家事について [日記]
平年より七日遅れで、関東地方に梅雨入りが宣言されました。
先週まで、6月としては異常な暑さの日も多く、これでようやく気温も平年並みになるのかもしれません。
ちょっと迷ったのですが、日光消毒を完了したプランタを利用することにし、先日、バジルとミニトマトの苗を購入してきました。
のら人さんのコメントに触発され、コンパニオンプランツとして植えてみたところです。
バジルの方はすでにトマトなどと一緒にサラダにして楽しんでおりますが、ミニトマトが収穫できればさらにありがたいなと思っています。
花も数輪咲き始めていますし、早、実もついてきました。
楽しみですね。
ところで、梅雨入りに触発されたわけでもないのですが、昨日、衣替えをしました。
箪笥と衣装ケースの中身を入れ替え、防虫剤を入れるだけなので、さほどの手間ではないのですが、何となく実行するまでには腰が重くなる傾向があるようです。
連れ合いがいたときには、考えてみればすべて連れ合いがやってくれており、大体この時期には箪笥の中身が夏物に変わっていました。
連れ合いを亡くして全部自分でやらなくてはならなくなって今回で5回目(年に二回ですので)。
何となく手際はよくなってきたように思います。
衣替えを実行する前にウォーキングに出かけていたのですが、その衣替えが念頭にあったのでしょう、歩きながら家事のことを何となく考えてみました。
家事というと、一般には炊事・洗濯・掃除、の三つが思い浮かびます。
これはつまり「衣食住」にかかわっている作業なのではないか。
「洗濯」は「衣」、「炊事」は「食」、「掃除」は「住」。
そう考えてみると、家事というものの概念は極めて広いものだなと改めて気づかされました。
「衣」というものを考えたとき、それにまつわる作業は言うまでもなく洗濯だけということはありません。
衣替えも当然ですし、また着替えが必要となる場面も思い浮かべつつ収納のことも考えなければいけない。
また洗濯ということだけを考えてみても、対象は着たものだけにとどまらず、枕カバーやタオルや布巾やマットなどや当節ではマスクのこともありますから、それらの交換や回転についても考慮する必要があります。
例えば私の家の場合、タオル類だけでも、洗面・入浴用・台所・手洗いのほか、足ふき(マットの上に敷いています)、食卓用のハンドタオル(台拭きや雑巾ではなく、手や口を拭ったりするもの)、食器用の布巾、ハンカチなどがあり、それらをどのように干すのかも考えなければなりません。
外干しが基本ですので、ベランダや物干し竿のスペースも考え、どうやって合理的に干すか、などもあります。
洗濯という日常的な作業だけでもそんな感じで、単に洗濯機に洗剤を入れて洗濯物を放り込めばいいというものではない。
汚れの具合によってはつまみ洗いや漂白剤を使う必要もあります。
その集大成が、収納や衣替えということ(クリーニングもありますね)になるのでしょうか。
つまり、洗濯という、家事の一つをとってみても、それにまつわる様々に細かな作業や手順が必要となるわけです。
「食」についても、もちろん炊事だけではない。
食材の調達を考えてみても、短期的・中期的・長期的な視点をある程度もって行う必要があります。
お店で買うという行為だけでなく、場合によっては身内や知人からもらったりすることもあるわけですから、そうしたものも勘定に入れて、食材の備蓄や活用を考える。
もう少し広げると、私はウォーキングついでに、近所の里山や道端などで、カラスノエンドウ・ナルコユリ・ウコギ・野蒜・アカツメクサ・蕨その他の野草を採取することがあります。時期によってはタマゴタケなどのキノコもいただきます(もちろん禁止されているかどうかは確認しその場合は手出しをしませんが)。
山に出かけたときには、それらの収穫物はさらに広範囲になり、場合によってはそれを目的に入山することもかなりあったりします。
ベランダなどでの栽培や、野菜の再生栽培なども、この範疇に入るのかもしれません。
その上で、冷蔵庫などの中身と相談し、食材の買い出しに出かけるわけです。
頭の中では、大体、一週間くらいの大まかな方向性を描きつつ、三日間くらいの献立を思いめぐらせています。
料理をしている最中も、予め後片付けのことを考え、手の空いた時に必要のなくなった調理器具や入れ物などを洗ってしまいます。
これも、いかに合理的に行うか、というところが重要だと思っています。
「住」はさらに規模が大きくなりますが、掃除はそのメンテナンスという意味でも重要な作業でしょう。
これに関しては、正直に言って私は全く対応ができていないと思っています。
私自身、以前は(連れ合いがいたころは)「埃なんかで死にゃあしないよ」などとうそぶいていたものでした。
しかし、自分ですべてやらなくてはならなくなると、そんないい加減な態度は許されなくなります。
掃除機をかける前に、椅子などの家具類は移動させ、棚や桟や家具の引き出し、扉の枠などの埃をまず落としておかなければならないわけで(そうしないと掃除機をかけ終わった後にチリなどが発生する)、つまりは昔、箒をかける前に叩きなどで埃を落としていた作業をきちんと行う必要があるというわけです。
風呂場や手洗いなどの換気扇も曲者で、これらの掃除を怠ると知らず知らずのうちに部屋の中に埃が充満したりします。
ゴミ出しの日に合わせて生ごみを集める際には、ついでにシンク周りの掃除もしなくてはなりません。
さらに、レンジ回りの掃除も定期的に行う必要がある。
玄関やベランダの掃除、不要物の片づけ・廃棄など、結局、自分自身の住環境を整備する(可能な限り快適に過ごそうと考える)ための作業なのであり、一言で「掃除」といっても、まことに深いものがあるように思われます。
こうして改めて書き起こしてみても、おそらく皮相的なものばかりで、かなりの部分が抜け落ちているものと思料します。
家事というもののとらえ方は、語弊があることを承知で敢えて言えば、それを主に負担している人と手伝い程度に考えている人との間で相当の開きがあるようにも思います。
仮に男性が、家事を手伝い程度に考えているとすれば(本人はそう思っていないのかもしれませんが)、洗濯は洗濯機に洗濯物と洗剤を入れて回し干すだけ。炊事は料理をするだけ、掃除は掃除機をかけるだけ、だと考えている傾向が強いのではないでしょうか。
それだけしかしていないのにもかかわらず、「自分は家事をきちんとこなしている」と自負してしまう。
ここに大きな陥穽があると思います。
そうした、単に手伝っているだけの人の認識をはるかに超える「定義の難しい」「目に見えない」家事作業が相当数存在する。
私のところは単身世帯ですのでこの程度の手間で済んでいますが、家族など同居者が増えればその手間や気遣いなどは幾何級数的に増大します。
同居者全員の現状や嗜好などを把握しつつ、個別に対応しなければならなくなりますから。
考えてみただけでも大変な作業量になるものと思われます。
連れ合いを亡くして私はそれをしみじみと実感し、ああ、こんなことならもっと早く気づいて、きちんと分担しておけばよかった、と帰らぬ後悔をしています。
余計なことだということは承知の上ではありますが、世のご亭主各位は一度そうした観点で家事を見てみたらいかがかと、老婆心ながら申し上げたく存じます。
大きなお世話であることは重々承知しているのですが、後悔先に立たずということもありますので。
先週まで、6月としては異常な暑さの日も多く、これでようやく気温も平年並みになるのかもしれません。
ちょっと迷ったのですが、日光消毒を完了したプランタを利用することにし、先日、バジルとミニトマトの苗を購入してきました。
のら人さんのコメントに触発され、コンパニオンプランツとして植えてみたところです。
バジルの方はすでにトマトなどと一緒にサラダにして楽しんでおりますが、ミニトマトが収穫できればさらにありがたいなと思っています。
花も数輪咲き始めていますし、早、実もついてきました。
楽しみですね。
ところで、梅雨入りに触発されたわけでもないのですが、昨日、衣替えをしました。
箪笥と衣装ケースの中身を入れ替え、防虫剤を入れるだけなので、さほどの手間ではないのですが、何となく実行するまでには腰が重くなる傾向があるようです。
連れ合いがいたときには、考えてみればすべて連れ合いがやってくれており、大体この時期には箪笥の中身が夏物に変わっていました。
連れ合いを亡くして全部自分でやらなくてはならなくなって今回で5回目(年に二回ですので)。
何となく手際はよくなってきたように思います。
衣替えを実行する前にウォーキングに出かけていたのですが、その衣替えが念頭にあったのでしょう、歩きながら家事のことを何となく考えてみました。
家事というと、一般には炊事・洗濯・掃除、の三つが思い浮かびます。
これはつまり「衣食住」にかかわっている作業なのではないか。
「洗濯」は「衣」、「炊事」は「食」、「掃除」は「住」。
そう考えてみると、家事というものの概念は極めて広いものだなと改めて気づかされました。
「衣」というものを考えたとき、それにまつわる作業は言うまでもなく洗濯だけということはありません。
衣替えも当然ですし、また着替えが必要となる場面も思い浮かべつつ収納のことも考えなければいけない。
また洗濯ということだけを考えてみても、対象は着たものだけにとどまらず、枕カバーやタオルや布巾やマットなどや当節ではマスクのこともありますから、それらの交換や回転についても考慮する必要があります。
例えば私の家の場合、タオル類だけでも、洗面・入浴用・台所・手洗いのほか、足ふき(マットの上に敷いています)、食卓用のハンドタオル(台拭きや雑巾ではなく、手や口を拭ったりするもの)、食器用の布巾、ハンカチなどがあり、それらをどのように干すのかも考えなければなりません。
外干しが基本ですので、ベランダや物干し竿のスペースも考え、どうやって合理的に干すか、などもあります。
洗濯という日常的な作業だけでもそんな感じで、単に洗濯機に洗剤を入れて洗濯物を放り込めばいいというものではない。
汚れの具合によってはつまみ洗いや漂白剤を使う必要もあります。
その集大成が、収納や衣替えということ(クリーニングもありますね)になるのでしょうか。
つまり、洗濯という、家事の一つをとってみても、それにまつわる様々に細かな作業や手順が必要となるわけです。
「食」についても、もちろん炊事だけではない。
食材の調達を考えてみても、短期的・中期的・長期的な視点をある程度もって行う必要があります。
お店で買うという行為だけでなく、場合によっては身内や知人からもらったりすることもあるわけですから、そうしたものも勘定に入れて、食材の備蓄や活用を考える。
もう少し広げると、私はウォーキングついでに、近所の里山や道端などで、カラスノエンドウ・ナルコユリ・ウコギ・野蒜・アカツメクサ・蕨その他の野草を採取することがあります。時期によってはタマゴタケなどのキノコもいただきます(もちろん禁止されているかどうかは確認しその場合は手出しをしませんが)。
山に出かけたときには、それらの収穫物はさらに広範囲になり、場合によってはそれを目的に入山することもかなりあったりします。
ベランダなどでの栽培や、野菜の再生栽培なども、この範疇に入るのかもしれません。
その上で、冷蔵庫などの中身と相談し、食材の買い出しに出かけるわけです。
頭の中では、大体、一週間くらいの大まかな方向性を描きつつ、三日間くらいの献立を思いめぐらせています。
料理をしている最中も、予め後片付けのことを考え、手の空いた時に必要のなくなった調理器具や入れ物などを洗ってしまいます。
これも、いかに合理的に行うか、というところが重要だと思っています。
「住」はさらに規模が大きくなりますが、掃除はそのメンテナンスという意味でも重要な作業でしょう。
これに関しては、正直に言って私は全く対応ができていないと思っています。
私自身、以前は(連れ合いがいたころは)「埃なんかで死にゃあしないよ」などとうそぶいていたものでした。
しかし、自分ですべてやらなくてはならなくなると、そんないい加減な態度は許されなくなります。
掃除機をかける前に、椅子などの家具類は移動させ、棚や桟や家具の引き出し、扉の枠などの埃をまず落としておかなければならないわけで(そうしないと掃除機をかけ終わった後にチリなどが発生する)、つまりは昔、箒をかける前に叩きなどで埃を落としていた作業をきちんと行う必要があるというわけです。
風呂場や手洗いなどの換気扇も曲者で、これらの掃除を怠ると知らず知らずのうちに部屋の中に埃が充満したりします。
ゴミ出しの日に合わせて生ごみを集める際には、ついでにシンク周りの掃除もしなくてはなりません。
さらに、レンジ回りの掃除も定期的に行う必要がある。
玄関やベランダの掃除、不要物の片づけ・廃棄など、結局、自分自身の住環境を整備する(可能な限り快適に過ごそうと考える)ための作業なのであり、一言で「掃除」といっても、まことに深いものがあるように思われます。
こうして改めて書き起こしてみても、おそらく皮相的なものばかりで、かなりの部分が抜け落ちているものと思料します。
家事というもののとらえ方は、語弊があることを承知で敢えて言えば、それを主に負担している人と手伝い程度に考えている人との間で相当の開きがあるようにも思います。
仮に男性が、家事を手伝い程度に考えているとすれば(本人はそう思っていないのかもしれませんが)、洗濯は洗濯機に洗濯物と洗剤を入れて回し干すだけ。炊事は料理をするだけ、掃除は掃除機をかけるだけ、だと考えている傾向が強いのではないでしょうか。
それだけしかしていないのにもかかわらず、「自分は家事をきちんとこなしている」と自負してしまう。
ここに大きな陥穽があると思います。
そうした、単に手伝っているだけの人の認識をはるかに超える「定義の難しい」「目に見えない」家事作業が相当数存在する。
私のところは単身世帯ですのでこの程度の手間で済んでいますが、家族など同居者が増えればその手間や気遣いなどは幾何級数的に増大します。
同居者全員の現状や嗜好などを把握しつつ、個別に対応しなければならなくなりますから。
考えてみただけでも大変な作業量になるものと思われます。
連れ合いを亡くして私はそれをしみじみと実感し、ああ、こんなことならもっと早く気づいて、きちんと分担しておけばよかった、と帰らぬ後悔をしています。
余計なことだということは承知の上ではありますが、世のご亭主各位は一度そうした観点で家事を見てみたらいかがかと、老婆心ながら申し上げたく存じます。
大きなお世話であることは重々承知しているのですが、後悔先に立たずということもありますので。
いろいろ思い出してしまいますね。
南無阿弥陀仏
by 夏炉冬扇 (2021-06-15 06:51)
バジルとミニトマトで美味しいイタリアンが作れそうですね。
以前の記事からも伊閣蝶さんが家事をきちんとこなされていることを素晴らしいと感じていましたが、今回の記事でますます強く感じました。
ご自分では分担できていなかったと思っておられるようですが、おそらく一般的なご亭主各位と比較してかなり分担できていたはずです。奥様への愛情を感じる文面からもそう確信しています。
by Cecilia (2021-06-15 08:19)
コンパニオンを始められましたね。^^
トマトはサラダ、パスタ系などの加熱料理共にバジルと食べ合わせが絶妙な上、栽培上での相性が非常に良いので。自分の畑にはナス科のナス、トマト、ピーマン、ジャガイモの近くには必ずシソ科の青あるいは赤シソ、またはバジルが植えてあります。ベランダ栽培等で害虫がほぼいなければこれで良いですが、畑の場合は害虫だらけですので、害虫忌避の為のコンパニオンであるネギ、ニラ等かセリ科のパセリも併せて混植しています。
by のら人 (2021-06-15 19:06)
夏炉冬扇さん、こんばんは。
お念仏、ありがとうございました。
by 伊閣蝶 (2021-06-15 22:16)
Ceciliaさん、こんばんは。
家の中のことを自分自身で全部やらなければならなくなったとき、家内がどれほどきちんとやってきてくれたのかということを痛感しました。
その意味でも後悔先に立たずなのかもしれません。
by 伊閣蝶 (2021-06-15 22:19)
のら人さん、こんばんは。
はい、やっぱりやってみたくなりました。
問題は害虫ですので、これについては気を付けたいと思います。
特にアブラムシが鬼門ですので、これをどう防ぐか、これからいろいろと考えるつもりです。
部屋の中で育てているバジルにも連中は寄ってきますので、本当に鬱陶しい!
by 伊閣蝶 (2021-06-15 22:23)
私も若き独身時代は洗濯機に洗剤を入れてスイッチオン、食べ物はありあわせや簡便なもので間に合わせ、掃除は適当 なんとか生きていけるもんだと思ってました。でも伊閣蝶さんの仰る通りです。昨年リタイア、家内の日々の家事を見てつくづく大変だなと実感。料理にしてもメニューの考案(私の健康を考えてくれます)、下ごしらえ、洗濯でも汚れものによっていろんな段取りがあることを知るにつけ大変さを気づき改めて感謝。伊閣蝶さんほど本格的には出来ませんが、私が出来ること、買い物には付き合う、風呂掃除、竿や干し物まわりの雑巾がけと取り込み、たまに食事後の洗い物が日課です。家内では普段できない高所や裏まわりや細かい掃除、しつこい汚れ、家まわりのメンテ・修理は私です。少しずつ私の出来る部分を増やして、家内が楽しく過ごせれる時間を出来るだけ多くつくり、せめて先々の余生は安心して過ごせれる様させてたいと思っています。・・変な話になっちゃてまともなコメントできずスイマセン。(笑)
by Jetstream (2021-06-15 23:48)
Jetstreamさん、こんにちは。
頂きましたコメントに感動しております。
奥様はJetstreamさんのご健康に気遣われ、Jetstreamさんは奥様のこれまでのご苦労に対して感謝をされ、お二人で分担されながらご一緒に過ごしよい生活環境を整えておられる。
この、お互いの気遣いこそが一番大切なポイントだと、私も考えております。
正直に申し上げて、家事は本当に面倒なものだと思います。
連れ合いが疲れているときには自分がやろう、二人して疲れているときは二人でできる範囲のことをしよう、そんなふうに思ってきたのですが、やはり独り身になると家事において自分がやっていた作業がいかに中途半端だったかが痛感されます。
「家内が楽しく過ごせれる時間を出来るだけ多くつくり、せめて先々の余生は安心して過ごせれる様させてたい」
このくだりは本当に素晴らしい。
奥様はお幸せだと思います。
お二人でお元気にお過ごしくださるよう、心よりお祈り申し上げます。
by 伊閣蝶 (2021-06-16 12:40)
コンパニオンプランツとは初めて聞きました。共栄作物なのですね。
私は無人となった実家のメンテナンスに追われています。と言っても庭や畑の草取りがメインですが、この時期になると草の勢いが半端ではありません。母の存命中は野菜を作っていたのですが、私にはとてもできる業ではありません。いつまでもやっていられる作業ではないので何とかしたいと思っていますが、どうなる事やらです ^^;
伊閣蝶さんの家事の緻密さには驚嘆です。私は洗濯物と洗剤を入れて回し干すだけ。料理をするだけ、掃除機をかけるだけもままなりません。
by tochimochi (2021-06-17 15:48)
tochimochiさん、こんばんは。
コンパニオンプランツの発想は、私もありませんでした。
のら人さんに改めて感謝です。
ご実家のお手入れ、大変なことと存じます。
私の実家も、母は健在ですが足腰が弱っていて草取りなどはかなり厳しいので、初夏のころには私が出向いて草取りなどをしておりました。
新型コロナウィルス感染拡大の関係で、このところできていないのが懸念の材料です。
とにかく何とか早く収束してほしいと思っております。
家事のことは、追い込まれてはじめてわかることも多いように思います。そういうことがなければそれに越したことはないなというのが恥ずかしながら実感です。
by 伊閣蝶 (2021-06-17 22:15)
仰るとおり、家事って、手伝い程度では身に沁みて解ってもらえないことが多いでやすよね。
洗濯は洗濯機がやる、掃除は掃除機がやる、だろ、日本語は正しく使え、みたいなこと言う男性諸氏が一部にいやすね。
特に料理は、計画性が求められやすね。
ご自身で全てやらなければならなくなって初めて解ったと仰るの、納得でやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2021-06-18 09:55)
ぼんぼちぼちぼちさん、こんにちは。
現在の私にとっての家事は、所詮自分が生活していくために自分自身で必要となる範囲のものでしかありません。
連れ合いは、私のことや家族全体のことも考えて家事をこなしていたわけです。
そんな連れ合いの思いやりに、私は甘えきっていて、喪ってから初めてそのことに思いが至ったということでしょう。
勘違いをしている男性諸氏は、一度きちんとそのことを振り返ってみるべきと思います。
by 伊閣蝶 (2021-06-19 11:14)