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日南・北郷の岩壺山(再来) [山登り]

梅雨入り前ではありますが、突然雨雲が広がり驟雨がやってくるなど、初夏を思わせる不安定なお天気が続きます。
特に午後は危険ですから、洗濯物や布団干しには注意が必要ですね。

以前、「日南・北郷の岩壺山(敗退)」という記事をアップしました。
詳細はこの記事をお読みいただければと思いますが、敗退したことによるわだかまりは私の中にずっと残っておりました。
当時、連れ合いは再発したがんの治療で格闘していたのですが、私の意を酌んでくれて送り出してくれました。
にもかかわらず、という点も大きかったわけです。

そのような事情もあり、私自身としてはあまり考えないことにしておりましたし、(闘病中の連れ合いを置いて出かけたという後ろめたさもあって)気持ちとしては封印していたのでした。

ところで、そのときにご一緒いただいた宮崎の山仲間にとっても、ご自身が登山道に入る前に敗退したことがやはりかなり応えたようで、よかったら再チャレンジしてみないか、とのお誘いがありました。

心臓周辺に違和感を感じていた山仲間は、今年の初めに意を決して心臓の検査を受け、24時間ホルター心電図などのあと最終的には心臓カテーテル検査を受検。
結果として、心臓そのものには異常はないものの、周辺の血管が痙攣しやすく、その意味では狭心症という括りになるとのことでした。
血管を拡張する薬を処方され、念のためニトロも処方。
地道に運動はしていたつもりでも、結局のところ血液の循環を活発にするような活動はしてこなかったので、これを機に前向きに山登りも考えてみたいとの決意を固めたのだそうです。

そこで手始めに、敗退した岩壺山を克服したい、ついては同じく無念の涙をのんだ貴殿と一緒に登りたい、ということでのオファーです。
新型コロナウィルスの感染拡大が続く中、思うような山登りができなかったこともあり、喜んでお供しましょうと回答したわけです。

前回は林道が不通だったことから車で入れなかった五重の滝駐車場(本太郎コース登山口)ですが、現在はほぼ問題なく通行できるとのことで、山仲間の車でこちらを目指します。
駐車場の雰囲気は前回来た時とほとんど変わっておりませんでした。

身支度を整えて(渡渉が複数回あるので私は例によって地下足袋です)出発。

トライアルパーク北郷と岩壺山への案内板があります。
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トライアルパーク北郷は、このところテレビなどでも取り上げられていて、クロカン四駆などが頻繁に入り込み、前回来たときはだいぶ様子が変わっています。

しばらく進むと「岩壺山山頂へ」と書かれた案内板がありますが、前回、私はこれを見落とし(発見できず)、手前から藪漕ぎを強いられました。
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下り気味に進むと左側にテープがあります。
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入り口は草で覆われわかりづらいので注意が必要ですね。

藪っぽい中を下っていくと踏み跡も比較的しっかりしてきて、「猪八重照葉樹林生物群保護林」の看板に出合います。
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さらに進むと猪八重谷川にぶつかり、最初の渡渉。
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複数回の渡渉を繰り返すと、流れの穏やかな最後の渡渉となり、ここから山道に入ります。
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途中で五重の滝方面から上がってくる登山道への分岐点を右に分けると、緩やかな道の先に案内板があります。
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そこから急登急降下を繰り返し高度を上げていくと、次の案内板に出合います。
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さらに急登を稼ぐと、立派なもみの木に出会いました。
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山仲間は、その前からペースが遅れがちでしたが、このあたりでかなり息が上がってきている様子。
自分はここで待っているから登ってきてくれ、などと言います。
とにかく一息入れて、水を飲ませ、呼吸を整えさせると、顔色も戻り、息も正常になってきました。
ただ、心拍数が100を超えているようなので、心臓の状況を聞いてみます。
特に不整脈のようなものは出ていない様子で、気合を入れなおし、再度登ることを承知してくれました。
無理をさせるわけにはいかないので、できる限りゆっくり登るようにします。

地図上ではここから登り一辺倒のように見えますが、実際にはやせ尾根のアップダウンが延々と続きます。
足元には枯れ葉が盛大に散乱し、非常に滑りやすく、登りもそうですが下りの時のことを考え、かなりうんざりさせられました。

樹間から覗く高みを伺いながら、あれがピークかと期待しつつ、高度計を見るとどうもまだ先のようで、案の定、頑張って登った後に急降下があったりして、この点でもうんざりです。
時折、山仲間の登ってくるのを待ち、脈拍を計り顔色や呼吸の状況を見ながら、じりじりと先に進みます。

やがて大きな岩にぶつかり、これを左から巻き上ってさらに登ると、ようやく待望の岩壺山山頂に着きました。
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西方に展望が開け、鰐塚山と朝陣野の先には高千穂の峰や霧島連山が望めます。
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これには山仲間も大感激。
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きつかったけれども頑張って登ってよかった、と感動を新たにしておりました。
私も、宿題だった岩壺山山頂を極めたことで、大満足。
とりあえずグランドシートを出して、山仲間を横にならせ休ませました。

これは花切山への縦走路でしょう。
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男鈴山の左側遥か先の方に見えているのは恐らく高隅山ではないかと思います。
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あれも本当に良い山でした。

帰路、南に縦走し猪八重渓谷に下る道もありましたが、安全第一で往路を戻ります。

予想通り、枯れ葉満載の急降下は非常にいやらしいものでしたが、やはり登り切った充実感で気分が高揚しているのか、周りの景色を眺めながら下る余裕もできてきました。

時にはこのような穏やかな道もあり、距離は僅かですが少しほっとさせられます。
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それにしても、標高737mの低山ながら、立派な樹がたくさんあります。
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これは例のもみの木です。
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切り株がハート型になっている樹もありました。
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白い木と黒い木がぴったり寄り添っています。
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これなどはまるで抱き合っているかのようですね。
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なんだかメカゴジラの頭を思い起こしました。
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そろそろ渡渉点かな、と思われるところに、大山神社と書かれた石碑がありました。
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登っているときには気が付かず、景色を見ながら降りてきたのでわかったのでしょう。

猪八重谷川の渡渉を繰り返し、崩れやすい斜面のいやらしいトラバースを何度か重ねて、無事、登山口に戻りました。

山仲間とがっちり握手をし、お互いの宿題をやり遂げた喜びを分かち合いました。

こうした機会を作ってくれた山仲間には感謝しかありませんが、心臓カテーテル検査を行い、ニトロも処方されているわけですから、さすがに実行するまでには私も不安でなりませんでした。
主治医の意見はどうなのか、と聞くと、血流が滞ることの方が問題なので、体はきちんと動かした方がよい、ただし無理は禁物で、違和感を感じたらすぐさま中止し、状況によってはニトロの服用を躊躇わないように、とのアドバイスがあったそうです。
今回の山行で息が上がり苦しくなったのは、運動不足による心肺機能の低下が大きな原因と考えられ、少なくとも心臓に危険な負担をかけていたわけではない、むしろ、こうして長時間の山行に耐えられたことは大きな自信につながった、と、山仲間は笑顔で答えてくれました。
私もほっと安堵するとともに、私自身、まだまだきちんと歩けることを確認出来て少し自信を取り戻しました。
前回の敗退時から三年あまり経過しているのですが、体感的には今回の方が格段に楽で、ほとんど汗もかきませんでした。
考えてみれば、あの時に比べて体重は5kgくらい減り、お酒の量も減っているので、むしろ今の方が体調も良く体も強いのかもしれません。
ウォーキングや踏み台昇降、ラジオ体操やNHKのみんなで筋肉体操などを地道に続けてきたことも大きかったのでしょうか。
山仲間も、できる限りの運動に努めてきたそうです。
継続は力なり、という俚諺はまさしく正論ですね。

ところでこのコースですが、途中に案内板はあるものの、テープなどの目印を見逃さないようにする必要がありますし、非常に足場の悪いトラバースや急登・急下降があります。
また、尾根の広がっているところでは目印を見失うと迷う可能性もありますから、行動は慎重になさって下さい。
それでも、標高のわりに自然が色濃く残っていて、巨木に出会うと深山の趣をひしひしと感ぜられます。
山頂の眺望も相俟って、誠に素晴らしい山です。
機会があれば、渡渉を繰り返した猪八重谷川の遡行にもチャレンジしたいものと思っています。

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新型コロナウィルスワクチン接種券が届きました [日記]

近所の田んぼではほとんどが田植えを終わり、浅黄色の苗が輝くように波打っています。
もうすぐ関東地方も梅雨入りとなるのでしょうが、こうした柔らかな景色は本当に心を和ませますね。
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先日、「新型コロナウィルスワクチン接種券」が送られてきて、ちょっと驚きました。

私は現在64歳ですから、高齢者枠には入らず、9月以降を目途としている一般接種になるのだろうなと考えていたからです。
しかしそうではなく、今年度に65歳を迎える人は前期高齢者という括りになり、それ故に高齢者枠での扱いになるのですね。
尤も、私たちのような年代への接種券の発送が始まったのは5月17日かららしく、そのあたりの区別はあるようですが。

せっかくなのでWeb予約をしてみようとアカウントをとりアクセスしたのですが、既にWeb予約枠は満杯。
朝9時からのアクセスでもダメでした。
それどころか、朝一番ですと予約サイトにつながること自体が難しい。

東京や大阪といった大都市圏では自衛隊による大規模接種が始まっており、予約も比較的スムーズと聞きますが、やはり地方では簡単にいかないようです。

まあ、最初から9月以降でいいや、と考えていたわけですから仕方がないかなと思いましたが、もしかするとどこかに手違いでもあるのではないかとやはり不安になり、コールセンターに電話をかけてみました。
予想はしていたのですが、これが全くつながらない。
10回ほどかけなおして、ようやく順番待ちとなり、それからかなり待って通話が可能となりました。
状況を聞くと、順次拡大はしているけれども、Web予約は週の初めの月曜日の朝一で、瞬く間に満杯になってしまうとのこと。
9時前ではログインできませんから、9時の時報とともにアクセスが集中し、早い者勝ちで埋まってしまうそうです。
予想通りの展開でしたが、高齢者のデジタルデバイドが問題視されている中で、即座にWeb予約枠が満杯になるほど精力的にネットで予約をしている高齢者の方々がかなりおられることに、ちょっと驚きました。
私の素朴な疑問を察知してくれたオペレーターの方は「身内の高齢者のために子供や孫たちが手分けをして予約をしているようですよ」と話してくれました。
なるほど、これは納得です。
なんだか、愛知博の時のパビリオン予約を思い出してしまいました。
あのときは一族郎党血道をあげてネット予約に精を出し、妹がようやく一つ確保したのですが、朝から大変な騒ぎでした。
今回はお遊びではなく、身内のおじいちゃんやおばあちゃんのためなのですから、さらに真剣なのでしょうね。

そんなわけで、状況が分かったこともあり、しばらく時間を置くつもりです。
私自身、特にこれといった基礎疾患はありませんし、肝機能・中性脂肪・コレステロール・血糖値・血圧なども全くの正常値。身長174cmで体重は63kg台、体脂肪も13%程度と、肥満体でもないので、そのうち空きができたら接種してもらうことにしましょう。

接種券が届いたことで、ちょっと気持ちの上でバタバタしてしまい、コールセンターのオペレーターの方にもお時間を取らせ申し訳ないことと思っています。
ただ、オペレーターの方の対応は非常に素晴らしく、私が「ではしばらく待つことにします」といったところ、「来週の月曜日には、接種場所を拡大して新たに予約を受け付けるはずですから、そこでアクセスされてはいかがでしょうか」と勧めてくれたのみならず、厚労省の「コロナワクチンナビのほうがさらに細かく調べることができますから、そちらで空き状況などをご確認されてはいかがですか」とのアドバイスもしていただきました。
うんざりするほどの問い合わせが殺到していることでしょうに、こちらが不安感を抱いていることを察して可能な限り丁寧な受け答えとアドバイスをされる。
全く頭の下がる想いでした。

ブログ上ではありますが改めて心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
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メスティン [山登り]

梅雨の走りなのでしょうか、雨の鬱陶しい日が続いています。
それでも、家にこもりきりではますます気持ちが滅入りますので、小止み時を狙ってウォーキングに出かけたり、出られないときは踏み台昇降をしつつ、ラジオ体操や筋トレに取り組んでいるところです。

ところで、近頃様々な場面で「メスティン」が取り上げられるようになりました。
おしゃれっぽい名前ですが、要するに「飯盒」なのであり、その意味からすれば19世紀の後半から野戦時の炊飯用具として用いられてきていたもの。
古くからの山屋は結構お世話になっているのではないでしょうか。
その後、山用の調理器具としては機能的なコッフェルなどが主流となり、単独行の場合はメタクッカーなどへと発展していきます。

それがここにきて、メスティンとして改めて見直され山だけではなく簡易な弁当とか携行食調理などアウトドア以外でも用いられるようになり、レシピ本などもかなり出されている模様です。

昨日、近所のダイソーに寄ってみたら、なんと500円(税込み550円)で販売されていたので、試しに購入してきました。
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一合炊きなので少し小さめですが、値段の割には縁のバリはきちんと処理されており、アルマイト処理もなされておりました。
コスパはかなり高いと思います。

試しにスパゲッティを作ってみることにしました。
山での使用を考え、山用のガスコンロを使います。
水180ml程度に食塩を加え、沸騰したら、半分に折ったスパゲッティ75gを投入。
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吹きこぼれないように火加減を調整します。
ガスコンロはこの点で非常に便利ですね。

お湯がなくなるくらいまで茹でます。
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頃合いを見計らって、具を投入。
今回は、パプリカとぶなしめじとベーコンを予めオリーブオイルで炒めたものとツナ缶を混ぜ合わせました。
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実に簡単です。

調味料は塩と胡椒で味を調えるくらいで、スパゲッティや具などから出汁は十分に出ますから、この点も手軽ですね。

75gのスパゲッティでも一人前なら十分な量であり、いつか山行の折に使ってみようと思っております。

「火力調整いらずの半自動炊飯」などと箱には書かれておりましたが、そもそも炊飯などは鍋などでも問題なく対応可能です。
私は小学校4年生のころから釜でご飯を炊いてきましたから、今でも鍋などでご飯を炊くのはお手の物。
むしろ、電気炊飯器などで炊くよりも鍋で炊いたほうが美味いくらいです。
メスティンブームによって、電気釜がなくてもご飯が簡単に炊けることが一般に広がっていくとすれば、それはそれで非常にいい傾向だと思いますね。

ちょっと唐突に思い出しましたが、40年くらい前の固形燃料は、使用時にホルマリンガスが出たりして、臭いうえに目が痛くなったりしました。
その後、品質改良されてずいぶん使いやすくなり、メタクッカーなどの使用も積極的に行おうという気になりました。コンロなどに比べて軽量化が図れますから。
固形燃料を使って調理するという動きも、メスティンブームを機に盛り返すこととなるのかもしれませんね。

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ブーレーズの「ル・マルトー・サンメートル」 [音楽]

COVID-19感染拡大の影響で、今年の大型連休も私にとっては自宅での待機となりました。
屋外で、しかも人と接触する機会のないところであれば危険は少ないのでしょうが、そうした場所に出向く過程で、やはり他人との接触は避けられないと考え、もう少しの辛抱かなと自重しているところです。

こういう時間をどのように過ごすか。
そのあたりの心の余裕が、もしかしたら一つの指標となるのかもしれません。

連休の間中、仕事の関係は忘れて久しぶりに本を読んでいました。
それも、芥川龍之介とか島崎藤村とか田山花袋とか、ずいぶん昔に読み終えていながら、なんとなくもう一度読んでみようかな、などと思う作家の小説を中心に、ちょっと懐かしい思いに浸っていたところです。
そのあたりの感想はまた日を改めてこのブログに書ければいいなと思っております。

音楽ももちろん頻繁に聴いていました。

一番多かったのは、ウォーキングに出かけるときのBGMで、これが不思議とブラームスばかりでした。
私はブラームスが大好きで、その意味では「不思議」でもなんでもないのですが、歩く速度にブラームスの音楽はあまりにも良くフィットした、ということなのでしょう。

それとは別に、自宅にいるときはちょっと毛色の違った音楽を聴いたりもします。
ブーレーズの「ル・マルトー・サンメートル」などは、その典型かもしれません。

Pierre Boulez - Le Marteau sans maître, INSOMNIO cond. Ulrich Pöhl

ブーレーズは、指揮者としての功績が前面に出てしまうことが大きいように思われますが、20世紀の前衛音楽における指導的・先駆的な作曲家であったことを忘れてはならないように思います。
その態度は誠に厳しく、自身が大きく影響を受けたシェーンベルクやウェーベルンですら十二音においては不徹底であったと批判し、全面的セリーを旗印に掲げたほどでした。

しかし、自身が指揮者として活動をしていく中で、これは私の勝手な思い込みですが、より聴衆に訴えかけられる表現を目指すべきと考えた可能性は高く、この「ル・マルトー・サンメートル」は、音響的にはむしろ非常に官能的で響きを重視した音楽であるように思われます。
楽器が中音域のものに収斂しているのも、ある意味では聴く人の聴覚に訴えかけているのではなかろうかと感じます(声楽がアルトなのも象徴的ですね)。

この曲を聴いていると、ブーレーズがジョン・ケージとたもとを分かった理由もわかるような気もします。
ブーレーズは、やはり音楽、それも響きに対する可能性を決して忘れなかったということなのでしょう。

この曲は、恐らく20世紀の前衛音楽の中でも一つの金字塔といえると思います。
今、こうした試みはほとんど影も形もなくなっているように感じます。
現代の作曲家たちの目指している地平はどのあたりにあるのでしょうか。

ところで、この曲を聴きながら、指揮者としてのブーレーズのことを考えてしまいました。

自身の音楽的な立場もあるのでしょう、ブーレーズの演奏においてやはり特筆すべきは前衛音楽であろうかと思われます。
ことに、自作を筆頭に、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、バルトーク、ストラヴィンスキーなどといったあたりの作品の解釈や演奏は、ほとんど他の追随を許さないレベルなのではないでしょうか。

そして、マーラーや、とりわけワーグナー。

私も、彼の指揮による「リング」のLD(古すぎますね)を所持していますが、いまだに私にとっては(映像付きである中では)ベストです。
あの、一種醒めたような感覚からの「リング」の解釈。
醒めているからこそ、それに接する側の感性が問われるかのような演奏。
恐るべき冷徹さだなと、今でも感嘆します。

ところで、先に、このところブラームスばかり聴いていると書きました。

私が何故にブラームスを好むかといえば、やはり「好きだから」ということに尽きると思います。
あの、頑固なまでの古典へのこだわりは、ある意味、作品の根本を厳格な骨格から築き上げようと考えたからなのではないでしょうか。
ブラームス本人は、あのピアノ曲や歌曲からもわかるように、きわめてロマンティックな感性を持っていた。
しかし、それを徒に表すことをためらっていたような節があります。
己の想いを奔放に吐露しようとしたワーグナーとは、その意味でも大きな隔たりがありそうですね。

ブーレーズの演奏カタログには、残念ながらブラームスは「ドイツレクイエム」以外見当たりません。

考えてみれば、ワーグナーは、20世紀の前衛音楽における出発点ともいうべき作曲家でした。
あの、トリスタンで試みられた和音は、それまでの古典的な発想からは完全に別物なのであり、それゆえに、その時の時代のトレンドを目指したあまたのクリエイターの耳目を引き付けたのでしょう。

ブラームスは、むしろ、その時代において過去に遡ることによって己の創造の世界を打ち立てようとした。

ブーレーズが前衛である限り、ブラームスとは全く違う世界にいたとしても、それは不思議ではないのかもしれません。
少なくとも作曲家としての彼が、ブラームス的な方向を目指そうとしたはずはないと思われますので。

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