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実演とレコード(CD)2 [音楽]

今日(1月12日)も引き続き太陽は厚い雲に隠れ、午前中から冷たい雨の降る日となりました。
連休の後の出勤はいつも億劫なものですが、天気が悪いととりわけモチベーションが下がります。
サラリーマンの分際で贅沢を言っている場合ではないのですが。

昨日は「実演とレコード」などというお題目を掲げてしまい、結局収拾が付かなくなって自分ながらに呆れているところです。
このブログは始めたばかりですので、恐らくお読みになった方はごく少数と拝察致しますが、それでもあまりの脈絡のなさに呆れられた方もおられたことでしょう。
この場をお借りしてお詫び申し上げます。

「お詫び申し上げます」と申し上げた舌の根も乾かぬうちに、またまた同じような文章を書いてしまいそうではありますが、これはむしろ私自身の整理のために必要なことのようにも思われますので、申し訳ありませんが、もう少し続けさせて下さい。

中学・高校と吹奏楽部に在籍したことと、それ以降、合唱や声楽にも手を出してきたこともあって、私自身、演奏会の舞台に立った経験はそれなりにありました。
コンクールは、演奏そのものを客席に届けるという演奏会そのものの有する目的とは全く別の価値判断が働くことが多いので、ここでは言及を差し控えますが、何れの場合も、私はそこで日常とは全く違う時間を感じておりました。
「舞台には魔物が住む」という言葉を良く聞きますが、正確に言えば、それは演奏者の心中にこそ潜む類のものでしょう。

しかし、正直に告白しますが、そこに臨んでいたときの集中力の度合いなどは決して一定ではありませんでした。
自分のパートについては一生懸命に責務を果たそうとしつつも、何かの拍子に緊張感が緩んで演奏全体を白けた目で見るようになってしまって、結果として自分の演奏もやっつけ気味になってしまうことが実際に何度かありました。

象徴的な例として今でも記憶に残っているのは、モーツァルトのレクイエム演奏に参加した時のこと、Tuba mirumの冒頭ソロでトロンボーンがミスってしまったのです。
そのときは合唱団も寄せ集めで、ゲネプロでやっと全体あわせが出来た、などという状況だったこともあり、緊張の糸は一気に切れ、惨憺たる演奏となってしまいました。
チケットを購入して聴きに来て下さった観客の方々に対し、これほど失礼なことはありますまい。
今でもそのときのことを思い返すと冷汗三斗の思いに駆られます。

その一方で、3時間以上にわたって一瞬たりとも緊張の糸が切れなかった経験もあります。
私は、バッハのマタイ受難曲の演奏に3回参加したことがありますが、3時間を超えるこの曲の演奏に当たって、何れも異常なほどの高揚感と充実感に満たされながら舞台に立ち続けました。

その違いがどのようなことに由来するのか定かにはわかりませんが、今思い返してみれば、定期演奏会の曲目としてたまたま選んだ曲を演奏したときと、その曲を演奏したいという強い目的意識を持った人々が集まって作り上げた演奏との差異ということもあるいはいえるのかもしれません。

さて、対極にある個人的な経験などを恥ずかしげもなく披露してしまいましたが、そのときに残した録音について、前者のモツレクは言うに及ばず、後者のマタイについても、私は現在それらを積極的に聴こうとは思いません。
むろん、自分が出演した演奏会のCDなんて恥ずかしくて、という気持ちも多少はありますが、それ以上に、その場の雰囲気を自宅において再現することなど不可能だという想いが強いからなのです。
それを承知で聴けば、如何にそのときには大いなる充実感をもって成し遂げた演奏であったとしても、必ず不満が出るのに決まっているのですから(それ故に、毎年マタイの演奏に継続して参加していた当時はむしろ前回の演奏を積極的に聴き、自分なりの問題点を把握しようと努めたりもしたのですが)。

昨日の文章の末尾に書いたこと。ライブ録音を求めてしまう気持ち。
それは、自分がその場に居合わせ得なかった実演の感動を追体験したい、という些か虫のいい、そして基本的には無理な願いから発せられるものなのかもしれませんね。
しかし、聴く側が全くの第三者であれば、少なくともその人にとっては大いに意味のあるものともいえるのではないでしょうか。
たとえ、それが当の演奏者本人にとっては忌避したいものであったとしても…。
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Cecilia

自分が演奏したものは思い出したくなくて聴かずにいたことも多かったのですが、最近になって振り返りのためによく聴くようになりました。
演奏という行為には冷静な部分も必要なのですが

>何かの拍子に緊張感が緩んで演奏全体を白けた目で見るようになってしまって

失敗することもよくあります。

演奏中一瞬たりとも集中の糸が切れなかったという体験は素晴らしいですね。

ところで「マタイ受難曲」に関してこんなことを書いていたことを思い出しました。(今ある方にコメントして思い出しました。)
http://santa-cecilia.blog.so-net.ne.jp/2010-01-30
by Cecilia (2010-08-11 07:28) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、nice!とコメント、ありがとうございました。
本文にも書きましたが、自分の演奏を振り返ることは、その演奏の出来不出来にかかわらず、ある種の試練のようなものではないかと思います。
しかし、おっしゃるとおり、冷静な目で振り返ることは、これからの成長のためには絶対に必要なことでありましょう。
この帰省期間中に、生家に持ち帰った、自分の本番演奏の録音を聴き返してみました。
合唱はまだしも冷静に聴くことが出来たのですが、独唱は聴くのは本当に辛かった。
しかし今は、聴き返してよかったと思っております。
もう一度原点に戻って先に進むためにも、です。

ところで、マタイに関するブログの記事、拝見しました。
確かに、あの引きずるようなリズムは共通するものでありますし、イエスは生誕の折から、人間たちの罪を一身に受けて十字架にかけられ、その後復活する、という予言を表すものという考察は大いに頷けるところと思った次第です。

by 伊閣蝶 (2010-08-11 16:33) 

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