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首都圏の大雪 [日記]

首都圏に大雪が降りました。

私の職場近くでも、18時くらいでこんな状況です。
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20時30分頃の自宅付近はこんな感じ。
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通常1時間強の通勤時間が昨日の帰りは2時間半を上回り、車内は大混雑。
予報では、夜遅くなるほどに降雪量と風が強まって交通機関に重大な影響が出る、といわれていましたから、通勤客も早めに帰宅の途に就こうとしてのでしょうね。
連れ合いに聞いたところでは、16~17時頃の混雑や遅れもひどく、急行電車などの運行をやめて対策をとっていた鉄道会社も処置なしだったとのこと。

自分もそうなのでこんなことを書くのは天に唾するようなものですが、あれほど前から大雪になって首都圏の交通機関は大混乱に陥る、とアナウンスをされていたのに、どうして出勤するのでしょうかね。
思い切って自宅待機すればいいし、それが普通の対応になれば交通機関の混乱もだいぶ緩和されることでしょうに。
私自身も、「別にそれほど急ぎの仕事があるわけでもないし」と思いつつ、結局のところ出勤したので、とても言えた義理ではないのですが。
これはつまり、「平日に出勤する」という習慣が染みついていて、とにかくそのルーティンをこなすことが日々の目的と化しているからなのかもしれません。
習慣や癖というものはなかなか治らないそうで、「毎日出勤する」という社畜じみたものが40年以上も習慣になっている自分の身を改めて振り返ってしまいました。

今日は一転して晴天。

朝の内は冷え込んでいたものの、陽射しを受けて気温も上がり、過ごしやすい気候になりました。
こんな記事もあって、一夜明けた幻想的な首都圏の雪景色はなかなかです。

4年ぶり大雪で東京が雪景色 夜の浅草寺や朝霧に包まれた多摩川河川敷など、SNSで話題の風景写真

道路の雪は大半が片付けられ、ソールパターンのある靴であれば問題なく歩けます。

その雪の片づけですが、歩道など道路の雪に関して、きちんと除雪されているところと放置されているところがくっきりと分かれ、非常に興味深く感じています。
これは、例えば晩秋から初冬の頃の落ち葉の片づけにもつながりますが、きちんとした会社のオフィスの前やスーパーの前の歩道などは比較的早い時間から除雪(片付け)がなされていました。
マンションのような集合住宅では、恐らく管理組合や管理会社の質の差によるものだと思われますが、きちんと片付けがなされているところと放置されているところが、これまたくっきりと分かれます。
学校では、私立の名門校などは校舎周辺で入念な片づけがなされていますが、公立校ではあまり徹底しているとはいえないようです。

それから相対的にルーズな印象があるのはファストフード店。
中でも「ま〇や」などは完全な放置状況です。

コンビニでも、「○ーソン」などは朝早くから店員が雪かきをしていましたが、「セ〇ンイレ〇ン」などは、お昼ごろになってようやくスコップを片手に雪を片付けている姿が見受けられました。
恐らく、お店のオーナーの姿勢の違いなのでしょうが。

また、おしゃれなレストランの前だけが雪かきがなされていないのをみたりすると、どんな料理やサービスを提供してくれるのかわかりませんが、こうしたあたりの態度にその店のサービスの質が現れるのではないか、などと意地悪く考えてしまいました。
半面、昔ながらの食堂やお惣菜屋の前はきちんと除雪がなされており、客商売の心意気の奥深さみたいなものにふれたような気もします。

私の生家である八ヶ岳山麓の町は、それほどの降雪量はありませんが、やはり冬には雪かきがしばしば必要になります。
子供の頃、早朝に有線放送でたたき起こされ、寒さに震えながら地区総出で道の雪かきをしました。雪かきは、地区のそのほかの共同作業に比べて軽い仕事でしたから、たいていの家では子供がその役務を担っていたわけです。
早朝に実施するのは、云うまでもなく自分たちの通学に支障が出ないため。
雪の降る地域では、それそれの地区の共同作業で公共部分の雪かきをするのが当然でしたが、そうした田舎よりもはるかに人口も多く家もたくさんある都心でそういう共同作業が実施されないのはどうしたわけなのでしょうか。

「自分の庭先だけをきれいにする」

そんな言葉を仕事の世界ではしばしば聞きましたし、そうした事例も数多く見てきましたが、歩道などに点々とまばらに残る雪(或いは落ち葉)の情景を眺めていると、その言葉が俄かに現実味を帯びてくるように感ぜられました。

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映画「地の群れ」 [映画]

寒い日が続いています。
日本海側では大荒れのお天気が続き、信越線の立ち往生などという異常事態まで発生しました。
昨年のお天気も荒れていましたし、異常気象がいよいよ本格化か、という不安にも駆られます。

昨年、自宅近くに連続して落雷があり、そのうちの一つが変電施設に落ちたようで、自宅のブレーカーが飛びました。
その影響で、S-VHSビデオデッキの電源が入らなくなり、ヒューズを取り替えたり、電源回りを調べたりしたのですが、復活せず。
四半世紀以上使ってきて、さすがにところどころで不具合が発生していたので、寿命がきていたところに落雷が止めをさしたのでしょう。
テープをDVDに変換しようと考え保持していたのですが、DVDレコーダーの調子も悪く、まあ、そのうち対応するか、と高を括ってサボっていたツケが回ってきたわけです。

DVDの方は当面買い替えに困ることもないと思われますが、さすがにS-VHSの方は手を打っておかないと、まだバックアップも完了していないプライベートビデオなどが全く再生不能となるわけですから、さすがに放置しておくわけにもいかず、ヤフーオークションを利用して年末に調達を終えました。
2万円弱で購入できたのですが、状態も非常によく、しかもクリーニングも済ませてあり、大変良心的な出品者に当たって本当に助かったところです。
このところメルカリなどに押され気味という話ですが、ヤフーかんたん決済など利便性もかなり向上しており、まだまだ現役ですね。

その動作確認で、いくつかのビデオを再生した中に、熊井啓監督の「地の群れ」がありました。


1970年の公開作品で、私が劇場で観たのは1980年頃の、もちろん再上映においてです。
その前作が「黒部の太陽」で、熊井監督は五社協定など映画界の固陋な因習と闘うなど大変なご労苦の末に完成させたものの、やはり関電や間組などの大企業PR映画となってしまったことに、作家として忸怩たる思いがあったのでしょう、ATGの枠組みの中で、ご自身の表現したい作品を粘り切って撮った、という映画です。
映画館で観た時には、衝撃のあまりしばらく立ち上がれませんでした。
今の腑抜けのような映画界とは違って、当時はまだまだ映画の表現力には高い思想性や芸術性が残っていたのですが、それでも「よくもこのような映画が撮れたものだ」と感心したものです。
それは、在日朝鮮人・被差別部落・被爆者に対する差別に、原爆と米軍基地問題を覆いかぶせた、極めて重苦しいテーマを扱っていたのですから。

ATGの作品も、当時のTOHOビデオでかなりの数がビデオ化されましたが、当然のようにこの作品がその枠組みの中でビデオ化されることはなく、長らくの間、幻の作品と化していました。

2000年頃だったと思いますが、パステルビデオがこの作品のVHSビデオを販売しました。
私は驚くと同時に即座に買い求めたのでした。

その後10数年を経て、2015年に、なんとDVDが発売されました。
それまでは、パステルビデオのVHSテープが希少価値ゆえの高値で取引されたりしていたようですから、正に隔世の感があります。

この映画、冒頭シーンの衝撃度合いがかなり異常なもので、観る人によっては、もうこの部分で先に進めなくなるかもしれません。
狭いケージの中に押し込められた鶏とネズミ。最初は鶏がネズミをつつきまわしますが、そのうちに鶏を無数のネズミがよってたかって食い殺す。
のちにそれらがガソリンによって一瞬のうちに丸焼きにされる。
云うまでもなくこれは、弱い者同士がひしめきお互いに傷つけあっていた当時の日本の民衆の上に落とされた無差別殺戮手段としての原爆の暗喩なのでしょう。

DVDが発売され、場所によってはレンタルもされていることもありますから、例によって映画の内容についての詳述は避けさせて頂きます。
ご興味のある方は、是非ともご覧ください。

この映画を観て思い起こすのは、被差別部落問題をめぐる活動を当時京都で展開していた先輩の言葉です。

「穢多は非人を蔑み、非人は穢多を嘲る」

双方とも士農工商という身分制度の枠組みの下に位置するとされていましたが、穢多が皮革関連といった仕事などに従事する人たちの呼称であったのに対し、非人は無宿人や犯罪を犯すなどして非人手下となった人などが含まれていましたから、穢多からすれば非人は「悪事を働いて最下層にまで落とされた正に人でなし」であり、非人からすれば「自分たちには元の身分(士農工商のいずれか)があり、善功を積めばそこに戻ることもできるが穢多はその位置から這い上がることはできない」と考えていたのだろうとのことでした。
つまり、当時の支配階級は、身分制度の最下層に位置するこの二つの階層間で反目させることによって、身分制度の根本的な問題(隷属・差別や人権蹂躙)に目を向けることを防ごうとしたのでしょう。
そして、さらに悲しいことは、その差別の対象となっている人々がその支配階級の思惑にまんまとのっかってしまっていたということ。
というよりも、現実に差別を受けている人々は、他者を差別をすることによってしか己の魂の窮状から逃れることができない、と考えていること。そこに絶望的な深淵があるのかもしれません。

井上光晴の原作でそして氏が脚本にも参加したこの映画は、正にその重層的で螺旋構造になっている差別の根幹に触れるものでした。
先にも触れましたように、在日朝鮮人・被差別部落民・被爆者に対する差別(相互のものも含む)の構造が、この映画の深部に横たわっています。

そして原爆。

爆心地に近かった浦上天主堂のマリア像などの石像が、強烈な熱線と衝撃波によって焼け焦げ破壊されました。
石像であるのにもかかわらず、その焼け焦げなどの悲惨さは極めて生々しく、物言わぬ石像の「恨み」が沸き起こってくるかのようです。
当局は、こうした原爆の痕跡がいつまでも残っている限り人々の心から恨みが消えないとして、目障りだからと整備・撤去を図ろうとしますが、そこにかぶせられるナレーション、「目障りなのは原爆を落とした米軍であり、そのアメリカを恨むことがなぜ悪いのか」には、ハッと胸を突かれます。
非常に根源的なこうした問いかけを糊塗して、被害者たる被爆者を差別し、差別された被爆者が部落民や在日朝鮮人を差別するという構造。
それによって引き起こされる惨劇と、絶望的なラスト。
それらが恐るべき重さを以て迫ってくるのです。

この映画の中で取り上げられているテーマは極めて今日的です。

〇〇ファースト、ヘイトクライム、ヘイトスピーチ、移民の排除、生活保護受給者など社会的弱者に対する誹謗・中傷といったことどもは、畢竟、苦しい生活を余儀なくされている人々が己のアイデンティティや生業の価値の崩壊を防ごうとして、それを脅かすかもしれない「下層(と彼らが感ずる)」の人々に牙を剥いて襲いかかる、ということなのかもしれませんし。

このような時代であるからこそ、こうした作品を改めて見直す価値があるのではないか。
私はしみじみとそう感じました。

さて、熊井啓監督作品の多くで音楽を担当してきた松村禎三さん。
この映画において、両者は初めてタッグを組みます。
のちに「忍ぶ川」や「愛する」などにみられるようなリリシズムに溢れた美しい音楽ではなく、衝撃的な画像と切り結ぶかのようなシャープで底知れぬ深さを持った音響表現でした。

映画では、原作者の井上光晴氏が書き下した手毬唄が増田睦実さんによって歌われます。
四月長崎花の町。
八月長崎灰の町。
十月カラスが死にまする。
正月障子が破れはて、
三月淋しい母の墓。

これは、いうまでもなく長崎の原爆投下をモチーフにしたもの。
要所でこの手毬唄がアカペラで歌われ、打楽器を中心とした不気味で乾いた音楽が響きます。
黒部の太陽」の折にも触れましたが、熊井啓監督は音楽・音響に相当なこだわりを持っておられます。
この、かなり実験的な映画音楽は素晴らしい存在感を以て迫りくるもので、松村さんがこの音楽によって毎日映画コンクールの音楽賞を受賞されたのも、正に宜なるかな、というところでしょう。

松村さんの交響曲やピアノ協奏曲を聴いている感覚で、彼の映画音楽の表現に接すると、そのアプローチに大きな乖離があることを感じずにはいられません。
そのことについて松村さんは次のように語っておられました。
私は純粋に抽象的な作品を書くときは、その語法、様式に対して大変神経質だと自分で思っています。逆に映画音楽では自由に自らを解放して、必要であったり、興味を持った場合はどんなスタイルの曲でも積極的に書こうとしてきましたし、そのことを楽しんでもきました。

うむ、なるほどなと納得です。
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活を入れる!?2018 [山登り]

元旦は思いのほか暖かでしたが、ここにきて寒さがぶり返しています。
小寒を過ぎましたから寒の入りですね。

そんな中の4日、東丹沢の三ノ塔に行ってきました。

仕事の関係で、例年、1月の第一周はお休みになりますので、三が日を過ぎ空いた頃を見計らって通常なら混雑する山域に出かける、という行動がこのところ連続しております。

一昨年は、今年と同じく三ノ塔。昨年は大倉尾根から塔ノ岳に登りましたが予想以上に混雑していたので三ノ塔に戻した、というわけです。
登る目的の一つは、年末年始でだらけ切った体に活を入れること、です。

4日の朝、NHKの朝ドラを観てからゆっくり家を出ました。
反対方向ということもあって、電車はガラガラ。
小田急線は意外に乗客がいましたが座れないということはなく、こんな形で出かけられる幸せをかみしめます。
渋沢から大倉行きのバスも、乗客は私を含めて三人。しかも、ほかのお二方は途中で下車したので、終点まで乗車したのは私だけでした。

風の吊り橋から、目指す三ノ塔を眺めます。良いお天気です。
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牛首までの登山道の途中で富士山の姿を眺めました。
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ゆっくりと、しかし休まずに三ノ塔尾根を登ります。
葛葉川の源頭当たりにくると疎林帯となり、頂上も近く感ぜられますが、ここからが意外にかかるのです。
大倉を出てから2時間で三ノ塔山頂着。
標高差1000mを少し超えていますから、この標高差を2時間で登れるかどうかが、私にとって一つの体力的バロメーターです。何とかクリアできました。

山頂からの富士山は、残念ながら頂上に雲がかかっています。
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山頂も表尾根にも雪は全く見当たりません。
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相模湾が輝いています。
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新しい手洗いができていて、今年の春辺りから使えるようになるそうです。
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かなりのオーバーユースとなっている丹沢山塊ですから、こうした施設の整備はやむを得ないところですね。

これは大山。
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富士山の右側には南アルプスの峰々が見えていました。
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荒川・赤石・聖といったところでしょうか。

予報では風が強いとのことでしたが、さほどではなく穏やかなお天気の中、二ノ塔に向かいます。
二ノ塔からの三ノ塔です。
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二ノ塔からヤビツ峠に向かって降りていくと、山頂が大きく削られた山が見えます。
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岳ノ台あたりでしょうか。
何だか目を背けたくなるほどの惨状です。
どういう目的でこうした工事をしているのか。

富士見橋からヤビツ峠までの林道歩きが、恐らくこのコースのうちで一番うんざりさせられる箇所でしょう。
2km弱の距離ですが、日陰で車の往来もかなりあり、歩いていてモチベーションがかなり下がってしまいます。

ようやくついたヤビツ峠は意外なほど車が止まっており、三が日が明けても出かけてくる人はいるのですね。

ヤビツ峠で少し遅い昼食をとって、一気に蓑毛まで下り、バスで秦野に向かいます。
17時には帰宅し、今年の山の登り初めを無事に終了しました。

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2018年、本年も宜しくお願い申し上げます [日記]

新年、明けましておめでとうございます。
本年も何卒相変わらずのご愛顧をお願い申し上げます。

2018年となりました。
大晦日には雪も降りましたが、元旦は穏やかな晴天に恵まれました。

今、八ヶ岳山麓の生家に帰省しております。
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代り映えのしない、生家のベランダからの初日の出です。

富士山もくっきり見えています。
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大納会における日経平均株価が、6年連続で前年を上回るなど、経済の面では好調の波が続いている模様です。
しかし私たちを取り巻く環境は内外ともに不安定要素が高まり、カタストロフに向けた不気味な足取りが聞こえてくるような気もしています。

己を見失うことのないよう、今年もささやかながらも誠実に生きていきたいなと思います。
今年もよろしくお願いいたします。

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