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母との会話(指揮者について) [音楽]

今日も穏やかな晴天となりました。
出勤途上、街路の桜の木の紅葉がさらに進んでいたので、携帯電話のカメラで撮影。
sakurakouyou1012.jpg
ちょっとボケていますが、秋の雰囲気くらいは伝わるでしょうか。

先日帰省していた折、小澤征爾の闘病と復活を取り上げた番組がテレビで放送されていて、母と二人で観ていました。

そして母がポツリと語りました。
「指揮者って、あの台の上に立って手を振っているだけだからそんなに大変ではないんでしょ。そんなに騒ぐほどのことかしら」

片肘をついて横になりながら怠惰な態度でその番組を観ていた私は、その母の言葉に「ええ!」っと驚いて身を起こしました。
母はほとんどクラシック音楽などは聴きませんし、小澤征爾の名も、時折松本に来て演奏会を開いている指揮者、というくらいのところに留まっているものと思われます。
つまり、ある意味でクラシック音楽を(自分の生活とはほとんどかかわりのないものとして)醒めた目で見ている人たちの代表といったところに位置するのでしょう。

しかし、それがわが母からの言葉だけに、ちょっと私は熱くなってしまったようです。

私は大要次のようなことを申し述べました。
  • オーケストラの団員というのは、基本的に音楽学校を卒業していて、その楽器のみならずピアノくらいは当然習っており、和声学や対位法などの基礎知識を習得している音楽のプロである。
  • だから団員は、自分の演奏する曲に関して相応の知識を有し、かつ経験も積んでいる。これはもちろん自分のパートのみならず、曲全体の解釈に関しても同じことで、ベストな演奏が如何にあるべきかなどについてそれぞれにプロとして思うところがある。
  • そのようなプロ集団を、指揮者は一つの楽器として鳴らすことを考えなければならない。
  • つまり、音楽に関して一家言を持つプロたちに己の表現したいところを的確かつ具体的に伝え、さらに共感させて一体感を持たせることが、まず指揮者に課せられた基本的な職務である。
  • 例えば、ブルックナーの交響曲などで、ホルンやワーグナーチューバで和音を鳴らす場合、譜面に書かれたとおりの音を単に吹くだけではなく、その曲を演奏するホールの大きさ、残響、客層などを考慮に入れた上で、そのホールでの実演に最もふさわしい輝かしく響く和音を作り上げなければならない。そのため、奏者一人一人に微妙な強弱の指示を出し、それを自分の耳で確かめさせ納得させなければならない。
  • そうしたことを全パートにおいて徹底的に実践し全体を構築していくことが、指揮者として求められる最低限の役割である。
  • つまり、作曲家が己の想いのほんの一割にも満たないことしか書けなかった譜面を読んで、その作曲家の想いを再構築する、つまり新たな一期一会の音楽として創造することが指揮者の任務だ。それを海千山千のオーケストラとともに作り上げなければならないのである。

「その上で、自分の持つ世界観をその演奏の中に盛り込まなければならないのですよ」と、勢い込んでしゃべってしまいました。
母はたまげた様子で、へぇー、と驚き、ただ手を振りまわしているだけじゃないんだね、指揮者によってそんなに違うんだ、と感慨深げに答えました。
指揮者によってオーケストラの演奏は全く違ったものになります、たとえ三流のオケであっても、一流の指揮者がわかりやすく的確に演奏の意図を伝えてリハーサルを重ねれば、その演奏はある程度の高みに到達します、しかし、一流のオケ(ベルリン・フィルとかウィーン・フィルとか)を三流の指揮者が振っても何も出てきません、オーケストラの演奏とはそんなものですよ、と重ねて話したところです。

話はこのような他愛もないものでしたが、今、思い返してみますと、これは何も指揮者のみに限られるようなことではないような気もします。

己の意思を的確に伝え共感を得ることは、組織としての行動において必ず必要となる要件です。
百人には百の個性があるわけですから、己の考えのみに固執するのはやはり傲慢との誹りを免れますまい。
もちろん妥協してばかりでは、新たなことは何も生まれてきません。
具体的なヴィジョンをきちんと組み立て、論理的に説明することができて、初めてことは動いていくというものなのでしょう。

そう思うと、例えばこうしてブログにいろいろ書くことにも通じてきそうですね。

私は、このブログでは極力己の思想的な部分に踏み込まないように注意をしてきているつもりです。
何故かといえば、己の思想を的確かつ具体的に伝えることは至難の業であり、それを成し遂げるためには明晰な論理展開が必要で、それは到底私などのような確たる思想もない浅学菲才な凡人には望むべくもない芸当であるからです。
だから、どうしても内容の薄っぺらな文章になってしまうのですが、それでもせめて、「書いてあることはある程度わかる。書いている人間も恐らくバカではなかろう。書いてあることに共感はできないけれども」くらいの評価を得ることができればな、と厚かましくも願っている毎日なのでありました。
もちろん、これが相当に難しいことであるのは十分承知の上ですが。


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夏炉冬扇

今日は。
私もお母さんに近い考えでした。なるほど。勉強したぁー!
by 夏炉冬扇 (2011-10-12 17:49) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
私も自分でそうした立場を経験してみるまで分かりませんでした(^_^;
私の場合、全員がアマチュアの中でやむを得ず担当したというところですから、それほどのプレッシャーはなかったはずなのに、それでも大変恐ろしい思いをしたものです。

by 伊閣蝶 (2011-10-12 18:09) 

Cecilia

何年も音楽と関わってきた私でも指揮者の大変さは理解できていません。
オペラなどのCDやDVDは指揮者よりも歌手を見て選んでいる私です。最近やっと大変さや偉大さが見えてきたような気がしますが、まだまだ理解できてないと思います。
伊閣蝶さんの文章はいつも明晰で論理的、でも私たちにもわかり易く丁寧な言葉を使われていて尊敬します。
文章の勉強させていただいているブログがいくつかありますがその中の一つです。
by Cecilia (2011-10-12 18:48) 

ムース

確かに一素人としてそれほど深く関わっていない人の認識はそんな感じかもしれません。私も指揮者の役割などそれほど深く理解しているわけではありませんが、同じ楽曲でも受ける感じが違うのは、オーケストラの違いだけでなく、演奏自体の発する主張の違い、すなわち指揮者だということは、数多く聴き込むと、何となくでも理解できるものです。うちの親も、クラシックに関しては時々トンチンカンな発言をして辟易します。それ以前にあまり話題になることもありませんが・・・。
 
by ムース (2011-10-12 23:41) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんばんは。
オペラの場合は、(殊にDVDでは)歌手に目がいくのは当然のことですよね。もちろん私もそうです。
オペラの場合、指揮者はある意味「裏方」ですから、なかなか話題になることはないのでしょうが、やはりその役割は大変重要なものだと思います。
でも指揮者はやりがいのある仕事ですね。みんなの心をつかんで一つの方向に導いていく愉悦は計り知れないものがありましょう。

それから、過分なお褒めのお言葉を頂戴し、汗顔の至りです(^^;
でも、励みになりました。本当にありがとうございます。
by 伊閣蝶 (2011-10-12 23:53) 

伊閣蝶

ムースさん、こんばんは。
仰る通りですね。
指揮者が、その楽曲に誠実に取り組み、その主張がオケに受け入れられたときに響かせる音はことのほか深く感動的なものであることを、私も乏しい経験ながら、いくつかの演奏会やレコードなどで知りましたから。
ところで、私の場合、クラシックに興味を持ったのは父親の影響からでしたので、それこそ中学生くらいまでは、父といろいろな話をすることができました。しかし、何時しか父の興味は懐メロや演歌の方に行ってしまい、それ以降、クラシック音楽が話題に上ることはほとんどありません。
むしろ、どんなことにでも興味を示す母の方が、こうした方面でも話題にしたがるようになったので、ちょっと辟易しつつも、嬉しくなりますが。
by 伊閣蝶 (2011-10-13 00:00) 

hirochiki

伊閣蝶さんのお母様がクラシックをほとんどお聴きにならないというのは、とても意外でした!
指揮者は、拝見しているだけでも大変なんだろうなあと感じます。
指揮者によってオーケストラの演奏がまったく違うものになるというのは、よく耳にしますね。
伊閣蝶さんのブログは、いつもテーマに沿ってきちんとした文章で書かれていて素晴らしいと感じております。
きっと、日頃から読書もしっかりされているのでしょう。
by hirochiki (2011-10-13 05:53) 

伊閣蝶

hirochikiさん、おはようございます。
母は、演歌や懐メロが好きな普通の女性で、帰省しているときに私が例えばNHK教育などでクラシックの番組を観ていると、露骨にいやな顔をし、わけのわからない番組だからチャンネルを変えるようにと慫慂されたりしますね(^_^;
指揮者は、どうしても本番の姿だけが目に止まってしまいますが、それ以前の練習やリハーサル、そのための楽譜の分析にかける労力の方が何百倍も大きく、実に大変な仕事だと思います。
本文にも書きましたが、作曲家が残した楽譜は最小限の情報しか書かれておりません。
その作曲家が存命のうちであれば、作曲の意図を直接訊ねることもできましょうが、故人ではそれも無理。
そんなわけで、指揮者の解釈が問題になってくるわけでしょうね。
尤もそのおかげで、私たちは様々な演奏を楽しめるのですが(*^_^*)

それから、過分なおほめのお言葉頂き、誠に恐縮です。
至らぬところではありますが、頑張っていきたいと改めて思っております。
ありがとうございました。
by 伊閣蝶 (2011-10-13 09:31) 

節約王

今回も夢中になって読ませていただきました。指揮者の重要性を改めて理解しました。あれだけの数のオーケストラメンバーを瞬時の状況判断で纏め上げ、オーケストラ全体を円滑に、かつ協調させなければならないのですから大変なプレッシャーと判断能力、体力、管理能力が必要ですよね。
中でも三流のオケでも一流の指揮者にかかれば優れた音楽を引き出せるという文章に心惹かれました。
組織の管理職にも同じことが言えるというご意見、大変共感致します。
TOPが入れ替わると組織全体も大きく変化しますよね。人は替わっていないはずなのに不思議な現象だと身をもって感じた事があります。
by 節約王 (2011-10-20 18:03) 

伊閣蝶

節約王さん、こんばんは。
指揮者は仰る通り、オケにおける演奏の芸術面でのマネージメントを司る人であり、ある意味では絶対君主である必要があります。
しかし、オケのメンバーも音楽のプロですから、そうした面でのよほどの才能がなければ舐められて終わり、ですね。人柄ももちろん大きなファクターになります。
その意味でも、組織の管理職と同じであるということに、私も賛同します。
TOPが変わると組織も大きく変化することは、私も身をもって体験しました。
不思議な現象ではありますが、もともとスタッフにはそれだけの資質があり、要はそれを引き出すことができるかどうか、というTOPの力量の違いということになるのでしょうか。
by 伊閣蝶 (2011-10-20 18:27) 

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