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梅雨がなかなか明けません。 [日記]

昨日と今日、思いがけず晴れ間がのぞいていますが、梅雨明けは未だし、という状況にあります。
気温差も激しく、体調管理もなかなか難しい。
新型コロナの関係もありますから、ほんの少しの体調不良でも気がかりになってしまいますね。

このブログに記事を書くのはいつ以来のことかとため息をついています。一年くらいは間が空いておりましょうか。

昨年の一月に連れ合いを亡くした後、心理的な低空飛行が続き、仕事のような身過ぎ世過ぎのものはまだしも、己に生きがいにつながるような趣味や行動に対しては何事も億劫になってしまっておりました。

そんな中、今年の一月に父が亡くなりました。

連れ合いと父は、奇しくも誕生日が同じで、二人とも誕生日を目前に旅立ってしまい、父がことのほか連れ合いを大切にしてくれていたこともあってか、云いようのない喪失感にさいなまれたところです。
早朝、妹から、父が呼吸困難になり入院した、と聞き、おっとり刀で駆け付け、連れ合いが眠る墓所を横目で見ながら、「頼むからまだ連れて行かないでくれ、母が悲しむから」と、必死で訴えたことを今も思い返しています。
集中治療室での父は、酸素吸入や点滴を受けつつもまだ意識はしっかりしており、体につながれた管を外せとしきりに訴えておりました。
肺炎球菌による肺炎を起こしており、レントゲン写真を見ると、大半が真っ白になっていて状況が予断を許さないことは一目でわかりました。
ディサービス施設での感染ではないかとのことでしたが、父は肺炎球菌ワクチンを接種しておりましたので、何とか持ち直してくれるものと私は信じたのです。

そのうちに、遠くに嫁いでいた孫やひ孫たちも集まってきて、父の入院しているICUはさながらお祭り騒ぎのような活況を呈しました。

病状が落ち着いたようにも思えたので、その晩はとりあえずそれぞれ家に戻りました。

明け方に、病院から緊急の連絡が入り、駆け付けると、すでに父の意識はありません。
病状はさらに進み、SpO2が30%を割り込むような状況になっています。
抗生剤の効き目も芳しくなく、どのようなことがあってもおかしくない、との宣告を受けました。

それでも、人工呼吸器の助けを借りつつ驚異的な復活を見せ、昼前にはSpO2が95%以上まで戻りました。
我々は狂喜し、奇跡を信じたものです。
しかしこれはつかの間のことで、燃え尽きる前のろうそくの炎が一瞬大きく輝くのと同じことだったのかもしれません。

その日の昼過ぎ、我々に手を握られ体をさすられながら、父は眠るように逝きました。

連れ合いや子供や孫やひ孫や甥たちに囲まれたその最期は、誠に穏やかな表情に包まれておりました。

昨年の私の連れ合いの最期も同じく眠るようであったことから、そのことを思い返し、さすがに胸が締め付けられる思いでありました。

二人とも、亡くなる直前まで食事がとれていたこともあり、いわゆる「死に窶れ」とはならず、そのまま起き上がってきそうな表情であったことが唯一の救いです。

連れ合いが亡くなって一年半、父が亡くなって半年が過ぎました。
今、二人の遺骨は、八ヶ岳山麓の墓所で隣り合って眠っています。

私以上に母の心痛が甚だしく、しばらくの間、足しげく帰省をしておりましたが、新型コロナ感染の拡大により、他県への移動が厳しく制限され、3月以降6月の末まで足止め。
昨年は、連れ合いの月命日をめどに毎月墓参りをしていたので、やはり残念です。

一日も早く、この新型コロナの感染が落ち着いてくれるようにと願わずにはいられません。

はなはだ個人的なことを書いてしまい申し訳ありませんが、久しぶりの記事としてアップさせていただきます。
これまで記事をアップできなかった理由などは、またおいおいと書いていきたいと存じます。

それはともかく、私の連れ合いも父も、結果としては肺炎で亡くなりました。
肺炎は本当に恐ろしい。
新型コロナウィルスは、若い人にとってはさほど恐れる必要はないという報道を頻繁に見ますが、ウィルスはともかく、肺炎は致死率の極めて高い疾病です。
甘く見ることのないように、くれぐれもご注意ください。
結果として肺炎で大切な身内を亡くした私の心からの願いです。
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