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フランソワ・トリュフォー監督「突然炎のごとく」 [映画]

台風18号の影響で、間歇的に強風と豪雨が襲ってきています。
明日の昼くらいには上陸の可能性も高く、東海地方は大荒れの天気となりそうです。
予想では、明日の正午までに降る雨の量が600ミリとのことですから、水害の虞も出てきました。
7・8月の猛暑の間は雨も降らず、ダムも干上がる状況でしたが、だからといってこうした短期的な降雨は願い下げです。
三重県では昨年の6月に大きな水害があって、その爪痕が残されたままになっているところありますから、なおのこと心配でなりません。
何とか上陸せずに去っていって欲しいものです。

この週末は、この台風の影響もあり、山登りは控えました。
このところずっと出かけていないので、昨日は登りにいくつもりでしたが、このところ平日もいろいろとあって果たせませんでした。
それでも、家にただいるだけは能もないので、散歩がてら三重県総合文化センターに出かけたところです。
雲が多く蒸し暑い、しかも不安定なお天気でしたが、雨は降りませんでしたから、ちょうどいい運動です。往復で1時間半を切るくらいでしょうか。
この文化センターは立派なホールも備えていて、図書館もあり大変便利な施設ですが、今回のお目当ては3階の「視聴覚ライブラリー」。
ここでは、映画や音楽、各種講座などの映像カルチャーの資料などが無料で鑑賞できます。
しかも多数の個別ブースに分かれているので、映像作品がほかの利用者とバッティングしない限り、ほとんど待ち時間なしに利用可能。
誠にありがたい施設です。

今回、鑑賞したのは、フランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」。
JulesJim.jpg
これは、画商であり自らも絵を描き、同時期の芸術家(ピカソやデュシャンなど)とも深い交流のあったアンリ=ピエール・ロシェの小説「Jules et Jim(ジュールとジム)」をもとに作られた映画です。
ダダイズムの雑誌「Blind Man」を創刊するなど、文芸にも秀でた人でしたが、生涯に残した小説は、このほかに「二人の英国女性と大陸」の二冊だけ。
いずれも、フランソワ・トリュフォーの手によって映画化されており、ロシェ自身の華麗なる(?)女性遍歴を綴った観察日記も同じくトリュフォーによって「恋愛日記」という題名で映画化されました。

私はこの映画を20代の前半に名画座で観ており、大きな衝撃を受けつつも、ジャンヌ・モロー演ずるカトリーヌに生理的な嫌悪感を抱いた記憶があります。
それをまたなぜこの老境に入った身で観ようと思ったのか。実は自分でもよくわかりません。
ただ、以前、この総合文化センターの視聴覚ライブラリーの下見に来たおり、この施設で収納・公開している作品の中からこの題名を見いだし、何となく最初に観るのはこれにしようかな、と思ったのがきっかけのような気がします。

それはともかく、今回、30年ぶりに鑑賞し直して、やはりいろいろと考えさせられました。
一番大きく変わったのは、カトリーヌに対する評価です。
若造だった頃に抱いていた反発や嫌悪感、もちろん多少は残ってはいましたが、50歳も半ばを過ぎてみると、むしろ彼女に対する同情心というか、彼女の心の痛み、埋めきれない心の隙間にもがく姿に、ある種のいたたまれない哀しみの感情を抱いてしまいました。
そうしてみると、彼女の勝手気侭な、ある意味では唾棄すべき行為や行動も、自らの希望や幸福を得ようと必死に追い求めた結果のように思えてしまうのです。
もちろん、その彼女に振り回されるジュールとジムの姿も、何とも痛ましい。
その意味では、何といいましょうか、うまく表現できないのですが、痛切な人生の姿を描いている、ということがいえるのかもしれません。
カトリーヌとジュールとジム、この三人は、結局のところ、誰も心から望んだ幸福を得ることは出来ませんでした。
それでも、ジュールだけは(あくまでも自己完結でしかあり得ないのでしょうが)、彼らを取り巻いていた桎梏から解放されたかもしれない、という意味で救いがあるのかもしれませんが。
妻であるカトリーヌと親友であるジムの遺体を火葬に付したあとの彼のナレーションが、やはり如何にも「痛切」です。

「骨を混ぜてやりたかった。丘から風に乗せて撒いて欲しいという彼女の願いは許されなかった」。

いったい、カトリーヌはどんな「幸福」や「愛」を望んだのでしょうか。
この映画が公開されたおり、カトリーヌの自由奔放な生き方に共感を示す女性が熱狂して支持したそうです。「私こそカトリーヌです」と。
この映画が公開された1962年当時、女性の解放運動は各地で大きなうねりとなっていました。
そうした運動に共感を抱いて行動していた女性たちにとって、男などに翻弄されない生き方は如何にも進んだものに見えたのかもしれません。

しかし、今の私がカトリーヌから感ずるのは、やり場のない哀しみばかりです。
半ば無理心中のように、ジムを助手席に載せた車を走らせて壊れた橋から落下し自殺するカトリーヌ。しかも夫ジュールの目の前で。
ジュールは、カトリーヌの想いをかなえるために、自分と離婚してジムとの結婚を勧めます。
そのかわり、カトリーヌとジュールとジム、そして、ジュールとカトリーヌとの間の一粒種の娘サビーヌはともに暮らすこと、それが條件だと。
ジュールにとってジムは、やはり掛け替えのない親友であり人生を生きていく上での同志でもあったのでしょう。
大切な妻や友人や娘の幸せを願った彼の想いは、最悪の形で破綻します。
そして、先程の私の感想に戻るのですが、もしかすると、カトリーヌは、そんなジュールとジムとの関係に嫉妬をしていたのではないかということ。
ジュールとジムとの間に流れている友情こそを彼女が欲したとしたのであれば、それは恐らく叶えられることはなかった。
結果として彼女は、ジュールとジム双方の間を行き来しつつ、己のアイデンティティを喪失していったのではないか、と。
「幸福」は、恐らくそれを求めているときに感ずるものなのであり、手に入れたと思った瞬間に、逃げ水のようにその手からこぼれ落ちてしまうものなのかもしれません。

どうも、感傷じみたことを書いてしまいました。

この映画ではいくつかのエピソードがありますが、カトリーヌ役のジャンヌ・モローがセーヌ川に飛び込むシーン、スタント役の女性が直前で怖がって拒絶してしまったため、ジャンヌ・モロー本人が飛び込んだのだそうです。
そのため、ジャンヌ・モローは喉をやられてしまい、二日間熱を出して寝込んだ上、かなり酷い後遺症が残ったとのこと。
また、カトリーヌが歌うシャンソン「つむじ風」は、アルベール役のボリス・バシアクが即興で歌っていたものをトリュフォー監督が採用し、これまたその場でジャンヌ・モローに歌わせたのだそうです。
印象的な歌で、ジャンヌ・モローの歌も素晴らしいのですが、何とこれは当時では珍しかった同時録音で撮ったとのこと。
ジャンヌ・モロー、歌の実力も素晴らしいものがあったのだなと、今更ながらに驚きました。
それにしても、俳優さんとは本当に大変なお仕事ですね。




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コメント 2

夏炉冬扇

こんにちは。
台風被害ありませんように。
by 夏炉冬扇 (2013-09-16 16:35) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんにちは。
ご心配頂きありがとうございました。
幸い、私の住居近辺は大丈夫でしたが、県内では残念ながら各地に被害が出ているようです。
by 伊閣蝶 (2013-09-16 17:53) 

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