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「風立ちぬ」を観てきました [映画]

今日の横浜は、久しぶりの猛暑になりました。
連れ合いは仕事ですので、夏休みの私は、布団を干し、汗だくになりながら、掃除と床のワックス掛けに精を出したところです。
それにしても暑い(^_^;)

昨日は、こちらの友人たちに久しぶりに会って、夜も楽しく飲みましたが、昼間、友人の会社に面会に出かけたあと、飲み会までの間、少し時間が空いたので、宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観てきました。
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平日の15時10分からの回ですので空いているだろうと高をくくっていたのですが、さすがにTOHOシネマズ渋谷、ほぼ満席になりました。
若いカップルが目に付き、そういえばまだ夏休みは続いていたんだなと、妙に納得。
それにしてもジブリの人気はすさまじいものがありますね。

映画の内容に関しては触れないことにします。
しかし、これは特に大人にとってたまらない映画だと思います。
堀辰雄の読者であればなおさらのこと。
私自身、「風立ちぬ」はもとより、「聖家族」「美しい村」「菜穂子」などを読んでおりますので、そうした堀辰雄の世界が展開されていく様に、しみじみと胸を打たれました。

宮崎駿監督は、自分の作ったこの作品を観ながら涙を流し、そうした経験は初めてのことだったと話しておられましたが、私も恥ずかしながら何度も涙してしまい、いい年をした中高年が、とちょっと恥じ入ってしまったところです。
ちなみに、私の右隣は20代前半くらいの女性の二人連れ、左隣は30代半ばの女性でしたので、涙をぬぐうのに少し躊躇しましたが、ふと見ると彼女たちもハンカチで目を押さえていたので、私も安心してハンカチを出しました。

宮崎監督には、アニメは子供が喜ぶものを撮るべきだ、という信念がありました。
そのため、この映画を撮ることに最初はためらいがあったとのこと。
しかし、プロデューサー室の女性の「子供はわからなくてもわからないものに出会うことが必要で、そのうちにわかるようになるんだ」という一言で、企画を進める決心がついたのだそうです。
そうした背景から、これまでの宮崎アニメとはだいぶ毛色が違った作品に仕上がっている、ともいえるのかもしれません。
宮崎監督は、以前次のような文章を書いておられます。
通俗作品は、軽薄であっても真情にあふれていなければならないと思う。入口は低く広くて、誰でも招き入れるが、出口は高く浄化されていなければならない。貧乏ゆすりの肩代わりや、低俗をそのまま認めたり、力説したり、増幅するものであってはならない。ぼくはディズニーの作品がキライだ。入口と出口が同じ低さと広さで並んでいる。ぼくには観客蔑視としか思えないのである。
「日本のアニメーションについて」出典:講座日本映画第7巻「日本映画の現在(1988年1月)」

この作品において、関東大震災、戦前の貧しかった日本、金融恐慌、破滅的な戦争への転落、当時「不治の病」とされていた結核の恐ろしさ、など非常に深刻なテーマが底流に流れている点を強く感じざるを得ませんが、宮崎監督の手によって新たに構築された主人公の飛行機にかける夢がその暗く陰惨な現実と対蹠的に描かれていることによって、私たちはある意味、安心して作品の世界に入り込むことができる。
それは恐らく、宮崎監督が目指してこられた創造の世界そのものなのでしょう。

この映画の主人公が、零戦を設計した堀越二郎氏をモデルにしていることから、零戦のことが全面に出てくるのではないかと期待する向きもあるかもしれませんが、そうした期待は恐らく裏切られることでしょう。
ここに描かれた飛行機や空に対する憧れはそんな矮小なものではなく、もっと大きな人間の希望のようなものなのですから。

ところで、今回の作品において主人公の声を担当したのは、誰あろう「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督!
何という大胆な冒険なのだろうと半ば呆れましたが、これが非常に素晴らしかった。
これは恐らく、同じ「クリエイター」としての目線が一致しているからなのでしょう。実際の堀越二郎氏の声やしゃべり方もこんな具合ではなかったかと思わせるほどでした。
主人公を、その少年時代から空と飛行機の魅力的な世界に誘う、あたかもメフィスト的な役割を演じたカプローニ伯爵の声は野村萬斎氏。
その他、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、大竹しのぶといった俳優が声優を務めています。
初期の頃の宮崎アニメでは声優を起用していましたが、「となりのトトロ」辺りから声優の起用を減らしてきています。
キャラクターを示して声優に依頼すると、声優の方はそのキャラクターに合わせた役作りを試みてしまう。可愛い女の子であれば、できるだけその可愛さをだそうとする、それは大変に困ったことなのだ、と、宮崎監督がどこかで話していたことを思い出しました。
観客にいらぬ予断を与えることを慎重に避けたいということなのかもしれません。
木下惠介監督や小津安二郎監督は、俳優に半ば棒読みに近い台詞を言わせていました。余計で勝手な役作りを俳優にさせたくなかったのだということを聞いたことがあります。
吉村公三郎監督も、「俳優が役作りをするなんて全く必要のないこと。役作りは監督がするものであって、俳優が勘違いをするなってことですよ」といった意味のことを仰っていました。

宮崎監督のアニメ作品を観ていて、何というか非常に自然な印象を受けるのは、もしかすればそういう要素もあるのかもしれませんね。

余計なことを書いてしまいましたが、この映画は大人のためのアニメだと思います。
もしも機会がありましたら、是非ともご覧下さい。
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「少年」大島渚、1969年、ATG・創造社 [映画]

雨が残るかと思われましたが、幸いなことに明け方までには上がり、青空も覗く天気となりました。
気温は少々高いながらも、やはり五月という季節のおかげでしょうか、風が爽やかで過ごしやすく感じます。
それでも、上着を着て出勤すると(歩いて出勤しているためでもありますが)汗をかいてしまいますが。
季節がよくなってきていることもあってでしょうか、私が出勤する時間帯(8時前くらい)にウォーキングをされている方が結構見かけるようになりました。
もちろん、冬の間でもそうした方はおられましたが、寒風吹きすさぶさなかでは(当たり前のことでしょうけれども)ごく少数です。
如何にも通気性のよさそうなトレーナーやタイツに身を包み、颯爽と足早にウォーキングをしている人たちを見ていると、通勤鞄をさげた背広姿で汗をかきながら歩いている自分がなんだかみじめに感じられました。
というよりも、「羨ましいな」というのが本音のところなのでしょう。

大島渚の「少年」を初めて観たのはいつのことであったか、あまり正確に思い出せません。
20台の前半に名画座で観たのが恐らく最初だろうという気はしていますが、「絞死刑」や「儀式」といった難解で映像的な思索を求められる作品とは一線を劃した、ある意味ではオーソドックスな抒情性を感じさせる映画であったことから、当時、大島渚の映画に対して一方的な思い込みを有していた私に、それなりに大きな衝撃を与えたことを今でも思い出します。
「ロードムービー」などという映画のジャンル付けにもその当時は与することもなく、大島渚の処女作である「愛と希望の街」を観たのもそれより後のことでしたから、何というか、「あれ?」という感じでした。
しかし、この映画の主人公を務めた阿部哲夫の、あの意志的な眼差しは強く印象に残り、あのラストシーンに彼が流す涙と印象的なセリフも相俟って、私自身も滂沱の涙を流したものです。
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この映画は、1966年8月に報じられた「子供を使った当たり屋」事件を題材に企画され、1969年に公開されたものです。
高度経済成長の活況で街に車があふれかえるようになり、それに伴う交通事故の激増などから「交通戦争」などという言葉も生まれた頃のこと。
走ってくる車にわざと当たって、人身事故を装いいくばくかの示談金をせしめる「当たり屋」という詐欺行為が随所で出来したのもこの頃のこと。
あまりにセコい犯罪であったがゆえに、いちいちマスコミなども取り上げるようなことはしませんでしたが、この「子供を使った当たり屋」事件は、子供に当たり屋をやらせて金をせしめるという手口の卑劣さや悪辣さに加え、九州から北海道まで日本列島を縦断しながら犯行を重ねるという特異性もあったことから、新聞はもちろん週刊誌などでも大きな話題となったのでした。
大島渚はこの事件に衝撃を受け、事件報道の十日後、早速同志と構想を練ります。
事件が終わって十日も経たない或る日、四人(大島、渡辺文雄、中島正幸、田村孟)は赤坂の宿屋にこもって構想を練りました。今最低限のイメージといいましたが、この作品については、私たちは最大限、最高度のイメージまで共有していたと思います。その証拠に第一日で、基本的なイメージは全部固まりました。(創造社パンフレット「『少年』おぼえ書き」より引用)

そして、その後わずか五日間の間に田村孟氏はシナリオを書き上げ、そのシナリオはシナリオ作家協会のシナリオ賞(特別賞)を受賞するに至ったのだそうです。
尤も、この賞は「映画化されていない作品に贈呈する」という性格のもので、つまり、脚本は出来上がったものの、どのメジャー会社も映画化には乗り出してくれなかったという事情もありました。
結果として、ATGの枠組みの中で製作にこぎつけるわけですが、周知のとおり、ATG作品は、ATG側と製作者側がそれぞれ500万円ずつ出資して1000万円の範囲の中で作品を作ります。
然るに、そのほとんどをロケ、それも日本列島を、四国を起点に九州・本州・北海道まで横断する長期ロケで撮影しなければならない本作において、そんな製作費では到底賄いきれるものではありません。
結果として倍の製作費がかかったそうですが、大島監督によれば、これは切り詰めたうえでの直接経費のみであって、大島監督はもちろん、プロデューサー、脚本家、メインスタッフ、そしてメインキャストであった渡辺文雄・小山明子各氏のギャランティや、現地で無償提供してもらった資材や労力を正当に積算すれば、恐らく4~5千万円くらいはなっていただろうとのこと。
宿泊費を朝夕二食で千円以下に抑えるなど、今日ではとても考えられない過酷な節約ぶりですが、次のような象徴的な話もあります。
出演者たちの衣裳も全てそれぞれの現地で買いました。小山が最初に着て出てくる、ねぼけたえんじ色のセーターとだんだらのアコーディオンプリーツのスカートは私(大島監督:伊閣蝶註)が高知の日曜市で合わせて八百円で買ったものです。小山はそれを着て鏡を見、吐きそうになると言ってましたが、彼女をさらにくさらせることには、ロケ中に見物人がささやくのでした。「小山明子って趣味が悪いわね!」。

確かに目を疑うような洋服のセンスでしたが、それもむしろ大島監督の製作意図によるものなのでしょうね。このような背景があると知って、大変面白かったのですが着せられた小山明子さんの気持ちを忖度すると、やはり同情を禁じ得ません。
新藤兼人監督の近代映協も同様ですが、結局、そこに参集する面々の「同志愛」によって世に送り出された作品ということができるのではないでしょうか。

さて、映画の内容については、これまで同様ここに詳述することは控えさせていただきます。
先にも書きましたように、大島作品としては例外的にわかりやすい構成で作られていますし、いわゆる映画のオーソドックスに沿った展開となっていますから、ご興味のある向きは是非とも一度ご鑑賞ください。
大島作品の系譜からすれば、処女作の「愛と希望の街」に近いところがあるのかもしれませんね。
因みに、「愛と希望の街」も衝撃的な作品でした。いったいどこに「愛」や「希望」があるのだ、という物語ですが、もともとの題は「鳩を売る少年」であり、これを松竹が勝手に改題したことは広く知られています。

この「少年」という映画。そのタイトルロールともいうべき主人公の「少年」の存在感こそが全てだと思います。
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「少年」を演じた阿部哲夫さんは、「愛隣会目黒若葉寮」という養護施設にいた小学校四年生の児童ですが、主人公のモデルとなった「少年」同様、父親はすでに亡く実母以外の母親との生活もいくつか経験したという複雑な環境に育ったのち、この施設で同じような境遇の子供たちと共に集団生活をしていたのだそうです。
この阿部少年。一度見たら忘れられないような強い意志的な眼差し持っていて、大島監督は一目で気に入り主役としました。
この阿部少年に関してはこのようなエピソードもあったようです。
彼はロケ先の移動で汽車にのると、いつも片手でしっかりと自分の荷物をかかえこみ片手で隣にすわったスタッフの服をつかんで離さないのでした。そうして到着駅のいくつも前から、まだ大丈夫か、まだ降りないのかとしつこく聞くのでした。聞けば、何回か親たる人が変わる過程の一つで汽車に置き去りにされたことがあったのだそうです。私は、バカ、お前をおいていったら映画ができあがらないじゃないか、安心しろと笑いとばしましたが、この話はスタッフの涙を誘いました。

また、撮影担当の仙元誠三さんは、主人公の阿部哲夫くんには過酷な環境だったのではないか、との質問に答え、
彼がいちばん大人以上に強いんじゃないですか。僕はそんな感じがしました。すごい奴だと思ったね。少年役を探していた大島さんはひと目彼を見た瞬間、これだ!と決めたそうです。実際に撮影に入ったらすごくかわいくて素直なんですが、どっか大人以上に芯の強さ、眼力の強さがあって、我々の精神じゃこの子にはついていけないと思うところもありました。

という感想を述べています。
十歳にしてこの圧倒的な存在感。それを幼い体躯の中に秘めている。
この長期間のロケを通じて彼に接したスタッフの中から、彼を養子にしたいという人まで出たということですが、正に宜なるかな、という気がします。
しかし、彼自身はそれを断り養護施設に戻ったそうです。もちろん映画界とも縁を切っているとのこと。

ラスト、指名手配の果てに刑事に踏み込まれた時、「少年」は「お父ちゃん、逃げて!」と叫びます。
しかし、結局、家族は逮捕。
検挙された父と継母が白状する中で、「少年」はかたくなに犯罪に関する事実を否定。「当たり屋」稼業でできた傷についても否定し、証拠写真は、自分ではない、それは宇宙人だ、と煙にまき、これまで移動して来た場所に関しても、行ったことはないと言いはります。
しかし、護送される列車の車中から海が見え、付き添いの刑事が「海が好きか、飛行機に乗ったんだってな、きれいだったろう」と、問いかけると、
「行ったよ。北海道には行ったよ」
と涙を流しながら答える。

そのときの少年の心の中に去来したものは…。

これに関しては、やはりこの映画を観て下さい、と申し上げましょう。
北海道において、少年の心に重大な変化をもたらす「事件」が起きるのですから。

この映画の音楽を担当したのは林光。
常になくたくさんの音楽を書いていて、この映画を観た武満徹から、「余りにも音楽を書きすぎる。観客の自由なインスピレーションの展開を妨げているのではないか」と苦言が呈せられました。
私も当初、確かにいつもの林さんらしくなくたくさんの音楽を書いているな、と思ったのですが、何度か観ているうちに、この「少年」の心のうちの様々に揺らめく情景や情念をこうした形で表そうとしたのではないかと考えるようになっています。
もちろん多いとはいっても、昨今の意味もなくBGMを垂れ流しているような映画とはわけが違いますが。

さて、この映画の題材となった「子供を使った当たり屋」事件の関係者について。

継母は子宮がんにて死去(享年37歳)。
父親は出所後行商をしていたが、継母の死去後、24歳年下の女性と同棲。しかしそれも長くは続かず、行方不明。
「少年」の弟(チビ=父と継母との間の子)は、兄(「少年」)の援助を得て通っていた職業訓練校に向かう途上で交通事故死(享年16歳)。

そして、「少年」は、両親の逮捕後、伯母に預けられ、そこから小学校・中学校に通い、中学校を卒業後に運送会社に勤務。
大型特殊免許を取得後は14歳年上の女性と結婚し、長距離トラックを運転しながらささやかな家庭を築いているとのこと。
彼の家の仏壇には、実母、義母、そして16歳という若さで亡くなった弟の位牌が収められていますが、父親の思い出に繋がるものは何一つないということでした。

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三國連太郎さんが亡くなりました [映画]

今日は暖かなお天気になりました。
落日が余りに大きく、ちょっとびっくり。
その後、少し風が強くなりましたが、気温はさほど下がらず、しばらくは春の陽気が続くようです。

俳優の三國連太郎さんが亡くなりました。

享年90歳。

恐るべき存在感をもった、日本を代表する俳優の一人でした。

俳優として多彩な役柄を演じたばかりではなく、実生活でも劇的に生きた人生。
三國さんの自伝などを読むと、俄には信じがたいようなエピソードが鏤められていてびっくりします。
特に、兵役拒否のための逃亡と、それを知らせた母親の密告による収監に近いような徴兵、敗戦後、母国に帰るための偽装結婚を始めとする4度の結婚、学歴詐称、などなど。
この自伝こそ、生半可なドラマをKOする迫力に満ちているのではないかと思います。

90歳というお年を鑑みれば、こうした残念なお知らせはやむを得ないものと思われますが、こうした存在感を有する俳優はなかなか出てこないが故に、やはり残念でなりません。
心よりご冥福をお祈り致しますが、無念です。
せめてあちらの世界で、三國さんが愛して止まなかったと仰った太地喜和子と再会されますようにと祈らずにはいられません。

三國さんの出演された映画。
どれも本当に印象深いものばかりですが、私としては、「荷車の歌」「飢餓海峡」「怪談」「切腹」「神々の深き欲望」「越後つついし親不知」「戦争と人間」「襤褸の旗」「復讐するは我にあり」「人間の約束」「利休」などが次々に思い起こされます。

それから、ご自身が監督をなさった「親鸞 白い道」。
これは何とも三國さんの情念に溢れた力作でしたね。
三國さんご自身、この映画において「犬神人(いぬじにん)」の役で出演されていましたが、養父が被差別部落出身だったことをカミングアウトされていたことを鑑みるに、そうした「差別される側の目」を常に意識される方だったのだなと、しみじみ思い返されます。
そういえば、市川崑監督の「破戒」でも猪子蓮太郎を演じておられましたね。穢多出身を自ら宣言し、結果として謀殺される役を大変な迫力で演じられましたが、これもこのことと無縁ではなかったのではないか、そんなふうにも思われました。


タグ:三國連太郎
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「黒部の太陽」完全版がDVD&BD化されます! [映画]

今朝も冷え込みましたが、風がない分、少し暖かく感ぜられました。
日中の気温も昨日より上がりました。
しかし、やはり風があって、どうも一直線で春、というわけにもいかないようですね。
それでも、沈丁花の花が咲き始め、あの甘酸っぱい大好きな香りが漂ってきています。

さて、ちょっと興奮気味でこの一文を書いています。

以前もこのブログでご紹介いたしました、熊井啓監督の「黒部の太陽」、とうとう完全版がDVDとBDで発売されることになりました。

【定価より20%OFF】▼BD/邦画/黒部の太陽(Blu-ray) (通常版)/PCXP-50129 [3/20発売]

これに、劇場予告編や当時のパンフレット、共演者のインタビューなどが加わった「特別版」も用意されています。」

[DVD] 黒部の太陽 【特別版】

さらに、「黒部の太陽」「栄光への5000キロ」「富士山頂」「ある兵士の賭け」「甦える大地」の5作品収録した「裕次郎“夢の箱"-ドリームボックス」も発売されます。


発売日は3月20日で、現在は予約受付中。

もちろん私も早速予約しました\(^o^)/
到着が今から待ち遠しくてなりません(*^_^*)

昨年の三月、東日本大震災チャリティーの一環として、「黒部の太陽」の完全版が三十数年ぶりに上映され、それと並行してNHKのBSプレミアムで放送されたとき、来年にはDVDとBDで発売される予定という話を聞き、ずっと心待ちにしていたのですが、同じく東日本大震災から2周年の節目の時期に実現したということで、大変感慨深いものがありますね。
因みに、以下はその折の記事です。宜しければお読みください。

http://okkoclassical.blog.so-net.ne.jp/2012-03-04
http://okkoclassical.blog.so-net.ne.jp/2012-03-25

ボックスセットは裕次郎ファンには正に垂唾の逸品でしょうが、少なくとも「黒部の太陽」はまごうことなき傑作だと信じます。
多くの方にご覧いただきたいと、熊井啓ファンの私は切望する次第です。

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訃報:大島渚監督が亡くなりました [映画]

お腹を壊して二日間ほとんど寝たきりでしたが、今日は出勤。
体力的にどうかな、などと思ったものの、人間の体というものは丈夫なもので、この程度のことはへいちゃらなのですね。
ご飯もろくに食べられず、今朝も氷点下の冷え込みとなったこともあって、通勤途上で危うく脹脛が痙攣しそうになりましたが、何とか大丈夫でした。
昼ご飯はうどんにし、晩ご飯はお餅とジャガイモと豆腐を煮込み、ほうれん草を茹でて食べましたが、お腹の方は現在落ち着きを取り戻しています。

大島渚監督が亡くなりました。
享年80歳。肺炎だそうです。

もう長らく病床に臥せっておられ、一線への復帰の望みは儚いものになるだろうとは思っておりましたが、こうして訃報に接すると、改めて無念の思いがこみ上げてきます。

なんといっても、最後の劇場映画作品が「御法度」で終わったことが残念でなりません。
この作品については、以前、このような感想を書いたことがあります。
だからこそ、もう一花咲かせてほしかったなと思わずにはおられないのです。

大島監督のこれまでのご活躍については、さまざまなメディアで繰り返し報道されているので、詳細に取り上げることはいたしませんが、日本映画界の中でも恐らく稀有の思想性と前衛的手法を有した表現者であったと確信します。

大島監督の捜索活動は、その時期に合わせ、次の通り、
  1. 松竹時代
  2. 松竹退社後~創造社時代
  3. 創造社解散後

大まかにはこの三つに分けられるのかもしれません。
私個人としては、第二期の「創造社」時代が、気力の上からも創造力の上からも最も充実していた時期ではないかと思われます。
「絞死刑」「少年」「儀式」などの劇場映画作品にとどまらず、ドキュメンタリーでも「ユンボギの日記」や「忘れられた皇軍(TV作品)」などを出し、正に画面に目がくぎ付けになるほどでありました。
また、松竹を退社する直接の契機となった「日本の夜と霧」。
結婚式場という閉鎖空間を舞台に、現在・過去、さらにその根本的な部分に至るまでを長回しのカメラの中を登場人物たちのディスカッションで進行させる壮大な実験作でした。
吉沢京雄演ずる中山の白々しい演説に寒気を感ずるとともに、その後の左翼運動の中で繰り返されて来た内ゲバや内部分裂を予感させるかのような構成力は、今見直しても破壊力十分なのではないでしょうか。
大島監督ご本人は京都府学連委員長を務めたほどの筋金入りの運動家でありますが、にもかかわらず(いやそれゆえにこそ)、学生運動や左翼運動の矛盾なども容赦なく暴き立て、全てを画面にさらけ出すことにより、観客に鋭くも重い問いを投げかけてきたのでした。

取り上げて来た題材を見て感ずることは、共同体の中から疎外された者たちに対する視線と考察です。
共同体というものは、どのような規模であれ一定の権力構造を有します。従ってそこからはみ出す者に対して容赦がない。故に、人々は保身のために共同体にすり寄っていこうとする。
その個人レベルの思想的な破綻を、映画を観る我々に突きつけてくるのです。
その映画を熱中して観ながらも、観終わったあとで途方に暮れる経験を何度したか分かりません。
それでも何度も繰り返し観てしまうのは、ある意味では自分のうちにある思想的な弱点を見失うまいとする想いからなのでしょうか。

その意味からすれば、「愛のコリーダ」以降の作品は、ある意味で安心して観ることが出来ました。
それはつまり、どの作品も相対化し「観客」として観ることが出来たからなのかもしれません。
とりわけ「愛のコリーダ」は三木稔先生が音楽を担当されたこともあり、三木先生とお話をするおりにたびたび話題に上るなど、私にとっては思い入れの深い作品でした。
未だに国内では完全版を観ることができないのが残念でなりません。

とりとめのないことをつらつらと書き綴ってしまいましたが、やはりお亡くなりになったことは残念でなりません。
無理かもしれない、と思いつつも、また不死鳥のように蘇って下さるのではないか、とどこかで願う気持と強く持ち続けて来た故に。

心よりご冥福をお祈り致したいと思います。

「絞死刑」


「少年」「ユンボギの日記」


「日本の夜と霧」


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柳町光男監督「さらば愛しき大地」 [映画]

寒い日が続きますね。
と、お約束のような書き出しですが、週末に昔の職場の仲間たちと浜名湖に旅行に出かけ、道々で冠雪した山々を見ましたので、一層その感が強くなりました。
近鉄の蟹江や弥冨辺りから、西の方角に白く輝く伊吹山を見て、12月という季節をしみじみと自覚したところです。

泊まったホテルの最寄駅である天竜浜名湖線の浜名湖佐久米駅のホームでは、餌付されたゆりかもめがやってきて大賑わい。
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浜名湖付近にしばらく滞在した後、シベリア方面に向けて飛び立つのだそうです。
渡り鳥の生活も厳しいものがあるのですね。

気の置けない仲間たちとの飲み会はやはり大変楽しいものですが、ついつい飲みすぎるのが玉にきずですね。
電車よりも車の方が便利ではないかと思ったのですけれども、案の定、翌朝は完全な二日酔い。アルコール検査を受ければ一発でアウト状態で、昼過ぎまで体の中にお酒が残っているのではないかという危うさでした。

帰宅すると、洗濯とアイロンがけが待っています。
面倒ではありますが、ほかにやってくれる人はいませんから頑張らねばなりません。

こんな折、いつもは音楽を聴きながら作業をするのですが、何となく柳町光男監督の映画「さらば愛しき大地」(1982年)が観たくなり、久しぶりにDVDを再生しました。
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ビデオテープやLD、DVDでリリースされたこともありましたが、現在は中古市場での入手となっているようです。
10年以上前にNHKBSで放映されたことがあり、その際にビデオに録画したものをDVDに焼き直して私は所持しておりますが、こうした力作が廃盤の憂き目を見るのは残念なことです。

夜間照明の中に不気味に浮かび上がる鹿島臨海工業地帯をバックにクレジットタイトルが現れ、ジャズフルーティスト横田年昭の音楽が、この世のものとも思えぬ異様な緊張感を持って響き渡る。
この印象的なオープニングクレジットに引き続いて、根津甚八演ずる主人公山沢幸雄が柱に縛られた姿で喚き散らしている場面に移行し、一気にこの酸鼻を極める映画の世界に連れ込まれます。
幸雄が暴れて、家族のものでは手が付けられなくなったために加勢を求められた叔父(草薙幸二郎が好演)らによって抑え込まれ柱に縛り付けられたわけですが、叔父の「そんなに僻むんでねえ」という言葉に対して、彼はこのように答えます。

「叔父さんには分んねえよ!ここの親は、この家の跡取り息子よりも、次男坊の方が可愛いんだとよ。俺は明彦みてえに、この家ば捨てねえぞ。この家のために働いてきたんだぞ!一生懸命やって来たのによぉ。犠牲になって、働いて来たんだぞぉ」

そんなやりとりがあったのかと母親に訊ねると、食事の時に嫌いな納豆を出したのが気に食わなくて暴れたとのこと。
つまり、東京にいる明彦にみんな送ってしまうから、自分には納豆みたいなものしか出さないのだ、という論拠です。
「全く話になんねえ」という叔父のつぶやきが代表するように、全く以て僻み以外の何物でもない。

この長男幸雄の、出口のない苛立ちと焦燥感。
そして、泥沼のような人格破綻へと突き進み、麻薬におぼれ、ついには愛人である順子(秋吉久美子)を刺殺して刑務所に収監される、という、正に救いのないドラマが展開されます。
しかし、そのような暗鬱たる物語の中で、実に克明に人間関係を描き出していて間然とするところがなく、柳町光男監督の並々ならぬ才能に目を見張らせられることでしょう。

幸雄の二人の息子を飲み込む沼の静かで沈鬱な水面。
その二人の息子の野辺送りの参列を照らし出す、日食による異様にさえぎられた光。
ダンプの運転席から俯瞰するパースペクティブ。
破綻していく幸雄の心象風景を表すかのような、木々や稲穂などの緑が、まるで動物のように蠢く描写。
正に、カット一つ一つをゆるがせにしない緊張感が全編を統御しているといえましょう。
また、取引先の部長に暴行を加えたことで警察にしょっ引かれた幸雄を、警察署に迎えに行った妻と愛人が、椅子に並んで腰を掛けてかわすやり取りや、順子が幸雄の弟明彦のところに金の無心に出かける場面などは、なんというかいたたまれないほどの迫真性がありました。

三世代の家族を金銭的に支えなければならないと、ダンプで砂利を運ぶ仕事に精を出していた幸雄が、何故に麻薬に手をだし人格破綻にまで至ることになったのか。
この映画では、そのきっかけの一つを二人の息子の溺死においているようにも思えますが、さらにより深いところに根本的な原因があることを、先に述べた冒頭のシーンが雄弁に語っているようにも感じます。
この環境の中で、少なくとも周囲の人間は、幸雄に対し多少疎ましくは思いつつも身内や親族なり隣人としての愛情を有しています。
子供たちや父母はいうに及ばず(特に母親は幸雄を溺愛しているようにも感じます)、兄から謂れのない非難や言いがかりや暴行を受け、それにじっと耐えている明彦も、その気持ちは恐らく同様でしょう。幸雄が家に残していった息子の俊也にそそぐ愛情表現からもそれは見て取れます。
しかし、幸雄にその思いは伝わらない。
それどころか、周りがぐるになって自分をないがしろにしている、自分を馬鹿にしている、自分を拒絶している、と思い込んでしまう。
確かに、こうした村落共同体的な仕組みが残っていた時代や場所においては、何よりも世間体や体面が重要視され、それゆえにそこからはみ出してしまう長男の行動を何とか抑えようとする気持ちが働くのは無理のないことかも知れません。こうした場合、しばしば不幸は皆で共有されてしまうからです。
従って、何とかまっとうになってほしいと願う周囲の想いは、所詮、自分たちの都合を考えての行動だと思い込んでしまうのでしょう。
その幸雄の、自分を救ってくれる最後の砦であったはずの順子を、結局、己の肥大した妄想に押しつぶされるような形で刺殺してしまう…。

幸雄の求めていた愛の形とはいったいどのようなものであったのか。
いろいろな解釈があろうかとは思いますが、私はゆがんで肥大した自尊心を満足させてくれる「信頼」と彼自身の期待する「正当な評価」ではなかったのかと考えます。

工業化の波によって次々に蚕食されていく緑溢れる故郷に痛みを感じつつも、それでもなおそこに踏みとどまって家族を守ろうとした自分の想いを、家族は全く評価もしないどころか、挙句の果てに自分の嫌いな納豆を突き出す。温和で出来は良いかもしれないが、所詮は故郷を見捨てて東京に出て行った弟を、自分よりも高く評価しているではないか。どういうつもりなんだ!
そして、自分を必要としていてくれたはずの愛人・順子でさえ、自分のことを駄目な役立たずの人間だと見下している。何様のつもりだ!ふざけるな!
という感じだったのでしょうか。
彼がダンプに乗るという仕事を選んだのも、その運転席から辺りを睥睨するという優越感を求めた故のことだったのかもしれません。
強がって粋がってはいても、彼の心は繊細なガラス細工のように儚いものであったのでしょう。
怯懦な心を、最初は酒で紛らわし、ついには麻薬に手を出してしまう。
その麻薬の見せる幻影や幻聴(この映画の描写の中で、麻薬を打つシーンや、その幻影や幻聴に悩まされるシーンは、実に恐るべきものであり、その意味では「反麻薬キャンペーン」などの活動にも大変寄与するのではないかと思われました)は、実は自分自身の怯える心から発せられているものであるにもかかわらず、それを他人のせいにすることによって、自分の心を守ろうとする。

なんという自己中心的な人間なのかと、ため息をついてしまいますが、ここまで極端ではなくても、こうしたタイプの人(自分は正当に評価されないと僻む)はかなり存在しますし、周囲は手を焼いてしまいます。
言うまでもないことですが、「評価」とは他人がするものであり、「信頼」とはそれまで累次重ねてきたその人の生き方の成果に伴ってやはり他人が寄せるものであります。
どちらも人に強要できるものではないのです。
でも、それがわからない人も存在してしまうから、周囲はもちろん当の本人も深い心の傷を負うのでしょう。
この映画において、正にその正反対のパーソナリティを備えた弟の明彦(矢吹次朗が好演)を配置した効果も大変大きかったのではないかと思います。

それから、秋吉久美子演ずる順子。
母親が自分を捨てて若い男と駆け落ちをしてしまった過去を持ち、そのトラウマゆえに家庭を守りたいと考える。
しかし、なぜか選んでしまうのは幸雄のような男(明彦が好意を寄せていたと思われるのにもかかわらず)。
「おめえもおふくろとおんなじだよ!」と幸雄が浴びせた罵声のとおり、同じ道を歩んでしまうのでしょうか。
こうした人も確かに現実に存在し、甲斐性がなかったり浮気性だったりする相手方にひどい目にあわされながらも、なかなか関係を切ることができず、やっと切れても、新しい相手方が同じような輩だったりする例を、私もいくつか見ています。
こちらがどのようなアドバイスをしても、その時には懲りてわかっているつもりになりながら、「あの人は私がいなければだめになってしまう」「私さえ我慢すればすべてうまくいく」「私がついていれば絶対に大丈夫」という根拠のない思いに突き動かされて同じ轍を踏んでしまうわけです。
共通しているのは、(決めつける様で申し訳ないのですが)自分の人生における能動的な目的意識が決定的に欠落していること。具体的な自分の目標というものを持たず、相手の思う通りに行動するといったような一種の依存体質の中でしか自己のアイデンティティを確立することができない人に、こうした傾向が多くみられるように思われます。
そのあたりを、秋吉久美子は実にリアルな演技で見せてくれました。

この映画では、横田年昭の音楽がとりわけ優れていました。
横田年昭は、17歳でデビューを果たしたという天才的なジャズ・フルーティストで、彼の残したアルバムは伝説的な人気を博し、海外にも多くの信奉者がいると聞きます。
ウードやリュートといった中東系の弦楽器をインドの打楽器タブラが支え、その上を自在に蠢くフルートの音色が田村正毅の硬質で精緻な映像にかぶさっていくとき、私は何やら地獄の釜の蓋が開いてその中の深淵を覗き込むような恐怖に感じました。
その音楽は極めて抑制的で、全編を通じて「ここぞ」というピンポイントに現れますから、いやがうえにも映像の緊張感は高まっていきます。
例えば、この映画の中でも極めて重要な意味を持つ「緑」の映像。木々や稲穂や草原が風に揺れて波のように撓う映像に接すると、その多くの場合、見ている人々それぞれの心の中にそれぞれの音楽が流れるのではないかと思われるがゆえに、そうした箇所には敢えて音楽をつけていない。
しかし、わずかに音楽がつけられている「緑」のシーンもありました。そのシーンにつけられた数少ない音は、正に必然的表現というべきで、固唾をのむ思いで画面に引き付けられたものです。

また、いわゆる「BGM」的な音楽を極端に排除する一方、この映画では出演者の歌う歌が意外な効果を生んでいます。
神経痛に悩む母親のところに近所の小母さんたちが集まって愚痴を言い合う中で、三人が声をそろえて歌う「もずが枯れ木で」。
水難事故で亡くした二人の子供の名前と観音様を背中に彫った幸雄が、助手席に順子を乗せたダンプの運転席の上から辺りを睥睨しつつ歌う「唐獅子牡丹」。

義理と人情を 秤に かけりゃ 義理が重たい 男の世界 幼なじみの 観音様にゃ 俺の心は お見通し 背中で 吠えてる 唐獅子牡丹

幸雄の家を追い出され、スナックで働くようになった順子が、そのスナックに来た幸雄の前で泣きながら歌う「一人上手」。

とりわけ、台湾から出てきたという設定で「夜来香」を歌う岡本麗の存在感は白眉で、後年「はぐれ刑事純情派」などに出演していた頃の彼女からは想像もつかない独特のオーラを発揮していました。

この、幸雄と順子が歌う歌は、それぞれのこれまでに通ってきてこれからも通るであろう宿命の道を表すものなのかもしれません。

それから田村正毅のカメラ。
田村正毅は、「解放戦線 三里塚」や「ニッポン国古屋敷村」などのドキュメンタリーのカメラマンとして勇名を馳せましたが、柳町光男監督の元、次回作の「火まつり」でも圧倒的な映像美を見せてくれました。
先に述べた、この映画の重要なファクターとなる「緑」の映像もさることながら、私がとりわけ感嘆したのは、そのパンフォーカスの見事さです。
順子を刺殺した後、その順子との間の一粒種である娘のまり子とともに、今は動かなくなってしまったダンプカーを前にしてパンと牛乳を食べている。そこに二人の警官がやってきて、それに気づいた幸雄がまり子を抱きかかえて田んぼの中を逃げ、ついには捕まってしまうシーンを、パンフォーカスのワンシーンでとらえたカメラワーク。
私がこの映画を初めて劇場で観たときに、シネスコサイズの中にあったすべての被写体にきちんとピントが合い正確かつ的確に芝居をとらえていたことに驚きを禁じえませんでした。
宮川一夫が「雨月物語」でみせたパンフォーカスの映像に勝るとも劣らないものと思われたほどです。

主人公幸雄の人格的破綻を描きながら、このような重く救いのない題材を最後まで破綻なく描き切った柳町光男監督の手腕。
それは恐らく、柳町監督の持つ強固な問題意識に基づくものなのでしょう。

この作品の後、さらに難解で映像美と構成力にあふれた傑作「火まつり」が作られることになります。
撮影はこの作品と同じく田村正毅。そして音楽は武満徹という顔触れでありました。



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映画監督の若松孝二さんが亡くなりました!無念! [映画]

雨が降り続いています。
この雨のせいもあるのでしょうか、気温もだいぶ低くなってきました。
仕事の関係上、お客様回りで上着を着用することが多いのですが、気温が低くなってきてくれたおかげで、あまり鬱陶しくなくなり、その点では助かりますね。

映画監督の若松孝二さんが亡くなりました。

<映画監督>重傷の若松孝二さん死去 タクシーにはねられ

事故当初は、重症ではあるものの意識ははっきりしており命に別状はない、との報道でしたが、その後容態が急変し、昨日の晩に亡くなったのだそうです。
片側二車線の外苑西通りで、横断歩道のないところを渡ろうとしてタクシーにはねられたとのことで、何故にそのような無茶なことをされたのか、と悔やまれてなりません。

私が初めて接した若松監督の作品は「胎児が密猟する時」です。
就職したばかりの、むさぼるように映画を観ていた時期で、悪魔的な恐るべき迫力に満ちた演出に息を呑む思いでした。
「丸木戸定男」という、あまりにも直截的な役名の主人公(山谷初男氏が好演)が、自分のデパートの若い女性従業員と関係を持つ中で、サディスティックな行為に走り、最後はナイフを手に入れた女性従業員に刺し殺され、血だらけになって両膝を抱えた形で(まるで胎児のように)死んでいく、という、ストーリーとしては単純なものですが、カメラワークやライティングも冴えわたり、映画というものの持つ表現力の深さと力強さに打ちのめされたものです。
その後、「壁の中の秘事(ひめごと)」「狂走情死考」「犯された白衣」「裸の銃弾」「処女ゲバゲバ」などを次々に観て、そのたびに大きな衝撃と感動を覚えました。
これらの作品のいくつかを担当した足立正生さんの脚本もすばらしかった。
5~6年くらい前でしたでしょうか、これらの作品が、DVDボックスとして発売されたので、速攻で購入しました(いわゆる「ピンク映画」ですから、居間の本棚に他のDVDと一緒に入れておくのはちょっと躊躇したのですが、普通の人は気づかないと思いますのでそのままにしてあります)。

プロデューサーとしても、大島渚監督の「愛のコリーダ」を制作するなど精力的な活動をしてこられ、その中でも、大和屋竺監督の「荒野のダッチワイフ」、神代辰巳監督の「赤い帽子の女」などが特に強く印象に残っています。

今年、「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」を公開、先年の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」とは逆の視点での若者たちの思想的行動を描き、来年には、中上健二原作の「千年の愉楽」の公開も予定されているなど、76歳という高齢にもかかわらず、精力的に映画と取り組んでこられました。
原発誘致と補助金の関係などにも着目し、その観点からの映画製作も考えておられたとのこと。

このようなご最期は、ご本人としても誠に無念であったことと拝察いたします。

それにしても、76歳というご高齢を省みず、交通量の多い都心の四車線道路のそれも横断歩道のないところを中央分離帯を越えてまで横断しようとされたとは…。
大変失礼な言い草とは思いますが、何という軽はずみなことをなさったものか!
若松ファンの私としては、正に断腸の想いです。もっともっとたくさんの映画を撮って欲しかった。
残念無念、憤りさえ覚えてしまいました。

若松孝二初期作品集ボックスセット


胎児が密猟する時

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成瀬巳喜男と小津安二郎 [映画]

台風16号と前線の影響で、ここのところひどい天気が続いていました。
今日はようやく天気も回復しています。
地形のせいもあるのでしょうが、大雨が降ると歩道も水浸しとなり、まるで川のような有様。
風が出てくると本当に処置なしですね。
今週はお彼岸ですから、これで暑さも一服という感じでしょうけれども、台風の襲来だけはご勘弁願いたいところです。
それでも、秋は着実にやって来ているようです。
sengukan.jpg
これは、伊勢神宮外宮にあるせんぐう館の庭の木立です。
もう紅葉が始まっていました(*^o^*)

先日、介護施設を運営している友人から相談があり、施設の利用者さんに楽しんでもらうため、利用者さんの世代(70~90歳代)にフィットするような映画のDVDを用意したいのだが、という相談を受けました。
映画の題名などはわからないのだけれども、上原謙・佐田啓二・高峰秀子・坂東妻三郎あたりの出ている映画、とのオーダーです。
この面々であれば、例えば「愛染かつら」「君の名は」「カルメン故郷に帰る」「雄呂血」「無法松の一生」などがたちどころに浮かんできますが、現在、津に在住している関係もあって、これらをDVDにすることはできません。
横浜の自宅にあるテレビのHDに入っていたり、LDやビデオテープのままだったりするからです。
そこで、とりあえずDVDに録画してあるものを中心に、津に持ってきているDVDレコーダーのハードディスクに入っているものなども合わせて、何本か選んでみました。
映画は好みの強いメディアですから、これが果たして友人の(施設利用者さんの)好みに合うのか甚だ疑問ですが、ラインナップは次のとおりです。
  • ありがたうさん(監督:清水宏、主演:上原謙)
  • お嬢さん乾杯(監督:木下恵介、主演:原節子、佐野周二)
  • 二十四の瞳(監督:木下恵介、主演:高峰秀子)
  • 破れ太鼓(監督:木下恵介、主演:坂東妻三郎)
  • 喜びも悲しみも幾歳月(監督:木下恵介、主演:佐田啓二、高峰秀子)
  • 山の音(監督:成瀬巳喜男、主演:原節子、山村聡)
  • 浮雲(監督:成瀬巳喜男、主演:高峰秀子、森雅之)
  • 娘・妻・母(監督:成瀬巳喜男、主演:三益愛子)
  • 荷車の歌(監督:山本薩夫、主演:望月優子)

最後の「荷車の歌」は、リクエストからはちょっとかけ離れます(提示された俳優が出演していないので)が、利用者さんの年代を忖度すればそれなりの共感は得られるものと考えました。
というよりも、この映画についていえば、私の好みの押し付けですね。利用者さんというよりも、一緒に鑑賞するのであろう若い世代の人たちに、日本映画がこれほどの力を持っていることを知ってほしいと思ったからでした。

いずれにしても、「愛染かつら」「君の名は」という、いかにも利用者さんが喜びそうな松竹大船調の大メロドラマが抜け落ちているのは忸怩たるものがありますね。といいつつ私自身は、これらの映画の歴史的価値や興行的な成功は認めつつも、実はあまり好みではなかったりもするのですが。

木下恵介監督の作品は、きっとどれも利用者さんの好みに合致するものと思って選んでみました。「お嬢さん乾杯」「破れ太鼓」は私も大好きな作品です。

そして成瀬巳喜男監督。

成瀬監督の作品は本当はもっとたくさんラインナップしたかったのですが、これも好みの押し付けになりそうな気がして三本にとどめました。
私は成瀬巳喜男という監督が大好きなので、津に赴任するときに持参したDVDの中にもその大半の作品を入れてきたのでした。
大好き、とはいい条、成瀬監督の作品の持つ味わいがある程度わかるようになったのは40歳を越えた頃のことです。
もちろん、「浮雲」「めし」「あにいもうと」などといった映画はずいぶん昔から観ていますし、遺作となった「乱れ雲」も、音楽を武満徹さんが担当していたこともあって、20代の頃には観ていましたから、なじみがなかったわけでは全くありません。
しかし、美術・撮影・照明の見事さや、恐るべき高度な編集によって紡ぎだされる映画的な時間の経過に感嘆し、酔いしれることができるようになるまでには、(私には)それ相応の時間が必要だったのではないかと、改めて思い知らされたのでした。
松竹から東宝(当時の「PCL」)に移籍する際、当時の松竹蒲田撮影所長である城戸四郎が「小津は二人も要らない」と語ったという逸話は有名ですが、もしこれが事実であるとすれば、城戸四郎という人物は映画製作を業としながらも映画のことを根本的にわかっていなかったのではないかと疑わしく思います。
一見すると、取り上げる素材やスタイルなどにおいて、成瀬巳喜男と小津安二郎は似ているような印象を受けるかもしれませんが、この両者の描き出す世界は全く異なります。
それはそれぞれの作品を観れば即座に感得できることでしょう。

小津安二郎という映画監督は、日本のみならず、世界を見渡してもほかに例を見ない存在であったように思います。
小津さんは、自分の描きたい強固な表現世界を自身の中に確立していて、それを表現するために映画という手法を利用したのではないでしょうか。
小津さんの描き出したかった表現世界は小津さんにしかわからないものではありますが、その残された作品を観ていて私が一番感ずることは、そこにあるものがなくなっていく、死に通ずる時間の流れです。
例えば名作の誉れ高い「晩春」。
冒頭に映し出される曾宮家には、ミシンがあり華やかなカーテンがかかっています。
しかし、紀子を嫁に出したあとの曾宮家の同じシーンでは、そのミシンやカーテンがなくなっている。
以前はあったものが時間の経過とともになくなっていく。紀子の父である曾宮周吉にとって、それはとめようのない時間の流れの中で自らの肉体をも滅んでいくことを示唆しているように私には思えてなりませんでした。
小津監督は、あのローアングルのカメラのレンズを、ほとんど寝そべりながら見つめ、そうした小道具などの配置を緻密に調整したそうです。
動かないものは徹底して動かず、その中で動くものとしての人物が時間の流れを表現していく。それを小津安二郎という神のような存在がフィルムに刻み付けている。小津安二郎という神の頭の中に展開された世界を作るため、役者にも余計な演技的味付けを許さず、それゆえにあの抑揚のない独特な台詞回しが必要だったのでしょう。小津さんの念頭には、もしかすると観客の存在すらなかったのではないでしょうか。
「俺は豆腐屋だから豆腐以外は作れない」と、自らの映画製作について語っていた小津さん。
質のいい豆腐なら、黙っていても客は買っていってくれる、そう考えていたのかもしれませんね。もちろんこれは私の邪推ですが。

成瀬さんの映画は全く違います。
成瀬さんにとって、映画はやはり観客が観て楽しんでもらうものであったのではないでしょうか。
助監督に就いた経験のある森谷司郎さんが、成瀬監督に撮影のアイデアを提示した折のこと、成瀬さんは「そんなことをしても見物にはわからないよ」と答えたそうです。
観客ではなく見物。
風景やお祭や見世物小屋などを理屈も何もなく楽しんでいる見物人にわかってもらえるものこそ、興行としての映画の役割だ、と考えておられたのでしょうか。
映画は、観客というある種の目的意識を持って劇場に来る手合いだけのものではない、という思いがあったのかもしれません。
成瀬さんの映画は、ほとんどひっかかりを感ずることもなく、スーッと流れていくような印象を受けますが、子細に見ていくとワンシーンワンカットに見えるような映像が、実にきめの細かいカットバックによって成り立っていることに気づかされて愕然としたりします。
同じく森谷監督の述懐によりますと、成瀬監督はどの撮影においても必ずシーン1から撮影を始めるのですが、その後はどんどん中抜きをして「はい、ひとつ飛ばして。次は三つ飛ばして」という具合に進めて行き、一体どのような映像を作り上げようとしているか全くわからなくなることがしばしばあったそうです。それが、編集を終えると全部きれいに繋がっていく。映画の文法というものを徹底的に教えられたとのことでした。
また、成瀬さんは、ほとんどの映画製作においてスケジュールや予算をオーバーすることがなかったそうで、当時の東宝のプロデューサーは泣いて喜んだそうです。
同じ東宝には黒澤明監督のように、完璧を求めるあまり撮影期間や制作費がどんどんはみ出してしまう例が多かったそうですから、その気持ちはとてもよくわかりますね。
その黒澤監督が一番尊敬していた人は、誰あろう成瀬監督だったというのですから、面白いものです。

さて、そうした表層的なことはしばらく措いておくとして、成瀬監督の描き出す世界のあまりの深さと酷薄さに、私はしばしば背筋が寒くなってしまいます。
映画自体の流れはどこにでもありそうな事柄を淡々と描いているような印象を受けるのですが、そこからはただならぬ緊迫感がひしひしと感ぜられます。
うわべを取り繕いながらも何とか面倒な現実から逃避しようとしたり自分に利益を引き寄せようとする小ずるいやりとりを、感情に激することなく描き出していくその残酷さ。
特に男の卑怯未練な振る舞いは徹底的に描き出されていきます。しかし、映画の中においてそれに対する何らかの断罪がなされることはまれで、多くの場合、ラストでも腑に落ちる解決は示されません。
松竹ヌーベルバーグを標榜する監督たちが、映画のラストで観客に疑問を投げつけて唐突に終わる映画を盛んに撮っていたことがありますが、成瀬監督の映画の方が、その意味ではよほど徹底しているような気もします。
「娘・妻・母」も「稲妻」も、それから先どうなるのだろうかという深い疑問を残したまま終わってしまいます。
成瀬監督作品の中では異色ともいうべき「女の中にいる他人」は、ラストのストップモーションによって、映画から受ける衝撃をより一層高めていました。

今回選んだ三作、どうしようかなと悩んだのですが、成瀬巳喜男とくればやはり「浮雲」は落とせないだろう、川端康成原作の「山の音」も、原節子の、小津作品では決して見ることのできない気迫に満ちた演技を見ることができるし、「娘・妻・母」も、この高齢化社会を見通したような作品なので、観てもらいたい、というくらいの感覚です。
私としては「めし」「流れる」「妻よ薔薇のやうに」「乱れる」「晩菊」などの作品の方によりシンパシーを感ずるのですが、それは機会があったら、ということにしたいと思います。

でもしかし、「流れる」は名作です。
もしも機会がございましたら、是非ともご覧ください。田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、岡田茉莉子、杉村春子、栗島すみ子といった、正に日本映画の黄金期を支えた女優たちの競演が繰り広げられますので。

先に述べましたように、小津安二郎の映画は、彼の極めてユニークな世界観に基づいて作られているもので、これはやはり彼にしかなし得ない表現と申せましょう。
成瀬巳喜男の映画は、恐らくその手法自体は極めてオーソドックスな映画的文法に則って作られているものと思われます。
小津安二郎が一人の弟子も監督にすることができなかったのに対し、成瀬門下からは、森谷司郎や石井輝男を始めとして多くの俊才が輩出されました。先に「荷車の歌」でご紹介した山本薩夫監督も、そういえば成瀬監督の弟子筋でしたし。
木下惠介さんは、小津さんに対して「あなたは一人の弟子も監督に出来なかったことの責任を感ずるべきです」と痛言されたそうですが、小津さんの映画の作り方自体、余人によくなし得るような類いのものではありますまい。
彼に追随する映像作家が出なかったことは蓋し必然ではなかったか、と私などは思ってしまいます。











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映画「あなたへ」 [映画]

今日はものすごく変わりやすい天気で、突然の驟雨が間歇的に襲う油断ならない空模様でした。
青空が出ていても、怪しい雲が急に張り出し来て、あっという間に強い雨が降る、という感じです。
雨が降った後はちょっと涼しくなりますが、風がなくなるとやはり蒸し暑くなり、どうにも処置なしでした。
明日は津に帰りますのでいろいろと買い物などをするために出かけており、結構ヒヤヒヤしたものです。

昨日、合唱団の練習の後、飲み会までの間の時間つぶし(失礼!)もあって、高倉健主演の映画「あなたへ」を観てきました。
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健さん6年ぶりの映画ということで、公開前から話題を呼んでいたこともあり、平日の16時前の放映というのに有楽町マリオンの東宝シネマズの座席はかなりの入りでした。

あらすじは、刑務所の指導技官にあった主人公が、奥さんの遺言を果たすために、奥さんの故郷である長崎の平戸に向かう、というもので、いわゆる「ロードムービー」です。
これといった大きな事件や出来事もなく、淡々としたストーリーの展開の中で、様々な人々との出会いを丹念に描いており、何といいましょうか、久しぶりにホッとできる映画に出会ったな、という感想を持ちました。
高倉健さんは81歳、監督の降旗康男さんも78歳、という高齢での作品。
私はそれだけで大変感慨深い想いを禁じ得ませんでした。

このコンビは、東映のやくざ映画時代から多くの佳作を生み出して来ており、「冬の華」「駅・STATION」「居酒屋兆治」「鉄道員(ぽっぽや)」など深い印象に残る作品を作り上げてきました。
降旗監督は、大スター高倉健を、むしろ市井の片隅に生きようとする人物として描き出そうとしてきたのではないかと思われ、年齢を重ねるに従ってその成熟度を増して来たのではないかと感じています。
今回の「あなたへ」は、正にその集大成のような映画といえるのではないでしょうか。

主人公である元刑務官・現指導技官の倉橋英二(高倉健)がどのような人物であるかということに関しては、その連れ合い洋子(田中裕子)との関わりを除いてはことさら語られませんが、富山から長崎に向かう旅の最中で出会う人々との交流の中で、徐々にその人間性が明らかにされていきます。
この描き方、実に心憎い限りでした。
ああ、降旗監督は本当に健さんのことが好きなのだろうな、と感嘆したものです。
そして、それは降旗監督に限らず、この映画に出演している全ての俳優さんやスタッフにも共通していることでしょう。
実際、健さんほどあらゆる人々から尊敬され愛されている俳優は稀なのではないかと思います。
ビートたけし氏との交遊は有名ですし、健さんを尊敬してやまないナイナイの岡村隆史氏も共演の願いが叶って出演しています。健さんを尊敬するあまり、芸名に一字をもらったという石倉三郎さんも顔を出していました。

あらすじはこちらをご参照下さい。
これ以上の内容は敢えて書きませんが、途中でいくつかの疑問がわき上がって来て、どうなることかと思って観ていると、最後に主人公倉橋英二が、それまでの刑務官人生の中で己を律し決しておかさなかった禁忌を自ら破ることで、それらが全て解消されます。
何気ない台詞の一つ一つが、そのラストに向かってきちんと収斂されていく、その映画的興奮を、この静かな映画から感ぜられたことが、私にとっては久方ぶりの大きな収穫となりました。
大滝秀治さんの誠に味わい深い演技も素晴らしいもので、とても87歳を迎えておられるようには思えませんでした。「久しぶりに美しい海を見た」という大滝秀治さんの台詞に込められた想いはいかなるものであったのか…。

それにしても健さんの姿や立ち居振る舞い、何という美しさかと改めてほれぼれしました。
健さんはとりわけその後ろ姿の美しさが印象的ですが、この映画における後ろ姿、とても81歳の人のものとは思えません。
ピンと伸びた背筋から踵までのラインのしなやかな美しさには、思わずため息をついてしまいました。
「昭和残侠伝」や「網走番外地」シリーズなど、やくざ映画によってその名を高めて来た健さんですが、自身は下戸で、もちろん博打もやらず、「自分は到底やくざなどにはなれない」とあるインタビューで答えていました。
別のインタビューでは、若い頃の女郎屋通いの経験を語っていましたが、江利チエミさんとの結婚と破局、そしてそれ以降は独身を続けていて、江利さんの命日には今も墓参を欠かさないということから鑑みて、とても額面通りには受け止められません。
大変気さくな方で、共演者やスタッフはもちろん、エキストラやロケ先の地元の人とも気軽に話をされる方だとも聞いております。
そういう真の意味でのスターである高倉健さん。どうか益々お元気で、これからも我々ファンの目を楽しませて頂きたいと、切に願っているところです。

この映画、先にも書きましたが、久しぶりに安心して観ることの出来る映画でした。
特にカメラワークの自然さが印象に残ります。
近頃の映画は、やたらにカメラが動き過ぎ、パンやチルトやズームや移動を芝居に関係なく使いまくる傾向があるように思われます。
私のような年寄りには実に疲れる絵作りだと思うのですが、例えばパソコンゲームなどに慣れた観客はそれを望んでいるのでしょうか。
黒澤明監督は、カメラは被写体が動くときに動き、静止しているときには止まっている、ズームは極力使わず、それが必要なときには移動の折に併せて使うのだと言っていました。
あの迫力満点の画像を見せられつつも、全く疲れを感じないのは、そのカメラの動きが人間の目の動きに自然に合致しているからなのでしょう。
この映画では、その映画の文法のようなものがきちんと守られている。
それゆえに自然で静かな感動を与えてくれるのではないか、そんなふうに私は思っています。
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新藤兼人さんが亡くなりました [映画]

朝のうちは重い雲が垂れ込めていましたが、昼には穏やかな陽射しが戻ってきています。

映画監督で脚本家の新藤兼人さんが亡くなりました。

今年の4月22日に満百歳を迎え、お誕生会を開いて話題になったばかりでしたから、このニュースにやはりショックを受けています。
老衰とのことですが、年齢を考えてみれば無理もないと思いつつ、無念でなりません。

柄本明、新藤監督は「日本最大のシナリオライター」

「活動写真」にあこがれ、23歳で新興キネマ現像部に所属。その後、日本映画界の美術監督の草分け的な存在である水谷浩氏のもとで美術助手を務め、仕事の傍ら猛烈な勢いでシナリオを書き始めます。
溝口健二監督に酷評されながらもあきらめることなく、劇作集や戯曲集を読み漁りながらシナリオを書き続け、戦後、「待ちぼうけの女」でその才能を開花。
以降は、酷評された溝口監督や盟友吉村公三郎監督のために優れたシナリオを提供するなどして、次第に脚本家としての地位を確立していきます。
この頃の新藤さんの仕事ぶりについて、先輩脚本家である依田義賢さんは自著「溝口健二の人と芸術」の中で「目を爛々と光らせ、セリフをぶつぶつつぶやきながら、原稿用紙が破れんばかりの勢いでシナリオを書いていた」と表現されました。
晩年は穏やかな表情をされていましたが、近代映画協会設立当時の写真を見ると、色浅黒い痩躯で常に鋭い視線を漲らせた厳しい表情が印象的です。
実際、監督としてはかなり厳しい方だったようで、泣かされたスタッフや俳優も数多くいたとのこと。
それでも、独立系映画会社では唯一の成功事例といわれるほどに、佳作やヒット作を次々と生み出すことができたのは、なんといっても新藤さんの人柄と情熱によるところが大きかったのでしょう。
その映画作りの特徴ともいうべき、俳優やスタッフがその役割を超えて一体となり制作に邁進するやり方。
つまり、新藤さんの映画に共感する人々が映画制作の「同志」として集まるということであり、恐らくそれは新藤さんの映画を観る人々にも同じような「同志」としての想いを共にさせることにもつながっていくのではないかと思います。
私はもちろん新藤さんの映画の大ファンでありますが、その作品を観ていると、お会いしたこともないのにもかからわず、新藤さんを大変身近な存在として感じてしまうのです。
うまく表現できないのですが、やはりそこにも一種の「同志愛」のようなものがあるのではないかと考えている次第です。

さて、新藤監督作品は49本で、60年以上にも及ぶ監督生活を鑑みれば決して多作とは言えないと思います。
映画をコンスタントに制作・配給するためには、やはり独立プロでは様々な困難や障害があったことでしょうし、自分の撮りたい映画を撮る、という妥協のない姿勢からすれば、これだけの本数を世に送り出したことはむしろ奇跡であるともいえるのかもしれません。
しかし、脚本家として370本もの作品を世に送り出しており、これはとてつもない数ではないかと思います。
ご自身の映画制作とは違い、それこそ依頼されればどのようなストーリーのものでも書く、という姿勢だったそうで、時代劇・サスペンス・コメディ・恋愛もの・特撮映画などなど、ジャンルを問わず多くの傑作が生み出されました。

そんな中で、私が一番好きな映画は、やはり「裸の島」です。
資金難から近代映画協会の経営に行き詰まり、解散記念映画として、また、これまで同志として過酷な映画制作に共に取り組んできてくれた殿山泰司さんを主役に映画を撮りたいという思いから、職業俳優は殿山泰司と音羽信子の二人、スタッフは11人という編成で撮影された記念碑的な作品でした。
制作費は550万円という破格の「安さ」で、出番のないときには俳優までレフ版を持ったりカメラの移動車を押したりして撮ったそうです。
黒田清巳のカメラと林光の音楽が実に美しく、ストーリーは相当に悲惨なものなのに、一つのおとぎ話になってしまうような不思議な力のあふれた作品でした。
公開当時は、配給会社がこの作品を黙殺したため、系列映画館での上映はできず、自主上映の形で細々と公開されていましたが、翌年のモスクワ映画祭でグランプリを受賞すると、状況は一変。
各国のバイヤーから買い付けが殺到し、最終的には64か国での上映が成し遂げられます。
日本の配給会社もこの状況を見て態度を豹変。ヒット作となりました。
どうも、映画や音楽にかかわる配給や制作会社というものは、金もうけ以外のことにはとんと興味のない拝金主義が蔓延しているようで、黒沢明の「羅生門」などにも顕著にみられるように、自らの眼力や感性で作品を評価しようという姿勢があまり感じられません。
海外での好評価を受けて慌てて国内でも配給しようだなどと、芸術にかかわる立場におりながらよくもそんなに恥ずかしいまねができるものだなと嘆息してしまいますね。

新藤さんの脚本作品でも、多くの傑作が残されています。
赤穂浪士を扱った映画や劇はそれこそ星の数ほど存在しますが、私は新藤さんが脚本を担当した松田定次監督の「赤穂浪士 天の巻・地の巻」はその中でも出色の出来栄えではないかと思いますし、吉村公三郎監督と組んだ諸作品も「安城家の舞踏会」や「偽れる盛装」など、それこそ枚挙の暇もありません。
その中でも私は、亀井文夫監督の「女ひとり大地を行く」と深作欣二監督の「軍旗はためく下に」が非常に強く印象に残ります。
増村保造や三隅研次が監督した諸作品も忘れ難いものでした。

どうもショックが冷めやらず、いつにもましておさまりの悪い散発的な記事となってしまいました。

新藤さんが日本映画界に残した足跡は、とてつもなく大きいものでした。
まさに「偉人」と呼ぶにふさわしい映画人であったと思います。

無念ではありますが、心よりご冥福をお祈りする次第です。  

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