SSブログ

奥会津、三島町、柳津町 [日記]

大型連休の走りとなった4月29日から5月1日まで、連れ合いの実家である会津に帰省し、義妹夫婦の案内で、奥会津の三島町と柳津町に出かけてきました。

この、只見川の流域に位置する町は、冬場は名にし負う豪雪地帯(一説では、人が常住する地域としては世界一の積雪量なのだそうです)ですし、公共交通機関も只見線くらいしかないので、足をのばすのも少し考えてしまうところがありますが、春の頃はことさら生命力に溢れて美しい風景が広がります。
こちらに方に行ってみようか、という話になったのは、義弟から、三島町にある西隆寺(宝澤山西隆寺)の三十三観音(乙女三十三観音)のことを聞いたからです。
三島町の観光協会の説明は以下の通りです。
そもそも、西隆寺が作られたことの起こりは、弘仁2年(811年)に法相宗の僧、安竹という人が聖徳太子の尊像を松竹庵に安置したことから始まります。(場所は不明)その後貞元2年(977年)「銭森長者」と呼ばれた藤原保祐 が寺沢という地に松竹庵を新築し寺に改めました。そして明応元年(1492年)会津若松の天寧寺より開山傑堂禅師から7代の天附禅師の弟子、一気正元禅師に頼んで開山し、寺の名前は「宝澤山西隆寺」と改められ、曹洞宗に変わりました。その後文化13年(1816年)に現在地に再建され、今の姿に至ります。現在は23代禅苑弘佳和尚が住職としてつとめられています。

山門は小振りです。
33kanon01.jpg

境内には、石工師の鈴木マリ子・るり子姉妹の手による三十三体の観音様が安置されており、これが実に清らかに愛らしい姿なのでした。
33kanon02.jpg
33kanon04.jpg
33kanon05.jpg

小高い丘には翁草が花を咲かせておりました。
33kanon06.jpg
因に翁草はキンポウゲの仲間で毒草です。

本堂の形態は曲屋です。
33kanon03.jpg

内部は立派な折上格天井の伽藍となっています。
33kanon07.jpg

お寺の裏手にお墓があって、その中を登っていくと裏山に鬼子母神があるとのこと。
せっかくなので登ってみようということになりました。
雨上がりの滑りやすい急坂を登ります。
33kanon08.jpg
最初はこんな感じの穏やかな道でしたが、そのうちにつづら折りの急坂になり、足下もかなり悪くなってきました。
急斜面をトラバース気味に登る山道は、所々が崩れていて、かなり嫌らしいもの。
私の連れ合いと義妹は早々にギブアップして、結局、義弟と二人で登りました。
20分くらい頑張って登りつめると奥の院に到着。
33kanon09.jpg

標高は500メートルをちょっと超えたくらいでしょうか。
しかし、山の頂上ですので、眺望はすばらしいものがありました。
33kanon11.jpg
只見川沿いに新緑と山桜の花が映えています。

山頂には立派な観音像が建っていました。
33kanon10.jpg

さらにここにも三十三体の観音様が安置されています。
33kanon12.jpg

足下を見るとシャクナゲの花が咲いていました。
33kanon13.jpg

これはアカヤシオでしょうか。
33kanon14.jpg

道が悪くしかもぬかるんでいるので、下りは登り以上に嫌らしく慎重に足を運びます。
この鬼子母神までは、お墓の先に指道標が一つあるだけで、特に何の注意書きもありません。
私も義弟も、普通のスニーカーで登りましたから、やはりかなり足下に気を遣いました。
軽登山靴くらいを履いていればあまり問題はないのかもしれませんが、普通の短靴などで登るとかなり苦労をしますし、登り詰めの20分間の急登ですから、それなりの注意喚起は必要なように思います(感覚的には長靴が一番良いような気がします)。
鬼子母神にお参りするつもりで来て、転倒や滑落などの事故に見舞われたのではシャレにもなりません。
この辺は一考の余地があるのではないでしょうか。

さて、帰り道、せっかくなので、柳津町の虚空蔵尊に参拝しました。
連れ合いと結婚した頃に義父に連れて来てもらって以来ですから、もう四半世紀近くが経っています。
境内には、大きな赤ベコがありました。
kokuzo01.jpg

虚空蔵尊は、さすがに連休だけあって多くの参拝客がいます。
立派な本堂ですね。
kokuzo02.jpg

帰りに、虚空蔵尊名物の粟饅頭を買いました。
甘いものはあまり得意ではない私ではありますが、この粟饅頭は独特の舌触りが気に入っています。

4月29日に出かけ5月1日に帰宅したので、さすがに少し慌ただしい帰省でしたが、実家のお墓参りもし、甥ともいろいろ話が出来、奥会津にも出かけたのみならず、会津坂下の立木観音にもお参りできたので、非常に充実した休暇でありました。
4月29日は、朝4時30分くらいに家を出、5月1日は午前中に実家を出たので、ありがたいことに渋滞にも掴まらず、その点でも大満足です。

nice!(22)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

nice! 22

コメント 8

夏炉冬扇

頂上からの遠望、気持ち良いです。
by 夏炉冬扇 (2016-05-05 19:16) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
新緑の中での遠望、本当に気持の良いものでした。
by 伊閣蝶 (2016-05-05 22:04) 

のら人

石工にも女性の方がいたのですね。不勉強を恥じる思いです。しかし女性の石工さんは美人さんに彫り上げますね。感心致しました。(^^)v会津が大好きな自分としては、殊更原発を憎む思いです。
by のら人 (2016-05-06 04:02) 

伊閣蝶

のら人さん、おはようございます。
私も、石工に女性がおられたことを初めて知りました。
ここでは僅かな像しかご紹介できませんでしたが、本当に「美人」の観音様ばかりで、何だか心が温かになったものです。
原発の影響。
実は、この鬼子母神への参道(山道)の途中でムキタケを見つけたのですが、未だにこちらでは採取を禁じられています。残留放射能の影響とのことでした。
今でも大きな影響が残っている状況です。
by 伊閣蝶 (2016-05-06 07:08) 

tochimochi

女性の石工さんの観音様は実に愛らしいですね。
これが33体、微笑みながら歩いている様子が目に浮かびます。
只見川流域は平ヶ岳登山で何度か訪れました。
懐かしく拝見しました。
by tochimochi (2016-05-06 22:29) 

いっぷく

まるで少女のような観音様ですね。
それにしても鬼子母神はそんな足場の悪い道を登って建立されたんですね。
その場所でなければならない理由があったのでしょうね。
by いっぷく (2016-05-07 12:09) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
誠に女性故、という繊細さと可愛らしさでした。
どの観音様もそれぞれに印象的な表情をしていて、眺めていても飽きることがありませんでした。
只見川流域は、仰る通り平が岳を中心に、私にとっても思い出深いエリアです。
銀山湖に初めて訪れた時の驚きは忘れられません。
by 伊閣蝶 (2016-05-08 22:19) 

伊閣蝶

いっぷくさん、こんばんは。
乙女三十三観音、名前の通り、少女のあどけなさと純真さを漂わせた見事な像でした。
鬼子母神までの参道、本当になぜこんな悪路なのだろうかと思いましたが、奥の院から眺める三島町の全景や只見川の流れを観ると、やはりこの眺め故に建立されたのだろうなと思います。
街を見守って欲しいという人々の想いもあったのでしょう。
ただ、正直に申し上げて、もう少し手入れをして欲しいなと思いました。

by 伊閣蝶 (2016-05-08 22:23) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0