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夏祭り [日記]

夏祭りの櫓昼間は怪しげな雲が出たりしましたが、雨にはなりませんでした。

この土日は、地区会が主催の夏祭りが開催されました。

地元の高校生による和太鼓の演奏があって、これが意外に完成度が高く、感心しました。
高校に和太鼓クラブがある、ということもなかなかのものだとは思いますが。

さて、夏祭りとくれば盆踊り。
炭坑節や東京音頭といったメジャーなものの外、地元のことを歌詞に取り込んだ音頭が二曲あって、それなりにバラエティに富んでいます。
最初のうちこそ、そろいの浴衣のそれぞれの自治会有志の踊り手ばかりでしたが、そのうちにTシャツ・短パン・サンダルのおじさんなども飛び入りしてきました。

私も盆踊りは結構好きで、故郷にいた頃は浴衣をきちんと着て踊るのが楽しみでもありました。

でも、さすがに今はあの踊りの輪に入る勇気はありません(^^;

露店で買った生ビールを飲みながら踊りの輪を眺めていましたが、やっぱり、盆踊りは眺めるものではなく一緒に踊るものですよね。
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Cecilia

伊閣蝶さんの文体から思い浮かべる姿とアイコンの顔が一致しません。
このアイコンの顔の方が着物を着て踊っているところを想像しています。(笑)
最近になって盆踊りのいろいろな歌が気になるようになってきました。
うちの実家のほうではあまり踊らないのでなじみがありませんでした。
あったとしてもたぶん踊ってないと思いますが。
by Cecilia (2010-08-04 10:37) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。nice!とコメントありがとうございます。

このプロフィールのアバター(アイコン)は、全自動似顔絵で作ったものです。詳しい事情については次の記事をご覧いただければと思います(^_^;
http://okkoclassical.blog.so-net.ne.jp/2010-02-06
そんなわけで、私は50歳半ば近くのおっさんであり、もちろん頭髪も白髪まじりではありますが、金髪に染めているわけでもありませんし、そもそも短髪です(*^o^*)
眼鏡をかけているところが一致しているくらいでしょうか。
ということで、実物の私は結構着物や袴が似合うのですよ(典型的な日本人体型)。
因みに40代の頃は、次のページの一番下の写真みたいな感じでした。
http://homepage3.nifty.com/yabuyama/yakusima3.html

盆踊りの音頭や甚句などは、近頃ですとエレキギターなどで演奏されたりすることもあるので、なんだか違和感を感じてしまいますね。演歌まがいのものもかなりありますし。
私の実家の方では、地元の曲ももちろん掛かりますが、炭坑節や木曾節や佐渡おけさなどもかかるなど、かなりバラエティに富んでいました。
家内の実家の会津の盆踊りでは、地元の本郷甚句だけが延々とかかり、それに合わせて踊るという感じですね。
私ももちろん踊りましたが、これはこれで楽しい経験でした。

by 伊閣蝶 (2010-08-04 18:07) 

Cecilia

藪山澤好さんのHP、拝読させていただいています。
今朝も山に行ってごみを持ち帰らない人たちについてのエッセイを拝読させていただきました。

by Cecilia (2010-08-04 18:57) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、再コメント、ありがとうございました。
藪山澤好のサイトもご覧頂いたとのことで、本当にありがたく存じます。
マタイ受難曲の記事が未完成のままになっていたりして、恥ずかしい限りなのですが、これを励みに少し頑張って更新して行きたいと思いました。
ありがとうございます。
by 伊閣蝶 (2010-08-04 23:41) 

Cecilia

マタイ受難曲の記事も当然拝読させていただいています。
ユダなどの聖書の中の人物についての考察(もちろん「マタイ受難曲」の中でなのでしょうけれど)も大変素晴らしいと思いました。
クリスチャンでない人はこの曲を音楽として捉えるのだろうと思っていますが、バッハの信仰も含めて理解したいという真摯な思いが伝わる文章だと感じました。
by Cecilia (2010-08-05 09:38) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。再度の嬉しいコメントを頂戴し、ありがとうございました。
先日、マタイの「Aus Liebe」をお歌いになったというお話を伺い、ああ、あの清らかで高貴なまでに美しいアリアを歌われたのだなと、感慨深く思っていたところです。
「愛によりて我が救ひ主は死に給はんとす」
我々への愛のためにイエスは死をお選びになった、なんという究極の愛の姿であろうかと、冒頭のフルート・ソロから引き込まれてしまう。
マタイ受難曲をはじめとして、やはり宗教曲は、その根底にある思想(信仰)をある程度理解しないと、入りこむことができないのではないかと私は痛感しています。
キリスト者になることは無理でも、聖書を読み、ミサなどにおける典礼の意味を知ることは、それらの曲の持つもう一段の深みを味わうという点でも必要なことなのかもしれません。

思えば、ヴェルディのレクイエムを歌うために、羅日辞書首っ引きでその歌詞の対訳を試みたのも、やはりそうした想いに駆られてのことでありました。
ヴェルディはカトリック教会の欺瞞的な在り方に一貫して不信感を抱いていたそうですが、その彼をしてあのレクイエムを作らしめたこと。その深層心理にある神への深い愛情を知りたかった、というのももうひとつの大きな理由ではありましたが。
by 伊閣蝶 (2010-08-05 12:14) 

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