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菅原文太さんが亡くなりました [映画]

雨のどんよりとしたお天気となりました。
予報では明日から晴れそうですが、かなりの冷え込みとなるようです。

俳優の菅原文太さんが亡くなりました。
享年81歳。


先日の高倉健さんに続き、東映の任侠・やくざ路線映画の一時代を築き上げた名優の訃報、何とも残念でなりません。
菅原さんは、テレビにも積極的に出演し、様々な社会活動も実践しておられたので、殊に晩年は、その柔らかな表情と優しい語り口が印象に残っております。

代表作はなんといっても「仁義なき戦い」シリーズでしょうけれども、私は、松竹時代の木下恵介監督の映画「死闘の伝説」の悪魔的な演技が印象に残っています。それまでの松竹では考えられないほどの個性でした。
東映作品での迫力と気合に満ちた演技の大元は、もしかするとこうした松竹時代の悪役に端を発しているのではないか、とも思ったくらいです。

とはいいつつも「仁義なき戦い」、やはり一時代を築き上げた一大クロニクルだったと思います。
劇場で観た時の衝撃が忘れられず、ビデオ化された折には、初期の五部作をまとめて借りてきて、続けざまに一気に観たものです。

何度も繰り返し観ましたから、細かな部分まで結構覚えていて、広能が土居を射殺する場面の戦きや、「広島死闘篇」で、かくまわれていた時森のアパートのドアの隙間から差し入れた封筒が中に引きこまれた瞬間に銃撃するシーン(前田吟が好演)など、今でも眼交に浮かびます。
松方弘樹や梅宮辰夫などが、シリーズ中に別の役柄で出ているなど苦笑を禁じ得ない部分もありましたが、最後まで緊張感を失わず貫徹した完成度はすごいものがありました。
ただし、第五部「完結編」は、ある事情から笠原和夫が脚本を降り、それゆえに統一を欠く結果となってしまったのは残念です。

高倉健さんとの共演作の「神戸国際ギャング」もすごい映画でしたね。お二人の弾けぶりは徹底していて、実にスカッとしました。


お二人が出演していた映画の中で、特に印象深かったのは1969年の「日本暗殺秘録」です。


血盟団事件を中心としたオムニバスで、高倉健さんは「相沢三郎中佐事件」、菅原文太さんは「安田善次郎暗殺事件」で、それぞれ、相沢三郎と朝日平吾を演じていました。
出演時間そのものは短かったのですが、何れも極めて強烈なシーンとして記憶に残っています。
この映画では、血盟団事件における小沼正を演じた千葉真一さんが主演(京都市民映画祭・演技賞を受賞)であり、千葉さんの映画俳優としての大きな飛躍につながることになりました。
暗殺・テロルを、その実行者の側に立って描いていたことから、当時、公開後もわずかな期間で上映打ち切りとなり、長らくお蔵入りになっていたいわくつきの作品です。
もちろん、ビデオ化も見送られていたのですが、2011年にDVD化され、今ではレンタルビデオでも観られるようになりました。
脚本の笠原和夫氏は、(「仁義なき戦い」でもそうでしたが)非常に綿密な調査と考証に基づく緻密な物語を構築していて、こうした無法な行動に至らざるを得なかった人々の想いに寄り添う世界を描いています。
2.26事件で銃殺される首謀者たち一人ひとりに、それぞれ「天皇陛下万歳」とか「大日本帝国万歳」「昭和維新万歳」などと叫ばせ、頭部に銃弾を撃ち込む描写を執拗に描いているところも、オムニバスの一つのエピソードであるのにもかかわらず非常に異様で印象に残りました(安藤輝三大尉が「秩父宮殿下万歳!」と叫んだのも、当時の秩父宮の思想と安藤大尉との交流に鑑みればなるほどと思われます)。

この映画が公開された1969年といえば、70年安保闘争などで学生運動が高揚していた時期。東大安田講堂攻防戦などが繰り広げられ、翌年には三島事件が勃発。
左右両陣営による反体制運動が世の中を騒がせていた頃でありました。
そうした時勢に合わせて、この映画を世に問うた意義は決して小さなものではなかった。
国家権力が一般の民衆の側に立つことなどあり得ないという理(ことわり)に、いわば背水の陣を敷いて力ずくで抗った人々に対するシンパシーが、この映画には横溢しています。
鶴田浩二演ずる磯部朝一(元陸軍一等主計)が、お前たちの想いはよくわかったからとにかくいったん兵を引けと説得にかかった山下奉文少将などの軍首脳部に対し、「軍首脳がこうして私たちの話を聞いてくれるのは、私たちが兵を率いているからです」と反駁するシーンは、権力というものの在り様を如実に表したものではないでしょうか。

この映画はなかなかの力作であり、メインテーマである血盟団事件はもとより「ギロチン社事件」なども側側と心情に訴えかけるものがありました。
しかし、問答無用で相手の生命を奪う暗殺・テロルという手段そのものには、私はどうしても同調することはできません。
人間という生き物が社会性を持つ所以は、己とは対峙する立場にある相手方といえども、お互いを理解しあうための手段を有するが故ではないかと思うからです。
「まずは力を以て相手を叩き潰さなければ、こちらの言い分は通らない」などと、戦争を肯定する人々は主張しますが、そうした思想は殺し合いの無限連鎖を呼ぶだけなのではないでしょうか(況や、イスラム原理主義を掲げる連中などによる無差別テロには、一片の意義も必然性も感じません)。
さらに問題なのは、こうした行為が、彼らの憎んだところであろう権力によって都合よく利用されてしまうことです。
相沢三郎も2.26事件の決起将校も、軍法会議の決定を受けて銃殺刑に処せられましたが、血盟団事件の容疑者たちは無期懲役刑となり、1940年の「皇紀2600年」祝賀に基づく恩赦で釈放されました。
ギロチン社事件の古田大次郎が、1925年9月10日に出された死刑判決のあと、同年10月15日という極めて短期間に刑を執行されていることとは際立った違いがあります。
時代背景や彼らの主張の違いなどが大きな要素になったのではありましょうが、血盟団事件の四元義隆は近衛文麿の書生や鈴木貫太郎首相秘書官などを務め、戦後は政界の黒幕として中曽根氏や細川氏など歴代の総理の政策などに関与し「影の指南役」などといわれましたし、團琢磨を射殺した菱沼五郎は釈放後に名前を変えて茨城県議会議員に当選、同県の県議会議長まで登り詰めました。
小沼正に射殺された井上準之助蔵相を始め、血盟団が狙った相手方は、ロンドン海軍軍縮条約締結など戦争の不拡大を進めていたことなどを考え合わせると、当時の国家権力や軍部の目指す方向との奇妙な符合が見て取れるようにも思われます。

話は大きくそれてしまい恐縮ですが、流れ作業的にプログラムピクチャーを生産していた東映にしては、異例の力作であることに間違いはなく、一見の価値はあるものと思料します。
若き日の高倉健さんや菅原文太さんといった東映の看板俳優の充実した演技も見ものです。

さて、先日、沖縄県知事選で勝利した翁長さんの応援演説に駆け付けた菅原さんの第一声は「政治の役割は二つ。国民を飢えさせないことと絶対に戦争をしないこと」でした。
今から思えば、相当に体調も悪化されていた頃ではなかったかと思われ、それでも平和を希求する想いを体現すべく、病身にムチ打って行動なさったのでしょう。
50歳の頃、在日朝鮮・韓国人のための老人ホーム設立に奔走なさったとのことで、「日本暗殺秘録」の役柄では、貧民救済のための宿泊施設(労働ホテル)建設資金出資を安田善次郎(安田財閥首領)に要求し、「自分で建てたらよかろう」と拒絶されたことから斬殺してしまう朝日平吾を演じましたが、現実にはご自身でそれを行動に移されたわけですね。
東映映画の主要な出演作から、なんとなく血腥い印象を持ってしまいがちですが、平和を希求し、自然保護を訴え、それを実際の行動に反映させた高潔なお人柄だったのだなと、今更ながらに尊敬の念を禁じえません。
そうした活動に注目した政界から、政治家への慫慂もあったようですが、先に書いたような選挙応援はしたものの、政界進出への道を選ぶことはありませんでした。
最後のドラマ出演となった「白旗の少女」での安盛おじいさん役は、戦争反対と、それに呼応する沖縄県米軍基地闘争への想いが込められていて、これも強く印象に残っています。

私たちよりも上の世代にとっての「菅原文太」は、ギラギラとした情念を体中に漲らせた迫力満点のアウトローでしたが、今の若い人たちがこの名前を聞いて想起するのは、「千と千尋の神隠し」での釜爺や「ゲド戦記」のハイタカ、「おおかみこどもの雨と雪」の韮崎などといった、優しさと深みを持った声優としてのそれなのだそうです。
訃報を報ずるテレビの中継を見ながら、何とも言えない感慨にふけりました。

心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

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ぼんぼちぼちぼち

健さんに続いて旅立たれてしまいやしたね。
あっしは映画「太陽を盗んだ男」で印象深いでやす(◎o◎)
by ぼんぼちぼちぼち (2014-12-02 17:48) 

伊閣蝶

ぼんぼちぼちぼちさん、おはようございます。
東映の一時期を築いたお二人の相次ぐ訃報、本当にショックです。
「太陽を盗んだ男」はすごい映画でしたね。
導入から中盤まで、正に固唾をのむ想いで観たことを思い出します。
by 伊閣蝶 (2014-12-03 07:13) 

tochimochi

立て続けに巨星落つの印象ですね。
この頃の邦画はほとんど見ていなかった私ですが「日本暗殺秘録」はぜひ見てみたいと思いました。
70年安保闘争、三島事件などもいろいろな思いがあります。
文太さんの後年の活動を知るにつけ、惜念の想いに耐えません。

by tochimochi (2014-12-03 08:58) 

夏炉冬扇

葬儀が大宰府天満宮だそうですね。
by 夏炉冬扇 (2014-12-03 17:37) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
本当にそうですね。高倉さんに続き菅原さんまで。誠に残念でなりません。
「日本暗殺秘録」、レンタルでも出ていますから、機会がございましたら是非ともご覧下さい。
70年の前後、私は中学生でしたが、今でも当時の様々な事件のことを生々しく思い出します。
激動の時代だったのかもしれません。

by 伊閣蝶 (2014-12-03 23:26) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
晩年は福岡市に居住されていたとのことで、どのようなお考えがあって移転されたのかも、ちょっと興味がわいたところでした。
by 伊閣蝶 (2014-12-03 23:28) 

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