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鬼滅の刃 [映画]

三寒四温という、この時期の形容がしっくりくるようなお天気が続きます。
初夏に近いような陽気の時もあれば、冬に逆戻りの冷え込みもあり、年寄りには応えますね。

そんな中、沈丁花の花が咲き、あの爽やかな香りを届けてくれています。
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週刊少年ジャンプで2016年11号から2020年24号まで連載されていた「鬼滅の刃」、昨年の秋に「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」が公開され、日本歴代興行収入第1位を獲得しました。
海外においても公開されて人気を博しているようで、今年の2月にはアメリカのマイアミでも公開されたようです(これはアカデミー賞候補としてノミネートされるための条件満たすためだった模様)。
因みに6月16日にはBlu-rayで発売が予定されています。

記憶があまり定かではないのですが、一昨年の終わり頃に実家に帰省した折、テレビで再放送されていて、その第1話をたまたま観て一気に引き込まれるものを感じました。
アニメ化当初は深夜枠での放送だったのでタイムリーには観ておらず、いつか続編を観たいものだと思っていました。
昨年の10月に、前述した劇場版の宣伝のため、フジテレビで「兄妹の絆」「那田蜘蛛山編」「柱合会議・蝶屋敷編」が立て続けに放送され、少年漫画とは思えぬ深い世界観の一端を垣間見た気がします。

前述した劇場版も観ようと思っていたのですが、折からのCOVID-19感染拡大で尻込みをし、結局、現在も未見です。
しかし、テレビ放映後の展開がどうにも気にかかり、なんと全巻をそろえてしまいました。




コミックで全巻をそろえたのは、20代の頃に横山光輝さんの「三国志」と「水滸伝」そして手塚治虫さんの「火の鳥」くらいです(前・後編を買ったなどというのはそのほかにもいくつかありますが)。
尤も、23巻を全部本でそろえたのでは、それでなくても満杯になっている本箱には到底収まり切れませんので、電子ブックにしてしまいましたが(;^_^A

それはともかくそこまで魅かれた一番大きな要因は、なんといっても作者である吾峠呼世晴さんの世界観のものすごさとストーリーテリングの見事さに尽きます。
吾峠さんは文章(言葉)に非常な思い入れがあるように思われ、設定が大正時代ということもあってか、漢字などにもかなりのこだわりが見て取れます。
それぞれの呼吸の型を示す数字に「壱」「弐」「参」「肆」などのように旧字体(本字)を使っていたり、鬼殺隊隊員の階級には十干(甲から癸)が割りあてられていたりと、なかなかに凝っています。

「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」では、炎柱・煉獄杏寿郎の壮絶なる討ち死にが中心ですが、もちろん、物語としてはそれ以降が本番です。
上弦の鬼との闘いが始まり、炭治郎・善逸・伊之助などの中心的なキャラクターの成長とともに、鬼殺隊当主・産屋敷耀哉の爆死を嚆矢として残る柱たちも大半が討死してしまいます。
上弦の鬼も全て倒し、鬼舞辻無惨も最期を迎えるのですが、知恵と力と技そして「想い」が込められた鬼殺隊による総力戦は、正に息をも継がせぬ展開を繰り広げます。

と、この調子で書いていくと際限もなくなりネタバレ街道まっしぐらとなりそうなのでこのあたりでやめますが、、ご興味をお持ちになられた方はコミックをお読みになるか、粗々の筋だけでも知りたいと思われる向きはネットをググれば大方の情報は得られることでしょう。

その中でも一点だけ触れさせてもらえるのであれば、「永遠」についての彼我の考察です。

鬼の始祖である鬼舞辻無惨が鬼を増やす目的の一つは、己の唯一の弱点である日光を克服するため、日光に耐性を持つ鬼を作り、それを自らの体に取り込むこと。
それを果たすことが叶えば、滅びることのない体を手に入れ最強者として永久に君臨できる、というものです。

自分を殺しに来たそんな無惨の心中を、耀哉は次のように言い当てます。

「君は永遠を夢見ている 不滅を夢見ている」

無惨はそれを宜い、(日光を克服した)竈門禰豆子を手に入れればそれが叶う、と言い放つ。
それに対して耀哉は、

「君は思い違いをしている」
「永遠というのは人の想いだ 人の想いこそが永遠であり不滅なんだよ」

といい、さらに続けて、無惨を次のように断じます。

「この 人の想いとつながりが 君には理解できないだろうね 無惨」
「なぜなら君は 君たちは 君が死ねば全ての鬼が滅ぶんだろう?」

無惨は、千年以上生きてきた己の存在のみを不滅のものとすることが「永遠」であると考え、耀哉は、人の想いが想いを同じくする人を介しながら連綿と続いていくことこそ「永遠」であり「不滅」であると考える。

このブログの記事の中でも何度か触れてきましたが、この世の中に存在するものである限り時間の支配下に置かれ、必ず滅んでいくこと。
つまり、「永遠」と「存在」は二律背反、存在した瞬間に永遠ではなくなるのです。
どのようなものでも、この世に存在する限り時間の支配からは逃れられない。

しかし、その時間に屹立するものもあります。

芸術などはその典型でしょう。
それを生み出した作者は死んでも、残された文章や絵画や音楽などは、それを後世に伝える多くの「想いを同じうする人々」によって連綿と伝えられていき、その内容によっては、この世にそうした人が存在する限り永久に伝えられ続けるのではないでしょうか。

「永遠」というものは一個人の矮小な存在を以て成し遂げられるものでは断じてない、耀哉はそうした理の中で「永遠」という人の願いと望みを繋げていくことこそが、今を生きる人間に与えられた道であると言おうとしているかのようです。
そして無惨も、最期になってその耀哉の言葉を受け入れざるを得なくなる(かなり捻じ曲げられてですが)。

「儂の利益のために身を犠牲にする者がいるのは当然だ」「儂にはそれだけの価値があるのだ」と考える人間は確かに一定程度存在したりします。
無惨は、そういう連中の象徴として具現化されたもの、ともいえましょうか。
しかし、そういう連中でも、人間である限り寿命などによって死が訪れ肉体は滅んでいく。それゆえにそうした己の行いの報いを現世で受けずに済む者もいることでしょう。
無惨は、千年以上にわたり、そうした理に冷笑を浴びせつつ殺戮を繰り返した。
そして最後にその報いを受けることになるのです。

この作品には様々な伏線が張られていますが、それらのほとんどすべてが最終的に回収されます。
作者である吾峠さんの構成力は見事なもので、驚嘆しました。
というのも、小説や劇作においても張り巡らされた伏線が放置されたままになっている例をしばしば見かけるからであり、そこに作者の誠実さを見出すからです。

それらの中で一番重要なものは、竈門兄妹が、この非常に困難で先の見通せない戦いに赴くことになるいきさつでしょう。
炭治郎が一人で里に炭を売りに行っている間、自宅に残っていた母を含めて家族を鬼に殺され、唯一生き残った禰豆子は、無惨によって鬼にされてしまいます。
炭治郎は、禰豆子を人間に戻すため、その道程として鬼殺隊に入り鬼と戦う道を選び突き進む。
炭治郎の家に代々継承されている日輪の耳飾り、これは400年ほど前に無惨をあと一歩のところまで追いつめた継国縁壱(日の呼吸の使い手)から託されたものでした。
鬼にされた禰豆子でしたが、人を喰うことはなく、炭治郎たちととともに鬼と戦い、やがて日光を克服します。

この二人に深くかかわる育手の鱗滝左近次は、鬼との最終決戦の中で次のように独白します。

「この長い戦いが今夜終わるかもしれない まさかそこに自分が生きて立ちあおうとは」
「炭治郎 思えばお前が鬼になった妹を連れてきた時から 何か大きな歯車が回り始めたような気がする」
「今までの戦いで築造されたものが巨大な装置だとしたならば お前と禰豆子という二つの小さな歯車が嵌ったことにより 停滞していた状況が一気に動き出した」

炭治郎と禰豆子が加わっていなかったとしたら、無惨との戦いは終わりのない絶望的な消耗戦を延々と続けることとなり、産屋敷家の呪いが解けることはなく多くの人たちが鬼の犠牲となったものと思われます。
そして、家族が無惨に襲われた晩に、炭治郎は三郎じいさんに引き留められて難を逃れるわけで、その意味では三郎じいさんも、「この長い戦い」を終わらせるための大きな役割を果たしたともいえます。
炭治郎と禰豆子たちが、凄絶な鬼との戦いを終えた後に自宅に帰った折、三郎じいさんとの邂逅を果たして、この大きな伏線は感動的に回収されました。

さて、この物語の一番のキーワードは、なんといっても「鬼」でしょう。
それも、いわゆる「人喰い鬼」。

鬼はもともと「隠(おぬ)」が語源とされ、得体の知れないものを指す、というのが、どうやら定説です。天変地異や火事、それから疫病などもこの範疇でした(因みに、鬼殺隊の中で、救護や輜重などの後方を担当する部隊を「隠(カクシ)」と呼んでいますが、おそらくはこれを語源としたのでしょう)。
「鬼」という字は、器と同じ系列で、魂の入れ物という用いられ方がなされたようです。

鬼は、今昔物語や宇治拾遺物語にも登場してきますが、最も顕著なのは能における表現ではないかと思います。
「鉄輪」「葵上」「黒塚」「紅葉狩」「道成寺」などなど、鬼が登場する能はそれこそ枚挙のいとまがないくらいです。
登場する鬼のほとんどは、嫉妬・恨み・懊悩・怒りなどに身を焦がし異形のものとなって人を襲います。
「黒塚」は人喰い鬼の典型的な例ではありますが、これも奉公先の姫君を助けるために、その妙薬といわれた胎児の肝を得ようと、安達ケ原で出会った妊婦を我が娘とは知らずその腹を裂き胎児の肝を抜き取るという悲惨な蛮行のもとに気が狂いそのような仕儀となったわけですから、最初から人喰い鬼であったわけではありません。
しかし、いずれにしても、鬼が今日のような形態となったのは能によるものが大きいと思われます。

鬼滅の刃の舞台は大正時代であり、鬼の始祖は千年以上生きているとされています。
平安時代がその始まり(無惨の誕生)と設定されているのは、六条御息所を嚆矢と考えたからでしょうか。

「人喰い」という意味でいけば、人が人を食うこと自体、もちろん古くからあったこと。
動物には「共食い」があったりするわけですから、人間も動物の一種と考えれば別に珍しくもありません。
事実、天明や天保の飢饉の頃には、殺して塩漬けにした人肉を備蓄する甕が農村部のそこかしこにあったといいます。
太平洋戦争中も、南方戦線などで飢餓に苦しみ人肉を食った話が、「野火」を始め小説などにも描かれています。「軍旗はためく下に」や「ゆきゆきて神軍」という映画もありました。
また、大正時代はもちろん、昭和初期でも、自分の子供を売ったりすることはありましたし、世界に目を向ければ、いまだにそういう行為はそこかしこで散見されます。
日本においても、昭和のころまでは、子供は親の所有物という認識が一般的だったように感じます。

鬼は、結局のところ人間そのものではないのか。
鬼滅の刃を読んでいて、そういうところにまで想いが至ってしまいました。
私のような老人でも夢中になって読んでしまう要因の一つには、そうした背景や世界観も存在するからなのかなと思います。

ところで、アニメの方では、私は次の歌に大変感動しました。


竈門炭治郎のうた
https://www.youtube.com/watch?v=KRKkULldM1w

作詞はこのアニメの制作元である ufotableで、このアニメ制作会社がどれほどこの作品にラポールしているかを如実に示していると思います。
近々、「吉原遊郭編」も放映されるとのこと。
大変楽しみですね。

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映画「地の群れ」 [映画]

寒い日が続いています。
日本海側では大荒れのお天気が続き、信越線の立ち往生などという異常事態まで発生しました。
昨年のお天気も荒れていましたし、異常気象がいよいよ本格化か、という不安にも駆られます。

昨年、自宅近くに連続して落雷があり、そのうちの一つが変電施設に落ちたようで、自宅のブレーカーが飛びました。
その影響で、S-VHSビデオデッキの電源が入らなくなり、ヒューズを取り替えたり、電源回りを調べたりしたのですが、復活せず。
四半世紀以上使ってきて、さすがにところどころで不具合が発生していたので、寿命がきていたところに落雷が止めをさしたのでしょう。
テープをDVDに変換しようと考え保持していたのですが、DVDレコーダーの調子も悪く、まあ、そのうち対応するか、と高を括ってサボっていたツケが回ってきたわけです。

DVDの方は当面買い替えに困ることもないと思われますが、さすがにS-VHSの方は手を打っておかないと、まだバックアップも完了していないプライベートビデオなどが全く再生不能となるわけですから、さすがに放置しておくわけにもいかず、ヤフーオークションを利用して年末に調達を終えました。
2万円弱で購入できたのですが、状態も非常によく、しかもクリーニングも済ませてあり、大変良心的な出品者に当たって本当に助かったところです。
このところメルカリなどに押され気味という話ですが、ヤフーかんたん決済など利便性もかなり向上しており、まだまだ現役ですね。

その動作確認で、いくつかのビデオを再生した中に、熊井啓監督の「地の群れ」がありました。


1970年の公開作品で、私が劇場で観たのは1980年頃の、もちろん再上映においてです。
その前作が「黒部の太陽」で、熊井監督は五社協定など映画界の固陋な因習と闘うなど大変なご労苦の末に完成させたものの、やはり関電や間組などの大企業PR映画となってしまったことに、作家として忸怩たる思いがあったのでしょう、ATGの枠組みの中で、ご自身の表現したい作品を粘り切って撮った、という映画です。
映画館で観た時には、衝撃のあまりしばらく立ち上がれませんでした。
今の腑抜けのような映画界とは違って、当時はまだまだ映画の表現力には高い思想性や芸術性が残っていたのですが、それでも「よくもこのような映画が撮れたものだ」と感心したものです。
それは、在日朝鮮人・被差別部落・被爆者に対する差別に、原爆と米軍基地問題を覆いかぶせた、極めて重苦しいテーマを扱っていたのですから。

ATGの作品も、当時のTOHOビデオでかなりの数がビデオ化されましたが、当然のようにこの作品がその枠組みの中でビデオ化されることはなく、長らくの間、幻の作品と化していました。

2000年頃だったと思いますが、パステルビデオがこの作品のVHSビデオを販売しました。
私は驚くと同時に即座に買い求めたのでした。

その後10数年を経て、2015年に、なんとDVDが発売されました。
それまでは、パステルビデオのVHSテープが希少価値ゆえの高値で取引されたりしていたようですから、正に隔世の感があります。

この映画、冒頭シーンの衝撃度合いがかなり異常なもので、観る人によっては、もうこの部分で先に進めなくなるかもしれません。
狭いケージの中に押し込められた鶏とネズミ。最初は鶏がネズミをつつきまわしますが、そのうちに鶏を無数のネズミがよってたかって食い殺す。
のちにそれらがガソリンによって一瞬のうちに丸焼きにされる。
云うまでもなくこれは、弱い者同士がひしめきお互いに傷つけあっていた当時の日本の民衆の上に落とされた無差別殺戮手段としての原爆の暗喩なのでしょう。

DVDが発売され、場所によってはレンタルもされていることもありますから、例によって映画の内容についての詳述は避けさせて頂きます。
ご興味のある方は、是非ともご覧ください。

この映画を観て思い起こすのは、被差別部落問題をめぐる活動を当時京都で展開していた先輩の言葉です。

「穢多は非人を蔑み、非人は穢多を嘲る」

双方とも士農工商という身分制度の枠組みの下に位置するとされていましたが、穢多が皮革関連といった仕事などに従事する人たちの呼称であったのに対し、非人は無宿人や犯罪を犯すなどして非人手下となった人などが含まれていましたから、穢多からすれば非人は「悪事を働いて最下層にまで落とされた正に人でなし」であり、非人からすれば「自分たちには元の身分(士農工商のいずれか)があり、善功を積めばそこに戻ることもできるが穢多はその位置から這い上がることはできない」と考えていたのだろうとのことでした。
つまり、当時の支配階級は、身分制度の最下層に位置するこの二つの階層間で反目させることによって、身分制度の根本的な問題(隷属・差別や人権蹂躙)に目を向けることを防ごうとしたのでしょう。
そして、さらに悲しいことは、その差別の対象となっている人々がその支配階級の思惑にまんまとのっかってしまっていたということ。
というよりも、現実に差別を受けている人々は、他者を差別をすることによってしか己の魂の窮状から逃れることができない、と考えていること。そこに絶望的な深淵があるのかもしれません。

井上光晴の原作でそして氏が脚本にも参加したこの映画は、正にその重層的で螺旋構造になっている差別の根幹に触れるものでした。
先にも触れましたように、在日朝鮮人・被差別部落民・被爆者に対する差別(相互のものも含む)の構造が、この映画の深部に横たわっています。

そして原爆。

爆心地に近かった浦上天主堂のマリア像などの石像が、強烈な熱線と衝撃波によって焼け焦げ破壊されました。
石像であるのにもかかわらず、その焼け焦げなどの悲惨さは極めて生々しく、物言わぬ石像の「恨み」が沸き起こってくるかのようです。
当局は、こうした原爆の痕跡がいつまでも残っている限り人々の心から恨みが消えないとして、目障りだからと整備・撤去を図ろうとしますが、そこにかぶせられるナレーション、「目障りなのは原爆を落とした米軍であり、そのアメリカを恨むことがなぜ悪いのか」には、ハッと胸を突かれます。
非常に根源的なこうした問いかけを糊塗して、被害者たる被爆者を差別し、差別された被爆者が部落民や在日朝鮮人を差別するという構造。
それによって引き起こされる惨劇と、絶望的なラスト。
それらが恐るべき重さを以て迫ってくるのです。

この映画の中で取り上げられているテーマは極めて今日的です。

〇〇ファースト、ヘイトクライム、ヘイトスピーチ、移民の排除、生活保護受給者など社会的弱者に対する誹謗・中傷といったことどもは、畢竟、苦しい生活を余儀なくされている人々が己のアイデンティティや生業の価値の崩壊を防ごうとして、それを脅かすかもしれない「下層(と彼らが感ずる)」の人々に牙を剥いて襲いかかる、ということなのかもしれませんし。

このような時代であるからこそ、こうした作品を改めて見直す価値があるのではないか。
私はしみじみとそう感じました。

さて、熊井啓監督作品の多くで音楽を担当してきた松村禎三さん。
この映画において、両者は初めてタッグを組みます。
のちに「忍ぶ川」や「愛する」などにみられるようなリリシズムに溢れた美しい音楽ではなく、衝撃的な画像と切り結ぶかのようなシャープで底知れぬ深さを持った音響表現でした。

映画では、原作者の井上光晴氏が書き下した手毬唄が増田睦実さんによって歌われます。
四月長崎花の町。
八月長崎灰の町。
十月カラスが死にまする。
正月障子が破れはて、
三月淋しい母の墓。

これは、いうまでもなく長崎の原爆投下をモチーフにしたもの。
要所でこの手毬唄がアカペラで歌われ、打楽器を中心とした不気味で乾いた音楽が響きます。
黒部の太陽」の折にも触れましたが、熊井啓監督は音楽・音響に相当なこだわりを持っておられます。
この、かなり実験的な映画音楽は素晴らしい存在感を以て迫りくるもので、松村さんがこの音楽によって毎日映画コンクールの音楽賞を受賞されたのも、正に宜なるかな、というところでしょう。

松村さんの交響曲やピアノ協奏曲を聴いている感覚で、彼の映画音楽の表現に接すると、そのアプローチに大きな乖離があることを感じずにはいられません。
そのことについて松村さんは次のように語っておられました。
私は純粋に抽象的な作品を書くときは、その語法、様式に対して大変神経質だと自分で思っています。逆に映画音楽では自由に自らを解放して、必要であったり、興味を持った場合はどんなスタイルの曲でも積極的に書こうとしてきましたし、そのことを楽しんでもきました。

うむ、なるほどなと納得です。
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歌舞伎「通し狂言・霊験亀山鉾」を観てきました [映画]

爽やかな秋晴れがやっときた、と思ったら、またまた雨と、お天気はめまぐるしく変わります。
気温差も激しいので、なかなか体がついていかずに困りますね。
皆様も風邪などには十分ご注意ください。

先日、久しぶりに国立劇場で歌舞伎を鑑賞しました。

舞台で歌舞伎を鑑賞するのは、もう何年振りなんだろうかと、ちょっと感慨にふけっています。

演目は鶴屋南北の「通し狂言・霊験亀山鉾」。
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主役の藤田水右衛門を15代目片岡仁左衛門が演じています

仇討ち物には珍しく返討ちの面白さに本筋があり、さすがは南北、一筋縄ではいかない奇想天外な仕掛けの数々に、それこそ舞台から目が離せません。

この物語、仮名手本忠臣蔵などと同じく史実があります。

亀山の仇討ち

忠臣蔵に影響を及ぼしたといわれるもので、本会を遂げるまでには実に29年の歳月が費やされました。
闇討ちや返り討ちなどの要素は本作にも絶妙に取り入れられ、かつ、史実における仇「赤堀源五右衛門」の名は、本作の大詰め「勢州亀山祭敵討の場」における藤田水右衛門の変名として用いられるなど、随所に様々な工夫がなされています。

なんといっても敵役である藤田水右衛門の極悪ぶりがものすごく、またこれが最大の魅力で、よくもまあここまでやるわい、という呆れた所業に唸らされました。

この演目を歌舞伎の舞台で見るのはもちろん初めてのこと。

歌舞伎には「白浪物」などといった、いわゆる盗賊や悪人を主役とするお話が数多くありますが、ここまで徹底的に悪の所業を描いたものはそれほど多くないのではないかと思います。

藤田水右衛門は、闇討ちにした石井右内の弟である兵介に、果し合いの折の水杯に毒を盛って(これには敵討検使の掛塚官兵衛が加担)斃し、養子である源之丞は偽手紙でおびき出したうえ落とし穴を掘ってそこに落とし、その穴を掘った連中と一緒になって膾切りにして惨殺、その源之丞の子供を腹に宿した芸者おつまの命も腹の子ともども奪う、という極悪非道ぶりです。

その水右衛門を、殊の外所作の美しい颯爽とした仁左衛門が演ずるのですから、私などはそのギャップにちょっと驚きました。
しかし、演ずる仁左衛門の表情は、悪の限りを尽くす水右衛門の陰惨な悪の気配を漲らせて間然とするところがありません。
主役・水右衛門に対してはなんら共感するところはありませんけれども、仁左衛門の迫力には圧倒されましたね。
兵介や源之丞に止めを刺すとき、あおむけに倒れている彼らをまたいで心臓あたりに刀を突きさして凄絶な笑いを浮かべる、おつまと腹の子を殺した後、これまでに何人殺したかと指折り数えて悦に入る、その姿と表情の酷薄さには心底から怒りを覚えますが、その徹底した冷血漢ぶりにある種のカタルシスを覚える向きがあることも、なんだか納得できてしまいます。

他では、源之丞の母親・貞林尼を演じた片岡秀太郎と源之丞役の中村錦之助が印象に残りました。

丹波屋と焼場での仁左衛門と八郎兵衛の早変わり、焼場でおつまを殺すシーンの雨を降らせる演出なども大変見ごたえがありました。

ところで、最後に本会を遂げる源次郎(源之丞の息子)は幼少期からの足萎えで、これを治すためには人の肝の血液を飲む必要があるという設定があります。
先日鑑賞した「生写朝顔話」にも、深雪の目を開かせるために身内の血液が必要、という描写がありました。
人間の生血で病を治すという設定が、古典芸能にはかなりあるようですが、実際にこうしたことが行われていた可能性もありますね。
肉食をあまりせず、生野菜もそれほど食べなかった時代のこと。
恐らく、脚気などビタミン不足を原因とする体の不調や疾病が日常的にあったのでしょう。
その意味からすれば、血液はビタミンやミネラルの宝庫のようなものですから、あり得る話かもしれません。
性病・B型肝炎・後天性免疫不全症候群そのほか、血液から粘膜などを媒介して罹患する深刻な感染症が明らかとなっている現代ではとても考えられないことですが。

さて、物語の大詰「勢州亀山祭敵討の場」。
これまで様々な汚い策略を弄して討手を返り討ちにしてきた水右衛門(「赤堀源五右衛門」と変名)は、勢州亀山家の重心大岸頼母の計略に引っかかり、討手である源之丞の妻お松と一子源次郎の手にかかってあえなく討死。
ここにめでたく本会が遂げられましたが、この最後のどんでん返しの見事さは、それまでの水右衛門による卑怯・陰惨な悪事あるが故の爽快感ともいえましょうか。

今回の観劇。終演後にバックステージ・ツアーが設けられていました。

初めての経験でしたが、花道を通って回転舞台に上がり、その回転するさまを経験しました。
これは非常に大掛かりなもので、客席から袖や背景まで回りながら眺める景色は感動的です。
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これは、水右衛門がおつまを殺した時の雨をしみこませた布で、こうして干しておくと一晩で乾くのだそうです。下にバケツや盥があってなんだか雨漏りのときの風景のようですね。
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舞台では、次の出し物のための背景づくりが佳境を迎えていました。
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これは、花道の下にある「すっぽん」です。
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花道は、通常、役者が舞台に登場する際の通り道で、ここで六方を踏んだり見えを切ったりしますが、幽霊や妖怪だとか動物の精といったものは、このすっぽんからせり上がります。
舞台のセリは非常に大掛かりなものですが、その小型版といったところでしょうか。

「バックステージ・ツアー」という粋なおまけもついたので、連れ合いも大満足の様子。
因みにどの役者が良かったか、と訊ねたら、「源次郎を演じた子役」とのこと。
これには苦笑するとともに、確かにあの年齢できちんとした立ち回りまでこなした芸は大したものと、私もつい頷いてしまったところです。

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市川雷蔵の「眠狂四郎・無頼剣」 [映画]

日中はまだかなり気温も高いのですが、朝晩はだいぶ涼しくなり、金木犀の香りも漂ってきています。
お彼岸も過ぎて、いよいよ季節は本格的な秋を迎えるのでしょう。

先日、市川雷蔵の「眠狂四郎・無頼剣」を何となく観たくなってしまい、確か撮りためていたDVDがあったはず、と探してみたら、かなり以前にNHKBS2で放送したものを録画してありました。


この映画、雷蔵の眠狂四郎シリーズの中ではかなり異色で、脚本が、このシリーズの常連でもあった星川清司ではなく、何と日本映画界の大巨匠ともいうべき伊藤大輔なのであります。
脚本家というよりも、戦前では「忠治旅日記」「大岡政談」「斬人斬馬剣」「一殺多生剣」「鞍馬天狗」「宮本武蔵」などを撮り、戦後は「王将」「反逆児」「素浪人罷通る」などをものにした、時代劇を語るにおいては閑却することを許されない大監督でした。

戦前より、筋金入りの傾向映画を撮ってきた方ですから、この「眠狂四郎・無頼剣」においても、その想いは色濃く反映されています。

まず、題材の背景に「大塩平八郎の乱」を持ってきているところ。
大塩平八郎による武力蜂起は結果として無残な失敗に終わり、貧苦にあえぐ庶民を救うべく立ち上がったのにもかかわらず、乱によって引き起こされた大火で却ってその庶民に大きな被害を与えてしまいました。
しかし、その意思そのものは広く喧伝され、大塩平八郎の残党やその意を酌んだ活動を生み出し、やがては倒幕につながっていくわけです。

この映画では、その大塩平八郎の養子であった格之助が、越後で採れる原油からペトローレ油を精製する方法を研究していたという話を織り込み、その研究成果を策を弄して盗み出した商人どもと、それに憤る大塩残党、そして格之助を慕うがゆえにその悪徳商人に恨みを持つ軽業師の勝美を配置、そこに狂四郎を絡ませるといった構造になっています。
さらに、大塩平八郎を嵌めた大阪東町奉行の跡部良弼の兄であり庶民困窮の原因でもある水野忠邦を襲撃する企てまで取り込む流れになっていて、90分にも満たない尺であるのにもかかわらず内容はかなり濃密です。

白眉は何と云っても、敵役である大塩残党の頭目「愛染」を天知茂が演じていること。
しかも、愛染も円月殺法を使い、この両者がクライマックスに屋根瓦の上で立ち会う。
二人の円月殺法が重なるシーンの美しさは息をのむばかりでした。
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市川雷蔵の黒、天知茂の白。そして江戸の町を焼く紅蓮の炎。
撮影・美術、そして三隅監督の美学が怪しく花開いておりました。

この映画では、様々なところに細工が施されていて、それを解析しながら観るのも興味深いところ。
中でも、軽業師の一味が姿を消したため、それを探索しようとする狂四郎と小鉄の、長屋に残されたメッセージを解く下りは秀逸でした。

盗人の小鉄が逆立ちをして長屋の天井に目をやると、そこには「裏見」という文字が逆さまに書かれています。
つまり、「うらみ」の逆さで「みうら」となりますね。
そして、行燈に書かれた半乾きの文字は、「恋」と「しくば」。

「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」

「葛の葉」は、信太妻と呼ばれた白狐のことで、稲荷大明神の第一の信徒です。
安倍晴明の母とされる信太妻が夫である安倍保名に残したという、これは有名な書置きですね。

この謎解きは、稲荷と和泉橋近くの三浦屋を指している、ということになり、それと察した狂四郎が勝美ら軽業師たちを救い出すために現場に向かうわけです。

広く人口に膾炙されたお話だという認識からか映画の中ではあまり詳しく解説されていませんが、こうした豆知識が必要になるというのも、ある意味乙なものですね。

さて、この映画における眠狂四郎は、それまで醸し出してきたニヒルさを少し内に含ませ、少々人間臭い描き方になっています。

ちょっと驚いたのは、狂四郎が釣りをしている傍らを愛染率いる大塩残党が通りかかる場面で、狂四郎は誤って釣り針をそのうちの一人の髻に引っかけてしまうのですが、激高する相手に対して「ひらにひらにご容赦を」と土下座をして謝るのです。
狂四郎が土下座をして謝るなどというのは、それまで記憶にないシーンでした。

それから、軽業師の勝美(藤村志保が好演)が悪徳商人の用心棒に襲われそうになったとき、それに立ち向かう狂四郎が次のような啖呵を切ります。

「俺はな、産みの母親は顔さえ知らんが、女の腹から生まれてきたに相違ないのだ。お袋様と同じ女性(にょしょう)に理不尽を働く輩は、理非曲直を問わんぞ」

このあと円月殺法を振るい用心棒らをばっさばっさと切り倒すのですが、なんだか狂四郎らしくないセリフだなと思ってしまいました。

さらに、愛染が、師である大塩平八郎の無念を晴らすために老中の水野忠邦を討ち、悪徳商人らを焼打ちにするとともに、江戸の町を焼きつくすと宣言した時、狂四郎は「それは許さぬ。幕府の政道に対する恨みを、無辜の庶民の犠牲でもって晴らそうなどと、そうした非道は断じて許さん」と応ずる。
また、屋根の上での決闘の際も「城も焼け。大名屋敷、問屋、札差、焼きたくば焼け。ただ罪科もなく、焼きたてられて住むに家なく、食うに明日のたつきも絶えた八十万庶民を何とするのだ。主義が、主張が、どうであろうと、この暴挙は愛染、許されんぞ」と叫ぶ。
ここにおける狂四郎の姿は、正に伊藤大輔の思い描くヒーローの姿なのではないか。
こんなに熱い狂四郎は、他の回ではあまりみられなかったような気がします。

大塩平八郎に如何に大義があろうとも、その恨みを晴らすために無辜の庶民を巻き添えにするのはテロリズムです。
愛染は、己に大塩中斎(平八郎)譲りの大義があると考えていたのかもしれませんが、取ろうとした手段はテロリストのそれでした。
狂四郎は、見方によっては幕府を守る側についたようにも見えますが、劇中、それを明確に否定している下りがあることに鑑み、あくまでも庶民の側に立って愛染のテロリズムを食い止めようと考えたのでしょう。

この映画では、敵役の天知茂が入魂の演技を見せていることもあり、雷蔵をして「どちらが主役かわからない」と言わしめ、原作者の柴田練三郎は試写を観て、「これは眠狂四郎ではない」と語ったそうです。

天知茂の存在感はそれほど素晴らしいものがありましたが、もちろんそれは雷蔵の比ではありません。
ラスト、江戸の町を焼く炎を眺めながら、それを止められなかった痛恨と虚無感の入り混じった眠狂四郎の顔が赤く染まっていくシーン。
これは正に息をのむばかりの美しさでしたから。
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音楽は伊福部昭。
これは絶品です。
京琴のような撥弦楽器の紡ぎだす繊細なリリシズムが全編を覆い、実にツボをおさえた表現となっていました。
映画音楽にも数々の名作を残した伊福部氏ですが、その中でも一二を争う出来栄えと、個人的には思います。

この作品はレンタルもされているようです。
ご興味のある向きはぜひともご覧ください。

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アニメ「君の名は。」 [映画]

8月ももう下旬となりますが、相変わらず雨ばかりのお天気です。
若い頃は、「どうせ濡れるのは同じ」とかいっちゃって沢に出かけたりしたものですが、もうそういう覇気はかなり減退しています。

そんな中、連れ合いが、昨年話題になったアニメ「君の名は。」のビデオを借りてこないか、と提案。
私個人としても少し気にはなっていたので、良い機会でもあるし、それでは、ということで近所のツタヤで借りてきました。



一見した感想。

とにかく予想以上の美しさです。驚愕しました。

今のアニメーションは、セル画ではなくデジタル画像によるモーションコントロールが主流とは聞いてはいましたが、余りに自然な画面の動きで、これは本当にアニメーションなのかと疑ったくらいです。
洋画に良くあるモーションキャプチャーではなく、明らかに日本独特のアニメーションの世界なのですが、それでいてこの完成度!
この、「アニメーションである」というところが、やはり嬉しくなりました。

肝心のストーリーは、緻密なアニメーションと若さ溢れる恋愛や友情シーンを追うことばかりに気を取られ、結末に至るまでの展開が今ひとつしっくりこなかったというのが、初めの感想です。
もう一つ、画面の随所に挿入されたRADWIMPSの音楽(歌)がどうにも耳障りで、正直にいって我慢がならなかった。
画面の流れは実に映画的なのに、どうしてこんな無神経な音楽の使い方をするのか!と腹立たしい想いに駆られた、というのが本音です。

ということで、当然のごとくもう一度鑑賞。

瀧と三葉との入れ替わりという形を採ったタイムスリップの使い方が、実はかなり綿密な構想によって作られていることがわかりました。
ネタバレになるので細かなところを書くのは控えますが、瀧と三葉が入れ替わる時点で設定される三年間というギャップが、非常に視覚的かつわかりやすく描かれています。

タイムスリップを題材にした映画や小説などの創作は、それこそ数多く存在しますが、所詮は空想の産物としていい加減に扱われる場合がかなり多いようにも思われます。
時間というものが、何故に過去から未来にしか流れないのか。
そのことを解明した人を私は寡聞にして知りませんが、創作物におけるタイムスリップの扱いのほとんどが過去に遡っているのは、その根本的な時間の流れを想像力によって覆したい、と考えたため、ともいえるのではないでしょうか。
過去というものは取り返しのつかないものであることを分かりつつも、もしもできることならば過去に戻ってやり直したい、という欲求を持つ人はきっとかなりの数に上っていると思います。
その反面、未来については、「できれば知りたくはない」と考えるのではないでしょうか。
少なくとも私はそうで、ドラえもんの中でのび太君が自分の未来の姿に関してあまり積極的に知りたがらない(肯定したくない、できれば抗いたい)という描写も宜なるかなと思うのです。
未来は放っておいても到来するものであり、そんなものを現時点で知ってしまったら、それこそ未知の中にあるからこそ持つことの出来る希望を失うことになるような気がしますがどうでしょう(もちろん、「より良き未来」を作るために努力をする、という前向きに未来を考える、という視点を持つということはこれとは別次元のものですが)。

どうも話がかなりズレてしまいました。妄言多謝。

とにかく、創作物でタイムスリップを扱う場合、それに接している人に、その現象をどれだけ信憑性のあるものとして届けられるか、その辺がコアとなるのではないか。
この「君の名は。」においては、それを瀧と三葉との入れ替わりという形で表現しています。
その間の三年のギャップについても、例えば三葉が瀧に逢おうと決心して東京にやってきた時、当の瀧は中学生(三年前なので)で、当然のことながら三葉のことなど知る由もない。
それを、二人の身長がほとんど変わらないという形と制服と単語帳(瀧は高校入試を控えていたのでしょう)というところで表現し、絶望した三葉が髪の毛を結んでいた紐を瀧に手渡すことで印を残す、などというシーン。
ティアマト彗星の配置と扱い(因に「ティアマト」は上半身が女性で下半身が蛇である古代エジプトの神)、月の描き方(三日月、満月、半月)。
そして、映画の中では「かたわれ時」といわれる黄昏時の描き方。
黄昏は、泉鏡花の夜叉ケ池の中でも触れられていますが、落日の残照と行燈の灯りなどが重なるときすなわち「ふたあかり」の中で怪異は起きる、と定義された時間です。
恐らく、新海監督はそのことを念頭においてこういうシチュエーションの中での展開を考えたのでしょう。
口噛み酒とかたわれ時が、瀧と三葉の、本来ならば逢えるはずもない出逢いを可能にし、しかも、それはかたわれ時の終焉とともに失われる。お互いの記憶の中からも。

こうしたオーソドックスなタイムスリップの描き方の上に、主人公たちを取り巻く友人たちとの篤い友情を絡ませ、一つのスペクタクルを形作る。
実にうまい作り方だなと感心しました。
二人の入れ替わりが「眠り」という行為によって生ずることも、よく考えられた設定だと思います。
創作物で描かれるタイムスリップは、現在の自分が存在する世界の時間軸とは違う世界(パラレル・ワールド)に移ることによってパラドックスを回避するという手法がとられます。
この映画では、入れ替わっている間をお互いが実体験であるという認識の元に行動することによって上手に表現しているようにも思われます。
個人的なことですが、私は、かなりしばしばみる夢の情景を、自分にとって相当にリアルで連続性のあるものとして感得しています。
その夢の中に現れる情景、家であったり道路であったり職場であったり、それらは連続する同じ夢の中では完全に一致している。
もしかすると、今、現に生きていると思っている世界が夢であり、夢であると思っている世界が実態なのかもしれない、と感じたりもするのです。
もしかすれば、自分を取り巻く世界の様々な事象は、自分の頭の中に展開された仮想空間なのかもしれない、それゆえにそれは一つの宇宙なのかもしれない、などと考えたりしました。

そういう不思議な感覚を、この映画は想起させてくれます。
その意味では、ビデオをレンタルして、何度か繰り返し観ることが、ある意味必要なのかもしれません。
この映画が公開されているときに、何度も映画館に足を運んだ人がいたということを聞きましたが、それについては非常に納得がいきます。
劇場で一度観ただけでは、恐らく「映像の美しさ」に圧倒されるだけで終わってしまうことでしょう。

さて、この映画では、そのあまりの描写の精緻さから、題材となった場所への「巡礼」が話題となりました。
瀧と三葉が最後に出逢うことになる四谷の須賀神社。
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この境内には、一時、高校生が大挙として押し寄せたようです。

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この階段が、映画の中では印象的に現れますね。

この前のショットで、小雪の舞う中を二人がすれ違うシーン。
これは、1950年代に一世を風靡した菊田一夫の「君の名は」のオマージュなのだろうなと感じました。
少なくとも、新海監督はこの作品をリスペクトしておられたのでしょう。
勝手な感想ですが、私はそう感じました。

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鈴木清順さんが亡くなりました [映画]

三寒四温とは云いますが、正にその通りのお天気が続き、北風と南風が交互に吹き荒れるという、いささか忙しい空模様となっています。
花粉も飛び始め、花粉症もちの私には辛い季節の到来となりますが、沈丁花の蕾も膨らみ始め、そろそろあの甘く鮮烈な香りを届けてくれることでしょう。
近所の里山では菜の花が盛りを迎えていました。
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映画監督の鈴木清順さんが亡くなりました。

映画監督の鈴木清順氏が死去 93歳 「ツィゴイネルワイゼン」「殺しの烙印」

時折テレビなどで見かける折に、酸素ボンベをつけておられる姿を拝見しましたので、大丈夫かなと心配でもありつつ、相変わらずの矍鑠とした対応に感嘆もしておりましたが、遂に…、という想いです。
2005年に「オペレッタ狸御殿」を完成させ、そのバイタリティには、正に年を感じさせない、としかいいようのないものがありました。

「清順映画」と呼びならわされ、それこそ老若男女を問わない数多くのファンを獲得しておりましたが、その演出スタイルや映画作法には誰にも真似のできない独特の世界観に包まれています。
「映像美」などという手垢のついた云い方がありますが、鈴木清順監督の描き出しているのは、映画そのものの持つ「立ち居振る舞い」における無限の可能性と美しさであるような気がします。
清順映画の中で、恐らく最も著名なのは「ツィゴイネルワイゼン」であろうかと思われますが、この映画に関して、作曲家の武満徹さんは次のように述べています。
『ツィゴイネルワイゼン』は、此頃めずらしい官能的な映画であったが、これは生の陰画としての死ではない。死の陰画としての生の映像であり、危険な美に満ちている。
鈴木清順のこの世界は、ジョルジュ・バタイユのつぎのことば「──すなわち彼の腕のなかで身もだえしつつ、彼の存在を忘れ去る女性、それはとりもなおさず彼自身であるという事実。」を捩っていえば、死の腕の中で身悶えしつつ死の存在を忘れ去る女性、それはとりもなおさず死自身であるような生の世界である。そして、さらにバタイユが言うように、「死はある意味ではひとつの瞞着である」とすれば、私たちの生の欺瞞こそ『ツィゴイネルワイゼン』によって曝かれたのである。(岩波書店刊「夢の引用」より)

死んだ中砂が青地に貸していた蔵書を返してもらいに、忘れ形見の豊子を伴って小稲(中砂の妻であり豊子の母であった園に瓜二つの情婦)が、頻繁に訪ねてくる。
さらに、サラサーテが演奏した「ツィゴイネルワイゼン」のレコードも、青地は二人に求められるが…。
ラスト、青地は豊子から「お骨を頂戴」とねだられ、それは中砂と青地との間の約束(どちらかが先に死んだら死んだ方の骨を生きている方がもらう)のためだという。
死んだのは中砂ではないか、と青地が反問すると、豊子は、死んだのはオジサマの方だと答える。
こういう映画の流れの中に浸るとき、この武満さんの論評が如何に的確なものであるかを痛感します。
もしかすると、今現在自分がこの世の中に生きているということすらも、本当にそれが事実であるのかわからなくなってしまいそうになる。

この映画の中では、生と死がまるで悪夢のように交錯し、中砂と青地の、いったいどちらが今生きて存在しているのかが分からない不安に駆られてしまいます。
もちろん、その回答は、映画の中ではなされません。この映画を観た者が、そのあとにそれぞれのストーリーを展開させる広がりを与えてくれるわけです。

かといって、決して難解でも晦渋でもなく、目くるめく展開される鈴木清順監督の世界に引き込まれていく愉悦を感じさせます。
生と死という一見重苦しい題材を扱いつつ、決して沈痛な重苦しさはありません。
むしろ、極めて透明で純粋な美しさを感じさせてくれる映画でありました。

この映画は、キネマ旬報ベストテン1位でベルリン映画祭特別賞をも受賞した作品であり、ATG作品の中でも一二を争うヒット作でした。
テレビでもたびたび放映されましたからご覧になった方もきっと多いことでしょう。

この後に続く「陽炎座」「夢二」とともに大正浪漫三部作などと云われますが、私としては「陽炎座」の美しさにも非常に心惹かれるものがありました。

この三部作では、とりわけ音楽の存在が印象に残ります。
音楽を担当したのは、職業作曲家ではなく音楽プロデューサーである河内紀氏。
彼の設計した音楽・音響の世界は、この夢幻の美しさを持つ映像を二倍にも三倍にも膨らませ、私たちを清順監督の紡ぎだした夢の世界にいざなってくれます。
そこには映画の持つ可能性を信じさせてくれる力が満ち溢れていました。
「夢二」では、梅林茂氏というこれまた無限の才能に恵まれた作曲家と共同で音楽に当たっていて、これも出色でした。

鈴木清順さんの訃報に接し、改めて映画というものの独特の夢の世界を考えています。

私が映画を好むのは、私たちを縛り付け統御している「時間」というものの束縛から私たちの精神を解放してくれる表現媒体であるからです。
映画館という、その映画を観るためのみに集まった、相互に全く関係性を持たない者たちのひしめく暗闇の中で、ただ一点、スクリーンに映し出された映像の紡ぎだす独特の時間の中に、それぞれの夢の空間(もしかすれば、自分自身が寝ているときであっても決して見ることの叶わない夢のような)を描き出す。
そのスクリーンには、実際の大きさをはるかに超えたもの(人物のクローズアップなど)や、スクリーンのサイズをはるかに超えた景色(宇宙空間や大海原、広大な砂漠などなど)が映し出され、時間は極度に引き延ばされたり圧縮されたりしながら空無化する。その空間的な矛盾を通して観客の持つ想像の世界を膨らませてくれるのでしょう。
私は白黒無声映画も大好きで、これらを自宅で観るような場合は完全に無音の状況にします。
そうすると、私の頭の中は映像から紡ぎだされる音楽でいっぱいになり、それが画面の動きとシンクロする不思議な世界を味わうことができる。
ビデオ化された無声映画にはしばしば余計な音が入っていたりするのですが、この無意味な夾雑物が如何に映画の紡ぎだす夢の世界を壊すものであるものか…。

そういう意味からすると、現在の映画は何だかむやみに音楽をつけすぎ、意味のない効果音を鳴らしすぎだと思います。
それに今の映画館はあまりに明るすぎるし、ある意味変にきれいで健康的すぎる。
好みの問題だとは思うのですが、私は映画館で映画を観ながら何かを食べたり飲んだりしたりする人の気がしれません。
飲食という現実の生理的な行動によって、せっかく手にした時間という束縛から逃れられる空間を手放してしまうように思われるからです。

鈴木清順さんは、そういう映画の持つ肌合いや空間の描き方に特別の才能を発揮された映画監督でした。
93歳というご高齢を鑑みれば、これもまた致し方ないことと思いますが、やはり無念です。
心よりご冥福をお祈りしたいと同時に、どんなに時代が移り変わろうとも決して色褪せない作品をたくさん残してくださったことに心より感謝したいと思います。

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またまた、シン・ゴジラを観てしまいました(IMAXで) [映画]

台風10号の動きが実に不気味で、その影響もあってか、この週末は雨勝ちの肌寒い日となりました。

そんなお天気だから、というわけではもちろんないのですが、先日観た「シン・ゴジラ」をどうしてももう一度観たくて仕方がなくなり、連れ合いを口説き落として「夫婦割引(50歳以上)」を利用し、またまた出かけてしまいました。
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連れ合いにとって映画とは「楽しいもの」「美しいもの」を描き出す世界であり、残酷だったり凄惨だったり悲惨だったりするのは耐えられない!とのことで、最初は渋っていたのですが、この映画には最後に希望がある!と熱弁し、付き合わせたのです。

夫婦割引は二人で2000円。早速、ネットで予約を申し込むと、この週末からIMAXによる再上映が始まるとのこと。
追加料金は一人500円ですし、IMAXは初体験なので、躊躇することなくこちらを選びました。

もう一度観たくなった一番大きな私としての理由は、野村萬斎さんのゴジラ役。
そう思いながら観ると、血液凝固剤を経口投入されて動きを止めたゴジラの姿が何とも悲劇的に感ぜられました。
「ゴジラがかわいそうで涙が出た」というのが連れ合いの感想ですが、正に同感です。
ビキニ岩礁での水爆実験を皮切りに、核廃棄物の無秩序な海洋投棄がゴジラを生み出した要因とするのであれば、そのsin「罪」は正に人間に科せられるべきであり、人間の欲望によって生み出され人間の都合によって「駆除」されようとするゴジラは、正にその「罪」を具現化した存在なのでしょう。
「ゴジラは脅威であり、かつ希望(完全無欠な進化の可能性としての)であるのかもしれない」というセリフには、その意味での深遠なる想いが込められています。

口と尻尾の先と背びれから紫色に光る熱線を放出し、東京を破壊するゴジラの姿。
それは米軍による空爆を受けての反撃なのですが、その悲劇的かつ絶望的な攻撃が展開される夜のシーンの美しさは、IMAXの画面の描写力とも相俟って筆舌に尽くしがたいものでした。

この「シン・ゴジラ」、やはりかなりヒットしている模様ですね。
私どもが観に行った時も当然のように満席でしたし、報道でもその人気の度合いが伝わってきます。
かなりの数のレビューがネットにも掲載されていましたが、次の松江哲明さん(映画監督)のレビューは殊に納得ものでした。

松江哲明の『シン・ゴジラ』評:90年代末の“世界認識がグラグラする”映画を思い出した

また、ヤシオリ作戦の重要なキーマンでもある環境省自然環境局野生生物課の課長補佐役を演じた市川実日子さんの演技も、演技なのかドキュメンタリーなのかわからないほどの迫真力を放出させました。
その市川実日子さんをめぐる次の記事も納得です。

「シン・ゴジラ」市川実日子さん、最後のセリフに込めた複雑な思い 脇役ヒロミ人気に「TV見てる感じ…」

この役作りのための葛藤も含め、なんというかものすごい「役者魂」を感じてしまいました。

東日本大震災を体験する前と後とでは、こういう破壊によるカタストロフを描いた映画や創造作品に対する観客の感受性はかなり異なったものになっているような気がします。
前の記事でも書きましたが、私はこの映画をいわゆる怪獣映画とはどうしても感得することができませんでした。
ある意味での生々しさや切迫感があり、どこか他人事のように破壊場面を享楽的に見ていた従来の怪獣映画の破壊シーンとは決定的に違うものを感じたのです。
この映画では、愚昧かつ硬直化した行政機構や米国の属国としてしか存続できない「日本」の現状に対して、なんとその硬直化した行政機構の縦割りを無視して集まった「はみ出し者」たちが奇跡のような打開策を成功させるといった、一つの希望も描いています。
しかしその果敢な行動を実現するため、米国の許可を得たり安保理各国間の思惑を図りつつフランスを動かしたりして、熱核攻撃の「政治的な」延長工作を実施したりする場面も抜け目なく挿入されています。

動きを止めたゴジラ。
いうまでもなくこれは「解決」なのではなく、これからの新たな脅威や恐怖の始まりを描いているのではないでしょうか。
連れ合いには「最後に希望がある」などといって連れ出しておきながら、改めて観て、単なるストレートな感動だけでは終わらない「深さ」を感じてしまったわけです。

さて、二度も観に行った、ということもあり、前回では疑問に残ったいくつかの部分も自分なりに解決ができ、さらに新たな疑問や問題点なども生じています。
少なくとも、久しぶりに「もう一度劇場で観たい!」と思わせる映画であったこと、そして、もう一度観て、やはり無類の面白さであったことだけは間違いありません。
そういえば、前回観終わった後、ちょうど昼過ぎに時間帯でしたから、たまには外食をしようと思い、ラーメンを食べたのですが、今回もう一度見て、その理由がわかりました。
平泉成さんが、長引いた打ち合わせの後で、注文したラーメンを食べるとき、「あああ、伸びちゃったよ」とつぶやく。
このシーンが、里見臨時代理の人となりを如実に表しているような気がして、なんだかほっこりしたのですが、そのシーンが印象深くて、ラーメンが無性に食べたくなったのでした。
ということで、帰り道、連れ合いと二人でラーメン屋に入り、映画の感想を語り合うとともに、そんな話で盛り上がったところです。

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シン・ゴジラを観てきました [映画]

台風の影響で落ち着かないお天気が続きます。
今日も朝から台風9号の影響で風雨が強まり、11時頃から暴風雨となりました。
幸い、出勤時の電車はまともに動いていて、むしろほとんど遅れが出なかったくらいです。
もしかすると、暴風雨を計算に入れて外出を控えた人が結構いたことが要因なのかもしれません。電車遅延の理由のほとんどは人為的なものですからね。
せっかくなので、先日購入したハイパーVソールのスニーカーを履いて出勤しました。
三沢遡行の時にも実感したのですが、さすがに濡れた地面に対するグリップ力は相当の高さです。
激しく水の流れるマンホールのふたやリノリウムの床などでも全く滑ることはなく、むしろがっちりとフリクションが効くように思われました。
黒い色を選んだこともあり、出勤時に履いていてもそれほどの違和感はありません。
ただし、スニーカータイプですから、メッシュから水が浸入し、こうした激しい雨の中では靴の中は盛大に濡れます。
濡れるのが嫌な方は、先日ご紹介した防水型の靴下を穿いた方が宜しいかもしれませんね。
いずれにしても、この価格(2850円)でこの性能はなかなかのものと思います。夏の沢歩きや山歩きにも十分使用に耐えるのではないでしょうか。
ただし、濡れにはほとんど無力ですから、晩秋から冬・初春にかけての沢登りなどに使う場合はきちんとした保温対策を考えた方が良いと思います。ネオプレーン型の完全放水ソックスとの併用がお勧めです。

閑話休題

そんな中、先日、前から気になっていた映画、「シン・ゴジラ」を観てきました。
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怪獣映画ファンの私としては、やっぱり外せない映画なのです。
期待を込めて出かけ、そして、その期待以上の映画でした。
これは、いわゆる「怪獣映画」というジャンルをはるかに超えた、一つの人間群像劇としてもまれにみる傑作だと思います。

シン・ゴジラの「シン」はsin、つまり「罪」を意味しているのでしょうか。
この映画を観ながら、その「sin」の意味するところを考えもしました。

この映画は、第1作目の「ゴジラ(1954年東宝)」を嚆矢とするこれまでのゴジラ映画を全くなかったものとして企画されています。
「ゴジラ」の名前は、日本ではもちろん、海外においても知れ渡っており、これまでのゴジラ映画では、ある程度それを前提として形作られてきたのですが、この映画では、その第1作に立ち戻り、「大戸島」に伝わる伝説の荒ぶる神として、関係者は初めてその名前を認識する、という設定になっています。
従って、ゴジラ映画という一種の先入観からはフリーとなっているわけであり、初めて観る観客であっても純粋に楽しめる、というコンセプトを目指したのかもしれません。

映画自体の中身の詳細については敢えて触れませんが、先にも書きましたように、これは稀に見る傑作です。できれば是非とも「劇場」で観てほしい、と思います。
1800円を払っても観る価値はある、私はそう思いました。
本多監督による初代ゴジラ同様、本編の人間ドラマ・群像劇の部分の描写は極めて緻密かつリアリスティックであり、こうしたベースをきちんと構築することによって、特撮部分の信憑性をさらに高めている、ともいえるのではないか。
特に、人知を超えた想定外の大規模災害の発生を目の当たりにした閣僚や政府関係者の描写は、よくもここまで踏み込んで表現できたものだと舌を巻きました。

例えば、矢口蘭堂(長谷川博己)内閣官房副長官が、各省庁に巨大不明生物に対する姿勢を「捕獲」「駆除」「排除」の3ケースに分けて対策を考えてくれ、と指示を出した際、「今のってどこの役所に言ったんですか?」とその場に詰めていた各省庁の役人が問うシーンなど、「これは確かにありそうだ」と思わせます。
詰めていた役人は、閣僚会議での決定や指示事項を正確に自分の省庁の幹部に伝えて対策を立てる必要があるのであり、勝手な憶測で課題を持ち帰るわけにはいきません。それを振り分けるのは閣僚の仕事であり、役人は受けた指示に基づいて遺漏なきを期する役割しか与えられていないのですから。

また、極めて切羽詰まった状況にありながら、総理大臣(大杉漣)ですら迅速な意思決定をなし得ないという行政上の手続き面でのもたつき加減も、かなり正確に描写されていました。
独裁国家だとか、大統領といった絶対権力者を頂かない日本という国の運営の不自由さを批判的に描いているようにも見えますが、庵野監督は、こうした意思決定プロセスにおける煩瑣な手続などを全面的に否定しているわけではなく、民主主義には一定のコストが必要不可欠なのだと訴えているようにも思えます。
第3形態に進化した巨大生物への自衛隊からの攻撃を、開始直前に、踏切を横切る避難民(老母を背負った男性)の姿を認めて中止してしまうところや、総理大臣臨時代理となった里見(平泉征)が、国連安保理決議に基づく米国を中心とした多国籍軍による東京都心への熱核攻撃に備えるため国民の疎開を要請されたときの、「住民を疎開をさせるということは、その人の生活を奪うっていうことだ。簡単に言わないでほしい」とつぶやくシーンなどに、庵野監督のそうした想いが反映されているように感じ、私は不覚にも涙ぐんでしまいました。

その熱核攻撃という国連安保理の決議を知らされた時に、それまで冷静な対応を見せていた赤坂内閣総理大臣補佐官(竹之内豊)は、一瞬怒りをたぎらせますが、安保理決議の元に行われた核攻撃である以上、事態収拾後の日本の復興には国連加盟各国の強力かつ絶大なる支援が約束されるはずだと考えます。
こうした考え方をするのも閣僚であるが故のことなのでしょう。

そうした緊迫かつ混沌とした状況の中で、矢口は希望を捨てずに「ヤシオリ作戦(ゴジラの生体原子炉の冷却・凍結・機能停止)」の決行に向けて奔走します。
それを盟友でありライバルでもある泉政調副会長(松尾諭)が強力に支援し、熱核攻撃を受け入れざるを得ない立場に追い込まれた里見総理大臣臨時代理に向かって、「自国(米国)の利益のために他国(日本)の犠牲を強いるのは、覇道です」と再考を強く意見具申するシーン。
政治家として閣僚として、ある種の理想と強い決意を持った若い彼らにこそ、危機的な状況にある日本を救うことができる、そういうメッセージが込めようとしているのかもしれません。
矢口が、上役たる国土交通大臣(矢口健一)の楽観的・希望的観測に対して放つ「先の大戦では、旧日本軍の希望的観測、こうあってほしいという願望により、国民に三百万人もの犠牲者が出ました」「油断は禁物です」というセリフにも、それが垣間見られるように思われました。
そして、熱核攻撃のギリギリまでの延期のためにフランスを動かしたあと、里見臨時代理は駐日仏大使に対して深く頭を下げ続けます。
里見とて、ヒロシマ・ナガサキに続く三度目の核攻撃を日本に加えさせることは決して容認できなかったのでしょう。この描写にも、私は深く胸を打たれました。

さて、そんな重厚な映画ではありますが、ちょっとクスりとした場面ももちろんあります。
東京湾に出来した災害の原因が巨大生物であったことが明らかになった折、三人の生物学者を急遽官邸に召集するのですが、この演者が全員映画監督(犬童一心氏 、原一男氏、緒方明氏)なのです。しかも、それぞれ富野由悠季監督、宮崎駿監督、高畑勲監督のパロディ。そのうえ、全く役に立たない言説を垂れ流すというひどい設定で、総理をして「時間の無駄だった」と吐き捨てさせる。
あんまりじゃないかと思いつつ、不覚にも失笑してしまいました(本来笑えるようなシチュエーションではないのですが)。
監督の出演といえば、故岡本喜八監督が重要な役割を「演じて」おられます。岡本監督を心からリスペクトしている庵野監督の想いが、こんなところにも表れているのでしょう。

この映画には、エンドクレジットに掲載されているだけでも300人を超える俳優が出演しており、他の作品では当然に主役を張れる役者さんが1シーンだけ出演していたりしておりました。
この映画を観るに当たって、私は事前情報を調べたりせず極力潜入観念なしに対峙しようと思ったので、思いがけない役者さんの姿をスクリーンで発見し、何とも云えない感慨に浸ったものです。
というのも、この映画に出演している俳優さんたちにとって、「ゴジラ」と「庵野監督」という二つの名前は閑却すべからざる重みをもっていたように思われたからでした。
映画館で購入した「シン・ゴジラ」のパンフレットを映画を観た後で読んだのですが、主演の長谷川博己や竹之内豊も、この組み合わせに対してある種の尊崇の念すら感じさせるコメントをしています。
恐らく、この300人を超える俳優さんたちも、同じような想いを抱いてこの作品への出演を果たしたのでしょう。

そのエンドクレジットを眺めながら、あれ?この人、どのシーンで出ていたんだろう?などと首をかしげてしまうこともしばしばで、そうしているうちに、クレジットの最後で「野村萬斎」の名前が!
あれ!?萬斎さん、いったいどこに出ていたんだ?
帰宅するまで首をひねりっぱなしで、全くわかりません。
結局思い当たらず、悔しい限りでしたが帰宅してネットでググってみると、なんと「ゴジラ」役だったのでした!
ネタバレになるので詳しくは書きませんが、今回の「シン・ゴジラ」におけるゴジラは、従来の怪獣映画にありがちだった怪獣による積極的な(余り必然性を感じない)街の破壊行動には出ず、もっぱら「何かに向かって移動し(歩き)続ける」という存在でした。
海中にいた時の、オタマジャクシのような深海魚のような第1形態から、川をくねくねと遡行しつつ這い回って徐々に両生類のような第2形態に発展していき、ついにたどたどしいながらも二足歩行(第3形態)に転ずる。
そしていったん東京湾に戻り、さらにパワーアップして完全な姿(第4形態)として鎌倉沖に出現し、またもや東京都心を目指して歩き始める。
そのゴジラの動きは、ただ歩いているだけ(ゆえに「shin(=歩く)・ゴジラ」なのでしょうか)なのに、人知を超え生物の枠組みを超えた神々しささえも感じさせられました。
「スーツアクター」は誰なのだろうか?という疑問が渦巻いたのですが、私の記憶にあるスーツアクターの動きとは正に一線を画したもの。強いて云えば、第一作目の中島春雄さんの動きに近いかな、などと思っておりましたから、これが野村萬斎と知り、さすがにびっくり。
もちろんスーツアクターではなく、モーションキャプチャーだったそうですが、なるほどそうだったのかと得心がいった次第です。
しかしそうなってみると、やはりゴジラが萬斎さんだったということを承知の上で、もう一度この映画を観たくてたまらなくなりましたね。

特撮部分のことを書く余力がなくなってきました。
でも、これはここで書かない方がよろしいのかもしれません。
ものすごい映像です。まさに「筆舌に尽くしがたい」リアルな世界が展開されます。
余りに真に迫り過ぎていて、もしかしたら本当にこういうことが起こる可能性があるのではないか、と思わせるほどです。
この映画のシチュエーションには、東日本大震災と福島原発事故が色濃く反映されていると考えられますし、その意味でゴジラは原発のカリカチュアなのでしょう。
河口から遡上してくる第2形態によって押し上げられる船舶などの情景は、正に東日本大震災の津波の情景を彷彿とさせるものでした。

何だかまとまりのない感想文となってしまいましたが、最後に一つ、私としては大変印象に残ったことがあるので触れさせて頂きます。
矢口を演ずる長谷川博己は、「日本」を「にほん」と発音していました。
このことが私には大変印象深かった。
これは単なる個人的な好き嫌いの話ですが、私は「ニッポン」という発音を非常に嫌悪しているのです。
「ニッポン」という音の響きを聞くと、あの「大日本帝国」という威張りくさって調子ばかりがいい割に中身が空疎な形態を思い起こしてしまう。
だからあの「ニッポン、チャチャチャ」という応援に対しても、正直にいって吐き気を催してしまうほどの嫌悪感を抱いてしまいます(もともと「スポーツ観戦」自体、私は全く好んでおりませんが)。
日本国憲法が「にほんこくけんぽう」であることに、何ともいえない安らぎを感じてしまうのですが、これもこうした感覚に基づくものなのかもしれません。
そんなわけで、ラストで未来に向かって決意を新たにする矢口が、守るべき対象を「にほん」といってくれたことに感動したわけです。
この読み方にしたのが長谷川氏の判断なのか庵野監督の脚本がそうであったのか、それはわかりません。
しかし、このラストの重要な台詞の中で「日本」を「にほん」と発音してくれたことによって、この作品のメッセージ性が私個人には極めて明確に伝わってきました。
それは、前にも書いた、上役たる国土交通大臣の軽口を嗜める矢口の態度にも通底するもののように思われたのです。

映画のラスト。
凍結して動きを止めたゴジラの尻尾には、人のような形をした無数の「芽」が不気味に生え始めていました。
それが何を意味するのか、また、凍結したゴジラをどのように処理するのか、現在私たちが抱えている福島原発の後処理に絡めて想いを馳せるとき、そうした描写がことさら私たちの不安をかき立てるように感ぜられたのでした。


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雨月物語 [映画]

しばらく続いていた爽やかな秋晴れも、どうやらこのあたりで一服となりそうな気配です。
ふと気づくと、街路の公孫樹の葉がずいぶん黄色くなっていました。
ツワブキの花も今が盛りという感じです。
tuwabuki.jpg

読書の秋にちなんでいるわけでもないのですが、先日、ふと本棚にある「雨月物語」を手に取りました。
「雨月物語」は、いうまでもなく上田秋成の短編怪異譚集(「蛇性の婬」のみは中編)です。
上田秋成は国学を突き詰めた学者でもあり、一代の美文家でもありました。
久しぶりに通読して、例えば「白峯」などにおける壮大で絢爛たる表現に打ちのめされたり、「夢応の鯉魚」の諧謔にうならせたところです。
二十歳代前半の頃は「吉備津の釜」の生々しくも恐るべき展開に息を飲んだものですが、還暦も間近になった現在、むしろ「菊花の約(ちぎり)」の惻惻たる文章に心を奪われるようになりました。
従弟の元に幽閉され、重陽の佳節(9月9日)に帰り来るとの約を果たすすべなき赤穴宗右衛門は、「いにしへの人のいふ 人一日に千里をゆくことあたはず 魂よく一日に千里をもゆくと 此ことわりを思ひ出で みづから刃に伏し 今夜陰風に乗りて遥々来り菊花の約に赴く」のですが、その、宗右衛門が幽界の者となって丈部左門のもとを訪れる下りを次のように表しています。
もしやと戸の外に出て見れば 銀河影きえぎえに 氷輪我のみを照して淋しきに 軒守る犬の吠ゆる声すみわたり 浦浪の音ぞここもとにたちくるやうなり 月の光も山の際に陰くなれば 今はとて戸を閉てて入らんとするに ただ看る おぼろなる黒影の中に人ありて 風のまにまに来るをあやしと見れば 赤穴宗右衛門なり

難しい表現を一つも用いずに、実に淡々と綴られていますが、何という深い文章かと、改めてため息をついてしまいました。いうまでもなく、この肝のような文章表現を必然とさせる物語が確りと底流を支えているからこそ成り立つものに外なりません。

雨月物語は、江戸時代後期(18世紀後期)に書かれたものですからもちろん文語調ですが、非常に読みやすい文章(樋口一葉の小説や森鴎外の「舞姫」を読むことができれば大丈夫)ですし、その呼吸を感得するためにもやはり原文を読むのが一番良いと思います。
因みに、ネットを検索したら、原文を掲載しているサイトがありました。

日本古典文学摘集(雨月物語)

さて、雨月物語といえば、1953年に製作された溝口健二監督の映画がとりわけ有名なのではないでしょうか。


映画「雨月物語」は、「浅茅が宿」と「蛇性の婬」を題材として、依田義賢が溝口監督との壮絶なディスカッションの上で脚色した作品です。
上田秋成の雨月物語は、中国の白話小説から題材を得て日本的に翻案されたものが中心であり、先の二つもその例から逸するものではありません。
依田さんは、この二つを融合することにより、通り一遍の怪異譚には終わらない日本的情感に溢れた美しくも切ない物語を作り上げました。
物語の構成は「浅茅が宿」を中心に置き、戦乱に巻き込まれて妻の元に帰れなくなった夫の挿話に「蛇性の婬」を入れるというもの。
唯一の中編小説である「蛇性の婬」は、見目麗しい美女「真女児」の姿を借りた大蛇が、見初めた大宅の豊雄を執拗に追い回し、折伏しようとした法師を取り殺すなど、それこそ大立ち回りを演ずる物語であり、何よりもその「真女児」は次のごとき淫奔極まりない妖魔とされています。
此邪神は年経たる蛇なり かれが性は淫なる物にて 牛と孳みては麟を生み 馬とあひては龍馬を生むといへり 此魅はせつるも はたそこの秀麗きに奸けたると見えたり

牛とつるんで麒麟を生み、馬とつるんで龍馬を生む、というのですから、正に国津罪「牛婚(うしたはけ)」「馬婚(うまたはけ)」の権化みたいな邪神ですね。

しかし、映画「雨月物語」に登場する若狭は、織田信長によって滅ぼされた朽木家で、愛も恋も知らずに虚しくなった姫君という設定になっています。
取り殺されるという結末からいえば、真女児も若狭も同じことではありましょうが、肉欲本位に執着する前者と生あるうちには叶わなかった女としての愛の喜びを得たいと願う後者とでは格段の差があるようにも思います。

そして、「浅茅が宿」の宮木の設定。
原本では、夫愛しさのあまりに幽霊の身となってもその姿を現そうとする女心の切なさが主体となっておりますが、映画では、帰ってきた夫の元に一人息子を誘い、安らかに寝付いた夫の身の回りの世話までするという、妻というよりは母のような存在として描かれています。
宮川一夫による驚嘆すべきラストシーンのカメラワークは正にその宮木の視点を表すものであり、幽霊というよりもむしろ二人を見守る慈母神のような存在に昇華していました。

派生作品が原作を超える、ということは往々にしてあることではありますが、この映画「雨月物語」は、正にその典型的な例ではないかと思います。
中国の白話小説に端を発した怪異譚から、日本固有ともいうべき祖霊信仰の姿にまで持って行った溝口健二と依田義賢両氏の慧眼と才能には驚きと感動を禁じえません。

それでも、世の中にはこうした翻案に異を唱える人も少なからず存在します。
そのことについて、依田さんは自著の「溝口健二の人と芸術」の中で、次のように喝破しています。
この映画が出てからある学者の方から映画の『雨月物語』は古典をけがすものであると、きついお叱りをうけましたが、秋成が中国の原典から、まったく別の彼のものをたてたように、わたしたちが、秋成から彼のイメージをもとにして、別のものを作ったとしても秋成の作は、少しも汚したことにはならないと思います。次々とたくさんなイメージを持たせるものが凝集していることで、雨月物語は、古典として絶品だといえるのではないではないでしょうか。原典と秋成との間のディスタンスこそが、彼の偉大さを意味するわけで、この場合原典は触媒に過ぎないでしょう。同様に、わたしたちがアダプトすることは原作におもねる事ではないと思います。適応した時には既に別なものが生まれて作られてゆくのです。
シナリオライターはいつもそんな立場に立たされますが、現代にも強い共感と豊富なイメージを与えてこそ、古典といわれる所以であり、これが歴史の生命だとさえ思っています。

文化や芸術というものが、過去から未来に向かって滔々と流れる大河の上に創造されていく、という理が胸に浸み込むような言葉だと思いました。

さて、そんな名作映画ではありますが、モーパッサンの「勲章」から着想して挿入されたという、藤兵衛と阿浜をめぐるシーンには違和感を禁じえません。
特にラストで、阿浜に許しを乞うた藤兵衛が鎧・冑・具足などを川に投げ捨てる下りは、それまでの物語の展開からすれば信じられないほど大甘なのではないか。
貧しい生活から抜け出して立身出世を果たすため、止める阿浜を振り切って命がけの行動を貫き、結果として侍大将まで上り詰めた藤兵衛が、遊女に身をやつしていた阿浜と「偶然に」出会ったことをきっかけに、その全てを擲ってしまう。
これはちょっとあり得ない展開なのではないでしょうか。
溝口監督と依田さんの当初の構想では、遊女宿で藤兵衛に出会った阿浜は、その身を恥じて井戸に身投げをして果てる、というものであったそうです。
これは、ラストは明るい展開にしろ、という大映本社からの強い要請を受けたもので、依田さんは「シナリオのきびしい構成からすると、このラストは蛇足になるので、見苦しくつけ足された形になって、わたしはたまらなくいやでした(前掲書)」と述懐しておられます。

いろいろと書きましたが、この映画は、美術・演技・音楽など全般にわたって能の様式を大々的に取り入れた嚆矢のような作品となりました。
特に早坂文雄さんの音楽が、その後の日本映画の音楽演出に残した功績には多大なものがあり、「雨月物語」と「近松物語」の音楽があったからこそ、「切腹」や「怪談」の音楽を書くことができた、と武満徹さんは仰っています。
これは啻に映画音楽のみならず、「ノヴェンバー・ステップス」や「エクリプス」などの記念碑的作品の創造にまでも繋がっていったのではないでしょうか。


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菅原文太さんが亡くなりました [映画]

雨のどんよりとしたお天気となりました。
予報では明日から晴れそうですが、かなりの冷え込みとなるようです。

俳優の菅原文太さんが亡くなりました。
享年81歳。


先日の高倉健さんに続き、東映の任侠・やくざ路線映画の一時代を築き上げた名優の訃報、何とも残念でなりません。
菅原さんは、テレビにも積極的に出演し、様々な社会活動も実践しておられたので、殊に晩年は、その柔らかな表情と優しい語り口が印象に残っております。

代表作はなんといっても「仁義なき戦い」シリーズでしょうけれども、私は、松竹時代の木下恵介監督の映画「死闘の伝説」の悪魔的な演技が印象に残っています。それまでの松竹では考えられないほどの個性でした。
東映作品での迫力と気合に満ちた演技の大元は、もしかするとこうした松竹時代の悪役に端を発しているのではないか、とも思ったくらいです。

とはいいつつも「仁義なき戦い」、やはり一時代を築き上げた一大クロニクルだったと思います。
劇場で観た時の衝撃が忘れられず、ビデオ化された折には、初期の五部作をまとめて借りてきて、続けざまに一気に観たものです。

何度も繰り返し観ましたから、細かな部分まで結構覚えていて、広能が土居を射殺する場面の戦きや、「広島死闘篇」で、かくまわれていた時森のアパートのドアの隙間から差し入れた封筒が中に引きこまれた瞬間に銃撃するシーン(前田吟が好演)など、今でも眼交に浮かびます。
松方弘樹や梅宮辰夫などが、シリーズ中に別の役柄で出ているなど苦笑を禁じ得ない部分もありましたが、最後まで緊張感を失わず貫徹した完成度はすごいものがありました。
ただし、第五部「完結編」は、ある事情から笠原和夫が脚本を降り、それゆえに統一を欠く結果となってしまったのは残念です。

高倉健さんとの共演作の「神戸国際ギャング」もすごい映画でしたね。お二人の弾けぶりは徹底していて、実にスカッとしました。


お二人が出演していた映画の中で、特に印象深かったのは1969年の「日本暗殺秘録」です。


血盟団事件を中心としたオムニバスで、高倉健さんは「相沢三郎中佐事件」、菅原文太さんは「安田善次郎暗殺事件」で、それぞれ、相沢三郎と朝日平吾を演じていました。
出演時間そのものは短かったのですが、何れも極めて強烈なシーンとして記憶に残っています。
この映画では、血盟団事件における小沼正を演じた千葉真一さんが主演(京都市民映画祭・演技賞を受賞)であり、千葉さんの映画俳優としての大きな飛躍につながることになりました。
暗殺・テロルを、その実行者の側に立って描いていたことから、当時、公開後もわずかな期間で上映打ち切りとなり、長らくお蔵入りになっていたいわくつきの作品です。
もちろん、ビデオ化も見送られていたのですが、2011年にDVD化され、今ではレンタルビデオでも観られるようになりました。
脚本の笠原和夫氏は、(「仁義なき戦い」でもそうでしたが)非常に綿密な調査と考証に基づく緻密な物語を構築していて、こうした無法な行動に至らざるを得なかった人々の想いに寄り添う世界を描いています。
2.26事件で銃殺される首謀者たち一人ひとりに、それぞれ「天皇陛下万歳」とか「大日本帝国万歳」「昭和維新万歳」などと叫ばせ、頭部に銃弾を撃ち込む描写を執拗に描いているところも、オムニバスの一つのエピソードであるのにもかかわらず非常に異様で印象に残りました(安藤輝三大尉が「秩父宮殿下万歳!」と叫んだのも、当時の秩父宮の思想と安藤大尉との交流に鑑みればなるほどと思われます)。

この映画が公開された1969年といえば、70年安保闘争などで学生運動が高揚していた時期。東大安田講堂攻防戦などが繰り広げられ、翌年には三島事件が勃発。
左右両陣営による反体制運動が世の中を騒がせていた頃でありました。
そうした時勢に合わせて、この映画を世に問うた意義は決して小さなものではなかった。
国家権力が一般の民衆の側に立つことなどあり得ないという理(ことわり)に、いわば背水の陣を敷いて力ずくで抗った人々に対するシンパシーが、この映画には横溢しています。
鶴田浩二演ずる磯部朝一(元陸軍一等主計)が、お前たちの想いはよくわかったからとにかくいったん兵を引けと説得にかかった山下奉文少将などの軍首脳部に対し、「軍首脳がこうして私たちの話を聞いてくれるのは、私たちが兵を率いているからです」と反駁するシーンは、権力というものの在り様を如実に表したものではないでしょうか。

この映画はなかなかの力作であり、メインテーマである血盟団事件はもとより「ギロチン社事件」なども側側と心情に訴えかけるものがありました。
しかし、問答無用で相手の生命を奪う暗殺・テロルという手段そのものには、私はどうしても同調することはできません。
人間という生き物が社会性を持つ所以は、己とは対峙する立場にある相手方といえども、お互いを理解しあうための手段を有するが故ではないかと思うからです。
「まずは力を以て相手を叩き潰さなければ、こちらの言い分は通らない」などと、戦争を肯定する人々は主張しますが、そうした思想は殺し合いの無限連鎖を呼ぶだけなのではないでしょうか(況や、イスラム原理主義を掲げる連中などによる無差別テロには、一片の意義も必然性も感じません)。
さらに問題なのは、こうした行為が、彼らの憎んだところであろう権力によって都合よく利用されてしまうことです。
相沢三郎も2.26事件の決起将校も、軍法会議の決定を受けて銃殺刑に処せられましたが、血盟団事件の容疑者たちは無期懲役刑となり、1940年の「皇紀2600年」祝賀に基づく恩赦で釈放されました。
ギロチン社事件の古田大次郎が、1925年9月10日に出された死刑判決のあと、同年10月15日という極めて短期間に刑を執行されていることとは際立った違いがあります。
時代背景や彼らの主張の違いなどが大きな要素になったのではありましょうが、血盟団事件の四元義隆は近衛文麿の書生や鈴木貫太郎首相秘書官などを務め、戦後は政界の黒幕として中曽根氏や細川氏など歴代の総理の政策などに関与し「影の指南役」などといわれましたし、團琢磨を射殺した菱沼五郎は釈放後に名前を変えて茨城県議会議員に当選、同県の県議会議長まで登り詰めました。
小沼正に射殺された井上準之助蔵相を始め、血盟団が狙った相手方は、ロンドン海軍軍縮条約締結など戦争の不拡大を進めていたことなどを考え合わせると、当時の国家権力や軍部の目指す方向との奇妙な符合が見て取れるようにも思われます。

話は大きくそれてしまい恐縮ですが、流れ作業的にプログラムピクチャーを生産していた東映にしては、異例の力作であることに間違いはなく、一見の価値はあるものと思料します。
若き日の高倉健さんや菅原文太さんといった東映の看板俳優の充実した演技も見ものです。

さて、先日、沖縄県知事選で勝利した翁長さんの応援演説に駆け付けた菅原さんの第一声は「政治の役割は二つ。国民を飢えさせないことと絶対に戦争をしないこと」でした。
今から思えば、相当に体調も悪化されていた頃ではなかったかと思われ、それでも平和を希求する想いを体現すべく、病身にムチ打って行動なさったのでしょう。
50歳の頃、在日朝鮮・韓国人のための老人ホーム設立に奔走なさったとのことで、「日本暗殺秘録」の役柄では、貧民救済のための宿泊施設(労働ホテル)建設資金出資を安田善次郎(安田財閥首領)に要求し、「自分で建てたらよかろう」と拒絶されたことから斬殺してしまう朝日平吾を演じましたが、現実にはご自身でそれを行動に移されたわけですね。
東映映画の主要な出演作から、なんとなく血腥い印象を持ってしまいがちですが、平和を希求し、自然保護を訴え、それを実際の行動に反映させた高潔なお人柄だったのだなと、今更ながらに尊敬の念を禁じえません。
そうした活動に注目した政界から、政治家への慫慂もあったようですが、先に書いたような選挙応援はしたものの、政界進出への道を選ぶことはありませんでした。
最後のドラマ出演となった「白旗の少女」での安盛おじいさん役は、戦争反対と、それに呼応する沖縄県米軍基地闘争への想いが込められていて、これも強く印象に残っています。

私たちよりも上の世代にとっての「菅原文太」は、ギラギラとした情念を体中に漲らせた迫力満点のアウトローでしたが、今の若い人たちがこの名前を聞いて想起するのは、「千と千尋の神隠し」での釜爺や「ゲド戦記」のハイタカ、「おおかみこどもの雨と雪」の韮崎などといった、優しさと深みを持った声優としてのそれなのだそうです。
訃報を報ずるテレビの中継を見ながら、何とも言えない感慨にふけりました。

心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

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