SSブログ

ゲーテ没後180年 [日記]

朝のうちは晴れていましたが、午後から雲が広がってきました。
予報では明日は雨なのだそうです。
それでも気温は高くなってくるようで、一雨ごとに春も本格化、というところでしょうか。

Goethe.jpg今日はゲーテの没後180年の日になるのだそうです。
1832年に82歳で亡くなったとのことですから、当時としては異例の長寿を全うされたといっても良いのではないでしょうか。

ゲーテといえば、やはり「ファウスト」ということになるのでしょうが、私が真っ先に思い浮かべるのは「若きウェルテルの悩み」です。
読んだのは中学2年生の頃ですから、かれこれ40年以上も前のこと。
私自身も多感な年頃(そんな年頃が私にもあったのです!)でしたから、胸を締めつけられるような衝撃を受け、涙ながらに読んだことを思い出します。
そのとき子供心に唸ったのは、身辺を全てきれいに片づけてから自らの死に臨んだことでした。
自分の亡き後の後始末などをきちんと記し、身ぎれいにしてから恋敵ともいうべきアルベルトのピストルをもって自殺をしてしまう。愛するロッテが触れたそのピストルで…。

中学から高校にかけて、私は自分に対するいいようもない自己嫌悪にたびたび襲われることがあり、しかも、この頃に抱いた恋心はどれも叶うことはなく、自分をこの世から抹殺したいなどという欲求すら心の中に渦巻き、子供なりに苦しんでいたものです。
そんな折にこの本を読んだわけですから、その影響は相当に大きく、密かに自栽の計画を立てようとまで考えたのでした。
若気の至りの全く以て恥ずかしいお話ですが。
私は、どれほどまでに私の頭上を飛ぶ鶴の翼を借りて、あのはかりしれぬ海の彼方の岸に行くことを願ったろう。
無限の泡立つ杯から溢れる人生の喜びを得ることを熱望したろう!
ただ一瞬でも、我が胸の限られた力の中にあらゆるものを自己によって作り出す、まことの幸福のひと雫でも味わおうと願ったろう!

この小説において、恐らくウェルテルは、自らを縛りつけていた様々な桎梏からの解放を自らの死によって実現しようと試みたのでしょう。
当時の欧州のキリスト教的価値観からすれば、このウェルテルの行為は神に対する冒涜であり危険な挑戦でもあったはずです。
それを敢えて小説に書いたわけですから、当時一大センセーションを巻き起こしたであろうことは容易に想像できますね。

この小説がゲーテの実体験に基づいて書かれたものであることは広く知られています。
15歳の少女シャルロッテ・ブッフに出会い熱烈な恋に落ちたゲーテは、彼女が、ゲーテの友人でもあるケストナーと婚約中であることを知り、それでも諦めきれずに自殺まで考えていたところ、人妻との恋で失恋をした友人のイェルーザレムがピストル自殺したという知らせが飛び込みます。
この二つの出来事から「若きウェルテルの悩み」が着想されたわけですが、これを書きあげることによってゲーテは死の呪縛から逃れることができたのかもしれません。

さて、ゲーテといえば音楽とのかかわりも忘れてはならないと思います。

シューベルトは「魔王」「野ばら」などを始め、70曲もの歌曲でゲーテの詩を用いていますし、ファウストを題材にした作品は、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」やグノーの歌劇「ファウスト」、リストの「ファウスト交響曲」など枚挙のいとまもありません(マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」もファウスト第二部の終末部分からテキストが取られています)。
ベートーヴェンにも「エグモント」などの作品がありますね。
また、ゲーテがモーツァルトを評して「悪魔が人間をもてあそぶために生み出した音楽」と語った話も有名です。

ゲーテの晩年は、長年連れ添った妻に先立たれ、一人息子をも亡くして、家庭的には寂しいものだったようです。
それでも、喜寿の年に60歳も年下のウルリーケ・フォン・レヴェツォー嬢(当時17歳!)との結婚を真剣に考えたり(求婚したものの当然のごとく断られたようですが)、最後まで恋多き人生であったのでしょう。
臨終の時の有名な一言「もっと光を!(Mehr Licht!)」も、その折に付き添っていた若い看護師の美しい顔が暗くて見えないから、「(彼女の顔が見えるように)鎧戸を開けてくれ」と言ったあとに続いたものだったとのこと。
幾つになっても衰えないこうした恋心ゆえに長寿を全うしたのだとすれば、やはりすごいものだなと感じ入ってしまいますね。

ベルリオーズ「ファウストの劫罰」


グノー「ファウスト」

nice!(12)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 12

コメント 10

hirochiki

私も、思春期にはやたらと自己嫌悪に陥り自分に自信がなくなりました。
きっと誰もが通る道ですね。
自分のことがうまく行かないことを親のせいにしてみたり、まったく浅はかだったと思います。
それにしても、ゲーテのような恋多き人生は私には送れそうにありませんが(笑)
シューベルトの野ばらは大好きです。
今日は暖かい朝ですが、お天気が下り坂のようであまり気温も上がらないようですね。
せめて日曜日だけでも晴れてほしいものです。
by hirochiki (2012-03-23 06:10) 

Cecilia

ゲーテ没後180年ですか!
「若きウェルテルの悩み」は「ジャン・クリストフ」と共に実家の本棚に鎮座していました。「ジャン・クリストフ」は制覇できないながらもまだ最初の方は結構読めていましたが「若きウェルテルの悩み」はほとんど読めていません。「ファウスト」もそんな本のひとつなのです。2~3年前に歌曲「糸を紡ぐグレートヒェン」など「ファウスト」を素材とした作品を理解するためには必読だと思って読もうとしましたが、すぐ挫折しました。
いつか腰を据えて読んでみたいです。
小説に関してはそんな状況ですが、ゲーテは私にとって遠い存在ではなくシューベルトなどの歌曲を通して身近な存在です。
モーツァルトの「すみれ」もゲーテの詩ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%BF%E3%82%8C_(%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88)

私は中学生の頃「死にたい」と思うことがよくありました。この年まで自殺せずに来れたのは、死ぬことにもエネルギーが要ると思うからですね。痛い思いをするのも嫌ですし、後のことを考えるとその行為にはとても踏み切ることができません。
でもやはり長女が「完全自殺マニュアル」なんか読んでいると気が気ではありませんでしたね。長女は自殺したくて読んでいたわけではないようですが、そうとも言い切れないと思っています。
by Cecilia (2012-03-23 09:05) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
思春期には、失恋を始めとして様々な挫折を味わいますから、恐らく誰しもが自信喪失・自己嫌悪という陥穽にハマってしまう可能性をはらんでいるのでしょう。
小説は、それらを疑似体験させてくれるものでもありますから、それを読んで「ああ、同じように悩んだ人間もいるのだな。でも自分はこうはなるまい」などと自分なりに納得させるツールになり得るのではないかと思います。
ゲーテのみならず、詩人や芸術家は恋多き人の割合が高いように思いますね。
恋が、詩や曲を作る大きな動機になることは論を俟たないことでしょうから、それも当然なのかもしれません。
ということで、私もあのような人生はとても及びもつきませんね。
シューベルトの「野ばら」お好きでしたか。本当に良い曲ですよね。
名古屋はお天気は下り坂ながら暖かな朝であったとのこと。
こちらも朝はそれほど冷え込みませんでしたが、日中はむしろ気温が下がってきて、またまた冬に逆戻りです。
日曜日、晴れてくれるとありがたいのですが。

by 伊閣蝶 (2012-03-23 12:23) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
ロマン・ロランのジャン・クリストフ、私もまだ制覇できていません。
登場人物が多岐にわたっていて、なんだかトルストイの「戦争と平和」を思い起こさせます。
モーツァルトの「すみれ」、とてもいい曲ですが、wikiによると、モーツァルトは当初それがゲーテの詩であることを知らなかったそうですね。
自殺を考えつつ、それを思いとどまる理由は様々なのでしょう。
私の場合は、やはり両親や兄弟を始め、私が死ぬことで悲しい思いをする人がいるだろうと思ったことが一番大きかったように思います。
また、苦しまずに死ぬ方法など、やはり考えつきませんでしたし。
お嬢様が「完全自殺マニュアル」をお読みなっておられたとのこと。
あの本は大変話題になったので、それで手にとってみられたということではないかと思います。
自殺によって引き起こされる損失は、精神的なもののみならず経済的にも甚だしいものですし、そうして面から取り上げている本も結構ありますから。

by 伊閣蝶 (2012-03-23 12:23) 

夏炉冬扇

こんばんは。
ゲーテ、名前だけ知ってて、本読んでないのです…
by 夏炉冬扇 (2012-03-23 22:15) 

tochimochi

思春期の自己嫌悪は誰しも通る道なのでしょうか。
そんな想いとは無縁のような友人たちを眺めていたことを思い出します。
ゲーテはたぶん読んでいないような・・・。
太宰治にもあまりのめり込む事無く過ぎ去ってしまいました。
たぶん考えることを放棄してしまったのと、岩波新書に凝ってしまったせいかな、とふと考えてしまいました。

by tochimochi (2012-03-23 22:41) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
確かに、何かのきっかけがないと、この手の本はあまり読む機会がないのかもしれません。
私も読んだのは友人の影響からでしたから。
by 伊閣蝶 (2012-03-23 23:12) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
仰る通り、これは青春における一種の通過儀礼のようなものなのかもしれません。
私はやはり太宰治にはかなりのめり込んでしまいました。
その後、小林多喜二などの方にシフトしていったので、無意味な自己嫌悪からはフリーになっていったようですが。
岩波新書、私もそれほど多くはありませんが、結構乱読していました。
今でも、時折手に取って読んでいます。
by 伊閣蝶 (2012-03-23 23:19) 

don

もっと光を、はゲーテの言葉だったんですね。
若い看護婦の顔が見たいための言葉だったのですか^^
ぼくもそうありたいものです。ゲーテ以外が言えば、
ただのスケベ爺なんでしょうけど。

ぼくも若きウエルテルの悩みは中学か高校の頃に読みました。
(名作の誉れ高かったので)
薄いぺらぺらの文庫本でした。
そのころの僕の感受性では、そんなに感動はしなかったです。

こんど薄暗い飲み屋で、きれいな女性が横に座ったときにでも、
「もっと光を!」とゲーテの話をひとくさりしてみます(笑)
by don (2012-03-24 18:32) 

伊閣蝶

donさん、こんにちは。
仰る通り、ゲーテという人、小説家であり戯曲家であり詩人でもあり、数々の恋愛遍歴を重ねてきた人であるからこそエピソードとして語り継がれてきているのでしょう。
私たちのような一般人が同じことを言えば、「いい歳をして破廉恥な!」みたいなことになるのかもしれません。

薄暗い飲み屋でこの言葉をお使いになってゲーテの話題を振る、というアイデアはナイスですね。
もしもよろしければ結果などをお教え下されば、などと厚かましいことを考えてしまいました(^^;
by 伊閣蝶 (2012-03-25 10:40) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0