徹さんでした。
武満さんは、反核・反戦平和に対して大変強い思いを持っておられ、例えば今村昌平監督の「黒い雨」でも音楽を担当されています。
NHKで放映された「夢千代日記」の音楽もそうでしたね。
国連が核廃絶に向けた決議を採択する中で、唯一の被爆国である日本はそれに参加しませんでした。
日本が今後どのような行動をとるのか目を離すことはできませんが、坪井さんの思いは是非とも継承していきたいと、個人的にはさらに想いを強くした次第です。
キューバ危機など核戦争一触即発の可能性はあったものの、多くの住民が普通に暮らしていた市街地のど真ん中に原爆が落とすという蛮行は長崎以来ありません。
その意味を改めてかみしめるべきなのかなとも感じています。
広島に原爆が投下された折、爆心地から1.5kmの地点で直接被爆して顔や両腕に大火傷という重症を負いながら、90歳を超えても第一線で活動され、96歳で逝去されたことに、やはり感慨を禁じえません。
私事になりますが、私は1980年代の初めの頃から足掛け10年近く原爆忌に合わせて、広島や長崎を毎年訪れていたことがあります。
米軍が撮影した原爆投下関連のフィルムを買い取るための市民活動である10フィート運動にも参加し、それらを基に作られた記録映画である「にんげんをかえせ」「予言」などの上映会も企画してきました。
当時は16mmフィルムでしたので、映写機を借りたり会場を手配するのにそれなりの苦労をしましたが、カラーで撮影された当時の惨状の映像記録は、観る者にとって大きな衝撃を与えたことを思い起こします。
そうした活動の中で広島を訪れた折、坪井さんをお見かけしたことが何度かあります。
もちろん個人的に言葉を交わすことなどできませんでしたが、核兵器に対する怒りを胸に核廃絶を希求する姿勢には、誠に頭の下がる思いでした。
その坪井さんが、5年前に米国大統領として初めて広島を訪れたオバマ大統領と対面し、米国への憎しみを抑え笑顔で語りかけた姿は忘れることができません。
11月11日の夜、NHKのクローズアップ現代プラスで、坪井さんのことを取り上げていました。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2021111101904?playlist_id=c62990e7-250f-4817-b8ed-8c3366df4c87
ご覧になった方も多いことと存じます。
以前、映画「地の群れ」でも触れていますが、原爆を落とされた側としてみれば、落とした側である米国を恨むのは当然の感情であると思います。
坪井さんも、番組の中でご子息が話しておられるように、米国に対する憤りの気持ちは終生お持ちだったことでしょう。
しかし、そうしたある意味では「個人的な」恨みを昇華し、この地上から核兵器を無くすという理想を追い求めようと決意されたことに、どれほどの葛藤や苦悩があったことか。
番組を見ていて思わず涙を流してしまいました。
原爆の投下から76年が経つ現在、直接的にその被害を受けた方々は次々に鬼籍に入られています。
この番組も含め、残された多くの記録をのちの世まで受け渡していくことが、残された私たちの使命であるのかもしれません。
先ほど紹介した記録映画ですが、二本ともその後はビデオテープとして販売され、なんとDVDで入手も可能なようです。
長崎原爆資料館ミュージアムショップ
https://nabmuseum.raku-uru.jp/
私は両方とも個人的にビデオテープで購入しましたが、当時、それぞれ35000円という価格でした。
高額ではありましたが、職場の仲間や後輩たちに見せることがこれで大変便利になり、様々な機会を通じてみんなに鑑賞してもらったことを思い出します。
今回、久しぶりに見返してみました。
これらのフィルムのないころ、私たちが見ることのできた原爆投下の映像はモノクロでした。
このモノクロフィルムは、戦後間もないころに映画プロデューサーだった岩崎昶さんが、GHQの目を盗んで隠し持っていた原爆記録フィルムであり、占領明けになって日の目をみたものです。
そのご苦労と果たされた役割を鑑みればこんなことを云うのは罰当たりとは思いますが、やはりカラーは迫力と迫真性の点で段違いですね。
「にんげんをかえせ」は10フィート運動の記念碑的な作品ですし、若かりし頃の大竹しのぶさんが語りを担当されたりと、大変話題になりました。
「明日への伝言」という、山川啓介さん作詞いずみたくさん作曲のテーマ曲も大変印象的でした(この曲は以前から歌われていましたが)。
しかし、恐らく作品の質としては「予言」の方がはるかに優れていると思います。
ドキュメンタリー映画の旗手でもあった羽仁進さんが監督を務め、音楽は武満徹さんでした。
武満さんは、反核・反戦平和に対して大変強い思いを持っておられ、例えば今村昌平監督の「黒い雨」でも音楽を担当されています。
NHKで放映された「夢千代日記」の音楽もそうでしたね。
国連が核廃絶に向けた決議を採択する中で、唯一の被爆国である日本はそれに参加しませんでした。
日本が今後どのような行動をとるのか目を離すことはできませんが、坪井さんの思いは是非とも継承していきたいと、個人的にはさらに想いを強くした次第です。
キューバ危機など核戦争一触即発の可能性はあったものの、多くの住民が普通に暮らしていた市街地のど真ん中に原爆が落とすという蛮行は長崎以来ありません。
その意味を改めてかみしめるべきなのかなとも感じています。