SSブログ

ブーレーズの「ル・マルトー・サンメートル」 [音楽]

COVID-19感染拡大の影響で、今年の大型連休も私にとっては自宅での待機となりました。
屋外で、しかも人と接触する機会のないところであれば危険は少ないのでしょうが、そうした場所に出向く過程で、やはり他人との接触は避けられないと考え、もう少しの辛抱かなと自重しているところです。

こういう時間をどのように過ごすか。
そのあたりの心の余裕が、もしかしたら一つの指標となるのかもしれません。

連休の間中、仕事の関係は忘れて久しぶりに本を読んでいました。
それも、芥川龍之介とか島崎藤村とか田山花袋とか、ずいぶん昔に読み終えていながら、なんとなくもう一度読んでみようかな、などと思う作家の小説を中心に、ちょっと懐かしい思いに浸っていたところです。
そのあたりの感想はまた日を改めてこのブログに書ければいいなと思っております。

音楽ももちろん頻繁に聴いていました。

一番多かったのは、ウォーキングに出かけるときのBGMで、これが不思議とブラームスばかりでした。
私はブラームスが大好きで、その意味では「不思議」でもなんでもないのですが、歩く速度にブラームスの音楽はあまりにも良くフィットした、ということなのでしょう。

それとは別に、自宅にいるときはちょっと毛色の違った音楽を聴いたりもします。
ブーレーズの「ル・マルトー・サンメートル」などは、その典型かもしれません。

Pierre Boulez - Le Marteau sans maître, INSOMNIO cond. Ulrich Pöhl

ブーレーズは、指揮者としての功績が前面に出てしまうことが大きいように思われますが、20世紀の前衛音楽における指導的・先駆的な作曲家であったことを忘れてはならないように思います。
その態度は誠に厳しく、自身が大きく影響を受けたシェーンベルクやウェーベルンですら十二音においては不徹底であったと批判し、全面的セリーを旗印に掲げたほどでした。

しかし、自身が指揮者として活動をしていく中で、これは私の勝手な思い込みですが、より聴衆に訴えかけられる表現を目指すべきと考えた可能性は高く、この「ル・マルトー・サンメートル」は、音響的にはむしろ非常に官能的で響きを重視した音楽であるように思われます。
楽器が中音域のものに収斂しているのも、ある意味では聴く人の聴覚に訴えかけているのではなかろうかと感じます(声楽がアルトなのも象徴的ですね)。

この曲を聴いていると、ブーレーズがジョン・ケージとたもとを分かった理由もわかるような気もします。
ブーレーズは、やはり音楽、それも響きに対する可能性を決して忘れなかったということなのでしょう。

この曲は、恐らく20世紀の前衛音楽の中でも一つの金字塔といえると思います。
今、こうした試みはほとんど影も形もなくなっているように感じます。
現代の作曲家たちの目指している地平はどのあたりにあるのでしょうか。

ところで、この曲を聴きながら、指揮者としてのブーレーズのことを考えてしまいました。

自身の音楽的な立場もあるのでしょう、ブーレーズの演奏においてやはり特筆すべきは前衛音楽であろうかと思われます。
ことに、自作を筆頭に、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、バルトーク、ストラヴィンスキーなどといったあたりの作品の解釈や演奏は、ほとんど他の追随を許さないレベルなのではないでしょうか。

そして、マーラーや、とりわけワーグナー。

私も、彼の指揮による「リング」のLD(古すぎますね)を所持していますが、いまだに私にとっては(映像付きである中では)ベストです。
あの、一種醒めたような感覚からの「リング」の解釈。
醒めているからこそ、それに接する側の感性が問われるかのような演奏。
恐るべき冷徹さだなと、今でも感嘆します。

ところで、先に、このところブラームスばかり聴いていると書きました。

私が何故にブラームスを好むかといえば、やはり「好きだから」ということに尽きると思います。
あの、頑固なまでの古典へのこだわりは、ある意味、作品の根本を厳格な骨格から築き上げようと考えたからなのではないでしょうか。
ブラームス本人は、あのピアノ曲や歌曲からもわかるように、きわめてロマンティックな感性を持っていた。
しかし、それを徒に表すことをためらっていたような節があります。
己の想いを奔放に吐露しようとしたワーグナーとは、その意味でも大きな隔たりがありそうですね。

ブーレーズの演奏カタログには、残念ながらブラームスは「ドイツレクイエム」以外見当たりません。

考えてみれば、ワーグナーは、20世紀の前衛音楽における出発点ともいうべき作曲家でした。
あの、トリスタンで試みられた和音は、それまでの古典的な発想からは完全に別物なのであり、それゆえに、その時の時代のトレンドを目指したあまたのクリエイターの耳目を引き付けたのでしょう。

ブラームスは、むしろ、その時代において過去に遡ることによって己の創造の世界を打ち立てようとした。

ブーレーズが前衛である限り、ブラームスとは全く違う世界にいたとしても、それは不思議ではないのかもしれません。
少なくとも作曲家としての彼が、ブラームス的な方向を目指そうとしたはずはないと思われますので。

nice!(15)  コメント(12) 
共通テーマ:音楽

セルジュ・チェリビダッケ DVDボックス&ブック [音楽]

三月に入って荒れたお天気が続きました。
台風並みの強風が吹き荒れ、東横線では、線路わきで建設中のビルの足場が線路に崩れて運行がストップ。
夜の22時過ぎの発生ということもあり、仕事帰りの乗客を中心に大きな影響があったとのことです。
運転再開は3日の昼過ぎでした。
この週末はまたお天気が荒れる予報ですので、注意が必要ですね。

連れ合いを亡くして以来、どうもふさぎ込むことが多くなり、一昨年は衝動的に様々なCDや音楽DVDを買い込んでしまいました。
購入しながらも、すぐに聴くということは少なく、何と言いましょうか、買うことでストレスを発散していたきらいもあったのでしょう。
今はだいぶ落ち着いていて、新たにこうしたものを購入することはほとんどありません。

そうこうするうちにCOVID-19の感染拡大という事態が出来し、在宅ワークが中心となりました。
そんな環境の中、これらは貴重な心の安らぎのもととなり、こうした音楽を聴きながら黙々と一人で作業をする生活にも慣れてきたように思います。

また、以前にも書きましたが、座りっぱなしとなることを避けるため、適度な運動をしています。
在宅ワークという関係上、平日に長時間の外出は不可能ですし、お天気が芳しくなければなおさらこもらざるを得ません。
そんな折、DVDを観ながら(聴きながら)踏み台昇降をしたりしています。

先日も、一昨年に購入した「セルジュ・チェリビダッケ DVDボックス」を再生しながら体を動かしました。
録音嫌いで知られるチェリビダッケですが、晩年はいくつかの映像録画を行っており、貴重な記録となっております。
これは、13枚に及ぶDVDボックスであり、中には、1950年のベルリン・フィルとの「エグモント」や1965年のシュトゥットガルトとの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」、1969年のトリノRAIとのブルックナー9番、といった貴重な記録もあります。


中でも、1992年、38年ぶりにベルリン・フィルを振ったブルックナーの交響曲第7番の映像は、きわめて感慨深いものでした。
世界一プライドが高い、ともいわれたベルリン・フィルに対して、まだ駆け出しともいうべきチェリビダッケが執拗なまでのリハーサルを要求し、楽団員を辟易させたのは有名な話ですが、決定的な軋轢を生じさせて関係を断ってしまったのは1954年11月の「ドイツ・レクイエム」の演奏をめぐってのことだったといいます。

この演奏は、そんなチェリビダッケが、時の大統領ヴァイツゼッカーに請われて最初で最後の復帰を果たした記念碑的なものです。

お互いの確執は、恐らく埋められることはなく、その微妙な緊張感がビデオ映像からもうかがえます。
終始悲しげな表情をしていたチェリビダッケが、時折、笑みを浮かべている姿を見ると、何とはなしに安心感を覚えたりしました。

恐らく、チェリビダッケの演奏としては、ミュンヘン・フィルのほうがより完成されたものなのだろうと思います。
それでも、やはり世界有数のオーケストラであるベルリン・フィルの響きは凄まじいものがありました。
この演奏では、第1・第2楽章だけで1時間くらいかかります。
その間、私は踏み台昇降をしながら聴いていたのですが、どれくらいの時間をそれに費やしたのか全くわからないほど集中してしまいました。

私は、中学・高校の頃に吹奏楽部に所属しており、ホルンやトロンボーンを吹いておりましたが、ワグナーチューバに一種の偏愛に近い感情を抱いています。
この曲は特にこの楽器が大活躍をし、ことに第二楽章のコーダの185小節目からの「ワグナー葬送の音楽」での響きは格別です。
フィナーレの最後でもワグナーテューバは活躍をし、分厚く充実した最後のホ音が鳴り響いた後、万雷の拍手が沸き起こりました。

その響きの幸せな余韻に浸りながらDVDの再生を終えると、テレビ番組に入れ替わりました。

たまたまそのときのチャンネルはNHK総合で、何と、乃木坂46の歌と映像!
そのあまりの音の響きの薄さと軽薄さに愕然とし、即刻テレビの電源をオフにしたのですが、それまで浸りきっていた至福の時間、特にあの最後のホ音が耳の中に残っていたこともあって、何というかやり場のない悲しみを感じてしまったところです。

もちろん、自分が迂闊だったわけなので、大変身勝手なことなのですが。


nice!(16)  コメント(12) 
共通テーマ:音楽

ゲルト・シャラーによるブルックナー「交響曲第9番(シャラー校訂完全版・改訂稿)」 [音楽]

独り身になって、家のことを全部ひとりでしなければならなくなったとき、一番気が重かったのは掃除でした。
私は一応家事のほとんどは対応可能なのですが、好き嫌いということでいえば掃除は嫌いな部類です。
「埃なんかでは死なないよ」みたいなことを嘯き、連れ合いにはその都度叱られて尻を叩かれていました。
もちろん、単身赴任もしていましたし、掃除も片付けもせずに部屋の中が汚れ放題で平気、などということではありません。
その折でも、きちんと定期的に掃除はしていました。
でも、嫌いなものは嫌い、だったわけです。しなくてすむのならしたくない。

そんな私のことを熟知していたからでしょうか、
連れ合いが最期を覚悟した2018年の年末、それまで契約していたダスキンのワックスがけモップの契約を解除しました。
残された私に、あまり負担をかけたくないと思ったのでしょう。
必要なら近所のドラッグストアで床のワックスがけ用のシートを買ってくればいいから、と言いました。
その、自分に残された時間を測るような言い方は私に強い悲しみを与えましたが、結局私はそれを受け入れたわけです。

そんないきさつはありましたが、一人になると、やはり掃除は大切なものだなという感を強くしました。
不思議なもので、部屋の隅や桟などにたまった埃にも我慢がならなくなり、気が付くと掃除をしています。
テレワークになっていることもあって、布団を干すと、気分転換も兼ね掃除をするようになりました。
台所も、今まではせいぜいレンジフードの掃除くらいしたしなかったのですが、シンクなどの洗い場から三角コーナー、排水口、洗面台など、ちょっと汚れに気づくと洗い、まな板や三角コーナーなどは折に触れて日光消毒をしています。
風呂掃除はもともと私の役目でしたし、手洗いは汚れに気づいたほうが洗うということにしていましたが、換気扇の掃除は私の気の回るところではありませんでした。
ここに結構な埃がたまり、それが部屋の空気の循環などに影響を与えることも、一人になってから実感した次第です。
嫌だ嫌だ、といいつつ、今ではなんだか習慣化して、しないわけにはいかなくなった、という感じでしょうか。

先日ふと気づいたのですが、私はどちらかというと、やるときには徹底してやってしまう傾向が強く、つまり、掃除などに関しても、やり始めたらきちんときれいするまではやめられない、そんな思いが強く出るのかなと。
だから、連れ合いがいるときには、面倒くさいからみないようにしていた、ということかもしれません。
まことに厄介な性分です。

閑話休題

ゲルト・シャラーは1965年に、ドイツバイエルン州のバンベルグで生まれ、ヴュルツブルク音楽大学で音楽を学ぶ傍らフリードリヒ=アレクサンダー大学エアランゲン・ニュルンベルクで医学も納めました。
1993年、ハノーファー州立歌劇場でデビュー以来、ドイツ各地のオペラハウスなどで研鑽を重ねています。
その一方、1990年にフランコニアにあるエーブラハ大修道院附属教会でのサマーミュージックフェスティバルを立ち上げ、その芸術監督として「フィルハーモニー・フェスティヴァ」を指揮、ブルックナーの音楽を主体とした演奏に取り組んできました。

中でも、2018年7月に行われた「交響曲第9番(シャラー校訂完全版・改訂稿)のライブは出色の演奏であり、世の注目を集めたものです。


ライブ録音ゆえにもちろんいくつかの箇所での傷はありますが、エーブラハ大修道院附属教会の響きを最大限に生かした演奏は実に感動的です。
問題の第4楽章、シャラーの長年にわたる調査・研究と際立った熱意により2016年に校訂され2018年の改訂を以て完成しました。
シャラーは2010年のキャラガン校正版を使用した演奏も行っていますが、自身の改訂はさらに徹底していて、この曲に関するブルックナーの最も初期のスケッチなども取り入れ、欠落した部分の連続性を徹底的に埋めようと努力しています。
恐るべき執念であり、深い感動を禁じえません。
最終的には736小節の楽章となり、演奏時間は25分17秒。
もちろんこれまでの第4楽章補筆改訂版中、最大規模です。

これまで幾種類かの、この曲の補筆改訂版の演奏を聴いてきましたが、それぞれのピースが何となく不自然に配置され流れを阻害しているかのように感ずることを否めませんでした。
この演奏では、それが極めて自然に流れていきます。
シャラー改訂版の肝ともいうべきフーガは充実した緊張感の中で響き、最後のコーダになだれ込む感じです。
第1楽章の冒頭をはじめ、これまでのブルックナーの音楽からの引用も随所に見られ、私としては大いに楽しめました。
聴けば聴くほど新たな発見があります。

それから、このシャラー完全版では、特に中声部の厚みが増しているという印象を強く持ちます。
これまでの補筆版では、第3楽章までの和声の厚みとの差がかなり著しく出ている感があって、その点では不満を持っていたのですが、この演奏ではその点で非常に満足させられるものがあります。
ブルックナーは、年を重ねるごとに和声における大胆な試みに挑んでおり、それまでのセオリーを打ち破る冒険的な響きを作り出してきました。
その流れの中にこの第4楽章もあるように私には思えます。

「いくらなんでもやりすぎ」「これはブルックナーではない」という感想を持たれる方もきっと多かろうと思われます。
しかし、私はこのシャラーの試みの中に、彼の限りないブルックナーへの愛情が感ぜられてなりません。
彼が決して荒唐無稽なことをしようとしたわけではないことは、この演奏の第3楽章までを聴いてみれば明らかです。
ブルックナーの手のよって残された第3楽章までの未完成版でも、これまでのこの曲の数多くの演奏に決して引けを取るものではありません。
この、第3楽章までを聴くだけでも十分価値があると思うのです。
ブルックナーを愛するがゆえに、彼が完成させることのできなかった世界を何とか再現してみたい、という衝動を抑えることができなかった。それゆえに、全力を尽くして捧げた、ということではないのか。
私にはそのように思えてなりません。

さて、未完に終わった第9番。
後年の人々が、何とか完全な形で再現しようと試みていること。
そのことについて当のブルックナーご本人はどのように感じておられるのでしょうか。
以前にも何度か書きましたが、私個人としては、第9番の第3楽章のあの恐るべき深淵を受け止めることのできるフィナーレを、ブルックナーとしては完成することができなかったのではないか、と思っております。
そのことに関しては、シューベルトが未完成交響曲を第2楽章までしか書けなかったことと同じなのではないか、と。
たくさんのスケッチを描いたものの、あの第3楽章に匹敵するようなフィナーレまでもっていくことができなかった。
その意味では、そういう未完のピースをしまっておいた箱を、後年の研究者や識者が無造作に開け放ち、白日の下にさらしてしまったことに、ブルックナー本人は、あられもない姿をさらされたと思い恥ずかしさの極みにいるのかもしれません。
「テ・デウムをフィナーレの代わりに」と言い残したというブルックナーの想いは、いったい奈辺にあったのか、そのことも併せて感慨深く思います。

そのようなわけで、やはりブルックナーの交響曲第9番は、現在残されている第3楽章までの演奏で十分なのではないか。
それから先を見てみたいと思っている私たちは、所詮、興味本位ののぞき見趣味的な聴衆なのかもしれないと、時折振り返ってしまいます。
もちろん、シャラーをはじめとする、真摯な求道者の姿を敬意を以て眺めているのですが。



この全集は、交響曲の全曲のみならず、第4番「村の祭り」版やミサ曲ヘ短調、詩篇146のほか、現存するオルガン曲まで収録したものです。
このような全集が発売されることすら、ちょっと想像がつきませんでした。
これは実に貴重な記録だと思います。
因みに、当代一のオルガンの名手とうたわれ、反目しあっていたブラームス(これはどうも異論があって、反目していたのは当人たちではなく周辺の人間だったようですが)でさえ、その腕前について大変高い評価を与えていたブルックナーがなにゆえに、その最も得意としたオルガンのための曲をあまり残さなかったのか。
その理由の一つとして次のような文章があります。
彼は彼の教え子たちに次のように言ったと伝えられている。「もう私はバッハにあまりかまけたりしないつもりだ。そんなことは想像力のない人にまかせる。私は題による自由な即興演奏をやる。」これはオルガン演奏に対するブルックナー自身の態度を明瞭に示していて、オルガンの名手である彼がなぜ語るに足るオルガン曲を書き残さなかったか、その理由を明らかにしている。(H・シェンツェラー著「ブルックナー」より引用)

これは、ブルックナーが、オルガン演奏に対してどれほどの自信と誇りを持っていたかを示す言葉ではないかと思いますね。
nice!(12)  コメント(6) 
共通テーマ:音楽

テレワークの中での生活 [音楽]

今日も暖かなお天気となりました。
明日は大雨になる予報ですので、朝起きて早速お洗濯をしました。
昨日は布団を干して、その間にお掃除。

一人暮らしとなってから家事全般自分でやらなければならなくなりましたが、結婚するまでの15年間は一人暮らしでしたし、結婚してからも二度の単身赴任がありましたので、そうしたことはそれほど苦にはなりません。

特に料理は、もともと嫌いではなかったこともあり、在宅ワークが主になる前の弁当作りも含めて、ほぼ完全な自炊です。
弁当を作っていたときは朝6時には起きていたのですが、在宅ワークによってその必要がなくなると、なんだかんだと7時過ぎまで寝床にいます。
出社の必要がある際には弁当を作らなければなりませんが、前日の夕ご飯の支度の折に一緒に作り、冷蔵庫に入れておくことが習慣になると、もはや朝早く起きて弁当を作る気力は失せてしまいました。
朝と昼は、どうしても似たようなメニューになってしまいがちですが、夕ご飯はそれなりにヴァリエーションをつけようと考えています。
冬の間は、大根が安いのでおでんなどを作ったりすると、一週間くらいはそれを使えますから便利ですね。
大根を買ってきて、根元の部分を切り取り、水栽培すると大根葉が収穫できます。
daikon.jpg
これは大根に限らず、小松菜とか分葱でもでき、思いのほかの収穫があって、味噌汁の身とか炒め物に使えるので非常に重宝します。
夏の間は日に二回くらい水を変える必要がありますが、冬場は一回で大丈夫。
自炊をしていると献立がどうしても偏りがちになりますから、特に野菜の摂取は積極的に行い、魚と肉を交互に使うなど、なるべく同じものが続かないように気を付けています。

こういう生活が続くと、外食をしようという気にはなかなかなりませんから、緊急事態宣言の中で外食産業が厳しい状態に追い込まれているのも宜なるかな。
また、世の中には「自炊警察」みたいなやっかいなお節介焼きが出現しているようで、これも非常に鬱陶しい。
私は独り身ですし料理が苦手というわけでもないので毎日の自炊も苦にはなりませんが、小さな子供などの家族がいて仕事に出かけなければならないご家庭では、外食やお惣菜に頼らざるを得ない場合も多かろうと思います。
要は合理的な選択をして、このCOVID-19感染拡大を乗り切ることが大切で、それは各家庭がそれぞれに合った方法で取り組めばいいのではないでしょうか。

ちょっと余計なことを書いてしまいましたが、昨年、次のようなCDが立て続けに発売されました。





トスカニーニの演奏が、ステレオで聴ける。
これはさすがに驚いてしまい、速攻で買い求めたところです。

特に、1954年のトスカニーニ&NBCによるラストコンサート「ワーグナープログラム」は、当時87歳だったトスカニーニのまさに白鳥の歌ともいうべき録音です。
この時すでに重度の記憶障害に陥っていたトスカニーニは、本来は「ドイツレクイエム」の予定であったプログラムを自家薬籠中の物としていたワグナーに替えて臨んだのですが、それでも破綻寸前であったそうです。
手兵であったNBCだからこそ、それをぎりぎりのところで押しとどめ、カーネギーホールを埋め尽くした聴衆に感動を与えたとのこと。
詳しくは、このCDに添えられたライナーノートをご覧いただければと思います。
そうしたぎりぎりのライブ録音ではありましたが、ステレオであることによって、トスカニーニがNBCからどのような響きを引き出そうとしたのかなどが音の広がりを以て感得できるのではないでしょうか。
恐らく、全盛期の頃のような水も漏らさぬ厳しいバトン・コントロールを尺度にすれば不満は残ることでしょう。
しかし、私はやはり、あのトスカニーニがステレオ音源で演奏を残してくれていたことに感謝の意をささげたいと思います。

一方のヴェルディの「レクイエム」ですが、これは事情が異なります。
1951年の演奏は、現在でもトスカニーニによるこの曲の代表的なものとしてCD化もなされておりますが、ライブ演奏の際に生じた傷をリハーサルの部分などを用いて差し替えることにより、しぶしぶトスカニーニが認めた録音です。
私もそのCDを所有していますが、ほかの凡百の演奏など足元にも及ばぬ苛烈極まりない名演で、殊に「Dies irae」における皮を極度に緊張させた太鼓の連打には身も打ち震える迫力でした。
その「傷物」とされたライブ録音テープがコレクターの間で流通し、さらにこれとは別の位置から録音されたテープまで残されていたとのこと。
今回の疑似ステレオCDは、つまりそれらを合体して作られてものです。
従ってこれは、トスカニーニが拒絶した録音に基づくものであることを認識して聴く必要があります。
しかし、これは後からの修正のない、まぎれもない当時のライブの記録でもあります。
不自然な部分は当然ありますが、84歳という高齢のトスカニーニが、この大曲を最後まで振り抜いた記録として考えれば、やはり万感の思いを禁じえません。



nice!(11)  コメント(8) 
共通テーマ:音楽

テレワークの中で [音楽]

二月も半ばとなりました。

COVID-19の感染、もしかすると峠を越えたのかもしれない、と思わせるような風潮が出始めています。
しかし、医療機関の逼迫は依然として続いておりますから、緊急事態宣言の継続はやむを得ないところでしょう。
我慢を強いられる生活はつらいものですが、来週からワクチン接種も開始されるとのことで、もう少しの辛抱かなと思っております。

このブログに記事をアップするのもだいぶ久しいものとなりました。
先月の中旬に亡父の一年祭を執り行い、ようやくブログへの投稿などの気力を取り戻しつつあります。
これまでは、記事のアップはおろか、自分のブログであるのにも関わらず、閲覧すらも忌避しておりました。
浅はかな態度ですが、連れ合いや父の最期のことを書いてしまったので、ここに来ることでそうしたことのいきさつなどを思い返してしまい、どうにも耐えられなかったのです。

父の一年祭が終わって、以前にも書きましたが奇しくも連れ合いと父が同じ誕生日であったことから、先日、ささやかに誕生日のお祝いをしました。
母と妹はその日に二人のお墓参りをしてくれたようで、外出自粛の私としては望外の喜びを感じたところです。

さて、昨年の4月から、月の大半はテレワークとなり、業務の必要性から6月と7月は出社する日が多かったものの、9月以降はほとんど自宅で仕事をしております。
会社としても通勤手当支払いの必要がなくなったので、それはそれで多少の経費削減にはつながっていると思います。
もともと私どもの業界(IT、ソフトウェア関連)では、Web会議などでの打ち合わせも常態化しておりましたから、自宅で仮想デスクトップに接続し、メールや電話のやり取りを組み合わせることでたいていの用務はこなせますので。

ただし、仮想デスクトップで運用するにあたり、自宅のPC固有の各種デバイス(外部記憶装置やプリンタ、スキャナなど)との接続は厳重に遮断しなければなりません。
従って、プリントアウトなどを直接行うことはできませんから、量の多い資料などを印刷して読む、という、私などの古いタイプの人間の仕事のやり方では結構な不都合が生じます。
実をいうと、月のうちの何度かは、そういう必要もあって出社したりもします(もちろん、対面での営業や打ち合わせが主な目的ですが)。

30年あまり前に結婚してから、二度にわたる単身赴任を除き一人暮らしをしておりませんでしたから、常態化する在宅ワークはやはり精神的に厳しいものがあります。
人と直接会話するのは、例えばスーパーなどで買い物をするときに店員さんと一言二言かわす程度のもので、あとはひたすら会話のない生活なのですから。
人は社会的な生き物であり、コミュニケーションは本当に大切だな、と痛感しています。

そんな中で、たまに仕事仲間などとWeb飲み会を開催するのですが、これがとても楽しい!
ついつい時間を忘れて盛り上がってしまいます。
みんなきっと同じ思いでいるのでしょうね。

それから、これも一人きりでの在宅ワークの効用なのかもしれませんが、好きな音楽が聴き放題、ということ。
会社内で流れているBGMは、こういってはなんですが毒にも薬にもならないもので、始末の悪いことにどうしても耳についてしまいます。
自宅で音楽を聴くにつけても、以前は連れ合いと趣味が微妙に異なっておりましたので、今は自分の好きな音楽だけを聴くことができることに、寂しく思いつつも少し満たされた思いをすることも禁じえません。

連れ合いを亡くしてから、寂しさを紛らわす意図もあって、いくつかの新たなCDなどを購入しています。
その中で一番新しいのは、チェリビダッケがミュンヘン・フィルと録音したボックスCD。


これはなかなか聴きごたえがあって、たった一人で在宅ワークに勤しむ私の、目下の慰めの一つです。
49枚もあるので、もちろん玉石混交ですが、チェリビダッケが一番思うところを実現できた楽団との演奏歴史。
違和感のある演奏も、そうしたことを考えると、自然に頬が緩んできますね。

nice!(11)  コメント(6) 
共通テーマ:音楽

ブルックナーとブラームス [音楽]

冬に戻ったような気温となりましたが、そのおかげで桜の花は散らずに残っています。
私の職場近くの桜坂は、その名にふさわしい桜の花が盛りとなりました。
2019sakura01.jpg
2019sakura02.jpg

ブルックナーとブラームス。

しばしば対蹠的な関係として取り上げられますが、両者の残した音楽のいずれも大好きな私としては、どうもそのあたりに居心地の悪さを感じてしまいます。

これは恐らく、ワーグナーとハンスリックとの間の対立・反目が引き起こしたものではないかと思われ、ブラームスとしては自分の熱烈な支持者であるハンスリックの手前、ブルックナーの音楽を公式に認めるわけにはいかなかったのでしょう。
ハンスリックはワーグナーとその信奉者(ブルックナーなど)を徹底的に批判し、ブラームスを高く評価して擁護しましたが、当のブラームスとワーグナーは、ある点ではお互いに認め合っていたそうですから、偏屈者の評論家の存在は、今も昔も鬱陶しいものであったのかもしれません。

交響曲というジャンルから見てみれば、両者とも4楽章制を墨守しており(ブルックナーの9番は3楽章ですが、これは未完ゆえのことであり、本来は4楽章の交響曲としての完成を目指していたのは周知のとおりです)、両端楽章にソナタ形式かそれに類する重厚な楽想を置いて、第2楽章に緩徐楽章を配置するという、古典的な交響曲の形式に則っています。
ブルックナーの8番と9番は第3楽章に緩徐楽章を持ってきておりますが、これはベートーヴェンの9番に倣っているようにも思われます。

いずれにしても、交響曲の三大B(という言葉があるかどうかは不明ですが、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス)の中で、ベートーヴェンを崇拝した両者が、「田園」の5楽章制とか「第九」の声楽導入といったような方向性を採ることなく、古典的な形式にこだわった点では、きわめて近似的な印書を受けてしまいます。

因みに「田園」はその後の交響詩方向(標題音楽)へ、「第九」はマーラーによって徹底的に巨大化が試みられます(ワーグナーの楽劇も、原点は第九にありそうな気もします)。

しかし、両者の音楽は大きく異なっています。

ブルックナーはいつ果てるともしれない高山の延々たる山脈を想起させ、ブラームスは堅固に凝縮された構造物を目の当たりにするような感覚を湧きあがらせます。
これを、両者の個人的な気質の違いに帰結させるのは常套と思いますが、私はそこに、オーストリアとドイツとの違いを感じてしまう。
これはもしかすると、カトリックとプロテスタントとの違い、ということもあるのかもしれません。

シューベルトもそうですが、オーストリア人の音楽では主題の反復がカタルシスに至るまで繰り返され、それこそ延々と続く印象があります。
「疾走する悲しみ」などと表現されることもあるモーツァルトの交響曲第40番。
ブリテンは、この曲における繰り返しの指定を忠実に再現したレコードを残していますが、これは実に考えさせられる演奏で、駆け抜けるように演奏されることの多かったこの曲の本来の響きがどのようなものであったかを知ることができます。
いうまでもなくモーツァルトもオーストリア人でありましたから、同様の感性を持っていたのではないでしょうか。

延々と続くかのような主題の繰り返しと、ほかの交響曲などからの引用も含めた壮大な念押しコーダ。
これはブルックナーの交響曲の大きな特徴であり、現在ではそれを美点として評価されていますが、ブルックナーの存命中は、それを欠点ととらえ、弟子たちによる「改訂」が猖獗を極めたわけです。

「本当に必要な音符しかモーツァルトは書かなかった」として、自分はともすれば無駄な音符を書きすぎると自身を戒め、徹底的な推敲を重ねたというブラームス。
無駄な音は一音たりとも許さず、納得のいかない作品や習作的なものは完全に破棄したといいます。
以前にも書いたことがあると思いますが、頭の中にある主題が浮かんだ時、いったんはそれを封じ込めるためにほかの仕事などに熱中し、ひと月くらい経ってなおかつその主題が頭の中から去らなかったときにはじめて使うことを考える、というほど、厳しい態度で作曲に臨んでいたのだそうです。

そうしたブラームスからすれば、ブルックナーの音楽は主題を次から次へと野放図に紡ぎだす我慢のならないシロモノと思えたのかもしれません。
オルガン奏者としてのブルックナーを高く評価し、ウィーン大学などでの音楽理論の講義についても、特にその対位法などに関しては肯定的に受け止めていたらしいのですが、彼の交響曲については「内容が全くなく徒にこけおどかしの大きさを持った交響曲の化け物」という評価を下し、認めませんでした。
ただ、これにも様々な見方が存在するようで、ブルックナーのような創作態度を才能のない人間が軽々に真似ることを戒めるという意図もあったらしく、仮にそうであるとすれば至極ご尤もな見解ともいえましょう。
因みに、ブルックナーの第6番が1883年にムジークフェラインザールで初演された折(ただし、第2・3楽章のみ)、聴衆からは絶大なる拍手が沸き起こりましたが、ブラームスもその観客たちとともに拍手を送ったそうです(例のハンスリックは冷淡だったようですが)。

同じドイツ語圏であることから、なんとなくドイツとオーストリアを同一視してしまう嫌いが私にはありますが、その成り立ちなどからみると国民性にはかなりの違いがあるようです。
ハプスブルグ家とメディチ家は、ヨーロッパの文明や芸術を語る上でやはり閑却できない存在ですが、考えてみればオーストリアも神聖ローマ帝国の流れを汲んでいるわけで、その意味では同根なのかもしれませんね。
15年以上前のことですが、たまたま職場で欧州各国の話をしていた時に、うらやましいとは思いつつも日本人には真似のできないこととして、私は「そういえばイタリアにおいて何よりも大切なのはmangiare(食べること)cantare(歌うこと)amore(愛すること)の三つで、これを聞いた時には驚きました」という話題を提供したことがあります。
すると、ドイツでの勤務経験のある上司がその話を受け取り「それはオーストリアも全く同じだ」と述べたのです。
そして、ハプスブルク家とメディチ家の話で、その場はしばし盛り上がったのでした。
nice!(19)  コメント(10) 
共通テーマ:音楽

芸術の創造と訴求力。交響曲を巡って。 [音楽]

以前にも書いたことがありますが、音楽の中で、私はとりわけ交響曲を好んで聴く傾向があります。

haydn.jpg交響曲における、ソナタ形式-緩徐楽章-メヌエット-ソナタあるいはロンド形式、という四楽章制をハイドンが確立させ、序奏-主題提示部(第一主題、第二主題)-展開部-再現部-結尾部(Coda)というソナタ形式もハイドンによって完成されました。
ベートーヴェンが、メヌエットをスケルツォに変更してより抽象性を強め、交響曲の形式をさらに発展・強化させたのはご案内の通りです。

しかし、交響曲の歴史を詳しく見てみると、物事はそれほど単純ではなく、それまでオペラの序曲などに用いられて発展してきたシンフォニアが独立した管弦楽曲となって、18世紀の数多の作曲家がそれを発展させる形で様々な実験を試みていたようです。
その動きは欧州全土に広がり、ウィーン、マンハイム、北ドイツ、南ドイツ、イタリア、フランス、イギリスなどで様々な作品が生み出されました。
18世紀の交響曲に関するカタログは一万章にも及んでいたという事実もあり、それまでの三楽章にメヌエットを加えて四楽章にするという試みも、マンハイム楽派の創設者であるJ.シュターミッツによってなされていたようです。
そうした活動の最先端を走っていたのは、そのJ.シュターミッツ、北ドイツのC.P.E.バッハなどで、ウィーンはむしろ立ち遅れていた存在でした。
ハイドンでも、初期の交響曲などはパリで出版されていたとのことですから、今日の感覚からすれば不思議な気もしますね。

ただ、ある意味からすれば、ウィーンが立ち遅れていたことによって、余計な観念からフリーとなり、ハイドンはより自由な発想から様々な実験や試行錯誤を続け今日に伝わる交響曲の形式を確立し得た、ともいえるのではないでしょうか。
ハイドンの衣鉢を受け継いだモーツァルトの交響曲が、ウィーンに腰を落ち着けてからのハフナー以降とその前との間で大きく変わっているように受け止められるのもこうした背景があってのことかな、などと思ったりもします。

いずれにしても、18世紀当時には正に百花繚乱たる趣があったであろう当時の交響曲のほとんどが現在では演奏される機会もなく、一般の聴衆からは忘れ去られた存在になっていることに、ある種の感慨を抱かざるを得ません。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンによって確立・発展した交響曲の系譜が現在まで命脈を保ち、ロマン派の作曲家たちもベートーヴェンの交響曲をその範として拡大・充実させてきた、ということでしょう。

ブラームスやブルックナーは4楽章制というベースを頑なに守り、ドヴォルザークやチャイコフスキー(第3番は「例外」ですが)もその系列だと思われます。

一方、第9番「合唱付き」は、マーラーによって極限にまで拡大・発展化を遂げます。
マーラーによる4楽章の交響曲は、第1番・第4番・第6番・第9番ですが、第5番や第7番も、序奏の部分が巨大化して5楽章になったという見方もあります。
シベリウスの交響曲では第7番で単一楽章に至りましたが、ベートーヴェンは第5番や第6番で楽章の切れ目なしの演奏を指示していることから、その流れを汲んで純粋に高めた境地の作品ということもできましょう。

一方で、第6番「田園」は、作曲者自身が標題を付けてその意図を明確化したという点でも画期的な方向性を示す作品であり、この曲がなければベルリオーズの「幻想交響曲」もあのような形のものとして確立したかどうかわかりません。
「田園」は、ロマン派によって育まれた交響詩の出発点とも考えられますし、音楽評論家の松本勝男さんによれば、それはスメタナの「モルダウ」にまでつながっていく、とのことで、これは非常に興味深い見解ですね。

さて、18世紀から19世紀にかけて発展を遂げ、特に19世紀に至り、作曲家は、交響曲というジャンルで自己における最大限の表現を達成したいと願った。
ワーグナーのように、ベートーヴェンを神のごとく尊敬しつつ、交響曲というジャンルにおいては到底その域に達することができないとして、楽劇という独自の芸術の道を切り開くとか、リストのように交響詩を創設し新たな表現形式を確立しようとした人たちも、交響曲の作曲は試みているのですから、やはりその範疇に入るのでしょう(リストなどはベートーヴェンの交響曲全曲をピアノ曲に編曲しています)。

文字通り心血を注ぎこんで作品を生み出そうとするわけですから、生涯に世に送り出せる曲数にはおのずから限られます。
交響曲の創作は9曲が限界、という言い伝えも、あながち俗説とばかりはいえないのかもしれません。

ところで、演奏会のプログラムは、
  1. 序曲など短い管弦楽曲
  2. 協奏曲
  3. 交響曲

などという形になることが多いようですが、やはり締めくくりに持ってくる曲は、作曲家が心血を注ぎこんで作り上げた交響曲を、という聴衆の要望が強かったからなのではないかと思います。
私も何度かそういう演奏会に行きましたが、マーラーやブルックナーなどの場合は、交響曲1曲だけ、というメニューとなることも少なくありません。
「春の祭典」や「海」などが締めとなる演奏会もあったりしますが、楽器編成からしても曲の内容からしても交響曲と遜色ない規模の曲でありながら、「最後にドーンと聴きごたえのある交響曲がほしかった」などという聴衆の声も少なからずあるのだそうです。
私も含めて、いわゆるクラシック音楽のファンや聴衆にとって、交響曲はいまだに閑却すべからざる存在なのではないでしょうか。

しかし、以前も書きましたが、20世紀に入って交響曲の創造は徐々に終局を迎え、21世紀の現在では、わずかな例外を除いて、19世紀のように己の創作の重大なメモリアル的作品に位置付ける作曲家はほとんど存在しない状況となりました。

理由はいくつか考えられるのでしょうけれども、音楽の世界でもグローバル化が非常な勢いで進展し、それまでの西洋音楽では考えもつかなかった楽器や表現が創造者の前に開かれ、多彩な音のパレットの中から、それぞれの音の特徴を最大限に生かしたい、つまり、ドビュッシーなどが推し進めた「一音の響き」を重要視する傾向が強まっていったことがあるのかな、と個人的には考えています。
古典的な二管編成から後期ロマン派の四管・五管へと編成は拡大しても、演奏母体であるオーケストラの楽器自体は変わらず、そうした楽器の合奏によって構造的な響きを定まった形式の中で構築する。
大変失礼な言い方をあえてすれば、そうした行き方の中ではもはや新しい響きの創造は困難だと、先達たちの偉業を前にして、20世紀以降の作曲家たちは立ちすくんでしまったのかもしれません。

機能和声や厳格なポリフォニーからフリーとなり、旋律の束縛を排した無調や12音階と発展していった前衛音楽。
しかし、そうした新しい音楽が演奏会のメインに据えられることは非常に難しかったのではないでしょうか。
先ほど述べた演奏会のプログラムの雛形からも類推されるように、聴衆の好みはロマン派以前の作品に向かいます。
私自身、20世紀の音楽、シェーンベルク、ベルク、バルトーク、ウェーベルンなどからピエール・ブーレーズに至るまで、好んで聴きますし、武満徹の音楽などはほとんど「溺愛」しているといっても過言ではないほど聴きこんでいます。
でも、やはり聴いていて最も気持ちが安らいだり感動を新たにしてしまうのは、ブルックナーやブラームスやマーラーだったり、J.S.バッハだったりします。
新しい時代の音楽、特に現在の自分と同じ時間の流れの中にある音楽は、それを同時代性の中から理解しようと努めたりはしますが、真に魂を震わせるような感動を呼び起こされるものにはなりえません。

これは、決して懐古趣味的な観点からのものではないと思います。

先にも述べたように、18世紀中に1万章を超える作品が存在したとされる交響曲の中で、現在も脈々と演奏され続けている曲はほんの一握り。
これらは例外なしに、そうした聴衆の厳しい選別という熾烈な競争を勝ち抜いて残ってきたものばかりなのですから。

さらにいえば、そのようにして現在まで残った名曲ですら、生み出された同時代に、今のような至高の存在になり得ていたわけではありません。
これはおそらく、芸術という、人の内面に働きかけ感動を呼び起こす表現全般に当てはまるものなのでしょう。

例えば絵画の世界においても、ルネサンスから古典主義、ロマン主義、印象派といったあたりの作品を私は好みます。
ラファエロ、グレコ、ルーベンス、フェルメール、ドラクロワ、ミレー、ゴーギャン、セザンヌなどなど。
キュビスムやシュールレアリスムへと時代が進む中で、ピカソやダリやマグリットの作品に胸は打たれつつも、先に挙げた画家のような全幅的な感動にまでは至りません。
20世紀以降では、フランシス・ベーコンとかグスタフ・クリムトなどの例外を除いて、心を激しく揺さぶられるような絵を思い浮かべることがなかなかできません。
現在開催される美術展の中で多くの観客を呼び込む力のあるのは、誤解を恐れずに云えば、やはり印象派以前のものが大半を占めるのではないでしょうか。
進歩派を気取ってはいても、人の心の奥底は相当に保守的なものなのでしょうね。

「芸術は未来において完結する」

芸術家は、いつの時代もそうした重い十字架を背負い続けて、作品を生み出そうとしているのかもしれません。
奥深くも厳しい世界だなとつくづく思います。



締めくくりとして、矢代秋雄さんの交響曲のCDをご紹介します。
20世紀に至って交響曲を世に送り出した日本人作曲家はたくさんおられますが、その中で矢代さんの交響曲こそが本来の形を失わずに屹立した孤高の作品の一つと、私は考えるからです。
欧州に大幅な遅れを取った日本人による交響曲が、このような形で生み出された奇跡に感謝しつつ。
機会がございましたら、是非ともお聴き下さい。

nice!(21)  コメント(17) 
共通テーマ:音楽

シューマン交響曲第4番 [音楽]

関東地方は梅雨入りとなりました。
紫陽花の花が競うように美しく咲いています。
2018azisai1.jpg
2018azisai2.jpg

5月は結局一つも記事をアップできませんでした。
書きたいことがないわけではないのですが、どうにもまとめる気力が湧いてこない。
こういうときは無理をしないのが肝要だろうと思っています。
現在でもその状況に対して変わりはありませんが、何かを書くことでもしかすると自分の中のスイッチも再度入ることがあるのではないかと、思い直したりもして、久しぶりのアップとなりました。

このところ、何となくなのですがシューマンの交響曲を聴くことが多くなりました。
私はもともとシューマンが好きで、以前にも書いたと思いますが、中学生のときにはじめて自分の小遣いで買ったLPレコードはシューマンのピアノ協奏曲(裏面はグリーグのピアノ協奏曲)であったくらいです。
シューマンの交響曲を初めて聴いたのは、高校生の時のNHK教育テレビでのN響の演奏会の放映で、曲目は第4番でした。
指揮者はスウィトナーだったかサヴァリシュだったか判然とはしませんが、第3楽章スケルツォの第1主題が耳についてはなれなかったことを思い起こします。
高校を卒業して就職し、給料をもらえるようになって、少しずつレコードを買いそろえていた折、セル指揮クリーブランド管のレコードを買い、感動を新たにしたものです。

そんな中、第4番で、フルトヴェングラー指揮によるベルリンフィルの演奏に出会いました。



1953年の録音で、正に円熟の極みともいうべき演奏だと思います。
私がこのところずっと聴いているのももちろんこの演奏で、リマスタリングの性能が向上していることもあって、音質も非常によろしい。
私見ではありますが、第4番の演奏ではこれが最高だと、私は思っております。
ただ、この曲(第4番)の演奏に当たっては4つの楽章を切れ目なく演奏することがシューマンの意図であり、事実、そのように演奏されることが多い中で、このレコード(CD)では第1楽章と第2楽章の楽章間に空白が設定されているように聞こえます。
フルトヴェングラー自身は、様々な記録から鑑みて切れ目なく演奏していたはずなので、これはどういうことなのか。
(ベートーヴェンの第5番に触発されたといわれる)第3楽章と第4楽章は切れ目なく続いていますから、もしかすると録音として編集する際に編集側が「気を利かせて」パウゼを入れたのかもしません。
あるいは、そもそもフルトヴェングラーが楽章間にパウゼを入れたのか、ちょっと気になるところではあります。

フルトヴェングラーの演奏では、第4番のほかには第1番のみが残されていますが、先ほどのセルを始め、クレンペラー、クーベリック、サヴァリッシュ、スウィトナー、バレンボイム、バーンスタイン、シャイーなど錚々たる指揮者がシューマンの交響曲の全曲録音を残しています。
その割には、あまり実演で取り上げられることが少ないような気もしています。
理由はいろいろと考えられますが、一部にはシューマンのオーケストレーションが(ショパンと同じく)稚拙だから、などという乱暴な意見もあるようですね。
私はそのようには感じませんが、確かにブラームスなどと比べれば、演奏による響きの効果をあまり深く考えていなかったということもあるのかもしれません。
シューマンは、練習のし過ぎ(自分で考案した練習機械まで使った)で指を壊すほどピアノに熱中していましたから、楽想はピアノの鍵盤上のものをそのままに移し替えていたのかな、と。
短い音符で半音階のターンを繰り返すみたいな旋律は、ピアノの鍵盤上では何ということもないのですが、管楽器では結構大変だったりしますし、シューマンが創作活動にいそしんでいた当時の管楽器の性能を鑑みると、それが奏者を辟易とさせた可能性もあります。
金管楽器では、ベーム式のバルブが発明される以前など、基本的にC・G・C・E・G・Cくらいの音しか出せず、それ以外の音を出せるのは、スライド式であったトロンボーンやベル中の右手で音をコントロールできるホルンくらいのものでした。
木管楽器でも、嬰(#)や変(♭)記号の音を安定して出すのは、キーシステム導入前はかなり困難だったはずです(リコーダーやトラベルソなどを想像していただければお分かりかと)。
ベートーヴェンのようにオーケストラの楽器の性能を熟知していた人は、そのあたりの呼吸をわきまえていて、各パートに無理なく旋律を振り、演奏効果を奏者が自覚できるような書き方を心得ていました。
シューマンは、情熱的でほとばしり出るような霊感の持ち主であったらしく、その作曲速度は大変な速さだったそうですから、頭の中に浮かんだ楽想そのままに五線譜を埋めていったのかもしれませんね。

現代の楽器の性能は飛躍的に向上していますから、先に述べたようなパッセージなど、奏者は苦も無く演奏することができるでしょう。
しかし辟易とさせられるのはそれほど変わりはなく、「同じ苦労をするのならブラームスの方がそこから得られる響きの実現と深みにおいてはるかに効果的だ」と発言する指揮者や奏者もいるのだそうです。

ただ、裏を返せば、それでもシューマンの交響曲を演奏しようとする人たちはそうした労力を惜しまないわけで、従って「外れ」はかなり少ないのではないか、そんな風にも思います。

カール・ベームの回想録である「回想のロンド」の中に次のような箇所があります。
指揮者はたえず、ホルン奏者たちに、「大きすぎる。みなさん、もっとピアノで、ピアノで」と叫んでいる。彼がそれを三回繰り返すと、首席演奏者は仲間のホルンたちの顔を見る。それで同僚はその旨を了解して、また練習にかかる。さて、その箇所の練習が終わって、指揮者は満足して、「やあ、結構でした。今度は正確でした」というと、ホルンの首席が立ち上がって、「今は誰も何も吹きませんでしたよ」といった。

これはどうやらフルトヴェングラーがシューマンの第4番を取り上げた際の練習(プローベ)でのできごとのようです。
このホルン奏者の「告白」を聞いたフルトヴェングラーは、即座にその個所のホルンのパートを削除することとし、そこの音は休符に代えられました。
それがどの個所であるのか、CDを聴いていても私のような素人にはもちろんわかりません。
しかし、ワインガルトナーも同じような指摘を複数箇所でしており、「余計な」管楽器の音を消して演奏していたとのこと。それによって響きはさらに純粋なものとなり、初期のシューマンの曲にちりばめられていたピュアで清冽な響きが生まれることになる。

晩年のシューマンは、精神的な病の影響もあってオーケストレーションにある種の「濁り」が生じていたのではないかという指摘もあります。
その当否は措くとしても、該当箇所を見る限り、ワインガルトナーの指摘は的を射ているようにも思えました。

以前にも書いたことがありますが、作曲者の頭の中で響いている音楽を記すツールとしての五線譜は誠に不完全なもので、作者の想いのほんの一部分を探す手掛かり以上のものにはなり得ません。
マーラーやプッチーニが楽譜にどれほど多くの指示や願いを書き込もうとも、それが百パーセント実現できる保証はないわけで、逆説的に言えば、それ故にこそ、演奏は千差万別、一期一会の喜びに出会える場所となるのでしょう。

シューマン交響曲全集 サヴァリッシュ&シュターツカペレ・ドレスデン(2CD)

シューマン:交響曲全集 セル&クリーヴランド管弦楽団

シューマン交響曲第4番 フルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1953 モノラル)


nice!(24)  コメント(18) 
共通テーマ:音楽

シェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」 [音楽]

春めいてきた、と思ったら一気に初夏のような陽気となっています。
陽もだいぶ長くなり、初夏のようなとは云い条、湿度も低くて過ごしやすい気候だなとしみじみ感ずる今日この頃です。

前回の記事でも書きましたように、このブログを更新するモチベーションがなかなか保てず、そうした自分の現在のありようにも不満と焦燥を感じ、どうにも先に進む気持ちが出てきません。
連れ合いの抗がん剤治療も二度目の投与を終え、やはりかなり体調的にダメージが大きく、これでもしもあまり効果がなかったら…、などと、やはりろくでもないことを考えてしまいます。

常では支えてもらうことの方がはるかに多い私のことですから、支えなければならない側に回っている今こそ、弱音を吐いている場合ではない、と自分に言い聞かせている次第です。

先日、ブーレーズの指揮BBC響によるシェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」を聴きながら、そのあまりの美しさと厳しい演奏に改めて胸を打たれました。


周知のとおり、この曲はオーケストラのために書かれた12音技法による音楽の嚆矢ともいえるもの。
しかし、指揮者であるブーレーズの作品ほどには冷徹に突き詰めているという感はなく、そこにはロマン派の名残も色濃く残っているように思われます。
とはいいつつも、20世紀の音楽の新しい在り方を指し示すべく、その旗幟を鮮明にしていることは間違いありません。
ソロとオケが交互に主題を展開していきながら、最後にすべての音を鳴らすという構成力も、さすがにシェーンベルクならではですね。

この曲の初演は1928年で、なんとフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルによる演奏でした。
因みに日本での初演は1974年のことで、こちらは朝比奈隆&大フィルによるものです。
朝比奈先生のチャレンジャーぶりが彷彿とさせられますね。

ところでこのCDでは、この曲の次に「浄夜」が入っており、終曲が終わった後、しばらくの静寂ののち「浄夜」が始まると、なんだかほっとします。
云うまでもなく、この初期の名曲はシェーンベルクが紛れもないロマン派の後継者であることを示しており、機能和声の枠組みの中にありながらトリスタン和音をベースとした半音階進行を多用するなど斬新な試みもなされていました。
しかし、聴いている側としては、分厚い弦楽合奏の響きの中にそのまま浸っていれば心地よく、何も考えずに身をゆだねることもできます。
「管弦楽のための変奏曲」を聴いているときは、やはりこの曲が12音技法によるものだと思うためか、旋律が現れるたびに、それがきちんと12音階になっているかどうかを確かめてしまうのでしょう。
もちろん、そういう制約の中にありながら、これだけ凝縮したそれでいて美しい響きを作り上げ、5分間に及ぶ終曲に向けて私たちを拉致していく技量に感動もするのですが、どこかしら左脳で聴いている部分があるような気がするわけです。

20世紀の前衛音楽のベースともいえる無調主義への扉を開いたシェーンベルクですが、もともとはワーグナーやブラームスに傾倒してその音楽的な基礎を学んだこともあり、伝統的な機能和声というメチエは彼の音楽的底流をなしていたのではないかと考えます。
例えばピカソが、青の時代、バラ色の時代、キュビズムへと進み抽象画の世界へと至りつつも、そのベースには古典的な絵画技法のメチエが完成されていたことと、なんだかつながるようなものもあるのかもしれません。

芸術というものが過去から連綿と続く伝統の上に成り立つものであるとするのであれば、これはある種当然のことといえましょうが、そこには新たな表現を模索する創造者の苦しみも当然に横たわっていることでしょう。

シェーンベルクの初期の作品、とりわけ、先に述べた「浄夜」や「グレの歌」などを聴くと、その苦悩がひしひしと感ぜられます。
私が「管弦楽のための変奏曲」を聴きながら胸を打たれ、なんとも云えない感慨にふけってしまうのも、もしかすると、そのシェーンベルクの苦悩がそこに見え隠れするからなのかな、とも思ってしまいます。

音楽にしても絵画にしても演劇にしても、凡そ芸術というものによって糧を得ようとするのであれば、それを受け止める側(観客など)の心に如何に響くようなものを作り出すことができるか、少なくとも身銭を切ってそれを聴きたい・観たいとする想いをどれだけ喚起できるかが切実な問題となることでしょう。
伝統から学ぶ、という姿勢がどうしても必要となるのは、畢竟、そういう切実感が出発点となっているのかもしれません。失礼な云い条とは思うのですが。

などと、かなり失礼かつ支離滅裂なことを書きましたが、この、ブーレーズによるシェーンベルクの全集CDは聴きものです。
この値段で、これだけ網羅的にこれだけ本質を突いた素晴らしい演奏を聴けるのは本当にありがたいことだと感じます。
お薦めです。
nice!(18)  コメント(13) 
共通テーマ:音楽

厚木混声合唱団第25回定期演奏会 [音楽]

厚木混声合唱団第25回定期演奏会に行ってまいりました。
atukon.jpg

クリスマスイブでの開催ということで、会場となった厚木市文化会館大ホールは観客でほぼ満員。
厚木混声合唱団がいかに地元から愛されているかがわかりますね。

この合唱団には連れ合いの友人がソプラノパートで参加しているのですが、彼女は難病に罹患しているのにもかかわらず、この合唱団での活動をはじめ、ご自身のソロリサイタルも開き、また絵を描いたりするなど、主に芸術の方面で大変アクティブにご活躍です。
連れ合いに云わせれば、そうした前向きな活動が、豪病に立ち向かう気力を支えているのではないかとのこと。
大した疾病や障碍などを持っているわけでもないのに、何事につけ易きに流れている私などからすれば、正しく眩しいほどの存在です。

当日のステージは4部構成。

第一部は、シャルル・グノー作曲の「聖チェチーリアのための荘厳ミサ曲」です。

聖チェチーリアは、心の内で神への音楽を奏でていたといわれていたことから、音楽を守護する聖人とされています。
ローマ帝国から迫害され殉教したキリスト者の遺体を引き取り埋葬したことから総督の迫害を受け棄教を迫られますが、それを拒んで夫とともに殉教したと伝えられています。
蒸し風呂の刑に処したところ汗一つかかずに耐え抜いてしまったため、最後は斬首されたとのこと。
この折、チェチーリアは打ち付けられた刃に三度も耐え、その後最期を迎えました。
事実であれば、その精神力と神への祈りの強さにただただ驚愕するばかりです。

グノーは、30歳を過ぎてなお、自分は作曲家になるか聖職者なるかで悩んだそうです。
そのためか、有名な「アヴェ・マリア」をはじめ、レクイエムなど数多くの宗教曲を残していますが、「アヴェ・マリア」のほかはそれほど取り上げられてきてはいません。
恥ずかしながら、この曲についても私は、こうした形での全曲演奏を舞台で聴くのは初めての経験でした。
「荘厳ミサ曲」とは云い条、モーツァルトやベートーヴェンのような絢爛豪華さはなく、神様と聖チェチーリアへの素朴かつ純粋な祈りと愛を歌い上げています。
殊に、複雑かつ高度な対位法を駆使し、演奏する側にも聴く側にも極度の緊張を強いるベートーヴェンのそれとの違いはどうでしょうか。
正にクリスマスイブに相応しい典雅で喜びに満ち溢れた選曲といわざるを得ません。
しかし、そうはいっても演奏に小一時間はかかる大曲です。
合唱団の皆様の並々ならぬご覚悟がひしひしと伝わる演奏でした。
メンバーであるお友達のお話によれば、指揮者の方からこの曲の提案がなされたとき、さすがに「無理です」という声がメンバー各位から上がったとのこと。
それに対して指揮者は、今やらなくていつやるのですか!と、まるでテレビで有名な林先生のような言葉で迫り、今やらないで先送りすればますますできなくなる、と強く訴えたそうです。
その気迫がひしひしと感ぜられる熱い演奏でした。
特に、Credoの合唱によるユニゾンはものすごい迫力で、思わず目頭が熱くなり、この日を目指して頑張ってこられた合唱団のメンバーには頭が下がる思いです。
因みに、ソプラノ・テノール・バスのそれぞれのソロは、団員の中でのオーディションを実施し選出されたとのこと。
この試みも、この曲らしく非常に好もしく感ぜられました。

第2部は、高田三郎の「水のいのち」です。

いやしくも合唱経験のある人で、この曲を歌ったことがない方はかなり少数でしょう。
それほど合唱団にとってはなじみの深い曲ですが、それゆえに全曲演奏を舞台で観客として聴くことは少ないのではないかと思っています。
事実、私もこの曲は何度も歌いましたが、こうして全曲を観客側で聴いたのはいつ以来だろうと思い返しつつも記憶が定かではありません。
それはともかく、さすがによく歌いこまれていて、正に自家薬籠中の演目とされていました。

第3部は、混声合唱のためのヒットメドレー「SORA」。
三沢春美さんの編曲で、広く知られた歌謡曲「朧月夜」「夜空ノムコウ」「TOKIO」「君といつまでも」「東京キッド」「浪漫飛行」「春よ、来い」「涙そうそう」が、団員たちのパフォーマンス入りで繰り広げられます。
第1部と第2部で衣装が変わっていたこともあって、ビジュアル面にも力を入れた公演だなと思ってはいたのですが、かぶりものや小物類も含めた団員の皆様の遊び心に溢れたいでたちには驚かされました。
それぞれの曲に個別のショートストーリーを配した振付が施されていて、観客のみならず出演者も楽しんでおられる様子がほほえましく感ぜられます。
ただ、こう申しては失礼かと存じますが、団員の皆様のご年齢はかなり高いように見受けられ、振付に合わせたステップにどうしてもついていくことのできない方もかなりおられました。
合唱などの音楽をやっているのにもかかわらずリズム感に乏しい人は結構いて、例えばシンコペーションとか三連符・五連符・六連符などが取れない場面などにも出くわした経験がありますが、ステージでの踊りやステップではそれが如実に表れてしまうのですね。
その点はちょっと気の毒に感じました。

第4部は「クリスマスの夜に」と題して、「O Holy Night」が披露された後、「きよしこの夜」「ジングルベル」を観客とともに合唱。
客席を埋め尽くした観客の声をも合わせて、厚木市文化会館大ホールはクリスマスイブの祝祭に沸いたのでした。

終演後、ロビーでは団員の皆様が私たちを迎えてくれました。
連れ合いの友人は、長丁場に及んだ舞台の疲れをものともせず、満面の笑みをたたえてお客様たちの祝福の声にお礼の言葉を返しておられます。
「痩せられたな」というのが私の率直な印象でしたが、表情はこの上もなく輝いていて、やりつくした達成感に満たされておられました。
連れ合いによると、痩せたように見えても浮腫みに悩まされておられるそうで、少しでも筋肉をつけられればいいのだけれども、階段を上るだけでも辛いことがあるらしく、ままならないとのこと。
このステージは、そんな彼女が気力で乗り切ったのだなと改めて感動し、このところ活動全般にわたって沈滞気味の私にたくさんの力を与えてくれたように思われました。

厚木市は、合唱をはじめアマチュアの楽団も精力的に活動し、それを市が積極的に公演しているようです。
この日のステージで管弦楽アンサンブルを担当した「ATSUKON室内アンサンブル」も、指揮者の秋山徹氏のゼミの学生が中心となって組織されたもの。
若さ溢れる瑞々しい演奏を聴かせてくれて、これも非常に感動的でした。

nice!(18)  コメント(10) 
共通テーマ:音楽