雪の入笠山 [山登り]
桜の季節が始まりました。
朝の気温は低いものの、日中は20度近くまで上がることもあり、春本番を迎えている感があります。
先日、入笠山に出かけ、スノーシューでの散策を楽しんできました。
スノーシューの経験はほとんどない私ですが、そんな初心者でも履いて少し遊んでいるうちにコツを呑み込むことができ、深雪での高い踏破性能を味わうことができます。
比較的雪が少なかった入笠山の今シーズンでしたが、三月の半ばあたりからかなりの降雪があり、私が出かけた折はおあつらえ向きの銀世界でした。
早速、入笠山の山頂を目指します。
一年を通じて登山者の多い山であるだけに、この時期でもトレースはしっかり残っています。
ワカンのような「花魁歩き」の必要はないものの、踏み固められたトレースをたどるのにはあまり向いていないのかもしれません。
それでも、前爪などがあるため、踏み固められた雪面でもかなりグリップが効き、狭いところなどで自分のスノーシューを自分で踏んだりしない限り快適に歩けます。
穏やかなお天気ではありましたが、低気圧が急速に近づいてきていることもあり、山頂での景色はいまひとつです。
この山の一番の売りは360度の展望なのですから、その点は少し残念でした。
とりあえず記念写真。
何枚か写真を撮っているうちに、寒さゆえかデジカメのバッテリーが切れてしまい、それではとケータイを使おうと思ったらこちらもバッテリー切れ。
そんなわけで、これ以降の画像はなしとなりました。
首切り清水方面に下ります。
こちらのほうはほとんど人がいなかったので、思い切りコースを外れて雪原に入っていきました。
これがまことに快適で、ツボ足ならば腰まで、ワカンでも太ももくらいはもぐってしまうところも、まったく問題なく進めます。
この時期特有の、嫌らしいモナカ雪もなんのその、という感じで、なるほどこれなら人気が出るのも当然、と納得です。
しばらく雪原や吹き溜まりなどで遊び、林道に出ました。
林道は所々で雪が消えていて、アイスバーンになっていたりします。
それでも、スノーシュー自体に前爪などがあるため、ほとんど問題ありません。
入笠山周辺のような、逍遥雪山歩きには最高に適合するアイテムだなと感じました。
傾斜の強い岩稜地帯やキレットなどの狭い場所で使うのはかなり危険と思いますし、雪稜でも、傾斜の強い斜面では、やはり靴と一体化しているワカンの方が優れていると思います。
これまで山スキーで登っていたようなところは、スノーシューに切り替えることでコントロールがしやすくなり行動範囲も広がることでしょう。
今回、私はストックなどを使いませんでしたが、その方が無駄な力が入らず、こうした雪原のハイクには合っているようです。
いずれにしても、用途によっては大変快適で優れた雪上アイテムだと改めて感じました。
携行するのにちょっと大変ですが、目的に応じて使ってみてもよいのではないでしょうか。
閑話休題
このブログ、長らく記事をアップしておりませんでした。
今年の1月18日、連れ合いが永眠しました。
昨年の2月初めに、がんの肺への転移が確認され、肺の切除、抗がん剤治療などを行った後、ホルモン治療の可能性も調べてみたのですが、残念ながら効果が期待できず、セカンドオピニオンなども活用しつつ、放射線治療や保険外の分子標的薬など様々な治療を試みたところです。
しかし、いずれも効果が上がらず、昨年の10月、新たな抗がん剤治療を試みようとしたのですが、それに耐えられるだけの体力が連れ合いには残っておらず、手詰まり。
肺と気管支の腫瘍を除去する目的の放射線治療を受けるため、昨年11月より入院し、これは一定の効果があったのですが、根治に結びつくことは到底期待できず、最後は緩和ケアを中心とする療養になりました。
連れ合いは在宅医療介護を望んでおりましたので、介護用ベッドや車いす、酸素吸入器そのほかの医療用機材を借り受け、在宅医療専門の医師・看護師・薬局の方などの手厚いご協力を得て、しばらくは自宅で過ごしました。
年も押し迫ったころ、自宅にほど近い総合病院の緩和ケア病棟に空きができましたので、そちらに入院し、私なども泊まり込んで一緒に年越し。
その後いったん自宅に戻ったのですが、連れ合いの体力はいくらも残っていなかったのでしょう、16日にはほとんど食事がとれなくなり、18日の朝、緩和ケア病棟に再入院し、その日の午後に旅立ったのでした。
眠るように逝ってしまったので、私はとてもそのことを受け入れられず、手を握り体を揺さぶり胸をマッサージしたりして、「戻ってこい!」と何度も叫びました。
小一時間、そうした徒労に近いことをしていた私に、病棟の看護師さんが「お気持ちはわかりますがもう休ませてあげてはいかがですが」と声をかけてくれました。
しかし、連れ合いの体はまだ生きているときのように温もりがあるのです。
絶望の涙を流しつつ、医師からの臨終宣告を聞きました。
昨年の終わりくらいから体中の血管がもろくなっていて、タオルなどで体をこすって洗ったりすることができなくなっておりましたから、せめて最期くらいは私の手で体を拭いてあげたいと思い、病院側で用意してくれた温かなタオルで体中を拭いてあげ、「最後までよく頑張ったね」と声をかけたところです。
1月25日に告別式を行って火葬し、3月2日、私の郷里の八ヶ岳山麓の町にある私の家の墓に納骨を済ませました。
30年ほど前に、私の実家を訪ねた折、○○家のお墓はどこにありますか?と、連れ合いは私の父に聞きました。
まだお墓など眼中にもなかった父は、墓はない、と答えたのですが、そのとき連れ合いは「ええ!私が死んだときに入るお墓がないのですか?」と訴え、父はその場で墓の購入を即決した、という経緯があります。
そのお墓に、まさか自分が一番最初に入るとは思ってみなかったことでしょう(私の父母はまだ健在です)。
急遽、墓石を立て、整地した墓に納骨をする際、私はそのことを思い出し、言い知れぬ悲しみに浸ったところです。
先に入笠山に出かけたことを書きましたが、月命日にお墓参りをし、花を飾りたいという想いもあってのことです。
葬儀の日も、納骨の日も、お墓参りの時も、穏やかなお天気に恵まれました。
そういうお天気を連れ合いがあつらえてくれたんだなと、私は勝手に考えております。
連れ合いが旅立ってから二度目の月命日が過ぎました。
遺骨が自宅にあった時には、毎日、影膳を上げ、今でも、毎日、米・塩・水そしてお茶を上げています。
少し微笑んでいる遺影を見ながら、私の寂しさは一向に果てることをしりません。
最期の時の連れ合いの温もりは、まだ私の全身の記憶として残っています。
私を一人残して(私たち夫婦には子供がありませんので)、勝手に先に逝ってしまうとは!と、理不尽だとは思いつつも口惜しさと悲しさと怒りに満ちた感情を抑えることができずにいます。
ただ、最後は本当に眠るように安らかだったこと。
そして、病院にいる時を除いて、一日たりとも連れ合いを一人にはしなかったこと(連れ合いの姉妹や私の妹も来てくれましたので)。
そのことだけがわずかな救いでありました。
朝の気温は低いものの、日中は20度近くまで上がることもあり、春本番を迎えている感があります。
先日、入笠山に出かけ、スノーシューでの散策を楽しんできました。
スノーシューの経験はほとんどない私ですが、そんな初心者でも履いて少し遊んでいるうちにコツを呑み込むことができ、深雪での高い踏破性能を味わうことができます。
比較的雪が少なかった入笠山の今シーズンでしたが、三月の半ばあたりからかなりの降雪があり、私が出かけた折はおあつらえ向きの銀世界でした。
早速、入笠山の山頂を目指します。
一年を通じて登山者の多い山であるだけに、この時期でもトレースはしっかり残っています。
ワカンのような「花魁歩き」の必要はないものの、踏み固められたトレースをたどるのにはあまり向いていないのかもしれません。
それでも、前爪などがあるため、踏み固められた雪面でもかなりグリップが効き、狭いところなどで自分のスノーシューを自分で踏んだりしない限り快適に歩けます。
穏やかなお天気ではありましたが、低気圧が急速に近づいてきていることもあり、山頂での景色はいまひとつです。
この山の一番の売りは360度の展望なのですから、その点は少し残念でした。
とりあえず記念写真。
何枚か写真を撮っているうちに、寒さゆえかデジカメのバッテリーが切れてしまい、それではとケータイを使おうと思ったらこちらもバッテリー切れ。
そんなわけで、これ以降の画像はなしとなりました。
首切り清水方面に下ります。
こちらのほうはほとんど人がいなかったので、思い切りコースを外れて雪原に入っていきました。
これがまことに快適で、ツボ足ならば腰まで、ワカンでも太ももくらいはもぐってしまうところも、まったく問題なく進めます。
この時期特有の、嫌らしいモナカ雪もなんのその、という感じで、なるほどこれなら人気が出るのも当然、と納得です。
しばらく雪原や吹き溜まりなどで遊び、林道に出ました。
林道は所々で雪が消えていて、アイスバーンになっていたりします。
それでも、スノーシュー自体に前爪などがあるため、ほとんど問題ありません。
入笠山周辺のような、逍遥雪山歩きには最高に適合するアイテムだなと感じました。
傾斜の強い岩稜地帯やキレットなどの狭い場所で使うのはかなり危険と思いますし、雪稜でも、傾斜の強い斜面では、やはり靴と一体化しているワカンの方が優れていると思います。
これまで山スキーで登っていたようなところは、スノーシューに切り替えることでコントロールがしやすくなり行動範囲も広がることでしょう。
今回、私はストックなどを使いませんでしたが、その方が無駄な力が入らず、こうした雪原のハイクには合っているようです。
いずれにしても、用途によっては大変快適で優れた雪上アイテムだと改めて感じました。
携行するのにちょっと大変ですが、目的に応じて使ってみてもよいのではないでしょうか。
閑話休題
このブログ、長らく記事をアップしておりませんでした。
今年の1月18日、連れ合いが永眠しました。
昨年の2月初めに、がんの肺への転移が確認され、肺の切除、抗がん剤治療などを行った後、ホルモン治療の可能性も調べてみたのですが、残念ながら効果が期待できず、セカンドオピニオンなども活用しつつ、放射線治療や保険外の分子標的薬など様々な治療を試みたところです。
しかし、いずれも効果が上がらず、昨年の10月、新たな抗がん剤治療を試みようとしたのですが、それに耐えられるだけの体力が連れ合いには残っておらず、手詰まり。
肺と気管支の腫瘍を除去する目的の放射線治療を受けるため、昨年11月より入院し、これは一定の効果があったのですが、根治に結びつくことは到底期待できず、最後は緩和ケアを中心とする療養になりました。
連れ合いは在宅医療介護を望んでおりましたので、介護用ベッドや車いす、酸素吸入器そのほかの医療用機材を借り受け、在宅医療専門の医師・看護師・薬局の方などの手厚いご協力を得て、しばらくは自宅で過ごしました。
年も押し迫ったころ、自宅にほど近い総合病院の緩和ケア病棟に空きができましたので、そちらに入院し、私なども泊まり込んで一緒に年越し。
その後いったん自宅に戻ったのですが、連れ合いの体力はいくらも残っていなかったのでしょう、16日にはほとんど食事がとれなくなり、18日の朝、緩和ケア病棟に再入院し、その日の午後に旅立ったのでした。
眠るように逝ってしまったので、私はとてもそのことを受け入れられず、手を握り体を揺さぶり胸をマッサージしたりして、「戻ってこい!」と何度も叫びました。
小一時間、そうした徒労に近いことをしていた私に、病棟の看護師さんが「お気持ちはわかりますがもう休ませてあげてはいかがですが」と声をかけてくれました。
しかし、連れ合いの体はまだ生きているときのように温もりがあるのです。
絶望の涙を流しつつ、医師からの臨終宣告を聞きました。
昨年の終わりくらいから体中の血管がもろくなっていて、タオルなどで体をこすって洗ったりすることができなくなっておりましたから、せめて最期くらいは私の手で体を拭いてあげたいと思い、病院側で用意してくれた温かなタオルで体中を拭いてあげ、「最後までよく頑張ったね」と声をかけたところです。
1月25日に告別式を行って火葬し、3月2日、私の郷里の八ヶ岳山麓の町にある私の家の墓に納骨を済ませました。
30年ほど前に、私の実家を訪ねた折、○○家のお墓はどこにありますか?と、連れ合いは私の父に聞きました。
まだお墓など眼中にもなかった父は、墓はない、と答えたのですが、そのとき連れ合いは「ええ!私が死んだときに入るお墓がないのですか?」と訴え、父はその場で墓の購入を即決した、という経緯があります。
そのお墓に、まさか自分が一番最初に入るとは思ってみなかったことでしょう(私の父母はまだ健在です)。
急遽、墓石を立て、整地した墓に納骨をする際、私はそのことを思い出し、言い知れぬ悲しみに浸ったところです。
先に入笠山に出かけたことを書きましたが、月命日にお墓参りをし、花を飾りたいという想いもあってのことです。
葬儀の日も、納骨の日も、お墓参りの時も、穏やかなお天気に恵まれました。
そういうお天気を連れ合いがあつらえてくれたんだなと、私は勝手に考えております。
連れ合いが旅立ってから二度目の月命日が過ぎました。
遺骨が自宅にあった時には、毎日、影膳を上げ、今でも、毎日、米・塩・水そしてお茶を上げています。
少し微笑んでいる遺影を見ながら、私の寂しさは一向に果てることをしりません。
最期の時の連れ合いの温もりは、まだ私の全身の記憶として残っています。
私を一人残して(私たち夫婦には子供がありませんので)、勝手に先に逝ってしまうとは!と、理不尽だとは思いつつも口惜しさと悲しさと怒りに満ちた感情を抑えることができずにいます。
ただ、最後は本当に眠るように安らかだったこと。
そして、病院にいる時を除いて、一日たりとも連れ合いを一人にはしなかったこと(連れ合いの姉妹や私の妹も来てくれましたので)。
そのことだけがわずかな救いでありました。
南無阿弥陀仏
by 夏炉冬扇 (2019-03-26 08:14)
夏炉冬扇さん、こんにちは。
お念仏、ありがとうございます。
by 伊閣蝶 (2019-03-26 12:27)
残されたものの悲しみは、言葉で表現出来ない程とお察し致します。
残されたものが、今後元気に楽しみながら人生を歩む事を、亡くなった奥様も願っていると思います。
by のら人 (2019-03-26 16:55)
ブログの更新がなく気になっていましたが、この場で訃報を知りました。お悔やみ申し上げます。
私ども夫婦も子供がないので貴兄の思いは我が身のことのように痛切々に感じます。貴兄の奥様への深い愛情あればこそ悲しみもなかなか癒えないでしょうが、奥様もあの世で感謝していらっしゃると察します。ご実家のある八ヶ岳山麓のお墓に納骨できたのはいいですね。我が家には墓はありません・・・
改めてお悔やみとともに、奥様のご冥福をお祈りいたします。
P.S. 入笠山でのスノーシュー快適な雪山ウォークでよかったですね。
by Jetstream (2019-03-26 17:26)
そうでしたか、ブログの更新が途絶えていたのでもしやとは思っていました。
読んでいて奥様への愛情がひしひしと感じられました。
悲しみも如何ばかりかとお察しします。
でも一日も一人にされなかったことで最期は安らかに旅立ったのではないでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。
悲しみを乗り越えてのこれからの活躍を願っております。
合掌
by tochimochi (2019-03-26 20:40)
のら人さん、こんばんは。
温かなお悔やみのコメント、ありがとうございました。
こういう言い方をしてはいけないのでしょうが、先に逝った者はある意味楽なのではないかなと思います。
残された者の悲しみを知りようがないのですから。
でも、仰る通り、何とか前を向いて進みたいと思います。
by 伊閣蝶 (2019-03-26 22:27)
Jetstreamさん、こんばんは。
温かなお悔やみのコメント、ありがとうございました。
Jetstreamさんもご夫婦のみとのこと。
余計なこととは存じますが、どうぞ奥様をお大切になさって頂きたく、心よりお願い申しあげます。
連れ合いを納骨した墓は、八ヶ岳と富士山と金峰山などが望まれる眺めのいいところで、連れ合いも気に入っておりました。
今週末も墓参りに出かける予定です。
しばらくはそれが私自身の慰めになりそうな気がします。
スノーシューは予想以上の快適さでした。
積極的に使ってみたいと思います。
by 伊閣蝶 (2019-03-26 22:39)
tochimochiさん、こんばんは。
温かなお悔やみのコメント、ありがとうございました。
おかしな話ですが、今回のことを通じて、自分が如何に家内を愛していたのかを思い知ったところです。
失ってしまってから気付く迂闊さに苦笑を禁じえませんが。
今しばらくは厳しいかと思いますが、少しずつこの悲しみを乗り越えていければと思っています。
by 伊閣蝶 (2019-03-26 22:44)
「孤独の捉え方」を読ませていただき、それに続く長い沈黙を考えた時、もしや奥様になにかおありだったのかとは考えておりました。
心からご冥福をお祈りいたします。
どんなにかお力落としのことでしょう。特に奥様とお二人だけの幸せなご家庭を築いていらしたのだから、その衝撃の強さは私などには計り知れません。こればかりは時が癒してくれるのを待つよりほかに無いのかもしれません。
ただ、奥様はこの上なくお幸せなご一生だったと思います。死に方は選べないと申しますからそこは仕方ないとして、いつでも愛するご家族に囲まれて、ご自分のお仕事もきちんと続けられて、何より伊閣蝶さんのような素晴らしいご主人と巡り合われて・・・。
実は「孤独の捉え方」を読ませていただいた後すぐにコメントを書き始めたのですが、タブレットから一生懸命書いたらなぜか消えてしまいました。書き直すズクが無くて。(長野県人ならお分かりですよね)
とにかく、伊閣蝶さんがブログの出会いをとても大事に考えてて下さるのが大変嬉しいという意味のことを書きたかったのです。
こんな風に出会いのご縁を大事にして下さる伊閣蝶さんは、すべての出会い、それが音楽でも、品物でも、風景でも、もちろん人間関係も・・。すべてに礼を尽くし、磨きこみ、手入れをされる、そんな人だから、きっと誰にも信用され、愛されるのでしょう。
こう言う人が長野県民なんだぞう!と思うと、私も同じ長野県民として嬉しくなります。全然タイプは違いますが(^^;;
伊閣蝶さんみたいな方なら、奥様がいらっしゃらなくても一人でなんでもなされそう。
でも本当にお元気になられるまでにはきっと時間がかかるでしょうから、くれぐれも無理なさらないようになさってください。
花冷えの長野より。
by 九子 (2019-03-29 12:44)
九子さん、こんばんは。
いつもながらのお心のこもった温かなコメント、本当にありがとうございます。
今週末も、連れ合いのお墓に出かけてきました。
落ち着かないお天気で、八ヶ岳も入笠山方面も、真っ白に化粧をしていましたが、お墓に出向いた時はとても穏やかなお天気で、それだけでも救われた気がします。
連れ合いをなくした喪失感はどうにも埋めるすべを見つけられず、未だに連れ合いの持ち物はそのままにして、失った現実から逃避しようとしている。こまりものですね。
それでも、現実的な手続きは容赦なく進み、そのたびに連れ合いのいない現実を思い知らされるので、恐らくこの状況から抜け出すのには相当の時間がかかるものと思います。
そんな私のとって、皆様から寄せて頂いたコメントは、やはり大きな励みなっています。
ネット上だけのバーチャルな世界でのつながりなのに、そこにはやはり人としての温もりを感ぜられ、むしろ、ネット上故にこうした関係が築けるのだなと、改めて感謝しもしました。
私も「ずく」がないので、なかなか記事をアップできないかもしれません。
それでも、こうした温かな励ましのお言葉を頂けるのは、拙い内容でも記事をアップしているからこそのこと。
それを励みに少しずつ前に進みたいと思います。
過分なお褒めのお言葉もいただき、重ねて御礼申し上げます。
by 伊閣蝶 (2019-03-31 23:34)
長年連れ添われて来られた奥様のご逝去と、それまでの闘病生活に付き添われてきた心労を考えると、何と声をかけさせていただいたらよいのか、分からないまま時間が過ぎてしまいました。
奥様のご冥福をお祈りします。
私の義父も、定年を迎えて「さあ、これから」というときに癌が見つかり、62歳で亡くなってしまいました。亡くなって6年経った今でも、妻は「まだ、ほんとうの意味で実感が持てない」と漏らすことがあります。
by ヒロノミン (2019-05-02 00:20)
ヒロノミンさん、こんばんは。
温かなお悔やみのコメント、本当にありがとうございます。
あれから3ヶ月が過ぎましたが、今になっても気持ちの整理はつきません。
月命日の近辺に墓に参っておりますが、その度にやるせない悲しみに取り憑かれてしまいます。
お義父樣、62歳でご逝去ですか。
今の私と同じ歳。改めて気を付けたいと思います。
奥様のお気持ちも、全くその通りと存じます。
私もきっと、このまま実感できずに時を過ごすことになることでしょう。
それだけ愛おしい存在であったと思えば、それもやむを得ないことと考えております。
by 伊閣蝶 (2019-05-03 21:58)
久しぶりに訪問させていただき驚きました。伊閣蝶さんもあまりブログをご覧になっていないようでここにコメントさせていただくのもためらわれるのですが、以前の連絡先もどうかと思い、こちらに書かせていただくことにしました。奇しくも明日が命日とのこと。もう2年になるようですが、お悲しみはまだ癒えていないのでは?と拝察します。
また最近お父様も亡くなられたとのこと、年齢的なものは仕方ないとしても、奥様に続いての御不幸、お悔やみ申し上げます。
私の父は57歳で心筋梗塞になり急逝しました。いまだに実感がありません。入棺の時に母は「いやだ」と言って遺体にとりすがっていました。
お二人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
by Cecilia (2021-01-17 19:08)
Ceciliaさん、あたたかなお悔みのコメントをありがとうございました。
ご指摘の通り、このブログに記事をアップする気力がなかなかわかず、そのため、閲覧することすらあまりなくなっております。
コメントが遅れましたこと、心よりお詫び申し上げます。
コメントを頂いた1月17日には父の一年祭を執り行いました。
緊急事態宣言のさなかではありましたが、身内だけの参列でしたし、やはり母のことが心配で、帰省した次第です。
翌日が連れ合いの命日でしたので、二人分のお花をもってお墓参りをいたしました。
連れ合いと父は、誕生日が同じ2月8日でしたので、その日には母と妹がお墓に詣で、私はケーキを二つ買って二人のお誕生日祝いをしました。
去年は、父もなくなって直後でしたからとてもそんな気分にはなれませんでしたが。
Ceciliaさんは、お父様をお若くして亡くされたのですね。
お母様のお気持ちはとてもよくわかりますし、いまだに実感がわかないのは、私も同じです。
一人暮らしの在宅ワークですので、なおさらのことかもしれません。
それでもなんとか前向きに生きていきたいと思っております。
お心遣いに重ねて御礼申し上げます。
by 伊閣蝶 (2021-02-11 17:24)