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「遭難女性が救助の警官にブチ切れ」 [山登り]

JCASTニュースに掲載され、Yahooニュースに転載されたことから、注目を集めた記事。

遭難女性が救助の警官にブチ切れ ブログで「何様なの?」「酷い対応」

JCASTニュースのURLは以下の通り。

遭難女性が救助の警官にブチ切れ ブログで「何様なの?」「酷い対応」

「遭難女性」のそもそものブログ記事はこちら。

御在所岳でまさかの遭難! 大変ご迷惑をおかけしましたm(__)m。しかし警察って何様?感謝していますが言わせてもらいたいことが!

人はその置かれた立場によって意識も感じ方も良識も異なりますから、この件については記事の紹介にとどめ、このことに対しての私個人のコメントは差し控えます。

以下は山登りに対する私の個人的な考え方ですから、どうぞその点についてはお汲み取りのほどをお願い申し上げます。

山登りは基本的に場数や経験がものをいうスポーツだと思います。
スポーツであるのにもかかわらずこれといった明確なルールがなく、ベテランもビギナーも同じフィールドで行動するという特徴もあります。
その場数や経験も、単にこれまで重ねてきた年月に比例するといったものではなく、極端なことを云えば、無雪期の一般ルートの縦走を何十年重ねてきても、山登りという全体的なレベルからすれば「初級者」の域を出ません。
高尾山や丹沢あたりから始めて、奥秩父・八ヶ岳・日本アルプスと無雪期の縦走登山をを重ねていき、沢登りから岩登りなどのバリエーションにおける技術をある程度習得し積雪期登山に踏み出していく、という地道な経験を積むことが、まずは山登りのあり方だと、私などは教えられてきましたし、場数や経験という意味では正にこの通りと思います。
地形図の読み方や天気図の書き方、観天望気、ザイルワーク、確保技術、アイゼンワーク、天幕などを含めた生活技術や食料の取り方、などなど、山登りに関して必要となるもろもろの技術はこうした息の長い経験によって身に付くものでもあるのでしょう。
先輩などから実地で教え込まれるものから、自宅の炬燵にあたってブーリン結びや8の字結びやマッシャー結びやプルージックやインクノットなどを何度も繰り返し自習する、などということまで、目標達成に向けてそれなりの地道な努力を重ねてきた山屋もかなりの数にのぼると思います。
食糧計画を立てたり国土地理院の25000分の1地形図に色を塗ったり書き込みをしたりとか、山へ出かける前の準備も、それなりに楽しいものでした。

一時、山の経験のほとんどない中高年の方の登山に関して、その危うさや軽率な行動などが批判の対象になっていました。
近年、山ガールとか山ボーイなどという呼び名とともに若者たちの山登りが盛んになってきています。
若い人たちが山に登るというのは、20年位前までは誠にお寒い限りでしたから結構なことだと思います。
しかし、時折山で出会う彼らの行動を見ていると、批判の対象となっていた中高年登山者以上に危ういものを感じます。
そこには、山の経験はもとより人生経験の浅さまで露呈されているからなのかもしれません。

今回のこの「騒動」の元となった方は、地図やコンパスを持参することもなくしかもコースを事前に検討しもしなかった。
地図を持参しなかった理由は「そもそも地図が読めないから」なのだそうです。

地図も読めずコンパスの使い方も知らない人、つまりは山の中にいて自分の現在いる地点すらも把握できない状況で山歩きをする。
ちょっと絶句してしまいました。

そういえば、同じJCASTニュースに次のような記事がありました。

救助隊員滑落死でも「楽しかったよ」 無謀登山遭難者のフェイスブック書き込みに非難轟々

恐ろしい世の中だと思います。

好むと好まざるとにかかわらず、私はこれからも基本的にはあまり登山客の押し寄せない山域を中心に山をうろつきたいとの想いを新たにしました。

山登りには、昔から言い習わされている俚諺があります。

「山の弁当と怪我は自分持ち」
タグ:遭難 山登り
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アニメ「君の名は。」 [映画]

8月ももう下旬となりますが、相変わらず雨ばかりのお天気です。
若い頃は、「どうせ濡れるのは同じ」とかいっちゃって沢に出かけたりしたものですが、もうそういう覇気はかなり減退しています。

そんな中、連れ合いが、昨年話題になったアニメ「君の名は。」のビデオを借りてこないか、と提案。
私個人としても少し気にはなっていたので、良い機会でもあるし、それでは、ということで近所のツタヤで借りてきました。



一見した感想。

とにかく予想以上の美しさです。驚愕しました。

今のアニメーションは、セル画ではなくデジタル画像によるモーションコントロールが主流とは聞いてはいましたが、余りに自然な画面の動きで、これは本当にアニメーションなのかと疑ったくらいです。
洋画に良くあるモーションキャプチャーではなく、明らかに日本独特のアニメーションの世界なのですが、それでいてこの完成度!
この、「アニメーションである」というところが、やはり嬉しくなりました。

肝心のストーリーは、緻密なアニメーションと若さ溢れる恋愛や友情シーンを追うことばかりに気を取られ、結末に至るまでの展開が今ひとつしっくりこなかったというのが、初めの感想です。
もう一つ、画面の随所に挿入されたRADWIMPSの音楽(歌)がどうにも耳障りで、正直にいって我慢がならなかった。
画面の流れは実に映画的なのに、どうしてこんな無神経な音楽の使い方をするのか!と腹立たしい想いに駆られた、というのが本音です。

ということで、当然のごとくもう一度鑑賞。

瀧と三葉との入れ替わりという形を採ったタイムスリップの使い方が、実はかなり綿密な構想によって作られていることがわかりました。
ネタバレになるので細かなところを書くのは控えますが、瀧と三葉が入れ替わる時点で設定される三年間というギャップが、非常に視覚的かつわかりやすく描かれています。

タイムスリップを題材にした映画や小説などの創作は、それこそ数多く存在しますが、所詮は空想の産物としていい加減に扱われる場合がかなり多いようにも思われます。
時間というものが、何故に過去から未来にしか流れないのか。
そのことを解明した人を私は寡聞にして知りませんが、創作物におけるタイムスリップの扱いのほとんどが過去に遡っているのは、その根本的な時間の流れを想像力によって覆したい、と考えたため、ともいえるのではないでしょうか。
過去というものは取り返しのつかないものであることを分かりつつも、もしもできることならば過去に戻ってやり直したい、という欲求を持つ人はきっとかなりの数に上っていると思います。
その反面、未来については、「できれば知りたくはない」と考えるのではないでしょうか。
少なくとも私はそうで、ドラえもんの中でのび太君が自分の未来の姿に関してあまり積極的に知りたがらない(肯定したくない、できれば抗いたい)という描写も宜なるかなと思うのです。
未来は放っておいても到来するものであり、そんなものを現時点で知ってしまったら、それこそ未知の中にあるからこそ持つことの出来る希望を失うことになるような気がしますがどうでしょう(もちろん、「より良き未来」を作るために努力をする、という前向きに未来を考える、という視点を持つということはこれとは別次元のものですが)。

どうも話がかなりズレてしまいました。妄言多謝。

とにかく、創作物でタイムスリップを扱う場合、それに接している人に、その現象をどれだけ信憑性のあるものとして届けられるか、その辺がコアとなるのではないか。
この「君の名は。」においては、それを瀧と三葉との入れ替わりという形で表現しています。
その間の三年のギャップについても、例えば三葉が瀧に逢おうと決心して東京にやってきた時、当の瀧は中学生(三年前なので)で、当然のことながら三葉のことなど知る由もない。
それを、二人の身長がほとんど変わらないという形と制服と単語帳(瀧は高校入試を控えていたのでしょう)というところで表現し、絶望した三葉が髪の毛を結んでいた紐を瀧に手渡すことで印を残す、などというシーン。
ティアマト彗星の配置と扱い(因に「ティアマト」は上半身が女性で下半身が蛇である古代エジプトの神)、月の描き方(三日月、満月、半月)。
そして、映画の中では「かたわれ時」といわれる黄昏時の描き方。
黄昏は、泉鏡花の夜叉ケ池の中でも触れられていますが、落日の残照と行燈の灯りなどが重なるときすなわち「ふたあかり」の中で怪異は起きる、と定義された時間です。
恐らく、新海監督はそのことを念頭においてこういうシチュエーションの中での展開を考えたのでしょう。
口噛み酒とかたわれ時が、瀧と三葉の、本来ならば逢えるはずもない出逢いを可能にし、しかも、それはかたわれ時の終焉とともに失われる。お互いの記憶の中からも。

こうしたオーソドックスなタイムスリップの描き方の上に、主人公たちを取り巻く友人たちとの篤い友情を絡ませ、一つのスペクタクルを形作る。
実にうまい作り方だなと感心しました。
二人の入れ替わりが「眠り」という行為によって生ずることも、よく考えられた設定だと思います。
創作物で描かれるタイムスリップは、現在の自分が存在する世界の時間軸とは違う世界(パラレル・ワールド)に移ることによってパラドックスを回避するという手法がとられます。
この映画では、入れ替わっている間をお互いが実体験であるという認識の元に行動することによって上手に表現しているようにも思われます。
個人的なことですが、私は、かなりしばしばみる夢の情景を、自分にとって相当にリアルで連続性のあるものとして感得しています。
その夢の中に現れる情景、家であったり道路であったり職場であったり、それらは連続する同じ夢の中では完全に一致している。
もしかすると、今、現に生きていると思っている世界が夢であり、夢であると思っている世界が実態なのかもしれない、と感じたりもするのです。
もしかすれば、自分を取り巻く世界の様々な事象は、自分の頭の中に展開された仮想空間なのかもしれない、それゆえにそれは一つの宇宙なのかもしれない、などと考えたりしました。

そういう不思議な感覚を、この映画は想起させてくれます。
その意味では、ビデオをレンタルして、何度か繰り返し観ることが、ある意味必要なのかもしれません。
この映画が公開されているときに、何度も映画館に足を運んだ人がいたということを聞きましたが、それについては非常に納得がいきます。
劇場で一度観ただけでは、恐らく「映像の美しさ」に圧倒されるだけで終わってしまうことでしょう。

さて、この映画では、そのあまりの描写の精緻さから、題材となった場所への「巡礼」が話題となりました。
瀧と三葉が最後に出逢うことになる四谷の須賀神社。
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この境内には、一時、高校生が大挙として押し寄せたようです。

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この階段が、映画の中では印象的に現れますね。

この前のショットで、小雪の舞う中を二人がすれ違うシーン。
これは、1950年代に一世を風靡した菊田一夫の「君の名は」のオマージュなのだろうなと感じました。
少なくとも、新海監督はこの作品をリスペクトしておられたのでしょう。
勝手な感想ですが、私はそう感じました。

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夏休み [日記]

夏らしくない雨がちのお天気が続きます。
レジャーへの影響もさることながら、農作物への影響が懸念されるところです。

転職後三年目となったこともあり、夏期休暇もまとまって取れるようになりました。
とはいえ、私の両親は高齢なので、まずは実家に帰ってこまごまとした作業をしなければなりません。
さらに連れ合いの実家にも所用があって帰省することになったので、夏期休暇はほぼそれだけで費消されてしまいました。

8月7日、月曜日なので高速道路も空いているだろうと甘く考えたのが大間違いで、なんと中央道では午前中に事故が三つも連続し、渋滞。
午後からは台風の影響による大雨で通行止。
幸い通行止になる前に実家に帰り着いたのでラッキーでしたが、両親につきあっての買い物では大雨に見舞われ、やれやれといったところ。
それでも、9日には晴天に恵まれました。
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風呂の掃除、お墓の掃除、物干し台の修理、ガスレンジと換気扇の掃除などをやって、私の実家から連れ合いの実家の会津に向かいます。
渋滞などはありませんが、大門街道から上信越道・関越道・北関東道・東北道を経由して行ったので、休憩込みで7時間かかってしまいました。
会津からは12日に帰って来ましたので、幸いにも目立った渋滞には引っかからず、これはありがたい限り。
しかし結局のところ、今回の帰省ではトータルで900kmくらいの運転(連れ合いは運転しないため、私一人です)となり、さすがにうんざりです。

13日には、運動不足解消のため、いつもの里山ウォーキング。
雨がちのお天気だったせいもあって、キノコがたくさん出ていました。

こんなのや、
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こんなのがあって、ちょっと驚きです。
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で、お目当てはもちろんこれ!
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かなりの豊作でしたので、少しだけ採取してきました。

一部は、チョリソーと一緒にバター炒めにし、その他はさっと茹でて冷凍にしたところです。
しばらくは楽しめそうですね。

連れ合いの実家では、予想通り、みんなの反対にあって沼尾沼への再来は残念ながら叶わず。
そういう時間も取れないようなタイトな帰省となりましたが、ありがたいことに家族・親族はみんな元気で、その点だけは嬉しく思っています。
歳を取ると、そういうことが一番気がかりになりますから。

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モバイルノートのRAM増強 [PC関連]

8月になりましたが、まるで梅雨の様なじめじめとしたお天気が続いています。
台風5号の動向も気になるところですね。

先日、モバイルで使っているDELL「Inspiron11」のRAMを8GBに増強しました。



デフォルトは4GBで、通常の使用には耐えられるとのことだったのですが、ちょっとしたことでハングアップするようになり、やむを得ず、というところです。
このタイプは増設メモリのためのサブ・スロットがないため、メモリ本体の入れ替えとなります。
背面の9個のビスを外してこじ開けることになるのですが、これがなかなか骨が折れて神経を使いました。
結局、手持ちの中でも一番薄いマイナスドライバーを使ったのですが、いくら気を付けても多少の傷は残ってしまいます。
プラスチックスクライブを使うのが最適かもしれませんね。

さて、入れ替えが終了し、電源を入れると自動的にBIOSが更新され、プロパティを確認したところ、無事にRAMは8GBに認識されていました。
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体感的な処理速度はそれほど変わりはないように思いましたが、ハングアップはだいぶ少なくなり(それでも時折起こりますが)、MSOffice系のアプリの立ち上がりも早くなったように感じています。
これでしばらくはそれほどストレスを感じずに使えそうです。

DELL「Inspiron11」、購入してから1年少々経ちました。

現在の職場で、それまで二人でチームを組んで各部署のヒアリングなどに出向いていたのですが、昨年の3月末にチームの先輩が退職してしまい、その後の補充がなかったため、私一人でその作業をこなすこととなりました。
現地に赴いた折には、ヒアリング項目などを区分けして二人で対応し、なるべく先方の負担軽減を図ってきたのに、一人になるとそれができません。
従って作業の効率化を図るためには、現場で聴取した事項などをその場でデータ化して関連様式にまとめる必要が生じ、モバイルノートを新たに購入しようと思ったわけです。

データをまとめて作成する報告書は、職場のPCとの連携を図るためにMSOfficeのアプリ(EXCELやWordなど)とせざるを得ず、そうなるとやはりOSはwindowsとなります。
軽量でバッテリーパワーもあってMSOffice(EXCEL・Word・PowerPoint)が使える機種、さらにリーズナブルな価格、ということになると結構限られてしまい、いろいろ悩んだ挙句に、この機種にしたのでした。

私はプライベートでMacを使っていますので(職場ではwindowsですが)、最初はMacBookAirを考えていました。
しかし、使用目的の最優先課題は仕事での利用であり、そのためにはMSOfficeとの親和性がポイントとなります。
NumbersやPagesの利用も考えましたが、どこまで互換性を担保されているのか今一つ確信が持てず、遺憾ながら諦めることとしました。

そんなわけで図らずもwindows10を使うこととなり(職場のPCはwindows7)、そのあまりの重さと不安定さに悩まされてきた、というのが現状です。

フリーズした場合、Ctrl+Alt+Delでタスクマネージャを立ち上げ、怪しそうなアプリをクローズするとかシャットダウンするといった対応がセオリーでしたが、私の使っているDELLでは、しばしばそれすらも使えないことが多く、一般には忌避される電源スイッチoffなどというひどい対応に頼る事すらあります。
尤も、今どきのモバイルノートの内部記憶デバイスはSSDが採用されているのがほとんどなので、以前のようにハードディスクにアクセスがかかっているときに強制的な電源off!などという危ない局面には至らないようですが。

MacOS、Linux、windowsXP・7・8・10など、ここ数年の間にいくつかのOSを使ってきましたが、windows8.1と10は、私としては「どうにも扱いづらい」というのが感想です。
そういうOSを選択しなくてはならない理由が「仕事上の都合」というところも納得のいかない部分かもしれませんね。

それからもう一つ、仕事関係の情報をネットからとってくることもかなり多いのですが、今のWebサイトでは動画やフラッシュの多用など見栄えばかりを気にする傾向が強くて、これがPCのリソースを喰い、反応が遅くなったりハングアップにつながったりすることがままあるように思います。
動画サイトとか、アミューズメントを目的とするサイトならいざ知らず、一般企業のサイトでもこうした傾向にあるのはいかがなものでしょうか。
ソネブロなど各種ブログも余計なパーツが多くて、非力なPCですと、やはりストレスが溜まりますし。

私事で恐縮ですが、私のメインサイトのホームページのサイズは画像込で80KBです。
開設時期が1999年であったという時代背景もありますが、当時はとにかく軽いページを作ることが一つの目標であったようにも思います。
如何に見やすく使いやすいページを小さなサイズで構築するか、というのがHTML作成者のセンスでもありました。

どうも最後は年寄りの繰り言になってしまいました。
反省反省ですね。

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