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ドヴォルザークのスターバト・マーテル [音楽]

昨年のこの時期に、東京都合唱祭について取り上げましたが、その際、「ゆうぽうと」での演奏は今年(2010年)限り、と記しました。
本年は会場を変えて開催する予定でありましたが、予定していた会場が東日本大震災で被災し、まだ復旧のめどが立たないということで、無念ながら中止の憂き目を見てしまいました。
昨年のロッシーニに引き続き、今年はドヴォルザークの「スターバト・マーテル」を演奏する予定で準備を進めていましたので、本当に残念です。
そんなわけで、代替措置として来年の4月に(東京都合唱祭とは関係なく)演奏をする方向で現在調整中です。
因みに演奏する曲は第三曲の「Eja, Mater, fons amoris(いざ、愛の泉である聖母よ)」です。

ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」は、愛児三人を立て続けに亡くしてしまったドヴォルザークが、己の悲しみを癒し我が子の魂の平安を願うために作った、ひときわ美しい宗教曲です。
「スターバト・マーテル」の中では、ペルゴレージと並んで最も著名な曲ですから、お聴きになった方もたくさんおられることでしょう。
従って、レコードもたくさん出ていますが、私はやはり、ラファエル・クーべリックがバイエルン放送交響楽団とバイエルン放送合唱団を指揮して録音した次の演奏を忘れることができません。
ソプラノのエディット・マティスもすばらしい声を聴かせてくれますし、何と言っても、バイエルン響の奏でる響きに魅了されてしまいます。

クーべリックは、自身がボヘミア生まれという出自もあってか、ドヴォルザークなどチェコ出身の作曲家やマーラーの演奏などにひときわ優れた実績を残しています。
さらに、バイエルン響を15年間手塩にかけて育て、現在、世界屈指の実力を持つオーケストラに鍛え上げたことからもわかるように、ドイツ・オーストリアの作曲家、モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナー、シューマン、ブラームスなどの作品においても、数多くの名演奏を聴かせてくれました。

私は、75年のバイエルン響のときと91年のチェコ・フィルとの来日公演に接したのですが、75年のバイエルン響との演奏を聴いて一遍に大ファンとなってしまいました(曲はマーラーの9番でした)。
それ以来、乏しい給料を割いて買っていたレコードの中で、クーべリックの占める割合が次第に多くなっていったのです。
その演奏はもちろんのこと、いくつかの書籍を通じて示されたクーべリックの言葉や思想にも大きな共感を抱きました。
同時代を彩る多くの個性的な指揮者の陰に隠れて目立たない指揮者という印象を持つ方も多くおられることと思いますが、自身が作曲に相当な情熱を注いでいたことも相俟って、曲の全体な構成や個々の響きなどに対する分析眼はとりわけ鋭いものがあり、例えばマーラーやブルックナーのような巨大な作品の演奏に接すると、その全体像が極めて明瞭に浮かび上がってきます。
それはとりもなおさず、指揮にあたって、その作品の隅々にまで目配りをし、その音楽の背景にまでも哲学的な思想における分析を試みていたからに他ならないのでしょう。

マーラーの9番に対して、マーラーが音楽というものを通じて、ある永遠なるもの(神といってもいいかもしれませんが)を希求し、それを音に託そうとした、その意味では9番の4楽章は奇跡である、マーラーはここで永遠の生に達している、との言葉をクーべリックは残しています。
9番を演奏すること、そしてそれを聴くことは、そのマーラーの想いに寄り添うことであり、それを感じられる人に、その音楽は大いなる安らぎと魂の平安を与えてくれる、とも。
尤も、とクーべリックは続けます。「それを感じ取ることができない人は仕方ありませんが」。

そのクーべリックが、己の生地の大作曲家ドヴォルザークが愛児を三人までも亡くした悲しみを契機に作曲した「スターバト・マーテル」を演奏するのですから、そこにどれほど深い共感が託されているものかいうまでもないことでしょう。
しかも、これを亡命先のバイエルンで録音しているのですから。

そんな背景までしみじみと感じさせてくれる、これは私にとって、やはり忘れることのできない名盤なのであります。

それにしても、何という美しさか、とため息をついてしまいます。
ドヴォルザークは、あのチャイコフスキーをして驚嘆せしめたほどメロディアスな作曲家でありますが、そのあまりにも美しい旋律が、めくるめく展開する幽玄な和声に彩られ間然とするところがないのでありました。

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hirochiki

今年の東京都合唱祭は、大変残念ですね。
でも、来年の4月にはまた演奏ができるかもしれないということで、少しほっとしたしました。
宗教曲も、その背景にある意味を知って聞いてみると、なお深い感動を味合うことができるものですね。
胃閣蝶さんの記事を読ませていただくと、いつもそれを感じます。
ところで、この三連休はどこかへお出かけになられるのでしょうか。
どうか、ご家族で素敵な週末をお過ごしください。
by hirochiki (2011-07-16 06:30) 

伊閣蝶

hirochikiさん、おはようございます。
合唱祭中止のこと。本当に残念でした。
私たちのような弱小の合唱団は、なかなか発表の機会を持てないので、これは貴重な場であったのですが。
でも、仰る通り、4月にはなんとか発表の機会が持てそうです。
温かなコメントに感謝申し上げます。
私はキリスト教徒ではありませんが、宗教曲にはとりわけ深い感動を与えられます。
その背景に込められた創造者の様々な想いがストレートに伝わってくるからなのかもしれません。
神を通じての祈りや願いは、神に対して自分が如何に小さなものであるかという謙虚な立場から発せられることになりますから、いきおい純粋な想いの発露になるのではないでしょうか。
その上に、愛するものを喪った悲しみを載せて作られた曲が聴く人の心を打たないはずがない、と私も思っています。

ところで三連休ですが、これから長野の実家に帰省する予定です。
年老いた両親二人の家なので、こうした機会を見つけて帰るようにしています。
hirochikiさんも、ご家族と素敵な週末をお過ごし下さいね。
by 伊閣蝶 (2011-07-16 08:39) 

Cecilia

東京都合唱祭、残念でしたね。別な形で演奏されるとのこと、練習なども大変かと思いますが頑張ってくださいね。
ドヴォルザークの「スタバト・マーテル」は聴いたことがありませんが、この記事を拝見しご紹介のクーベリック指揮の演奏で聴いてみたくなりました。
ちなみにペルゴレージの「スタバト・マーテル」の1曲目の二重唱をちょっと前に友人と歌いました。その際に少々参考にさせてもらったものの一つに例のフィリップ・ジャルスキーの演奏があります。(ソプラノはValerie Gabail)
http://www.youtube.com/watch?v=2AfIpwxVq8Y&feature=related

ヴェロニク・ジャンスとの別の二重唱もあります。
http://www.youtube.com/watch?v=xvg9uyhFggw&feature=related

帰省されるとのことですがお気をつけて。
by Cecilia (2011-07-17 05:36) 

hirochiki

おはようございます。
今日は、もうご実家へ帰省されているのでしょうか。
車の運転など、くれぐれもお気をつけて。
by hirochiki (2011-07-17 06:16) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんばんは。
温かな励ましのコメントをありがとうございます。
何はともあれ、発表の機会があることを喜ぼうと思っています。
ドヴォルザークが、掛け替えのない愛児の死に臨んでスターバト・マーテルを以てその魂の平穏を求めた気持、それがどれほどのものであったか、しみじみと伝わってくる曲であると思います。
クーベリックの、そのドヴォルザークの想いにラポールするかのような演奏は、正しくこの曲にふさわしいものではないかと思いました。
さて、ペルゴレージのスターバト・マーテルですが、第1曲の二重唱を歌われたとのこと。
これは是非ともお聴きしたいところですね。あの掛け合いの美しさを、Ceciliaさんがどのように表現なさったのか、とても興味深く思っております。
それからジャルスキーの演奏、これは驚きました。
この曲にも様々なアプローチがあるのだな、と。

by 伊閣蝶 (2011-07-17 19:21) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんばんは。
昨日、実家に帰り、今、そちらにいます。
日中の暑さは、あまり変わりませんが、夜はだいぶ涼しく、助かります。

by 伊閣蝶 (2011-07-17 19:22) 

きんた

ご訪問、nice&お祝いコメントありがとうございます。
合唱祭残念でしたね。震災の影響が様々なところで聞こえてきます。
知人の演奏会に招かれることがありますが、生で聞く演奏は迫力が違いますよね。
今後ともよろしくお願いいたします。
by きんた (2011-07-19 05:14) 

伊閣蝶

きんたさん、こんばんは。
温かなコメントをありがとうございます。
やはり、目標を持って取り組んでいると、こうした他律的な要因でダメになることは結構辛いものがあります。
でも、別の機会をとらえて演奏することで、何とかモチベーションを保ち続けるように頑張りたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
by 伊閣蝶 (2011-07-19 18:06) 

節約王

今年の東京都合唱祭は、大変残念ですね。お気持ちお察しします。
しかしながら来年の4月にはまた演奏ができるかもしれないということで私もほっとしました。
今回も勉強させられました。このように親切に噛み砕いて音楽の背景を教えてくれる事自体大変ありがたく、かつ珍しい事だと思います。
宗教曲!、その背景を見てみると、さらに深く音楽にも興味が出てくるものなのですね。
実は三連休は例の看板持ちのアルバイトでした。今度は伊閣蝶 様お勧めの音楽を相棒にやってみようと思うようになりました。
これからも楽しみにしています。

by 節約王 (2011-07-20 15:40) 

伊閣蝶

節約王さん、こんばんは。
いつもながら温かなコメントに感謝いたします。
合唱祭の中止は残念でしたが、代替手段が確保できたことを素直に喜びたいと思います。
スターバト・マーテルについての拙い記事に過分なご評価を頂き、ありがとうございました。
こうしたコメントをいただくと、さらにまたがんばろうという気持ちが強くなってきます。心より感謝申し上げます。
宗教曲は、その背景に、信仰という極めて強靭でまっすぐな人の想いが反映されているせいもあってか、やはり強い共感を呼ぶものではないかと思います。
喪った愛児の魂を慰めるために、スターバト・マーテル(嘆きの聖母)を作曲しようと思い立ったドヴォルザークの想いが那辺にあったものか、曲を聞きながら私も思いをはせてしまいます。
ところで、三連休は看板もちのアルバイトをなさっておられたとのこと。
とりわけ暑い時期でしたから、さぞかしご消耗なさったことと存じます。
どうぞ、くれぐれもお気をつけくださいますように。
音楽が多少なりとも激務の慰めになってくれれば幸いです。
by 伊閣蝶 (2011-07-20 23:38) 

サンフランシスコ人

クーべリックは、ニューヨーク・フィルでもドヴォルザークの「スターバト・マーテル」を指揮しているのです...

http://archives.nyphil.org/index.php/artifact/45db3582-1ae4-4c55-a35b-1ed8f8a7aa37/fullview#page/1/mode/2up
by サンフランシスコ人 (2017-06-04 03:50) 

伊閣蝶

サンフランシスコ人さん、こんばんは。
そうでしたか。
1973年の演奏とのことですが、サンフランシスコ人さんはお聴きになりましたか?
by 伊閣蝶 (2017-06-05 22:26) 

サンフランシスコ人

初めてニューヨーク・フィルの演奏会へ行ったのは平成になってからです....
by サンフランシスコ人 (2017-06-07 00:59) 

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