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ブーレーズの「ル・マルトー・サンメートル」 [音楽]

COVID-19感染拡大の影響で、今年の大型連休も私にとっては自宅での待機となりました。
屋外で、しかも人と接触する機会のないところであれば危険は少ないのでしょうが、そうした場所に出向く過程で、やはり他人との接触は避けられないと考え、もう少しの辛抱かなと自重しているところです。

こういう時間をどのように過ごすか。
そのあたりの心の余裕が、もしかしたら一つの指標となるのかもしれません。

連休の間中、仕事の関係は忘れて久しぶりに本を読んでいました。
それも、芥川龍之介とか島崎藤村とか田山花袋とか、ずいぶん昔に読み終えていながら、なんとなくもう一度読んでみようかな、などと思う作家の小説を中心に、ちょっと懐かしい思いに浸っていたところです。
そのあたりの感想はまた日を改めてこのブログに書ければいいなと思っております。

音楽ももちろん頻繁に聴いていました。

一番多かったのは、ウォーキングに出かけるときのBGMで、これが不思議とブラームスばかりでした。
私はブラームスが大好きで、その意味では「不思議」でもなんでもないのですが、歩く速度にブラームスの音楽はあまりにも良くフィットした、ということなのでしょう。

それとは別に、自宅にいるときはちょっと毛色の違った音楽を聴いたりもします。
ブーレーズの「ル・マルトー・サンメートル」などは、その典型かもしれません。

Pierre Boulez - Le Marteau sans maître, INSOMNIO cond. Ulrich Pöhl

ブーレーズは、指揮者としての功績が前面に出てしまうことが大きいように思われますが、20世紀の前衛音楽における指導的・先駆的な作曲家であったことを忘れてはならないように思います。
その態度は誠に厳しく、自身が大きく影響を受けたシェーンベルクやウェーベルンですら十二音においては不徹底であったと批判し、全面的セリーを旗印に掲げたほどでした。

しかし、自身が指揮者として活動をしていく中で、これは私の勝手な思い込みですが、より聴衆に訴えかけられる表現を目指すべきと考えた可能性は高く、この「ル・マルトー・サンメートル」は、音響的にはむしろ非常に官能的で響きを重視した音楽であるように思われます。
楽器が中音域のものに収斂しているのも、ある意味では聴く人の聴覚に訴えかけているのではなかろうかと感じます(声楽がアルトなのも象徴的ですね)。

この曲を聴いていると、ブーレーズがジョン・ケージとたもとを分かった理由もわかるような気もします。
ブーレーズは、やはり音楽、それも響きに対する可能性を決して忘れなかったということなのでしょう。

この曲は、恐らく20世紀の前衛音楽の中でも一つの金字塔といえると思います。
今、こうした試みはほとんど影も形もなくなっているように感じます。
現代の作曲家たちの目指している地平はどのあたりにあるのでしょうか。

ところで、この曲を聴きながら、指揮者としてのブーレーズのことを考えてしまいました。

自身の音楽的な立場もあるのでしょう、ブーレーズの演奏においてやはり特筆すべきは前衛音楽であろうかと思われます。
ことに、自作を筆頭に、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、バルトーク、ストラヴィンスキーなどといったあたりの作品の解釈や演奏は、ほとんど他の追随を許さないレベルなのではないでしょうか。

そして、マーラーや、とりわけワーグナー。

私も、彼の指揮による「リング」のLD(古すぎますね)を所持していますが、いまだに私にとっては(映像付きである中では)ベストです。
あの、一種醒めたような感覚からの「リング」の解釈。
醒めているからこそ、それに接する側の感性が問われるかのような演奏。
恐るべき冷徹さだなと、今でも感嘆します。

ところで、先に、このところブラームスばかり聴いていると書きました。

私が何故にブラームスを好むかといえば、やはり「好きだから」ということに尽きると思います。
あの、頑固なまでの古典へのこだわりは、ある意味、作品の根本を厳格な骨格から築き上げようと考えたからなのではないでしょうか。
ブラームス本人は、あのピアノ曲や歌曲からもわかるように、きわめてロマンティックな感性を持っていた。
しかし、それを徒に表すことをためらっていたような節があります。
己の想いを奔放に吐露しようとしたワーグナーとは、その意味でも大きな隔たりがありそうですね。

ブーレーズの演奏カタログには、残念ながらブラームスは「ドイツレクイエム」以外見当たりません。

考えてみれば、ワーグナーは、20世紀の前衛音楽における出発点ともいうべき作曲家でした。
あの、トリスタンで試みられた和音は、それまでの古典的な発想からは完全に別物なのであり、それゆえに、その時の時代のトレンドを目指したあまたのクリエイターの耳目を引き付けたのでしょう。

ブラームスは、むしろ、その時代において過去に遡ることによって己の創造の世界を打ち立てようとした。

ブーレーズが前衛である限り、ブラームスとは全く違う世界にいたとしても、それは不思議ではないのかもしれません。
少なくとも作曲家としての彼が、ブラームス的な方向を目指そうとしたはずはないと思われますので。

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