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ミュンシュの「幻想」 [音楽]

昨年の12月19日、シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団による1967年11月14日のシャンゼリゼ劇場ライブが、極上のステレオ録音盤としてAltusレーベルより発売されました。

早速注文して購入し、聴いたのですが、予想を遥かに上回るものすごさです。

ベルリオーズという作曲家は、フランス生まれでパリ音楽院に学んだ生粋のフランス人であったにもかかわらず、なんといいましょうか、いかにもフランス的な洗練や品の良さからはほど遠い、ある意味で畸形的な音楽を書いた人でありました。
従って、その先進性や実験的な部分で注目はされたものの、パリの聴衆の共感や理解を得ることは出来ず、その一生はそうした彼の曲を拒否するパリの聴衆との戦いに明け暮れたともいえるでしょう。
今でも、ベルリオーズの音楽に真の共感や情熱を持って演奏する指揮者はあまりいないように思えます。
その超絶的なオーケストレーションや奇抜な響きに興味を抱き、どこまでそれを音として表現できるか実験的に取り組む人の方が多いのではないでしょうか。

そんな中で、ミュンシュがベルリオーズに対して抱いていた共感は正しく本物であり、それは希有のものであったと私は考えるのです。
考えてみれば、ミュンシュ自身、生粋のフランス人というわけではなく、アルザスのストラスブールという、その時々によってフランス領になったりドイツ領になったり、しかも彼が産まれた頃の言語はドイツ語であったような場所で生を受けたのでした。
つまり、ミュンシュも長ずるに及んでパリ音楽院で学んだものの、パリ的な感覚とは少し距離があったのかもしれません。
もしかすれば、そうした生い立ちが、ベルリオーズへの深い理解という形で現れているのでしょうか(牽強付会な言い方ではありますが)。
ベルリオーズの音楽が非フランス的ではあっても、それは決してドイツ的な音楽ではなかったように、ミュンシュもフランス的な軽妙さや洗練とは距離がありながら、やはりそれはドイツ正統派の表現とは違う。
そんなところにもなにがしかの共通点があるように思われるのです。

それはともかく、この演奏は、ミュンシュのベルリオーズに対する愛情と共感で満ちあふれています。
ボストンではなくパリ管弦楽団が、そのミュンシュの愛情表現に満腔の共感をもってこの演奏を成し遂げていることに、私は深く感動しています。
ベルリオーズはミュンシュによって、パリの人々から真の共感を勝ち取ることができた。
そうも言えるのではないでしょうか。
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朝比奈 千歳

リンク張っていただきありがとうございます。

これは気になりますね。伊閣蝶さんの筆の入れ具合もそそります。
by 朝比奈 千歳 (2012-03-11 22:26) 

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