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映画「地の群れ」 [映画]

寒い日が続いています。
日本海側では大荒れのお天気が続き、信越線の立ち往生などという異常事態まで発生しました。
昨年のお天気も荒れていましたし、異常気象がいよいよ本格化か、という不安にも駆られます。

昨年、自宅近くに連続して落雷があり、そのうちの一つが変電施設に落ちたようで、自宅のブレーカーが飛びました。
その影響で、S-VHSビデオデッキの電源が入らなくなり、ヒューズを取り替えたり、電源回りを調べたりしたのですが、復活せず。
四半世紀以上使ってきて、さすがにところどころで不具合が発生していたので、寿命がきていたところに落雷が止めをさしたのでしょう。
テープをDVDに変換しようと考え保持していたのですが、DVDレコーダーの調子も悪く、まあ、そのうち対応するか、と高を括ってサボっていたツケが回ってきたわけです。

DVDの方は当面買い替えに困ることもないと思われますが、さすがにS-VHSの方は手を打っておかないと、まだバックアップも完了していないプライベートビデオなどが全く再生不能となるわけですから、さすがに放置しておくわけにもいかず、ヤフーオークションを利用して年末に調達を終えました。
2万円弱で購入できたのですが、状態も非常によく、しかもクリーニングも済ませてあり、大変良心的な出品者に当たって本当に助かったところです。
このところメルカリなどに押され気味という話ですが、ヤフーかんたん決済など利便性もかなり向上しており、まだまだ現役ですね。

その動作確認で、いくつかのビデオを再生した中に、熊井啓監督の「地の群れ」がありました。


1970年の公開作品で、私が劇場で観たのは1980年頃の、もちろん再上映においてです。
その前作が「黒部の太陽」で、熊井監督は五社協定など映画界の固陋な因習と闘うなど大変なご労苦の末に完成させたものの、やはり関電や間組などの大企業PR映画となってしまったことに、作家として忸怩たる思いがあったのでしょう、ATGの枠組みの中で、ご自身の表現したい作品を粘り切って撮った、という映画です。
映画館で観た時には、衝撃のあまりしばらく立ち上がれませんでした。
今の腑抜けのような映画界とは違って、当時はまだまだ映画の表現力には高い思想性や芸術性が残っていたのですが、それでも「よくもこのような映画が撮れたものだ」と感心したものです。
それは、在日朝鮮人・被差別部落・被爆者に対する差別に、原爆と米軍基地問題を覆いかぶせた、極めて重苦しいテーマを扱っていたのですから。

ATGの作品も、当時のTOHOビデオでかなりの数がビデオ化されましたが、当然のようにこの作品がその枠組みの中でビデオ化されることはなく、長らくの間、幻の作品と化していました。

2000年頃だったと思いますが、パステルビデオがこの作品のVHSビデオを販売しました。
私は驚くと同時に即座に買い求めたのでした。

その後10数年を経て、2015年に、なんとDVDが発売されました。
それまでは、パステルビデオのVHSテープが希少価値ゆえの高値で取引されたりしていたようですから、正に隔世の感があります。

この映画、冒頭シーンの衝撃度合いがかなり異常なもので、観る人によっては、もうこの部分で先に進めなくなるかもしれません。
狭いケージの中に押し込められた鶏とネズミ。最初は鶏がネズミをつつきまわしますが、そのうちに鶏を無数のネズミがよってたかって食い殺す。
のちにそれらがガソリンによって一瞬のうちに丸焼きにされる。
云うまでもなくこれは、弱い者同士がひしめきお互いに傷つけあっていた当時の日本の民衆の上に落とされた無差別殺戮手段としての原爆の暗喩なのでしょう。

DVDが発売され、場所によってはレンタルもされていることもありますから、例によって映画の内容についての詳述は避けさせて頂きます。
ご興味のある方は、是非ともご覧ください。

この映画を観て思い起こすのは、被差別部落問題をめぐる活動を当時京都で展開していた先輩の言葉です。

「穢多は非人を蔑み、非人は穢多を嘲る」

双方とも士農工商という身分制度の枠組みの下に位置するとされていましたが、穢多が皮革関連といった仕事などに従事する人たちの呼称であったのに対し、非人は無宿人や犯罪を犯すなどして非人手下となった人などが含まれていましたから、穢多からすれば非人は「悪事を働いて最下層にまで落とされた正に人でなし」であり、非人からすれば「自分たちには元の身分(士農工商のいずれか)があり、善功を積めばそこに戻ることもできるが穢多はその位置から這い上がることはできない」と考えていたのだろうとのことでした。
つまり、当時の支配階級は、身分制度の最下層に位置するこの二つの階層間で反目させることによって、身分制度の根本的な問題(隷属・差別や人権蹂躙)に目を向けることを防ごうとしたのでしょう。
そして、さらに悲しいことは、その差別の対象となっている人々がその支配階級の思惑にまんまとのっかってしまっていたということ。
というよりも、現実に差別を受けている人々は、他者を差別をすることによってしか己の魂の窮状から逃れることができない、と考えていること。そこに絶望的な深淵があるのかもしれません。

井上光晴の原作でそして氏が脚本にも参加したこの映画は、正にその重層的で螺旋構造になっている差別の根幹に触れるものでした。
先にも触れましたように、在日朝鮮人・被差別部落民・被爆者に対する差別(相互のものも含む)の構造が、この映画の深部に横たわっています。

そして原爆。

爆心地に近かった浦上天主堂のマリア像などの石像が、強烈な熱線と衝撃波によって焼け焦げ破壊されました。
石像であるのにもかかわらず、その焼け焦げなどの悲惨さは極めて生々しく、物言わぬ石像の「恨み」が沸き起こってくるかのようです。
当局は、こうした原爆の痕跡がいつまでも残っている限り人々の心から恨みが消えないとして、目障りだからと整備・撤去を図ろうとしますが、そこにかぶせられるナレーション、「目障りなのは原爆を落とした米軍であり、そのアメリカを恨むことがなぜ悪いのか」には、ハッと胸を突かれます。
非常に根源的なこうした問いかけを糊塗して、被害者たる被爆者を差別し、差別された被爆者が部落民や在日朝鮮人を差別するという構造。
それによって引き起こされる惨劇と、絶望的なラスト。
それらが恐るべき重さを以て迫ってくるのです。

この映画の中で取り上げられているテーマは極めて今日的です。

〇〇ファースト、ヘイトクライム、ヘイトスピーチ、移民の排除、生活保護受給者など社会的弱者に対する誹謗・中傷といったことどもは、畢竟、苦しい生活を余儀なくされている人々が己のアイデンティティや生業の価値の崩壊を防ごうとして、それを脅かすかもしれない「下層(と彼らが感ずる)」の人々に牙を剥いて襲いかかる、ということなのかもしれませんし。

このような時代であるからこそ、こうした作品を改めて見直す価値があるのではないか。
私はしみじみとそう感じました。

さて、熊井啓監督作品の多くで音楽を担当してきた松村禎三さん。
この映画において、両者は初めてタッグを組みます。
のちに「忍ぶ川」や「愛する」などにみられるようなリリシズムに溢れた美しい音楽ではなく、衝撃的な画像と切り結ぶかのようなシャープで底知れぬ深さを持った音響表現でした。

映画では、原作者の井上光晴氏が書き下した手毬唄が増田睦実さんによって歌われます。
四月長崎花の町。
八月長崎灰の町。
十月カラスが死にまする。
正月障子が破れはて、
三月淋しい母の墓。

これは、いうまでもなく長崎の原爆投下をモチーフにしたもの。
要所でこの手毬唄がアカペラで歌われ、打楽器を中心とした不気味で乾いた音楽が響きます。
黒部の太陽」の折にも触れましたが、熊井啓監督は音楽・音響に相当なこだわりを持っておられます。
この、かなり実験的な映画音楽は素晴らしい存在感を以て迫りくるもので、松村さんがこの音楽によって毎日映画コンクールの音楽賞を受賞されたのも、正に宜なるかな、というところでしょう。

松村さんの交響曲やピアノ協奏曲を聴いている感覚で、彼の映画音楽の表現に接すると、そのアプローチに大きな乖離があることを感じずにはいられません。
そのことについて松村さんは次のように語っておられました。
私は純粋に抽象的な作品を書くときは、その語法、様式に対して大変神経質だと自分で思っています。逆に映画音楽では自由に自らを解放して、必要であったり、興味を持った場合はどんなスタイルの曲でも積極的に書こうとしてきましたし、そのことを楽しんでもきました。

うむ、なるほどなと納得です。
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