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冬のプラタナス [日記]

寒い日が続いていますが、それでも風がなく陽射があると、陽だまりでは暖かですね。
日比谷公園の落葉樹は、既に葉を落とし切って裸樹になっており、上着を脱いだ腕のような枝を虚空につきだしています。

この写真はスズカケノキ、つまりプラタナスですね。
suzukakenoki.jpg
白い幹と冬の青空と雲のコントラストが印象的でした。

スズカケノキと呼ぶと「鈴懸の径(作詞:佐伯孝夫)」を思い出し、プラタナスと呼ぶと「風(作詞:北山修)」を思い出してしまいます。
やっぱり古い人間なんだなと、ちょっと内心忸怩たるものがありますが。
プラタナスの枯れ葉舞う 冬の道で
プラタナスの散る音に 振り返る
帰っておいでよと 振り返っても
そこにはただ風が 吹いているだけ

こうして「風」を口ずさんでいると、この歌が流行っていた1969年頃の自分(中学一年生でした)の姿が、目の前の樹と青空にオーバーラップしてくるような気がします。

「人は年齢を重ねるに従って、悲しいことのみを残して、昔の楽しかったこと、美しかったことを次第に忘れて行くのではないでしょうか」
福永武彦の「草の花」の中の一節ですが、思春期の頃のことに想いを馳せると、私も何故か、悲しかったことばかりが思い浮かびます。
でも、その記憶を辿っていくと、同じ頃、確かに感じていたはずの心のときめきや煌めきに突き当たっていくような気もします。
きっと忘れられない記憶の中に、未来への示唆もまた含まれているからなのでしょうね。

今、巷間では「断捨離」というキーワードが流行りなのだそうです。
不要な物を断ち、ガラクタを捨て物への執着から離れることで「人生が快適になる」「心がスーッとする」、という考え方自体に異を唱えるつもりは全くありませんし、捨てることができなくてわだかまっていた心の澱のようなものが、それを思い切って捨てることにより「憑きものが落ちたように」きれいに消えさる、という効果も当然あるものと思われます。

しかし、このことを精神面での世界にまで敷衍し、「これまでの自分をリセットして新しい自分に生まれ変わることができる」というところに持っていくような極端な効果まで期待するのはやめた方が良いのではないか、と考えるのですがいかがでしょうか。
仮に完全なる心のリセットが可能であるとして、そのまま何もない心象風景の中で生きていくことはかなり困難なのではないか。
そこにはまた新たな何かを入れ込んで膨らませていかなければ、人は到底その絶望的な孤独には耐えられないと思うのです。
少なくとも私は、心の隙間をそのままに放置できるほど強くはありません。
私の場合、何かを失う(あるいは捨て去る)ことによってできた心の空隙は、それを埋めるものを求めそれを得ることによってのみ埋めることができ、それをもって初めて魂を安んずることができるのです。

30年前に買って、エッジがボロボロになってしまったスピーカーを捨てられずに、頑張って修理しようとするのも、もしかしたらそれによって心の隙間を埋めることになると思っているからなのかもしれません。
うーん、何だか「笑ゥせぇるすまん」みたいですね(^_^;

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hirochiki

プラタナスが冬の青空に良く映えていますね。
とても美しい一枚だと思います。
私は、今思えば結婚前は何も考えずに幸せな人生を歩んでいたような気がします。
それは、やはり両親のおかげだと深く感謝しております。
結婚して2年後に父が他界いたしましたので、それからは本当に色々なことがありました。
その寂しさや悲しさを癒してくれたのは、やはり今の家族だと思います。
30年前のスピーカーを大切にされるお気持ちは、わかるような気がします。
私も、父との思い出の品は今でも大切にしまってあります。
by hirochiki (2012-01-07 06:19) 

niki

おはようございます^^

確かに、経験が増えると記憶の中でよいものも悪いものも圧縮されていく
ようなかんじですね。

人間は結局、すべて変わることは無理だから、なにかをよい方向に
向けていこうとすることが、大切なのかもしれませんね。

「思い出」がつまった品を大切にすることは、とてもすてきです~( ´艸`)
by niki (2012-01-07 08:42) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
今日は穏やかな天気になりました。
プラタナスの写真、ケータイのカメラで撮ったものですからとてもほめられた写りではありませんが、お褒めのお言葉を頂き、本当に嬉しく思います。
ありがとうございました。
hirochikiさんのお心には、いつもご家族が寄り添っておられるのだなと、改めて感動しております。
ご両親、そして今のご家族、hirochikiさんにとって、何ものにも変えがたい大切な宝物なのでしょうね。
私もやはり同じ気持ちです。
私が今あるのは、両親や兄弟のおかげですし、妻や妻の実家の皆さんにもたくさん支えられています。
その支えがあるからこそ、さらに多くの人たちとの交流もできるのだなと感じています。
hirochikiさんが、お父様の思い出のお品を今も大切になさっておられるとお聞きし、とても温かな気持ちになりました。
ありがとうございます。
by 伊閣蝶 (2012-01-07 12:05) 

伊閣蝶

nikiさん、こんにちは。
記憶が圧縮されるというのは、私も実感しています。
出来れば忘れてしまいたい思い出も、忘れた気になっていたときに突然解凍されて記憶の表に蘇ってくるような。

自分の生き方やこれまでのものを一気に変えるのはやはり無茶なことですし、なかなか実行できないのではないかと思います。
私はとにかく、目の前にあるなるべく早い時期に解決しなければならないものから順に解決していくことが、最も現実的で効果的なことではないかと考えています。

思い出を大切に思う心が、やはりそれを思い起こさせる品々を大切にする気持ちにつながっていくのかもしれません。
by 伊閣蝶 (2012-01-07 12:13) 

tochimochi

風、懐かしいですね。
いまだに当時のフォークソングは覚えています。
どうやら同世代のようですね。
精神面でのリセットは到底無理ですね。
現実のしがらみを捨てることは、自分自身がフェイドアウトしない限りできません。
あの頃に戻りたいという願望はありますが・・・。

by tochimochi (2012-01-07 18:30) 

don

あけましておめでとうございます。
この木がプラタナスですか。時々見かける気がします。

断捨離、なんか銀シャリみたいですね^^

たしかに気に入ったものばかり身のまわりにおいて、
不要なものを捨てると、気分がすっきりします。
年末に着ない服を大量に古着屋に持っていきました。
行列で、30分以上待ちだったので、金額も小額でもあったし、
寄付(待たずにすむので)としました。

ほんとに必要なモノだけを身の回りに置くと、迷わずにすむという
ことなんでしょう。不要なモノに想念を奪われるのはたしかに、
疲れるし無駄なような気がします。心のリセットまではできないですが、
いくぶん軽くなった気がしました。


by don (2012-01-07 18:56) 

夏炉冬扇

今晩は。
学生時代、部活のテニスコートの横にプラタナスがありました。友と語らん~の「鈴懸の道」とともに思い出します。青春の樹木ですね。
あれからウン十年、すっかり大樹になってますよ。
by 夏炉冬扇 (2012-01-07 21:13) 

九子

遅まきながら明けましておめでとうございます。(^^;;
早々よりコメント有難うございました。m(_)m

私も捨てること出来ない人間です。物には必ず記憶が伴うのでその記憶をどうしても捨て去れないのだと思います。

その結果家の中はごちゃごちゃですが(^^;;、私が死ぬ時片付けてもらえばそれでいいかな?なんて・・。(^^;;

福永武彦、読んだ記憶はあるのですがぜんぜん思い出しませんでした。もう一度「草の花」読ませていただきます。

今年もよろしくお願い申しあげます。
by 九子 (2012-01-07 22:50) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
やはり同じ世代ですか。もしかしたらそうではないかと感じておりましたが、私たち世代にとって、フォークは忘れることの出来ない記憶です。
自分の生きてきた軌跡をたどることによって、未来もまたみえるような気が私はしますので、リセットは考えられません。
あのころに戻りたいという願望、これは私にもあります。

by 伊閣蝶 (2012-01-08 21:52) 

伊閣蝶

donさん、こんばんは。
早速のお年賀のご挨拶、誠にありがとうございました。。
今年も宜しくお願い申し上げます。
「断捨離」、語感的にどうも好きになれません。私は仏舎利を思い出しました(^_^;)
年末に古着屋さんに服をたくさんお持込になられたとのこと。
不要なものを処分することが出来ると、それにまつわる執着もきれいに洗い流されるといいますが、これは実感です。
これは主役が「物」にありますから、大変分りやすい心境かなとも思っています。
しかし、恐らくそれ以上の効果まで期待してもせん無きことなのではないのではないでしょうか。
心のリセットなど、私のも思いもよりません。

by 伊閣蝶 (2012-01-08 21:54) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
「鈴懸の道」は、ジャズにも編曲され、ずいぶんいろいろなところで演奏されました。
何よりも、このような歌が戦時中に歌われたことが奇跡にように思われます。

by 伊閣蝶 (2012-01-08 21:54) 

伊閣蝶

九子さん、こんばんは。
ご丁寧な新年のご挨拶、誠にありがとうございました。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
物には必ずそれにまつわる記憶がついてくる。仰るとおりだと思います。
それもあって私もなかなか整理がつかないのですが、不要なものを処分しないと新しいものが入らないので、がんばって処分しようと努力をしています。
福永武彦の「草の花」は、私の大好きな小説のひとつです。お時間がございましたら、是非ともご再読ください。

by 伊閣蝶 (2012-01-08 21:55) 

Cecilia

鈴懸とプラタナスではまるで別物のようですね。
私にとっては「風」のほうが馴染み深い曲です。伊閣蝶さんたちとは世代がずれ、いわゆるフォークブームの世代ではないのですが、中学時代の音楽の先生がフォークがお好きで合唱コンクールではフォークソングが多かったです。「風」は私の学年ではあまり歌わなかったのですが3つ年上の姉たちの頃は良く歌っていたようでその影響で家でよく弾き歌いしていました。
学校の校門近くのプラタナス並木を写生したこともありますね。
その後入学した大学構内で一見似ているユリノキ(チューリップツリー)とプラタナスを比較する機会がありました。よく見ると全然似てないですけれど。

断捨離の必要性があるのですが、なかなかはかどりません。
そもそも私のものはそんなにないのですが家族のものは勝手に処分できないし、だけど整理する必要はあるし・・・困ってしまいます。
by Cecilia (2012-01-13 10:52) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんばんは。
プラタナスとスズカケ、仰る通り、こうして並べると別物のような気がします。
マロニエとトチノキも同じような感じがしますね。
「風」お姉さまもお歌いになっておられたとのこと。
息の長い曲だなあという印象です。
ユリノキとプラタナス、うーん確かに並木になっていると似たような印象がありますね。
葉っぱなどは違うのですが。

「断捨離」のこと。
私も家内にそれで相当に追い詰められています。特に本やCDを捨てろといわれるのが辛くて参っています。
要らない物を片付けてすっきりしたい、という気持ちはわかるのですが。

by 伊閣蝶 (2012-01-13 18:33) 

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