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東京都観光菊花展覧会 [日記]

今日の日中は良い天気に恵まれました。
日比谷公園では、恒例の「東京都観光菊花展覧会」が開催されていて、何れも見事な作品が展示されています。
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今日は満月でもあり、午後になって雲が広がってきたものの、晩秋の夜空に浮かぶ月の光は格別のものがありました。
週末はお天気が崩れる予報ですので、余計に冴え冴えとした印象を強めたのかもしれません。

11月も中旬を迎え、相変わらずこのブログの更新が停滞したままです。
肉離れの影響や身辺雑事などもあって、なかなか山に行けないことや、落ち着いて音楽を聴く時間もなかなか取れないことから、そもそも書くべき話題が見つからない、ということもありますが、以前はそうした折でも、ある程度積極的に話題を見つけ出して書いたりもしていたので、更新の停滞は、単なる私の怠惰な心境によるものなのでしょう。
何かを書くということは、やはり書くべき題材や理由、そして、何よりも本人の内から湧き出る「書きたい」という衝動があってこそのもの。
その衝動も、書くという実際の行為を重ねることによって具体化されるものだとすれば、書かないで荏苒と時を過ごしていればますます書くという行為そのものから遠ざかっていくことになります。
うーん、これは悪循環ですね。

文章を書くという行為は、もともと一定の努力を要求されるものであり、ある程度の強制力を以て、その基礎的な部分を構築させる必要があります。
文芸評論家の中島健蔵さんは次のようなことを書いておられます。
文章は、自然発生的に生まれるものではない。まず教えられ、練習させられて基礎的な表現力が与えられる。それが初歩の作文です。次に、自発的に、自分の内側の動機によって書きはじめる。はじめのうちは作文のつづきのようなものでしょう。そのうちに、書くことによって自分の考えが育ち、深まることを発見する。そして、文章を書くよろこびを知る。そういう経過があれば、あまり問題はないのです。幸か不幸か、自発的に文章を書きつづけるような機会にめぐりあわず、そのまま時をすごしてしまうと、表現力が停滞して、書きたいことがあってもうまく書けないことになります。(「文章を書く心」)

この中でも重要なポイントは、冒頭の「文章は自然発生的に生まれるものではな」く、「教えられ、練習させられて基礎的な表現力が与えられる」という下りでしょう。
見たり聞いたり話したり読んだりという行為とは違って、「書く」という行為は半ば強制的な修練を積まなければ身につかない、人間の自然な営為からはある意味対極に位置する行為ともいえるのではないでしょうか。
いうまでもないことですが、私たちが文章を書こうとする場合、最大公約数的な読み手に理解されるように共通的な言葉や表現手法やしきたりなどを用いる必要があります。
それは、本を読んだり学校などで教えてもらったりしなければ身につかないもの。
文章というものは過去からの伝統の上に立脚しているものであって、その約束事に則って書くからこそ、他人にもその意図が通ずるのでありますから、当たり前のことですね。
さらに、後段にある「自発的に文章を書きつづけるような機会にめぐりあわず、そのまま時をすごしてしまうと、表現力が停滞して、書きたいことがあってもうまく書けないことになります」という下りも深刻な命題だと考えます。
一通りの表現力を身に着けたら、今度はそれに絶えず磨きをかけておかないと劣化・停滞してしまうという厄介なものなのです。
乱暴な言い方を敢えてするのであれば、駄文であれども書き続けていかなければますます劣化していってしまうということなのでしょう。

とはいえ、先にも書きました通り、言葉そのものは伝統の上に乗っかった出来合いの約束事であり、自分の思想などを書きとめようと思えば、その約束事の中からチョイスしていくしか方法はありません。
私たちの思考そのものは、あくまでも個人的なものであり、ある意味では自分という小宇宙の中に展開される広大無辺の想念でもあります。
それを出来合いの言葉を用いて表現しようとすること自体、相当な努力を要するものなのではないか。
しかし、出来合いの約束事とはいい条、多くの言葉や文章の作法を知っていれば表現の幅は広がるわけで、そのあたりに文章をものにする基本的な要諦が存在するのではないかとも思います。
つまりは文章を読むことが重要、ということにつながるわけですね。
古今の名文といわれるものには独特の「呼吸」があり、そうした名文に数多く触れることで、表現力の幅も広がってくる、ということなのではないでしょうか。

などと、またまた愚痴めいた「駄文」を書いてしまいました。
しかし、駄文であれども、時には書きつけておかないとますます劣化の速度が速くなってしまいます。
そんなわけで、私自身の心の中にある文章に対するジレンマのようなものを書いてみた次第です。何卒ご容赦のほどを。

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コメント 4

夏炉冬扇

丹精なさってますね、出品者。
by 夏炉冬扇 (2014-11-08 21:21) 

tochimochi

荏苒?つい意味を調べてしまいました。
私は画像が無ければ文章を書くのは難しいです。
書き続けるために山に行っている側面もあります ^^
その点伊閣蝶さんは、画像なしにこれだけ立派な記事に仕上げるのですからすごいです。

by tochimochi (2014-11-08 21:37) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
菊の花の育成は、本当に手間のかかるものですし、農薬などによる被爆の虞もあるそうです。
実際、私の伯母も、菊の栽培と出荷に長年携わって参りましたが、肝臓がんで亡くなりました。
因果関係は不明ですが、何らかの影響があったのかもしれません。
by 伊閣蝶 (2014-11-08 23:03) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
「荏苒」は。私が大好きだった小説家の福永武彦さんの著作で知った言葉でした。
山行へのモチベーションが、ブログへの掲載と軌を一にしている、というお話、私は大変素晴らしいと思いました。
書くべき内容が、正に内からわき上がってくる具体的な行動に裏打ちされておられるからです。
tochimochiさんの記事を拝読しつつ、いつも感嘆させられるのも宜なるかなと思うのです。
by 伊閣蝶 (2014-11-08 23:07) 

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