SSブログ

首都圏の大雪 [日記]

首都圏に大雪が降りました。

私の職場近くでも、18時くらいでこんな状況です。
2018ooyuki01.jpg

20時30分頃の自宅付近はこんな感じ。
2018ooyuki02.jpg

通常1時間強の通勤時間が昨日の帰りは2時間半を上回り、車内は大混雑。
予報では、夜遅くなるほどに降雪量と風が強まって交通機関に重大な影響が出る、といわれていましたから、通勤客も早めに帰宅の途に就こうとしてのでしょうね。
連れ合いに聞いたところでは、16~17時頃の混雑や遅れもひどく、急行電車などの運行をやめて対策をとっていた鉄道会社も処置なしだったとのこと。

自分もそうなのでこんなことを書くのは天に唾するようなものですが、あれほど前から大雪になって首都圏の交通機関は大混乱に陥る、とアナウンスをされていたのに、どうして出勤するのでしょうかね。
思い切って自宅待機すればいいし、それが普通の対応になれば交通機関の混乱もだいぶ緩和されることでしょうに。
私自身も、「別にそれほど急ぎの仕事があるわけでもないし」と思いつつ、結局のところ出勤したので、とても言えた義理ではないのですが。
これはつまり、「平日に出勤する」という習慣が染みついていて、とにかくそのルーティンをこなすことが日々の目的と化しているからなのかもしれません。
習慣や癖というものはなかなか治らないそうで、「毎日出勤する」という社畜じみたものが40年以上も習慣になっている自分の身を改めて振り返ってしまいました。

今日は一転して晴天。

朝の内は冷え込んでいたものの、陽射しを受けて気温も上がり、過ごしやすい気候になりました。
こんな記事もあって、一夜明けた幻想的な首都圏の雪景色はなかなかです。

4年ぶり大雪で東京が雪景色 夜の浅草寺や朝霧に包まれた多摩川河川敷など、SNSで話題の風景写真

道路の雪は大半が片付けられ、ソールパターンのある靴であれば問題なく歩けます。

その雪の片づけですが、歩道など道路の雪に関して、きちんと除雪されているところと放置されているところがくっきりと分かれ、非常に興味深く感じています。
これは、例えば晩秋から初冬の頃の落ち葉の片づけにもつながりますが、きちんとした会社のオフィスの前やスーパーの前の歩道などは比較的早い時間から除雪(片付け)がなされていました。
マンションのような集合住宅では、恐らく管理組合や管理会社の質の差によるものだと思われますが、きちんと片付けがなされているところと放置されているところが、これまたくっきりと分かれます。
学校では、私立の名門校などは校舎周辺で入念な片づけがなされていますが、公立校ではあまり徹底しているとはいえないようです。

それから相対的にルーズな印象があるのはファストフード店。
中でも「ま〇や」などは完全な放置状況です。

コンビニでも、「○ーソン」などは朝早くから店員が雪かきをしていましたが、「セ〇ンイレ〇ン」などは、お昼ごろになってようやくスコップを片手に雪を片付けている姿が見受けられました。
恐らく、お店のオーナーの姿勢の違いなのでしょうが。

また、おしゃれなレストランの前だけが雪かきがなされていないのをみたりすると、どんな料理やサービスを提供してくれるのかわかりませんが、こうしたあたりの態度にその店のサービスの質が現れるのではないか、などと意地悪く考えてしまいました。
半面、昔ながらの食堂やお惣菜屋の前はきちんと除雪がなされており、客商売の心意気の奥深さみたいなものにふれたような気もします。

私の生家である八ヶ岳山麓の町は、それほどの降雪量はありませんが、やはり冬には雪かきがしばしば必要になります。
子供の頃、早朝に有線放送でたたき起こされ、寒さに震えながら地区総出で道の雪かきをしました。雪かきは、地区のそのほかの共同作業に比べて軽い仕事でしたから、たいていの家では子供がその役務を担っていたわけです。
早朝に実施するのは、云うまでもなく自分たちの通学に支障が出ないため。
雪の降る地域では、それそれの地区の共同作業で公共部分の雪かきをするのが当然でしたが、そうした田舎よりもはるかに人口も多く家もたくさんある都心でそういう共同作業が実施されないのはどうしたわけなのでしょうか。

「自分の庭先だけをきれいにする」

そんな言葉を仕事の世界ではしばしば聞きましたし、そうした事例も数多く見てきましたが、歩道などに点々とまばらに残る雪(或いは落ち葉)の情景を眺めていると、その言葉が俄かに現実味を帯びてくるように感ぜられました。

nice!(20)  コメント(13) 
共通テーマ:地域

2018年、本年も宜しくお願い申し上げます [日記]

新年、明けましておめでとうございます。
本年も何卒相変わらずのご愛顧をお願い申し上げます。

2018年となりました。
大晦日には雪も降りましたが、元旦は穏やかな晴天に恵まれました。

今、八ヶ岳山麓の生家に帰省しております。
2018-02.jpg
代り映えのしない、生家のベランダからの初日の出です。

富士山もくっきり見えています。
2018-01.jpg

大納会における日経平均株価が、6年連続で前年を上回るなど、経済の面では好調の波が続いている模様です。
しかし私たちを取り巻く環境は内外ともに不安定要素が高まり、カタストロフに向けた不気味な足取りが聞こえてくるような気もしています。

己を見失うことのないよう、今年もささやかながらも誠実に生きていきたいなと思います。
今年もよろしくお願いいたします。

nice!(21)  コメント(16) 
共通テーマ:日記・雑感

「一人ぼっち」で過ごす定年退職者の哀愁 [日記]

このところ、少し夏に戻ったような気温が続いています。
尤も、この週末には雨となりそこから秋冷を迎えるとのことですが。

この気候ゆえのことか、金木犀の花がずいぶん長くもっているような気がします。
私のお昼のウォーキング・コースでも、この時期はこの香りを楽しむことができますが、金木犀というと垣根くらいの感覚でいる私の思い込みを覆す大木が結構あり、ちょっと驚かされました。
kinmokusei.jpg
見事な風格ではありませんか。

ところで先日少し考えさせられる記事がネットにアップされていました。

「一人ぼっち」で過ごす定年退職者の哀愁、午前中の図書館、カフェ、ジム…

私の八歳年上の先輩が、リタイア後は図書館に出かけることが多くなった、とつぶやいていたことを改めて思い返しています。
10年以上前のことになりますが、出向先の職場近くにある図書館に、調べものがあって出向いたことがあります。
その図書館の近くには場外馬券売り場や歓楽街もあったためか、ホームレスと思しき方がかなりの数おられました。冬の寒い時期であり、なるほどここで寒さから身を守っているのだな、とちょっと納得したりもしました。
そうした方々とはもちろん事情は異なるのでしょうが、「することがない」「家に居場所がない」というのが理由の一つであるとするのであれば、なんだか少し寂しいものを感じます。
先に挙げた先輩は、「今まで自由になる時間がなかった。リタイヤしたことによって大好きな本が毎日好きなだけ読めるのが本当に嬉しい」と、心底嬉しそうに語ってくれましたから、「哀愁」というようなものとはだいぶ違うようにも思います。

しかし、これまで会社組織の中にどっぷりとつかり、人間関係もその組織の中でのみ構築されてきた人たちにとって、そうした「拠って立つ基盤」をなくした喪失感は想像を絶するものがあるのかもしれません。
 ただ、定年退職者を取材した時に、私の問いに正面から答えてくれた人たちのなかには、「毎日やることがなくて困っている」、「一番自由な今が一番しんどい」、「家で居場所がない」、「暇になったのに焦る」、「嫌な上司もいないよりはマシ」などと語られることがある。なかには「このままの毎日が続くと思うと、自分の人生は何だったのかと思うときがある」とまで発言した人もいたのである。
 
 彼らの発言と住宅地や都心をまわった取材を重ね合わせてみると、在職中は組織内での上司や同僚、部下との濃密な人間関係を築いているにもかかわらず、退職後はその関係が切れてしまい、自分の居場所が見つからなくなっている、ということだ。

うーん、これは深刻ですね。

1993年に公開された「僕らはみんな生きている」という映画では、主人公の高橋がゲリラの首領に対して啖呵を切るシーンがあり、その中に、退職するまで毎年300通来ていた年賀状がたった7枚に減ってしまい、正月の間、毎日郵便配達の来るのを玄関で待っていた父親の話が出てきます。
当時まだ30代の後半だった私は、この描写になんだかいたたまれないものを感じましたが、そこまで極端ではないにしても似たような慨嘆にふける向きもかなりあろうかと思います。

「自分の人生は何だったのか」。

そう感じてしまうのだとしたら、誠にやりきれない話です。

また、平日昼間のスポーツクラブが高齢者のたまり場になっているというくだりも、なんだか生々しいことですね。
 昼間であれば何回使っても定額のコースがあり、朝から夕刻近くまでクラブで過ごしている人もいる。サウナや浴場もあるので「昼食を持ち込めば本当にゆっくり過ごせる」という男性定年退職者もいたのである。
 
 以前、利用者の意見を掲示するボードに、「スポーツクラブだと思って入会したのに、ここは養老院なのか」と批判する意見が書かれた用紙が貼られていたことがあった。それに対して、クラブ側は「この施設はいろいろな世代の人に利用してもらうものです」と回答をしていたのを覚えている。こんな意見はわざわざオープンにしなくても良いと思ったが、批判する意見を書いた女性の気持ちは分からないでもなかった。

手厳しい意見とクラブ側の大人の対応とのコントラストに、思わず唸らされました。

さて、以前もこのブログに書きましたように、私は40年間勤務した職場を二年半前に退職し、全くかかわりのない新しい職場に再就職をしました。
現在の職場は隔週の土曜日がフル出勤なので、週末を自分の自由に過ごすことはかなり困難です。
山登りはもちろん、音楽を聴いたり映画を観たりする時間を確保するのも難しく、本すらもゆっくり読むことができない。
そんなわけで、もしも完全なるリタイアを迎えることになったら、今度こそやりたいことをとことんやってみたい!などと思っています。

この記事を読んで、なるほどと頷かされることも多かったのですが、「哀愁」とまで云えるのか。
むしろ一人でゆったりと自分の好きなことをしてみたい人も相当数いるのではないか、と感じている次第です。

nice!(25)  コメント(16) 
共通テーマ:仕事

夏休み [日記]

夏らしくない雨がちのお天気が続きます。
レジャーへの影響もさることながら、農作物への影響が懸念されるところです。

転職後三年目となったこともあり、夏期休暇もまとまって取れるようになりました。
とはいえ、私の両親は高齢なので、まずは実家に帰ってこまごまとした作業をしなければなりません。
さらに連れ合いの実家にも所用があって帰省することになったので、夏期休暇はほぼそれだけで費消されてしまいました。

8月7日、月曜日なので高速道路も空いているだろうと甘く考えたのが大間違いで、なんと中央道では午前中に事故が三つも連続し、渋滞。
午後からは台風の影響による大雨で通行止。
幸い通行止になる前に実家に帰り着いたのでラッキーでしたが、両親につきあっての買い物では大雨に見舞われ、やれやれといったところ。
それでも、9日には晴天に恵まれました。
2017natu01.jpg

風呂の掃除、お墓の掃除、物干し台の修理、ガスレンジと換気扇の掃除などをやって、私の実家から連れ合いの実家の会津に向かいます。
渋滞などはありませんが、大門街道から上信越道・関越道・北関東道・東北道を経由して行ったので、休憩込みで7時間かかってしまいました。
会津からは12日に帰って来ましたので、幸いにも目立った渋滞には引っかからず、これはありがたい限り。
しかし結局のところ、今回の帰省ではトータルで900kmくらいの運転(連れ合いは運転しないため、私一人です)となり、さすがにうんざりです。

13日には、運動不足解消のため、いつもの里山ウォーキング。
雨がちのお天気だったせいもあって、キノコがたくさん出ていました。

こんなのや、
2017natu02.jpg

こんなのがあって、ちょっと驚きです。
2017natu03.jpg

で、お目当てはもちろんこれ!
2017natu04.jpg

かなりの豊作でしたので、少しだけ採取してきました。

一部は、チョリソーと一緒にバター炒めにし、その他はさっと茹でて冷凍にしたところです。
しばらくは楽しめそうですね。

連れ合いの実家では、予想通り、みんなの反対にあって沼尾沼への再来は残念ながら叶わず。
そういう時間も取れないようなタイトな帰省となりましたが、ありがたいことに家族・親族はみんな元気で、その点だけは嬉しく思っています。
歳を取ると、そういうことが一番気がかりになりますから。

nice!(15)  コメント(10) 
共通テーマ:地域

春を告げる花たち [日記]

冬の寒さが過ぎ去ったあと、穏やかな晴天が続いています。
昼休みの散歩の途上で、彼岸桜を見かけました。
sakura2017.jpg

白モクレンの花も咲き始めています。
mokuren02.jpg
mokuren01.jpg

沈丁花は盛りを迎え、ミツマタの花も見かけるようになりました。
zintyoge01.jpg
zintyoge02.jpg

花粉も盛大に飛んでいて、花粉症の私にとっては辛い時期とはなりましたが、こうして春の花々に出会えるのは、毎年のことながらこの時期の喜びの一つでありましょう。

WBCで、日本チームが快進撃を続けています。
野球に対して人並み以上の関心を持っているわけではない私でも、本番前の状況から見てどんなもんだろうと危惧していましたから、さすがに驚いています。
各球団屈指のプレイヤーをそろえているとは云い条、ある意味では寄せ集めのメンバーなのですから、小久保監督の苦悩は相当なものがあることでしょう。選手に無理をさせて怪我でもさせたら大変なことになってしまいますし。
実際、否定的なコメントも各方面からかなり寄せられていたようです。
しかし、本番に入ってからのこの全勝での決勝トーナメント進出は、選手から相当な信頼を寄せられていなければ達成できなかったことでしょう。
そのことは、次の中田選手の言葉からも明らかです。

【WBC】中田が激白!「小久保監督に覚悟なかったら辞退していた」

曲者ぞろいのスター選手を統率していくために小久保監督がどれほど繊細な気遣いをしていたのか、本当によくわかるエピソードですね。
さらにそうした心遣いがきちんと選手たちに伝わって、それがこの快進撃につながっているとすれば、そこにもまた如何にも我々日本人が好みそうな風景が広がっているなと感じます。

大滝エージェンシーの社長である大瀧哲雄さんの言葉として、故中島らもさんがエッセイの中で紹介していた、

「オレがオレがのがを捨てて、おかげおかげのげで暮らせ」

を思い出してしまいました。
因に、「が」は「我」なのでしょうか。とすると「げ」は「下」なのかな?あるいは気遣いという意味での「気」?

それはともかく、私は、なんとなく昨年のリオ五輪における400mリレーの銀メダルを思い出しています。
あの時のメンバー、誰一人100m・9秒台を出している人がいない中で、そうした記録保持者をかわしての栄誉でしたね。

個を捨てて全体の勝利を目指す、などというと、なんだか「滅私奉公」とか「一旦ん緩急あれば義勇公に奉じ」みたいなことにつながりそうですが、そういうことではなく、今、その場において、何をなすことが求められているのか、そのことを常に自分自身のこととして考え行動する、ということなのでしょう。

上から押し付けられたものでは決してなく、メンバーの中から自然に醸成される目標と、それを達成するための個人の頑張り。

これはきっと、啻にスポーツに限ったものではないのだろうと思います。

その「目標」をはき違えないようにすることが非常に重要なのであり、また、そうした全体としての行動に及ぶ場合においても、一番大切なのは個々人それぞれの想いにあることを忘れないことなのではないでしょうか。

云うまでもないことですが、それぞれの個性が集まって組織は成り立つものであり、決して、組織があるから人が存在するわけではないのですから。
nice!(19)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

箱根旅行 [日記]

三月になり、沈丁花の花も咲き始め、あの甘やかな香りを運んでくれる季節となりました。
それでも、時折冬の寒さがぶり返し、さすがに三寒四温の時期を痛感させます。
そろそろ鶯の声も聞こえてくる頃なのでしょうが、残念ながら私の周辺ではまだまだのようです。
仕事が終える18時頃、残照の中を駅に向かうとき、さすがに陽が長くなったなと感じますが。

さて、いささか古い話なのですが、二月の終わり、急遽土曜日に休みが取れることになったので、連れ合いと一緒に旅行に出かけました。
土曜日の休みが決まったのがその一週間前だったので、果たして旅館の予約が出来るのか不安でしたが、案の定、名のあるホテルや旅館は一杯。
JTBなどの割当枠もなかったので、これは難しいかなと思っていたところ、だめもとでじゃらんで検索をかけるたら、なんと「山のホテル」に一部屋空きがありました。
このホテルに関しては、連れ合いが前から泊まってみたいと言っていたこともあり、箱根旅行に行こうと考えた当初から検索をかけていたのですが、早くから満杯の状況。
恐らく、一週間前というタイミングでキャンセルなどが出たのでしょう。誠にラッキーといわざるを得ません。
宿泊料金はかなりの値段でしたが、すぐさま予約をしたのでした。

当日、余り時間に縛られたくなかったので車で出かけたのですが、なんと箱根新道で事故が発生し、午前中は通行止とのこと。
やむを得ず御殿場ICから乙女峠を越えた行ったのですが、余り顕著な渋滞にも巻き込まれませんでしたから、これは正解であったのかもしれません。

山のホテルのとなりには箱根神社があり、私はこれまで何度も箱根に行ったことがありながら、この神社に参拝したことがなかったので、ホテルにチェックイン後、早速出かけました。
hakone01.jpg

思いのほか、たくさんの人出がありました。
hakone02.jpg

神社への参拝を済ませたあと、連れ合いがずっと行きたいと思っていたという「サロン・ド・テ ロザージュ」に立ち寄りました。
芦ノ湖の湖畔にせり出すような絶好の立地で、山のホテルの付属施設のようです。
果たせるかな、かなりの人気で、順番待ちとなりました。
それでも、美味しい紅茶にケーキ、そして素晴らしい雰囲気を味わうことが出来、満足。
こういうゆったりとした時間を過ごすのはいつ以来のことだろうかと、ついつい芦ノ湖方面に遠い眼差しを送ってしまったところです。

山のホテルは、三菱財閥の四代目当主・岩崎小彌太の別荘がもとになっています。
それだけにロケーションは最高で、その雰囲気を大切に守ってきたという歴史を感じさせられました。
大浴場も、非常に落ち着いた雰囲気で、洗い場に個々の仕切りが設けられているなど、細かなところに神経が行き届いています。
食事はもちろんいうに及ばず、というところです。
夕食はもちろん、通常のホテルなどではバイキングみたいなものでお茶を濁される朝食に関しても、非常にサービスが行き届いておりました。
「ホテルライフ」などというものにはあまりなじみのない私ですが、できれば長時間をこのホテルで過ごしてみたいなという想いに駆られ、なるほどこのことをいうのだなと実感した次第です。

翌日は成川美術館に赴きました。
連れ合い共々お気に入りの美術館の一つで、収蔵作品ももちろんですが、休憩スペースからの眺めも素晴らしいものがあります。
hakone03.jpg
雲の多めなお天気でしたが、折よく富士山の姿を望むことが出来、これも大満足!

この美術館では、基本的に展示作品の写真撮影を認めています。
もちろんストロボの使用や自撮など、他人に迷惑の及ぶような撮影は御法度ですが、こういうおおらかな対応もお気に入り。
堀文子や森田りえ子といった「女流」の日本画家の競演も誠に見事なもので、こうした力作が一堂に会する機会はそうはありますまい。

また、平山郁夫・東山魁夷・加山又造・山本丘人といった日本画の大重鎮の作品も公開されていて、誠に見応えがありました。

それらの重鎮に並んで、この美術館との関わりの深い高橋新三郎氏の大作も展示されていたのですが、彼が好んで描いていた富士山の絵の即売会が行われていました。
私は絵画も大好きで、美術館や画廊を巡ったりするのも楽しみの一つです。
しかし、自分で絵を持とうとは余り思わず、我が家にある絵は、渓流釣の友人が描いた岩魚の水彩画と、従兄の知人が個展を開いた際にせっかくだからと購入したパステル画があるのみでした。
そんな私ではありましたが、何だか出会いのようなものも感じ、せっかくだからと富士山の絵を購入。
hakone06.jpg
めでたく我が家における三つ目の「アート」の座を占めることとなったのでありました。

今回の旅行では、二人でそれなりのお金を使ってしまいました。
一人一泊で30000円を超えるようなホテルに泊まるのはそれこそ20年ぶりくらいのことで、奇しくもそのときの宿泊先が箱根富士屋ホテル。
同じ箱根だったのだなと思い返しつつ、やはりお金にはかえられないサービスの質というものがあるものだと感じています。
いまはどうなのかわかりませんが、その折の箱根富士屋ホテルのサービスも誠に見事なものだったと、鮮烈に記憶しております。

いつもなら一泊二食付きでも10000円未満の宿を選んでしまうところを、今回は「清水の舞台から飛び降りる」覚悟でハイクラスな宿に泊まり、その延長で絵まで買ってしまった。
我ながら何と大胆なことかと苦笑を禁じ得ません。

それはともかくとして、ふと感じたことがあります。
冒頭にも書きましたように、このクラスのホテルはこの時期でも週末は予約でほとんど満杯でした。
私たちが泊まれたのもキャンセルなどの一瞬の隙間にうまくはまったからにほかなりません。
一方、湯快リゾートや大江戸温泉物語といった格安の宿も、週末などの予約はかなり困難なようです。
その割に、ちょうどその中間辺りに位置する価格帯の宿には比較的空室もあるらしく、つまりここでも消費傾向の差別化が進んでいるということなのでしょう。
クラス感のある対象か、それとも激安か。
消費性向は結構明確に分かれてきていますが、その辺りにこれからのマーケット戦略の方向性も見えてくるようで、なかなか興味深いものもありますね。

ところで、久しぶりの箱根旅行だったこともあり、その関連から、井上靖氏の短編小説集「愛」の中に収録されている「結婚記念日」を思い出してしまいました。
この小説は、妻を亡くした夫の回想の形で、つましい生活をしていた二人のささやかな箱根旅行の顛末が描かれています。
戦後の苦しい生活の中でもあり、新婚旅行などにはもちろん出かけることもなかった二人が、当時流行っていた懸賞金付きの定期預金で一万円(小説に描かれているのは昭和25年頃ですから、恐らく二ヶ月分くらいの月給にあたるのではないかと思われます)が当たったため、その半分を結婚記念日の旅行に充てようと考えたものです。
ちょっとほろ苦く、しかも、金銭的に厳しい時代をそれなりに生きて来た私たち世代には大いなる共感も呼ぶ内容で、車の中でその話を連れ合いにしながら、二人で「うーん、わかるなあ」などと盛り上がったところです。
nice!(24)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

弁当箱を買いました。 [日記]

週末になって、首都圏は再び強烈な寒気がやってきました。
都心でも雪が舞ったそうで、毎度のことながらセンター試験の受験生は大変な想いをしたことでしょう。
各大学の入学試験日程のことを思えば、やはりこの時期に実施せざるを得ないのでしょうが、なんだか気の毒になります。
そういえば、私たちのころは、センター試験はもちろん共通一次もなく、たとえば東大や早稲田・慶応を受験する権利はすべての受験生に与えられていました。
ある意味、いい時代だったのかもしれません。
一発勝負だったわけですから、試験にヤマをはって、まんまと入学したつわものもいたことでしょうし。

先日、新しい弁当箱を買いました。
bento01.jpg

重ねるとこんな感じです。
bento02.jpg

おかずとご飯を別々に入れて携行し、食べ終えたら重ねて収納できるので、空になるとこの半分の大きさになります。

ちなみにこれまで使ってきたのはこれです。
bento03.jpg
これは重ねた後の形で、やはりおかずとご飯を別々に入れて携行できるタイプでした。
大きさも手ごろなので、職場へはもちろん、山でも使っていて結構重宝したのですが、残念ながら中蓋の変形がひどくなり、見かねた連れ合いが「新しいのを買ったら?」と言ってくれたわけです。

値段は税込1026円とそれなりの価格がしましたが、やはり新しい弁当箱はうれしいものです。

私ら夫婦は二人とも仕事をしていますので、家事は分担制です。
とはいえ、厳密に分担を決めているわけではなく、例えばどちらかが食事の用意をしているときにはもう片方が洗濯とかアイロンがけをする、という感じですね。
それでも朝ごはんは、連れ合いが先に家を出るという関係上、私が作っています。
その折に自分の弁当もついでに作るわけで、一緒にやるとそれほどの手間はかかりません。
ちなみにこれは津での単身赴任生活の折も実践していました。

弁当のメリットはいくつか考えられますが、やはり食事のバランス面の保持が一番でしょう。
外食にすると、どうしても揚げ物などが入ってきたり、味付けも濃くなったりしますし、カロリーも過剰になってしまいがち。
弁当にすればご飯の量も抑えられるほか、果物や野菜も入れられます。
後片付けが面倒くさいということもありましょうが、私は食べたらすぐに職場の流しで洗ってしまうので、その点もさほど手間とは感じません(ものの5分くらいで終わりますから)。

もう一つ、これも大きな利点ですが、食費をかなり節約できます。
現役を退き、収入も激減していく中、体とお財布の中身を健全にコントロールするためにはうってつけのツールなのかもしれませんね。

nice!(21)  コメント(14)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

本年もよろしくお願い申し上げます [日記]

2017年の年明け。
穏やかな年越しとなりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
本年もどうぞ相変わらずのご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

20170101-1.jpg
実家からの初日の出です。

20170101-2.jpg
富士山もきれいに眺められました。

昨年末、実家の母が転倒して肋骨を骨折し、ひと月あまり入院をしたこともあり、今回の帰省は実家の大掃除や家事、おせち料理の用意などに忙殺されました。
私も何度か経験しましたが、肋骨の骨折は、2週間ほど安静しているとだいぶ痛みも和らぎ動けるようになるもの。
能動的な母はベットでの仰臥がやはりかなり苦痛らしく(家に残した父のことも気がかりだったのでしょうが)、痛みが和らいでくると帰宅したがって大変でした。
85歳という高齢でもあり、無理をさせるわけにはいきませんから、近所に住んでいる妹たちも必死で止めて何とかおさめていた次第。
今回の我々の帰省中も、なんだかんだと自分で動きたがり、押しとどめるのが大変だったのですが、そういう積極性があること自体はありがたいことと思っております。

タグ:2017
nice!(15)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

長時間労働の末の自裁 [日記]

10月も中旬となりました。
気温も低くなってきて、秋も深まった感が致します。
しかし、秋の抜けるような青空は、首都圏では縁遠く、8月下旬からこのかた、ずっとどんよりとした鬱陶しいお天気が続いています。
今週末は久しぶりに晴天が訪れるようですが、いかがでしょうか?
因に、今夜は久しぶりに美しい月が浮かんでいました。

このところこのブログの更新を怠っており、それと軌を一にするが如く皆様のブログへの訪問もおろそかになってしまいました。
記事にしたいことはあるのですが、様々な雑事に取り巻かれているうちにどうもモチベーションが上がらず、それをまとめきる気力が湧いてこないという情けない状況なのです。

さて、今年は御柱祭ということもあり、先日、実家に帰省して、小宮の御柱祭に参加してきました。
諏訪大社本社のそれとは規模も大きさもまるで異なる小規模なものですが、やはり曳行にはそれなりの労力もいり、頑張って曳いたこともあって翌日には全身が筋肉痛になってしまいました。
onbasira.jpg
私はもともと人ごみが嫌いなので、お祭りもそれほど好きなのではありませんが、実家の老父母が地域の皆様にお世話になっていることもあって、こうした行事(地域の広域清掃や道作りなども含む)には出来る限り参加しようと思っています。
実際、近所の方々には老父母の見守りをお願いしておりますので、顔つなぎやご挨拶も兼ねて、というところでしょうか。
それでも、久しぶりに同級生や知人と出会うのは嬉しいもので、参加しながら話をしていると何だか遠く離れた時間を互いに過ごしていることさえも忘れてしまいますね。
故郷というものは本当にありがたいものだとしみじみ感じています。

ところで、このブログではちょっと場違いな感もありますが、次のようなネットの記事があったので紹介します。

「残業百時間で過労死、情けない」教授書き込み

これは、電通の新入社員の女性(当時24歳)が連日の激務がもとで自殺し、月に100時間を超す長時間労働がその原因とされて労災認定が降りたことに関するものです。

長谷川教授のニューズピックスへの投稿内容は次の通り(10月7日)。
「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき」

長谷川教授は、東芝やニトリの役員など実業畑で経験を積んだ後、同大学の教授に就任された方で、恐らくそうしたご自身の経験からこういう「感想」を書き込んだのでしょう。
こうした考え方があることは事実でしょうが、これを一般論に敷衍して24歳の新入社員に要求する見識はいかがなものかと思われます。
実際、当の長谷川教授は、「言葉の選び方が乱暴だった」「自分の過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が適合かの配慮が欠けていた」などとして謝罪し、前言を取り消し削除しています。

世の中には様々な痛ましいことがありますが、自死・自裁はその中でも特にやりきれないものを感じます。
亡くなった当人はもとより、残された身内・友人・知人などへの影響は計り知れないものがあり、その喪失感や絶望感は埋めようもなく深く暗いものとなることでしょう。
この教授の不用意な発言はその意味でも言語道断であり、こういう人物に学問を授けられる学生には同情を禁じ得ません。

長谷川教授は61歳だそうですから、私とほぼ同年代です。
役員にまで上り詰め、教授に就任しているのですから、まずもって世間的には相当な成功者とみてよいのでしょう。
その人が、自分がこれまで歩いてきた(厳しい)道のりを振り返って述べた感想。
敢えて嫌な言い方をしますが、同年代以上の同じような経歴の人々からは(公には口にしないだろうけれども)一定の共感を得ているような気もしています。
私はこの方のような「成功者」では決してなく、会社人間としてはむしろ落伍者だったろうとは思いますが、虚心坦懐に考えればそのメンタリティには一致する部分もなくはないのです。
20歳半ばから40歳代まで、繁忙期は月200時間以上の超過勤務が連続することもしばしばあり、閑散期ですら22時前に退社することはほとんどなかった。
独身の頃は家に帰るのが面倒になり、そのまま会社に居続け、眠るのは机に突っ伏して20分くらい、などという、今振り返れば笑ってしまうほどブラックな勤務環境だったわけです。
もちろん、残業代が全額支払われるはずもなく、8割くらいはサービス残業でしたし、また(会社の状況を鑑みれば)それも致し方ないことだと諦めていました。2割でももらえるだけラッキーだと。

どうしてそんな非人間的な労働環境に耐えることができたのか。
一番大きな理由の一つは「周囲が皆そうだったから」なのではないかと思います。
今から40年くらい前のことですから、PCはおろかワープロさえも常時使える状況にはなく、コピーなども単価が高かったことから大量の資料複写には輪転機を使い、計算は電卓や算盤、資料は基本的に手書きと清書、外向けに出す正式な文書はタイピストに頼む、という感じで、生産性も今から考えればとてつもなく低かったため、とにかく人力・人海戦術で成し遂げるしかなかった。
そんな中で一緒に頑張るわけですから、長時間労働も一体感を以てみんなで頑張れたのです。一日中一緒の時間を過ごしたのですし。
それからこれも大きなポイントですが、そういう労働環境であることを先輩から受け継ぎ教えられる中で、それに耐えられるように息抜きをする方法を身に着けていったこと。
ちょっとした空き時間を見つけて眠ることはもちろん、本を読んだり、散歩に出たりという時間を作ることができました。
当時爆発的に売れ始めたウォークマンの存在はことのほかありがたいもので、厳しい仕事の空き時間に聴くブルックナーやマーラーやブラームスにだいぶ慰められたことを思い返します。
「無能」だの「バカ」だのと面罵されたり、目の前で稟議書を破られ丸められて顔にぶつけられたり、といったパワハラも、そうした空気の中で過ごしていることによって自然と「柳に風」と受け流せるようになり、いわば不感症の極致みたいな図太い神経になっていきました。

長谷川教授のことを「言語道断」と書きながら、私自身がもうこのていたらくです。
今でも時折、前の職場の仲間などと飲むことがありますが、そういうひどい勤務環境を肴に盛り上がることも多く、つまり、「酷い状況だったけれどもお互いよく頑張ったよな」という、修羅場を生き残ってきた者たち共通の傷のなめ合い、という状況になってしまいます。
その輪の中に入りつつも、今、その職場からドロップアウトして感ずることは、あれは一種のマインドコントロールではなかったか、ということです。

常軌を逸した激務の中に身を置きつつ、お互いにそうした環境の中で頑張っているという状況の中で、いつしかそのこと自体に疑問を抱かなくなる。それどころか、自分がこれだけ頑張っているのだから業績も伸びているのだ、このプロジェクトも成功するのだ、と考える。
これはある意味ではカルト集団の考え方なのではないでしょうか。
カルト宗教を外部から見ている人たちは、「なんというひどい環境に身を置いているんだ」と考え、身内はそれ故に何とかそこから引き離そうとしますが、カルトの中に入っている人たちは、そうした外部の人間を「信仰心に欠けた真の幸福を知らない哀れな連中」とみていたりして、相互の溝の深さは絶望的に深いものがあったりします。

カルト集団と会社を同列に見るのはいかがなものかとは思いますが、信者を外の世界と隔絶し情報を遮断して一つの方向に目的を収斂させるという意味では、あまり変わりはないのではないでしょうか。
少なくとも、ドロップアウトした私のような人間から見ればそういう共通点があるように感ぜられます。
第一、これは重要なポイントですが、冷静になって振り返ってみれば極めて非効率な仕事をしていたということが問題で、さらにいえばそれに対して疑問すら抱かなかったということ。
先に、厳しい勤務環境にあっても適当に息抜きをしたりしていた、と書きましたが、それは裏を返せば集中力がしばしば途切れていたということであり、長時間労働をすることに意義があったような錯覚に陥って、自らを慰めていた、ということでもあります。
恥ずべきことであったな、としみじみと思います。

恒常的な長時間労働の解消に関しては、以前からずっと問題視されており、労使共々解決に向けた方策を見つけることに余念がないかのようにも見受けられます。
少なくとも表面上はそうでしょう。
しかし、日本の企業文化は一朝一夕に変わるものではなく、さらに手繰れば封建時代の武家社会的な滅私奉公精神にまで行きついてしまうのかもしれません。
当時の御家人たちは、そもそも決まった労働時間などというものはなく、何か事があれば全てを擲って殿様の元に駆けつけなければならなかったという話を聴いたことがあります。その意味では24時間勤務であり、たとえ自宅に帰っていたにしても四六時中拘束され続けていたのであると。

そういうメンタリティからフリーになるためにはどうすればいいのか。
こういう悲しい事件を防ぐ根本的な解決策を、国や政府や会社はもとより、個々人が自分のこととして考えていく必要があるのかなとも思います。

辛かったら降りてしまえばいい。
降りてしまった私は(別の意味での辛さももちろんありますが)ある意味ではかなり清清した気分にもなっているのです。
ただ、それを新入社員に求めることも、またかなり酷なことではあるのかもしれません。
どうしたらいいのか、やはり途方に暮れてしまいますね。
マインドコントローから如何に覚醒するか。
個人の問題ではありつつも、やはり社会全体として考えるべきなのでしょう。

秋の気配 [日記]

ずいぶん長い間雨が続いていました。
今日は久しぶりに少し晴れ間が出たので、近所の里山に散歩に出かけました。
午前中にガスの点検などがあり、一日中家を空けるわけにはいかなかったので遠出はできず、それは無念でしたが、秋の気配を感ずることができたのは幸いでした。

桔梗。
kikyou.jpg

彼岸花。
higan01.jpg

黄色い彼岸花。
higan02.jpg

そういえば陽もだいぶ短くなってきました。
秋分の日を過ぎたのですから、これからは冬至にまっしぐら。
ムラサキシキブの紫色の実も見かけるようになり、街路樹のイチョウもギンナンを落とし始めています。
もうすぐ金木犀の花の香も漂ってくるのでしょう。

毎年のようにこうして季節を感じながら、今年でとうとう私も還暦を迎えます。
これから先、どのくらいこうして季節を感ずることができるのか。
なぜか秋になるとそんなことを考えてしまいます。
やはり陽が短くなり冬に向かうことに対してセンチメンタルな気分に支配されるからなのでしょうか。

タグ:桔梗 彼岸花
nice!(19)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感