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SMOKIN' AT THE HALF NOTE [音楽]

夜半には雨が降り、朝には止みましたが、空には重苦しい雲が広がっています。
梅雨空、ですね。

昨日も、曇り空の肌寒い日で、どこの出かける気にもなれず、一日中部屋にいて、本を読みながら音楽を聴いていました。

聴いていた音楽は、先日、ウェス・モンゴメリーのフル・ハウスにコメントを下さった、ただの蚤助さんからのアドバイスに従って、ウィントン・ケリー・トリオとウェス・モンゴメリーによる「SMOKIN' AT THE HALF NOTE」です。


このCD、既にSACDも発売されていますが、2011年7月20日には、SHM-CDでリニューアルされます。

曲目は以下の通りです。
  1. ノー・ブルース
  2. イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ
  3. ユニット・セブン
  4. フォー・オン・シックス
  5. ホワッツ・ニュー

上の二曲は、1965年6月24日、ニューヨークのハーフ・ノートでのライブ録音。
下の三曲は、1965年9月22日、ニュージャージーのヴァン・ゲルダー・スタジオでのスタジオ録音。

これはすごい演奏でした!

ウェスのギターももちろんですが、ウィントンのピアノは桁違いです。
ただの蚤助さんがお書きになった「『ノー・ブルース』、ウェスのオリジナル『ユニット・セヴン』『フォー・オン・シックス』でのケリーさんのプレイは、彼の最後の輝きを放ったトラックとして永遠に忘れられません」とのお言葉には、正に心を打たれる想いでありました。
殊に、「ユニット・セヴン」と「フォー・オン・シックス」は、両者ともノリノリの白熱演奏で、とてもスタジオ・セッションとは思えないほど!
スタジオであってもこれだけの熱い演奏を繰り広げられるほどに強烈無比のプレイヤーであったことが、このCDからもひしひしと伝わってきます。

また私は、最後の「ホワッツ・ニュー」におけるウィントンの繊細な美しい演奏にも強く心を惹かれました。

収録曲はわずか5曲のCDですが、得られる満足感はすばらしい!

ところで、こうした演奏を聞いていると、その絶妙なアンサンブルにぐいぐいと引き込まれていきます。
「ノー・ブルース」におけるウェスのアドリブは、オクターブ奏法からコード奏法まで、それこそ彼の持てるテクニックを縦横無尽に、そのギターから紡ぎ出したような恐るべき快演ですが、クァルテットとしてのアンサンブルに少しの破綻もないどころか、ウィントンのピアノやチェンバースのベース、コブのドラムスが、それに次々と掛け合わされていくような高揚感に横溢されていくのです。
複数のプレイヤーが集まって一つの演奏を試みるとき、それぞれの力が合算されて豊かな表現を生むことを聴衆としては期待するのですが、しばしば合算はおろか減算になってしまうような演奏に出遭うことすらあります。差し引きゼロでもまあ良しとしようか、などというあきらめの境地に至った時の無念さは筆舌に尽くしがたいものでした。

しかし、このCDで繰り広げられている演奏は、合算どころか乗算になっている!
私はそう感じました。めったなことではこんな演奏に出逢う機会はないであろうと。

音楽の演奏は、詩吟とか一部の民謡のように無伴奏単音で奏でられる極めて例外的なものを除いて、アンサンブルが基本となります。
バッハの無伴奏バイオリンソナタや無伴奏チェロ組曲でも、複数弦を同時に鳴らすという意味ではアンサンブルと言えましょう。

それゆえにこそ音楽の演奏は、そのアンサンブルを如何に「合わせるか」が要諦となるのではないのでしょうか。
それは恐らく、他のプレイヤーの奏でる音を聴きとる鋭敏な耳と、それに合わせて自身の音を重ねた時に現出する音色と効果を想像できる感性と、それを実際に音にできるテクニックが、最低限必要なのだろうと思われます。
その上に、一つの作品を共に構築しようと試みていく連帯感と一体感があって、初めてその目指す演奏上の意図が聴衆に実感として伝わるものなのではないかと考えるのです。

「サイトウキネン」で有名な指揮者で音楽教育者でもある齋藤秀雄さんがあるインタビューで語った中に、指揮者とオケとの関係を指して、一流のオケを三流の指揮者が指揮しても何も出てこない、しかし、一流の指揮者が三流のオケを指揮すれば一流に迫る演奏となる可能性がある、という意味の言葉がありました。
指揮者はアンサンブルを作り上げることがまず第一番の仕事なわけですから、己の目指す演奏表現の形を明確に伝えてオケをその方向に引っ張っていく才能と腕力が求められます。
それができる指揮者は、どんなオケを振っても一定レベル以上の演奏を引き出せる、ということなのでしょう。

このCDのように、それぞれが個性豊かで一騎当千の力量を有するメンバーによって編成されたクァルテットが、一堂に会して絶妙なアンサンブルを作り上げるということは、先に述べた、一応形上は上下関係の指揮命令系統下にある指揮者とオケの関係以上に困難なことではないかと思われます。
そして、それが奇跡的に成し遂げられる瞬間もまた存在する。
この四人の間に形作られた結束と共感がどのようなものであるのか、そんなことにもまた興味津津なのでありました。
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hirochiki

今年の梅雨は、寒かったり猛暑がやってきたりでいっそう過ごしにくいような気がします。
昨日は、一日中お部屋の中で過ごされたとのことですが、
素晴らしい音楽を聴かれたようで何よりでした。
この記事でおっしゃるように、アンサンブルはやはり演奏者ひとりひとりの気持ちがひとつになることが大切なのだと思います。
指揮者とオケの関係も、なるほどと感じながら読ませていただきました。

by hirochiki (2011-06-27 17:05) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんばんは。
本当に不順な天候が続きます。
暑くなったり肌寒かったり、夜具の選択にも迷ってしまうほどですね。
それでも、休日にのんびりと音楽を聴くのはいいものです。
音楽を聴くことは、人に与えられた共通の楽しみなのではないかな、とも思いました。
アンサンブルの重要性は、私も、小さな職場合唱団に属していましたので(現在、休部中)よくわかります。
皆が心を合わせた時には、それこそ至福の響きが出てきたりしますから。
音楽は、CDなどを聴くのももちろん嬉しいものですが、やはり自分で演奏する愉悦の方が上になるようです。
by 伊閣蝶 (2011-06-27 18:23) 

節約王

ウィントン・ケリー・トリオとウェス・モンゴメリーですか!!!お目が高い!。1965年の録音!!まさに黄金期ですよね!。ジャズもこの頃のニューオリンズの音楽は思い出すたびにゾクゾクします。<両者ともノリノリの白熱演奏で、とてもスタジオ・セッションとは思えないほど!>それも分かる気がします!。当時はスタジオもライブも関係なく思い切り自分の信念をぶつけていたある意味自由な時代だったのでしょうね。レコーディングや録音でうるさく言うプロデューサー気取りのお偉方など日本と違っていなかったのでしょうね。時代と環境がまさに最高の時期だったと私も推測します。
<詩吟とか一部の民謡のように無伴奏単音で奏でられる極めて例外的なものを除いて、アンサンブルが基本となります。>私も全く同感です。
<音楽の演奏は、そのアンサンブルを如何に「合わせるか」が要諦>私も今まで何と表現していいか分からなかった事!合わせるか!これが重要なのですね。大物同士のコラボレーションで一見全く違う世界に生きていたアーティストが信じられないくらい息が合う音楽!まさに神秘的です。神の領域ですね。
by 節約王 (2011-06-27 21:51) 

伊閣蝶

節約王さん、こんばんは。
嬉しいコメントをありがとうございます。
ウェスもウィントンも、正にジャズの申し子みたいな存在だったのだなということをつくづく感じさせてくれる演奏でした。
この二人の手にかかると、ポピュラーやムードミュージックの類いまでモダンジャズになってしまいます。
そんな二人であるからこそ、絶妙な「呼吸」をお互いに感じ取れるのでしょうね。
節約王さんの仰った「神の領域」、正しくその通りだと、私も思いました。
私はあまりジャズを聴く方ではないのですが、何という深い世界だろうかと感嘆する想いです。
by 伊閣蝶 (2011-06-27 22:29) 

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