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バラの花と三輪横穴古墳群の地図など [山登り]

まだ5月だというのに、気温が30度くらいまで上がる日が続いています。
こんな暑さの中ですが、そこかしこでバラの花を見かけ、それだけでもちょっと気持ちがなごみますね。
職場近くにある赤坂プリンスのクラシック・ハウスでも盛りで、良い香りを届けてくれています。
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先日、三輪横穴古墳群のことを書きましたが、手ごろなプチ・トレッキングコースとして楽しんでいます。
あの折には早々に住宅地へと降りてしまいましたが、もう一度登り返したらどうだろうかと、先に進んでみました。
国土地理院の形図をもとに大まかなコースを書いてみるとこんな感じです。
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距離的にはわずかなものですが、下草も生い茂っている鬱蒼とした樹林帯の中を歩くので、里山にしては歩き甲斐がありました。
ところどころで蜘蛛の巣に引っかかるのは閉口しましたが、何と云っても静かなのが魅力です。
寺家ふるさと村の付近はかなりの人出がありますが、この古墳群周辺の山道を歩く人は極めて稀で、休日の昼間であるのにもかかわらず出会った人は数人。
ゴルフコースの脇に飛び出し、漸く人の姿を見る、という感じでした。

自宅への帰り道では、いつもの野菜直売場によって、トマト・小松菜・蕪などを買いました。
どれも新鮮でおいしく、特にトマトは、スーパーなどに売っているものとは味も香りも全く違います。
こうした夏野菜は、やはり地のものが出回る季節に購入するのが一番ですね。

なお、三輪横穴古墳群を訪ねるのであれば、恐らく町田市側からアプローチするよりも、東急田園都市線の青葉台駅からバスで「寺家ふるさと村」に向かい、そこから歩いたほうがわかりやすく便利だと思います。

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フルトヴェングラーとマーラー [音楽]

フルトヴェングラーの「ザ・レガシー」のことを先日取り上げました。


107枚のCDは、やはりかなりのボリュームであり、もちろんまだその一部しか聴けていません。
ベートーヴェンやブラームスやブルックナーの演奏は、既に所持しておりましたからどうしても後回しになりますし、ワーグナーに関しても、指輪などは聴きとおすためにもそれなりのエネルギーが必要で、まだそのままになっています。
しかし、こうして「いつでも聴ける」全集が手元にあるのは心強い限りで、ちょっと時間の空いているときなどに少しずつ聴いたり、入浴時に聴いたりと、それはそれで楽しみにしているのですが。
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この全集、これまで録音された音源のほとんどは網羅されており、フルトヴェングラー自身の作品である「交響曲第2番ホ短調」や「ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲 ロ短調」も含まれています。
なかなかの力作で、フルトヴェングラー自身「自分の本来の芸術的目標は作曲家である」としておりましたし、恩師であったルートヴィヒ・クルティウスからも「指揮活動は(作曲のためには)才能の浪費である」と指摘されていたことなどもあって、相当打ち込んでいたものと思われます。
両曲ともかなり長いので聴きとおすためには一種の「覚悟」がいりますが、私は大変気にっています。
この2曲についてはいずれまた取り上げたいと思います。

そんな全集ではありますが、個人的に少し残念に思うことがあります。
それは、マーラーの作品が、フィッシャー=ディースカウと組んだ「さすらう若人の歌」のみで、彼の本質ともいうべき交響曲の録音が一曲も残されていないこと。
なぜなのだろう?
同じような疑問を抱く人は結構いるようで、その問いに対し、フルトヴェングラーと親交のあった近衛秀麿氏は

「彼(フルトヴェングラー)はマーラーをドイツ音楽とは考えていなかったのでしょう。あまりにユダヤ的だったから。だから取り上げなかったのです」

と答えています。
近衛氏が何を以て「ユダヤ的」といったのか、私には皆目見当がつきません。
ユダヤ人が作った曲だから、というのであれば、メンデルスゾーンの曲の録音がそれなりに残されていることとどう折り合いがつくのか。

実際、この記事によりますと、フルトヴェングラーは、第1番・第3番・第4番を取り上げていた時期もあるようです。
1920年代ですから、残念ながら録音も残っていないということなのかもしれません。
1930年代以降取り上げられなくなったのは、この記事でも触れられていますが、1933年にナチスが政権を掌握、その政権下におけるユダヤ人・ユダヤ文化排斥の影響によるものなのでしょう。
1933年4月、フルトヴェングラーは宣伝相ゲッベルスに公開状を書き、これを、当時はまだ比較的自由な論説を掲げていたドイチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙(ユダヤ人指揮者ブルーノ・ワルターの指揮禁止に対して彼を擁護した唯一のドイツ紙)に託しました。
公開状の内容は「芸術に対し、ユダヤ的であるかどうかの違いによって価値の区別をすることは間違っており、真の芸術家である以上それはユダヤ人であってもドイツにおいて表現の自由を与えらるべきである」というもので、これを見ても、近衛氏のお話の「ユダヤ的だから取り上げなかった」という下りには少し疑問を感じます。
有名なヒンデミット事件はその翌年のことですが、このときの「ヒンデミットの場合」というフルトヴェングラーによるヒンデミット擁護の論文の中では、もうナチスによるユダヤ人排斥についての批評は一言も述べられていません。
フルトヴェングラーがユダヤ人演奏家や芸術家を積極的に擁護したのは有名な話ですが、この時にはもうそんなことを主張できる段階ではなく、従って演奏会で(例えばマーラーの音楽を)取り上げることはもうとてもできるような状況ではなかった。
そういえば、このヒンデミットの交響曲「画家マチス」初演も、録音としては残っていませんね。

さらに、ナチスの反ユダヤ政策による圧力ももちろんあったのでしょうが、観客がそれを求めていなかったのではないかということも考えられます。
優秀なるアーリア人である自分たちの生活が改善されないのは、破壊分子であるユダヤ人の台頭によるものだ。ユダヤ人を排斥し、真の優等民族である我々の尊厳を取り戻すのだ、というナチスの主張に、不況にあえぐ人々は賛同した(何だか今の欧州や米国の状況に似ていますね、日本も危ないか)。
そんなうねりの中で、フロイトやハイネの著書も(彼らがユダヤ民族だという理由を以て)焚書坑儒の餌食にされたくらいですから、マーラーの音楽を演奏することなど、とても受け入れられるものではなかったのかもしれません。

ナチス政権下ではそうであったのでしょうが、それではなぜ大戦後もフルトヴェングラーはマーラーの交響曲を取り上げなかったのでしょうか。
音楽評論家の故宇野功芳氏は、フルトヴェングラーがマーラーの曲を指揮しなかったことに関し「マーラーはワルターに任せた」と云ったとの伝聞を紹介しておられましたが、真偽のほどはわからないながらありそうな話ですね。
指揮者というカテゴリーから云えば、ワルターとクレンペラーは正にマーラーに直結する弟子であり、この二人によるマーラーの演奏は今日においても少しもその輝きを失っておりません。さらにメンゲルベルクという巨大な存在もありました。
同世代にこれだけの表現者がいては、自身がそれを凌駕する演奏を聴かせることは難しいと考えた可能性も無きにしも非ずでしょう。

しかし、これは私の身勝手な憶測なのですが、ドイツやオーストリアでは戦後になってもマーラーの交響曲にあまり需要がなかったのではないかと考えます。
今でこそ、マーラーはコンサートにおけるドル箱のような人気曲となっていますが、あの巨大で一見難解な曲を普通の聴衆が好んで聴くまでには相当の時間が必要だったことでしょう。

フルトヴェングラーは、何よりもコンサートにおける演奏効果、平たく云えば聴衆受けを重要視したといわれています。
ストラヴィンスキーやプフィツナー、バルトークといった現代音楽も好んで取り上げましたけれども、その際にも観客が興味を引きそうなポピュラーな曲を併せて配置し、観客が退屈することのないように心を砕いたそうです。
そうした背景を鑑みれば、マーラーの長大な交響曲をプログラムに載せることにリスクを感じてもおかしくはありません。

では、ブルックナーの交響曲はなぜ取り上げたのか。

今の我々の感覚からすればかなり違和感はありますが、同じドイツ・オーストリアの音楽としてリヒャルト・シュトラウスと同様にワーグナーの流れを汲んでおり、従って独墺の聴衆には受け入れられるだろうと考えた。
フルトヴェングラーが改訂版を使用した時期があったことからしても、その路線で観客に聴かせようとしたのではないかと思われます。
指揮者の朝比奈隆氏は、フルトヴェングラーからブルックナーを演奏する場合の版のことについてアドバイスを受け、それによってハース版を使うようになったそうですが、当のフルトヴェングラーは改訂版を使っていたこともあったわけで、そこには恐らく葛藤もあったことでしょう。
フルトヴェングラーは、ブルックナーに関する論文も書いているほど彼の音楽を気に入っており、評価もしていました。
フルックナーの音楽を読み解くことは、指揮者としてはもちろん作曲家としても興味をそそられるものであったのでしょう。
今残されているフルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の録音を聴いても、その傾倒ぶりがわかるように思われます。

いずれにしても、私は彼の指揮によるマーラーの交響曲第9番と大地の歌をぜひ聴きたかった。
無いものねだりに過ぎないことはわかってはいるのですが…。

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三輪横穴古墳群 [山登り]

寒暖の差が激しくなっています。
職場は5月からクールビズとなっていますので、ネクタイをしなくていいのは本当に助かりますね。

若葉の茂る清々しい気候となり、山歩きにはもってこいですが、土曜日が出勤である私は、こまごまとしたことを日曜日にすることが多く、なかなか山に出かけられません。
そのため、自宅近くにある里山に出かけることが多いと以前にもここで報告しましたが、先日、前から行ってみたかった町田市の横穴古墳群に足を延ばしてみたところです。
詳しいことは以下のサイトをご覧ください。

三輪・能ヶ谷の横穴墓群

私の自宅に近いのは三輪玉田谷戸横穴墓群で、いつものウォーキングコースである寺家ふるさと村を越えて山道に入ります。

山道を歩いていくと左に標識があり、フェンスに仕切られた横穴古墳が二つありました。
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懐中電灯などを持って来れば中の様子を見ることもできたのですが、残念。
町田市のサイトによると、6世紀末から7世紀にかけてつくられたと推定されるそうで、そんな頃からこのあたりにはそれなりの規模の集落があったということなのでしょう。
このあたりだけでも100基見つかっているというのですからすごいものです。

この緑山付近。
今回初めて足を踏み入れましたが、思った以上の山深さです。
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新緑の今の時期故になおのことそう感じさせるのかもしれません。

暫く山の中を歩いていくとテニスコートが見えて、そこまで階段で下ってこの遊歩道(山道)は終わりです。
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こちらから行くのはちょっとわかりずらそうですね。

やがて広大な住宅地に出て、その外側の道を回っていくと谷本川(鶴見川)に出ました。
川崎市下麻生地区ですね。
川沿いに歩きながら、ウォーキングの際にいつも立ち寄る農家の直売所で小松菜・きゅうり・トマトなどを買い求め、帰宅しました。

どうでもいいことかもしれませんが、横浜市・町田市・川崎市を(一部分ではありますが)歩いて回ったことになり、いつもよりも30分以上のオーバーランとなりました。
前々から気になっていた古墳群でしたので、それを確かめられたのももちろんよかったのですが、いつものウォーキングコースをはるかに凌駕する山っぽい道を歩けたことに満足しています。
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春岳沢に行ってきました。 [山登り]

連休の関東地方は穏やかな晴天に恵まれ、連日、汗ばむほどの陽気です。
前の記事でも書きました通り私は暦通りの出勤ですので、長期の連続休暇は望むべくもなく、近隣の里山ウォークを楽しむくらいかなと考えていました。

しかし、それではあまりにもこの晴天がもったいなく、手ごろに出かけられる東丹沢の春岳沢を遡行しようと思い立ったわけです。
春岳沢を選んだ理由は、若い友人たちから「沢登り」などちょっとグレードの上がった山歩きをしたいというオファーがあり、それならあまり危険もなく、基本的にはザイルもいらない春岳沢がいいかなという下見ついでに、昨年購入して、街歩きなどでも使っているVソールスニーカーの登攀性能を確かめて見たかった、というところでした。

あまり早朝から焦って出かける必要もないので、8時前に自宅を出て、それでも秦野には9時過ぎに到着しました。便利ですね。
秦野から蓑毛行のバスに乗るのですが、驚いたことにヤビツ峠行きのバスの方が本数が多いようです。休日のこの時間だから、ということなのでしょうが、以前はヤビツ峠までのバスの本数が非常に少なかったので驚きました。何と臨時便も出ている模様です。
そんなわけで、ヤビツ峠行きのバスに乗り、蓑毛で下車しました。
他に下車した人はなく、こんなところでも「観光地」による客の集中化は進んでいるのでしょうね。

うららかな春の陽射しの中、春岳沢に沿って車道を登ります。
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やがて春岳沢を渡り、標識に従って髭僧の滝に向かいます。
右岸の踏み跡は「通行止め」になっていました。
度重なる台風や水害で踏み跡も荒れているのかもしれません。

髭僧の滝です。
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前回は直登しましたが、今回は右側のカンテを登ることにしました。
乾いていて快適に登れます。
ただ、上部は苔や灌木うるさく、最後の1ピッチは慎重に登った方がいいでしょう。
仮に初級者を連れてくる場合は、確保をした方がいいかもしれませんね。
おあつらえ向きに終了点にはちょっとした立木があり、ここでセルフビレイを取ることになります。

三条の滝です。
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かなりぬめっていて、ハイパーVソールではフリクションが全く効きません。
仕方がないので水流を浴びながら、ぬめりの少ない水線沿いを登りました。

今回、大失敗したのは、いつもは必ず携行するブラシ(柄付きたわし)を忘れてしまったこと。
こいつがあれば、あらかじめホールドのぬめりを落とすことができるのですが、やむを得ずクライミンググローブを使ってこすり落とします。
ブラシよりも手間はかかるうえ、勝手も良くありません。

そんなわけで、ここから先は携帯電話などを濡らしてもいけないため(水線沿いを登ると盛大に全身が濡れますから)ザックにしまいましたので、写真はあまり撮れませんでした。

水流に洗われたナメ滝。
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こういうところはばっちりフリクションが効き、快適です。

小滝が続きます。
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どの滝もぬめっているので、水線沿いを登ります。

こういう滝が現れると嬉しくなりますね。
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さて、沢が広がって、右側に堰堤を見、不定型な4つ俣になってくるあたりで、右の植林帯に逃げるトラバース道があったはず。
そう考えながら遡ってみましたが、いつしか水流も消え、周りは不安定なゴーロの斜面となりました。
以前遡行した折には、水源地の標識もトラバースの踏み跡もしっかり残っておりましたが、現在は跡形もなく流されているようです。
水流が消えてしまっている、ということはかなり上まで来ていることになり、木にしがみつきながら右側を遠望すると、ザレの向こうに崩れかかった仕事道の一部が見えました。
ちょっと不用意に動けば岩雪崩を起こしそうなザレを、木から木に移りながら慎重にトラバースし、やっとの思いで疎林に入り、仕事道まで恐る恐る下ります。
かなり荒れてはいますが、どうやらこれが前に確認した仕事道のようです。
確認のため沢の方に戻っていくと、昔の面影がありました。
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以前にあったテラスのような水源台地は完全に流されているようですね。

仕事道から大山裏参道に出るトラバース道。
以前の通りシカ止めの冊も二か所ありましたが、荒れている箇所が広がっているようです。
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この看板は記憶にありませんでした。
いずれにしても、普通の山歩きであれば、この道を採ることはお勧めできません。

ここまでは予想通り誰にも会いませんでしたが、裏参道に出ると、それなりに登山者もいます。
さすがに大型連休ですね。
ヘルメットを脱ぎ、靴下も履き替えて蓑毛までゆっくり下りました。

蓑毛発秦野駅北口行きのバスは、休日でもガラガラなことが多いのですが、それなりの乗客がいました。
山登りの恰好をしている人ばかりでしたから、やはり裏参道など、このあたりを歩く方も多くなってきているのでしょう。
爽やかな五月晴れの一日、新緑を眺めながらの山歩きは格別のものがありますから。

ところで、ハイパーVソールについて。
昨年の沼尾沼を皮切りに、街歩き(雨天を含む)やウォーキングなどでも使い、いろいろと試してきましたが、滝登りを主体とする沢歩きでどの程度の信頼性があるのか、改めて検証しようと考えていました。
春岳沢は、小規模ながらも様々な形状の滝が連続し、場所によっては乾いた岩の登攀や泥壁、灌木帯などの登下降も試せるのでうってつけと思ったのです。
ぬめった滝でのフリクションはかなり悪く、やはりフェルトソールよりも実感としては滑る感覚があります。
ただし、ぬめりが多少なりとも水流などによって流されていれば、(ぬめりが残っていても)かなりフリクションは効きます。
通常の濡れた岩や石などではほとんどすべることはありませんし、乾いた岩の登攀も快適です。草付でも安定したスタンスであれば大丈夫です。
泥壁でも問題なく使えると思います。
記事の中でも書きましたが、ブラシ(柄付きたわしなど)を持参し、スタンスのぬめりを落とせばハイパーVソールの性能は十分に発揮できることでしょう。
何よりも、家を出てから帰宅するまで、少なくとも靴を履き替える必要がないのがありがたいところです。
泥汚れなども、ブラシでこすればすぐに落ちますので、手入れも簡単。
何よりも安価であることがポイントですね。

さて、今回の沢登り。
以前の楽勝だった感覚から舐めてかかり、ツメでの思わぬ彷徨などを呼び込んでしまいました。
木を渡ったりした折に、左手の親指の爪を剥いでしまいました。
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幸いにしてその時には出血を見ませんでしたのでよかったのですが、ツメの地形を見極めて安全地帯に逃げるための判断が遅れたりと、山の勘がだいぶ鈍ってきていることを実感しました。
滝を登っている間にだいぶ感覚は取り戻してきましたが、出だしのカンテで少々まごついたのも、つまりはクライミングが相当下手くそになっていることの証左です。
改めて真面目に山に向き合わなければという想いを強くしました。

因みに左手親指の怪我ですが、ガレ場のトラバースとか、木渡りなどの時にはドーパミンやアドレナリンが盛大に分泌されていたからなのでしょう、ほとんど痛みを感じませんでした。
家に帰りついてテープで固定すると急に痛みを感じ始め、茶碗を持つときにも不便を感ずるなど、何とも情けない仕儀となりました。
今朝、出勤するためにワイシャツを着たのですが、ボタンをはめるのも痛くて一苦労。
舌打ちをしながら、さて家を出ようとしたらワイシャツのお腹のあたりに小さな血痕が。あれれと親指を見たら出血していました。
またまた舌打ちをしつつ、今度は絆創膏に貼り換えた次第です。
出がけの慌ただしいときになんてことだという腹立ちもありましたが、まあ、溜まった血が出てくれるのであれば快復も早いことでしょう。
指の怪我はどの指であってもそれなりの支障が出ます。殊に親指は影響が大きいので注意が必要ですね。

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フルトヴェングラーのマタイ受難曲 [音楽]

大型連休となりましたが、勤務形態の関係から私は長期的な休暇が取れず、5月1日・2日はもとより6日の土曜日も出勤です。
そんなわけで、遠方に出かけるには中途半端となり、専ら近隣での行動に終始することになりそうです。
ある意味では残念でもありますが、こういう時に、これまで落ち着いて聴けなかったCDをまとめて聴く、という方向に意識を転換するのもまた良いのかもしれませんね。

そういう背景があったわけでもありませんが、昨年末に購入した「フルトヴェングラー/ザ・レガシー(CD107枚組)」の中から、これまで楽しみにとっておいた大曲を聴き始めています。


まずは何と云ってもJ.S.Bachの「マタイ受難曲」。
なにしろ以前「お気に入りの十曲」の筆頭に挙げた曲。フルトヴェングラーによる1954年ライブ録音を通しで聴くのは初めてのことであり、このボックスセットを購入した理由の大きな一つはこの演奏が含まれているからでもありました。
40年近く前に抜粋版のLPを買ったのですが、余りにも音が悪く、我慢して聴くほどの魅力も(そのときには)感じなかったので、遺憾ながらそのまま実家の倉庫に眠っている状況です。

しかしながらこの演奏はフルトヴェングラーが亡くなる1954年のライブ録音であり、ある意味での記念碑的演奏でもあります。
というのも、フルトヴェングラーのバッハに対する愛情と尊敬の念は極めて高いものがあり、彼の著作を読んでみてもそれがひしひしと伝わってきますから、前年に死線をさまよう大病を患い聴覚に異常をきたすほどになっていた状況の中にありながら、どのような心境でこの演奏に臨んだのか、是非ともライブ全体を通して聴くことによって感得してみたいと思ったわけです。
実際、フルトヴェングラーによるバッハの演奏では、例えば管弦楽組曲などを聴いてみる限り、相当突っ込んだ解釈に基づく演奏を展開していて、生半可な共感では果たし得ない境地があろうと想像できるのですから。
因に、このマタイ受難曲の演奏は、1954年4月14日から17日にかけて4日連続の4公演行われたとのこと。
この大曲を四日連続4公演で演奏するとは、今考えてみても相当な気力が必要だと思います
それだけの強い想いを、恐らくフルトヴェングラーは持ち続けたのでしょう。

フルトヴェングラーは、ドイツの音楽、それもバッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスへと連綿と続く正統なドイツ音楽こそが「真の音楽」なのだという強い信念があり、それゆえに、あれほどひどい目に遭いながらもナチス政権下のドイツを離れることをしませんでした。
ユダヤ人音楽家を保護したり、彼らを守るための論陣を張ったり、ヒンデミットの「画家マチス」を擁護したり、と、そこまでするのであれば、他の指揮者や音楽家のようにさっさとナチスドイツなど見限って新天地を目指すべきではなかったかと傍から見れば思われるのに、なぜ恋々とドイツに未練を感じて残ったのか。
フルトヴェングラーにいわせれば、輝かしいドイツの音楽や芸術をドイツ本国に残ったまま守ろうとする人々がいる限り、その人たちのためにも自分はドイツに残ってできる限りのことをしたいのだ、ということなのです。
あっぱれではありますが、戦後、ナチスの協力者だなどといわれのない中傷を受け続け、結果としてさらなる飛躍の機会を奪われたことを鑑みれば、いささかドン・キホーテ的ではなかったかとの感もありますね。

しかし、そういう人であるからこそ、今でも衰えない人気があるのでしょう。
打算に流されずに、自分の信ずる道を歩いた、エキスパート中のエキスパートとして。

ながながと書いてしまいましたが、そんなこともつらつら思いつつ早速聴いてみました。

………。

音の方は、先に書きました抜粋版のLPからは想像もつかないほど素晴らしいものとなっています。
もちろんモノラル・ライブ録音ですから、それを念頭に置かねばなりませんが、ウィーン・フィル独特の柔らかな弦の音色なども明瞭に聴き取れます。

演奏そのものは、というと……。

異様に遅い印象のレチタティーボ、顕著なテンポの動き、ポルタメントやルバートの多用、曲の終わりの結構鼻につくリタルダンドとフェルマータ、全体的なレガート感など、これまで聴いてきた中ではメンゲルベルクに近いスタイルを彷彿とさせます。
コラールに記譜されているフェルマータをそのままパウゼにしていたりと、ある意味では一昔前のロマン的な演奏といえましょうか。
しかし、メンゲルベルクに比べればはるかに抑制的で、その点では私の先入観を裏切るものではありましたが。
注目すべきはイエスを歌ったフィッシャー・ディースカウで、この演奏当時、まだ20代の若者であったはずですが、実に堂々としていて、しかも瑞々しい表現です。
後年の、あの円熟した、まるで絹かビロードのような歌声ではなく、むしろ溌剌として強い意志の力を感じさせる歌声です。
ウィーン・フィルの弦による光背の音楽をバックに歌われるディースカウのイエス。
このCDの中でも聴きものの一つと強く思いました。
ソプラノのグリュンマーとアルトのヘーフゲンも素晴らしく、「Blute nu, du liebes Herz!(血を流せ、愛しき御心)」や「Erbarme dich, mein Gott.(憐れみ給へ、我が神よ)」などは畢生の名演奏といえましょう。
その割に、福音史家を担当したデルモータは数等落ちる感覚でした。
合唱はウィーン・ジングアカデミーですが、何か、人数の割には突き詰めた感じが不足しており、こちらは伴奏の陰に隠れてしまった感があります。
マタイ受難曲の中でも最も有名かつ感動的なコラール「O Haupt voll Bult und Wunden,(おお、血と傷にまみれし御頭)」も、あれれ?という間に終わってしまい、これはかなり落胆しました。
ただし、導入合唱と終曲合唱は別物の感があります。
特に終曲の方は、この大曲に相応しい深い祈りを感じさせ、思わず聴き惚れてしまいました。
最晩年、かつ、かなり体調の面でも不安のあったフルトヴェングラーが、それでもこの大曲をライブでやりとおした、その最後を飾るにふさわしい演奏だと思います。

ただ、この当時の演奏としては仕方がなかったのでしょうけれども、あまりにカットが多すぎます。
コラールもかなり割り引かれ、アリアの相当数カットされていました。
楽譜を読みながら聴いたわけではありませんから確かとはわかりませんが、私の思い入れの深い「我がイエスを返せ」や「わが心われを清めよ」などがカットされていたのはいかにも残念でした。

いろいろと散発的な感想を書いてしまいましたが、私にとっては、この演奏からわずか4年後にカール・リヒターが録音した全曲完全版のステレオ演奏が一つの大きな指標となっており、どうしてもそれと比べてしまいます。


云い方は悪いのですが、このフルトヴェングラーの録音を聴いて、リヒター版の真摯さ凄さを改めて感じているところです。
特に福音史家のヘフリガーと合唱。
これは正に段違いのレベルにありました。
恐らく人数からすればはるかに少ないはずの合唱団の、あの突き詰めたような表現はどうでしょう。
「おお、血と傷にまみれし御頭」のコラールでは、正に荊冠に苛まれて血を流すイエスの姿が目の当たりに浮かんできます。

フルトヴェングラーとリヒター。

恐らく、バッハに対する想いや尊敬の念は双方とも大変強いものがあったと思われますが、フルトヴェングラーにとってのバッハはドイツ音楽における孤高の芸術家としてのそれであったのに対して、リヒターにとってはその宗教観や生き方を含めバッハという人間そのものこそが全ての源であったのではないでしょうか。
その突き詰めた想いの差が、そのままそれぞれの演奏に出てしまっているように思えてなりません。

これはあくまでも私の牽強付会な印象に過ぎないのですが、フルトヴェングラーにとってバッハという存在はドイツ音楽という至高の芸術の体現者・創造者としてのそれであり、リヒターはそこからさらに深掘りをしてバッハの精神の根幹を占めていた信仰のありように迫っていたのではないか、と考えるのです。
つまり、バッハのマタイ受難曲を、フルトヴェングラーはあくまでも至高の芸術作品として見、リヒターはバッハの信仰告白として受け止めようとした。
それ故に、そこから導き出された世界もおのずと違ってきたのではないか。

どちらがより優れているか、という問題ではありません。
これは恐らく聴く人の感性にその回答を求められるべきものなのでしょう。

私自身のことを敢えて書けば、やはりリヒターの演奏に強く惹かれます。しかし、このフルトヴェングラーの演奏からは、そうした一方向からの偏った見方を修正する力があると感ぜられました。
このフルトヴェングラー版。もう少しきちんと付き合ってみたいなと改めて思っております。

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