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ベートーヴェンなんて知らないよ [音楽]

立冬を過ぎたから、というわけでもないのでしょうが、急に冷え込みが激しくなってきました。
昨日からさすがに秋物のスーツを着て出勤していますが、これがちょうど良い加減です。
そういえば、昨晩は十三夜の月がとりわけ美しく輝いていましたね。

さて、うんざりする通勤電車の車内を多少なりとも快適に過ごすため、時折私はヘッドフォンステレオを聴きながら出勤します。
今日は何となくベートーヴェンの交響曲第4番が聴きたくなって、早速フルトヴェングラーの演奏のものをセットしました。
重く緩やかな、いっそ沈痛といってもいいくらいの序奏のあと、打って変わって目の覚めるような明るい展開となる第一楽章、クラリネットの息の長い旋律が響き渡り、思わずため息をついてしまうほど美しい第二楽章…。
演奏時間にして30分程度の、交響曲としては小品ながら随所で思わず頬が緩んでしまう、私のお気に入りの曲の一つなのです。


聴きながら、以前に読んだ三谷礼二さんの一文「ベートーヴェンなんて知らないよ」を思い出してしまいました。
冒頭を引用いたします。
ベートーヴェンのシンフォニーをいくつ御存知ですか?と、本誌(CDジャーナル:伊閣蝶註)の読者にうかがったら、どういう顔をなさるだろう?
勿論、本誌の読者諸兄はクラシック音楽好きとは限らないから、そんなもン知らねえよ、という方があったって仕方がない。しかし、同じ質問を、音楽大学の卒業生で、しかも今も音楽の仕事や勉強を続けている人たちにぶつけたとして、どんな答えが返ってくるか?というと──。別に曲のメロディや、まして細部について知らなくてもいいんですよ、どういう曲があるか、という程度で、何曲知っていますか?。
答えは、三曲である。ほとんどの人が、さんざん考えた末、そう答えた。あとで音楽に関係ない友人に話すと、「へぇッ!俺だって四曲は知ってるぜ。『英雄』だろ、タタタターンの『運命』だろ、テレビのCMにも出てきてる『田園』だろ、それに今や下町のオバサンまで歌う『第九』だ」

この文章を最初に読んだ時は、さすがに、ええ!っと驚きましたね。
早速、周囲にいた知人に同じような質問をしたところ、やはり大抵の人はこの四曲くらいは知っていて、「一体あの四つのうちのどの曲が頭に想い浮かばなかったのかね」と不思議がっていました。
中には、「あれか、俺たち関東の人間の中には四国の四県を言おうとして、どれか一つ思い浮かばなくなってしまうことがあったりするけれども、あんな感じか」「それなら、西の人が北関東の県の区別ができないというのと一緒だな」などと、全くお門違いの方向に話題が脱線する不届き者もいたりしたのでした。
実際、ベートーヴェンの交響曲といえば、ちょっとしたクラシック好きなら、この四曲のほかに7番などがすぐに頭に浮かぶことでしょうし、それに次いで4番や8番の名前がたちどころに挙げられることでしょう。
私なども、ベートーヴェンの交響曲の中でどれが一番好きか、と訊ねられたら、恐らく真っ先に7番を上げてしまうと思います。

にもかかわらず、恐らく幼少のころからクラシック音楽に慣れ親しみ、長ずるに及んで音楽学校で専門的な教育を受けた音楽のエキスパートたる彼らが、何故にこのような仕儀となるのでしょうか。
当時は全く理解できなかったのですが、馬齢を重ねるうちに専門の音楽教育を受けた方と知り合いになる機会が多くなってきて、これがあながち誇張ではないことを痛感しました。
指揮者や作曲家を別にすれば、自分の専門外のジャンルの音楽に関する知識はもとより、興味すらもないように見受けられる方が意外に多いのです。
つまり、専門外の音楽のジャンルに関しては、私たちが高校生くらいまでに習う普通の音楽の授業程度の知識に留まっているということなのでしょう。
では一体音楽学校では何を教えているのでしょうか。

三谷さんは続けてこのように書いておられます。
芸術を食べ物などと比較すると、芸術を高度な精神の営みとして神聖別格視する十九世紀的芸術観の持ち主からは叱られるのだが、要するに音楽大学の学生の多くは、食べ物を食べたことすらほとんどないのに、料理の作り方、それもほんの一部だけを、教科書通りに、そして権力的に教わるようなものらしい。ひとつひとつの料理はうまい、へたはへたなりに多少は覚えていくが、おいしいものの歓びを知ることが、まるでないらしい。
(中略)
ベートーヴェンのシンフォニーにドキドキする面白さすら知らないで、どこから「楽譜から多くを読みとり、そこから自分の音楽を作り出す」などという作業が生まれるだろうか。

音楽との出会いには、著しい個人差があると思われます。
その出会い方によって、その後の興味の方向性も大きく変わっていくことでしょう。
しかし、初めて聴いた音楽によって胸が躍ったり感動して涙を流してしまう体験自体には、きっと変わりはないと思います。
そうした音楽に出会ったとき、それが何という曲で誰が演奏しているのか(歌っているのか)を知りたいと思うのは、一種の知的な探究心に基づくものなのではないのでしょうか。

私が自分のお小遣いで初めて買ったレコードはグリーグのピアノ協奏曲イ短調ですが、中学校に入ったばかりの私は、たまたまテレビのCMでアレンジされたこの第一主題を知り、そのメロディの原曲が何であるのかを一生懸命調べたものです。
それゆえに、買ってきたレコードの針を下す瞬間の気持ちの高ぶりときたら尋常なものではありませんでした。
また、町の有線放送(緊急放送や町からのお知らせを放送したり、町民同士の通話もできるようにした通信設備)のBGMで流れた曲に興味を持って問合せ、それが山田耕筰の「マグダラのマリア」と知った時の喜びも、当時の中学生としては大変大きなものでありました。
場末のスナックでウィスキーのロックを飲んでいた時に流れてきた曲に胸を打たれ、スナックのママに頼んで曲名を訊いてもらったこともあります。ほどなくしてそれは私のお気に入りとなり、カラオケの大切なレパートリーにもなりました。
村下孝蔵の「春雨」です。

こんなふうに、人は音楽を聴く喜びを知って、そこからまた新たな音楽と出合い、少しずつ少しずつ心の中の共鳴箱の容積を増やしていくのではないでしょうか。そしてそこから人は限りなく多くの滋養を得ていくのです。
少なくとも私は、そうした変遷をこれまでたどってきているものと思っています。

音楽を専門に勉強し、声楽や楽器の演奏家として道を極めていこうとする人々、そもそも音楽に多大なる興味を抱き、音楽をやりたいと思ってその世界に飛び込んだ人々が、こうした音楽に対する純粋な感動を有していないなどということはあり得ない話でしょう。
しかし、その演奏家としての道を一切の夾雑物を廃したピュアなものとするためには、私などのような単なる傍観者的好事家が興味本位で食い散らかすがごとき態度で臨むこと自体、根本的に忌避されるべきものであるのかもしれません。
それが一流の演奏家に課せられた使命だとするのであれば、私たちは彼らのそうした犠牲の上に、音楽を聴く愉悦を味わえているということになるのでしょうか。

とはいうものの、私の知る限り、音楽のみならず、絵画や映画や舞台芸術など様々な芸術分野や自然の風景などの事象に対して、それを素直に受け入れ楽しみ探究し、その中から喜びを見出している演奏家の方々の方が、例外なく表芸の世界でも、私たちの心にしみるような素晴らしい表現を届けてくれています。
一心不乱に一点のみを見つめて精進を重ねる、という取り組みも大変重要なのだろうとは思いますが、それが視野狭窄につながるのでは、やはり表現の世界での広がりを期待することは難しいのではないか。私はそんなふうに思われてなりません。

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hirochiki

小学生の時にベートーヴェンの伝記を読みました。
その時に大変感動し、その後も何度も読み返したことを思い出しました。
来年は、家族で久しぶりにクラシックのコンサートにも行きたいねと先日話していたところです。
音楽は、自分の思い出と深く繋がっているように思います。
村下孝蔵さんと云えば、やはり「初恋」が思い浮かびます。
「春雨」は聞いたことがないような気がしますが、
是非いつか、伊閣蝶さんの歌声も聞かせていただきたいですね♪
by hirochiki (2011-11-10 05:45) 

kawasemi

nice&コメントありがとうございました。
昨日、掛川市に行きましたが桜さいておりました。
春にも咲くそうなんです。
なんだか年末のあわただしさがそこまで来ているようです。
今朝は、冷えましたね。
ストーブ出さなくては。
by kawasemi (2011-11-10 09:10) 

Cecilia

ゆっくり書く余裕がないのですが、伊閣蝶さんと同じようなことを故寺西春雄さんが著書の中で述べておられます。
http://santa-cecilia.blog.so-net.ne.jp/2005-10-30
by Cecilia (2011-11-10 09:47) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
ベートーヴェンの伝記、私も小学生の時に読んで、大変感動しました。
何といっても、自分の感性を決して疑わなかったその強さに魅かれます。
だからこそ、あのように普遍的な傑作が生まれたのだろうな、と。
来年はご家族でクラシックのコンサートに行かれることをお考えとのこと。
是非とも実現させてほしいなと思います。
村下孝蔵さんの「初恋」も良い歌でしたね。「踊り子」なども好きでした。
「春雨」は曲もですが、詩が何とも切なくてとりわけお気に入りになっています。
何かの機会にhirochiki家の皆さまとカラオケなどにご一緒できればいいな、などと不埒なことを考えてしまいました。
by 伊閣蝶 (2011-11-10 12:06) 

伊閣蝶

kawasemiさん、こんにちは。
こちらこそ、いつもnice!&コメントをありがとうございます。
ご出張、お疲れさまでした。
掛川では桜の花が咲いているとのこと。今の時期に咲く種類もあるそうですが、春に咲いた木が、またこの時期に花をつけている例もあるそうです。
今年の冬はまたまた節電の話題が出てきそうで、市場では既に石油ストーブが品切れ状態のようです。
寒くなりそうなので、一層の準備が必要になりそうですね。
by 伊閣蝶 (2011-11-10 12:09) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
お忙しい中、コメントを頂きありがとうございます。
ご紹介のブログ、早速読ませて頂き、桐朋学園という音楽教育の殿堂のような学校から問題提起があったことに驚かされました。
寺西さんの著作、機会を見つけて読んでみたいと思います。
by 伊閣蝶 (2011-11-10 12:12) 

Cecilia

古い記事へのコメントをありがとうございます。遅きに失してなんてとんでもないです。ご参考までに・・・と思ったのですが、思いもかけず丁寧なコメントをいただき恐縮しています。
寺西さんの「ひらかれた音楽教育」「やわらかな音楽教育」は「レッスンの友」という雑誌に連載されたエッセイをまとめたもので、繰り返し繰り返し同じことが書かれてはいるのですが、その多くは今回伊閣蝶さんが書かれていることですね。
私の記事のほうへのレスにはアマチュアのほうが音楽に対する純粋な憧れを持ち続けることができているのでは、と書きました。しかしもちろん音楽家と呼ばれる人々の中にも当然純粋な憧れの気持ちを持ち続けて研鑽を積まれている方は多いです。素晴らしい音楽家はやはりいろいろなことに興味を持ち、幅広い教養を持っていると思います。
by Cecilia (2011-11-10 20:19) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
ご丁寧な再度のコメント、ありがとうございました。
恥ずかしながら、「レッスンの友」という雑誌を存じ上げませんでしたので、これはやはり寺西先生の著作を拝読してみたいと思います。
Ceciliaさんが以前お書きになられた記事も、私などのようなアマチュアにとって大変心強い内容でしたので、感動しながら拝見しました。
本当に勇気づけられます。
素晴らしい音楽家は敏感なアンテナをお持ちで、様々なことに対してとても興味をお示しになります。
以前、声楽のレッスンを受けている先生を山登りにお連れしたことがあったのですが、その時の感激が演奏表現につながったとお礼を言われ、私の方が感激したことを思い出します。
by 伊閣蝶 (2011-11-11 12:23) 

朝比奈 千歳

非常に興味深く読ませていただきました。

私はというと、まず聴いてる分野が違うのであまりお答えできません(逃げたな?とか言わないでください)

それに、私は完全にひねくれてて、ベートーヴェンは理屈抜きで楽しめる初心者向け、というイメージがあるのです。

よって、私は大衆的なクラシックオタクからは外道と思われていることでしょう。
by 朝比奈 千歳 (2011-11-12 23:04) 

伊閣蝶

朝比奈千歳さん、こんばんは。
私は、音楽、殊にクラシック音楽においては、他の人と趣味が完全に一致するなどということはあり得ないと考えています。
皆、それぞれに自分の好みの分野の曲を聴いたり演奏したりしているのではないでしょうか。
そうした当然の行為を、他人から「外道」扱いされるような性格のものではないと私は思います。
by 伊閣蝶 (2011-11-12 23:40) 

ムース

面白いですね。もしかすると音大生よりも一クラシックファンの方が詳しいかもしれない・・・面白いです。

>>人は音楽を聴く喜びを知って、そこからまた新たな音楽と出合い、少しずつ少しずつ心の中の共鳴箱の容積を増やしていくのではないでしょうか。そしてそこから人は限りなく多くの滋養を得ていくのです。

その通りです。私の場合はベートーベンは5-9-6とすすみ、では他の6曲はどんな曲なのか知りたくなる。遂には、他の指揮者ではどうかとかなってくると、だんだん偏屈になってはきますが、興味のベクトルは際限なくふえていきます。これは音楽だけではなく、学問一般においてもそうですし、私の場合は映画や文学なんかでも同様ですね。

上の方の、「ベートーベンは理屈抜きに楽しめる」、という発言は、ある意味的を得ています。実際聴いていますと、ベートーベンの音楽は万人受けするような工夫が随所に見受けられます。私のお気に入りは交響曲第2番です。9曲の中ではマイナーな方ですが、どうしても2番、しかも、ワルター指揮(コロンビア)の2番なのです。こうなってきますと理屈ではなくなってきますね。
by ムース (2011-11-13 01:25) 

ヒロノミンV

 僕は仕事で研究職の方々と関わるんですが、例えば歴史研究者を例に出すと、彼らは恐るべき根気と忍耐力で、膨大な文献を読み込んでいき、緻密に事実関係を積み上げるという作業をしています。まさにプロの仕事です。しかし、例えば邪馬台国がどこにある?とかには、興味が無い人が多ですし、万葉集や古今和歌集、あるいは戦国武将や江戸時代の大名の事など、愛好家なら興味が尽きない事柄についてはその知識すら怪しい方が本当に多いんです。
 そこには、世間の歴史愛好家が好き勝手に議論している、無責任な土俵には上がらない、というある意味での矜持もあるように見受けられるんです。
 音楽家も世界も同じような雰囲気なのかな?と思いました。

 ベートーヴェンの交響曲は、本当に奥が深いです。チャイコフスキーやドヴォルザークは、『もうしばらくいいや・・・』と、一種の飽きが来る時期を経験するんですが、ベートーヴェンにはほとんどそれを感じません。まだピアノソナタや弦楽四重奏曲なども殆ど聴きこんでおらず、ベートーヴェンを聴くことは、愛好家にとっては人生を賭けるにふさわしい愉しみという気がします。
by ヒロノミンV (2011-11-13 17:34) 

伊閣蝶

ムースさん、こんにちは。
うーん。ファンゆえに詳しい、ということもありそうな気がしますね。

>私の場合はベートーベンは5-9-6とすすみ、では他の6曲はどんな曲なのか知りたくなる。遂には、他の指揮者ではどうかとかなってくると、だんだん偏屈になってはきますが、興味のベクトルは際限なくふえていきます。これは音楽だけではなく、学問一般においてもそうですし、私の場合は映画や文学なんかでも同様ですね。

全く同感です。私も似たような変遷をたどりました。

2番も素敵な曲で、私も大好きです。特に、あの二楽章の美しさは忘れられません。
ワルター・コロンビアの演奏はこの曲にぴったりという気が私もします。
ベートーヴェンが万人向けのする曲作りをしているのは同意します。そして、その中に垣間見られる芸術家としての冒険的アプローチが、聴く者を夢中にさせるような気がしてなりません。
by 伊閣蝶 (2011-11-14 12:38) 

伊閣蝶

ヒロノミンVさん、こんにちは。
世間の歴史愛好家が好き勝手に議論している、無責任な土俵には上がらないという矜持、なるほどなあ、と感心しました。
確かにそうした矜持ゆえに、自分の分野をひたすら磨き続けることにまい進する、ということもあるのかもしれません。
学者や研究者が、一つの事象に関して恐るべきエネルギーと情熱で研究を進めていることに対し、外部から「それはどのように役に立つのですか?」といったようなコメントを要求することがしばしば見られますが、研究者は事実を掘り下げていくことこそが使命であり、そのようなことは別の人間が考えればいいことだ、という尤もな話を聞いたことがありますし。

ベートーヴェンの交響曲は本当に奥が深いと思います。
ブルックナーのように、一番から九番に向かってだんだん完成度が高まってくるということではなく、それぞれの曲がその段階で完全に完成されたものである、というところも私にとっては驚き以外の何物でもありません。

ベートーヴェンの音楽の神髄は弦楽四重奏曲にある、ということを言っていた先輩がおりましたが、私も、この分野はほとんど聴きこんでいません。
でも、それゆえにこそ、これからの楽しみも増えるもの、と感じています。

by 伊閣蝶 (2011-11-14 12:49) 

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