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リリングとN響と国立音大によるベートーベンの第9番 [音楽]

厳しい寒さも、今日になって少しは緩んできたような感じですね。

昨晩、久しぶりに、「年末の」ベートーベン交響曲第9番の演奏を聴きにいってきました。

ヘルムート・リリングオケはN響、指揮はなんと、ヘルムート・リリングです!

ヘルムート・リリングといえば、私にとってはバッハの全曲演奏を初めてレコード化した極めつけのバッハ指揮者という印象だったので、彼が第9を演奏すると聞き、俄然大いなる興味に胸が躍ったのでした。

とはいっても、リリングのレパートリーは啻にバロックのみならず、「ロッシーニのためのミサ」の掘り起こしと実演・レコーディングを唯一成し遂げたことからもわかるように、大変多岐にわたっており、現代音楽の委嘱や演奏も数多く行っています。

その意味では意外だなどと申し上げてはならないのですが、いかんせん先入観念というものは抜きがたく存在するもので、私は80年代に精力的に彼が取り組んでいたバッハのマタイやヨハネの演奏の印象があまりに強過ぎるのです。
受難曲は、もともとプロテスタントの典礼と不可分な音楽であり、基本的にはパーム・サンディに歌われたわけで、そのときどきの状況によっては曲の配置から内容まで相当程度の変更が行われるような性格のものであったと思料します。
例えばバッハのマタイ受難曲は、現在1736年版が決定稿として演奏されますが、リリングはこれ以外の版での演奏に取り組む試みをなしており、私はその録音も所持しております。
第一部終曲のコラールや第二部の冒頭が異なっているなど、それはそれなりに大変興味深く聴いたものです。
もちろん、ヨハネでも同じような試みをなしていました。

というわけで、どうしても意外の感を抱かざるを得ず、それゆえに「これは聴いておきたい」と思ったわけなのでした。

演奏会場はサントリーホール。
カラヤン広場は華麗なイルミネーションに彩られています。

この時期の第9でオケはN響だから、恐らく満席なんだろうなと思っていましたが、多少の空席もあって、この点は意外でした。

第一部は、バッハのカンタータ第29番「Wir danken dir, Gott, wir danken dir(神よ、われ汝に感謝す)」から第1曲と第2曲。
リリングの十八番バッハの曲なのに、第1曲のシンフォニアは、どうもオケのミスタッチが多く、アンサンブルに不満が残ります。
しかし、合唱が加わる第2曲は、アンサンブルの整った合唱の見事な演奏で、これは聴きごたえがありましたね。
さすがはリリング、と快哉を叫びたい気分でした。

さて、15分の休憩をはさんで、いよいよ本日のメインプログラムです。

私が第9で一番好きなのは、あの第1楽章の冒頭、弱音の弦の刻み上に断片的な主題が提示され、やがて壮大なクレッシェンドに後にトゥッティで管弦楽が咆哮するところです。
ここは誰でも思い入れたっぷりに演奏をしたくなるところですが、リリングは極めて明晰に弦の刻みを演奏させてインテンポで進めていきました。
77歳という高齢ゆえに背中が曲がって、あのすっきりとした立ち姿は見る影もありませんが、膝と腰と両手を使って大きく屈伸しながらこのクレッシェンドをコントロールする姿は大変印象的です。
N響にとって、第9を演奏する機会はそれこそとてつもなく多いことだろうと思われますが、その実績を大いに感じさせるほど、すばらしいアンサンブルを展開し、ほとんどミスらしいミスも見当たらないほど精緻な響きを作っていました。
正直に申し上げて、N響の演奏には結構ムラがあることが多いと私は思っていたので、「あっ、今日は大当たりだ!」と生意気千万なことを感じてしまいました。

そんなわけで、第4楽章のバリトン独唱までは、リリングの、楷書のように生真面目なバトン裁きのもとで緻密な演奏を繰り広げるN響の響きに酔っていたのですが、このバリトン独唱でガクっと興をそがれてしまいました。
そのほかの独唱陣もどうにもノリが悪く、もしかしてリハーサルをゲネプロ程度で臨んでいたのではないかと邪推したくなるような演奏です。

しかし、合唱の部分に移ると、そうしたフラストレーションは一気に吹っ飛んでしまいました。

合唱団のメンバーは国立音楽大学ですが、これほどすばらしい第9の合唱を実演で聴いたのは初めてです。

私も合唱を趣味としているので、第9は何度か舞台で歌った経験がありますけれども、それらは押し並べて寄せ集めのメンバーによるものが多く、感動しているのは歌っている本人たちだけで観客はしらけているだろうな、という体のものがほとんどでした。

そんな第9ばかりを実演で聴かされて(自分でも歌いましたが)きたので、正直に申し上げて、第9はうんざり、というのが本音に近いところでしたが、昨晩の合唱は全く別格のものです。
指揮をしているリリングが合唱と一緒に歌詞を口ずさんでいるさまは、誠に「歓喜」に満ちたもので、その「歓喜」はそのまま観客席にいる私たちにも鋭く伝播してくるかのようでした。
心が泡立ち、全身に震えが来るほどの感動を、この曲で久しぶりに感じ、陶酔してしまったのです。

ああ、この合唱を聴けただけでも良かった、大満足だった、と心の底から思いました。

第9を歌ったことがある人ならばお分かりかと思いますが、あの合唱は、声楽を楽器の一部として考えて作ったのではないかと思われせるほど過酷なものです。
その合唱を、楽器の一部としての精緻さを保ちつつ肉声としての温もりをも放つ響きで展開した国立音大のメンバーに大拍手です。

舞台挨拶で登壇した合唱指揮のお二人を見て、私は思わず、あ!と叫びました。
そのお一人が、永井宏さんだったからです。
私は、1997年・98年・99年の三年間にわたって、バッハのマタイ受難曲の全曲演奏に参加してきましたが、その時の指揮者が、誰あろう永井宏さんでした。
そのバッハにかける情熱と、それゆえの厳しい指導に感動しつつ舞台に立ったのですが、ああ、永井さんがこの合唱を指導されたのか、であればこのすばらしい演奏も当然の結果だろう、そう納得するとともに、何だか心の底から嬉しくなって、大きな感動のもとにサントリーホールを後にしたのです。

それにつけても、あの独唱陣はいただけませんね。
何も海外からわざわざ呼んでこなくても、国内に実力者はたくさんいるのだし、そうした人たちときちんとしたリハーサルを重ねた方が、何百倍も感動的な舞台となることでしょうに。
海外アーティストのネームバリューを以て、演奏会の盛会を図ろうだなどと馬鹿げたことを考えるプロデューサーが、どれほど音楽の本質からは遠い存在であることか、改めて痛感した次第です。
尤もそれにつられてくる観客もたくさんいることでしょう。
久しぶりの感動的な第9でありましたが、フライングのブラボーや拍手によって、かなりの部分げんなりとさせられましたから。
こうした実演でいつも思うことですが、なぜ、曲が終わると間髪をいれずに拍手やブラボーを発するのでしょうね。
もう少し感動の余韻を味わってからでも良いのではないでしょうか。
それに、この時期に第9を聴きに来ている人たちであれば、誰だって第9の曲の終わりの瞬間は知っていますよ。
何もあなたがわざわざ教えてくれなくたって\(^o^)/
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コメント 7

ただの蚤助

フライングについては全く同感、異議なし、ということで一句献上…

「音符消え静寂次に拍手起き」(蚤助)
by ただの蚤助 (2010-12-28 15:22) 

伊閣蝶

蚤助さん、こんばんは。
すばらしい句をありがとうございます。
本当に、こうした態度で観客も演奏会に臨みたいところですね。
あまり知られていない曲や初演の曲の演奏会の時には、期せずしてそのようになりますが、これはまた別の要素によるものでしょうか。
by 伊閣蝶 (2010-12-28 18:02) 

Cecilia

リリングのバッハ全曲シリーズはNAXOS MUSIC LIBRARYでずいぶんたくさん聴かせてもらっています。
BWV29も聴きました。(大好きな曲です。)
専門家によればベートーヴェンもバッハからたくさん学んでいるということです。
リリングが「第9」をどのように解釈しているのかも気になりますね。
第9の合唱に参加したことはないのですが、一生に一度は経験してみたいと思っています。

ソリストが国内の人であってもネームバリューばかりで、充分なリハがなかったために悲惨だったという話も聞きます。
アマチュアが一生懸命練習を重ねて素晴らしいハーモニーを作り上げているのにプロのソリストはそれを壊すような声の出し方をしていることがある・・・という内容でした。
by Cecilia (2010-12-28 22:04) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんばんは。
ネームバリューばかりでリハも十分に行わないような手合いが、観客に何かを伝えようと真摯に演奏に取り組んでいるとは考えがたいところですね。
舞台に立つということは、そこに集まってくれた観客に、「これだけは伝えたい」という想いを伝える努力を精一杯することではないか、と私は思います。
Ceciliaさんの仰る例は、その一番大切な部分をないがしろにしている実例ということになるのでしょうか。
そういう人たちのことをプロと呼ぶべきなのか、私としては理解に苦しみますね。
by 伊閣蝶 (2010-12-29 00:39) 

hirochiki

素晴らしいコンサートを堪能されたようで、何よりです^^
私も、中学時代に合唱部に所属しておりました♪
第九は、一度家族で聞きに行きたいと思っております。
それにしても、77歳というご高齢で指揮をされるなんて、大変でしょうねぇ。
伊閣蝶さんも、学生時代に合唱部に所属されたご経験はありますでしょうか。
by hirochiki (2010-12-29 05:52) 

hirochiki

あっ、それから、200記事おめでとうございます☆
by hirochiki (2010-12-29 05:53) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
そうでした。200記事になりました。
お祝いのお言葉、ありがとうございます(*^_^*)
ポツリポツリと書いてきた結果ですが、チリも積もれば、というところでしょうか。
でも、こうして温かなコメントを頂けることが続けられた大きなモチベーションにつながっているのだろうなと改めて実感します。
ありがとうございます。

ところで、hirochikiさんは中学校時代に合唱部に所属しておられたとのこと。
いやいや何だか奇遇で嬉しくなりました(*^o^*)
といいつつ、私は中学・高校時代は吹奏楽部で、合唱は就職してから職場の合唱団に入部したのがきっかけです。
その後、様々な合唱団で活動し、今では合唱の方がずっと長くなってしまいましたが(^_^;

指揮者というのは、かなりの高齢でも耳が良ければ務まります。
N響の名誉指揮者のブロムシュテットさんも83歳で立派な演奏を聴かせてくれますし、ロンドン響の首席指揮者であるコリン・ディビスさんも確か同じ年齢だと思います。
N響に客演したネヴィル・マリナーさんはもう86歳です。
先日、記事でご紹介したヴァントさんは89歳にして、あのような超絶的名演を残しました。
リリングさんも喜寿をお迎えではありますが、ますます矍鑠として素晴らしい演奏を聴かせてほしいな、と願うところですね。
by 伊閣蝶 (2010-12-29 12:09) 

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