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赤狩り [映画]

お彼岸となりましたが、真夏のような暑さとなっています。
8月には、晩秋を思わせるような寒さがあったことを思うと、なんとも不可解なお天気が続きます。
9月7日には富士山に初冠雪があったとの驚天動地的な報道がありましたが、さすがにこれは取り消されたもようです
体調管理にはくれぐれも気を付けたいものです。

山本おさむさんが渾身の力を込めて描いた「赤狩り」が完結し、単行本10巻もこのほど全巻が揃いました。



私は第1巻から読み始め、新刊が出るたびに順次購入して読んできましたが、このほど第10巻を読み終えて、感動を新たにしているところです。

この作品は、「ローマの休日」「スパルタカス」「栄光への脱出」「いそしぎ」「パピヨン」などの名作・話題作の脚本を担当し、「ジョニーは戦場へ行った」を監督(原作・脚本も自身)したドルトン・トランボを主役として、1950年代を中心にハリウッドに吹き荒れた「赤狩り」を克明に描いたものです。
因みに、HUAC(House Committee on Un-American Activities=下院非米活動委員会)の活動の一環として取り調べを受け、召喚や証言拒否などを理由に刑務所に収監された映画関係者のことをハリウッド・テンといいますが、トランボはその中の一人です。

山本さんは、このトランボがHUACに召喚され、法廷侮辱罪で刑務所に収監されてから、様々な辛酸を舐めつくしつつ脚本家としての使命・矜持を貫き通し、その生涯を全うしたことを克明に描こうとしました。
しかし、ご自身もその過程で言及されているように、トランボのみの軌跡を追うだけではすまされなくなり、原爆、スパイ・諜報活動、冷戦、キューバ危機、公民権運動、ケネディ大統領・キング牧師・ケネディ上院議員暗殺、ベトナム戦争といった、米国の暗黒歴史にまで踏み込むこととなったのです。
それ故にこの作品は、啻に映画ファンのみならず世界を揺るがした時代の背景に興味を持つ人にも訴えかける力を有しているものと考えます。

私自身、先ほど記載した出来事のアウトラインは辛うじて承知していましたが、細部における様々な背景についてはこの作品によって目を開かれた感がありました。

一番大きかったのは、もちろん漠然とは感じておりましたが、理想としての社会主義・共産主義と、それを国家の形で体現したとするソ連や中国・北朝鮮などの諸国の現実的な体制との間の、絶望的なまでの乖離と欺瞞です。

私が中学生や高校生だったころ、70年安保の嵐が吹き荒れ、学生運動の盛り上がりは年端もいかない中高生ですら強烈な刺激を受けました。
働く者の権利を第一とし、労働者から搾取した金で潤っている資産家や資本家からそれを吐き出させ、貧富の差を無くし万人が平等に富を分かち合う世界。
そんな理想郷を子供ながらに思い描いていたことを思い出します。
この本の中でもかなり克明に描かれていますが、ローゼンバーグ夫妻のスパイ容疑と死刑の執行に関しても、当時は冤罪であると固く信じ、サッコ・ヴァンゼッティ事件と同様の偏見と敵意に基づいた唾棄すべき事件と考えていました。
しかし、米ソ冷戦終結後に漸次明らかとなってきたヴェノナ・プロジェクト及びヴェノナ文書により、夫妻が実際にスパイ行為をを働いていたことが裏付けられ、それを知った当時、やはり私はかなりの衝撃を受けたものです。

結局、共産主義・社会主義であれ資本主義であれ民主主義であれ、権力を握ったものはそれに執着しさらに強大なものにしようとする。
しかも、それを成し遂げさせるため陰で陰謀を巡らせた者どもは、それをネタに権力の座にある者を自在に操ろうとする。
その動きや流れの中にある限り、時の権力者や陰謀を巡らす人間・組織は肥え太りますます権力や富を強大化していく。

やりきれない話ですが、その理想に感化を受けラポールした人間は、その理想を実現するためとあらば一点の疑問を挟むことなく、その道をまい進する。
恐らくローゼンバーグ夫妻も、原爆に関する資料をソ連に流すことで米国一強による覇権主義を防ぐことができると本気で信じ込んでいたのでしょう。

このほか、モンゴメリー・バス・ボイコット事件やその後に続く公民権運動の盛り上がり、もともと反共でマフィアとのつながりもあったケネディが大統領就任を機にリベラルへと変わり世界の平和と安定を模索するようになる経緯、などなどが膨大な資料に基づき丹念に描写されております。

もちろん、主人公たるトランボを巡るドラマも感動的に描かれ、私は各巻を読みながらその都度涙にくれたものです。
それらをいちいち書き留めることはやめますが、例えば次のような場面。

トランボが法廷侮辱罪で刑務所に収監されたことから、子供たちは様々ないじめに遭い、そのことで子供たちはトランボを責める。
その子供たちに、目を真っ赤にしながらかけたトランボの言葉。
君たちに誓って言う。パパは悪い事は何もしていない。
君たちに対して恥ずべきことは断じてしていない。
パパはごく平凡な人間だ。何か変わった特別な信念があるわけじゃない。
一生懸命仕事をし、人を裏切らず、人間として為すべきことを為し…そして何よりも、君たちから愛される人間でありたいと思っている。それに値する人間でありたいと思っている。
君たちが成長し、結婚し、子供を持ち…その時、パパは死んでるかもしれないが…パパをフッと思い出してくれた時、そのことを理解してもらえれば、とても嬉しい。
それだけなんだよ…本当に…ただそれだけなんだ。

トランボが家族を非常に大切にしていたことは事実ですから、このくだりはとりわけ胸にしみました。

さて、この調子で内容を開陳することはさすがに避けたいと思いますが、トランボ監督の映画「ジョニーは戦場へ行った」に関しては少しだけ触れることに致します。


1971年の映画ですが、原作である「ジョニーは銃をとった」は1939年にトランボによって書かれ出版されています。
原作は第一次世界大戦を背景としていますが、出版当時は第二次世界大戦勃発時であり、戦争の激化によって絶版(事実上の発禁)。
その後も、朝鮮戦争など、米国がかかわった戦争の勃発などに影響され、その都度、復刊・絶版が繰り返されたいわくつきの「反戦小説」です。
第一次世界大戦で志願兵となったジョーは、塹壕の中で砲撃に遭い、目・鼻・口・耳を失い運び込まれた病院で両手・両足を切断されてしまいます。
医者たちは、延髄と小脳くらいしか機能していないと判断し、意識も感覚もないただの肉塊だと判断。
研究材料として生かす方針とします。
しかし、ジョーには意識が存在した…。

この映画はあまりにも有名なので、恐らく多くの方はその内容をご存知のことと思います。
私も久しぶりに観返しましたが、カラーの回想シーンの美しさがひときわ印象的で、モノクロによる病室の陰惨さとの間でのギャップを否応なく感じさせました。
カテゴリーとしては「ヒューマン」ということになるそうですが、戦争の悲惨さと、ひときわ重い厭世観に引き込まれます。
特にジョーが訴えかける次の言葉(モールス信号による)は極めて重い。
僕を見世物にしろ
海水浴場やお祭りや独立記念日に巡回しろ
宣伝するんだ「頭で話をする肉の塊」だと、君たちが宣伝するんだ、僕を作ったのは君たちなんだから
戦争には兵士が必要で、軍は僕のような人間も作るんだと…

この映画をトランボは大変な苦労を重ねて撮り上げます。
そして、同年のカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞し、欧州や日本ではヒットしますが、当の米国では泥沼のようなベトナム戦争のさなかであったこともあり全く受け入れられなかったそうです。

さて、第10巻に次のような描写があります。
陰謀家が忌み嫌うものは“平和”だ。富を生み続ける“冷戦”を手放すわけにはいかない。
若い兵士に血を流させ、途上国の罪なき農民を踏みにじり、蛭のように民主主義の裏に吸い付いて血を吸い、陰で政治を私物化しながら、国民にはゆがんだ忠誠心と愛国心を喧伝する。
共産主義への憎悪、つまり赤狩りとは…そのような冷戦を維持するための装置なのだ。


これは今に至るまで延々と繰り返されており、例えばミャンマーでの軍によるクーデターも全く同じような構造からきているのだと言われています。
軍産複合体は、戦争がなくなってしまえば利益を得る術を失うわけですから、自分に火の粉が降りかからない地点にいて紛争を煽り立てる。そういう体制を維持しようとする。
そしてその際には、民衆に対して愛国心をあおり、仮想であれ何であれ敵を見繕って攻撃することを煽動する。
あおられた民衆は民衆同士で互いに牽制・監視しあい、密告や排外的な行動に走っていくことになるのでしょう。

もちろん日本も例外とは言えません。
五味川純平の小説「御前会議」の最後は次のような文章で締めくくられています。
国家の名において民族的野望を遂げるべく戦争を企てた者、それを許可した者、それを支持した者は、裁かれたと否とにかかわりなく、邪悪を犯した事実から逃れることは出来ない。
まことに、愛国心とは、あまりに屡々、邪悪の隠れ蓑なのであった。



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のら人

富むものが支配し、その上に更に富む上位支配者層がいて、更にその上の天上界に黒幕が存在していて、一般庶民がそれらに立ち向かう事は難易度が相当高いですが、いるんですね。^^
現在は戦争や冷戦を仕掛けるのも難しくタリバン等のゲリラに加担する程度か、しかし中国か北朝鮮を巻き込む戦争を引き起こせるか、ですかね。医薬も戦争と同等の道具と扱われていて、現在進行形なのが悲しい事です。^^;
by のら人 (2021-09-25 18:49) 

伊閣蝶

のら人さん、こんばんは。
仰る通り、莫大な資金を手にしている強大な権力者に一般庶民が立ち向かうことはほとんど不可能のように思います。
しかし、たとえ蟷螂之斧となろうとも、自分自身の矜持を示し偽りのない生き方を希求して、その困難な道を邁進する人もわずかながらに存在する。
到底及ぶことはできないと思いつつ、少なくとも自分の良心に恥じない生き方をしたいと思わせる作品でした。

各地で起きている紛争やテロがどうして収まらないのか。恐らく根本的には広義の意味での経済の問題があり、武器などの供給によって利益を得ようとする輩の存在がそれに拍車をかけるのでしょう。
なすすべのないことが悲しみをさらに倍加させます。
by 伊閣蝶 (2021-09-25 23:18) 

Jetstream

昔はよくレッドパージという言葉を耳にしました。権力側に反するような意見や姿勢をとれば、一般の市民や無党派でも「お前、赤か」と云われるような風潮がありました。述べられたように体制を維持する、けん制するために「赤」が使われます。実は、これはいまだに比喩的に続いています。そしてこの論理で、一般人である私たちが知らない間に危険な方向に駆り立てられてしまうという恐ろしさがあります。本は読んでいませんが、記事からなんとなく拝察出来ました。同時に今の共産党の綱領が旧態依然で、党名を含めて脱却しきれてないこともあると思いますが、とても大きなテーマに及んでしまいます。
少なくとも今の日本には民族的野望よりも、利権集団の野望が歪んだ政治、経済社会状況に陰を落としているように思います。国民の多くは気づいていないのか目を背けているのが残念ですね。
by Jetstream (2021-09-26 14:43) 

伊閣蝶

Jetstreamさん、こんにちは。
体制側にいて利益を得ている層からみて、進歩的な考え方や行動・思想・態度などは、全てがアカすなわち共産主義だとみなし、社会から排除する対象とみなす。つまり共産主義を限りなく広義に解釈し、目障りな人々を社会的に追放するという考え方は、現在でも全く変わっていないように思います。
ネットなどで氾濫する「反日」などという言辞は、恐らく昔日のアカに変わる呼称となっているのでしょうね。
少なくとも経済面や社会保障面でみれば日本は相当に厳しいところに追い詰められていると思うのですが、「これ以上悪くなってほしくない」と願う人々は変革を恐れ、仰る通り、現状から目を背けているのだと思います。
利権集団はそんな現状を維持しようと考えているわけでしょうから、一般人の目先をそらすことを第一にしているのかもしれません。
少なくとも、私自身はそうしたことから芽を背けることのないように生きていきたいと思っておりますが。
by 伊閣蝶 (2021-09-26 17:39) 

tochimochi

本は読んでいませんが、レッドパージという言葉はよく耳にしました。Jetさんのコメントに全く同感です。
私も高校の頃、理想郷としての共産主義、社会主義に憧れました。中国展なども行われていて足を運んだこともありました。しかし、理想と現実がこれ程違うとは衝撃でした。権力の集中による弾圧、搾取は目に余ります。北朝鮮も対話と言いながら裏では絶対核を捨てないでミサイル発射による恫喝を繰り返しています。日本はこれを口実に逆に敵基地攻撃能力など言い出す始末で、拉致問題解決は糸口すら掴めません。総裁選を見ても期待できる人物は見当たらず、ますます保守化が進んでいくように感じます。
by tochimochi (2021-09-26 17:51) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
この本の第4巻に次のような文章があります。

人間は観念の上では、いくらでも美しい理想を打ち立てることはできる。
しかし、不完全であるところの人間は、その理念を遂に地上に実現することはできないのだ。
美しい理念は、人間の邪悪なる欲望によって歪められ、犯され続け、やがて人々はそれを”現実”と呼ぶようになったのだろう。

あくまでも理想を求めたいと思いつつ、私たちはしばしば現実の生活のことを考えてしまいます。その間に横たわる葛藤の深さに震撼とする思いです。
自民党の総裁選、個人的には野田さんが最も常識的かなとも思いましたが、いずれにしても私たちのあずかり知らぬところで国の行方が決められようとしています。
忸怩たる思いです。

by 伊閣蝶 (2021-09-26 23:05) 

U3

 時間が取れたので改めてじっくりと読ませて頂きました。
 ハリウッドのレッドパージについては、NHKの番組(たしか『映像の世紀』だったと思います)で見た記憶があるだけで、あまり知りませんでした。
 良質な記事で、考えさせられることが多かったと思います。
 私の不勉強で恥ずかしいことなのですが、導入部の『啻』が読めなかったので調べました。
 教えられたこと多々あり、感謝いたします。
by U3 (2021-10-03 14:30) 

伊閣蝶

U3さん、こんにちは。
つたない記事をお目通しいただきありがとうございました。
ハリウッドのレッドパージについてNHKの映像の世紀でも取り上げられていましたか。
確か、ケネディ大統領暗殺の複数犯の可能性についても、NHKでは取り上げていましたね。
民放ではなかなかできないことですから本当に貴重だと思います。
「啻に(ただに)」、すみません、確かにあまり使わない言葉だと思います。
以前に読んだ本などの影響が私の中にもかなり残っているようです。
これからもよろしくお願い申し上げます。
by 伊閣蝶 (2021-10-05 12:10) 

U3

 三度目の訪問となります。私ことですが記事の更新をしました。
 今までの記事とは異なり、ネット(特にブログなどのSNS)犯罪について、SS-BLOGで展開された実例を挙げて、記事にしました。この犯罪は誰でも陥りやすい落し穴だと思われますので敢えて記事にしました。長文ですが、もし時間があるのであれば、読んで頂ければと思います。
by U3 (2021-10-09 12:13) 

伊閣蝶

U3さん、こんにちは。
ご案内ありがとうございます。
後ほどゆっくり拝読させていただきます。
by 伊閣蝶 (2021-10-10 12:04) 

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