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フルトヴェングラーとマーラー [音楽]

フルトヴェングラーの「ザ・レガシー」のことを先日取り上げました。


107枚のCDは、やはりかなりのボリュームであり、もちろんまだその一部しか聴けていません。
ベートーヴェンやブラームスやブルックナーの演奏は、既に所持しておりましたからどうしても後回しになりますし、ワーグナーに関しても、指輪などは聴きとおすためにもそれなりのエネルギーが必要で、まだそのままになっています。
しかし、こうして「いつでも聴ける」全集が手元にあるのは心強い限りで、ちょっと時間の空いているときなどに少しずつ聴いたり、入浴時に聴いたりと、それはそれで楽しみにしているのですが。
Furtwängler.jpg

この全集、これまで録音された音源のほとんどは網羅されており、フルトヴェングラー自身の作品である「交響曲第2番ホ短調」や「ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲 ロ短調」も含まれています。
なかなかの力作で、フルトヴェングラー自身「自分の本来の芸術的目標は作曲家である」としておりましたし、恩師であったルートヴィヒ・クルティウスからも「指揮活動は(作曲のためには)才能の浪費である」と指摘されていたことなどもあって、相当打ち込んでいたものと思われます。
両曲ともかなり長いので聴きとおすためには一種の「覚悟」がいりますが、私は大変気にっています。
この2曲についてはいずれまた取り上げたいと思います。

そんな全集ではありますが、個人的に少し残念に思うことがあります。
それは、マーラーの作品が、フィッシャー=ディースカウと組んだ「さすらう若人の歌」のみで、彼の本質ともいうべき交響曲の録音が一曲も残されていないこと。
なぜなのだろう?
同じような疑問を抱く人は結構いるようで、その問いに対し、フルトヴェングラーと親交のあった近衛秀麿氏は

「彼(フルトヴェングラー)はマーラーをドイツ音楽とは考えていなかったのでしょう。あまりにユダヤ的だったから。だから取り上げなかったのです」

と答えています。
近衛氏が何を以て「ユダヤ的」といったのか、私には皆目見当がつきません。
ユダヤ人が作った曲だから、というのであれば、メンデルスゾーンの曲の録音がそれなりに残されていることとどう折り合いがつくのか。

実際、この記事によりますと、フルトヴェングラーは、第1番・第3番・第4番を取り上げていた時期もあるようです。
1920年代ですから、残念ながら録音も残っていないということなのかもしれません。
1930年代以降取り上げられなくなったのは、この記事でも触れられていますが、1933年にナチスが政権を掌握、その政権下におけるユダヤ人・ユダヤ文化排斥の影響によるものなのでしょう。
1933年4月、フルトヴェングラーは宣伝相ゲッベルスに公開状を書き、これを、当時はまだ比較的自由な論説を掲げていたドイチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙(ユダヤ人指揮者ブルーノ・ワルターの指揮禁止に対して彼を擁護した唯一のドイツ紙)に託しました。
公開状の内容は「芸術に対し、ユダヤ的であるかどうかの違いによって価値の区別をすることは間違っており、真の芸術家である以上それはユダヤ人であってもドイツにおいて表現の自由を与えらるべきである」というもので、これを見ても、近衛氏のお話の「ユダヤ的だから取り上げなかった」という下りには少し疑問を感じます。
有名なヒンデミット事件はその翌年のことですが、このときの「ヒンデミットの場合」というフルトヴェングラーによるヒンデミット擁護の論文の中では、もうナチスによるユダヤ人排斥についての批評は一言も述べられていません。
フルトヴェングラーがユダヤ人演奏家や芸術家を積極的に擁護したのは有名な話ですが、この時にはもうそんなことを主張できる段階ではなく、従って演奏会で(例えばマーラーの音楽を)取り上げることはもうとてもできるような状況ではなかった。
そういえば、このヒンデミットの交響曲「画家マチス」初演も、録音としては残っていませんね。

さらに、ナチスの反ユダヤ政策による圧力ももちろんあったのでしょうが、観客がそれを求めていなかったのではないかということも考えられます。
優秀なるアーリア人である自分たちの生活が改善されないのは、破壊分子であるユダヤ人の台頭によるものだ。ユダヤ人を排斥し、真の優等民族である我々の尊厳を取り戻すのだ、というナチスの主張に、不況にあえぐ人々は賛同した(何だか今の欧州や米国の状況に似ていますね、日本も危ないか)。
そんなうねりの中で、フロイトやハイネの著書も(彼らがユダヤ民族だという理由を以て)焚書坑儒の餌食にされたくらいですから、マーラーの音楽を演奏することなど、とても受け入れられるものではなかったのかもしれません。

ナチス政権下ではそうであったのでしょうが、それではなぜ大戦後もフルトヴェングラーはマーラーの交響曲を取り上げなかったのでしょうか。
音楽評論家の故宇野功芳氏は、フルトヴェングラーがマーラーの曲を指揮しなかったことに関し「マーラーはワルターに任せた」と云ったとの伝聞を紹介しておられましたが、真偽のほどはわからないながらありそうな話ですね。
指揮者というカテゴリーから云えば、ワルターとクレンペラーは正にマーラーに直結する弟子であり、この二人によるマーラーの演奏は今日においても少しもその輝きを失っておりません。さらにメンゲルベルクという巨大な存在もありました。
同世代にこれだけの表現者がいては、自身がそれを凌駕する演奏を聴かせることは難しいと考えた可能性も無きにしも非ずでしょう。

しかし、これは私の身勝手な憶測なのですが、ドイツやオーストリアでは戦後になってもマーラーの交響曲にあまり需要がなかったのではないかと考えます。
今でこそ、マーラーはコンサートにおけるドル箱のような人気曲となっていますが、あの巨大で一見難解な曲を普通の聴衆が好んで聴くまでには相当の時間が必要だったことでしょう。

フルトヴェングラーは、何よりもコンサートにおける演奏効果、平たく云えば聴衆受けを重要視したといわれています。
ストラヴィンスキーやプフィツナー、バルトークといった現代音楽も好んで取り上げましたけれども、その際にも観客が興味を引きそうなポピュラーな曲を併せて配置し、観客が退屈することのないように心を砕いたそうです。
そうした背景を鑑みれば、マーラーの長大な交響曲をプログラムに載せることにリスクを感じてもおかしくはありません。

では、ブルックナーの交響曲はなぜ取り上げたのか。

今の我々の感覚からすればかなり違和感はありますが、同じドイツ・オーストリアの音楽としてリヒャルト・シュトラウスと同様にワーグナーの流れを汲んでおり、従って独墺の聴衆には受け入れられるだろうと考えた。
フルトヴェングラーが改訂版を使用した時期があったことからしても、その路線で観客に聴かせようとしたのではないかと思われます。
指揮者の朝比奈隆氏は、フルトヴェングラーからブルックナーを演奏する場合の版のことについてアドバイスを受け、それによってハース版を使うようになったそうですが、当のフルトヴェングラーは改訂版を使っていたこともあったわけで、そこには恐らく葛藤もあったことでしょう。
フルトヴェングラーは、ブルックナーに関する論文も書いているほど彼の音楽を気に入っており、評価もしていました。
フルックナーの音楽を読み解くことは、指揮者としてはもちろん作曲家としても興味をそそられるものであったのでしょう。
今残されているフルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の録音を聴いても、その傾倒ぶりがわかるように思われます。

いずれにしても、私は彼の指揮によるマーラーの交響曲第9番と大地の歌をぜひ聴きたかった。
無いものねだりに過ぎないことはわかってはいるのですが…。

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