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春岳沢に行ってきました。 [山登り]

連休の関東地方は穏やかな晴天に恵まれ、連日、汗ばむほどの陽気です。
前の記事でも書きました通り私は暦通りの出勤ですので、長期の連続休暇は望むべくもなく、近隣の里山ウォークを楽しむくらいかなと考えていました。

しかし、それではあまりにもこの晴天がもったいなく、手ごろに出かけられる東丹沢の春岳沢を遡行しようと思い立ったわけです。
春岳沢を選んだ理由は、若い友人たちから「沢登り」などちょっとグレードの上がった山歩きをしたいというオファーがあり、それならあまり危険もなく、基本的にはザイルもいらない春岳沢がいいかなという下見ついでに、昨年購入して、街歩きなどでも使っているVソールスニーカーの登攀性能を確かめて見たかった、というところでした。

あまり早朝から焦って出かける必要もないので、8時前に自宅を出て、それでも秦野には9時過ぎに到着しました。便利ですね。
秦野から蓑毛行のバスに乗るのですが、驚いたことにヤビツ峠行きのバスの方が本数が多いようです。休日のこの時間だから、ということなのでしょうが、以前はヤビツ峠までのバスの本数が非常に少なかったので驚きました。何と臨時便も出ている模様です。
そんなわけで、ヤビツ峠行きのバスに乗り、蓑毛で下車しました。
他に下車した人はなく、こんなところでも「観光地」による客の集中化は進んでいるのでしょうね。

うららかな春の陽射しの中、春岳沢に沿って車道を登ります。
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やがて春岳沢を渡り、標識に従って髭僧の滝に向かいます。
右岸の踏み跡は「通行止め」になっていました。
度重なる台風や水害で踏み跡も荒れているのかもしれません。

髭僧の滝です。
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前回は直登しましたが、今回は右側のカンテを登ることにしました。
乾いていて快適に登れます。
ただ、上部は苔や灌木うるさく、最後の1ピッチは慎重に登った方がいいでしょう。
仮に初級者を連れてくる場合は、確保をした方がいいかもしれませんね。
おあつらえ向きに終了点にはちょっとした立木があり、ここでセルフビレイを取ることになります。

三条の滝です。
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かなりぬめっていて、ハイパーVソールではフリクションが全く効きません。
仕方がないので水流を浴びながら、ぬめりの少ない水線沿いを登りました。

今回、大失敗したのは、いつもは必ず携行するブラシ(柄付きたわし)を忘れてしまったこと。
こいつがあれば、あらかじめホールドのぬめりを落とすことができるのですが、やむを得ずクライミンググローブを使ってこすり落とします。
ブラシよりも手間はかかるうえ、勝手も良くありません。

そんなわけで、ここから先は携帯電話などを濡らしてもいけないため(水線沿いを登ると盛大に全身が濡れますから)ザックにしまいましたので、写真はあまり撮れませんでした。

水流に洗われたナメ滝。
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こういうところはばっちりフリクションが効き、快適です。

小滝が続きます。
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どの滝もぬめっているので、水線沿いを登ります。

こういう滝が現れると嬉しくなりますね。
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さて、沢が広がって、右側に堰堤を見、不定型な4つ俣になってくるあたりで、右の植林帯に逃げるトラバース道があったはず。
そう考えながら遡ってみましたが、いつしか水流も消え、周りは不安定なゴーロの斜面となりました。
以前遡行した折には、水源地の標識もトラバースの踏み跡もしっかり残っておりましたが、現在は跡形もなく流されているようです。
水流が消えてしまっている、ということはかなり上まで来ていることになり、木にしがみつきながら右側を遠望すると、ザレの向こうに崩れかかった仕事道の一部が見えました。
ちょっと不用意に動けば岩雪崩を起こしそうなザレを、木から木に移りながら慎重にトラバースし、やっとの思いで疎林に入り、仕事道まで恐る恐る下ります。
かなり荒れてはいますが、どうやらこれが前に確認した仕事道のようです。
確認のため沢の方に戻っていくと、昔の面影がありました。
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以前にあったテラスのような水源台地は完全に流されているようですね。

仕事道から大山裏参道に出るトラバース道。
以前の通りシカ止めの冊も二か所ありましたが、荒れている箇所が広がっているようです。
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この看板は記憶にありませんでした。
いずれにしても、普通の山歩きであれば、この道を採ることはお勧めできません。

ここまでは予想通り誰にも会いませんでしたが、裏参道に出ると、それなりに登山者もいます。
さすがに大型連休ですね。
ヘルメットを脱ぎ、靴下も履き替えて蓑毛までゆっくり下りました。

蓑毛発秦野駅北口行きのバスは、休日でもガラガラなことが多いのですが、それなりの乗客がいました。
山登りの恰好をしている人ばかりでしたから、やはり裏参道など、このあたりを歩く方も多くなってきているのでしょう。
爽やかな五月晴れの一日、新緑を眺めながらの山歩きは格別のものがありますから。

ところで、ハイパーVソールについて。
昨年の沼尾沼を皮切りに、街歩き(雨天を含む)やウォーキングなどでも使い、いろいろと試してきましたが、滝登りを主体とする沢歩きでどの程度の信頼性があるのか、改めて検証しようと考えていました。
春岳沢は、小規模ながらも様々な形状の滝が連続し、場所によっては乾いた岩の登攀や泥壁、灌木帯などの登下降も試せるのでうってつけと思ったのです。
ぬめった滝でのフリクションはかなり悪く、やはりフェルトソールよりも実感としては滑る感覚があります。
ただし、ぬめりが多少なりとも水流などによって流されていれば、(ぬめりが残っていても)かなりフリクションは効きます。
通常の濡れた岩や石などではほとんどすべることはありませんし、乾いた岩の登攀も快適です。草付でも安定したスタンスであれば大丈夫です。
泥壁でも問題なく使えると思います。
記事の中でも書きましたが、ブラシ(柄付きたわしなど)を持参し、スタンスのぬめりを落とせばハイパーVソールの性能は十分に発揮できることでしょう。
何よりも、家を出てから帰宅するまで、少なくとも靴を履き替える必要がないのがありがたいところです。
泥汚れなども、ブラシでこすればすぐに落ちますので、手入れも簡単。
何よりも安価であることがポイントですね。

さて、今回の沢登り。
以前の楽勝だった感覚から舐めてかかり、ツメでの思わぬ彷徨などを呼び込んでしまいました。
木を渡ったりした折に、左手の親指の爪を剥いでしまいました。
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幸いにしてその時には出血を見ませんでしたのでよかったのですが、ツメの地形を見極めて安全地帯に逃げるための判断が遅れたりと、山の勘がだいぶ鈍ってきていることを実感しました。
滝を登っている間にだいぶ感覚は取り戻してきましたが、出だしのカンテで少々まごついたのも、つまりはクライミングが相当下手くそになっていることの証左です。
改めて真面目に山に向き合わなければという想いを強くしました。

因みに左手親指の怪我ですが、ガレ場のトラバースとか、木渡りなどの時にはドーパミンやアドレナリンが盛大に分泌されていたからなのでしょう、ほとんど痛みを感じませんでした。
家に帰りついてテープで固定すると急に痛みを感じ始め、茶碗を持つときにも不便を感ずるなど、何とも情けない仕儀となりました。
今朝、出勤するためにワイシャツを着たのですが、ボタンをはめるのも痛くて一苦労。
舌打ちをしながら、さて家を出ようとしたらワイシャツのお腹のあたりに小さな血痕が。あれれと親指を見たら出血していました。
またまた舌打ちをしつつ、今度は絆創膏に貼り換えた次第です。
出がけの慌ただしいときになんてことだという腹立ちもありましたが、まあ、溜まった血が出てくれるのであれば快復も早いことでしょう。
指の怪我はどの指であってもそれなりの支障が出ます。殊に親指は影響が大きいので注意が必要ですね。

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高隅山(鹿児島県・垂水市)に登ってきました。 [山登り]

このところこのブログの更新をずっとサボっており、内心忸怩たるものがありました。
年度が替わってそれなりに慌ただしく、そうした日常にかまけて、なんというか文章をまとめきる余力がなかったのです。
それでもようやく「山登り」のイベントを作ることができましたので、久しぶりにアップしたいと思います。

九州の山仲間に前々からお付き合いをお願いしていた高隅山にようやく登ることができました。
高隅山は大隅半島の中央部に位置する山脈の総称で、最高峰は標高1236m超の大篦柄岳(おおのがらだけ)です。
高隅山系は、このほかに小篦柄岳・妻岳・御岳・二子岳・横岳など1000mを超える山々で構成されており、この標高は鹿児島県の中でも貴重なものと思われます。
20年近く前に、私は熊本に単身赴任をしておりましたが、その折にこの山脈のことを初めて知り、ずっと憧れていたのでした。
それがやっと叶った!
「熊本に赴任していた時に登ればよかったのに」ということもありますが、熊本から車を使ってここまでくるのは当時ではかなり大変で、東九州自動車道ももちろんありませんでしたし、宿泊施設も少なく、アプローチも長くなりそうだったので、躊躇している間に機会を失ってしまったわけです。
それに当時、ご一緒していただいた山の先輩方が宮崎登攀倶楽部に所属しておられたこともあり、比叡山や鉾岳や大崩山や桑原山の花崗岩大スラブ登攀に血道を上げておりましたから、休日はもっぱらクライミングに費やしていた、という事情もありました。
その後も気にはなりつつも、先にあげた事情などから単独でレンタカーを借りてここまでくる気力がなかなか湧かず、今日まで荏苒と時を過ごしてしまったのでした。

そんな中、昨年、伊豆の天城山にご案内した九州の山仲間から、高隅山のアプローチに便利なコテージがあるとお聞きし、この山域に登る計画がにわかに具体性を帯びてきます。
それは、「財宝グループ」が運営する「猿ヶ城渓谷森の駅たるみず」で、何と、一泊二食それも黒豚しゃぶしゃぶの食べ放題(飲み放題付き)で一人7500円という、とてつもないリーズナブルな価格!
みんながその気になっている今が一番だということで、早速、計画を具体化したのでした。

私は土曜日が輪番出勤に当たっているため、私の都合に皆さんが合わせてくれ、22日に現地入りし23日に登って24日に帰宅するというスケジュールです。

前日まで鹿児島地方は雨模様でしたが、土曜日にはお天気も回復し、日曜日も快適な晴天に恵まれました。

猿ヶ城渓谷から大野原登山口に出て大篦柄岳に登るのがベースとなる宿泊地から考えて最適なのですけれども、このルートは度重なる水害で壊滅的な被害を受け、使用できません。
従って、国道220号線で垂水市役所から県道71号線に入り、垂桜地区から大野原林道を行くことになります。
県道を走ると、高隅山登山口と書かれた標識があり、その後も要所要所にあって迷わずに大野原林道を走ることができます。
林道は途中から非舗装になりますが、普通車でも慎重に走れば大丈夫でしょう。
古い小屋を左に見ると、わずかで大野原登山口に到着します。
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身支度を整えて登り始めます。
私はいつもの通り、足回りは地下足袋でザックはRIPENです。

木立の中の緩やかな登山道をゆっくり登ります。
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左側に特徴的な七岳が望まれ、木立が切れると桜島が見えてきました。
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途中の道標では七岳方面が×印になっています。
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左側がすっぱりと切れ落ちた斜面の先に山桜が咲いています。
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登りは徐々に急登となり、足元も滑りやすくなりますが、稜線に達すると穏やかな尾根となります。
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馬酔木やツバキの木々が生い茂り、さすがに南国の山だなと思わせられました。

杖捨祠。
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どういう謂れがあるのでしょうか?
ここまでは杖を突いて登ってきたが、ここから先はいらない、ということなのか、この先は杖が邪魔になる、ということなのか。

やがて九合目を過ぎると、僅かの登りで大篦柄岳に到着。
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素晴らしい眺望が広がります。

妻岳の鋭鋒と勇壮な御岳です。
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最初の目的ではこの二つの山も登る予定でしたが、ご同行頂いたメンバーのおひとりがちょっと体調を崩されたのでペースを落としたこともあり、今回は残念ながら見送りです。
「わざわざ横浜からきてくれたのに申し訳ない」といわれてしまいましたが、私ももうガツガツとピークを稼ぐ山登りからは脱却しておりますので、妻岳・御岳・二子岳・横岳は次の機会に取っておくことにしましょう。

ここからの眺めで圧倒されるのは、何と云っても桜島!
桜島をパックに記念写真を撮りあいます。
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ここで昼食をとり、スマン峠に下ります。
馬酔木の花が咲いていました。
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さらに、鮮やかなツバキの花に出会い、思わず手に取ってパチリ。
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ところどころに咲いている山桜を眺めつつゆっくり降りていくと、ベンチのあるスマン峠に到着しました。
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ここからスマン峠登山口までかなりの急坂を下ります。足元の悪い個所や滑りやすいところもありますが道は明瞭で迷うことはありません。
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スマン峠登山口に着きました。
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スマン峠登山口から林道を4kmほど歩くと、大野原登山口に至ります。
小一時間ぶらぶらと歩けばいいや、とすっかり油断しきって歩き始めました。

林道から見上げる大篦柄岳の立派な山容に感嘆の声を上げながら歩きます。
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タラノメもたくさんありました。誰もとらないのかと不思議に思いましたが。
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突然、林道が山崩れで崩壊した個所に出くわしました。
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慎重に崩れた木々や岩などを乗り越えます。

そう、この林道歩きこそ、本日の山行のハイライトでした。

地形図で沢を横切っている地点は、ほぼ間違いなく(規模の大小はあるものの)こういう形で寸断されています。
これを乗り越えるだけで非常なアルバイトとなり、場所によっては非常に危険です。
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これなどは、岩に抱きつくような形で残された橋梁をトラバースするのですが、下手をすると2~30mほど落下する可能性があり、滑落すればただでは済みそうにありません。
高所恐怖症の人にはお勧めできませんね。
幸い岩は花崗岩ですから、ちょっとしたホールドでもフリクションが利きます。
足場さえしっかり見て確保すれば大丈夫。
でも、足場を見るということは、その下の奈落を見ることにつながるので、やっぱり躊躇する人もいることでしょう。

そして、あともう少しで大野原登山口というところにあった崩壊では、崩落したデブリを高巻いての渡渉を強いられました。
私は地下足袋なので何ら問題はないのですが、山靴のメンバーは残念な表情で、靴を濡らして渡ってきました。

垂水市が公開している「高隅登山マップ」では、このスマン峠登山口と大野原登山口の間の林道が通行できるかのような表示となっており、25000分の1地形図でも、当然、道路がある標記となっています。
地形図の方にはそもそも間違いが結構あることをたいていの山屋ならわかっていることでしょうが、市で発行しているマップの道がこんな形で崩壊しているとは思いもしませんでした。

我々は最初からこの林道を歩くつもりだったのであまり問題はなかった(通過にはひやひやしましたが)のですが、仮にそれぞれの登山口に車を置いて効率的に登ろうなどと思って入山したりすれば、この状況を見て愕然とするのではないでしょうか。

この山域に入る前に、ネットにアップされているいくつかの記事を参考にしましたが、この林道崩壊に関する記述については迂闊にも見落としました。
猿ヶ城からの登山道も、刀剣山に登る初手の吊り橋が落ちていてそこから通行止めになっておりましたが、現地のガイド表示にもそれが反映されておらず、あたかもそのまま滝観見物に行けそうになっておりました。
こういう点はもう少し慎重に更新・チェックをしてほしいと思います。

素晴らしい山々だけに、最後に少しだけ苦言を呈させていただきました。

さて、それでも猿ヶ城渓谷はなかなか見ごたえがあります。
水もきれいで、花崗岩の巨岩が転々としており、ボルダリングなどをするのも一興でしょう。
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帰り道、道の駅「たるみず」に立ち寄って昼食をとりつつ、近くにある埋没鳥居を見てきました。
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1914年1月に起きた桜島大噴火により、その火山灰で付近の集落は埋没。
その後、この鳥居も現在の1m余まで掘り起こされました。
ご覧のとおり、その衝撃で左右がずれてしまっていますが、それでも離れずにいたことから、夫婦円満・縁結びの神、ということで今でも詣でる人がたくさんおられるそうです。

このすぐ下にある展望台からの桜島の姿も見事なものでした。
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多少慌ただしい旅ではありましたが、お天気にも恵まれ、久しぶりにちょっと緊張もさせられる楽しい山旅となりました。
九州の山仲間に、改めて大感謝です。
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那須高原での雪崩事故 [山登り]

昨日・今日と、やっとこの時期らしい春めいたお天気となりました。
全国に先駆けて桜の開花宣言を行った東京ですが、その後に襲来した寒波でほとんどの花の開花はお預け。
それが、この陽気でようやく咲き始めています。
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ちょっとぼけてしまいましたが、雰囲気くらいは伝わるでしょうか。
週末の土曜日は冷たい雨のお天気となる予報ですが、今週から来週にかけて各地でお花見の宴が催されることでしょう。

ところで、27日の朝に出来した那須高原での雪崩遭難事故。
誠に衝撃的でした。

「雪崩だっ、伏せろ」…教員叫び足元の雪動く
27日朝、講習会に参加していた高校生らが雪崩に巻き込まれ、死傷者48人にのぼった栃木県那須町湯本の「那須温泉ファミリースキー場」の事故。「雪崩だっ、伏せろ」。引率の教員が叫んだ時には足元の雪がスピードを上げて滑り出し、雪の塊が生徒らを襲った。

栃木県那須町湯本の町営「那須温泉ファミリースキー場」で27日午前、雪崩が発生し、登山講習会に参加していた同県内の7高校の登山部員と引率教員の計48人が巻き込まれた。
県警などによると、県立大田原高校の男子生徒7人と男性教諭1人の計8人の死亡が確認された。死因は圧死や外傷性窒息だった。このほか、生徒33人と教員7人の計40人がけがをした。当時は大雪、なだれ注意報が発令中で、県警は業務上過失致死傷容疑を視野に、講習会の主催者側から事情を聞く方針。

亡くなった生徒はいずれも16~7歳、教員は29歳とのことでした。
未来に向けた無限の可能性を有し、これから大きく羽ばたくはずであった人生が突然に閉じられてしまった。
遺族の方々の悲嘆のほどは忖度してあまりあります。
山の事故は本当に悲しい。
元気な姿で送り出した家族が物言わぬ変わり果てた姿で戻ってくる。
私もそういう情景を何度か目にしましたが、世の中にこれほどいたたまれない瞬間があろうかと愁嘆にくれました。
ましてや今回の事故は前途洋々たる高校生の身に出来したもの。
一夜のうちに天幕が埋まるほどの積雪がありながら、何故にラッセル訓練などを行おうとしたのか。
引率・指導をしていた教員からの指示であれば、部員としては従わざるを得なかったことでしょう。
それ故にどうしても疑問が残ります。
それから、雪崩が起こった時に「伏せろ」と教員が叫んだとのことですが、この人は実際に雪崩の起きた際の対処方法を知っていたのでしょうか。
私は幸いにして一度も雪崩に直接遭遇したことはありません(遠方から眺めたことは何度もありますが)。
ですから実地で体験したわけではないのですけれども、実際に体験した山の先輩たちは口々に「とにかく全速力で逃げる!」のが肝心だと言っておりました。
不幸にして追いつかれたら、とにかくもがいて泳いで雪崩の流れの表面に向かうように体をコントロールし、雪が覆いかぶさってきたら、鼻と口を手で覆って呼吸スペースを確保するしかない、と。
それよりもなによりも、雪崩が起きそうな天候や雪の状態の時には絶対にそうした場所に近づかないのが鉄則。
雪の斜面を登るときには、ピッケルなどで雪の断層検査をきちんと行うなどリスクを最小限にする対応を欠かしてはならない、と、それこそ口が酸っぱくなるほど云われたものです。

雪崩が起こりそうな場所は事前に把握して対策を採る、などということをしたり顔で語る人もいたりしますが、斜面に雪が積もればどんな場所でも雪崩は起こる危険性があるのです。
以前に雪崩が起きた場所だから注意する、などというのは、裏返せば、これまで雪崩が起きたという話を聞いていない場所は大丈夫だと高を括ってしまうことに繋がりかねません。
冬山に限らず、山は基本的にすべてが危険地帯だということを前提に行動すべきであり、油断は一番のリスクといえましょう。

報道などからすると、引率・指導に当たった教員は、地元でも大変よく知られた「ベテラン」とのこと。
この方々の山歴などは特に明らかにされていないので何ともわからないのですが、何を以てベテランとされていたのかやはり疑問が残ります。

山の事故は基本的に自己責任というのが原則です。
しかし、山の経験の浅い初級者を引率したりガイドしたりする場合には、そのリーダーや引率者には一定の責任があるのではないでしょうか。
ましてや今回は、いくら山岳の強豪校とはいえ年端もいかない高校生を対象としているのです。
暖かな日が続いたあとのどか雪という最悪の条件をおしてまでラッセル訓練を強行した理由が那辺にあるのか、こうした痛ましい事故を防ぐためにも、そうした点も含めて明らかにする必要があるのではないでしょうか。
タグ:雪崩 那須
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活を入れる(2017年版) [山登り]

「活を入れる(2017年版)」
これは、去年に引き続き、年末年始でだらけ切った体を覚醒させるために行った山行です。
昨年は丹沢の三ノ塔尾根を登りましたが、本年は久しぶりに大倉尾根から塔ノ岳に登ってみようと思った次第です。

大倉尾根は、塔ノ岳に登る最短ルートであるとともに、標高差1200m余りを一気に登ることからトレーニングの一環としても有名ですね。
ただ、何といっても有名なルートですから、休日に登ると大変なことになります。
そんなわけで、お正月三が日明けの4日、出かけることにしました。

連れ合いは仕事ですので、朝ご飯の支度をし、お昼のお弁当を作って家を出たのは8時30分頃と、この時期の山登りとしては許しがたい遅立ちです。
それでも、小田急の渋沢駅には10時には到着。
反対方向の電車ですから、ゆっくり坐れて快適でした。
大倉行きのバス。
平日のこんな時間だというのに、山の格好をした乗客がかなり乗っています。
空いていると高を括っていたのですが、皮算用に終わりそうな気配がします。

大倉バス停には、やはりそれなりの登山者がいました。
間違いなく人が少ないはずの三ノ塔にしようかとも一瞬思いましたが、やはり初志貫徹することにします。

身支度を整えて大倉を出発したのは10時40分過ぎでした。

最初はさほどの登りでもありませんから、それなりに良いペースで登っていきます。
先行する人たちを何人か追い越し、見晴らし茶屋を越える頃から傾斜も少しずつ強まってきます。
雪は全く見当たりません。
堀山の家を越えると登りはさらにきつくなり、大倉尾根特有の延々と続く階段登りとなります。
駒留小屋を過ぎ、さらに頑張って花立に着きました。
12時30分です。やはり雪は全く見当たりません。
標高差にして1000m余りですから、ここまでで二時間を切れたのはまずまずというところでしょう。
一気に塔ノ岳山頂を目指そうとも思ったのですが、朝ご飯を済ませたのが7時前でしたので多少シャリばて気味となっており、ここで弁当とします。

ゆっくり休んで、塔ノ岳をめざします。
金冷やしの付近では多少の降雪が見られました。
30分ほどで山頂に到着。
多少霞み気味でしたが、富士山もきれいに見えていました。
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丹沢主稜方面もきれいに見えています。
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蛭が岳辺りには雪がありそうですね。

尊仏山荘です。
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大山や三ノ塔方面です。
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平日というのに、塔ノ岳山頂は結構なにぎわいです。
風もそれほど強くなく穏やかなお天気ということで、登りにきた人もきっと多いのでしょう。

眺望を楽しんだ後、往路を戻りました。
大倉のバス停には15時くらいに到着。
活を入れるには手頃な行程となりました。

大倉尾根には、トレーニング目的で以前は随分通ったものでした。
10年以上前くらいには、一日に二往復などということもやったのですが、二往復すると標高差で2500mを稼げることになり、それを10時間足らずでできるという首都圏近郊では手軽な鍛錬コースであったというわけです。
しかし、さすがに還暦を過ぎての連続二往復は結構ハードルが高く、今回は時間的にももちろん無理がありましたが、大倉に降りてきた段階でもう一度登り返す気力は全くありませんでした(^^;

それにしても、大倉尾根と塔ノ岳が、平日にもかかわらずこんなに人出があるとは思ってもみませんでした。
久しぶりの大倉尾根ではありましたが、もうこのコースを登って塔ノ岳にいくことはないと思います。
丹沢でもコースを選べばまだまだ静かな山行を楽しめるわけですし、人混みを見るために山に登ることもあるまいと、今回しみじみ思い知った次第です。
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伊豆、八丁池 [山登り]

都心に雪が降りました。
11月の初雪は1962年以来なのだそうです。54年ぶりとのことでした。
私の生まれ故郷では11月の降雪は当たり前のことでしたから、はあ、そんなものかというのが正直なところですが、考えてみれば、暦で上では冬ながら、11月はまだ秋の部類なのですね。
今年の8月以降、関東地方は晴天率の異常に低いお天気が続きましたが、極めつけがこの降雪なのでしょう。
酷いシーズンですね。

先週末、宮崎の山仲間が仕事の関係で上京し、ついでなのでどこか山に行きたい、可能であれば伊豆方面をお願いしたい、とのオファーを受けました。
伊豆の天城山に行ったのはもう30年以上も前のことで、私自身かなりのご無沙汰でありましたから、これをいい機会に出かけることとしました。
天城高原ゴルフ場からのピストンではあまりにも安易すぎるし、せっかく宮崎から来るのだから天城隧道や浄蓮の滝もご案内したい。
といわけで、八丁池に天幕を張る計画としました。
19日の土曜日、早朝に都内を出て、東名・新東名・伊豆縦貫自動車道などを経由して天城峠前の水生地駐車場に車をデポして八丁池にベースを張り、万三郎・万二郎岳を往復する、というものです。

ところがあいにく天気予報では19日のみ雨天。
それも、所によっては相当激しい降りになるようです。
伊豆半島の、それも天城方面はとりわけ雨脚が強くなるような予報で、「どうしたもんじゃろのう(古い)」とため息をつきました。
山仲間に確認すると、やはりできれば行ってみたいとのこと。
雨の予報の19日も、午後になれば雨脚も弱まる可能性が無きにしも非ずで、せっかくだから八丁池での幕営までは実行しようという結論に達しました。

19日の朝6時、雨の中を出発。
幸い高速道路は渋滞もなく、順調に湯ヶ島方面に進みます。
雨は間歇的に激しくなり、あまり早い時間に登り始めても辛いので、先に浄蓮の滝の見物をします。
時間が早いこともあって、駐車場はガラガラ。
混み合う観光スポットにもかかわらず、余裕で見物できました。
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道の駅「天城越え」で腹ごしらえをし、水生地下の駐車場に向かいます。
ここもガラガラです。
崩落に伴う旧道の工事で、水生地までの旧道は歩行者も通行止めとなっていて、天城峠経由で登ることとなります。

天城峠のバス停から登り始めます。
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これが有名な天城隧道。今でも現役です。
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登りには「上り御幸歩道」をとりました。
雨の降る中を黙々と登っていくと、ブナの巨木が霧の中に浮かんできます。
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ヒメシャラの巨木も圧倒的な迫力でした。
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それほど厳しい登りではありませんが、何しろ結構な雨の中、かつガスもかかっているので、久しぶりの重荷はかなり応えます。
かつ、地形的に尾根筋がはっきりしていないこともあって、踏み跡が定かではなくなり、しばしば行く先を探す羽目に陥りました。
遊歩道のつもりで歩くと、こうした悪天時は困惑するかもしれませんね。

ようやくの想いで展望台分岐にある手洗いに到着。
この手洗いは水洗で、非常に清潔な管理がなされていました。

そこから10分ほど下って、待望の八丁池に到着。

私たち以外には誰もいませんでした。
というより、天城隧道から先、ここまで誰にも会わなかった、というのが正解ですが。

早速、天幕を張り、それぞれの寝場所をこしらえてしばし休息(昼寝)。
16時過ぎから、晩飯(というより宴会ですね)の用意を始めます。

天城峠から八丁池までは水場はありません。
また八丁池にもないので、水は私が3リットル担ぎ上げました。
その他にワインとビール、そして食料と天幕一式を担いできたので、ちょっと腰に痛みが来てしまった次第です。
仲間は、期待通り宮崎の芋焼酎を持参してくれましたから、他に誰もいないその夜の八丁池では心置きなく宴会を楽しめました。

いつしか雨も上がり、真夜中には降るような満天の星と下限の月が輝いています。
心霊スポットとの噂もある八丁池が、その月明かりを映して実に幻想的でした。

翌朝は雲一つない晴天!
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時間さえあれば天城連山に行けるのですが、山仲間たちは今日の最終便で帰らなければならないため、無念ながらここから引き返します。

因みにこれがわれらのねぐら。
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空には下限の月が浮かんでいます。
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ところで八丁池の水はどんな感じかというと、こんなふうです。
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到底そのまま飲む気にはなりませんね。
どうしても必要になったら、コーヒーフィルターで濾して煮沸することで用いることもできそうですが、さすがにそこまでするのか、という感じです。

ここにも素晴らしいブナの巨木があります。
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楓の紅葉も真っ盛りでした。
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展望台からは富士山や南アルプスをはじめとする広闊な展望が広がります。
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池のほとりに、われらが仮住まいの姿もありました。

池の周りをゆっくりと楽しんでいると、ぼつぼつ登山者が登ってきます。

我々も神輿を上げることとし、下り御幸歩道に足を進めます。

お天気が良いこともあるのでしょうが、昨日とは打って変わって歩きやすい道が続きました。
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こちらもブナやヒメシャラの巨木がそこかしこに林立しています。
伊豆の山がこんなにブナなどの巨木に恵まれていたとは、恥ずかしながら以前訪れた時にはほとんど気づきもしませんでした。
こういう巨木に目が行くようになったのは、もしかするとある程度年を重ねたからなのかもしれません。
若い頃はとにかくがむしゃらに頂上を目指すという感じでしたから、ゆっくり周囲を見渡す余裕もなかったのでしょう。

紅葉も素晴らしい輝きです。
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林道に出ると広場となっていました。
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美しい紅葉を眺めながらしばし休憩。

あとは林道をぶらぶらと歩き下ります。
旧道に出ると、水生地方面は通行止め。
旧道を天城隧道まで戻ります。
これが緩い登りで、ちょっと応えましたね。

今日は素晴らしいお天気に恵まれたせいか、たくさんの登山者や観光客の姿がありました。
水生地下の駐車場も満杯。
雨の中の登りはきついものがあったものの、降るような星空と雲一つない晴天を私たちだけが楽しめたことに感謝しつつ、帰路につきました。
天城連山はまたの機会に取っておくので、その際にはまたよろしくという山仲間のオファーに嬉しく答えながら、羽田に向けて車を走らせたところです。


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阿賀川支流三沢遡行 [山登り]

暑い日が続きます。

連れ合いの実家である会津に帰省したおり、前々から気になっていた阿賀川流域の三沢を遡行しました。
私の実家である長野県の諏訪地方から佐久に出て、上信越道・関越道・北関東道・東北道と車を走らせて会津まで行ったので、結局この帰省では久しぶりに1000km位を運転したことになります。
幸い大きな渋滞には巻き込まれなかったので、その点は楽でしたが、やはりさすがに疲れました。

帰省の目的は、私の実家の風呂場の改修工事契約の確認・締結と、連れ合いの実家のお墓詣りと義母の実家の法要です。

私の実家は私が上京した年に建て替えたので、築40年を超えています。
そこいら中にガタがきているのは仕方のないところですが、父母も高齢となっていることから、風呂場の改修は早急に手を付ける必要がありました。
昔と異なり、今はユニットバスで対応できますから、コストパフォーマンスもかなり高く、しかも、温水を利用して、室内の暖房にも対応できるとのこと。
それらを含めると費用はそれなりにかかりますが、やむを得ない出費と腹をくくりました。
改修工事はお盆過ぎに着手し、8月中には終わるようです。
結構迅速な対応で感心しました。

家内の実家では、義母の実家の法要(伯父と祖父母)とお墓詣りが中心ですが、実家のお墓参りもこの時期の重要な行事です。
会津ではことのほか先祖を敬い供養する風潮が強く、昨年のように連れ合いの体調が思わしくなく長期間の移動が厳しいなどのやむを得ない理由を除き、お盆の墓参りは欠かしませんでした。
私も、こうした折に連れ合いの実家に帰省し、向こうの親戚と会うのは大変楽しみですので、多少距離はありますが喜んで出かけています。

さて、そんな公式の行事の合間を縫って、前々から狙っていた沢の遡行を実行に移しました。
8年前の夏に、大内宿の背後にそびえる小野岳に登ったことがあり、その折に稜線から眺めた沼尾沼の神秘な姿が強く印象に残りました。
沼尾沼を経由する登山道はかなり前に廃道となり、踏み跡すらも判然としない状況のようです。
しかし、機会があればこの沼に行ってみたい気持ちを拭い去ることができず、それ以来ずっとその機会をうかがってきたのでした。
このあたりの草深い藪を鑑みれば、登山好機は冬枯れの時期。しかし、名にし負う豪雪地帯ですから、真冬に入るのはそれなりの装備が必要です。
従って、春先の残雪期から5月の連休くらいまでの間が最も適していると考えるべきでしょう。
実際その頃に計画を立てたことがありますが、阿賀川(大川)を挟んだ大戸岳から小野岳、そして那須の方に伸びる甲子山までの一帯は、クマが頻繁に出没する地域で、鉄砲撃ち(てっぽうぶち)が腕を競ったという話も残っているところです。
従って、当然地元の親戚は大反対で、腹を空かしたクマが冬眠から覚める時期にわざわざ餌になりに行くことはないといわれました。
そんなわけで荏苒と時を過ごしておりましたが、今回の帰省では少し時間もとれそうな気配。夏であれば熊との遭遇もそれほど頻繁ではなかろうと実行に移すことにしたのです。
しかしその話を身内のみんなにしたら、「今は夏でも熊が出る」と云って、地元で調べたクマの出没マップを見せて止められました。
このマップは実によくできていて、それを見る限り、私が登ろうとしている三沢の付近はかなりのクマの出没がありそうです。
そうはいっても、私にしてみれば長年の懸案事項。とにかく無理はしないで、安全を第一に出かけるからと説き伏せました。
熊もそうだがマムシも出るからとにかく十分注意するように、とのアドバイスを頂き、抜けるような青空と猛暑の中、阿賀川流域の三沢の遡行に出かけました。

国道118号線を下郷方面に走っていき、芦ノ牧温泉を越えて小沼崎トンネルを過ぎると左に大川ダム(若郷湖)方面に下る旧道が分岐します。
この道を下ると左側に大きな駐車場があり、そこに車を置きました。
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モニュメントなどもあり、なかなか立派なスペースです。

身支度を整えて三沢方面に向かう旧道を行きます。
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「関係者以外通行禁止」と「くま出没注意」の看板がありました。
下郷町の指示を無視することになりますが、ゲートの狭い隙間をまたいで越えました(^_^;

旧道を歩いて下り、三沢を渡ると沢沿いの林道が右に分岐します。
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ここにも「関係者以外通行禁止」のゲートがありました(ただし、ゲートそのものは上がっています)。
三沢はものすごい藪が生い茂り、かつ堰堤が連続している模様なので、この林道を登って行きました。

左岸に渡り返し、さらに急坂を登っていくと堰堤上の草むらに出ます。
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ここから三沢に降りました。

ハーネス・ヘルメット・8環などを身に着け、スリングとカラビナ数枚を用意し、ザイルもすぐに出せるように準備します。
足回りは、基本は沢の遡行ながら、藪やザレや泥壁をゆくことになるだろうと想定し、いつものフェルト製沢靴ではなく、濡れた路面でもグリップが効くという謳い文句の「ハイパーVソール」のスニーカーを履きました。



さらに靴下は、濡れに強いことをこれまた謳い文句にしているDEXSHELLの防水靴下です。



これに、これまで使い続けてきた、沢用のスパッツをつけました。

以前から、フェルト靴に代わる沢用のシューズに興味があったのですが、ファイブテンのアクアステルスは価格が高いうえに、評判が良かった旧モデルの販売が中止になり、新モデルの評判は今一つらしく、キャラバンが出した「KR_3R」も価格に見合う性能なのかどうか評判が分かれているようです。
いずれにしても15000円以上の出費となるので悩んでいたところ、用途としては全く異なるのですが、先にあげた日進ゴムのハイパーVソールなら価格も安い(2850円)ので試してみる価値があるのではないかと考えた次第です。

さて、三沢に降りてみると、ほとんど人が遡行した気配はなく、沢筋は倒木や藪がかなりうるさい状況です。
大雨による増水の影響を受けたままになっているためなのでしょう、ゴーロ状の流れの中は石や岩も動きやすく、足元の注意は欠かせません。
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それでもさほど水量は多くなく、目立った大きな滝もないため、その点はありがたい限り。
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ウワバミソウやアイコ(ミヤマイラクサ)などの山菜が豊富で、最初からこれらを採集する目的で入れば相当の収穫が見込めそうです。
ただし、アイコは素手で触れると結構痛みを感じ、とげなどは刺さっていないのに、いつまでも嫌らしい痛痒さが残るので注意。茹でたり天ぷらにしたりすると全然気にならなくなるのに、本当に不思議なものです(タラの芽などもそうですが)。

ところどころにブナなどの大木があります。
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流れを遡っていくと、三段の滝に出合いました。
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下の二段は水流沿いに楽々登れましたが、最上段は完全に水草に覆われたツルツルの滝で、ホールド・スタンス共に、確実なものはほとんどありません。
手鍬とかバイルのブレードなら何とか掻き落とせるのではないかと思いますが、今回はそれらを所持しておらず、とても素手では剥がせません。
やむを得ず右岸の泥壁の草付を、シダなどをまとめてつかんで押し付けながら慎重に登って越えました。
このあたりまで来ると、沢の斜度もかなり急になっており、不用意な滑落は絶対に避けねばなりません。

沢筋に戻ってなおも遡行を続けていくと水が涸れました。
しかし、目標の沼尾沼はみあたりません。

実は今回の遡行ではいくつかの失敗をしてしまいました。
その一つは、いつもの山行の時には必ず使っていたカシオのプロトレックを実家に忘れてしまったことです。
山の中での現在位置確認のため、地形図とプロトレックを日頃使用していたため、これは致命的でした。
方位とある程度の高度がわかれば、地形図上での自分の位置を推測することができ、それ以降の行動の目標を立てることができます。
今回はそれができず、果たして沼尾沼からどれほど離れた地点に今いるのか見当がつかないのです。
一面の深い藪の中で、やみくもに歩くのは体力の消耗を促進するだけです。
それでも恐らく沼は間近だろうと藪をかき分けていくと、かすかな踏み跡を発見しました。
踏み跡とはいっても、人間のものではなく、恐らくけもの道と思われます。
しかし、獣とはいえどもある程度踏み跡として残っているということは彼らの生活に即した道であることは間違いないことでしょう。
これを使って登っていくと、果たしてちょっとした原っぱにでました。
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恐らく水があるときには彼らのヌタ場となっているのでありましょう。

しかし、いうまでもなく、ここは沼尾沼ではありません。
そこに佇みながら、少し途方にくれました。
このままやみくもに登ってあくまでも沼尾沼を目指してみるか、それとも安全を期して、今回は退却するか。
暫く考えてみましたが、いずれにしても、下るのはこの嫌らしい斜面と、ゴロゴロで不安定な沢筋、ということになります。
非常に心残りではありますが、もしものことがあれば連れ合いを始め身内のみんなに迷惑をかけることになりますから、やむを得ず後者を選択しました。

覚悟はしておりましたが、下りはやはりかなり悪く、懸垂で降りようと思った斜面に支点となる木などがなかったりして往生しました。
沢筋の浮石は、当然のことながら登りよりも始末に悪く、頭くらいの石がたやすく崩れてしまい、それによって足場そのものが崩壊するというていたらくです。
うかつに草をつかむとそれがアイコだったりするので、とげのある山菜取りの際に使っている豚皮の手袋をして下りました。

ようやく今朝の入渓点に下り着き、大川ダム方面を見下ろすと、青い空が広がっていました。
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国土地理院のサイトにある三沢から沼尾沼までの地形図です。
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見た目は簡単そうで、事実、沢自体にそれほどの悪場はありません。ゆえに見くびってしまったのが敗因の全てです。
プロトレックを忘れたのに気付いたとき、取りに戻ればよかったのに、まあ、沢筋を忠実に登れば大丈夫だろうと高をくくってそのままにしてしまった。
また、いつもなら、未知の沢筋に入るときにはブレードのついたバイルを持参していたのに、今回はそれも忘れた。
実に恥ずかしい限りの敗退です。
もう一つ、以前から山歩き用のGPS(ガーミンなど)が欲しいなと思っていましたが、今回の経験から、やはりお金を貯めて買おうとも思っています。
世の中にはせっかくこうした便利なツールが出てきているのに、それを使わずやせ我慢をするのは決してほめられたことではありません。
今回の山行でも、沢の終了地点で現在確認ができていれば沼への登路も判明した可能性が高いのではないかと思います。
何よりも安全に目的を果たすためには最良のツールではないかと感じました。

ところで、今回は幸いなことに熊さんには出会いませんでしたが、マムシは事前情報通り結構いました。
考えてみれば、マムシが子蛇を生むのはこの時期からですから、個体が活発に動くのは無理のないことです。
夏から秋にかけての沢登りでは、結構頻繁に出くわし、若かった頃は捕獲して売りとばしたしたりしたものですが、さすがに私もこの年になって無益な殺生をするつもりもなく、過ぎ去るマムシを温かく見守りました。

最後に、靴と靴下の評価について。

まず靴の方。
ハイパーVソールのフリクションは思った以上に効きます。
濡れた岩でも水苔がなければ全く滑りませんし、滝の登攀も不安なくこなせます。
水苔でぬめった岩ではさすがに滑りますが、これはフェルトソールでも同じことで、謳い文句のもう一つ「油の上でも滑らない」は状況次第というところかもしれません。
ただしアクアステルスでは、水苔でぬめった岩でのフリクションは全く効かないという話を聞きましたから、もしかすると、それよりは効くのではないかと推測します。少なくともフェルトソールの沢靴との間では遜色はないように思われます。
スニーカータイプですから、水はどんどん入ってきます。
靴の中が濡れるのは嫌だ(そういう沢屋はいないと思いますが)という人には不向きかもしれませんが、フェルトソールの沢靴に比べて格段に水はけは良く、しかもすぐに乾きます。
何よりも、泥壁などの登るときのフリクションは絶大ですし、スパッツをすれば尾根筋でもあまり不愉快な思いはせずに済むのではないでしょうか。
何といっても、2850円という価格は魅力的ですね。

それから靴下。
これは当然のことですが、完全に濡れます。
フェルトソールの沢靴を使う際に穿く完全防水の沢用靴下のような感覚でいると裏切られます。
しかし、肌触りは悪くなく、水に濡れた際には冷たさを感じますが、それはすぐに感ぜられなくなりました。
夏の沢歩きであれば問題なく使えますし、雨の中で登山道に水が流れているなどという状況においてはいかんなくその性能を発揮することでしょう。

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鬼岩のハンガーボルト [山登り]

梅雨冷の日が続いています。
英国のEU離脱やトルコのイスタンブール空港での爆弾テロなど、世界を揺るがすような事件も起こっていますが、山屋関連では、次のような憂慮すべき事態が勃発しています。

「鬼岩にくさび」出頭 県警に会社員「取り換えただけ」

この記事にもありますように、この周辺の巨岩を利用したクライミングやボルダリングのルート開拓は古くからおこなわれており、今回の「事件」も「鬼岩劇場」の終了点の老朽化を危惧したクライマーが自発的に整備してハンガーボルトに打ちかえたもののようです。

この、鬼岩周辺のルートに関しては、「岩と雪123号(1987年8月)」にも紹介されていた、いわゆるクラシックルートの一つで、ネットでも詳しいトポが載っています。

鬼岩公園

今回の事件に関して、JFA(日本フリークライミング協会)は次のような見解と注意喚起を行いました。

岐阜県鬼岩についての報道の件について
つきましては、クライマー諸氏には、リボルトのみならず、通常のクライミングを行なう際でも、特に歴史のあるエリアにおいては、さまざまな観点からの「確認」をお願いいたします。
一般に発売されている岩場ガイドブック(トポ)に掲載されているエリアであっても、地権者の承諾が取られていなかったり、アクセス状況がクリアになっていないエリアが多数存在します(開拓時に許可されていた岩場でも地権者の変更や岩場利用者の増加、マナー低下などで状況が変わっている場合もあります)。
以上の情報をクライマー同士で共有し、つねに自然保護や文化財保護の観点、地権者の状況や周辺住民のお気持ち等、「この岩は登っても大丈夫なのか?」ということを意識してクライミングを行なうよう、お願いいたします。

こういう問題は、以前から発生しており、私もこの話題で、もう15年以上前のことですが次のような記事を書きました。

「アウトドア」の危うさ

ここで紹介した広沢寺の弁天岩は、首都圏の多くのクライマーがトレーニングをつんだ岩場で、私も頻繁に通っていたエリアです。
その広沢寺の岩場が、一時、地権者の方とクライマーとの間で軋轢が生じ、登攀を禁止される寸前までいったのです。
一部のクライマーの非常識な行動がその要因でしたが、この岩場を愛するクライマーの地道な行動が功を奏して地権者の理解を得られた事例となりました。

登山と地権者との間の問題はこれまでにもいろいろとあって、有名どころでは両神山の白井差コースのいざこざがありましたね。

15年以上前に単身赴任をしていた熊本で、足繁く通っていた宮崎の比叡山鉾岳の岩場。
私も所属していた「庵鹿川」のクライミングチームがこの岩場を開拓するに当たって一番力を入れていたのは地元の方々との連携や交流でした。
この鹿川地区の簡易水道のタンクや水源地の清掃は、この庵鹿川メンバーの仕事で、年に数回、私たちメンバーはかり出させ、綱の瀬川に設置された簡易水道関連施設の清掃に勤しみました。
また、地区の運動会には、庵鹿川メンバーでチームを編成して参加。
さらに年に数回、庵鹿川のロッジで、ビアガーデンや高千穂神楽のお祭などを開催し、地元の方々を招待してみんなで大いに盛り上がったりしたものです。
こうした地道な活動を通じて地元の方々の理解を得、先に述べた屈指の花崗岩の岩場にたくさんのルートを開拓することが出来たのです。
もちろん、岩場以外の登山ルートの整備も積極的に行ってきました。

山登りを趣味にしている人の多くは、そのルートや山に関する権利関係に無頓着です。
また、各種のガイドブックや山岳雑誌も、そうした問題にはほとんど触れずじまい。
冒頭に挙げた鬼岩のことも、恐らくそこをフィールドにしているクライマーは、そうした問題があることに無頓着だったのではないでしょうか。
ここの岩が天然記念物であったとすれば、闇雲にピトンなどを打つのは慎まなければならなかったのではないかと考えますが、開拓当時にはそうした問題が表面化しなかった可能性も高いものと思います。
今回のハンガーボルトが目立つ存在であったが故に、ある意味ではパンドラの箱の蓋が開いたのかもしれません。

この記事についているコメントにもあるように、こうした事例が出ることによって「クライミングを禁止しろ」といった意見がネットなどをにぎわすことになるかもしれず、非常に気がかりです。
フリークライミングが「スポーツ・クライミング」など呼びならわされ、オリンピック競技に登録されるかもしれないという流れのなかで、こうした自然壁の問題が表面化すると、ますますそのインドア化が進みそうな気もします。
そのことの是非を問うつもりもありませんが、古いタイプの山屋の端くれである私などには、何ともやりきれない想いにさせられます。

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南博人さんが亡くなりました [山登り]

南博人さんが亡くなりました。

【訃報】南博人氏=登山家

前穂高屏風岩や谷川岳一ノ倉沢などを中心に数多くの初登攀記録を持ち、日本におけるアルパイン・クライミングの最盛期(1960年代)を代表するクライマーの一人でした。

その輝かしい足跡の一部が、所属されていた東京雲稜会のページにアップされていますので、ご紹介します。

東京雲稜会の踏み跡

南さんのお名前は、恐らく新田次郎氏の「神々の岩壁」を通じてご存知の方が多いものと思われますが、私はむしろ、瓜生卓造氏の「谷川岳(中公新書)」における記述の方が印象深く残っております。

私は残念ながらご本人に直接お会いしたことはございませんが、山の先輩によると、誠に誠実かつ気さくで、あれほどの初登攀記録を持ちながら、それをひけらかしたり自慢するようなことは全くない方だったそうです。
「古のクライマー」の中には、自己顕示欲が旺盛で、ともすれば登ったことのないルートを登ったかのように吹聴する、一種の虚言癖にまみれた御仁も結構おられたりしますので、その意味からもかなりの人格者であられたのでしょう。
尤も、私の知る限りにおいて、真の実力を有するクライマーは、たいてい非常に控えめで決して大言壮語を吐くようなことはありませんでしたから、大きな目標を掲げて実践してこられた方々に共通する資質なのかもしれませんが。
その南さんですが、コップ状岩壁の初登攀を狙っていて、間一髪で雲表倶楽部と緑山岳会に先を越されたことを非常に悔しがっていたとのことでした。
これはなんだか、そのお気持ちがとてもよくわかり、語弊はありますけれどもほほえましくも感ぜられます。

享年84歳。
前立腺がんで亡くなったとのことですから、やはり大往生といっていいのでしょう。

先にあげた「神々の岩壁」の中でも大きく取り上げられていますが、南さんはヒマラヤ遠征に対して相当の情熱を傾けてこられていたそうです。
月々の僅かな収入の大半をそのための貯金に回していたのも、その真面目で誠実なお人柄からすれば納得できます。
ただ、ご本人は高度障害を起こしやすく重症化しやすい体質であったらしく、日本国内でも、例えば北岳バットレスなど3000mを超える岩壁では思うような登攀はできなかったようです。初登攀記録が屏風岩までなのも、そういった要因があったからなのでしょう。
あれほどあこがれていたヒマラヤ遠征がついに叶わなかったことは、南さんにとって正に切歯扼腕の想いであられたことと思います。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。







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花切山と斟鉢山 [山登り]

三月ももう終わり。
ソメイヨシノも見ごろを迎えています。
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昼休みの散歩道に桜並木の公園があるのですが、多くの人たちが桜の木の下で宴会を楽しんでいます。
もちろん、夜の本番のための場所取りという役目の方も多く、その中に若いガイジンさんが混じっていたのは、何とも微笑ましい限りでした。
一人ぽつねんと場所取り用のブルーシートの上に胡坐をかいて座り、何とも幸せそうな表情で咲き始めた花を眺めている姿が強く印象に残っています。

さて、またまたひと月以上も記事のアップをさぼっておりました。
体を壊したとか寝込んでいたとか、そういうことではなく、また、題材がなかったわけでもありませんが、とにかく気乗りがせず懈怠の想いが全身に蔓延していたのです。
もしかすれば、これも更年期障害の一つなのかもしれません。加齢によるホルモンバランスの崩れは、男性にも当然訪れるものでありますから、更年期障害も男女の区別なく発症するとのこと。体のあちこちに故障があるのも、それが原因なのかもしれません。
そうであれば、自然に治まってくるのを待つしかないのかもしれませんし、あまりじたばたしても仕方がない、ということなのでしょう。

前置きが長くなりましたが、少しずつ記事のアップを再開したいと思います。

本来なら、時系列に早い題材から取り上げるべきなのでしょうが、自分の中でのイベントとして大きかった順番で書いていくことにしました。

2月の終わり。九州宮崎の山仲間からお誘いが来ました。

本当ならば、昨年、私の退職と再就職を祝うという名目で開催したかったのだが、奥さんの大病や再就職で忙しかったことだろうからと、見送っていたのだ、と山仲間は云ってくれました。
職場とは全く無関係の仲間が、こうして温かな心遣いをしてくれる。何という幸せなことかと、これには連れ合いも感動してくれたところです。

ターゲットは、宮崎市の近郊にありながら、時期外れにはさほど人も訪れない山、ということで、花切山と斟鉢山を選びました。

花切山には、椿山森林公園をベースに登りました。

この時期は野営場も閉鎖しているため、登山口となる自然観察ゾーン入口の駐車場にも車はわずかしか見かけません。
加江田渓谷沿いに進んでいくと、尾根コースト滝コースの分岐に出ます。
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滝コースに入ります。
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しばらく登っていくと「鏡洲万葉の滝」に出ました。
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なかなか壮観です。下部が被っているため、直登するためにはアブミが必要となりそうですね。

このコースは、台風などの影響で荒れているため山慣れた人以外はお勧めしない、という話でしたが、確かにところどころ登山道が崩れ踏み跡も不明瞭となっていて、テープなどの目印を見失わないように気を付ける必要がありそうです。
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こういう荒れたコースではよくあることですが、シカやイノシシなどの踏み跡が交錯していますから、うっかりするとそちらに踏み込んでしまう虞もあります。

時々考え込みながらも登っていくと尾根コースに合流し、こちらの踏み跡は比較的しっかりしていました。
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しばらく登っていくと、左側に印象的な岩壁が出てきます。
この山域は新第三期の宮崎層群からなり、砂岩泥岩互層が発達しているとのことですが、先ほどの万葉の滝といい、水平の断層が積み重なっているのが特徴のようですね。
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やがて「花切展望台」への道標に行き当たります。
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展望台からは、日向灘や宮崎市、斟鉢山方面などへの展望が広がります。
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行動食を食べて、花切山の山頂に向かいます。
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こちらは展望はほとんどありませんが、静かなたたずまいの好もしい山頂でした。
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ここから家一郷山方面へ尾根筋にたどることもできそうですが、ちょっと時間も押しておりましたので、往路を戻り、分岐からは尾根コースを下ることにしました。
滝コースに比べて恐らくこちらの方が楽だろうと踏んでのことです。
しかし、コース自体は明瞭ですが、急で結構足場も悪く、梯子やロープなどでところどころ緊張させられる部分もありました。
明瞭な分、滝コースよりは安心かもしれませんが、山慣れていない人がピクニック気分で登るとかなり厳しい想いをさせられるかもしれません。

その夜はみんなで宴会となりました。

熊本に単身してきた折からの付き合いですが、あれからもう17年も経つというのに、いまだにこうして仲間に加えてくださる思いやりに感激で胸がいっぱいになってしまいました。

翌日は斟鉢山に向かいました。

林道工事がところどころで実施されており、それ故に最新の情報がなかなか取りづらくなっているとのこと。
青島方面から蛇ノ河内に沿って伸びる未舗装の林道を車で走るのですが、車高の低い車ではオイルパンを打ちそうな道が続きます。
斟鉢山方面への道標付近のスペースに駐車し、登山道らしきものを探しながら林道を辿ります。
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うんざりする頃、道標を発見。
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そこからわずかの登りで、斟鉢山と斟鉢神社への分岐点に到着しました。
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左に登っていくと、10分足らずで斟鉢山の山頂です。
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青島や木花方面への眺望が広がっていました。
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往路を引き返し、先ほどの分岐を直進すると、しばらくで斟鉢神社に到着。
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きれいに整備された立派な社殿でした。
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せっかくなので、虫よけのご利益があるというお札を頂きます。

帰り道、宮崎市自然休養村センターに立ち寄り、温泉に浸かりました。

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活を入れる [山登り]

今年の年末年始のお休みは、一般的には12月29日から1月3日までの6日間と短いものでした。
私の場合、新しい職場において土曜日の出勤などが恒常的にあったことなどもあり、年始の6日までお休みをいただくことができました。
12月30日から1月2日までは帰省をしておりましたので、この、一般的な職場よりも三日長い休みはありがたく、掃除・洗濯などの家事も余裕を以てできたところです。

そんな中の一日である5日の日に、だらけきった体に活を入れるため、久しぶりに丹沢の三ノ塔に登ってきました。
昨年、二回も起こした肉離れの後遺症のほか、大腸憩室炎で入院するなどの椿事が重なり、昨年はほとんど山に登ることもできませんでしたので、自分の体の状況を知るためにも足慣らしを兼ねて登っておきたいと思ったのです。

朝ご飯の支度のついでに昼の弁当をこしらえ、既に仕事の始まっている連れ合いを送り出してから家を出ました。
ちょうど出勤時間にぶつかる時間帯であったことから、さすがに駅は混雑しておりますが、都心から離れる電車はさすがに空いています。
本来なら、あの都心に向かう満員電車に乗って仏頂面をしているはずなのに、と思うと、その空いた電車に乗れるということだけで自然に笑みがこぼれてきます。

渋沢から大倉に向かうバスもガラガラでしたが、やはり山に登る人はそこそこ乗っていました。

大倉から三ノ塔尾根を登ります。
風邪の吊り橋から、目指す三ノ塔を望みます。
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雪はなさそうですが、標高が高くなれば霜柱などがあってぬかるんでいたり凍っていたりする可能性もありますから、本日はゴム長靴で登ります。

陽射しのあるところは暖かですが、さすがに風は冷たいので、牛首まではゆっくりペースをつかみながら登りました。
牛首で、地元に住んでいるという年配の男性に声をかけられ(ここまで林道を車で来たようです)、三ノ塔までどのくらいかかるかと尋ねられました。
前にも書いたことがありますが、こういう質問が一番困ります。質問をなさる方の山の経験などが全く分からない中で答えるすべがないからです。
仕方がないので、「ゆっくり歩いて1時間30分くらいでしょう」と答えると、そんなに歩くのかと驚き、少し登ったあたりで眺めのいいところはないか、と聞きます。
三ノ塔尾根は樹林帯の中を黙々と登るので、眺望が目的であれば山頂までいかないと広がらないと答え、それでも、この時期ですから道々樹林帯の切れ目から表尾根や秦野市街方面が望めますよと答えました。
結局この御仁、5~6分程度私の後をついて登ってこられましたが、これ以上は無理とつぶやいて降りていきました。
地元にいながら三ノ塔には登ったことがない、とのことでしたから、どなたかに教えられちょっと様子見に来た、というところなのでしょう。

さて、一人に戻って、黙々と登っていきます。
三ノ塔尾根を登るのは5年ぶりくらいですが、林道工事がだいぶ進んできているようです。静かなこの尾根も、そのうちに喧騒に巻き込まれるようになるのかもしれないと思うと、なんだか暗澹たる思いにさせられました。

ふと気づくと、登山道の傍らにこんな標識がありました。
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これまでに見かけた記憶がないので、最近の設置なのでしょうか。
特に危険地帯もない三ノ塔尾根のようなルートでも、こんな標識が要るようになったのかと、ちょっと複雑な想いです。つまり、それだけこの尾根を訪れる人が増えているということなのでしょう。

頂上直下の右側に葛葉川の源頭部分が広がります。
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上部のガレ場はさらに拡大している様子です。

そこからしばらくで三ノ塔の頂上に到着。
平日なのにもかかわらず結構な人が登っていました。
三ノ塔尾根ですれ違った登山者は二人でしたので、さすがに表尾根との違いを感じたところです。
山頂から塔ノ岳を望みます。
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丹沢の山々の降雪が増すのは、西高東低の気圧配置が崩れて関東地方の太平洋側にも雪が降る一月の下旬あたりからですが、それでもこの時期に全く積雪を見ないのは珍しいことです。
以前、主稜縦走をした折には、竜が馬場で結構厳しいラッセルを経験しましたから、これは意外でした。
しかし、予想通り日陰には霜柱があり、それに陽が当たって道筋はかなりぬかるんでいます。
長靴を履いてきて正解でした。

風の冷たい山頂でも、ライトダウンを着込めば寒さも感じません。
ゆっくり昼食をとり、ヤビツ峠に向かいます。

二ノ塔から望む三ノ塔です。
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お正月明けの平日なのにもかかわらず、さすがに表尾根だけのことはあります。それなりの登山者が歩いていて驚かされました。

県道70号線に降り立つと、陽がほとんど射さなくなり路面には霰が降っていて、まるで冷蔵庫の中にいるような寒さになりました。

ヤビツ峠でも、駐車場はほぼ埋まっているような状況です。
正月明けだからもしかするとヤビツ峠からでも空いているかな、などとちょっと考えたのですが、三ノ塔尾根にしてよかったと改めて思いました。

ヤビツ峠から蓑毛への下山路は、これまでと打って変わって陽射しもあり快適です。
途中でトレイルランの方が抜いていきましたが、その他の登山者には会うこともなく、蓑毛のバス停に着くとちょうど秦野行のバスの出発時刻でした。
長靴を履き替える間もなく、そのまま乗り込み、秦野からの帰りの電車も、相模大野行きの急行にちょうど間に合ったため、結局帰り道は家に着くまで長靴のままと相成った次第です。

さて、記事の題名にも致しました通り、今回の山行は、なまってしまった体にちょっと活を入れることと、現在の自分の体力がどの程度のものかを計ろうとする意図もありました。
大倉と三ノ塔との間の標高差は概ね1000mです。
これを二時間程度で登れれば、現状としては上出来の部類かなと思っており、何とかそれはクリアできました。
今回歩いた行程は概ね13kmくらいで、休憩時間(昼食時)を含めて4時間余りですから、まあまあというところでしょうか。
ただし、下りに関して云えば、ペースがかなり落ちてしまっています。
下りに必要な筋肉は普段あまり使わないことが多いので、この点は大きな反省点といえそうです。
下りを意識した日常のトレーニングもちょっと考えてみる必要があるのかもしれません。
なお、翌日になって足の筋肉などに痛みや疲労が残るかなと案じておりましたが、この点は大丈夫でした。

私は今年、恥ずかしながら還暦を迎えます。
余り焦らず、少しずつでも体を慣らしながら山登りに復帰したいと改めて思った次第です。
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