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信時潔の交声曲(カンタータ)「海道東征」 [音楽]

先日、本名徹次指揮オーケストラ・ニッポニカによる林光:交響曲ト調他の記事を書きましたが、引き続き、このメンバーによる、信時潔の交声曲(カンタータ)「海道東征」のCDについて触れさせていただきます。

「海道東征」は、1940年の、いわゆる「皇紀2600年」祝賀のために作られた交声曲(カンタータ)で、北原白秋が詞を書き、信時潔がそれに基づいて作曲したものです。
日本神話に基づき、天地開闢・国産み・天孫降臨から、神武が畿内に向かう(東征)までの事柄を、白秋が壮麗な擬古文で書き下ろしています。
白秋の構想はかなり大きなもので、この「海道東征」を第一部とする三部構成にする予定だったとのこと。
この詞を書いていた頃の白秋は、糖尿病および腎臓病の合併症から引き起こされた眼底出血によりほとんど視力を失っていたそうで、それと軌を一にして国家主義的な傾向に傾いていくようになります(ヒトラーユーゲントの来日に際して「万歳ヒットラー・ユーゲント」などという詞を作ったりした)。
あの、市井の人々の心に寄り添うような優しく抒情的な詩を書いていた白秋が何故にそのような方向に行ったのか、詳しくはわかりませんが、やはり「赤い鳥」の鈴木三重吉と袂を分かったことなどにも、その原因の一端はあったのでしょうか。
白秋は1942年に亡くなったので、その後の日本の敗戦や価値観の大逆転を見ることはなかったわけですが、それに伴う葛藤を経験せずに済んだのは、ご本人にとっては良かったのかもしれません。

さて、この曲は文字通り信時潔の代表作と呼ぶべき規模と構成力を有する大曲です。
戦時中は盛んに演奏されたようで、レコードにもなり(SPレコードで15枚組だったそうです)、多くの人々に愛聴されたとのことですが、演奏時間に50分近くも要する大曲であることを思えば、感嘆せざるをえません。

信時潔は、父親はプロテスタントの牧師である吉岡弘毅であり、養父が同じくキリスト者である信時義政だったことから、幼少より賛美歌に親しみ、それが彼の音楽的志向と才能をはぐくんできました。
東京音楽学校でチェロ・作曲・指揮法・音楽理論などを学んだ後、ドイツに留学しゲオルグ・シューマンの門下となって、当時流行のシュレーカーの表現主義的音楽などを聴きまくった挙句、シェーンベルクの楽譜などもたくさん買いあさったといいます。
そんなわけで、レーガーやシェーンベルクにまで精通していたそうですが、この「海道東征」を聴いても分かる通り、無調性や12音などといった前衛的手法は全く用いていません。
作曲に対する信時の信念は、自身の言葉によれば以下のようなものであったそうです。
「音楽は野の花の如く、衣裳をまとわずに、自然に、素直に、偽りのないことが中心となり、しかも健康さを保たなければならない。たとえその外形がいかに単純素朴であっても、音楽に心が開いているものであれば、誰の心にもいやみなく触れることができるものである。日本の作曲家で刺戟的な和声やオーケストレーション等の外形の新しさを真似たものは、西洋作曲家のような必然性がない故に、それの上を行くことはできない。自分は外形の新しさを、それがどうしても必要とするとき以外は用いない。外形はそれがいかに古い手法であってもよいと思う。」 (出典:オーケストラ・ニッポニカのサイト

この「海道東征」は、正にこの信時の言葉通りの曲といえましょう。
外連味の一切ない正攻法の音楽であり、白秋の詞が格調高い和声に彩られ、すうっと耳に入り込んできます。
二管編成の管弦楽は金管を中心として声楽を大きく包み込むような形で鳴り響き、戦時下における戦闘意欲を鼓舞するような曲では決してなく、むしろ明るい未来を目指そう的なおおらかさを持った作品といえるのではないでしょうか。

しかし、この曲の背景が「皇紀2600年奉祝」などというものに取り巻かれてしまったため、戦後における演奏の機会はほとんどありませんでした。
わずかに、初演時の指揮者であった木下保がピアノ伴奏に編曲して演奏したり、黛敏郎氏が「題名のない音楽会」でその一部をとりあげたり、といったところにとどまっていたのです。

それが今回、完全版として演奏され、そのライブ録音がCDされ、ほぼ伝説と化していたこの曲の全貌を私どもも知ることができるようになったわけです。

純粋にカンタータとしての音楽という視点に立てば、これはまぎれもない傑作でありましょう。
白秋の壮麗な詞に応じて、durからmollへmollからdurへと、めくるめく転換する調性が実に自然な響きの中で展開されていきます。
何ら奇をてらうことのない純朴といってもいい和声が、これほど重層的に心に響き渡ってくるのは、信時の音楽が、なによりも日本古来の韻律に寄り添って作られているからにほかなりません。

ところで作曲家信時潔の名が最も知られている曲は、恐らく「海ゆかば」でしょう(NHKからの委嘱)。
大伴家持の長歌の一節を歌詞としたこの歌は、「第二の国歌」ともいわれ、戦争中は「君が代」以上に各地で歌われていたともいわれます。
 荘重な調べの歌曲は、昭和初期の軽薄な世相を正し、非常時態勢下の国民の自覚を高める意図があったが、太平洋戦争末期には玉砕や戦死者のニュースのテーマ音楽に使われ、弔歌の色合いを濃くしていった。(小学館「日本大百科事典」より)

この歌は、さらに学徒出陣の際にも用いられたこともあり、ぬぐい難い暗いイメージがついてしまいました。戦後長らく封印状態が続き、信時潔の歌曲集や合唱曲集にも掲載されていなかったそうです。
一つの音楽作品としての観点に立てば、平易でありながらも極めて高い完成度をもった曲だと思われますが、この歌と戦争(殊に戦死者)との関係を思えば音楽性のみで判断することはできません。
大伴家の家訓(仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て)を詔の中で取り上げてもらったことに感激した家持の、どちらかといえば私的な喜びを表す長歌をもとに、全国民は天皇の足下で後ろを振り返ることなく死のう、と敷衍したうえ、実際に戦死した方の遺族などに対して、天皇のための名誉の戦死だから受け入れろ、と言い募るような歌。
信時は、そのように用いられるような歌を作ったことを恥じ、そのため戦後の創作活動を控えたそうですが、このCDの解説をなさった片山杜秀氏の「(信時潔や山田耕筰は)いざというときは芸術と国家は一体になるべきだという感情を後年まで素直に持ち続けられたに違いないのだから」という分析が妥当であるとするのであれば、信時にとっての音楽とは、畢竟国家に奉仕すべきべきもの、という存在だったのでしょうか。

しかし、信時の作った戦争関連の歌はこの一曲のみで、数多の依頼があったのにもかかわらずほかの軍歌・軍国歌謡の類は一切作りませんでした。

いずれにしても、教育者でもあった信時が、自身の作った歌によって学生たち若者を戦場に送りだしてしまうことになりそれに対抗することもできなかった事実を前にして、相当な苦しみを抱いていたであろうことは想像できるような気がします。
「国民をして皇国に生まれた光栄を自覚せしめ、勇気を振るい起こし、協力団結の精神を培い、耐乏の意志を強め、戦いのために、戦時産業のために、不撓不屈の気力を養うことが、音楽に課せられた重要な任務である。平時的な音楽は葬られるのが当然である(『音楽之友』1943年7月号より)」と宣い、軍服まがいを着て日本刀を下げ、百曲を超える軍歌・軍国歌謡を作り、演奏家協会音楽挺身隊を結成してその隊長に就任したりした挙句、敗戦後にその戦争鼓舞への加担責任を問われると、「戦争中は日本人なら誰一人として日本の勝利を願わなかったものはいなかった。自分は当然であり、天皇陛下を敬愛すること人一倍であった。しかし、日本は敗れた。しかし、天皇はその責任をとらなかったんだ。だから、私もその責任などとる必要はないんだ」と開き直った山田耕筰とはだいぶ違う心境であったことでしょう。
因みに、この「天皇が責任を取らなかったのだから自分にも責任はない」というフレーズ、どこかで聞いたことがあるな、と思ったら、ロッキード事件で有名な大物右翼の児玉誉士夫氏も同様の発言をしていましたね。

話がずれてしまいましたが、「海道東征」は大変聴きごたえのある立派な作品であることは疑いようのない事実であると思います。
「東夷」に属する自分としては「東征」という概念自体、納得のいくものではありませんし、この曲が作られた背景にも抵抗はありますが、このようにきちんとした演奏がCDで残されたことは非常に有意義な成果でありましょう。

本名徹次さんとオーケストラ・ニッポニカのさらなるご活躍を心より祈念するものです。

そうそう、カップリングされている早坂文雄の管絃樂曲「讃頌祝典之樂」も素晴らしい曲でした。
芥川也寸志の赤穂浪士のテーマは、うーん、ちょっとライブ故のキズが目立ちますかね。あの鞭打ちの音が空振りっぽくなってしまう箇所がたびたびあって、その点が残念でした。
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Cecilia

「海道東征」聴きたくなりました。

「海ゆかば」を以前は毛嫌いしていましたが、聴けば聴くほど(曲に関して)一体どこがいけないのだろうかという疑問が大きくなってきます。
大伴家持の和歌もおっしゃるとおり私的な喜びを歌っていますし、信時潔の曲はまさに《音楽は野の花の如く、衣裳をまとわずに、自然に、素直に、偽りのないことが中心となり・・・》を感じさせてくれるものだと思います。
国民の気持ちを高揚させたりするということに使われなければ素直な気持ちで聴ける(歌える)曲だったと思います。
残念なことにそういう暗い過去を意識せずに聴いたりできないというのが悲しいですね。

山田耕筰の「なんだ空襲」も聴いたことがありますが、こちらはちょっと笑えるものがあります。
by Cecilia (2010-09-05 09:15) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、あはようございます。
nice!とコメントありがとうございました。

「海ゆかば」、仰る通りですね。
戦時体制が緊迫して行く中で、軍や閣僚が公式発言をする際に、何か戦意を高揚させるテーマ音楽のようなものが必要だろう、と信時潔自身も考え、NHKからの委嘱を受けてこの曲を作ったのだそうです。
しかし、この曲がその当初の目的を大きく逸脱し、「天皇のために命を捧げることこそ帝国臣民の喜び」的なところに拡大して行ったことは、信時潔にとって誠に無念なことであったでしょう。
「海道東征」も、作曲の動機を問題視すれば受け入れがたいところもあるのかもしれません。
しかし、そうであったとしても、その当時の背景をきちんと認識した上で、その時代がこうした曲を要求し、それに応えたという事実を知る上でも、この曲はもっと聴かれてしかるべきだろうと思いました。
曲としての完成度も大変高いものだと思われます。

ところで「なんだ空襲」、私も聴いたことがありますが、正気で作ったとしたのであれば、その夜郎自大的な感覚に失笑を禁じ得ませんね(^^;
by 伊閣蝶 (2010-09-05 09:31) 

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