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体力の衰え [山登り]

金木犀の花と香りが最盛期です。
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街路樹も少しずつですが色づき始め、秋の気配は濃厚という感じですね。
陽もだいぶ短くなり、その意味ではやはり寂しさも募ります。

寂しさ、というキーワードからの実感ですが、昨年の夏に腰を痛め、その流れで膝も痛めてから、まともな運動ができなくなっています。
しかも、追い打ちをかけるように、この一年のうちに二回も肋骨を痛めてしまいました。
バリエーションを含めた山登りをやってきたこともあって、肋骨の骨折などはこれまでにも何度か経験しており、診察を受けなくてもどの程度の損傷かおおむねわかったりするのですが、そのうちの一回は久方ぶりに耐えがたい痛みに襲われて、寝返りを打つことも厳しい状況でした。

今はようやく様々な痛み(腰・膝・肘・わき腹など)も和らぎつつあり、恐る恐るですが少しずつ体を動かし始めています。

しかし、一年以上のブランクはやはり厳しいものがあり、表題に書いた通り「体力の衰え」を痛感しています。
例えば懸垂。
恐れてはおりましたが、できなくなっておりさすがに愕然としました。
今は何とか7回くらいまでできるように戻しておりますが、その時のショックはかなり大きかった。

それから、立ち座り。
立った状態から手を使わず胡坐をかいたり、その状態から手を使わずに立ち上がること。
座る方は出来ましたが、胡坐をかいている状態から立つことができなくなっていたのです。
これにもかなり落胆させられました。
足腰の筋力というよりも、背筋や腹筋をはじめとした体幹の力が著しく衰えているのでしょう。
反動をつければ何とか立ち上がれるのですが、スッと立つことは出来ません。
66歳という年を考えればあまり無理をしたくはないのですが、少しずつでも筋力を取り戻していければと考えているこの頃です。

先日、重度の肺疾患を患っている昔の山仲間から、
「登れるうちに山に登りたい。簡単な山、例えば日向山くらいなら登れると思う。」
という要請があり、前向きな気持ちになっている友人の想いが嬉しく、一緒に登ることにしました。
この友人とは、30年以上前に日向八丁尾根を辿ったことがあり、そのことも念頭にあったのだと思います。

矢立石から登るのが楽なのですが、彼は尾白川渓谷駐車場からきちんと歩きたいとのこと。
その意気に感じ入り、無理をさせないようにゆっくりしたペースを保ちながら歩を進め、時間をかけて登りました。
私は久しぶりに長靴で登りましたが、やはり一番足になじみますね。
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鴈河原の景色は相変わらず素晴らしいもので、友人も満足。
これで辛い治療もまた頑張れると、明るい顔で彼は微笑んでおりました。
途中でかなり苦しそうな表情もしており、そのたびに励まして共に登ったので、彼がさらに前向きな気持ちを持ってくれたことに感動して、思わず涙ぐんでしまいました。

ところで、彼に無理をさせないようにとゆっくり登ったこともあり、私はほとんど汗もかかず、背負っていった水は山頂で作ったラーメンに使っただけで済みました。
息が切れることもなく、下山後にもさして筋肉痛も出なかったこともあり、歩く力だけはまだ何とか保たれているのかなと、少しだけ安堵したところです。

そうそう、この山行で栗をたくさん拾ったので久しぶりに栗ご飯を炊きました。
鬼皮や渋皮を剥いて水にさらすなどの準備が必要なのですが、焼いてしまうとそれが要らなくなります。
皮に穴をあけてグリルで焼くと破裂をだいぶ抑えられるようです。
ささやかながら秋の味覚を楽しみました。


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霧島東神社から高千穂峰 [山登り]

冷たい雨はやみましたが、それを機に気温がかなり下がっています。
首都圏では晴天にもかかわらず最高気温が18度くらい、朝方は10度届かずと、11月くらいの気候となりました。
今シーズンで初めて掛け布団を出しましたが、正解でした。

ここ数か月、ぎっくり腰を契機に膝や股関節の痛みが続き、ウォーキングもままならない状況が続いています。
少し痛みが和らぐと、ついつい焦りから頑張ってウォーキングやスクワットをしてしまい、元の木阿弥という、実に頭の悪いことばかりしてきました。
さすがにこれはまずいと、脚の方の運動は控え、代わりに腕の方の運動を中心としてきたところ、今度は懸垂のやりすぎで両手の肘が痛くなってしまう始末。
年寄りの冷や水とはよく言ったものですね。

そんな中ですが、緊急事態宣言も解除され、仕事の方も少しずつアクティブになってきています。
先日は、なんと宮崎の都城市で用務ができ、短い時間ですが出張することになりました。
仕事のためとはいえ、せっかく足を延ばすのです。
前々から登ってみたかった、霧島東神社から高千穂峰に登るコースを訪ねてみることにしました。

朝早くの便で宮崎空港まで飛び、レンタカーを借りて用務先へ。
仕事の打ち合わせその他の用務を済ませて、その日は都城のビジネスホテルに宿泊。
このホテルは、朝の6時からバイキングで朝食が取れるので、早立ちには大変便利でした。

霧島東神社への参道から右に少し登ったところに駐車場があり、そこに車を止めた後、せっかくなので神社の方面に出向いてみました。
鳥居の手前にちょっとした展望スペースがあり、そこから御池が望まれます。
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九州自然歩道に指定された登山道を登っていきます。
照葉樹林に囲まれた静かな山道です。
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緩やかに登っていくと、石碑がありました。
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梵字が彫られていますが、神社なのになぜだろうと、ちょっと疑問。
お賽銭も捧げられており、今でもお参りに来る人がおられるのでしょう。

ヨメナが咲いていました。
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この辺りから傾斜はかなりきつくなり、痛む膝になるべく負担をかけないようにしながら登ります。
ミヤマキリシマの灌木がたくさん目につきましたから、花の時期は見事なものではないかと思います。

やがて双子岩に到着。
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途中から見上げると、何だか上州二子山をかなり小ぶりにしたような感じに見えました。

ここからは高千穂峰山頂まで続く眺望が広がります。
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ヤマラッキョウの花が残っていました。
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リンドウの花も見頃です。
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そこから下って最低鞍部に着くと、左に御池小学校からの登山道を合わせます。

ここから最後の登りを頑張ると、待望の高千穂峰の山頂に至ります。

有名な天の逆鉾です。
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ここは霧島神宮の奥宮でもあります。
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霧島東神社からの登山道では、出会った登山者は一人きりでしたが、山頂は夥しい人出です。
皆さん、きっと高千穂河原の方から登ってこられたのでしょう。
霧島東神社から登りますと、標高差で1300m近くありますが、高千穂河原からは500mくらい。
圧倒的にこちらの方が楽ですから。

眺望を楽しみながらゆっくり昼食をとり、膝を休ませました。

帰路は往路を戻ります。

この山は神域ですから、登山道の途中にしめ縄が張られています。
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山頂を振り返って写真を撮りました。

霧島東神社や御池方面を見下ろします。
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天候にも恵まれ、気分は最高でした。

因みに帰路では一人も出会いませんでした。
山頂の喧騒が嘘のようです。
私は高千穂河原からも登ったことがありますが、間違いなくこの霧島東神社からのルートの方が優れていますし歩き甲斐があります。
もちろん、歩行距離や時間はかなり長くなりますし、標高差も大きいので少々体力的にはきついかもしれませんが、何とももったいない話だと思いました。

ただしこのルート、双子岩までの樹林帯はヤマヒルがかなり生息しています。
私はお陰様でヒルとかダニなどにはあまり食われない質ですが、それでも下山後、腰のあたりに一匹見つけました。
幸い血は吸われていませんでしたが、いろいろな報告によると、被害に遭った人はかなりいるようです。
丹沢の早戸川水系などには結構ヒルがいますので、この辺りの沢登りの時にはサロンパスを持参していました。
ヒルにかけると非常に嫌がってすぐに落ちますので即効性があります。
今回は10月ということもあり、そこまでする必要もなかろうと思っておりましたが、気温が高かったせいか、やはりいましたね。
もしかすると、このルートの人気のなさはそのあたりに原因があるのかもしれません。

さて、今回は用務のついでに山に登るという些か不埒な行動でしたし、膝の痛みなどを抱えていたので、荷物に関してはいろいろと考えました。

まず、足回りですが、私は冬季を除いて、普通の山歩きでは長靴か地下足袋を使います。
しかし、今回は膝の具合が悪いため、本当に久々に山靴を履きました。
とはいえ、大層なものではなく、ディスカウント通販で有名なヒラキの、価格4900円のトレッキングシューズです。
安価ではありますが、くるぶしを包み込んでくれるデザインの上、非常に軽く丈夫でした。
街歩きでもつかえるかどうか事前に試したところ、全く問題なく、おかげで今回の行程ではずっとこの靴で間に合いました。
蒸れずに撥水効果もかなり高く、ソールのグリップもちゃんと効きます。
長時間履いていても、足指などが当たるようなこともなく、その点でもかなりの優れものと感じました。
山道具屋で登山靴とかをみると結構な値段がしていて、こんなことを云っては何ですが、初心者の方はきっとカモにされているのだろうな、といつも感じてしまいます。
中途半端な山靴にはかなりの疑いを持っていましたが、この値段でこれだけの性能なら合格点でしょう。

膝の痛みや腰の痛みは、ありがたいことに山行中はほとんど気になりませんでした。
しかし、その日の夜から翌日・翌々日まで脚にひどい筋肉痛がおき、これには面食らったところです。
山登りをして筋肉痛がおきるなど、本当に久方ぶりの経験で、運動不足(特に足回りの)によってよほど脚の筋力が落ちていたのでしょう。
人間の体というものは誠に正直なものだとつくづく感じています。

その後、筋肉痛も多少収まったので帰宅してからウォーキングに出かけたのですが、途中、青信号に間に合わせようと走ったら、またもや膝に激痛が走り、その痛みは今でも治まってはいません。
調子に乗った自分が悪いので、何たる馬鹿者かと自分自身を責め続けている状況です。

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安全ということについて [山登り]

このところ、時ならぬ豪雨が日本列島を襲い、各地で甚大なる被害を出しております。
気候変動の影響も大きいのでしょうが、これまではあまり土砂崩れなどの災害に見舞われてこなかったところが、このところ立て続けに発生していることに、やはり恐怖を感じます。

安全(あるいは危険)、という概念は、本当に曖昧で定義の難しいものだと、近頃とみに痛感します。
最終的には個人的な感覚なのではないか、などという、少し諦念めいたものも感じます。
本人が思う安全と、一般的なレベルでの安全の感覚が、互いに食い違ったことによって引き起こされる事故は、何も豪雨などの災害に限りません。
山登りでは殊に象徴的に表れてくるのではないかと思います。

今年の夏は、現在までにかなりの夏山登山での事故が発生しているようです。

夏山で遭難“多発”過去3年で最多ペース

新型コロナウィルスの感染回避から密を避け、場所を山に求める人が増えているのでしょう。
いわゆる「ソロキャンプ」も急増していて、なんと女性の間でも人気とのこと。
「単独幕営山行」といえば、私たちの世代の印象ではかなりハイレベルな山行形態であり、一般的な山の装備の他に天幕や寝具などの生活用品を担ぎ、かつ、食料や水も相当量のものが必要となるため、体力的にも技術的にも、そしてなんといっても経験と場数が必要なものであったと思います。
テントやシュラフをはじめとする装備の軽量化や高性能化が進んだこともあり、相対的にハードルが低くなってきていることは喜ばしいことですが、それによって、何か山そのものが簡単になっていると誤解される虞があることにはいささかの危惧を感じざるを得ません。
いうまでもないことですが、山そのものは変わらないのです。
もちろん季節や天候によって、その相貌は大きく変化しますが、山に登るということはそれらの変化も含めて自覚し対処していくものだと考えます。

クライマーでありライターでもある菊地敏之さんは著作「最新クライミング技術」の中で次のように述べていました。
高尾山あたりの登山道と、アルプスの両端が切れ落ちた稜線とではどうだろう?アルプスの稜線といっても中にはただ穏やかなリッジを辿るといった程度の場所もなくはない。そうした場合、両者の間にやるべきことのの差は、実のところあまり見られない。極端な言い方をすれば、両方とも足を交互に出してさえいれば、何とか終わってしまう。
ではこれらは両方易しい“登山なのかと言うと、もちろんそんなことはない。前者と後者とでは”使った“技術や体力はさほど変わらなかったとしても、”使うかもしれなかった”技術の量が格段に違う。そしてもちろん、失敗に対する許容度もたいへんに違う。高尾山の登山道で石に躓いてもどうということはないが、4000mのナイフリッジで同じことをしたらたいへんなことになる。
例えが極端すぎるかもしれないが、要は難しい易しいという言葉の意味は、”使った”技術の量だけでは決まらない。そこに内包されるものごとと、そのために必要な技術こそが問題だということだ。

古くからの山屋にとっては当たり前のことだとは思いますが、こうした基本的な認識が近頃だいぶないがしろにされているような気もします。
多くの経験を積むことによって、より多くの技術を身に着け、山を登るときには、その中から最良のものを選択する。
あまり危険性のないところ(この判断も経験によるところ大なのですが)では、それらのチョイスは半ば無意識に行われますが、それは山登りにおいて最もハイリスク的な要因となる時間の無駄遣いを防ぐ、という自覚に基づくものでもありましょう。

しかしそうした技術の中でも、個人的な「思い込み」が入り込む虞なしとしません。

例を上げれば、現在、ハーネスにメインロープを結合するとき、恐らくほとんどの人は8の字結びをしていると思います。
しかし、私がクライミングを知った40年以上前のそれはブーリン結びが主流でした。
暗闇でも結べるようにと、目をつむってもできるまで練習したものです。
また、実際には恐らく使わないと思われる肩がらみでの懸垂下降を練習したり、止められる可能性がかなり低いのではないかと思われるトップの肩がらみビレイを練習させられ(トップが落ちて確保すると肩や背中に蚯蚓腫れができるほど痛い)たりもしました。
結局その頃の鉄則は「トップは絶対に落ちてはならない」というもので、果敢に攻めて滑落し何度も挑戦することが当たり前の現在のフリークライミングの世界とはまさに隔世の感があります。
このような背景もあって、結び目が緩む可能性の高いブーリン結びは、少なくともフリークライミングの世界では使われなくなっています(これに関しては、「岳人」誌で展開された「ブーリン論争」を思い起こされる方も多いのではないでしょうか)。

また、トップのビレイにおいてはボディビレイを基本とする、というのも、滑落の可能性を鑑みれば当然の行き方となりました。
殊にインドアクライミングを経験されている方は異論のないところと思います。

しかし、こうした新しい行き方、ある意味ではより安全性が高いとされる行き方に背を向けて、これまでのご自身の経験則にこだわり続ける方もかなりの数おられました。

危険が内包される確率が高いことをしていたとしても実際に事故などに遭わなければ、本人にとってはそれは危険な行為ではないと認識されて、むしろ安全な方法だと勘違いしてしまうこともあります。
頑なに前例踏襲をし続ける姿が、ある意味そうした「ついていた」経験の累積によって引き起こされるとするのであれば、とても看過できるものではないと思われますが、下手に指摘すると喧嘩になってしまう。

安全と危険という感覚は、やはり想像力をどのような形で働かせることができるか、ということではないかと私は考えます。
山は基本的に危険地帯であるという認識に基づいて想像力をたくましくする。
それは、その時に辿るルートに関しても同様で、特にアルパインの既存ルートでは残置支点を使用することが前提となることがほとんどですが、その支点は初登者が自分が登るために必要だから打ったピトンでありボルトであることを忘れてはなりません。
赤の他人が登るためにわざわざ打って差し上げたものではない。
従って、その支点を全面的に信用するということ自体、ある意味では他人に自分の命を(無防備に)預けているようなものなのではないでしょうか。

ところで誤解がないように改めて付け加えますが、私はブーリン結びを全面的に否定する立場はとりません。簡単に結べて締まっても解きやすく、用途によっては大変便利な結び方だからです。
例えば、予想しなかった悪場に直面し、アンザイレンが必要になったときなど、ハーネスがない場合は直接体にロープを結ばなくてはなりませんが、そんな折にブーリン結びは非常に有効です。
緩みやすいという欠点についても、変形ブーリンとか二重ブーリンにしてきちんと末端処理をすれば、かなりの部分安心感が増しますし。
その意味では知識として知っておくことは非常に有益だと思います。
そういう判断も、ある意味では想像力を生かすべき点なのかもしれませんね。

思えば、私が趣味として登山を始めた20歳くらいの頃(45年位前ですね)、両親を始め身内からは強烈な反対をされました。
山といえば遭難、遭難すれば命にかかわる、そういう連想がその頃にはかなり支配的だったのかもしれません。
登山が、だれでも楽しめるメジャーで明るいイメージのレクリエーションとなっている現在ではちょっと想像がつきませんね。

しかし、繰り返しますが、山が易しくなったわけではないと、私は思っています。
余計な事ばかりつらつらと書いてしまいましたが、不用意な遭難が多発していることが、やはり大変気がかりでついつい駄弁を弄してしまいました。妄言多謝ですね。

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日南・北郷の岩壺山(再来) [山登り]

梅雨入り前ではありますが、突然雨雲が広がり驟雨がやってくるなど、初夏を思わせる不安定なお天気が続きます。
特に午後は危険ですから、洗濯物や布団干しには注意が必要ですね。

以前、「日南・北郷の岩壺山(敗退)」という記事をアップしました。
詳細はこの記事をお読みいただければと思いますが、敗退したことによるわだかまりは私の中にずっと残っておりました。
当時、連れ合いは再発したがんの治療で格闘していたのですが、私の意を酌んでくれて送り出してくれました。
にもかかわらず、という点も大きかったわけです。

そのような事情もあり、私自身としてはあまり考えないことにしておりましたし、(闘病中の連れ合いを置いて出かけたという後ろめたさもあって)気持ちとしては封印していたのでした。

ところで、そのときにご一緒いただいた宮崎の山仲間にとっても、ご自身が登山道に入る前に敗退したことがやはりかなり応えたようで、よかったら再チャレンジしてみないか、とのお誘いがありました。

心臓周辺に違和感を感じていた山仲間は、今年の初めに意を決して心臓の検査を受け、24時間ホルター心電図などのあと最終的には心臓カテーテル検査を受検。
結果として、心臓そのものには異常はないものの、周辺の血管が痙攣しやすく、その意味では狭心症という括りになるとのことでした。
血管を拡張する薬を処方され、念のためニトロも処方。
地道に運動はしていたつもりでも、結局のところ血液の循環を活発にするような活動はしてこなかったので、これを機に前向きに山登りも考えてみたいとの決意を固めたのだそうです。

そこで手始めに、敗退した岩壺山を克服したい、ついては同じく無念の涙をのんだ貴殿と一緒に登りたい、ということでのオファーです。
新型コロナウィルスの感染拡大が続く中、思うような山登りができなかったこともあり、喜んでお供しましょうと回答したわけです。

前回は林道が不通だったことから車で入れなかった五重の滝駐車場(本太郎コース登山口)ですが、現在はほぼ問題なく通行できるとのことで、山仲間の車でこちらを目指します。
駐車場の雰囲気は前回来た時とほとんど変わっておりませんでした。

身支度を整えて(渡渉が複数回あるので私は例によって地下足袋です)出発。

トライアルパーク北郷と岩壺山への案内板があります。
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トライアルパーク北郷は、このところテレビなどでも取り上げられていて、クロカン四駆などが頻繁に入り込み、前回来たときはだいぶ様子が変わっています。

しばらく進むと「岩壺山山頂へ」と書かれた案内板がありますが、前回、私はこれを見落とし(発見できず)、手前から藪漕ぎを強いられました。
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下り気味に進むと左側にテープがあります。
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入り口は草で覆われわかりづらいので注意が必要ですね。

藪っぽい中を下っていくと踏み跡も比較的しっかりしてきて、「猪八重照葉樹林生物群保護林」の看板に出合います。
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さらに進むと猪八重谷川にぶつかり、最初の渡渉。
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複数回の渡渉を繰り返すと、流れの穏やかな最後の渡渉となり、ここから山道に入ります。
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途中で五重の滝方面から上がってくる登山道への分岐点を右に分けると、緩やかな道の先に案内板があります。
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そこから急登急降下を繰り返し高度を上げていくと、次の案内板に出合います。
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さらに急登を稼ぐと、立派なもみの木に出会いました。
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山仲間は、その前からペースが遅れがちでしたが、このあたりでかなり息が上がってきている様子。
自分はここで待っているから登ってきてくれ、などと言います。
とにかく一息入れて、水を飲ませ、呼吸を整えさせると、顔色も戻り、息も正常になってきました。
ただ、心拍数が100を超えているようなので、心臓の状況を聞いてみます。
特に不整脈のようなものは出ていない様子で、気合を入れなおし、再度登ることを承知してくれました。
無理をさせるわけにはいかないので、できる限りゆっくり登るようにします。

地図上ではここから登り一辺倒のように見えますが、実際にはやせ尾根のアップダウンが延々と続きます。
足元には枯れ葉が盛大に散乱し、非常に滑りやすく、登りもそうですが下りの時のことを考え、かなりうんざりさせられました。

樹間から覗く高みを伺いながら、あれがピークかと期待しつつ、高度計を見るとどうもまだ先のようで、案の定、頑張って登った後に急降下があったりして、この点でもうんざりです。
時折、山仲間の登ってくるのを待ち、脈拍を計り顔色や呼吸の状況を見ながら、じりじりと先に進みます。

やがて大きな岩にぶつかり、これを左から巻き上ってさらに登ると、ようやく待望の岩壺山山頂に着きました。
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西方に展望が開け、鰐塚山と朝陣野の先には高千穂の峰や霧島連山が望めます。
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これには山仲間も大感激。
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きつかったけれども頑張って登ってよかった、と感動を新たにしておりました。
私も、宿題だった岩壺山山頂を極めたことで、大満足。
とりあえずグランドシートを出して、山仲間を横にならせ休ませました。

これは花切山への縦走路でしょう。
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男鈴山の左側遥か先の方に見えているのは恐らく高隅山ではないかと思います。
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あれも本当に良い山でした。

帰路、南に縦走し猪八重渓谷に下る道もありましたが、安全第一で往路を戻ります。

予想通り、枯れ葉満載の急降下は非常にいやらしいものでしたが、やはり登り切った充実感で気分が高揚しているのか、周りの景色を眺めながら下る余裕もできてきました。

時にはこのような穏やかな道もあり、距離は僅かですが少しほっとさせられます。
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それにしても、標高737mの低山ながら、立派な樹がたくさんあります。
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これは例のもみの木です。
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切り株がハート型になっている樹もありました。
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白い木と黒い木がぴったり寄り添っています。
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これなどはまるで抱き合っているかのようですね。
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なんだかメカゴジラの頭を思い起こしました。
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そろそろ渡渉点かな、と思われるところに、大山神社と書かれた石碑がありました。
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登っているときには気が付かず、景色を見ながら降りてきたのでわかったのでしょう。

猪八重谷川の渡渉を繰り返し、崩れやすい斜面のいやらしいトラバースを何度か重ねて、無事、登山口に戻りました。

山仲間とがっちり握手をし、お互いの宿題をやり遂げた喜びを分かち合いました。

こうした機会を作ってくれた山仲間には感謝しかありませんが、心臓カテーテル検査を行い、ニトロも処方されているわけですから、さすがに実行するまでには私も不安でなりませんでした。
主治医の意見はどうなのか、と聞くと、血流が滞ることの方が問題なので、体はきちんと動かした方がよい、ただし無理は禁物で、違和感を感じたらすぐさま中止し、状況によってはニトロの服用を躊躇わないように、とのアドバイスがあったそうです。
今回の山行で息が上がり苦しくなったのは、運動不足による心肺機能の低下が大きな原因と考えられ、少なくとも心臓に危険な負担をかけていたわけではない、むしろ、こうして長時間の山行に耐えられたことは大きな自信につながった、と、山仲間は笑顔で答えてくれました。
私もほっと安堵するとともに、私自身、まだまだきちんと歩けることを確認出来て少し自信を取り戻しました。
前回の敗退時から三年あまり経過しているのですが、体感的には今回の方が格段に楽で、ほとんど汗もかきませんでした。
考えてみれば、あの時に比べて体重は5kgくらい減り、お酒の量も減っているので、むしろ今の方が体調も良く体も強いのかもしれません。
ウォーキングや踏み台昇降、ラジオ体操やNHKのみんなで筋肉体操などを地道に続けてきたことも大きかったのでしょうか。
山仲間も、できる限りの運動に努めてきたそうです。
継続は力なり、という俚諺はまさしく正論ですね。

ところでこのコースですが、途中に案内板はあるものの、テープなどの目印を見逃さないようにする必要がありますし、非常に足場の悪いトラバースや急登・急下降があります。
また、尾根の広がっているところでは目印を見失うと迷う可能性もありますから、行動は慎重になさって下さい。
それでも、標高のわりに自然が色濃く残っていて、巨木に出会うと深山の趣をひしひしと感ぜられます。
山頂の眺望も相俟って、誠に素晴らしい山です。
機会があれば、渡渉を繰り返した猪八重谷川の遡行にもチャレンジしたいものと思っています。

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メスティン [山登り]

梅雨の走りなのでしょうか、雨の鬱陶しい日が続いています。
それでも、家にこもりきりではますます気持ちが滅入りますので、小止み時を狙ってウォーキングに出かけたり、出られないときは踏み台昇降をしつつ、ラジオ体操や筋トレに取り組んでいるところです。

ところで、近頃様々な場面で「メスティン」が取り上げられるようになりました。
おしゃれっぽい名前ですが、要するに「飯盒」なのであり、その意味からすれば19世紀の後半から野戦時の炊飯用具として用いられてきていたもの。
古くからの山屋は結構お世話になっているのではないでしょうか。
その後、山用の調理器具としては機能的なコッフェルなどが主流となり、単独行の場合はメタクッカーなどへと発展していきます。

それがここにきて、メスティンとして改めて見直され山だけではなく簡易な弁当とか携行食調理などアウトドア以外でも用いられるようになり、レシピ本などもかなり出されている模様です。

昨日、近所のダイソーに寄ってみたら、なんと500円(税込み550円)で販売されていたので、試しに購入してきました。
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一合炊きなので少し小さめですが、値段の割には縁のバリはきちんと処理されており、アルマイト処理もなされておりました。
コスパはかなり高いと思います。

試しにスパゲッティを作ってみることにしました。
山での使用を考え、山用のガスコンロを使います。
水180ml程度に食塩を加え、沸騰したら、半分に折ったスパゲッティ75gを投入。
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吹きこぼれないように火加減を調整します。
ガスコンロはこの点で非常に便利ですね。

お湯がなくなるくらいまで茹でます。
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頃合いを見計らって、具を投入。
今回は、パプリカとぶなしめじとベーコンを予めオリーブオイルで炒めたものとツナ缶を混ぜ合わせました。
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実に簡単です。

調味料は塩と胡椒で味を調えるくらいで、スパゲッティや具などから出汁は十分に出ますから、この点も手軽ですね。

75gのスパゲッティでも一人前なら十分な量であり、いつか山行の折に使ってみようと思っております。

「火力調整いらずの半自動炊飯」などと箱には書かれておりましたが、そもそも炊飯などは鍋などでも問題なく対応可能です。
私は小学校4年生のころから釜でご飯を炊いてきましたから、今でも鍋などでご飯を炊くのはお手の物。
むしろ、電気炊飯器などで炊くよりも鍋で炊いたほうが美味いくらいです。
メスティンブームによって、電気釜がなくてもご飯が簡単に炊けることが一般に広がっていくとすれば、それはそれで非常にいい傾向だと思いますね。

ちょっと唐突に思い出しましたが、40年くらい前の固形燃料は、使用時にホルマリンガスが出たりして、臭いうえに目が痛くなったりしました。
その後、品質改良されてずいぶん使いやすくなり、メタクッカーなどの使用も積極的に行おうという気になりました。コンロなどに比べて軽量化が図れますから。
固形燃料を使って調理するという動きも、メスティンブームを機に盛り返すこととなるのかもしれませんね。

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近くの公園のクライミングボード [山登り]

長い梅雨が明けたと思ったら酷暑がやってきました。
特に熱帯夜は厳しく、さすがにエアコンをつけっぱなしという状況が多くなっています。
ところによっては38度を超えているそうで、風邪を引いた時の発熱レベルですね。
水分補給を怠ることなく、熱中症には十分な注意が必要です。

携帯電話を買い換えました。

現在使用中のガラケーは、2015年8月に買い換えたものですが、通信方式が4GLTEへのグレードアップされることに伴い、以前の3Gケータイは使えなくなるのだそうです。
やむを得ず買い替えの検討を始めました。

この際だからスマホへの切り替えも念頭に置いて、まずは現在利用しているキャリアのauに連絡。
還暦を超えてからのスマホデビューで料金が安くなるという話を聞いていたので、その辺を確認してみました。
しかし、いろいろと聞いてい見ると、確かに筐体の割引とかポイントを利用しての値引きはあるようですが、結局、月の利用料金は5000円近くになりそうです。
では、ナンバーポータビリティを利用して別のキャリアに乗り換えたい、と云ったら、ガラケーの乗り換えであれば、安いプランがあるとのこと。

携帯電話に関して、私は電話とメールくらいしか使っていないので、その旨を強調して見積もってもらったところ、2000円の前半くらいのプランがありました。
無料通話がひと月1000円分ついてくるので、現在の契約とほとんど変わらず、少し安くなるような感じです。
楽天電話などへの切り替えも真剣に考えましたが、回線の充実や店舗のことなどを考えるとやはり躊躇するものがあり、この値段ならとこちらにしました。
気を付けるべきはネット利用で、「ダブル定額ケータイ」というプランは500円から4200円までの幅があり、10MBまでなら500円、それを超えると従量課金となり1KBで0.02円かかることになるそうです。
2GB以上は4200円で定額(ただし通信速度は遅くなる)なので、ネットを使いすぎるとかえって高くついてしまいます。
私の場合、eメール以外でケータイをネット接続に使うパターンがごく限られており、その場合は自宅などのWi-Fi環境を使うので、恐らくそれほど超過するとは思えません。
モバイルでネットに接続するのはタブレットとポケットWi-Fiですから、このパターンを続けていけばそれほどの料金にはならないと思います。

まあ、とにかく、実績をみてみないとわかりません。
8月が終わった段階でチェックしてみるつもりです。

新しいケータイは、京セラの簡単ケータイ「KYF37」というもの。
電池の持ちも結構よく、満充電で一週間は使えます。
もともと通話をあまり利用しないのでそんなものなのでしょう。

このケータイのカメラで、近頃ちょっとはまっている近所の公園の遊具を撮りました。
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これは滑り台へ上る斜面なのですが、裏から見るとちょうど被った壁になります。
これの一番下から取りついて一番上まで上ると、ちょっとした前傾壁っぽいクライミングを体験できます。
実際に、下に降りずに何度か上り下りを繰り返しながら壁の中にいると、腕がパンパンになり、なかなか面白い。

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こちらはちゃんとホールドを付けた小さなクライミングボード。

裏表にホールドがあり、高さは2メートルくらいでしょうか。
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低い位置から取りついて、裏表をトラバース気味に何度か回っていると、こちらもかなり腕に来ます。
赤いホールドと青いホールドがあるので、ホールドを限定して裏表を回ると、カウンターなどを使う大変面白いボルダリングができます。

夕方など、子供たちや家族連れがいない時を見計らって遊ぶのですが、それなりのトレーニングにはなります。

以前通っていた近所の駅前のボルダリングジムが閉店してしまい、いいトレーニング場所がなかったのですが、手ごろな遊び場所が見つかりました。

因みにこの場所を見つけて教えてくれたのは連れ合いでした。
一緒に遊べなかったのが残念です。

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雪の入笠山 [山登り]

桜の季節が始まりました。
朝の気温は低いものの、日中は20度近くまで上がることもあり、春本番を迎えている感があります。

先日、入笠山に出かけ、スノーシューでの散策を楽しんできました。

スノーシューの経験はほとんどない私ですが、そんな初心者でも履いて少し遊んでいるうちにコツを呑み込むことができ、深雪での高い踏破性能を味わうことができます。

比較的雪が少なかった入笠山の今シーズンでしたが、三月の半ばあたりからかなりの降雪があり、私が出かけた折はおあつらえ向きの銀世界でした。
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早速、入笠山の山頂を目指します。
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一年を通じて登山者の多い山であるだけに、この時期でもトレースはしっかり残っています。

ワカンのような「花魁歩き」の必要はないものの、踏み固められたトレースをたどるのにはあまり向いていないのかもしれません。
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それでも、前爪などがあるため、踏み固められた雪面でもかなりグリップが効き、狭いところなどで自分のスノーシューを自分で踏んだりしない限り快適に歩けます。

穏やかなお天気ではありましたが、低気圧が急速に近づいてきていることもあり、山頂での景色はいまひとつです。
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この山の一番の売りは360度の展望なのですから、その点は少し残念でした。
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とりあえず記念写真。
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何枚か写真を撮っているうちに、寒さゆえかデジカメのバッテリーが切れてしまい、それではとケータイを使おうと思ったらこちらもバッテリー切れ。
そんなわけで、これ以降の画像はなしとなりました。

首切り清水方面に下ります。

こちらのほうはほとんど人がいなかったので、思い切りコースを外れて雪原に入っていきました。
これがまことに快適で、ツボ足ならば腰まで、ワカンでも太ももくらいはもぐってしまうところも、まったく問題なく進めます。
この時期特有の、嫌らしいモナカ雪もなんのその、という感じで、なるほどこれなら人気が出るのも当然、と納得です。

しばらく雪原や吹き溜まりなどで遊び、林道に出ました。
林道は所々で雪が消えていて、アイスバーンになっていたりします。
それでも、スノーシュー自体に前爪などがあるため、ほとんど問題ありません。

入笠山周辺のような、逍遥雪山歩きには最高に適合するアイテムだなと感じました。

傾斜の強い岩稜地帯やキレットなどの狭い場所で使うのはかなり危険と思いますし、雪稜でも、傾斜の強い斜面では、やはり靴と一体化しているワカンの方が優れていると思います。
これまで山スキーで登っていたようなところは、スノーシューに切り替えることでコントロールがしやすくなり行動範囲も広がることでしょう。

今回、私はストックなどを使いませんでしたが、その方が無駄な力が入らず、こうした雪原のハイクには合っているようです。

いずれにしても、用途によっては大変快適で優れた雪上アイテムだと改めて感じました。
携行するのにちょっと大変ですが、目的に応じて使ってみてもよいのではないでしょうか。

閑話休題

このブログ、長らく記事をアップしておりませんでした。

今年の1月18日、連れ合いが永眠しました。

昨年の2月初めに、がんの肺への転移が確認され、肺の切除、抗がん剤治療などを行った後、ホルモン治療の可能性も調べてみたのですが、残念ながら効果が期待できず、セカンドオピニオンなども活用しつつ、放射線治療や保険外の分子標的薬など様々な治療を試みたところです。

しかし、いずれも効果が上がらず、昨年の10月、新たな抗がん剤治療を試みようとしたのですが、それに耐えられるだけの体力が連れ合いには残っておらず、手詰まり。

肺と気管支の腫瘍を除去する目的の放射線治療を受けるため、昨年11月より入院し、これは一定の効果があったのですが、根治に結びつくことは到底期待できず、最後は緩和ケアを中心とする療養になりました。

連れ合いは在宅医療介護を望んでおりましたので、介護用ベッドや車いす、酸素吸入器そのほかの医療用機材を借り受け、在宅医療専門の医師・看護師・薬局の方などの手厚いご協力を得て、しばらくは自宅で過ごしました。

年も押し迫ったころ、自宅にほど近い総合病院の緩和ケア病棟に空きができましたので、そちらに入院し、私なども泊まり込んで一緒に年越し。

その後いったん自宅に戻ったのですが、連れ合いの体力はいくらも残っていなかったのでしょう、16日にはほとんど食事がとれなくなり、18日の朝、緩和ケア病棟に再入院し、その日の午後に旅立ったのでした。

眠るように逝ってしまったので、私はとてもそのことを受け入れられず、手を握り体を揺さぶり胸をマッサージしたりして、「戻ってこい!」と何度も叫びました。
小一時間、そうした徒労に近いことをしていた私に、病棟の看護師さんが「お気持ちはわかりますがもう休ませてあげてはいかがですが」と声をかけてくれました。
しかし、連れ合いの体はまだ生きているときのように温もりがあるのです。
絶望の涙を流しつつ、医師からの臨終宣告を聞きました。
昨年の終わりくらいから体中の血管がもろくなっていて、タオルなどで体をこすって洗ったりすることができなくなっておりましたから、せめて最期くらいは私の手で体を拭いてあげたいと思い、病院側で用意してくれた温かなタオルで体中を拭いてあげ、「最後までよく頑張ったね」と声をかけたところです。

1月25日に告別式を行って火葬し、3月2日、私の郷里の八ヶ岳山麓の町にある私の家の墓に納骨を済ませました。
30年ほど前に、私の実家を訪ねた折、○○家のお墓はどこにありますか?と、連れ合いは私の父に聞きました。
まだお墓など眼中にもなかった父は、墓はない、と答えたのですが、そのとき連れ合いは「ええ!私が死んだときに入るお墓がないのですか?」と訴え、父はその場で墓の購入を即決した、という経緯があります。
そのお墓に、まさか自分が一番最初に入るとは思ってみなかったことでしょう(私の父母はまだ健在です)。
急遽、墓石を立て、整地した墓に納骨をする際、私はそのことを思い出し、言い知れぬ悲しみに浸ったところです。

先に入笠山に出かけたことを書きましたが、月命日にお墓参りをし、花を飾りたいという想いもあってのことです。
葬儀の日も、納骨の日も、お墓参りの時も、穏やかなお天気に恵まれました。

そういうお天気を連れ合いがあつらえてくれたんだなと、私は勝手に考えております。

連れ合いが旅立ってから二度目の月命日が過ぎました。

遺骨が自宅にあった時には、毎日、影膳を上げ、今でも、毎日、米・塩・水そしてお茶を上げています。
少し微笑んでいる遺影を見ながら、私の寂しさは一向に果てることをしりません。
最期の時の連れ合いの温もりは、まだ私の全身の記憶として残っています。
私を一人残して(私たち夫婦には子供がありませんので)、勝手に先に逝ってしまうとは!と、理不尽だとは思いつつも口惜しさと悲しさと怒りに満ちた感情を抑えることができずにいます。

ただ、最後は本当に眠るように安らかだったこと。
そして、病院にいる時を除いて、一日たりとも連れ合いを一人にはしなかったこと(連れ合いの姉妹や私の妹も来てくれましたので)。
そのことだけがわずかな救いでありました。
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孤独のとらえ方 [山登り]

山登りのスタイルについて、基本的に単独行である人と、仲間を募って登る人に、なんとなくですが分かれるような気がします。
半世紀くらい前にはスタンダードであった「パーティ」は、チーフとサブというリーダーの元に隊員が組織され、それぞれに「食料担当」「装備担当」「記録係」「天気図作成」などといった役割が付されて統率されていましたが、今や、学生や社会人山岳会でもこうした形態は衰退してきているように思われます(実際はどうなのでしょうか?)。
つまり、仲間を募って登る、というのは、正しく「同好の士」が集まってワイワイ楽しく行動する、という感じになっているようです。
そういう山行にはこのところ全くご無沙汰ですので、あくまでも私の想像の限りでは、というエクスキューズが付きますが。

「何のために山に登るのか」という無粋な問いかけに対して、恐らく山に登っている人たちそれぞれに固有の目的や理由や想いがあろうかと思います。
20年以上も前に、私はそのことについて自分のサイトの記事として書いたことがあります。
改めて読み返すと青臭さに辟易としますが、当時としては正直な気持ちだったのでしょう。やはり一種の現実逃避だったのかもしれません。

都市部での生活を余儀なくされている私たちは、毎日毎日混雑した通勤電車に揺られて出勤し、多くの人々に囲まれながら仕事をし、時には熱くなって議論も重ね、やはり満員電車でもみくちゃにされながら帰宅、くたくたに疲れて泥のように眠る、などという、生物としてはいささか異常な環境の中で日常を生きています。

縄文時代は狩猟が主だったこともあり、人口密度は一万平米に10人くらいのものだったそうです。
つまり、山手線の内側に60人程度の人間しか住んでいなかった、ということなのでしょう。
人間は雑食ですから、木の実・草・虫・動物などなど、生きていくのに必要な獲物は、天候と環境にさえ恵まれれば造作なく手に入ったことと考えられます。
縄文時代が一万年をはるかに超えて長く続いたのも、比較的温暖で安定した気候が続いていたからといえるのかもしれません。
そして地球は再び寒冷化に向かい、自然界の恵みに頼る生活形態では対応ができなくなって、縄文時代は終わりを告げます。
古事記や日本書紀にみられる天岩戸伝説は、恐らく長きにわたって太陽光を遮った天体現象や気候変動を伝えたものなのでしょう。
安定した食料調達のため、人間は農耕の道に進み、作物を栽培し家畜を飼育して、その土地に定着するようになります。
まとまった人間が共同で生活するようになると、そこに暮らす人々は当然に互助の意識をもつようになり秩序や社会性が必要となってきます。
本来、動物は自身の防御本能から個体距離(パーソナル・ディスタンス)を設定し、そこに近づく他者を排除するため攻撃する(あるいは自らが逃走する)ものなのですが、生活のために共に生きる者同士は、その目的ゆえにその距離が縮まることを敢えて忌避しなくなる。
しかし、本能的にはやはり嫌なことなのだろうと思います。
「私たちは愛し合っているからいつもくっついていたい」
などと甘い想いに浸っているカップルだって、恐らく四六時中そばにいたら辟易するのではないでしょうか。
ましてや、何の関係もない赤の他人が自分の個体距離(臨界距離)の中に入ってくるのは、本来耐え難いことだと思います。
通勤時などの満員電車に詰め込まれているとき、私は石になろうと努めています。少なくとも感情を表出させることのないように押し込めます。
そこから逃れようとしても物理的にできないわけですから仕方がありません。何故そんな理不尽に耐えられるかといえば、その中に押し込まれていることが経験上危険な状態ではないことを認識しているからなのでしょう。
考えようによっては誠に哀れな「習慣」だとは思いますが。

そんなわけで、私にとっての山歩きは、そうした日常からの解放が目的といえるのかもしれません。
なるべく人のいない時期やルートを選び、一人の時間を満喫する。
30年以上前の私は幕営による長期単独縦走にはまっていて、一週間から十日間くらいかけた山行に汗を流していました。
同好の士がいなかった、ということもありますが、今振り返ってみれば、あれは単独だったからこそ意味があったようにも思われます。
長期間の縦走となりますと、食料やルートも計画通りにいかなくなることは当然のように起こり、その都度判断を求められるわけですが、単独であるからこそ徒な逡巡といったマイナス要素を排除できるのです(もちろんそれによるリスクは全て自分持ちですが)。

今となっては家庭や仕事上の都合もあり、こうした山行を試みることは困難ですが、たとえ日帰りでも、意識としては全てを自分の判断と責任で行動したい、という想いが強く残っています。
ある種、日常的な束縛から逃れるために山に行く部分もあるわけですから、不思議なことではないとも思いますが。

それから、これはかなり根本的なことであると思いますが、私は単独で山に入っていても、寂しさややるせなさや心細さといったような負の意味での孤独を感じたことはありません。
恐らく単独行を実践している人たちには、この気持ちがわかってもらえると思います。

ところで、こんな記事を目にしました。

中高年男性が軒並みハマる「孤独」という宗教

私は、以前こんな記事を書いたこともあり、仲間外れにされる不安感から友人を求めるのは本末転倒ではないか、と考えています。
のっぴきならない問題が起きた時に、身を挺して助けてくれる人を一人でも持っていればそれで十分。
また、自分としてもそうしてあげたい大切な人がいる、そのことが重要なのではないか、と。
そして、そういう関係性を築くことができるのは、自身の孤独を見つめそれを鍛えることのできる自立した者同士なのではないかと思っています。

ご紹介した東洋経済の記事は、そんな私の思い込みに警鐘を鳴らすものなのかもしれません。
しかし、
国立社会保障・人口問題研究所が今年8月に発表した調査では、65歳以上の高齢者で1人暮らしをしている男性の15%(女性は5%)、およそ7人に1人が、会話の頻度が2週間に1回以下であるという結果だった。また、65歳以上で一人暮らしの男性の30.3%(女性は9.1%)が「日ごろのちょっとした手助け」で頼れる人が「いない」と答えた。

とか、
アメリカの財団が同じ8月に発表した日米英の孤独に関する調査では、孤独であると回答した人のうち、10年以上、孤独であるという割合が35%と、アメリカ(22%)、イギリス(20%)より圧倒的に高かった。

というくだりには考えさせられます。

人は社会的な生き物ですから、たった一人で生きるということはできません。
生きていくうえでの他者とのつながりは基本的で重要な要素です。
ただ私は、そうしたつながりを、家庭とか学校とか会社とか地域(ご近所)といったような既存コミュニティのみに求めるのはどうなのかな、と思います。
既存コミュニティの中にいて得られる安心感は、仮にそこから疎外されてしまった場合、致命的かつ絶望的な喪失感へと激変することになるのではないでしょうか。
従って、そのコミュニティの中にとどまれるように、ある時には自分を抑え同調圧力に身をゆだねていかなくてはならなくなる。
やはり本末転倒だな、とつくづく感じます。

つながるのは組織やコミュニティなどではなく、あくまでも個人なのではないでしょうか。
個人同士で自在にしなやかにつながっていく、そんなつながりこそが必要なのではないかと思います。

その意味では、ブログを通じたつながりというのも非常に有効なのではないか。
事実、私は、私の拙い記事に貴重なnice!やコメントを付けて下さる皆様に対して、個人的に深いつながりを感じています。
なかなか記事がアップできないので内心忸怩たる想いはありますが、拙いながらも記事を書いていこうとするのは、そうした自在なつながりを求める気持ちからくるような気もしています。

何かにつながることによって自分自身の存在を思索し確認する。
ある意味では人間だけに与えられた特権なのかもしれませんね。

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晩秋の入笠山 [山登り]

10月も終わりに近づき、秋も深まってきた感があります。
高峰は徐々に雪化粧を施しており、山は晩秋から初冬の趣といったところでしょう。

この夏、入笠山に案内した友人たちから、「是非ともビーフシチューを食べたい!」とのオファーがあり、マナスル山荘本館に再来しました。

前回、時間の都合で歩けなかったテイ沢から大阿原湿原を回る周回コースを、今回は高座岩に立ち寄って、紅葉を楽しもう、というものです。

比較的落ち着いたお天気が続いていましたが、土曜日の朝はあいにくの雨。
しかし、そのおかげもあってか、週末の中央道にしては目立った渋滞もなく、快適に走ります。
と思ったら、甲府南と甲府昭和の間で事故が発生し、2km・30分という渋滞にはまってしまいました。

それでも10時前にはマナスル山荘に着くことができ、宿泊とお昼のビーフシチューを予約して、小雨の降る中を長谷村につながる入笠山林道を歩き始めます。
お昼ご飯のサービスは14時30分までとのことでしたが、まあ、時間的には余裕だろうと高を括っておりました。

林道わきの樹々にかかるサルオガセです。
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これほどに育っているサルオガセを見るのは久しぶりで、思わず目を見張ってしまいました。

紅葉もだいぶ進んでいました。
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しばらく行くと、「南無入笠観世音」と書かれた石碑がありました。
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登って行って確かめると、蛇をかたどったレリーフが祭られています。
縁起を読むと、昭和38年当時、この小黒川林道の工事を実施していた自衛隊員の夢枕に観世音菩薩が立ち「ここは私(観世音菩薩)が治めた地である。土を掘り起こし、私の神体である白蛇の姿を認めたなら粗略に扱わないように」といった趣旨のお告げがあった由。
そのお告げの通り、掘り起こした土中からこの白蛇のレリーフが出てきたので、工事や山里の安全祈願のために手厚く祀ったのである、とのこと。

小黒川林道は現在補修工事をしているようで、途中から車は通行止めになっていました。
30年位前に、この林道を車で走って戸台に向かい、甲斐駒に登ったことがあるのですが、その当時も、車で走るのには厳しい道でした。

法華道への分岐を見送り、林道の左側に小黒川が流れ、静かな林道歩きを続けていると、右に高座岩への指導票を見つけました。
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濡れて滑りやすい急登を稼ぐと林道に出て、そこにも指導票がありました。
「高座岩・法華道」と書かれた矢印の方向を、林道の先と勝手に思い込み、そのまま林道をたどってしまいました。
25000分の1の地形図には載っていない林道なので、法華道に続くのだと勘違いしてしまったようです。
左側に下る林道を二本やり過ごして緩やかな登りに転じてしばらくしたところで行き止まり。
右上に大岩があったので、あれを回り込むのかと、クマザサの藪の中を強引に登りますが、大岩の周辺で藪はさらに濃くなってしまいました。
どう考えても間違っていると思い、先ほどの指導票まで引き返しました。

注意深く、左側の尾根に至る踏み後を探しながら歩くと、何本かのタラノ木が紅葉しています。
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タラの芽の一本残しはちゃんと守られているんだなと、ちょっと感慨深くなりました。

さて、指導票のところまで戻って周囲を見ると、少し後ろに下がったところに右の尾根に回り込みながら登る踏み後がありました。
指導票では右の矢印になっていたので、完全に私の思い違いです。

踏み後に従って登ると、法華道に出ました。
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そこから一登りで高座岩につきます。
日蓮宗の僧である日朝上人が、見晴らしの良い岩峰を定めてそこで法華経の教えを講じたとされるところで、法華道の由来もそこからきているのでしょう。
眼前には木曽山脈が望まれます。
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私の勝手な思い違いのせいで、大変な道草を食ってしまいました。

小黒川林道に戻ってしばらく歩くと、橋を渡り小黒川を右に見るようになります。
そこからしばらくで、テイ沢分岐。
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25000分の1の地形図では、左側の尾根に登って大きく高巻く道が書かれていますが、実際には沢沿いに右岸・左岸とわたり返しながら進みます。
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透明度の高い穏やかな流れの中には魚影もあり、紅葉した樹々も相俟って、実に好もしい散策路となっていました。
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もちろん、沢沿いの道ですから、足場の悪いところや岩をへつる部分も時折出てきますが、いずれも何ということもなく進めます。

いくつかの橋を渡った時、獲物に出くわしました。
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誠に見事なもので、まさかこんなところに群生しているとは思いもせず、早速、ザックの中から行動食を入れていたポリ袋を出して、行動食を他に移したのち、獲物を少しばかり採取しました。

思わぬ余禄に頬を緩ませて歩いていくと、視界が開けて源頭の趣です。
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左側に威圧的な岩がそびえていました。
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大阿原湿原はクサモジミの最盛期。
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白樺の樹が点々とし、紅葉したカラマツが黄金色に輝いています。

大阿原湿原を後にして、車道をマナスル山荘に向かう道すがら、八ヶ岳方面の展望ポイントから富士山を眺めました。
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八ヶ岳の頂稜には雲がかかっています。
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マナスル山荘では、年に四回、ジャズのライブ演奏会を開いています。

今夜はたまたまその日に当たり、テナーサックスのジェントル山本さんをリーダーに、ベース:広目亮さん、ギター:矢羽佳佑さん、のお三方によるジャズトリオの演奏を楽しむことができました。
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ジェントル山本さんは、近々修行のためニューオーリンズに渡米するそうですが、彼はもちろん、あとのお二方も素晴らしい実力の持ち主で、お酒を飲みながら、久しぶりのジャズの生演奏を楽しむことができました。
「いそしぎ」などのポピュラーな曲における丁寧な編曲とアドリブの素晴らしさも忘れがたいものでしたが、何といってもウェス・モンゴメリーの「フル・ハウス」には痺れました。
この歴史的な超絶ライブのCDを私も所持していますが、久しぶりにその感動がよみがえる心地がしたものです。

演奏の合間、あまりにも月がきれいなので、八ヶ岳展望所まで散歩に出かけてきました。
富士見町はそれほど規模の大きな街ではありませんが、それなりに夜景もきれいに見えます。
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なかなか幻想的で、いい酔い覚ましになりました。

翌朝、5時前に起きて身支度を整え、入笠山山頂を目指します。
もちろん、「ご来光」を見るためです。

日の出は6時過ぎと見込み、5時前に起床。
5時15分くらいに山荘を出ました。

入笠山山頂での雲海は、恐らく麓も冷え込んでいるからでしょう、一部分しか起きていないようです。
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10月の終わりの山頂は、風はないもののさすがに底冷えがします。

6時を回るころ、金峰山の右側が金色になってきました。
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ご来光です。
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この景色はいつ見ても嬉しくなりますね。
陽が昇ると、ありがたいことに体が暖かくなってきました。
太陽の光のすごさに圧倒されてしまいます。

朝の光の中の富士山です。
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入笠山の山頂にはたくさんの人たちがいました。
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槍・穂高連峰も朝日に輝いています。
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さすがに冠雪していますね。

木曽山脈です。
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カラマツが朝日に輝いています。

仙丈岳・鋸岳・甲斐駒・北岳・鳳凰三山などです。
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荘厳な眺めをたっぷり楽しみ、下山しました。

ひかげの斜面は霜で真っ白けです。
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山荘で、ボリュームたっぷりの朝食を頂き、今回も大満足で帰途につきました。

そうそう、例の獲物ですが、帰宅して早速汚れなどを取り、酒とみりんと醤油で煮びたしにして、大根おろしをかけて食べました。
体調のすぐれない連れ合いを気遣って、実家から連れ合いの妹が来てくれていたのですが、二人とも、「あたるといやだから」といって食べません。
野生のエノキダケなんて、そうそうは見つからないんだぞ、と勢い込んだのですが、どうも信用してもらえないようです。
結局私一人が、市販のもやし・エノキとは全く別物の、薫り高く歯ごたえの素敵なエノキダケの煮びたしを楽しんだのでした。

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入笠山のご来光 [山登り]

記録的な暑さが続いていましたが、ようやく少し治まってきたようです。

7月21日と22日の土日、以前の職場で仕事上の付き合いのあった金融関係に勤務する友人Yさんからの「山に連れて行ってください」とのオファーを受ける形で、久しぶりに、南アルプス前衛の入笠山に登ってきました。

Yさんは、山登りの経験は浅いものの、若い頃は自転車のレーサーとして活躍しておりました。
しかし、就職後の都市銀行大合併劇以降は超多忙となり、運動からは遠ざかることになります。

それでも、7年ほど前に西岳と入笠山に案内したことがあり、あのときYさんはかなりつらい思いをしたのにもかかわらず、その折の感動が忘れられず、是非ともまた登ってみたいとのこと。

お互いにバタバタしていたこともあり、ようやくそれが叶ったというわけです。
Yさんの元部下であり若い友人でもあるKさんも参加することになり、男三人のにぎやかな山登りとなりました。

せっかくなので、マナスル山荘本館に宿泊することとし、2000円飲み放題付きで予約。
学校の夏休みが始まったばかりの週末ではありましたが、6月中に予約を入れることができました。

入笠山だけではもったいないので、釜無山にも登ってみませんか、と提案すると、是非!との回答。
私自身、10年以上前に登ったきりなので、それではそれも予定に入れましょう、ということになりました。

21日、山行きとしてはかなり遅めの8時半頃、国立府中インターから中央道に乗りましたが、思っていたほどのひどい渋滞もなく、11時前には大阿原湿原近くの林道に乗り入れることができました。
この時期、沢入から先の車の乗り入れは原則禁止なのですが、マナスル山荘などに宿泊する客は例外的に通してくれます。助かりました。

林道をしばらく走って、空き地に車を止めて身支度をします。
林道工事がかなり進んでいて、釜無山への登山道はかなり錯綜としているようです。
思い切って林道から山の中に入り、笹薮の薄いところをかき分けながら進みますが、踏み跡はかなり不明瞭になっています。
そのうちにテープなどの目印も消え、踏み跡も判然としなくなりました。
高度計を見てみると、頂上に近くなっていることは確かなのですが、深い藪の中で進むことが躊躇されます。
私一人なら、地図とコンパスを頼りに、強引に薮を漕いで登るところですが、山登りに関してはほとんどビギナーである二人を連れていることから、遺憾ながら引き返すことにしました。
実際、藪の中で足を取られ、脛を倒木で打ち付けたりしていた様子でしたから、これ以上無理をさせるわけにもいきません。

「すみません、予想以上に道が荒廃しているようで、あきらめましょう」というと、何となく安堵した表情を浮かべつつも、「残念ですね。登ってみたかった」などと嬉しいことを云ってくれました。

この辺りのカラマツ林ではサルオガセがたくさん見られますが、お二人にとっては物珍しい光景のようで、どういう生態なのか興味津々。
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これは地衣類で、霧のかかる山中に繁茂し、霧などの空中の水蒸気を吸って生息している、いわゆる寄生植物ではない、食べようと思えば食べられるが決して美味しいものではない(出汁は出るけれども)、みたいなことを断片的に説明しました。

さて、釜無山登山に敗北した我々は、気を取り直して入笠山に登るべく、マナスル山荘本館に向けて車を走らせました。

釜無山方面では、登山者の姿を全く見かけませんでしたが、さすがに桁違いの多さです。
申し訳ないと、頭を下げつつ車を走らせます。

マナスル山荘本館で宿泊手続きを済ませ(もちろん飲み放題付き!)、早速、入笠山に登ります。
ものすごい人出で、さすがに驚かされました。
山ボーイや山ガールそして中高年ハイカーなどが群れを成していて、「登り優先」という山登りにおける一応のルールもものかわ、傍若無人に降りてくる様をみていると、さすがにうんざりしました。

前回は巻道コースを登ったYさん。今回も巻道コースを選びそうだったので、「岩場コースといっても全く大したことはなく、眺めはこちらの方が良いですよ」と説得して、岩場コースで登頂。
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山頂は大賑わいでしたが、八ヶ岳・北アルプス・中央アルプス・南アルプス・富士山などの周囲の山々は全て雲がかかり、これは完全な期待外れとなりました。
しかし、富士見の街中や諏訪湖などの下界の景色は眺められたので、お二人も満足な様子でした。
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山頂でゆっくりと昼食をとって休んだ後、下山にかかります。
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アザミの花にミツバチがとまっていました。

せっかくなので、首切り清水と大阿原湿原まで足を延ばすことにしました。

首切り清水にはこんな表示があります。
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生水を飲むとピロリ菌に感染するリスクがあるので、こうした表示をすることが増えているのでしょう。
冷たくて美味しい水なのに、少し残念な気がします。

入笠山周辺はあれほど混み合っていたのに、大阿原湿原では人影を見ません。
我々三人だけで独占しているような、ちょっと誇らしげな気分で散策しました。

少し時期が外れているせいか、湿原の中ではほとんど花の姿を見ません。
マツムシソウとワタスゲ、時折クルマユリやホタルブクロを見かける程度ですが、湿原の中にシラカバなどが点在する風景はなんとも云えない風情があります。
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これはテイ沢への分岐です。次回はここを通ってみたいものです。
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テイ沢の源頭です。
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大きな岩がありました。
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さて、飲み放題の開始時間は16時とのことなので、それを楽しみにマナスル山荘本館へ向かう足取りも心なしか軽くなります。
到着したその足で、まずは汗を流そうと浴場に向かいました(なんとマナスル山荘本館では風呂に入れるのです)。
先客お一人おられ、我々三人が入ると、狭い浴室はまさにイモ洗い状態。
しかも、洗い場のお湯が出ず、お湯で体を洗おうとすれば浴槽のお湯(浴槽の蛇口からはお湯も水も出ました)を使うしかありません。
私は水でも平気なので、(冷たい水ではありましたが)洗い場で体と頭を洗いました。
浴槽は三人入ればいっぱい。なんだか若い頃に入居していた社員寮の風呂を思い出します。
それでも、山小屋で風呂に入れるのは贅沢の極みです。ありがたいことだと感謝してしまいました。

飲み放題メニューは、ビール(プレモル!)・清酒・ワイン・焼酎・ウィスキーなど豪華絢爛です。
ロビーには、これを楽しみにしていたと思しき宿泊客が集まり、所々で宴会が始まっています。
我々も楽しく飲み始めましたが、18時からの夕食までは抑え気味にしようね、などとできもしない取り決めをしつつ、やはり次から次へと摂取。
何といってもプレモルのうまさが最高で、これで2000円とは信じられない限りですね。

夕食は、分厚い牛肉を焙烙で焼いたものをメインに、これまた充実しており、途中から飲み物をワインに代えて、たっぷりと楽しみました。

飲み放題は20時で終了。
そんなわけで、終了間際に行き掛けの駄賃とばかりに、たっぷりお酒をコップに注いで部屋に戻って余韻に浸ります。

何となく星が見たくなり、お酒を飲み終えたのをしおに、星を見に外に出ました。
上弦の月がまばゆいばかりで、そのすぐ下には木星が輝いています。
そこから右に目を転ずると土星がありました。
月明かりのせいか、星の見え方はあまりよくありませんでしたが、北斗七星などは明確にわかります。
ほかの星座を特定できなかったのは、月明かりのせいばかりではなく、きっと飲みすぎて思考力が虫並みになっていたせいでしょう(虫に失礼かな)。

翌朝、4時に起床。
今回の山行のもう一つの目的、入笠山からのご来光を見に出かけることにします。
二人を起こして、手早く支度をし、登り始めます。
酒が残っているせいでしょうか、足元がふらつく中、頑張って山頂を目指します。

日の出の直前に到着。私たちのほかには親子連れの三名の方だけがおられました。

日の出前の山頂は静寂そのもの。
下界は雲海に包まれ、昨日見えなかった周辺の山々も雲海の上に聳えています。
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赤岳と権現岳の間が黄金色に輝き始めました。
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ご来光です。
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入笠山の山頂も陽の光に輝き始めました。
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周囲の山々も光を受けています。
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たっぷりと堪能した後、巻道を使って下山。
木々のあいだに朝の光が差し込んでいます。
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山荘に戻って、朝食の時間まで横になりました。

朝食も非常に豪華で、契約農家からの新鮮な卵を使った卵かけごはんは絶品。
また、パンも山荘で焼いているもので、これまた絶品!
コーヒー・牛乳・リンゴジュースも用意されていて、中途半端なホテルの朝食など軽く一発KO!という感じです。

昨日の夕食といいこの朝食といい、さらに風呂にまで入れて、一泊二食付き9200円は、ここが山小屋であることを鑑みて正に破格だと思います。
食休みをしてから入笠山湿原まで足を延ばしました。
規模的には大阿原湿原に遠く及びませんが、最盛期には花もたくさん見られ、人気のスポットです。

帰路、道の駅「蔦木宿」にある蔦の湯に浸かって疲れを癒し、ソフトクリームを食べ、野菜などを購入し、七賢酒造に向かいました。
ここで各々お酒を購入し、ガストで昼食を取った後、中央道で帰りました。
途中、事故が二件もあり、残念ながら渋滞に巻き込まれましが、それでも17時くらいには帰り着くことができ、一安心。
というのも、そのあと中央道ではさらに事故が頻発し、夜遅くまで厳しい渋滞となったようですから。

いろいろと予想外のこともあった今回の山行ですが、お二人はそれなりに満足してくれたようで、今度は是非ともあのビーフシチューを食べたい!と、再来を誓っています。
私としても、こうして地元の山のファンになってくれるのはありがたい限りですから、その折にはお付き合いをしようと考えております。

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