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赤ちゃん本部長 [日記]

週末になると春の嵐が吹き荒れる中でも、まだ頑張って花をつけている桜の木もありました。
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テレビ番組を話題するのもどうかなと思いましたが、ちょっと感動してしまったのでご紹介いたします。

赤ちゃん本部長

日曜日の晩(3月29日24時40分)、何とはなしにテレビをつけていたら、このアニメが始まりました。
一話5分ずつで、トータル40分の番組です。

寝る前にちょっとだけ、と思っていたのですが、ついつい引き込まれてみてしまいました。
おそらくどこかのタイミングで再放送されるとは思いますが、NHKプラスで視聴できるので、ご興味がおありの方はぜひともとおすすめします。

このアニメの原作は、竹内佐千子さんのコミックです。
47歳の武田本部長が、ある日突然赤ちゃん(生後8ヶ月くらい)になってしまう、という一見荒唐無稽なお話ですが、中身がおじさんの赤ちゃん目線で世の中のありようをみる、という面白い設定です。

この物語の一つの肝は、赤ちゃんになってしまった本部長を職場の人たちがきちんと受け入れサポートする、というところ。
しかも、本部長のお世話(ベビー用品の調達、食事の世話、おむつなど排せつの世話、外回りや会議などのサポートなどなど)を、職場の男性の部下が自発的に(困惑しつつも愛情を持ち面白がって)行っている。
おそらく、女性社員がこれらを担当したとすれば、なんだかありきたりのジェンダー決めつけ的絵面になってしまったことでしょう。
赤ちゃんの世話は女性(母親など)がするもの、という決めつけを軽々と超えているのは、天野課長や西浦君のように、そもそもそうした決めつけからフリーであるパーソナリティの存在もさることながら、「中身が本部長」という設定によるところも大きいのかもしれません。
武田本部長は部下思いで愛社精神にも満ち、人間的にも優れているという設定です。
そうした前提があったので、少なくとも私にはまったく違和感がなく、自然に受け入れられました。

短いながらもそれぞれの回に唸らせるテーマがあって、いわゆる一般常識的なものが果たして本当に常識なのか、と考えさせられます。
「結婚しなくてさみしくないですか?」と西浦に問われた天野課長が「結婚も恋愛も無理にする方が何倍もさみしい。自分の生き方を模索しているうちにこういう形になった。それをお前にさみしい形だと思われていることの方がさみしい」と返し、自身が同性のパートナーとともに暮らしていて女の子(1歳半)を育ている西浦は、ハッと胸を突かれて謝るシーン、などは私も心を打たれました。

また、旧態依然とした価値観にとらわれている橘部長(55歳)をめぐる回なども非常に興味深いものがありました。
西浦君が同性愛者であり、しかもパートナーと一緒に女の子を育てていることに対して、「悪いことだ」「そんな家庭に育った子は不幸だ」「子供は父親と母親がいてその中で育つのが一番幸せなんだ」と橘部長は赤ちゃん本部長に訴えかけますが、それに対して本部長は「もしもその子たちの家庭が幸せになれないとしたら、橘さんのような考え方の人がいるせいでしょうね」と答えます。
橘部長は絶句。
しかし実は、橘部長は息子から「ゲイだ」と告白され途方に暮れていたのでした。自分の価値観を押し付けていたのではないかと。
そこから橘部長は変わろうと努力を始めます。

こんな感じで、さりげなく世の中の不自由な部分に光を当てて考えさせてくれる。
こういう良質なコミックやアニメもあるのだなと、またまた瞠目させられました。

私などもそうした部分が残っているのではないかと反省させられるのですが、一昔前は常識だと思われていたものが覆されていくとき(例えば、五輪招致委員会の森前会長に関する顛末とか、同じく五輪開会式演出を任されていた佐々木氏の顛末など)生きづらい世の中になった、などとため息をつくおやじの姿を時折見かけます。
しかしそれは、そうしたおやじたちの思い込みの中で、声を上げることができずにそれこそ生きづらい思いをしていた人たちの言葉や主張にようやく光が当たり始めた、ということでもあるのでしょう。
少なくともこうして点に関しては、世の中は良い方向に進んでいるのではないかと私は思います。
そんな「気づき」も味わわせてくれたアニメでした。

エンディングテーマであるヒャダインの「また明日逢いましょう」も非常に良い曲で、「生きているだけでいいじゃないの また明日逢いましょう」という最後のフレーズには心が躍りました。



タグ:赤ちゃん
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小松菜の再生栽培 [日記]

先日、大根葉の再生栽培のことに触れましたが、先日、小松菜の値段がようやく落ち着いたので購入し、こちらもさっそく再生栽培をしています。
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水を替えるのが一日一回で済むのは大根葉と同じで、この時期だからこそですね。
栽培を始めてまだ一週間も経っていませんが、どうやら順調に生育しているようです。
植物の生命力というものは誠に驚嘆すべきものだと、改めて感じ入っています。

ところで、在宅ワークが続くと、どうしても運動不足になってしまいます。
殊に、COVID-19の感染拡大が要因となっている現在の状況からすれば、なるべく初対面の人との接触は避けるべきであり、外出の頻度も時間も限られたものにならざるを得ません。
勤務地が都心であったこともあり、以前は通勤だけで一日の歩数が一万歩を超えていました。
それが現在では、積極的にウォーキングなどに取り組まなければ達成はおぼつかない状況です。
以前にも記事でご紹介しましたが、キノコなども採れる里山がいい塩梅の距離にあるので、ここへの散歩で何とか埋め合わせをしています。
ただ、あくまでも「在宅」の勤務体系ですから、昼休みを利用した限られた時間内での対処となってしまいます。

そんなわけで、在宅でもできる運動として、ラジオ体操第一・第二、それから、NHKで紹介されている「みんなで筋肉体操」がかなりのおすすめかな、と思います。

https://www.nhk.or.jp/d-garage-mov/movie/82-14.html

私は昨年末に64歳となり、本年はとうとう「前期高齢者」になってしまいます。
その年で、このサーキットは、当初かなり厳しいものでした。
しかし、継続は力なりというのでしょうか、毎日取り組んでいるうちに少しずつできるようになり、時折インターバルでズルをしたりしますが、何とかなってきたりします。

年をとっても筋肉を鍛えることはできる。
「ほんとかな?」などと、以前は疑っていましたが、どうやら人間の体はそんなにやわなものではないようですね。

それから、お天気が悪かったり冷え込みが厳しかったりして外に出られなかった場合の対策として、踏み台昇降がかなりいい運動になります。
15cmから20cmくらいの踏み台で一時間程度上り下りを繰り返すと、歩数計で5~6000歩くらいは稼げます。
冬場でもじんわりと汗をかくことができますし、腕をきちんと振るとかなり良い全身運動になるようです。

連れ合いと父を立て続けに亡くして気落ちしていたことと、COVID-19感染拡大の影響もあって、このところ全く山登りからは遠ざかっておりましたが、今年は少しずつでも前向きに取り組んでいきたいなと考えています。

そのためにも、体力づくり・身体づくりは大切ですね。
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梅雨がなかなか明けません。 [日記]

昨日と今日、思いがけず晴れ間がのぞいていますが、梅雨明けは未だし、という状況にあります。
気温差も激しく、体調管理もなかなか難しい。
新型コロナの関係もありますから、ほんの少しの体調不良でも気がかりになってしまいますね。

このブログに記事を書くのはいつ以来のことかとため息をついています。一年くらいは間が空いておりましょうか。

昨年の一月に連れ合いを亡くした後、心理的な低空飛行が続き、仕事のような身過ぎ世過ぎのものはまだしも、己に生きがいにつながるような趣味や行動に対しては何事も億劫になってしまっておりました。

そんな中、今年の一月に父が亡くなりました。

連れ合いと父は、奇しくも誕生日が同じで、二人とも誕生日を目前に旅立ってしまい、父がことのほか連れ合いを大切にしてくれていたこともあってか、云いようのない喪失感にさいなまれたところです。
早朝、妹から、父が呼吸困難になり入院した、と聞き、おっとり刀で駆け付け、連れ合いが眠る墓所を横目で見ながら、「頼むからまだ連れて行かないでくれ、母が悲しむから」と、必死で訴えたことを今も思い返しています。
集中治療室での父は、酸素吸入や点滴を受けつつもまだ意識はしっかりしており、体につながれた管を外せとしきりに訴えておりました。
肺炎球菌による肺炎を起こしており、レントゲン写真を見ると、大半が真っ白になっていて状況が予断を許さないことは一目でわかりました。
ディサービス施設での感染ではないかとのことでしたが、父は肺炎球菌ワクチンを接種しておりましたので、何とか持ち直してくれるものと私は信じたのです。

そのうちに、遠くに嫁いでいた孫やひ孫たちも集まってきて、父の入院しているICUはさながらお祭り騒ぎのような活況を呈しました。

病状が落ち着いたようにも思えたので、その晩はとりあえずそれぞれ家に戻りました。

明け方に、病院から緊急の連絡が入り、駆け付けると、すでに父の意識はありません。
病状はさらに進み、SpO2が30%を割り込むような状況になっています。
抗生剤の効き目も芳しくなく、どのようなことがあってもおかしくない、との宣告を受けました。

それでも、人工呼吸器の助けを借りつつ驚異的な復活を見せ、昼前にはSpO2が95%以上まで戻りました。
我々は狂喜し、奇跡を信じたものです。
しかしこれはつかの間のことで、燃え尽きる前のろうそくの炎が一瞬大きく輝くのと同じことだったのかもしれません。

その日の昼過ぎ、我々に手を握られ体をさすられながら、父は眠るように逝きました。

連れ合いや子供や孫やひ孫や甥たちに囲まれたその最期は、誠に穏やかな表情に包まれておりました。

昨年の私の連れ合いの最期も同じく眠るようであったことから、そのことを思い返し、さすがに胸が締め付けられる思いでありました。

二人とも、亡くなる直前まで食事がとれていたこともあり、いわゆる「死に窶れ」とはならず、そのまま起き上がってきそうな表情であったことが唯一の救いです。

連れ合いが亡くなって一年半、父が亡くなって半年が過ぎました。
今、二人の遺骨は、八ヶ岳山麓の墓所で隣り合って眠っています。

私以上に母の心痛が甚だしく、しばらくの間、足しげく帰省をしておりましたが、新型コロナ感染の拡大により、他県への移動が厳しく制限され、3月以降6月の末まで足止め。
昨年は、連れ合いの月命日をめどに毎月墓参りをしていたので、やはり残念です。

一日も早く、この新型コロナの感染が落ち着いてくれるようにと願わずにはいられません。

はなはだ個人的なことを書いてしまい申し訳ありませんが、久しぶりの記事としてアップさせていただきます。
これまで記事をアップできなかった理由などは、またおいおいと書いていきたいと存じます。

それはともかく、私の連れ合いも父も、結果としては肺炎で亡くなりました。
肺炎は本当に恐ろしい。
新型コロナウィルスは、若い人にとってはさほど恐れる必要はないという報道を頻繁に見ますが、ウィルスはともかく、肺炎は致死率の極めて高い疾病です。
甘く見ることのないように、くれぐれもご注意ください。
結果として肺炎で大切な身内を亡くした私の心からの願いです。
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りぶらの逸品「世界に一つだけの酒器HITOHADA」 [日記]

久方ぶりに本格的な梅雨空となっています。
週末に雨がちとなることが多く、週末に洗濯や掃除やアイロンがけをしなければならない私のような単身者には困ったお天気ですね。
それでもこの時期に雨が降るのは日本古来の習わしですし、それがあってこそ、お米をはじめとする作物の生育ももたらされるわけですから、徒に怨嗟の声をあげても詮無いことでしょう。

またまた更新が滞ってしまいました。

書きたい・取り上げたい話題はたくさんあるのですが、そうした題材を読むに堪えうるテキストにするための気力がなかなか湧いてきません。
一人取り残されてから、何と言いましょうか、きちんと論理的に思考を進めていくことが億劫になったようにも思います。

音楽CDのことで云えば、ゲルト・シャラーによるブルックナーの交響曲第9番補筆完全版(シャラー自身の手による校訂完成版)に大変心を打たれたのですが、それをきちんとテキストにまとめる目途が今のところ立っておらず、そのままになっている状況、などです。

こういう作業は、やはり気持ちが前を向いていないと難しいものなのでしょうね。
現状ではもう少し時間がかかりそうですが、何とか近々まとめてみたいと思っております。

そんな中で今回更新をしたのは、どうしても皆様に知って頂きたい品があって、それを紹介したいという想いにかられたからです。

りぶら-世界に一つだけの酒器HITOHADA-

極めて高度なアルミニウムの鍛造技術を持つ職人が、製品一つ一つを丹念に仕上げて、顧客のもとに届ける「人肌」。
蜂の巣に触発されたという正六角形の酒器の底には、製品個別に固有の木の葉の葉脈が彫り込まれており、正に「この世においてただ一つの酒器」となっているのです。

この製品を産み出しているのは、私の小学校からの友人です。

先日、彼が上京した折に、久しぶりに一献を傾けたのですが、その折にこの人肌と出会い(友人が試作品を持参してきた)、その器から頂くお酒の味わい深さに驚倒しました。
早速、人肌 「輝」KAGAYAKI 色:シルバー・ゴールド 2個セットを注文し、それが届いたところです。
なんと、着物の生地を使った敷物を特別につけてもらいました。
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こうして飾っておくだけでも、思わず顔がほころんでくる見事な出来栄えです。

一つ一つに固有に刻まれた葉の葉脈はこのように浮き出ています。
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因みに、人肌の製造に関する次のような動画がアップされています。

http://www.venusnet-chino.jp/video/maestro/auvo5k00000017h2.html

人肌を世に送り出した匠の想いと情熱がひしひしと伝わってきますね。

価格について、一番安価な「輝」でも6,400円ということで、あるいは高価だという印象を持たれる方もおられると思います。

しかし、例えば切子のぐい飲みだとか漆の盃などをみてみれば、手間をかけて作られた良品は万単位の値段がつけられています。

この人肌が、先の動画でもお分かりの通り、アルミニウムの丹念な鍛造と研磨により一つ一つ入魂の手作業を経て仕上げられていることを鑑みれば、私はむしろ「よくぞこの値段で提供できるものだ」と感嘆してしまいます。
型に流し込んでポンポンと流れ作業的に作られている雑多な金属製品とは、まさしく一線を明確に劃する逸品といえましょう。

このような、純粋な想いのこもった酒器を通し、同じく想いを込めて醸造した清酒を飲む幸せ。
それを今、しみじみと味わっているところです。
アルミニウムですから、本来無味無臭のはずなのに、この器にお酒を注いで頂くと、何とも言えない爽やかなお酒の甘味と旨味が感ぜられました。
お酒を飲む楽しみがまた増えそうです。

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金木犀と台風 [日記]

台風24号が関東に接近する前に、とりあえず必要なものを買っておこうと、ウォーキングがてら買い出しに出かけました。
朝のうちは怪しい雲もありましたが、昼前からは晴れ間も出て、風も穏やか。
台風が間近に迫っているような雰囲気は感じさせません。

金木犀の香りがそこかしこから漂うようになりました。
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この花たちも、台風の暴風雨を受け、きっとはかなく散ってしまうことでしょう。
なんだか無残な気持ちもしました。

連れ合いのことなどもあり、週末に山に行くこともままならない日々が続いています。
そんな無聊を慰めてくれるのが、近所の里山歩きなのですが、今年は結構獲物(キノコ)が豊作です。
もちろん、松茸やホンシメジといった貴重な獲物には出会えず、いわゆる雑キノコですが、タマゴタケ・ナラタケ・イグチ類・アミタケなどが得られます。
ただし、例の白い笠をかぶった、見た目は食べられそうな毒キノコもかなりあるので注意が必要ですが。
先日、これらを中心にまとまった量の雑キノコをゲットし、一部を塩で煮て冷凍しておきました。
どうやって食べようかと思案中です。
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ところで台風24号、予想通り日本列島各地に深い爪痕を残しました。

私の自宅では、昨晩の1時過ぎに停電となり、復旧はお昼過ぎとなりました。
山道具としてヘッデンやランタンがあるので、暗闇は何とかなりましたが、水が出ないのにはまいりました。
もちろん、飲み水や生活用水はある程度確保していたのですが、御手洗のことを失念していたのです。
幸い、水洗タンクに外部から注水できるタイプだったので、風呂の残り湯を用を足す都度補給し何とか事なきを得ましたが、真っ暗な御手洗の中でヘッデを点けながら用を足すのは何だか山小屋にいるみたいでちょっとおかしくなりました。

また、ガスは問題なく使えたので、煮炊きはでき、これもラッキーでした。
尤も換気扇が使えないので、焼き物や炒め物はできませんでしたが。

いずれにしても、オール電化でなくて本当に良かった。
日頃、水やガスや電気を、そこにあるのが当たり前のように思って使っていましたが、都市においては、電気が止まるだけで水も出なくなり、場合によっては食物の煮炊きすら不可能になる危険性がある。
頭ではわかっていましたが、実際にそういう目に遭うと、その脆弱性がにわかに現実味を帯びてきますね。
オール電化は一時ほどもてはやされなくなっているようですが、そうしたリスクに気付くユーザーが増えている、ということかもしれません。

電気を中心に置いた利便性の向上は、こうした災害時にはもろに脆弱性を曝け出すようです。

テレビのCMなどを見ていると、EV車がトレンドみたいな扱いをされ、人気を博しているような錯覚に陥りますが、街中でしばしば見かけるなどいうことは、少なくとも私にはありません。
アウトランダーPHEVはそれなりに見かけますが、あれは駆動系に内燃機関を持っており、電気一辺倒ではないからでしょう。
その意味で、ハイブリッド車を多く見かけるのは非常によく理解できます。

オール電化やEV車を「エコ」などと表現する場面に出会うこともありますが、これも私は大いに疑問を感じています。

発電された電気が家庭などに届く間には相当のロスが発生することは、その構造上自明の理であり、発電所から変電所そして家庭までの送電の間にその電力の大半を喪失してしまいます。
原子力のように、いったん稼働を始めれば次々に核反応によるエネルギーを(燃料なしに)生み出す、というおとぎ話の世界ならいざ知らず、現在、発電の中心となっている火力では膨大な化石燃料がそれによって費消されます。
その燃料となっている石油やガスをそのまま使ってエンジンを駆動させる方が効率的であろうことは、少し考えればわかることなのではないでしょうか。

これはIHにも言えることでしょうが、たとえ熱効率などの高い製品であろうとも、そのエネルギーのもとが火力発電なのであれば、その電力を作り出す際のCO2の排出量など観点からして、環境にやさしいなどと短絡的に捉えるのはいかがなものでしょうか。
また、原子力によってそれを解決するという夢物語は、福島第一原発事故によって木っ端微塵に吹き飛んでしまいました。

私たちは、あまりにも電気に頼りすぎる生活を見直し、電気の生み出す利便性を享受するという安直な態度から少しずつフリーになる必要があるのではないか。
今回の台風と停電から、改めてそんなことを感じた次第です。

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転職 [日記]

昨日今日と雨模様のお天気となり、酷暑や熱帯夜も少し治まっています。陽もだいぶ短くなってきました。
台風の動きも気になりますが、気温はまたまた高くなりそうな気配です。

今年の9月で仕事を変わりました。
前回の転職から3年ちょっとということで、拙速の感が無きにしもあらず、というところでしょうか。
しかも、まもなく62歳を迎えるところですから年寄りの冷や水もいいところですが、こんな私でも必要と云ってくれる先があることに感激し、このような仕儀となりました。
今年の初詣の際、小さなだるまを買って片目を入れておいたのですが、ようやく両目が入ったところです。
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実は、一昨年の末にもオファーがあり、その折にもだるまを買ったのですが、これは片目のみのままでどんど焼きに行ってしまったのでした。

今回の転職。
連れ合いの体調のこともありますし、あまりリスクを冒したくないとの躊躇もありました。
還暦直前に試験を受けて採用された、前の職場にも、多少の未練は残りました。

しかし、これから先のことをつらつら考えるにつけ、未来に向けた何らかの希望を見通せないことがやはり哀しかった。

仕事は生活の手段かもしれませんが、たとえ小なりとはいえ何らかの達成感は必要なものなのではないでしょうか。
前の職場でも、それを何とか見出そうと頑張り、それなりの信頼関係もようやく出来上がってきていました。
しかし、経営者側などの執行部を動かすことは結局できず、己の非力さと無力さを痛感するばかり。

還暦を超えた人間を正社員として雇用してくれたことを考えれば、その環境を手放すのは得策とはいえないのかもしれません。
余計なことは考えずに、給料に見合った分だけ働き続けるという選択もありえたのかもしれない。
でも、本当にそれだけでいいのかと、そういう想いを私は捨て去りたくなかったのでした。

と、なんだか久しぶりの更新なのに、極私的な状況を書いてしまいました。
忸怩たるものがあります。

タグ:だるま 転職
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桜の花が咲き始めました [日記]

春分の日には時ならぬ降雪に見舞われ、真冬に逆戻り。
その前には初夏のような気温と、このところお天気が目まぐるしく変わります。

それでも春は着実な足取りでやってきているようで、お昼休みにウォーキングに出かけると、桜の花が咲いていました。
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レンギョウも咲いています。
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ミツマタの花も盛りです。
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後ろの方にはユキヤナギの花もありました。
肝心のミツマタの花がぼけてしまったのはご愛嬌ということでご容赦ください。

二月の初め、連れ合いにがんの転移が見つかりました。

入院・手術を行った後、これからの治療について、二か所のセカンドオピニオンをお願いするなど慌ただしい状況が続き、また、私の精神状態が不安定であったことなどもあって、このブログの記事をアップする気力がなかなか湧いてこず、ひと月以上もご無沙汰をしてしまった次第です。

気丈な連れ合いも、今回のことはかなりのショックだったようで、さすがに無理もないことでしょう。
それでも、常に変わらず家のことなどもきちんとこなし、その合間に病院に通うなど、我が連れ合いながら改めて頭の下がる思いです。

当面の治療方針は決まりましたが、最初の時とは違って、どうするのかの最終的な判断は私たち夫婦に委ねられました。

最初のときには自信をもって手術を執刀し、その後の治療計画も示してくださった担当医ですが、「これが確実」というような効果を望める治療法がないことから、どうしてもこのような対応にならざるを得ないのだろうと思います。

セカンドオピニオンで伺った医師の助言も参考にして、二人でいろいろと考えた末の結論。

もちろん、私は効果があるものと信じておりますし、連れ合いにもそのように話しました。
もともと医療関係の仕事に就いていた連れ合いですから、ある程度の冷静さを以て決断を受け入れたようです。

前にも申し上げましたが、精神面で私は連れ合いよりもはるかに脆弱だと思っています。
先月の診察結果を聴き、その時にはさすがに目の前が真っ暗になりました。

しかし今回ばかりは私が落ち込んでいるわけにはいきません。
精一杯頑張るつもりです。

そんなわけで、このブログの更新もままならず、ご訪問も滞るのではないかと思います。
その点何卒ご容赦ください。


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石牟礼道子さんが亡くなりました。 [日記]

作家の石牟礼道子さんが亡くなりました。

石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」

享年90歳。
ご高齢とはいえ、旺盛な執筆活動は衰えを見せなかったと云いますから、誠に残念です。
心よりご冥福をお祈り申し上げつつも、無念の想いは止められません。

「苦海浄土」や「天の魚」が世に問われたころ、私は中学生でした。
そのころになって、テレビなどでも水俣病について掘り下げた特集が組まれるようになり、多感な年頃だった私は、人為的な要因によって引き起こされた「公害病」の恐ろしさとその元凶となった企業などへの怒りで体が震えたものです。
何しろ当時は、至近距離にあった諏訪湖でもカドミウム汚染が進んでいたのですから。
書籍などで関連の記事を読み、テレビでの特集を見ながら、あまりのショックに涙を流し、母からたしなめられたほどでした。

1975年、就職のため上京した私は、当時猖獗を極めていた光化学スモッグに何度も遭遇しました。
体に直接の被害を覚えたわけではありません(明確に自覚しなかった)が、光化学スモッグ注意報などが出された折にはなるべく外出を控えるなどの対策を取ったように記憶しております。

私がきちんと「苦海浄土」「天の魚」の二作を読んだのはその頃のことです。
書かれている内容そのものはあまりにも悲惨ですが、石牟礼さんの文章はまるで詩のような情感に溢れ、ある種のメルヘンを読んでいるかのような錯覚を覚えました。
作品の中では、水俣病患者の方々のモノローグのように扱われた記述がたくさん出てきますが、これらは実際に患者の方々が語った肉声そのものではなかったそうです。
患者の皆さんからいろいろな話を聞き、様々なやり取りをする中で、石牟礼さんが心の中に感じ取った患者さんたちの想いをあのような形で文字にとどめた。
背後にある事実関係などは克明かつ正確に描写されていますが、それを叙述する登場人物の言葉は石牟礼さんを通じて紡ぎだされたもの。
そんなことから石牟礼さんを「患者さんたちの想いを伝える巫女」と評した方もおられるようですが、正に宜なるかなというところです。
この著作の中で、私はとりわけ、亡くなった女性患者の解剖のシーンが印象に残っています。
生々しくも酸鼻を極めるような光景の描写にもかかわらず、私はそこになんとも表現のしようもないエロティシズムを感じ取ったのでした。
二十歳にも達していない若造ゆえの煩悩のなせるところであったのでしょうか、私はしばらくの間、そのように感じた自分を許しがたいほど穢れた人間だと蔑んだものです。
しかし、還暦もとうに過ぎてしまった今の自分から顧みれば、石牟礼さんの文章の持つ豊かさと強さが若造の心を揺さぶったのではないかとも考えています。
私は石牟礼さんの文章の美しさに心を打たれ、「陽のかなしみ」「天湖」「海と空のあいだに」「十六夜橋」などの著作をむさぼるように読みました。
優れたルポルタージュや小説を数多く生み出されましたが、私は彼女を作家というよりも「詩人」としてとらえたいと思います。

残念ながら私は、まだ、能「不知火」を未見です。
何とか観劇の機会を見つけたいと、改めて思いました。

今でこそ「環境立国」などと嘯く日本ですが、足尾銅山鉱毒問題以降、数限りない公害問題を引き起こし、その都度、国家や政府や自治体などは原因企業側に立って、被害者や支援者を弾圧してきました。
さらにひどいことは、直接の被害を受けなかった人々が「(原因企業などは)国家や地元に利益を還元してくれている」からと、企業側に立ったことでしょう。
原因不明だった頃には、公害病を「伝染する業病」だのと言い募って差別し、患者の隔離や村八分的対応に突き進む。
企業による廃液や煤煙などが原因だとわかっても、その企業が倒産したりすれば地域経済に深刻な影響が及ぶからといって、あろうことか患者側に自粛を求めたりする。
国や自治体は、直接に患者を支援すれば責任を認めたことになるので、例えば原因企業に対して解決用の資金などを迂回融資してお茶を濁し、企業が責任を負う形に固執する。
さらに当該企業に融資している金融機関に対して利子の減免などの特別措置を強要し、とにかく企業を延命させて責任を取らせようとする。
こうした複雑な仕組みを運用することによって、真の責任の所在をうやむやにする。
何だか、学校などにはびこっている「いじめ」と軌を一にしたような話ですね。

いくつもの公害病を何とか克服してきたこともあって、さすがにそういうひどいことはなくなりつつあるのかなと思っていたら、福島原発事故の発生で、その性根は全く変わっていないことが暴露されてしまいました。

石牟礼さんの著作、殊に水俣関連のそれは、そういう我々の醜さを自省する上からも読み継がれていくべきものと思います。
「脚下照顧」この言葉を忘れたくないものですね。





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紅梅 [日記]

昨日は、まだまだ気温は低いのですけれども、陽射しのある所は春の温もりを感ぜられました。

所要があって関内に出かけた折、横浜公園で紅梅の花を見かけました。
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久しぶりに接する梅の香りです。
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自宅の近所にあった梅林が、建売住宅建築のために切り払われてしまい、いつもなら一月の中旬くらいに接する梅の花と縁遠くなってしまいました。

そんなわけで今年初めて紅梅の花に出会えたことになります。

春の息吹を感ずるのは人それぞれなのでしょうが、私はどうやら花の香りがそのきっかけになっているようです。

最初に出会うのは水仙の香りですが、これはあまりにも儚くてそれ故に愛おしい。

そして梅の花の涼やかな香りが漂い、やがて沈丁花の甘やかな香りに接する。
そんなころに目白に出会ったりすると、ますます春を感じますね。

そういえばずいぶん陽も長くなりました。
近くの土手にはきっと蕗の薹が顔を出していることでしょう。


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皆既月食 [日記]

昨晩、3年ぶりの皆既月食が繰り広げられました。

首都圏では曇りの予報だったのですが、これは見事に外れ、私も久しぶりにあかがね色の満月を見て大満足です。

一応、デジカメで写真を撮ろうと思ったのですが、やはり手振れでなかなかうまく撮れませんでした。

これは半分くらいかけてきた状況。
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皆既月食中です。
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皆既月食は一時間以上にわたり、23時を過ぎる頃、端の方から月の光が返ってきました。

例年にない冷え込みが続いています。

今日も午後から雪が降り、明日の明け方まで降雪があるとのこと。
先日のような大雪にはならない予報ですが、交通機関への影響が心配です。
何とか通勤の足だけはあまり乱れないようにと願うばかりです。

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