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ブルックナー没後115年 [音楽]

晴天との予報でしたが、昼からは薄い雲に覆われた高曇りとなりました。
それでも陽射は暖かくて風もなく、昼間は半袖で十分でした。
しかし、午後からは雲も厚くなり陽射も遮られ、正に秋空そのものといった変わりやすい天気を実感させられました。

日比谷公園では海紅豆(アメリカデイゴ)の花が咲いています。
kaikouzu.jpg
この花は初夏から夏の間に咲くのですが、10月になっても盛りなのは不思議な感じがしました。

今日は、ブルックナーの没後115年の日に当たります。

1896年といえば、日本では明治29年。
第一回の夏季オリンピックがアテネで開催された年であり、いわゆる近代オリンピックの嚆矢となりました。
参加国は14カ国で、当然まだ日本は参加しておりません(日本が参加するのは1912年のストックホルム五輪からです)。

同年にクララ・シューマンも亡くなっており、日本では宮沢賢治が生誕、そして樋口一葉が亡くなっています。
そんな風に振り返ると、ことあるごとに聴いているブルックナーが存命していた時代のことに思いを馳せ、何だか遠い年月を泳いだ目で追うような気持ちにさせられます。

晩年のブルックナーは、数々の教授職や音楽関係団体の名誉会員に任ぜられるなど、地位の面でも金銭的にも相当に恵まれた環境にありました。
しかも、多くの弟子を育て、そうした弟子を中心に広く尊敬を集めていたそうで、誠実な、正にミュージックサーバントを地で行ったような彼の性格を彷彿とさせる想いがします。

しかし、彼が心血を注いだ作品、とりわけ交響曲は、なかなか一般の観客に受け入れられることがなく、その意味では創造者として不遇であったともいえましょう。

今、この重畳たる山なみのように巨大なブルックナーの作品群を目の当たりにすると、私などは本当に言葉を失うほど感動してしまいますし、同じようにブルックナーの音楽を心の糧として聴いている人たちは無数に存在するものと思料します。
1959年のカラヤン&ウィーン・フィルの来日の際、プログラミングされていたブルックナーの交響曲第8番だけでは客の入りが心配という日本側の要請で、急遽「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が付け加えられた、などという、現在ではとても考えられない逸話残っているほど、ブルックナーの音楽の認知度が低かったことを思えば、今日の隆盛は誠に喜ばしいことでありましょう。

心血を注いだ自作の今日のような隆盛を、ブルックナー本人が味わうことは遂にありませんでしたが、やはり時代を先取りするような優れた芸術作品は、その真価が我々のような凡人にまで広くいきわたるために一定の期間を要するのでしょうね。

「芸術は未来において完成する」

福永武彦さんのこの言葉は真理を述べているとは思いますが、創造者にとってはやはり残酷な理なのだろうなと、ふと思ってしまいました。

ということで、今日もまたブルックナーの交響曲を聴いています。


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コメント 10

hirochiki

夏のお花がこの時期に盛りということは、やはり温暖化の影響でしょうか。
私も、会社の制服はいまだにジャケットではなくベストを着ております。
ブルックナーは、晩年に恵まれた環境にあったのに、交響曲に関しては認めてもらえていなかったのですね。
でも、亡くなってからでも多くの人々に愛され続けているのは喜ばしいことだと思います。
by hirochiki (2011-10-12 05:37) 

きんた

降るかと思いましが、もちましたね。
by きんた (2011-10-12 07:35) 

伊閣蝶

hirochikiさん、おはようございます。
やはり温暖化の影響なのでしょうか。
狂い咲きの事例を良く見かけるようになりました。
ちょっと心配ではあります。
ところで、私はまだ半袖で出勤しています(^_^;
もう少し頑張れるかなと思っています。

ブルックナーのこと。
人はパンのみにて生くるにあらず、と良く申しますが、蓋し芸術家には当てはまるようです。
でも、そんな彼の音楽に癒される人々がこうしている限り、彼の精神は永遠の命を持ち続けるのでしょう。
羨ましいことだな、と思います。
by 伊閣蝶 (2011-10-12 09:34) 

伊閣蝶

きんたさん、おはようございます。
お天気、もちましたね。
夜半、雲の切れ間から月が臨め、ちょっと嬉しくなりました。

by 伊閣蝶 (2011-10-12 09:35) 

Cecilia

アメリカデイゴは鹿児島の県木、デイゴは沖縄の県花でまったく別物ということですが、デイゴというとTHE BOOMの「島唄」を思い出します。カラオケでよく歌う歌なのですが《デイゴが見事に咲くと、その年は台風の当たり年で、天災(干ばつ)に見舞われるという言い伝えがある》ということは最近知りました。また非常に気持ちよく歌えるため愛唱していたのですが、反戦歌としての意味を知りますます気になる歌になりました。(同時に気持ちよく歌っているだけだったのを反省させられました。)
アメリカデイゴとはまったく別物なのに長くなりました。アメリカデイゴは葛の花に似ていますね。東京はまだ暑いのですね。こちらも日中は暑いですがとても半袖で過ごすことはできません。

ブルックナー没後115年ですか。ちょっと聴いてみようと思いました。
by Cecilia (2011-10-12 12:11) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
アメリカデイゴは鹿児島の県木ですが、やはりこの花がきれいに咲く年は台風が来るという話があるそうです。
今年は台風が来なかったので花の数が少ないと、鹿児島の友人が言っていました。
ところで、「島歌」、私も良くカラオケで歌いました。気持ちよく歌えるので私も大好きですが、反戦歌であったとは知りませんでしたね。
今度私もきちんと調べてみたいと思います。
東京でもさすがに朝晩は肌寒く、半袖の人はあまり見かけません。
私の場合、年寄りの冷や水ですね。

ブルックナー、もしも機会がございましたら、是非ともお聴きください。
午後の暖かな陽射の中で、例えば交響曲第7番などを聴くと、何とも幸せな気分になれること請け合いです。
by 伊閣蝶 (2011-10-12 12:45) 

ムース

確かにブルックナーの実演は少ないですね・・・。どうしても主催者としては、メジャーな運命・悲愴・新世界・ブラームスなどになってしまうのはいたし方なかろうというものですが・・・。それにしてもブル8にアイネクライネとは何とも食い合わせが悪いというか・・・。ブル8は一曲で十分ですね。
 とはいえ、ブル8は実演で聴いたことはありません。いずれはと思いますが、当方では近年まれに4番と7番が演奏されたのみです。実際にブルックナーの演奏会に行きますと、結構な盛況ですので、希少価値にファンが群がるということでしょうし、それはそれでブルックナーっぽくてよいように思います。
by ムース (2011-10-12 23:23) 

伊閣蝶

ムースさん、こんばんは。
ブルックナーの実演が少ないのは、やはりそれだけ充実した演奏に磨き上げるのが難しいからかもしれませんね。
特に指揮者に相当の自信がないと、とても取り上げる勇気が出ないのではないでしょうか。
長大な演奏時間を緊張感をみなぎらせたまま打ち抜くためには相当の実力が必要となりそうですし。
ブルックナーの8番とアイネ・クライネのカップリングには私も苦笑しました。
仰る通り、余りに食い合わせが悪すぎるように思います。
私は、幸いなことに、第3番以降の曲の実演を聴くことが出来ました。
朝比奈隆の演奏がほとんどですが、チェリビダッケの8番は、今でも強烈な印象を残しています。
どれもやはり盛況でしたね。
by 伊閣蝶 (2011-10-13 00:09) 

節約王

コメント遅れましてすみません。
日比谷公園の海紅豆(アメリカデイゴ)の花、季節はずれとはいえ美しいですね。夏の花もあまりの暑さに咲き頃を間違えたのでしょうか?。
ブルックナーのエピソード今回も堪能させていただきました。
時代を先取りしすぎた天才ゆえの悲劇でしょうか。芸術家に特に多い気がします。しかしながら時代を超えて評価され、それが永遠に評価され続ける事は本人の魂を永遠に癒してくれるのではないかと思います。
アンティークをやっていてもそれを感じます。

by 節約王 (2011-10-20 17:53) 

伊閣蝶

節約王さん、こんばんは。
コメントが遅いだなどととんでもないことです。
いつも本当にありがとうございます。心より感謝申し上げます。
他の記事でも触れましたが、タンポポや桜などの花が咲いていてびっくりです。
夏のあまりの暑さに花が咲き頃を間違えたというご意見、なるほどと頷きました。
芸術家の残した作品は、当の本人の肉体的な生命とは関係のない時間を刻むのかもしれませんね。
ブルックナーは時間によって殺されましたが、彼の残した作品を、時間は今のところ殺すことはできないでおります。
アンティークも、そうした時間の恐るべき圧力から軽々と飛翔しているような気がします。同感です。


by 伊閣蝶 (2011-10-20 18:20) 

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