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川柳の中八と七五調 [日記]

砧今日は寒さもようやく和らぎ、昼間もポカポカと暖かな陽気となりました。
予報では次の寒波が明日の晩辺りからやってくるそうで、年末年始は大荒れだそうですから、何とも不気味な限りではありますが。

私の川柳の会の主宰であり師匠でもあるただの蚤助さんのブログ「けやぐの広場」は、川柳・映画・音楽に対する深い愛情をひしひしと感じられるエッセイが満載されていますが、題材を選択する炯眼と広くて深い知識にはいつもため息をつくとともに敬服してしまいます。

先日、そのブログの次の記事に、思わず唸ってしまったので、ご紹介します。

#319: 川柳あれこれ・その3

短歌や俳句はもちろん、謡曲や浄瑠璃、文語文の定型詩や都々逸に至るまで、日本の代表的な詩歌は七五調が一つの「型」であることは、良くご存じのことと思います。

しかし、この蚤助さんの記事にもあるように、「赤信号みんなで渡れば怖くない」といった感じで、ついつい中八(川柳の真ん中の七文字を八にしてしまう)という掟破りをしでかしてしまうことが結構あります。

しかも、八と五という文字数は、以前、「あゝ人生に涙あり」を別の歌詞で歌うにも書いたとおり、日本の歌謡曲においては定番の型となっていますから、その文字数で読んでも別にリズムが悪いわけではないので、中八の誘惑に勝つのはなかなか骨の折れることでもあるのです。

その辺りの事情について、私の思うところを蚤助さんの記事のコメントに書きましたが、この傾向は、七五調で書かれた詞においてもやはり引き継がれてしまうような気がしています。
例えば、滝廉太郎の「荒城の月」。
土井晩翠は確かに文語文による七五調の詞を作りましたが、これは曲としては四分の四拍子で書かれており、従って合唱にしてもきちんとそろうわけですね。
コメントで触れた三木稔先生の「レクイエム」は、そのあたりの定型的なものを嫌って、敢えて日本の韻律である七五調を生かした曲を含めていますが、コメントでも書きましたように、この韻律に溶け込むまでは結構難儀しました。
いったんこのリズムをつかめたあとは、「なぜあんなに苦労したんだろう」と思ったりもしたものですが、それほどまでに我々の音楽的な感覚は西洋化されているのではないかと痛感しています。

私も自分で詩を作ったりするときに、敢えて長歌形式を使うこともあるのですが(一例)、これはこれで結構興味深いものでもあります。
作っているうちに、自然にそうした律動が刻まれていく、という感じでしょうか。

しかし、ずっと七五調で書いていると、途中でその韻律を壊してしまいたくなる衝動に駆られることもあったりします。
それをうまく扱うことは大変に難しくとても素人の手の出るところではありませんから、試すようなことはしませんが。

ただ、謡曲や浄瑠璃においても、意識的に七五調を壊す例はかなりあります。
そして、それは、それこそハッとさせられるほど強烈な印象を残しますから、こうした戯曲作者たちは周到な計算のもとに、それを要のところで用いるのでしょうね。
例えば世阿弥の「砧」。
地次第「衣に落つる松の聲。衣に落ちて松の聲夜寒(よさむ)を風や知らすらん。シテ「音信(おとづれ)の。稀なる中の秋風に。

と七五調で進んで行くうちに、
シテ「面白のをりからや。頃しも秋の夕つ方。地「牡鹿の聲も心凄く。

と、七五調が崩れ、突然六文字が入ります。
さらに先に行くと、
地「蘇武が旅寝は北の國。これは東の空なれば。西より来る秋の風の。吹き送れと間遠(まどお)の衣擣たうよ(ころもうとうよ)。

と、まるで自由律のように発展していきます。

読んでいる方はその都度、引っかかりを感じて立ち止まり、それゆえに余韻がさらに広がっていく。
実に絶妙な呼吸ではないかと思います。

しかし、繰り返しになりますが、世阿弥のような天才だからなせる技なのであり、非才の凡夫が軽々に手出しできるようなものではありません。
下手にまねようものなら、それこそ「型なし」になってしまいますから(^_^;
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ただの蚤助

おそれ入ります。

「575にしておきましたパスワード」(蚤助)


by ただの蚤助 (2010-12-29 23:24) 

伊閣蝶

蚤助さん、コメントありがとうございました。
大変面白い視点の記事でしたので、思わず引用させて頂いた次第です。
ご報告が事後になったこと、お許し下さい。

「五七五を桐の御紋と呼ぶ親父」
by 伊閣蝶 (2010-12-30 00:16) 

hirochiki

おはようございます。
伊閣蝶さんは、川柳も詠まれるとはとても多才でいらっしゃいますね!
川柳や俳句を拝見していると、
あの短い文章の中にもしっかりと詠み手の思いがこめられていて、
いつもすごいなあと感心するばかりです。
by hirochiki (2010-12-30 06:26) 

伊閣蝶

hirodhikiさん、おはようございます。
コメント、ありがとうございます。
川柳も含め、発句は今まで手出しをしたことがなく、ずっと敬遠していたのですが、昨年の秋に、苦手な分野ゆえ挑戦してみようと始めたところです。
それゆえ、全くの低レベルで、自分で言うのもなんですが箸にも棒にもかからない駄作ばかりを出している次第で(^_^;
それでも、場数を踏めばそれなりに形ができてくるのかなと思ってはいるのですが、精進精進ですね。
仰る通り、たった17文字の中に詠み手の想いを込めるわけですから、本当にすごい表現手法だなと感嘆します。
すばらしい作品を読むだけでも満たされた気持ちにさせられますね。

by 伊閣蝶 (2010-12-30 09:50) 

Cecilia

私も中八にしてしまいそうです。

俳句にも短歌にも興味がありますが、なかなか手が出せません。
夫が俳句をやっているので身近ではありますが。
それにしても世阿弥まで読まれるのですか!

by Cecilia (2010-12-30 22:36) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんばんは。
ご主人、俳句もなさるのですか!
身近にそうした方がおられると敷居は低いのではないかと思います。
機会がございましたら、チャレンジなさって下さい。

能は以前から大変興味があって、舞台ももちろんですが、謡曲を読むのも好きでした。
世阿弥は謡曲のほか「風姿花伝」のような珠玉の本もあって、何かに躓いたときに読むと、いろいろなことを気づかされます。
一時は座右の書にしていたこともありました。
by 伊閣蝶 (2010-12-30 23:58) 

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