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赤木圭一郎主演「拳銃無頼帖・電光石火の男」 [映画]

今朝は珍しく霧の朝となりました。
気温も高めで、手袋も要らず、マフラーも途中から外せるような陽気で、蝋梅の花も咲き始めています。
今日は節分。明日は立春ですから、気候もいよいよ春めいてきた、というところでしょうか。
などと油断をしていたら、夕方から雨になりました。
明日はまたまた冬型の気圧配置に逆戻りで、冷え込んでくるそうです。
まだまだ油断は禁物ですね。

土曜日、録り貯めていたビデオの中から、赤木圭一郎主演の「拳銃無頼帖・電光石火の男」という日活アクション映画を観ました。
1960年の作品です。

赤木圭一郎は、小林旭や石原裕次郎などと並ぶ日活アクション活劇のヒーローですが、そのどことなく陰のある姿や立ち居振る舞いが独特の存在感を醸し出していました。
撮影所の中でゴーカートを運転中、ブレーキとアクセルを踏み間違えて時速60kmのスピードで鉄扉に激突し、あたら21歳の若さで夭折。1961年のことです。
その最期の有様から「和製ジェームスディーン」などとも呼ばれています。
実質的なデビュー作である「抜き射ちの竜」から、遺作となった「紅の拳銃」まで、何と一年間の間に13本の映画に出演し、正に風のごとくこの世を去ってしまいました。
ジェームス・ディーンが、「理由なき反抗」「エデンの東」「ジャイアンツ」くらいしか実質的な代表作と呼べる映画がなかったのは大違いですね。
赤木圭一郎が夭折せずに俳優を続けていたら、恐らく石原裕次郎と並ぶ、いやもしかすれば石原裕次郎すらかすんでしまうほどの存在となっていたのかもしれません。
映画自体が大好きで、特にアンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイアモンド」には大きな衝撃を受け繰り返し観た、とのことですから、あの主人公マチェックにも相当のシンパシーを感じていたことでしょう。
彼の陰影を感じさせる演技は、そんな感性から生み出されたものであるのかもしれません。
ただ、俳優業自体をそれほど好んでいたわけではなかったそうですから、もしかすると自身の感性と会社(日活)側の思惑との軋轢から、早々に引退し銀幕を去っていた可能性も低くはないように思われますが。

それはともかく、この映画を観なおした理由は、映画の舞台が四日市であったからです。
この映画が製作された1960年代は、四日市コンビナートの建設・稼働から、のちの「四日市ぜんそく」問題の端緒を開いた時期でした。
この映画でもコンビナートの存在は、それに伴う産業構造の転換と新旧やくざの抗争といったモチーフに繋がっています。
映画の作りは誠にオーソドックスで、その意味では私たちのようなオールドファンにとって安心して観ていられる作品です。
それでも、ワイド画面の特徴を利用した斬新なカットがちりばめられていて、ストーリー展開ともども、非常にわかりやすい活劇になっていました。
赤木圭一郎・浅丘ルリ子・宍戸錠・白木マリ・二谷英明・吉永小百合といった日活若手俳優陣から、菅井一郎・嵯峨善兵・高品格などの重鎮まで惜しげもなく投入し、当時の四日市市街から御在所岳とロープウェイまで描いていて、三重県在住の私としてはやはり嬉しくなります(御在所ロープウェイの頂上駅から見る鎌が岳の雄姿もなかなかなものでした)。
中でも、菅井一郎と嵯峨善兵の演技には唸ってしまいますね。
こうした名優が脇を固めてこそ若手もその実力を如何なく発揮できるのだなと、当たり前のことですが改めて感じ入ったものでした。
音楽を担当した山本直純も結構実験的な試みをしていて、これも楽しめました。

もちろん、当時の日活アクション活劇特有の安直なストーリー展開には、やはり苦笑させられます。
こともあろうに御在所岳の山頂付近で赤木圭一郎と宍戸錠が拳銃による一騎打ちをし、「拳銃の音なんて風船玉の割れる音くらいにしか聞こえない」などとうそぶきつつ、何発も撃ち合うなど、いくらなんでも荒唐無稽に過ぎるだろう、と呆れずにはいられませんでした。

もう一つ、非常に度し難かったのが、登場人物のセリフ回しです。
四日市が舞台だというのに、古くからのやくざの親分からして江戸っ子のべらんめえ口調でしゃべり、誰一人として地元の言葉を使ってはいないのです。
三重県は日本列島における東と西の文化の分水嶺のような位置にあり、例えば「お雑煮に入れる餅は角餅か丸餅か」「カレーの中に入れるのは豚肉か牛肉か」みたいな身近な事例でも、その境目となっていたりします。
方言も同様で、例えば、「だから」という意味の言葉を関西では「せやで」といい名古屋では「だもんで」という場合、三重では「せやもんで」という、といった具合です。
私は長野県の出身であり、これまでの人生の大半を東京と神奈川で過ごしていますので、津に来た当初はこちらの言葉が関西弁のようなニュアンスで聴こえておりましたが、しばらく接しているともっと柔らかで親しみやすい語り口であることがわかりました。話をしているだけで、ホッと心が安らぐような言葉なのです。
それだけに、こちらの地の言葉を無視する態度はどうにも我慢ならないものを感じてしまったのでした。

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hirochiki

今朝はもっと冷え込むと思っていましたが、意外に暖かいのでちょっとほっとしています。
赤木圭一郎さんは、リアルで観たことはないのですが両親からその名前はよく聞いたことがあります。
とても素晴らしい俳優さんだったのですね。
「だもんで」という言葉、私はとても親しみを感じます。
学生時代に三重県出身の友人と仲良くなったのですが、関西弁に近い言い回しがとてもやさしくて女性らしいと感じたことを思い出しました。
by hirochiki (2014-02-04 06:33) 

のら人

おはようございます。
赤木圭一郎さんは名前だけは知っていましたが、あの事故が無ければ裕次郎を超えていたかも知れませんね。
三重弁はほんとうに柔らかい方言で自分は好きです。品もありますね。
by のら人 (2014-02-04 08:07) 

夏炉冬扇

お早うございます。
久方に名前聞きました。
私も若かった時代です。
by 夏炉冬扇 (2014-02-04 08:39) 

tochimochi

懐かしい名前です。トニーが愛称でしたね。
映画は見てませんが江木俊夫とのエピソードも週刊紙で読んだ記憶があります。
by tochimochi (2014-02-04 19:34) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんばんは。
朝のうちは暖かだったのですが、午後から風が強まり、陽が落ちてからは冷たい北風が吹きすさぶお天気になってしまいました。
まだ、春の到来までには少し時間がかかりそうです。
赤城圭一郎、私ももちろんリアルでは知りません。亡くなった時はまだ5歳くらいでしたし。
しかし、残された映画を観ると、やはり素晴らしい俳優だったのだなと感じます。
「だもんで」という言葉、私の同僚にも名古屋出身者が多いので、日常的に聴きますが、とても親しみやすいニュアンスで私も大好きです。
三重の言葉はまた違った柔らかさがあって、とても心地よく耳に響きますね。女性らしく感ずる、というのも頷けるところです。
by 伊閣蝶 (2014-02-04 21:18) 

伊閣蝶

のら人さん、こんばんは。
赤木圭一郎さん、あの事故がなければ、恐らく石原裕次郎を超えていただろうと思われます。
運動能力的には小林旭や宍戸錠に遅れを取っていたようですが、すっと立って拳銃を構えたその姿の美しさは格別のものがあります。
三重弁、私も大好きです。柔らかで温かみがあって、気品を感じさせますね。
by 伊閣蝶 (2014-02-04 21:24) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
夏炉冬扇さんは、同時代的に劇場でご覧になられたのでしょうか。
きっと、映画館の中も独特の熱気に溢れたことと存じます。
by 伊閣蝶 (2014-02-04 21:26) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
ハリウッド俳優のトニー・カーチスに感じが似ていたのでトニーという愛称がついたのだそうですね。
江木俊夫さん、ゴーカートに誘われたのを断って小林旭と食事に行ったあと、あの事故があったと、確か「徹子の部屋」で語っておられたような気がします。
by 伊閣蝶 (2014-02-04 21:30) 

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