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高倉健さんが亡くなりました [映画]

今日も快晴です。
しかし、気温はかなり下がってきているようで、風は昨日ほど強くはありませんが、底冷えがして、朝などは手がかじかんでしまい、そろそろ手袋が欲しくなる季節となりました。
日比谷公園の木々の紅葉もだいぶ進み、街路には落ち葉が敷き詰められたようになっています。
akizora.jpg
11月も下旬。そろそろ冬支度ですね。

高倉健さんが亡くなりました。享年83歳。


昨日の午前中はGDP年率換算マイナス1.6%の衝撃も覚めやらず、消費税率改定の先送りとそのことを理由にこじつけた衆院解散という茶番が繰り広げられましたが、そんな政局を吹き飛ばす衝撃のニュースでした。
たまたま重なっただけなのでしょうが、政府・自民党のやろうとしている衆院解散の胡散臭さが、適時的にあやふやになってしまいました。

それはともかく、降旗康男監督との間で次回作の具体的な検討が始まっていた、という話を聞いていましたから、正に一瞬目を疑ったところです。
悪性リンパ腫とのことですが、発見から進行の速度が速かったのでしょうか。
残念でなりません。

2年ほど前、高倉健さん主演の「あなたへ」を観て、その感想などをこのブログに書きました。

http://okkoclassical.blog.so-net.ne.jp/2012-09-01

読み返してみて、自分ながらにしみじみと悲しみに浸っています。
何とも言えない喪失感。

「あなたへ」ももちろん素晴らしい映画でしたが、私は、同じ降旗監督とのコンビでの「冬の華」がとりわけお気に入りでしたので、昨日は、DVDを観ながら偲んでいました。

久しぶりに観たのですが、クロード・チアリの哀切極まりない音楽とも相俟って、目頭が熱くなってしまったところです。
この映画では、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ短調がキーワードの一つになっていて、公開当時、映画を観てこの曲を知り、「おい〇〇(伊閣蝶の本名)、あの曲のレコードとか持っていないか?」などと聞いてくる先輩がいたりもしましたね。
名曲喫茶も隆盛の頃で、私も渋谷などにお気に入りの店がありました(30年くらい前に閉店してしまいましたが)。
映画の中の名曲喫茶では、かかっているレコードの曲名が店内の看板に掲示されているのですが、なんと、「チャイコフスキー ピアノコンチェルト」となっていたのには、当時、苦笑したものです。
ご案内のとおり、チャイコフスキーは「ピアノコンチェルト(ピアノ協商曲)」を3曲書いており(第3番は遺作で、第1楽章しか残されておらず、タネーエフが草稿などをもとに補筆完成させた)、たまたま第1番が超有名なだけなのです。本来であれば「チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番」とすべきなのではないか、と。
看板に書いてあるほかの曲は、例えば「ドヴォルザーク 交響曲第9番『新世界より』」などとなっているのに、何故にこの曲だけが「チャイコフスキー ピアノコンチェルト」としているのか、改めて観てみても理解に苦しみますね。
それはともかく、これは1978年の映画ですから、もう40年近く前の作品です。
画面に登場する俳優さんの多くは、既に鬼籍に入られていました。
藤田進・小池朝雄・山本麟一・夏八木勲・峰岸徹・天津敏・岡田真澄・田中浩・三浦洋一・大滝秀治・池部良・小沢昭一などなど。
高倉さんも、こうした方々のところに召されたということか、と思うと、やむを得ないこととは知りながら、やはり寂しさが募ります。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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「キャタピラー」を観ました [映画]

昨日は久しぶりに良い天気となり、一日遅れでしたが中秋の名月を楽しめました。
月の光、時に冷たさや寂しさを感じさせることもありますが、なんというかことに望月の光は心の奥底にしみじみとした温もりを与えてくれるような気がして、私は大好きです。
月曜日はあいにくのお天気で、しかもその折の天気予報では火曜日も似たような感じとのことでしたから、なおさら嬉しく感じたのかもしれません。

しかし、今日は一転して曇り空。昼までには時折晴れ間も見えましたが、午後からは雨となりました。

ちょっと情けないことですが、左足の脹脛を痛めてしまいました。
駅の階段を降りる際、携帯電話を見ながら歩いていた前方の女性をよけて降りようと足を踏み出したときに強烈な痛みが走ったのです。
痙攣かと思い、足の筋を延ばしたりマッサージをしてみたのですが、好転はせず、特につま先を使うと泣きたいほど傷みます。
やむを得ず病院に行って診察をしてもらったら、予想通り「肉離れ」でした。
取りあえず湿布をして、伸縮包帯で固定しております。
医者の話では、治るのに二週間くらいはかかるそうです。まあ、そんなに時間はかからないと思いますが、痛みのある間は無理もできないので、しばらくは安静にしておきましょう。
今週末の3連休は久しぶりにお天気もよさそうなので山に行くつもりにしていましたが、どうやら無理そうです。
残念!

若松孝二監督の「キャタピラー」をやっと観ました。


公開当時から観たいと思っていたのですが、ずっとみはぐっていたのです。
2010年公開の作品ですから、本当に「ようやく」という感じですね。
そんな映画作品がたくさんあり、楽しみでもあると同時にちょっと焦りも感じてしまいます。

この映画は、2010年ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、寺島しのぶが最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞したこともあり、大変評判となりましたから、ストーリーについては特に触れません。
寺島しのぶの熱演はもちろんですが、久蔵を演じた大西信満も、正に鬼気迫る演技を見せてくれました。
84分の上映時間は瞬く間に過ぎて、心の中に深い澱のようなものを残し、深淵を覗き込ませるような迫力に満ちた映画です。

ドルトン・トランボの「ジョニーは戦場へ行った」と、江戸川乱歩の短編小説「芋虫」をモチーフにしたオリジナルストーリーとのことですが、私は、がきデカで有名な山上たつひこの初期の代表作である「光る風」を思い起こしました。
「光る風」の方は環境汚染・公害と近未来の戦争をモチーフにしていましたが、(自衛隊を模した国防軍の)軍人となった主人公の兄が、開発中の化学兵器の誤爆によって両手足を失い、しかも被曝したという設定で、これがこの久蔵と同じように特進の上で自宅に帰されます。
そして、久蔵と同じく、庭の池に自らを投じて自殺する。
尤もこのシチュエーションは、江戸川乱歩の「芋虫」に端を発しておりますから、「光る風」も、同じくこの小説から着想を得ているのでしょうけれども。

この映画では、その、両手足のない「芋虫」のような久蔵がずりずりと這い回り、家のたたきから土間に落ちて、もがきながら池に向かい水死するさまを克明に描いています。
その合間に、妻のシゲ子が農作業にいそしむ姿が何度か挿入され、カタストロフに向かう情景を浮かび上がらせていました。

久蔵とシゲ子にとって未来への希望は全く考えられず、シゲ子が吐き捨てるように叫ぶ「食べて寝て食べて寝」るだけの生活を中心に描いた映画でありますから、畢竟、出口の見えない絶望的な情景が続くことになります。
若松監督は、この凄惨なストーリーを、オーソドックスな映画的文法を以て、映像化しています。
無限回廊のような時間の空費を四季の移り変わりで描き出すカットは、中でも特筆ものの美しさで、昭和初期の山村風景や旧家を表現した美術も誠に素晴らしいものでした。
さらに、音楽・音響の素晴らしさにも注目です。
観る者の胸中に響く音楽的な空間を自然に紡ぎだす音響設計は、以前「あさま山荘への道程」でも書きましたように、若松監督の感性に基づく表現でありましょう。

ラストに流れる主題歌、元ちとせの「死んだ女の子」が、刃のように突き刺さります。
この歌は、トルコの詩人、ナーズム・ヒクメットが広島の原爆投下から着想を得て1955年に詩作した歌詞に外山雄三が曲をつけたものです。
この曲を主題歌に用いたことでも、若松監督の意図が明確になされています。

さらに、一種の狂言回しのような役柄「クマ」で、ゲージツ家「クマさん」こと篠原勝之さんが出演しており、戦前も戦中も戦後も変わらない「クマ」のような個性が変人として扱われていた当時の状況を的確に描き出していました。
ポツダム宣言受諾の「玉音放送」を聞いて、戦争が終わったと喜ぶ「クマ」の衣装が普通の服に変わっていたことにも明確な演出意図があったのでしょうか。

観終わって、「こんな映画をよく作ることができたな」としみじみ思いました。
大きなスポンサーもつかなかったことでしょうし、公開にこぎつけるのも大変だったのではないか。
その意味では、ベルリン国際映画祭での受賞が大きな援護となったものと思われます。
2014年の現在では、さらにこうしたテーマの映画を作るのは困難ではないでしょうか。
同じ戦争を描いた映画でも「永遠のゼロ」などは、東宝・電通を始め新聞社などのマスコミ各社が製作に携わり、全国430スクリーンで公開されました。こうした作品との大きな扱いの違いにはため息をつかざるを得ません(そういえばこの映画の主人公の名前も「久蔵」でしたね)。

あの戦争では、国民は軍に騙されたのだとし、全ての責任を軍に押し付ける風潮が支配的のようにも見受けられます。しかし、この見方に異を唱え、いや、軍だけではない、外務省や内務省など政府全体にも大きな責任があることを忘れてはならない、という意見もあります。
誠にご尤もなことで、仰る通りと私も思います。
しかし、今、NHKの朝ドラ「花子とアン」でも描かれているように、当時の軍は国民のほぼ全体から支持されていて、それがあるからこそ軍も独断専行のような行動をとることもできたのではないでしょうか。
昭和天皇が、そうした軍の暴走に結果として追認の勅語を出さざるを得なかったのも、そうしなければ軍によるクーデターが起きるかもしない、と危惧した故のことかもしれません。
この映画の背景となっている泥沼のような日中戦争と、日増しに悪化する経済状況の中で、出口の見えない焦燥感に襲われていた当時の日本国民は、真珠湾攻撃などでの「勝利」によって吹っ切れたのではないか、との考察もあります。
「ハワイ・マレー沖海戦」を撮った山本嘉次郎は、この太平洋戦争開戦の報に接して「胸がスーッとした」との感想を述べています。
それまでは「エノケンのちゃっきり金太」や「綴方教室」のような作風の映画を撮り、戦後は労働組合の初代委員長に就任した山本監督をして、このように思わせる状況にあったということなのでしょう。
これは、私たち日本国民に限ったことではないと思いますが、自分を取り巻く状況の中に不安定要素が増大し、確かな未来の姿を希望を以て信ずることができなくなったとき、そういう逼塞した状況からの思い切った脱却を、人は夢想してしまうのかもしれません。
戦争というものは、そのような心の隙間に入り込む可能性を持ち得る。
しかし忘れたはならないのは、戦争とは所詮「破壊」であり「殺し合い」であるということ。
どのような美辞麗句を並べ立てても、対話による解決を拒否し相手方に牙をむいて襲い掛かる手法は、自らの存在すらも危うくする愚行であり短慮であることを忘れてはならないと考えます。

この映画は、そうした根本的なことを私たちに強く訴えかける力を持っています。
思わず目を背けたくなるシーンもありますが、機会がございましたら是非ともご覧になることをお勧めする所以です。

全くの私事になりますが、私が子供の頃よく出かけていたある市のアーケード商店街に、物乞いをする傷痍軍人の人たちがたくさんいました。
手足を欠損した人が四つん這いになり、その傍らで黒めがねをかけた人がアコーディオンを弾いている、という光景です。
彼らは軍服を着用していて、演奏されていた曲は「戦友」などでした。
無機的な義手や義足が衝撃的で、子供心に不安と恐怖心を呼び起こされ思わず目をそらしたことを思い出します。
東京オリンピックの頃のことでした。
そのときの恐れに似たおののきを、この映画を観ながら思い起こしてしまった次第です。


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福本清三さん、最優秀主演男優賞受賞! [映画]

台風11号は日本全国に大きな被害の爪痕を残しました。
関東への影響は、ちょうど土日だったこともあり、私は外出を控えて事なきをえましたが、四国・近畿・東海では甚大な影響があったそうです。
先月の初めまで住んでいた三重県では大雨特別警戒まで出て、私の津での住居近くを流れる安濃川や岩田川も危険水域を超え、氾濫の一歩手前まで行きました。
雲出川も水量が激増し、久居方面は大変な様子です。
東紀州でも相当な被害が出ている模様で、二年間も住んでいた三重県のことゆえ、気が気ではありませんでした。
津での仕事仲間や友人に連絡を取ってみたところ、取りあえず現時点では深刻な被害には遭っていなかったようで、その点は安堵しました。
しかし、今回の大雨で地盤は相当ゆるんでいると思われますので、ちょっとしたことでも大きな被害の発生につながりやすく、さらなる台風の襲撃などがないことを祈るばかりです。

今日は打って変わって晴れあがり、気温も35度を超しました。
どうやらまた暑さがぶり返しそうですが、土曜日に新しいエアコンが来ましたので、ようやく熱帯夜からも解放されています。

俳優の福本清三さん(71)が、カナダ・モントリオールで開催されたファンタジア国際映画祭で、最優秀主演男優賞を受賞したそうです。日本人初、そして最年長での受賞とのこと。
初の主演作である「太秦ライムライト(落合賢監督)」もシュバル・ノワール賞(最優秀作品賞)を受賞しましたから、ダブル受賞ということになりますね。
私は福本清三さんの大ファンでありますので、この大快挙には飛び上がらんばかりの嬉しさです。
ただ、ご本人はかなり戸惑っておられることでしょう。NHKの「人間ドキュメント」で、福本さんのことを取り上げた際の、あの控えめでシャイな受け答えからすれば、そのように思わざるをえません。

時代劇には、いわゆる「カラミ」という役柄の方々がいて、殺陣の中で主役に切りかかり切られてしまう脇役です。「切られ役」などともいわれていますが、福本清三さんは、この目立たない損な役回りを長い間誠実に演じてこられ、それを一つのアートにまで昇華させた稀有の役者さんではないかと思います。
福本さんを最初に意識したのは、深作欣二監督の「柳生一族の陰謀(1978年)」で、根来衆のフチカリの役を、全身バネのようなキレのある立ち回りで演じていました。
それからは、テレビや映画の時代劇で福本さんを探すことが多くなり、同じく深作監督の「仁義なき戦い」シリーズでも印象的なシーンを数多く演じていたことを発見して嬉しくなったことを覚えています。
そういえば、吉永小百合主演の「夢千代日記」でも、一座の切られ役として出演しておられました。
ハリウッド製作の「ラストサムライ(2002年)」で演じた「寡黙な侍」は、福本さんの魅力を全世界に発信した記念碑的役柄とも申せましょう。
2006年にはNHK大河ドラマ「功名が辻」で今川方の老臣を演じ、大きな役回りをふられることが多くなりましたが、ご本人はこれまでと全く変わらない態度で臨んでおられ、それがまた私どものようなオールドファンの胸を打つのですね。

「太秦ライムライト」は、テレビ編集版がNHKのBSプレミアムで先行放映されましたから、ご覧になった方も多いと思います。チャンバラ映画好きには堪えられない作品で、福本さんと苦楽を共にしてきた「カラミ」の方々や、峰蘭太郎や栗塚旭といった往年の時代劇を背負ってきた役者も出演していて、見ごたえ十分。
監督の、チャンバラ映画への想いが惻惻と伝わってきます。

ヒロインである山本千尋さんのアクションも素晴らしいものでしたが、木刀を構えて立っているだけでも殺気が伝わってくるような福本さんの入魂の演技は、正に筆舌に尽くしがたいものでした。
それ以上に、切られ役の時には見られなかった、あの哀愁をたたえた静かな眼差しが強く印象に残ったものです。
ただ映画のため芸のために、すべてを奉げてきた…。そんな、誠に人間としての最高の美しさを強く強く感じさせてくれました。



どうかこれからもお元気でご活躍を、と心の底から願ってやみません。
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「わが谷は緑なりき」ジョン・フォード監督 [映画]

当地でも、先週、梅雨入りとなりましたが、週末は比較的良いお天気に恵まれました。
このところ平日も休日も忙しくしており、洗濯物もたまっていたので、一気に洗濯やアイロンがけをし、二日続けて布団干しもしたところです。

そんな中、本当に久しぶりに、ジョン・フォード監督の「わが谷は緑なりき」を観ました。


最初に観たのは上京してすぐの頃でしたから、19歳のとき。
音楽や映画を、精力的に鑑賞し始めた時でしたから、感動もひとしおでした。
1941年製作の作品ですから、ちょうど太平洋戦争が勃発したときにあたりますね。
あの当時にこんな映画を作っていたアメリカという国の、思想的な深さと底力に圧倒される想いがしたものです。

ウェールズの炭鉱で働く一家を中心としたホームドラマの形態をとってはおりますが、炭鉱主による炭鉱労働者の賃金カットや馘首を巡って労働組合を立ち上げるシーンなども描かれており、アメリカ大好き人間で保守派と目されていたジョン・フォード監督作品としては「怒りの葡萄」とならぶヒューマニスティックな作品としてあまりにも有名です。
ただし、これらの作品は、原作の持つ社会主義的な視点や階級問題などについてはあまり深入りはぜず、逆境の中においても前向きに生きていこうとする家族や仲間たちの姿と、善意と誠実の溢れる人々の生き方を中心においています。
それゆえに、前衛的な立場に立つ批評家のうけはあまりよくなく、ジョン・フォードの持つ類まれな映像美とテクニックに寄り掛かった通俗的作品、という評価もありました。
実際、私も最初に観たときには、そのラストシーンがあまりにも厭世的に感ぜられ、なぜ虐げられた炭鉱労働者が勝利を収めるストーリーとならなかったのだろうと訝しく思ったものです。
ジョン・フォードの真意がそうしたところになかったことを知ったあとも、やはりこだわりは拭い去れませんでした。

父親であるギルム・モーガンに近い年齢となり、改めて観直しましたが、労働者の勝利という予定調和的な結末とはしなかったジョン・フォードの意図が、何となくわかってきたように感ぜられます。
映画や小説などの創作の世界では可能であったとしても、現実はそのようなユートピアは訪れないことを、私もまた数々の経験から痛いほど思い知ったのですから。

さて、そのような話の筋を取りあえず措いておくとすれば、これは正しくむせ返るような情感にあふれる傑作だと思います。
どのシーンを切り取っても、正に「映画」としかいいようのない表現で、この作品のみならず、ジョン・フォードの映画が、それに続く多くの映画人に多大な影響を与えてきたことも蓋し当然といえましょう。
黒澤明監督がジョン・フォードの大ファンであったことはあまりにも有名ですが、例えば、末っ子のヒューが学校のいじめっ子に痛めつけられ血だらけで帰ってくると、炭鉱の大人たちがヒューにボクシングを教えて、いじめっ子をやっつけるシーン。これは、森田芳光監督の「家族ゲーム」の中で、同じようなシチュエーションの宮川一郎太に松田優作の家庭教師が喧嘩に勝つ方法を教え、いじめた同級生を強烈なボディブローで倒すシーンにそのまま引用されています。相手のパンチをかわしてボディにパンチをたたき込む、という部分まで一緒です。

私は以前、ビクトル・エリセ監督の「エル・スール」について書きましたが、この映画にも「わが谷は緑なりき」のシーンが印象的に引用されています。
父親のアグスティンと娘のエストレリャの二人で水脈を探すシーン。
父親の掌に積み重ねられたコインを、最後にエストレリャがエプロンを持ち上げて受け取る場面は、モーガン家の親子が勤めから帰ってきた折に、その日の稼ぎを広げられた母親のエプロンの上に入れるシーンからの引用でしょう。
それから、アグスティンが階下の部屋にいるエストレリャに、杖を床に突いて音を立てながら「無言の会話」をする場面。これも、母親とヒューのやりとりをそのまま引用しています。
「エル・スール」を初めて観たとき、私はこれらのシーンではっと胸を突かれました。
そのことを懐かしく思い返しています。

この映画の中では、ヒューの姉であるアンハードとグリュフィード牧師との恋が、とりわけ胸を打つエピソードとなっていました。
二人はモーガン家長兄の結婚式で出会い同時に恋に落ちるのですが、アンハードには炭坑主の息子エヴァンスとの縁談が持ち上がり、聖職者としての道を歩む決意のグリュフィード牧師は、彼女に対する想いを断ち切ろうとします。
アンハードはグリュフィード牧師の気持を確かめるべく彼の家を訪ね、厳しい聖職者の連れ合いとしての道を共に歩もうとしますが、彼は彼女の現世的幸せを願ってそれを拒む。
この美しくも悲しいシーンにおいて、アンハードが常に主導的立場に立っています。グリュフィード牧師が留守の間に彼の家で帰りを待ち、口づけも彼女の方から行動を起こす。
初めてこの映画を観たとき、女性がこんなに大胆に想いを伝える行動に出たことに衝撃を受けました。
1941年製作という背景を忖度すればなおさらのことです。
この映画が日本で公開されたのは1950年のことでした。
そのときの観客の衝撃と感激は如何ばかりであったかと、しみじみ思ってしまいます。

改めて観て感動を新たにしました。
素晴らしい映画だと思います。
しかし、あのラストは何だかあまりに悲しすぎます。現実はそういう苛酷なものだということは分かってはいても、やはりやり切れなさを感じました。
だからこそ永遠に観る人の心に残るのかもしれませんが。

ところで、ヒューを演じたロディ・マクドウォール。子役ながら大変な熱演でした。
後に猿の惑星シリーズでコーネリアス博士を演じて当たり役になったことを思い出し、何だかちょっと複雑な想いに駆られたところです。
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赤木圭一郎主演「拳銃無頼帖・電光石火の男」 [映画]

今朝は珍しく霧の朝となりました。
気温も高めで、手袋も要らず、マフラーも途中から外せるような陽気で、蝋梅の花も咲き始めています。
今日は節分。明日は立春ですから、気候もいよいよ春めいてきた、というところでしょうか。
などと油断をしていたら、夕方から雨になりました。
明日はまたまた冬型の気圧配置に逆戻りで、冷え込んでくるそうです。
まだまだ油断は禁物ですね。

土曜日、録り貯めていたビデオの中から、赤木圭一郎主演の「拳銃無頼帖・電光石火の男」という日活アクション映画を観ました。
1960年の作品です。

赤木圭一郎は、小林旭や石原裕次郎などと並ぶ日活アクション活劇のヒーローですが、そのどことなく陰のある姿や立ち居振る舞いが独特の存在感を醸し出していました。
撮影所の中でゴーカートを運転中、ブレーキとアクセルを踏み間違えて時速60kmのスピードで鉄扉に激突し、あたら21歳の若さで夭折。1961年のことです。
その最期の有様から「和製ジェームスディーン」などとも呼ばれています。
実質的なデビュー作である「抜き射ちの竜」から、遺作となった「紅の拳銃」まで、何と一年間の間に13本の映画に出演し、正に風のごとくこの世を去ってしまいました。
ジェームス・ディーンが、「理由なき反抗」「エデンの東」「ジャイアンツ」くらいしか実質的な代表作と呼べる映画がなかったのは大違いですね。
赤木圭一郎が夭折せずに俳優を続けていたら、恐らく石原裕次郎と並ぶ、いやもしかすれば石原裕次郎すらかすんでしまうほどの存在となっていたのかもしれません。
映画自体が大好きで、特にアンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイアモンド」には大きな衝撃を受け繰り返し観た、とのことですから、あの主人公マチェックにも相当のシンパシーを感じていたことでしょう。
彼の陰影を感じさせる演技は、そんな感性から生み出されたものであるのかもしれません。
ただ、俳優業自体をそれほど好んでいたわけではなかったそうですから、もしかすると自身の感性と会社(日活)側の思惑との軋轢から、早々に引退し銀幕を去っていた可能性も低くはないように思われますが。

それはともかく、この映画を観なおした理由は、映画の舞台が四日市であったからです。
この映画が製作された1960年代は、四日市コンビナートの建設・稼働から、のちの「四日市ぜんそく」問題の端緒を開いた時期でした。
この映画でもコンビナートの存在は、それに伴う産業構造の転換と新旧やくざの抗争といったモチーフに繋がっています。
映画の作りは誠にオーソドックスで、その意味では私たちのようなオールドファンにとって安心して観ていられる作品です。
それでも、ワイド画面の特徴を利用した斬新なカットがちりばめられていて、ストーリー展開ともども、非常にわかりやすい活劇になっていました。
赤木圭一郎・浅丘ルリ子・宍戸錠・白木マリ・二谷英明・吉永小百合といった日活若手俳優陣から、菅井一郎・嵯峨善兵・高品格などの重鎮まで惜しげもなく投入し、当時の四日市市街から御在所岳とロープウェイまで描いていて、三重県在住の私としてはやはり嬉しくなります(御在所ロープウェイの頂上駅から見る鎌が岳の雄姿もなかなかなものでした)。
中でも、菅井一郎と嵯峨善兵の演技には唸ってしまいますね。
こうした名優が脇を固めてこそ若手もその実力を如何なく発揮できるのだなと、当たり前のことですが改めて感じ入ったものでした。
音楽を担当した山本直純も結構実験的な試みをしていて、これも楽しめました。

もちろん、当時の日活アクション活劇特有の安直なストーリー展開には、やはり苦笑させられます。
こともあろうに御在所岳の山頂付近で赤木圭一郎と宍戸錠が拳銃による一騎打ちをし、「拳銃の音なんて風船玉の割れる音くらいにしか聞こえない」などとうそぶきつつ、何発も撃ち合うなど、いくらなんでも荒唐無稽に過ぎるだろう、と呆れずにはいられませんでした。

もう一つ、非常に度し難かったのが、登場人物のセリフ回しです。
四日市が舞台だというのに、古くからのやくざの親分からして江戸っ子のべらんめえ口調でしゃべり、誰一人として地元の言葉を使ってはいないのです。
三重県は日本列島における東と西の文化の分水嶺のような位置にあり、例えば「お雑煮に入れる餅は角餅か丸餅か」「カレーの中に入れるのは豚肉か牛肉か」みたいな身近な事例でも、その境目となっていたりします。
方言も同様で、例えば、「だから」という意味の言葉を関西では「せやで」といい名古屋では「だもんで」という場合、三重では「せやもんで」という、といった具合です。
私は長野県の出身であり、これまでの人生の大半を東京と神奈川で過ごしていますので、津に来た当初はこちらの言葉が関西弁のようなニュアンスで聴こえておりましたが、しばらく接しているともっと柔らかで親しみやすい語り口であることがわかりました。話をしているだけで、ホッと心が安らぐような言葉なのです。
それだけに、こちらの地の言葉を無視する態度はどうにも我慢ならないものを感じてしまったのでした。

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かぐや姫の物語 [映画]

この週末、日曜日の未明に雨が降ったものの、比較的穏やかなお天気となりました。
連れ合いが、「なばなの里のウィンターイルミネーションを見たい」ということで、名古屋に出向いてきました。
長島リゾート近辺には手ごろな宿泊先がないので、名古屋駅前のシティホテルに泊まることとし、せっかくなので前から観たいと思っていた高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を観ることにしました。



11月23日公開の作品でありましたから、まだ上映しているだろうかと気が気ではありませんでしたが、名古屋駅前のミッドランドスクエアでは公開中。
ホッとしました。
夫婦ともども50歳を超えておりますので、二人で2000円、というリーズナブルな入場料もありがたいところです。

「かぐや姫の物語」は高畑監督作品としては「ホーホケキョとなりの山田くん」以来、14年ぶりの映画となります。
高畑監督ファンを自認する(その割には今回やっと「かぐや姫の物語」を観たのですが)私としては、正に待ちに待った最新作でした(因みに高畑監督は三重県宇治山田出身です)。

原作である竹取物語。
天界の住人が地上に舞い降りてくるという「羽衣伝説」の中でも、とりわけ映像作家たちの創作意欲をそそる題材ではないかと思いますが、この原作を真正面から取り上げた映画は、これまで、1987年に製作された市川崑監督の「竹取物語(東宝)」が存在するのみでした。
特撮映画に不滅の金字塔を打ち立てた円谷英二監督が、生前に製作を切望していたとのことですから、これが作られていたら、と思わずにはいられません。
また、内田吐夢監督もこの題材による映像化を考えていたそうです。
いずれにしても、この物語が広く人口に膾炙されており、そうした数多の人々の鑑賞に堪え得る作品とするのには並大抵の企画では実現もおぼつかないと考えられたことでしょう。
事実、1987年の市川監督作品も、企画から制作まで10年の年月と20億円の巨費を投じたのにもかかわらず、とても成功とは言い難いものでした。
原作の「かぐや姫は罪をつくり給へりければ」とある「罪」に言及することもなく、大友大納言が遭遇する竜や、最後にかぐや姫を迎えにくるハスの花の形をした巨大宇宙船といったスペクタクル場面ばかりが強調されてしまったかのような印象を受けます。
殊に、最後に登場する宇宙船。
中野昭慶監督率いる特撮班渾身の演出で、それこそ息をのむような壮大なシーンが展開されましたが、どうしても「未知との遭遇」辺りの映像がフラッシュバックしてきて、鼻白んだ記憶が鮮明に浮かんできます。

高畑監督は、東映動画入社当時からこの題材を映像化するためのプランを思索されてきたそうです。
  • かぐや姫が地上に遣わされなければならなかった「罪」とはなにか。
  • 「昔の契りありけるによりてなむ、この世界にはまうで来たりける」とある「昔の契り」とは。
  • その「罪」を償ったがゆえに、かぐや姫は月の世界に帰るのか。
  • そうであれば、なぜ、かぐや姫は月に帰ることを嘆き悲しむのか。

しかし、その当時は、とてもそれを具体的なプランに乗せる段階まで練り上げることはできずに、荏苒と時は過ぎてゆく。
その間、高畑監督の思索の中で竹取物語の構想は熟成し、2005年にようやく製作が決定。
爾来、8年の年月をかけて完成・公開を迎えたのでした。

内容については、公開中の映画であるということもあり、これまで同様ここで触れることは控えたいと思います。

連れ合いと二人で観ていて、私は恥ずかしながらもまたまたハンカチを取り出してしまいました。
連れ合いも目を真っ赤にしています。
何といっても、絵の素晴らしさが特筆もので、淡く美しい日本画の世界がアニメーションとして生き生きと動いている奇跡に眼を奪われました。
例えていえば、彩色を施された「鳥獣戯画」が、まるで実写の世界のように自然に動いている、という感じでしょうか。
人物の輪郭などの線は、まるで筆で描いているかのようなタッチですが、その瞳からあふれる涙は、まるで本物の滴であるかのように光っている。
一幅の日本画に描かれているかのようなカワセミが、サッと羽ばたいて川面に飛び小魚を銜える。
かぐや姫の手から草の葉に移るバッタの精緻な動き。
観れば観るほど画面に引き込まれ、やがてそうした細部のこだわりすらも忘れてしまう。
実写では到底表現不可能でありながら、単なるアニメーションの枠もを軽々と越えてしまった、そんな不思議な映像作品なのです。

竹取物語が有している、反権力の思想、人を欺いたりおとしいれたりしようとする醜い現世の欲望への批判、それを別の世界の出来事として単に傍観の立場を採ろうとする「月の住人」の無慈悲な姿勢と、それを物(金銀や不死の薬など)を下げ渡すことによってあたかも慈悲深くふるまっているがごとき対応を採る欺瞞性、など、私はこの物語を読むたびに、何ともいえない厭世的な気分に陥るのですが、「かぐや姫の物語」では、そうした原作に忠実でありながら、血の通った「物語」に再構築しようとした高畑監督の想いがひしひしと伝わります。

音楽を担当するのは久石譲。
「風の谷のナウシカ」で、彼を抜擢したのは高畑さんだったそうですが、高畑監督作品で久石譲氏が音楽を担当するのは初めてのことなのだそうです。
高畑監督は、音楽の面でも大変に造詣が深く、間宮芳生(「太陽の王子ホルスの大冒険」「柳川掘割物語」「火垂るの墓」などの音楽を担当)、池辺晋一郎といった実力派の作曲家を起用してきたり、「魔女の宅急便」では音楽演出をしています。
ご自身もピアノを弾き、「かぐや姫の物語」の中で非常に重要なモチーフとなる「わらべ唄」と「天女の歌」の作詞・作曲も手がけています。
久石譲氏は、大変に才能あふれる作曲家ですし、日本の映画音楽作曲家としてゆるぎないポジションを築いています。
しかし、これはあくまでも私の個人的な感覚なのですが、あまりに音楽を書きすぎてしまう嫌いがあるのではないか。下手をすると、観客が自由に想像を広げる音の空間を狭めてしまっている例も数多くあるのではないか、という気がしています。
その点、この映画においては、むしろ極めて抑制の効いた表現となっており、私としては大変感心しました。
特に月の住人が雲に乗ってやってくる場面の音楽は、まるで軍楽隊のように賑やかかつ明るい曲になっており、かぐや姫と翁・媼との別れの場面という悲劇に対し、目の覚めるようなコントラストを演出しています。
コントラクンプトを地で行っているような表現で、誠に鮮やかでした。

長きに渡る同士でもあった宮崎駿監督の引退宣言に当たって、宮崎さんは高畑勳さんにも「一緒に引退しよう」と誘ったところ、「何をバカなことを言っているんだ」と否定された、と話していました。
この「かぐや姫の物語」を観て、確かに高畑監督にはまだまだやりたいことがたくさん残っているのだろうと、思わされたところです。

素晴らしい映画だと思います。宜しければ是非ともご覧下さい。

さて、映画を楽しんだ後、なばなの里に出向きました。
早速、「里の湯」に浸かり、そのあとは長島ビール園で食事。
ここの地ビールはとっても美味しく、ついつい飲み過ぎてしまいます。

満腹になった後、ウィンターイルミネーションを見に行きました。
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風もなく、水面に映るイルミネーションも素敵です。
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そして、評判の光のトンネル。
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一つ一つの照明は、まるで花びらのようです。
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今年のウィンターイルミネーションのテーマは、世界遺産登録が実現した富士山です。
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良くできていますね。
そういえば、竹取物語では「富士山」命名の由来も書かれていました。

光のトンネルには、紅葉をイメージしたものもありました。
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翌日は、昨年行きそびれたノリタケの森に出かけ、オールドノリタケなどを見て回りました。

そのあと、名古屋城にするか熱田神宮にするかでちょっと悩みましたが、熱田神宮に行くことに。
連れ合いはもちろん、私も初めて出かけます。
予想通り、立派な社殿ですね。
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せっかくなので、私は交通安全のお守りを買い、連れ合いは仕事のお守りを購入。
ご利益があると良いのですが。

熱田神宮の宝物殿では七福神の特別展示をしていたので、せっかくだからとこれも拝観。
これもなかなか興味深い展示でした。

名古屋で連れ合いと別れ、津に戻ってくると、一転して強い北風が吹いていて、ものすごい冷え込みです。
春の訪れにはもう少し時間がかかりそうです。
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実録連合赤軍「あさま山荘への道程」(若松孝二監督) [映画]

三連休となりましたが、疲れがあったのか体調が優れず、しかも、お尻にデキモノ(いわゆる「ねぶと」です)ができてしまい、残念な休日となってしまいました。
知人からの勧めもあり、四日市市民オペラによる「椿姫」を鑑賞する予定でしたが、それも叶わず誠に無念極まりません。

そんな状況で、この連休は大人しく在宅し、洗濯や布団干し、アイロンがけ、掃除などのほか、ぼつぼつと衣替えなどをしておりました。
秋の気配は漸く里にも降りてきて、近くの樹々も紅葉しています。
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冷え込みもきつくなってきましたので、昨日、コタツをたててしまいました。
もちろん、電源は入れていませんが、それでもコタツの中に足を入れていれば随分暖かなものです。

さて、そんな事情から在宅しておりましたので、久しぶりにブルックナーやモーツァルトなどを聴きながら過ごしていましたが、CDラックの中に入れておいた若松孝二監督作品「実録連合赤軍」のDVDが目にとまり、久しぶりに観たところです。


「実録」と銘打っているだけあって、この事件に至るまでの背景やその後の展開、そして関係者を実名で登場させるなど、史実がほぼ忠実に映像化されています。
しかし、おのおのの事件などに関する時間経過が前後するなど若干の調整が施されたほか、あさま山荘内部でのシーンにはフィクションが混ぜられているようです。

例えば、1972年2月28日の、警察による強行突破直前のシーンなどは、その象徴的なものではないでしょうか。

握り飯を食べながら、板東がふとつぶやきます。
「同志たちにも食べさせてやりたかったな」。

坂口が次のように語ります。
「流れたあいつらの血を受け継ぐのが俺たちの戦いだ。俺たちの借りは死んだ同志たちにある。この借りを返そう」。

吉野がそれを受けて、
「おとし前はつけよう」

と呟いたとき、ここまでのやりとりを黙って聞いていた加藤元久が絶叫します。
「何を言ってんだよ!
今さら落とし前がつけられるのかよ!
俺たちみんな、勇気がなかったんだよ!
オレもあんたも、あんたも、坂口さんあんたも!
勇気がなかったんだよ!!」。


この部分は恐らくフィクションでしょう。
加藤元久のいう「勇気」が何を指すのか。様々な考察が成り立つのだろうと思います。
同志を「総括援助」や「処刑」の名の下に、その犠牲者の同志たる自らの手で虐殺した行為、そこに至る前にそれを(理不尽と思いつつも)止めるべき声を上げられなかった、そうしたことでもありましょうし、見果てぬ革命の夢の中で本来の目指すべき道を誤りながら引き返す勇気を持たなかった、そういうことでもありましょうか。
森や永田らの常軌を逸した言動やそれに基づく恫喝・威嚇・暴力などに対しても、それに異を唱えることができなかったことなどももちろんありましょう。
下手な行動に出れば「総括」された同志たちと同じ目に遭わされるかもしれない、という恐怖が目睫に迫っていたということもあったのでしょう。

いずれにしても、この発言を、この最後の段階で、一番年少であった加藤元久に言わせた、というところが、(たとえフィクションであったとしても)非常な重みを私に感じさせる所以です。
因に、加藤元久は私と同年代。
当時、高校受験を前にしていながら、この事件のテレビ中継に目を釘付けにされた私は、そのことに非常な衝撃を受けたものです。
それから わたしたちは 大きくなった
こどもだった わたしたちは みな大きく なった
わたしたちの うちの一人は 留学のために 羽田をたったばかりで
もう一人は 72年の年の2月の 暗い山で 道にまよった(樹村みのり「贈り物」)

あの「あさま山荘事件」、それを引き起こした5人のうち坂東國男は現在も逃亡中であり、国際指名手配を受けています。
彼の逮捕がなされない限り、この事件は終わりません。
そうした中で、山岳ベース事件を主題とした手記や著述は現在でも続いていると聞きます。
若松監督のこの作品は、それ故にこそ大きな意義も持つものなのではないでしょうか。
同じ題材を扱った高橋伴明監督に故立松和平原作の「光の雨」という映画があり、同じく非常な重さを以て訴えかける力がありましたが、やはり正面から取り組んだ若松監督のこの作品の方に軍配が上がるかな、という気がします。

余談ですが、若松監督は、この映画のクライマックス、あさま山荘での銃撃戦を描くために自らの別荘を使い、それを破壊することで映像化したとのこと。
彼の執念のほどが伺えますね。

この映画、観るほどに新たな発見があるほどの力作だと思います。
俳優たちは、実際にかなり追いつめられた環境におかれていたそうで、どこまでが演技なのかわからないくらいの熱演ばかりでした。
台詞回しも非常に長く、それを一気に演ずるのには相当な緊張感も必要だったことでしょう。
中でも、永田洋子を演じた並木愛枝の演技は絶品です。恐ろしいばかりの迫真性がありました。
それから、ジム・オルークの音楽も極めて秀逸でした。
もともと若松監督の大ファンで、その映画のすべてを観ていたというジム・オルークが、若松監督に懇願して実現したとのこと。
その熱意がひしひしと感ぜられる音楽でした。
とはいっても、今の映画にありがちな、のべつまくなしメロディを流し続けるといった体のものでは当然なく、非常に計算され的確な音響設計に基づいたもの。
ジム・オルークは武満徹さんの大ファンでもあったそうですから、それもまた蓋し当然のことかもしれませんね。
そしてそれは、映画音楽や音響効果について極めて高いレベルでコントロールしようと試みてきた若松監督の意思にも、最高の表現力を以て応えたものとも言えるのではないでしょうか。

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楢山節考 [映画]

雨の肌寒い週末になりました。

先週の火曜日に人間ドックを受け、水曜日から金曜日まで毎日バタバタと出張をしていたこともあって、さすがにこんなお天気では遠くに出かける気にもなりません。

そんなわけで、洗濯やアイロンがけなどの家事をしながら音楽を聴いたり、リコーダーを吹いたりしていたのですが、今日は久しぶりにDVDなどを観たところです。
作品は「楢山節考」。
今村昌平監督の1983年版の方です。
楢山節考 (1983年度製作版) 【DVD】

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「楢山節考」は、いうまでもなく深沢七郎の小説で、第1回中央公論新人賞を受賞した記念碑的な作品です。
因に、深沢七郎作品は一度も芥川賞などの候補になったことはないそうですが、本人も文春は嫌いだと公言していたとのことで、これは仕方のないところかもしれません。中央公論や谷崎潤一郎は好きなので、これにちなんだ賞はもらうことにした、のだそうです。
この小説、お読みになられた方もきっと多いことと存じますが、実に異様な美しさをたたえた作品だと思います。
私がこの小説を読んだのは20歳前後の頃でしたが、独特のリズム感に引き込まれながら一気に読み進み、読後、心がシンと静まり返るような筆舌に尽くしがたい感動につつまれたものでした。
心の優しい孝行息子が、実の母親を山に捨てにいく。
そのことだけでも酸鼻極まりない酷薄なストーリーなのですが、それが村の伝統行事のような形で淡々と、余計な脚色を一切つけずに展開させていく筆力には正に驚嘆させられます。
中央公論新人賞の審査員であった正宗白鳥氏は、「私は、この作者は、この一作だけで足れりとしていいとさえ思っている。私はこの小説を面白ずくや娯楽として読んだのじゃない。人生永遠の書の一つとして心読したつもりである」と表したそうです。
自他ともに認める辛口評論家であった正宗氏をして、ここまでの賛辞を寄せさせたことからも、この作品の持つ魅力が伝わってくることでしょう。

1956年に発表され、1957年に中央公論新人賞を受賞したこの作品、1958年には木下惠介監督によって早くも映画化されました。

この頃の木下監督は、それこそ一作ごとに新たな映像表現の可能性に挑んでいて、この映画では国産の富士カラーを初めて全編に使用したカラー作品として仕上げています。
山が主体となる話であるのにもかかわらず、全て屋内セットで撮り上げたことも特筆すべきでしょう。
それ故にこの映画は歌舞伎か浄瑠璃のような様式を以て構成され、それに合わせて音楽も邦楽の杵屋六左衛門や野沢松之輔に担当させています。
木下惠介監督作品の音楽といえば、ご舎弟の木下忠司さんの担当が当たり前であったのですから、こうした点からも木下監督のなみなみならぬ野心が伺われることでしょう。
元々原作も、悲惨かつ深刻な話を題材にしているのにもかかわらずどこかおとぎ話のような不思議な雰囲気を醸し出していましたから、木下監督も映画の虚構性を前面に押し出して一篇の「抒情詩」のような映画を作ろうと考えたのかもしれません。
それ故に情感溢れるメルヘンのような美しい作品に仕上がっているのですが、原作の持つ残酷な中にもそこはかとなく漂うユーモアといったような微妙な色合いが失われてしまっているようにも思えます。
恐らく、木下惠介という人の、人としての根本的な優しさが、この原作の奥底に横たわる残酷な世界を描き切ることに躊躇いを感じさせたのではないか、そんなふうにも考えてしまいます。
しかし、作品としては誠に素晴らしい出来で、殊に主役のおりんを演じた田中絹代の熱演が忘れられません。
そういえば、おりんの息子辰平(高橋貞二が好演)の、お調子者の息子けさ吉を演じていたのは三代目市川團子、現二代目市川猿翁でした。

さて、1983年の今村昌平監督作品です。
ご存じのとおり、この映画はカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しました。今村監督は、1997年に撮った「うなぎ」でも同賞を受賞しており、ご自身の映画作りへの想いと必ずしも同期するものであるのかどうかはわかりませんが、これは快挙と申せましょう。

今村監督の映画は、徹底したロケーションで知られており、原則オールロケで作られます。
また、芝居のリアリティや臨場感を重要視したことからアフレコを嫌い、セリフの同時録音にこだわりました。
この映画ももちろんそうした姿勢を貫徹して作られており、その意味では、先に上げた木下恵介監督作品とは一線を劃するものであります。
映画作りに当たっては、その題材の背景となる事象などを徹底的に取材・調査する今村監督らしく、当時の貧しい僻村の掟や暮らしぶりなども含めて非常に丹念な画面を作っています。
私事になりますが、ワラビ・タラノメ・コゴミなどの山菜を採るシーンには、私自身の体験もあって、その写実性に感嘆したものでした。
性欲も含めた人間の生の生態を徹底的に描き出すのも今村監督の特徴で、この映画でもその部分が大変象徴的に描かれています。
中でも、清川虹子と左とん平によるセックス描写は衝撃的で、確かこのときの清川虹子は72歳くらいになっていたはずです。
彼女はこの映画で初めてのオールヌードを演じたとのことでした。
そのときの「使ってみりゃあ、まだ使えるもんなんだな」というセリフが非常に生々しかったことを思い出します。

深沢七郎の「楢山節考」を題材とした二つの作品。
どちらがより優れているか、といった問いかけはあまり意味をなさないことでしょう。
独特の社会性を有している原作を、そうした社会的意識の強い二人の監督がそれぞれの個性を以て世に問いかけた作品であるからです。

もちろん好みの問題は歴然としてあり、劇場で観たときの私の印象としては、今村監督作品の持つリアリティと迫力に圧倒されはしたものの、様式的な美しさとまとまりの点で木下作品に魅かれました。
何よりも、主役おりんを演じた田中絹代と坂本スミ子との差があまりに大きく、坂本スミ子の熱演はわかりますが、この点はいかんともしがたいと思います。

もう一点。
楢山詣の掟の中に「家を出てから帰るまでしゃべってはならないこと」というものがありますが、楢山におりんを残して戻る辰平がその途上で雪が降ってきたことを知り、踵を返して母の元に戻って「おっかあ、雪が降ってきたよう」「雪が降ってふんとに良かったなあ」と、禁を犯して呼びかけてしまう。
筵の上に端坐したおりんが辰平に向かって無言で手を振り、早く行けと促す。
原作においても誠に感動的なシーンですが、木下版ではここを忠実に描いています。
今村版では、楢山に行く途上で、辰平がおりんに「あと25年もすれば、今度は俺がけさに背負われて楢山詣に行く。そしてまた25年すれば…」と語りかけるシーンが挿入されていました。
辰平の語りかけに対しておりんは無言を通しますが、楢山詣の掟と、原作にももちろんそのような記述はないという、二つの禁を犯してまで入れるようなものなのでしょうか。
当時、大変疑問に感じたものでした。
今回、久しぶりにDVDで観ましたが、やはりこの点の違和感はぬぐえません。
今村監督の意図は那辺にあったのでしょう?

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フランソワ・トリュフォー監督「突然炎のごとく」 [映画]

台風18号の影響で、間歇的に強風と豪雨が襲ってきています。
明日の昼くらいには上陸の可能性も高く、東海地方は大荒れの天気となりそうです。
予想では、明日の正午までに降る雨の量が600ミリとのことですから、水害の虞も出てきました。
7・8月の猛暑の間は雨も降らず、ダムも干上がる状況でしたが、だからといってこうした短期的な降雨は願い下げです。
三重県では昨年の6月に大きな水害があって、その爪痕が残されたままになっているところありますから、なおのこと心配でなりません。
何とか上陸せずに去っていって欲しいものです。

この週末は、この台風の影響もあり、山登りは控えました。
このところずっと出かけていないので、昨日は登りにいくつもりでしたが、このところ平日もいろいろとあって果たせませんでした。
それでも、家にただいるだけは能もないので、散歩がてら三重県総合文化センターに出かけたところです。
雲が多く蒸し暑い、しかも不安定なお天気でしたが、雨は降りませんでしたから、ちょうどいい運動です。往復で1時間半を切るくらいでしょうか。
この文化センターは立派なホールも備えていて、図書館もあり大変便利な施設ですが、今回のお目当ては3階の「視聴覚ライブラリー」。
ここでは、映画や音楽、各種講座などの映像カルチャーの資料などが無料で鑑賞できます。
しかも多数の個別ブースに分かれているので、映像作品がほかの利用者とバッティングしない限り、ほとんど待ち時間なしに利用可能。
誠にありがたい施設です。

今回、鑑賞したのは、フランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」。
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これは、画商であり自らも絵を描き、同時期の芸術家(ピカソやデュシャンなど)とも深い交流のあったアンリ=ピエール・ロシェの小説「Jules et Jim(ジュールとジム)」をもとに作られた映画です。
ダダイズムの雑誌「Blind Man」を創刊するなど、文芸にも秀でた人でしたが、生涯に残した小説は、このほかに「二人の英国女性と大陸」の二冊だけ。
いずれも、フランソワ・トリュフォーの手によって映画化されており、ロシェ自身の華麗なる(?)女性遍歴を綴った観察日記も同じくトリュフォーによって「恋愛日記」という題名で映画化されました。

私はこの映画を20代の前半に名画座で観ており、大きな衝撃を受けつつも、ジャンヌ・モロー演ずるカトリーヌに生理的な嫌悪感を抱いた記憶があります。
それをまたなぜこの老境に入った身で観ようと思ったのか。実は自分でもよくわかりません。
ただ、以前、この総合文化センターの視聴覚ライブラリーの下見に来たおり、この施設で収納・公開している作品の中からこの題名を見いだし、何となく最初に観るのはこれにしようかな、と思ったのがきっかけのような気がします。

それはともかく、今回、30年ぶりに鑑賞し直して、やはりいろいろと考えさせられました。
一番大きく変わったのは、カトリーヌに対する評価です。
若造だった頃に抱いていた反発や嫌悪感、もちろん多少は残ってはいましたが、50歳も半ばを過ぎてみると、むしろ彼女に対する同情心というか、彼女の心の痛み、埋めきれない心の隙間にもがく姿に、ある種のいたたまれない哀しみの感情を抱いてしまいました。
そうしてみると、彼女の勝手気侭な、ある意味では唾棄すべき行為や行動も、自らの希望や幸福を得ようと必死に追い求めた結果のように思えてしまうのです。
もちろん、その彼女に振り回されるジュールとジムの姿も、何とも痛ましい。
その意味では、何といいましょうか、うまく表現できないのですが、痛切な人生の姿を描いている、ということがいえるのかもしれません。
カトリーヌとジュールとジム、この三人は、結局のところ、誰も心から望んだ幸福を得ることは出来ませんでした。
それでも、ジュールだけは(あくまでも自己完結でしかあり得ないのでしょうが)、彼らを取り巻いていた桎梏から解放されたかもしれない、という意味で救いがあるのかもしれませんが。
妻であるカトリーヌと親友であるジムの遺体を火葬に付したあとの彼のナレーションが、やはり如何にも「痛切」です。

「骨を混ぜてやりたかった。丘から風に乗せて撒いて欲しいという彼女の願いは許されなかった」。

いったい、カトリーヌはどんな「幸福」や「愛」を望んだのでしょうか。
この映画が公開されたおり、カトリーヌの自由奔放な生き方に共感を示す女性が熱狂して支持したそうです。「私こそカトリーヌです」と。
この映画が公開された1962年当時、女性の解放運動は各地で大きなうねりとなっていました。
そうした運動に共感を抱いて行動していた女性たちにとって、男などに翻弄されない生き方は如何にも進んだものに見えたのかもしれません。

しかし、今の私がカトリーヌから感ずるのは、やり場のない哀しみばかりです。
半ば無理心中のように、ジムを助手席に載せた車を走らせて壊れた橋から落下し自殺するカトリーヌ。しかも夫ジュールの目の前で。
ジュールは、カトリーヌの想いをかなえるために、自分と離婚してジムとの結婚を勧めます。
そのかわり、カトリーヌとジュールとジム、そして、ジュールとカトリーヌとの間の一粒種の娘サビーヌはともに暮らすこと、それが條件だと。
ジュールにとってジムは、やはり掛け替えのない親友であり人生を生きていく上での同志でもあったのでしょう。
大切な妻や友人や娘の幸せを願った彼の想いは、最悪の形で破綻します。
そして、先程の私の感想に戻るのですが、もしかすると、カトリーヌは、そんなジュールとジムとの関係に嫉妬をしていたのではないかということ。
ジュールとジムとの間に流れている友情こそを彼女が欲したとしたのであれば、それは恐らく叶えられることはなかった。
結果として彼女は、ジュールとジム双方の間を行き来しつつ、己のアイデンティティを喪失していったのではないか、と。
「幸福」は、恐らくそれを求めているときに感ずるものなのであり、手に入れたと思った瞬間に、逃げ水のようにその手からこぼれ落ちてしまうものなのかもしれません。

どうも、感傷じみたことを書いてしまいました。

この映画ではいくつかのエピソードがありますが、カトリーヌ役のジャンヌ・モローがセーヌ川に飛び込むシーン、スタント役の女性が直前で怖がって拒絶してしまったため、ジャンヌ・モロー本人が飛び込んだのだそうです。
そのため、ジャンヌ・モローは喉をやられてしまい、二日間熱を出して寝込んだ上、かなり酷い後遺症が残ったとのこと。
また、カトリーヌが歌うシャンソン「つむじ風」は、アルベール役のボリス・バシアクが即興で歌っていたものをトリュフォー監督が採用し、これまたその場でジャンヌ・モローに歌わせたのだそうです。
印象的な歌で、ジャンヌ・モローの歌も素晴らしいのですが、何とこれは当時では珍しかった同時録音で撮ったとのこと。
ジャンヌ・モロー、歌の実力も素晴らしいものがあったのだなと、今更ながらに驚きました。
それにしても、俳優さんとは本当に大変なお仕事ですね。




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のぼうの城(DVD) [映画]

昨日・今日と、久しぶりに気持ちのいい晴天に恵まれています。
一昨日はとんでもない天気になり、名古屋駅の地下構内が浸水して近鉄名古屋線が止まるなどの混乱があって、私の職場でも、名古屋方面から通っている職員が足止めを食いました。
名古屋では、栄の地下街が水浸しになり大混乱となったとのこと。伊勢では竜巻まで発生しました。
地球の生理といいましょうか、天の行動は、やはり我々人間などの思惑をはるかに超えたところにあるのだなという理を、妙に切実感を以て思い知らされたところです。

今朝の出勤途上、中学生と思しき男子生徒が赤信号を無視して自転車で交差点を走り抜ける光景に遭遇しました。
さすがに捨て置けず、「こら、赤信号だろう!!」と大声で一喝すると、「すみません」と頭を下げます。
悪態でもつくのかなと想定していましたので、あまりの素直さに拍子抜けしてしまいましたが、うるさいオヤジにかかわるのはごめんだ、とでも思ったのでしょうね。
現場付近は、同じような学生が大挙して自転車で通学しており、歩道を占拠したり、時折転倒したりと、いつみても危ないなと感じていましたが、その上に信号無視ではやりきれません。
ルール自体がルール化しているようなものも結構ありますが、少なくとも交通ルールは彼我双方の命にまでかかわる約束事。
自分の身を守るという観点からも順守してほしいものですね。
と、小言幸兵衛なみのボヤキでした(^_^;

先週、少し遅れた夏休みを取ったことから、今週はそのツケが回ってきたこともあっていろいろと大忙し。ブログの更新もままなりませんでした。
それでも、横浜の自宅では比較的自由な時間もあり、久しぶりに近所のツタヤからDVDを借りてきて観賞。
出来れば劇場で観たいと思っていて果たせなかった「のぼうの城」を借りてきたのです。
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評判になっていた原作も読んでいましたので、これを映画にするのは大変だろうなと感じておりましたけれども、主人公の成田長親を演ずるのが野村萬斎ということもあり、劇場ででの鑑賞は果たせませんでしたがいつかぜひ観ようと思っていたのです。

予想通り、これは誠に面白い映画でした。

実力派の犬童一心と、特撮を芸術的な高みにまで押し上げた樋口真嗣との両名による監督というところに、まず以てプロデューサーの慧眼がしのばれます。
それから、私は初めて知ったのですが、この「のぼうの城」、もともとシナリオが創作のスタートだったのですね。
つまり、近頃は珍しいオリジナル脚本による映画だったのです。

「七人の侍」「生きる」「用心棒」などの黒澤作品や「浪華悲歌」「祇園の姉妹」などの溝口作品、宮崎駿監督の主要作品等々、オリジナル脚本による名作も数多くありますが、名の通った原作を映画化する方が製作側としてのリスクは断然小さくなります。
従って、如何に「城戸賞」というオリジナル脚本コンクールにおける価値ある賞を受賞した作品とは云えども、プロデューサーとしては二の足を踏むことになるのは致し方ないところでしょう。

そのような事情から、プロデューサーである久保田修さんは、この脚本を書いた和田竜氏に、脚本をもとにした小説化を働きかけたのだそうです。
当時、普通のサラリーマンだった和田竜氏は、この脚本に関して「とても映画化には至らないだろう」と思っていたそうで、久保田プロデューサーの提案を受諾。
当事者たちの案に相違して、この小説「のぼうの城」は着実に売り上げを伸ばし版を重ね、ついには直木賞候補にまで上り詰める大ベストセラーとなったのでした。

ここまできてやっと映画化までこぎつけたのですから、久保田プロデューサーの熱意は正に不撓不屈というべきでしょう。

脚本が城戸賞を受賞したのが2003年。小説の刊行が2007年。そして2011年に春にクランクアップを迎えたのですが、2011年3月、あの東日本大震災が勃発します。
この映画のクライマックスは、忍城攻略のために用いた水攻めであり、樋口監督のもとリアル極まりないシーンが撮影されていました。
生き物のように荒れ狂う水流に飲み込まれる家々、人々、木々。とりわけ、田畑を次々に濁流が呑蝕していくシーンは、あの3.11の日にテレビ画面に展開された、津波が耕地の田畑やビニールハウスを呑み込んでいく凄惨な光景を彷彿とさせられるほどの出来栄えです。
もちろん、この忍城の水攻めは史実であり、このシーン自体も3.11より以前に撮影されたもので、全く関連性などないのですが、製作者側は様々な事情を斟酌して公開延期を決定。
水攻めのシーンも、人々を呑み込む部分などにカットや手直しを加えるなどして、正式な公開は2012年11月2日となりました。
実に一年半に及ぶ「お蔵入り」となったのです。

この映画の性格や方向性など、全てを決定づけるほどの存在であった主役の野村萬斎さんに、出演の打診を行ったのは2005年ということですから、脚本家や監督・製作者側と同様の長期間が費やされていた、ということでしょう。
実際に、この成田長親(のぼう様)を演ずることのできる役者は野村萬斎しかいないだろう、ということを痛感しています。
あの立ち居振る舞いの素晴らしさ。坐る位置を変える何気ない動作からも、ため息のつくほどの美しさを感じます。
さらにあの表情の豊かさ。悦び・悲しみ・怒り・諦め・静寂…。全くなんという役者かとうなってしまいました。
船上での田楽踊りは、正にその結晶ともいうべき見事さ。
揺れる船の上で、全くそれを感じさせない踊りを演じ切る技量は、さすがに当代随一の狂言方和泉流能楽師による至芸と申せましょう。
この野村萬斎による田楽舞を観るだけでも、十分に満足させられる映画ではないかと思います。

そのほかの出演者も素晴らしく、佐藤浩市、山口智充、山田孝之、西村雅彦、平泉成、市村正親、前田吟、などなど演技派の熱演が相次いでいます。
殊に、今年の5月に亡くなった夏八木勲さんが元気いっぱいに僧侶を演じていたのが印象に残りました。

内容には敢えて触れませんが、一見の価値のある力作だと思います。
宜しければ是非ともご覧ください。



ただ、いにしえの正統派時代劇を愛好される方にしてみればかなり違和感があると思います。
史実ともだいぶ異なりますし、言葉遣いもめちゃくちゃ。
この時代に「ですます」調が存在することなどなかったはずで、もう少し脚本も練って欲しかったかな。

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