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「一人ぼっち」で過ごす定年退職者の哀愁 [日記]

このところ、少し夏に戻ったような気温が続いています。
尤も、この週末には雨となりそこから秋冷を迎えるとのことですが。

この気候ゆえのことか、金木犀の花がずいぶん長くもっているような気がします。
私のお昼のウォーキング・コースでも、この時期はこの香りを楽しむことができますが、金木犀というと垣根くらいの感覚でいる私の思い込みを覆す大木が結構あり、ちょっと驚かされました。
kinmokusei.jpg
見事な風格ではありませんか。

ところで先日少し考えさせられる記事がネットにアップされていました。

「一人ぼっち」で過ごす定年退職者の哀愁、午前中の図書館、カフェ、ジム…

私の八歳年上の先輩が、リタイア後は図書館に出かけることが多くなった、とつぶやいていたことを改めて思い返しています。
10年以上前のことになりますが、出向先の職場近くにある図書館に、調べものがあって出向いたことがあります。
その図書館の近くには場外馬券売り場や歓楽街もあったためか、ホームレスと思しき方がかなりの数おられました。冬の寒い時期であり、なるほどここで寒さから身を守っているのだな、とちょっと納得したりもしました。
そうした方々とはもちろん事情は異なるのでしょうが、「することがない」「家に居場所がない」というのが理由の一つであるとするのであれば、なんだか少し寂しいものを感じます。
先に挙げた先輩は、「今まで自由になる時間がなかった。リタイヤしたことによって大好きな本が毎日好きなだけ読めるのが本当に嬉しい」と、心底嬉しそうに語ってくれましたから、「哀愁」というようなものとはだいぶ違うようにも思います。

しかし、これまで会社組織の中にどっぷりとつかり、人間関係もその組織の中でのみ構築されてきた人たちにとって、そうした「拠って立つ基盤」をなくした喪失感は想像を絶するものがあるのかもしれません。
 ただ、定年退職者を取材した時に、私の問いに正面から答えてくれた人たちのなかには、「毎日やることがなくて困っている」、「一番自由な今が一番しんどい」、「家で居場所がない」、「暇になったのに焦る」、「嫌な上司もいないよりはマシ」などと語られることがある。なかには「このままの毎日が続くと思うと、自分の人生は何だったのかと思うときがある」とまで発言した人もいたのである。
 
 彼らの発言と住宅地や都心をまわった取材を重ね合わせてみると、在職中は組織内での上司や同僚、部下との濃密な人間関係を築いているにもかかわらず、退職後はその関係が切れてしまい、自分の居場所が見つからなくなっている、ということだ。

うーん、これは深刻ですね。

1993年に公開された「僕らはみんな生きている」という映画では、主人公の高橋がゲリラの首領に対して啖呵を切るシーンがあり、その中に、退職するまで毎年300通来ていた年賀状がたった7枚に減ってしまい、正月の間、毎日郵便配達の来るのを玄関で待っていた父親の話が出てきます。
当時まだ30代の後半だった私は、この描写になんだかいたたまれないものを感じましたが、そこまで極端ではないにしても似たような慨嘆にふける向きもかなりあろうかと思います。

「自分の人生は何だったのか」。

そう感じてしまうのだとしたら、誠にやりきれない話です。

また、平日昼間のスポーツクラブが高齢者のたまり場になっているというくだりも、なんだか生々しいことですね。
 昼間であれば何回使っても定額のコースがあり、朝から夕刻近くまでクラブで過ごしている人もいる。サウナや浴場もあるので「昼食を持ち込めば本当にゆっくり過ごせる」という男性定年退職者もいたのである。
 
 以前、利用者の意見を掲示するボードに、「スポーツクラブだと思って入会したのに、ここは養老院なのか」と批判する意見が書かれた用紙が貼られていたことがあった。それに対して、クラブ側は「この施設はいろいろな世代の人に利用してもらうものです」と回答をしていたのを覚えている。こんな意見はわざわざオープンにしなくても良いと思ったが、批判する意見を書いた女性の気持ちは分からないでもなかった。

手厳しい意見とクラブ側の大人の対応とのコントラストに、思わず唸らされました。

さて、以前もこのブログに書きましたように、私は40年間勤務した職場を二年半前に退職し、全くかかわりのない新しい職場に再就職をしました。
現在の職場は隔週の土曜日がフル出勤なので、週末を自分の自由に過ごすことはかなり困難です。
山登りはもちろん、音楽を聴いたり映画を観たりする時間を確保するのも難しく、本すらもゆっくり読むことができない。
そんなわけで、もしも完全なるリタイアを迎えることになったら、今度こそやりたいことをとことんやってみたい!などと思っています。

この記事を読んで、なるほどと頷かされることも多かったのですが、「哀愁」とまで云えるのか。
むしろ一人でゆったりと自分の好きなことをしてみたい人も相当数いるのではないか、と感じている次第です。

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九子

男性は職場のお付き合いがほとんどだから、退職されるとそれでその絆が切れてしまうのですね。女性はおしゃべりなので(話題が豊富と言うべきか)仕事の話題など持ち込まなくても別の話題で盛り上がる人間関係が若い頃から出来ているんでしょうね。
伊閣蝶さんはまったくご心配いらないと思いますよ。(^-^)
by 九子 (2017-10-12 23:33) 

伊閣蝶

九子さん、こんにちは。
人間関係やコミュニケーションの観点からみる女性と男性の違いは、まさしく九子さんの仰る通りと存じます。
男性はどうしても組織というものを上下関係で定義しがちですから、横のつながりを作ることが非常にへたくそです。
それゆえ組織から離れると孤独になるのでしょうね。
その孤独に耐えられるかどうかで、組織を離れた後の人生が決まる気もします。
私は孤独事態をそれほど忌避しておりませんので、なんとか泳げるような気がしています(*^_^*)
by 伊閣蝶 (2017-10-13 12:51) 

夏炉冬扇

ひとりぽっちはさみしいです。
仲間になればいいのですが…
by 夏炉冬扇 (2017-10-13 15:46) 

のら人

スポーツクラブですが、自分が行くところも養老院状態です。
お風呂セット(マイシャンプー石鹸等)を持ち込んで、お風呂とサウナに入る為だけ!に通ってるお年寄りが物凄い多いです!
毎日行けば、銭湯より安くゴージャスだからです。^^;
by のら人 (2017-10-14 07:56) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんにちは。
ブログの記事を拝読し、素晴らしく濃密なお仲間とのコミュニケーションを構築されているな、と感動します。
そのようにありたいと私も思います。
by 伊閣蝶 (2017-10-14 12:46) 

伊閣蝶

のら人さん、こんにちは。
確かに毎日通えばかなり良いコストパフォーマンスだと思います。
風呂を洗ったり沸かしたりの手間を考えれば、自宅の風呂よりも快適と考えるお年寄りもおられることでしょう。
そこにメリットを感じて通ううちに運動もして健康も保てるのであれば、高齢者対策にもなりそうです。

by 伊閣蝶 (2017-10-14 12:50) 

tochimochi

切実な問題ですね。
でも時間を持て余すというのはある意味贅沢かも・・・年金暮らしになると収入が激減します。
何か仕事をしないと生活できない人も少なくないと思います。
老後破産という言葉もよく聞くようになりました。
私もその部類に入らないよう、あと暫くは働かないといけません。
by tochimochi (2017-10-14 21:24) 

Jetstream

サラリーマンは会社人間なんで、やめれば人生の楽園なんて方は少ないでしょうね。 私もそんな部類かもしれませんが、幸い山歩きや旅することが好きですので、元気なうちは何とか楽しめるでしょうし、行きたいところも登りたい山もいっぱいです。映画やネット閲覧も楽しみです。私も会社にどっぷり浸かったタイプですが、定年退職後は会社での人間関係が近隣のコミュニティー、ボランティアや家庭菜園に置き換わって結局は複雑な人間関係におちいりがち。そうなることは避けたい気持ちが強いです。一時地元の山岳連盟に入りましたが、シニアの会社組織みたいですぐ脱会しました。(笑) しがらみ、上下関係がいっぱい。まだ、半勤半休のライフスタイルでもっと自由な時間が欲しいと思ってますが、「毎日が休日」になった時に楽しみなのか、侘しくなるのか?わかりません。(笑) お金も健康も有限ですので、ほどほどに生きればいいと思ってます。。。
by Jetstream (2017-10-15 21:19) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
仰る通り、定年を迎えても働かなければ生活はままなりません。
そういう観点から第二の職場を選ぶとき、贅沢は云っておられませんから、まずは生活を一番に考えることになります。
結果として、ある程度自由な時間を手に入れるのは、私の場合まだ先のことになりそうです。

by 伊閣蝶 (2017-10-15 22:59) 

伊閣蝶

jetstreamさん、こんばんは。
行きたいところや登りたい山がいっぱい、正に同感です。
私の場合、現在の職場の勤務時間にかなりの制約があるのでなかなか実現は困難ですが、もう少ししたら休暇も多少取れるようになるかもしれないと、そのことを励みにしております。
山岳連盟は、往々にして昔取った杵柄みたいなことを云いだす人が多く所属し、そうした人に限って現在はろくに山に登っていない、などということが多いようです。
数は少ないのですが、私がたまに山行を共にする先輩は、みな現役でバリエーションルートに挑んでいます。
そういう先輩の姿が、私にとっては一つの指標になっています。
ただ、漠然とですが、自由になる時間が増えたならば、やりたいことがあり過ぎて、却って時間が足りなくなるような気もしています。
そう思えることがある意味幸せなのかな、とも思いますが。

by 伊閣蝶 (2017-10-15 23:07) 

ぼんぼちぼちぼち

自由に使える時間が山ほどある・・・・・最高に幸せなことだと思うのでやすが
長年組織で働いてこられたかたの中にはそう感じられないかたも少なくないのでやすね。
幸せ感を感じられないことに悲しさを感じやす(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2017-10-16 22:16) 

いっぷく

哀愁の人もそうでない人もいると思うのですが、メディアは哀愁として描いたほうが記事として面白いということなんでしょう。
定年にならなくても、人に決めてもらわないと自分が何をすべきかわからない人はいますから、もっと根本的な、生き方や人生観の問題かもしれませんね。
by いっぷく (2017-10-17 08:40) 

伊閣蝶

ぼんぼちぼちぼちさん、こんにちは。
全く仰る通りです。
私などは一日も早くその頸木から逃れたいと思っているのですが、ご自身の基盤が会社などの組織にあると感じている方は、また違った感覚なのかもしれません。

by 伊閣蝶 (2017-10-17 12:45) 

伊閣蝶

いっぷくさん、こんにちは。
定年後も普通に張りのある元気な毎日を過ごしている方の方が、恐らく大多数ではないかと思うのですが、仰る通り、それではメディアにとって記事にはならないのでしょう。
自分で進むべき道や楽しみを開拓することに喜びを感ずる人と、戸惑う人がいることは確かなので、その点もそのご当人の人生観の問題なのでしょうね。
by 伊閣蝶 (2017-10-17 12:48) 

ヒロノミン

 少し昔の記事に失礼します。
 私は現在40代前半なのですが、私が高齢者になる頃は年金開始年齢が70歳に引き上げられているでしょうし(そうしないと財政が持ちませんから・・・必ずやると思っています)、人口の1/3が高齢者(65歳以上)という世の中になったら、年金暮らしでぶらぶらしている、というのを許さない風潮になってしまうのではないかと危惧してます。今でも年々高齢者に対する風当たりは強くなっていますし・・・
 同世代の仲間とは、第2の人生で何をするか、というのが話題になりますね。
by ヒロノミン (2017-11-04 11:18) 

伊閣蝶

ヒロノミンVさん、こんばんは。
40代前半の方にとって、今後の社会保障の問題は恐らく私ども以上に気になるところと思います。
高齢者でも、社会のために何らかの役に立ち幾ばくかの報酬を得られる環境を求める気持は強いと思います。
働くということを義務だけの観点でとらえると非常に辛くなりますが、何かの役に立っていると思えば気力も湧くことでしょう。
しかし、高齢者に対する風当たりは益々強くなります。
第二の人生に関しては、早いうちから考えることも必要と、私などは反省する立場からそのようにアドバイスしたいと感じます。
by 伊閣蝶 (2017-11-06 22:59) 

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