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ランボー没後120年 [日記]

高曇りで、午前中はまだ陽射がありましたが、どうやら雨になるようです。
11月も中旬を迎え、殊更寒さを感じます。

Arthur_Rimbaud.jpg今日は、アルチュール・ランボーの没後120年に当たります。
17歳でヴェルレーヌと出会い、18歳でヴェルレーヌと別れ(このとき、ヴェルレーヌに拳銃で撃たれて入院)、代表作である「地獄の季節」を書く。
そして、21歳で詩作を止めてしまうという、正に早熟を絵に描いたような天才肌の詩人でした。
ヴェルレーヌは、妻子を捨ててまでランボーとの同棲・放浪を選び、また別れ話が出るに及んで嫉妬に駆られて拳銃で彼を撃ってしまったというくらい執着したそうですから、その才能のみならず、ヴェルレーヌを惹きつけて止まないほどの魅力溢れた若者だったのでしょうね。
そして、1891年11月10日、骨肉腫の悪化によって全身にがんが広がり亡くなります。
37歳の若さでした。

詩人として、そしてその後は商人として、各地を転々として歩いた放浪の人。
途方もない人生だったのだろうな、と思いますし、パリ・コミューンによって「この地こそ世界の中心だ!」と恐らく思っていたであろうパリの芸術家たちを尻目に、さっさと詩作を捨てて、武器商人までしながら、中東からアジア、そしてアフリカまで渡り歩く、その魂の自由闊達さに、やはり魅かれるものがありますね。

ご多分にもれず、「地獄の季節」を読んだのは20代前半のことでした。
感じやすい年頃でもあったのでやはりかなり感化されてしまい、旅行や山登りなどにうつつを抜かすようになった一因ともなったのだろうなと、今から思うと懐かしささえ感じます。

そういえばもう久しく彼の詩を読んでいません。
それでも記憶に残る詩はいくつもあります。
その中の一つを引用したいと思います。彼が17歳のときに書いたという「母音」です(中原中也訳)。
Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは赤、母音たち、
おまへたちの穏密な誕生をいつの日か私は語らう。
A、眩ゆいやうな蠅たちの毛むくぢやらの黒い胸衣(むなぎ)は
むごたらしい悪臭の周囲を飛びまはる、暗い入江。
 
E、蒸気や天幕(テント)のはたゝめき、誇りかに
槍の形をした氷塊、真白の諸王、繖形花顫動((さんけいくわせんどう))、
I、緋色の布、飛散(とばち)つた血、怒りやまた
熱烈な悔悛に於けるみごとな笑ひ。
 
U、循環期、鮮緑の海の聖なる身慄ひ、
動物散在する牧養地の静けさ、錬金術が
学者の額に刻み付けた皺の静けさ。
 
O、至上な喇叭((らつぱ))の異様にも突裂(つんざ)く叫び、
人の世と天使の世界を貫く沈黙。
――その目紫の光を放つ、物の終末!

母音に色があるという発想自体に大層驚かされ、その連想から音にも色があるなあ、などと感慨に耽った当時のことを、ふと思い返しました。

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Cecilia

ヴェルレーヌはフォーレ歌曲絡みで一時期はまりました。その関連でランボーにも興味を持ったのですが、きちんとは読めていません。中原中也ももっと読まなければと思っています。

音の色と言うとどうしてもジイドの「田園交響楽」を思い出してしまいます(笑)。
by Cecilia (2011-11-10 20:28) 

マチャ

ランボーの「母音に色がある」という話、先日NHKの爆笑問題が
出てる「爆問学問」で少し出てきました。
数字や文字に音を感じる人がいるそうです。そういう人は
暗記なども得意だそうですよ。

NHKの番組サイトです。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20111103.html
by マチャ (2011-11-10 21:54) 

夏炉冬扇

お早うご゛さいます。
学生時代ランボーの詩集を読んで「?」だったこと思い出しました。今だとどうだろう…
by 夏炉冬扇 (2011-11-11 05:17) 

hirochiki

ランボーは、ものすごい勢いで人生を駆け抜けた人なのですね。
「母音に色がある」との詩ですが、
始まりのAが黒というところに何とも深い感じを受けました。
「音に色がある」というのは、なるほどと思いました。
今日は寒い雨の一日になりそうです。
風邪を引かれませんようお気をつけ下さいね。

by hirochiki (2011-11-11 05:34) 

kawasemi

nice&コメントありがとうございました。
今日は一日中冷たい雨のようです。

クリスマスソングが街に流れ始めるとあわただしくなります。
そして、またお正月になり、年を重ねます。
同じことの繰り返しにならぬよう時間を大切にしたいものです。
来年こそは!ちょっと早いか?

母音に色がある、不思議な世界ですね。
by kawasemi (2011-11-11 11:32) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
ヴェルレーヌ、「秋の日のヰ゛オロンのためいきの……」などがぱっと浮かんできますが、やはり作曲家の琴線に触れる韻律なのでしょう、フォーレ、ラヴェル、ドビュッシーなどによって、様々の詩に曲がつけられていますね。
ランボーの方もブリテンなどが曲をつけています。
マラルメなど、印象派の詩人たちが作曲家に与えた影響は大変大きなものがあったのでしょう。
中原中也は大好きな詩人なので、この訳も私のお気に入りです。

ところで、ジイドの「田園交響楽」のこと。確かに!

by 伊閣蝶 (2011-11-11 12:11) 

伊閣蝶

マチャさん、こんにちは。
NHKでランボーのこの詩を取り上げた番組が放映されたのですね。
ご紹介いただいたサイトを拝見しましたが、大変面白い分析だと思いました。
ディレクター観戦後記の、「自分が見ている赤という色が、本当は他の人が緑と呼んでいる色かもしれない」という疑問、私はずっと持っていますね。
私が赤だと思っている色は、他の人が赤だと思っている色と本当に同じなのだろうか、など。
また、数字の配列に好き嫌いがあるというのも非常に共感します。

by 伊閣蝶 (2011-11-11 12:13) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんにちは。
夏炉冬扇さんも、やはり学生の頃にお読みなられたのですね。
私も、今読んだらどうだろうと、せっかくなのでちょっと目を通しましたが、若い頃にハマった感覚とは微妙に違い、それはそれで面白く感じました。

by 伊閣蝶 (2011-11-11 12:13) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
今日も雨の寒い日になりました。
風邪などを引かれませんよう、どうぞくれぐれもお気を付け下さい。
母音の色、私もランボーとは違いますが、やはり同じような感覚を抱いていたので、殊更この詩に魅かれたのだろうと思います。
音の色も、いわく言い難いのですが感じてしまいますね。
それにしてもランボーの生涯は実に劇的に凝縮されていて驚きます。
ヴェルレーヌの生涯もものすごいものですが、こちらの方はかなり悲惨で、美に取りつかれた人間の末路をみるような気がしました。

by 伊閣蝶 (2011-11-11 12:14) 

伊閣蝶

kawasemiさん、こんにちは。
こちらこそ、いつもnice!&コメント、ありがとうございます。
今日は朝から冷たい雨が降り続いています。
11月も中旬となり、早いもので来月はもう年の瀬ですね。
仰る通り時間は大切にしたいもの、と思うのですが、どうも気が付いたらまた一年馬齢を重ねた、というような顛末になってしまいます。
私も大切に時を重ねたいなとつくづく思います。

母音に色を感ずるというランボーの感性には瞠目させられますね。しかもそれを文字で表現するとは!

by 伊閣蝶 (2011-11-11 12:15) 

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