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劇場版 鬼滅の刃 無限列車編 [映画]

活発化した秋雨前線の影響で、日本列島は大雨の被害に見舞われています。
新型コロナの感染爆発とも相俟って、何とも重苦しい日々が続くこととなりました。

8月13日、「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」のビデオレンタルが開始。
気になっていた映画でもありましたから、早速、借りてきて視聴しました。

夏休みの時期でもありましたから、近所のツタヤの営業が始まる頃に合わせて出向いたのですが、大量の在庫が確保されていたのにも関わらず、既にかなりの本数が貸し出されていました。
因みに、本日、返却に出向くと、一本だけがレンタル可能として残っているような状況で、想像以上の人気のようです。

なお、今回このビデオをレンタルすると、こんな団扇がおまけとしてついてきます。

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「日輪刀診断」ができるとのことなので、早速挑戦。
私の場合は「獣の呼吸」つまり嘴平伊之助で、少しがっかりしてしまいました(汗)

この映画は、興行収入において400億円を超え、観客動員数でも2900万人を超えて、それまで20年以上にわたって首位であった「千と千尋の神隠し」の記録を塗り替えたことでも話題となっています。
新型コロナウィルスの蔓延という、映画館にとっては非常に由々しき環境の中での記録ですから、やはり驚くべきものがありますね。

私は臆病者ですので、そんな状況下、さすがに映画館に足を運ぶ気にはなれませんでした。

しかし、このビデオを観て、これはやはり一度、映画館で観るべきだったなと感じております。
音楽を担当したのは椎名豪さんですが、彼は、楽曲のみならず効果音の使い方や、それの劇場における再生の仕方(スピーカの位置やそのスピーカーで鳴らす楽器の音なども含めて)に至るまで、担当スタッフと綿密に打ち合わせを行ったとのこと。
ライトモチーフのような使い方も随所に見られ、映画館のような映像・音響空間でこれに接したとすれば、相当に興奮したことは間違いないことでしょう。
自宅のテレビでは、残念ながらその片鱗すらもうかがい知ることはできません。

劇場アニメ化するにあたって、入り組んだ背景などもかなり分かりやすく表現することに努めているように感ぜられたので、コミックを読んでいない観客(前提知識を持たない人たち)にも、この物語の感動的な内容はきっと伝わったことでしょう。
以前の記事にも書きましたが、ufotableはこの原作に相当入れ込んで制作しているのだなということが感ぜられ、コミックを読んで、その中で想像をたくましくした場面(鬼との格闘場面など)が、驚くべき精緻さと迫力を以て画面に展開されていく様には驚嘆せずにはおられませんでした。

この作品(コミック)、本編での展開を出来る限りスムーズにものにするため、説明が必要な部分を本編以外の「大正コソコソ話」や少し長めのテキストなどで補完しています。
作者である吾峠呼世晴さんは、作家的な観点からこのコミックを書いており、漫画のみではなくそこに至る背景もきちんと描きたいという想いを大切にしているのではないかと考えます。
その意味では、全てを映像によって表現しなければならないアニメの世界との間での制約がどうしても存在し、その点での不足はあるように感じました。
(これは、手塚治虫さんの「火の鳥」などとも共通するものがあるのかもしれません。「火の鳥」も実写やアニメで何度か映画化されましたが、やはり原作では漫画に付随された丁寧なテキストが非常に重要な位置を占めていて、それを的確に映像表現できなかったこともあり、どれもとても原作には及ばない出来でしたから。)

例えば、魘夢が自らの血をしみこませた切符と縄によって深い眠りに落とし込んだ鬼殺隊のメンバーを覚醒させたのは、禰豆子が爆血によってそれらを燃やしたから、という説明が本編以外で(本編に入らなくてごめんなさいという作者の断りとともに)書かれているのですが、映画の方では、善逸たちに火を放つ、という形での表現にとどまる部分など。
それから、炭治郎の無意識領域の美しさ、コミックを読んで私はきっとウユニ塩湖のような景色なのだろうなと想像しておりましたが、映画の方でも正しくそのような世界で描かれています。
炭治郎の「精神の核」を破壊しようとした結核の青年は、そのあまりの美しさと温かさ、そして、炭治郎の心を映し出したような光の小人の存在に感動し、優しかった自分自身を取り戻すのですが、現実に引き戻される折に、その光の小人の一人をつかんで自分の心の中に移し込む。
ここの下りはコミックを読んでいる中でも感動的な場面でしたが、映画では具体的に表現されていませんでした。

そういった細かな気になる点はありましたが、先にも書きましたように全体としては原作の世界を忠実に描こうとした意欲は伝わってきます。

多くの観客が涙したという杏寿郎の最期。
私は、コミックを読んだときに、あの何とも言えない美しい笑顔に言葉を失いボロ泣きしてしまったので、そこは想いを同じうします(コミックでは、ページをめくった最初のコマがそれでした)。
映画では、その後に静かに逝ってしまう杏寿郎の満足げな表情、さらに彼の訃報を伝える鎹鴉の目に浮かぶ涙が付け加えられ、これにはうならされました。

さて、アニメの世界では、もう一つ「シン・エヴァンゲリオン劇場版(リピート記号)」がやはり大評判となっています。
様々な解釈を生んだ同作の、庵野監督による完結編であり、劇場での上映は終了しましたが、Amazonプライムでの放映が開始されたようですね。

「エヴァ」は多くの視聴者や観客などに大きな影響を与え、ことに漫画家とかアニメーション作家が受けた影響は計り知れないものがあると思います。
私の勝手な解釈ではありますが「鬼滅の刃」でも、それは随所に見られるような気がしており、この「無限列車編」でも、「それを壊すと廃人になる」といわれた精神の核が、使徒の急所である「コア」と似ているように感じました。それを守っている「A.T.フィールド」を切り裂く(破壊する)必要があることも含めて。
もっと大きな視点でいえば、人類補完計画の為に知恵の実と生命の実を取り込んで「神」になろうとする碇ゲンドウは、太陽を克服し永遠の存在を希求した鬼舞辻無惨(自分では果たせず炭治郎に託す)に、それにとりこまれる寸前でそれを阻止することになる碇シンジは炭治郎に、私の中では重なって見えてしまうのです。

などとつらつら述べてきましたが、以前も書きましたように、アニメやコミックは時として非常に深い世界観を表出しております。
そうした世界を創出してきた作者たちに、改めて満腔の敬意を払いたいと思います。

最後に、どうでもいいことではありますが、一点だけ。

テレビでも放映された「那田蜘蛛山編」で、兄鬼に蜘蛛にされかかった善逸に兄鬼が示す懐中時計の秒針の動きがクオーツのそれでした。
いうまでもないことですが、大正時代にクオーツは存在しません。
従って、秒針の動きは機械式時計のそれのように、発条の動きに合わせてチッチッチッチと細かく刻まれるはずです。
大正時代の世情などを相当程度丹念に描いていたのにもかかわらず、この点はかなり迂闊だったのではないかと残念に思いました。
些細な事ではありますが。

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