SSブログ

那須高原での雪崩事故 [山登り]

昨日・今日と、やっとこの時期らしい春めいたお天気となりました。
全国に先駆けて桜の開花宣言を行った東京ですが、その後に襲来した寒波でほとんどの花の開花はお預け。
それが、この陽気でようやく咲き始めています。
2017sakura01.jpg
2017sakura02.jpg
ちょっとぼけてしまいましたが、雰囲気くらいは伝わるでしょうか。
週末の土曜日は冷たい雨のお天気となる予報ですが、今週から来週にかけて各地でお花見の宴が催されることでしょう。

ところで、27日の朝に出来した那須高原での雪崩遭難事故。
誠に衝撃的でした。

「雪崩だっ、伏せろ」…教員叫び足元の雪動く
27日朝、講習会に参加していた高校生らが雪崩に巻き込まれ、死傷者48人にのぼった栃木県那須町湯本の「那須温泉ファミリースキー場」の事故。「雪崩だっ、伏せろ」。引率の教員が叫んだ時には足元の雪がスピードを上げて滑り出し、雪の塊が生徒らを襲った。

栃木県那須町湯本の町営「那須温泉ファミリースキー場」で27日午前、雪崩が発生し、登山講習会に参加していた同県内の7高校の登山部員と引率教員の計48人が巻き込まれた。
県警などによると、県立大田原高校の男子生徒7人と男性教諭1人の計8人の死亡が確認された。死因は圧死や外傷性窒息だった。このほか、生徒33人と教員7人の計40人がけがをした。当時は大雪、なだれ注意報が発令中で、県警は業務上過失致死傷容疑を視野に、講習会の主催者側から事情を聞く方針。

亡くなった生徒はいずれも16~7歳、教員は29歳とのことでした。
未来に向けた無限の可能性を有し、これから大きく羽ばたくはずであった人生が突然に閉じられてしまった。
遺族の方々の悲嘆のほどは忖度してあまりあります。
山の事故は本当に悲しい。
元気な姿で送り出した家族が物言わぬ変わり果てた姿で戻ってくる。
私もそういう情景を何度か目にしましたが、世の中にこれほどいたたまれない瞬間があろうかと愁嘆にくれました。
ましてや今回の事故は前途洋々たる高校生の身に出来したもの。
一夜のうちに天幕が埋まるほどの積雪がありながら、何故にラッセル訓練などを行おうとしたのか。
引率・指導をしていた教員からの指示であれば、部員としては従わざるを得なかったことでしょう。
それ故にどうしても疑問が残ります。
それから、雪崩が起こった時に「伏せろ」と教員が叫んだとのことですが、この人は実際に雪崩の起きた際の対処方法を知っていたのでしょうか。
私は幸いにして一度も雪崩に直接遭遇したことはありません(遠方から眺めたことは何度もありますが)。
ですから実地で体験したわけではないのですけれども、実際に体験した山の先輩たちは口々に「とにかく全速力で逃げる!」のが肝心だと言っておりました。
不幸にして追いつかれたら、とにかくもがいて泳いで雪崩の流れの表面に向かうように体をコントロールし、雪が覆いかぶさってきたら、鼻と口を手で覆って呼吸スペースを確保するしかない、と。
それよりもなによりも、雪崩が起きそうな天候や雪の状態の時には絶対にそうした場所に近づかないのが鉄則。
雪の斜面を登るときには、ピッケルなどで雪の断層検査をきちんと行うなどリスクを最小限にする対応を欠かしてはならない、と、それこそ口が酸っぱくなるほど云われたものです。

雪崩が起こりそうな場所は事前に把握して対策を採る、などということをしたり顔で語る人もいたりしますが、斜面に雪が積もればどんな場所でも雪崩は起こる危険性があるのです。
以前に雪崩が起きた場所だから注意する、などというのは、裏返せば、これまで雪崩が起きたという話を聞いていない場所は大丈夫だと高を括ってしまうことに繋がりかねません。
冬山に限らず、山は基本的にすべてが危険地帯だということを前提に行動すべきであり、油断は一番のリスクといえましょう。

報道などからすると、引率・指導に当たった教員は、地元でも大変よく知られた「ベテラン」とのこと。
この方々の山歴などは特に明らかにされていないので何ともわからないのですが、何を以てベテランとされていたのかやはり疑問が残ります。

山の事故は基本的に自己責任というのが原則です。
しかし、山の経験の浅い初級者を引率したりガイドしたりする場合には、そのリーダーや引率者には一定の責任があるのではないでしょうか。
ましてや今回は、いくら山岳の強豪校とはいえ年端もいかない高校生を対象としているのです。
暖かな日が続いたあとのどか雪という最悪の条件をおしてまでラッセル訓練を強行した理由が那辺にあるのか、こうした痛ましい事故を防ぐためにも、そうした点も含めて明らかにする必要があるのではないでしょうか。
タグ:雪崩 那須

春を告げる花たち [日記]

冬の寒さが過ぎ去ったあと、穏やかな晴天が続いています。
昼休みの散歩の途上で、彼岸桜を見かけました。
sakura2017.jpg

白モクレンの花も咲き始めています。
mokuren02.jpg
mokuren01.jpg

沈丁花は盛りを迎え、ミツマタの花も見かけるようになりました。
zintyoge01.jpg
zintyoge02.jpg

花粉も盛大に飛んでいて、花粉症の私にとっては辛い時期とはなりましたが、こうして春の花々に出会えるのは、毎年のことながらこの時期の喜びの一つでありましょう。

WBCで、日本チームが快進撃を続けています。
野球に対して人並み以上の関心を持っているわけではない私でも、本番前の状況から見てどんなもんだろうと危惧していましたから、さすがに驚いています。
各球団屈指のプレイヤーをそろえているとは云い条、ある意味では寄せ集めのメンバーなのですから、小久保監督の苦悩は相当なものがあることでしょう。選手に無理をさせて怪我でもさせたら大変なことになってしまいますし。
実際、否定的なコメントも各方面からかなり寄せられていたようです。
しかし、本番に入ってからのこの全勝での決勝トーナメント進出は、選手から相当な信頼を寄せられていなければ達成できなかったことでしょう。
そのことは、次の中田選手の言葉からも明らかです。

【WBC】中田が激白!「小久保監督に覚悟なかったら辞退していた」

曲者ぞろいのスター選手を統率していくために小久保監督がどれほど繊細な気遣いをしていたのか、本当によくわかるエピソードですね。
さらにそうした心遣いがきちんと選手たちに伝わって、それがこの快進撃につながっているとすれば、そこにもまた如何にも我々日本人が好みそうな風景が広がっているなと感じます。

大滝エージェンシーの社長である大瀧哲雄さんの言葉として、故中島らもさんがエッセイの中で紹介していた、

「オレがオレがのがを捨てて、おかげおかげのげで暮らせ」

を思い出してしまいました。
因に、「が」は「我」なのでしょうか。とすると「げ」は「下」なのかな?あるいは気遣いという意味での「気」?

それはともかく、私は、なんとなく昨年のリオ五輪における400mリレーの銀メダルを思い出しています。
あの時のメンバー、誰一人100m・9秒台を出している人がいない中で、そうした記録保持者をかわしての栄誉でしたね。

個を捨てて全体の勝利を目指す、などというと、なんだか「滅私奉公」とか「一旦ん緩急あれば義勇公に奉じ」みたいなことにつながりそうですが、そういうことではなく、今、その場において、何をなすことが求められているのか、そのことを常に自分自身のこととして考え行動する、ということなのでしょう。

上から押し付けられたものでは決してなく、メンバーの中から自然に醸成される目標と、それを達成するための個人の頑張り。

これはきっと、啻にスポーツに限ったものではないのだろうと思います。

その「目標」をはき違えないようにすることが非常に重要なのであり、また、そうした全体としての行動に及ぶ場合においても、一番大切なのは個々人それぞれの想いにあることを忘れないことなのではないでしょうか。

云うまでもないことですが、それぞれの個性が集まって組織は成り立つものであり、決して、組織があるから人が存在するわけではないのですから。

箱根旅行 [日記]

三月になり、沈丁花の花も咲き始め、あの甘やかな香りを運んでくれる季節となりました。
それでも、時折冬の寒さがぶり返し、さすがに三寒四温の時期を痛感させます。
そろそろ鶯の声も聞こえてくる頃なのでしょうが、残念ながら私の周辺ではまだまだのようです。
仕事が終える18時頃、残照の中を駅に向かうとき、さすがに陽が長くなったなと感じますが。

さて、いささか古い話なのですが、二月の終わり、急遽土曜日に休みが取れることになったので、連れ合いと一緒に旅行に出かけました。
土曜日の休みが決まったのがその一週間前だったので、果たして旅館の予約が出来るのか不安でしたが、案の定、名のあるホテルや旅館は一杯。
JTBなどの割当枠もなかったので、これは難しいかなと思っていたところ、だめもとでじゃらんで検索をかけるたら、なんと「山のホテル」に一部屋空きがありました。
このホテルに関しては、連れ合いが前から泊まってみたいと言っていたこともあり、箱根旅行に行こうと考えた当初から検索をかけていたのですが、早くから満杯の状況。
恐らく、一週間前というタイミングでキャンセルなどが出たのでしょう。誠にラッキーといわざるを得ません。
宿泊料金はかなりの値段でしたが、すぐさま予約をしたのでした。

当日、余り時間に縛られたくなかったので車で出かけたのですが、なんと箱根新道で事故が発生し、午前中は通行止とのこと。
やむを得ず御殿場ICから乙女峠を越えた行ったのですが、余り顕著な渋滞にも巻き込まれませんでしたから、これは正解であったのかもしれません。

山のホテルのとなりには箱根神社があり、私はこれまで何度も箱根に行ったことがありながら、この神社に参拝したことがなかったので、ホテルにチェックイン後、早速出かけました。
hakone01.jpg

思いのほか、たくさんの人出がありました。
hakone02.jpg

神社への参拝を済ませたあと、連れ合いがずっと行きたいと思っていたという「サロン・ド・テ ロザージュ」に立ち寄りました。
芦ノ湖の湖畔にせり出すような絶好の立地で、山のホテルの付属施設のようです。
果たせるかな、かなりの人気で、順番待ちとなりました。
それでも、美味しい紅茶にケーキ、そして素晴らしい雰囲気を味わうことが出来、満足。
こういうゆったりとした時間を過ごすのはいつ以来のことだろうかと、ついつい芦ノ湖方面に遠い眼差しを送ってしまったところです。

山のホテルは、三菱財閥の四代目当主・岩崎小彌太の別荘がもとになっています。
それだけにロケーションは最高で、その雰囲気を大切に守ってきたという歴史を感じさせられました。
大浴場も、非常に落ち着いた雰囲気で、洗い場に個々の仕切りが設けられているなど、細かなところに神経が行き届いています。
食事はもちろんいうに及ばず、というところです。
夕食はもちろん、通常のホテルなどではバイキングみたいなものでお茶を濁される朝食に関しても、非常にサービスが行き届いておりました。
「ホテルライフ」などというものにはあまりなじみのない私ですが、できれば長時間をこのホテルで過ごしてみたいなという想いに駆られ、なるほどこのことをいうのだなと実感した次第です。

翌日は成川美術館に赴きました。
連れ合い共々お気に入りの美術館の一つで、収蔵作品ももちろんですが、休憩スペースからの眺めも素晴らしいものがあります。
hakone03.jpg
雲の多めなお天気でしたが、折よく富士山の姿を望むことが出来、これも大満足!

この美術館では、基本的に展示作品の写真撮影を認めています。
もちろんストロボの使用や自撮など、他人に迷惑の及ぶような撮影は御法度ですが、こういうおおらかな対応もお気に入り。
堀文子や森田りえ子といった「女流」の日本画家の競演も誠に見事なもので、こうした力作が一堂に会する機会はそうはありますまい。

また、平山郁夫・東山魁夷・加山又造・山本丘人といった日本画の大重鎮の作品も公開されていて、誠に見応えがありました。

それらの重鎮に並んで、この美術館との関わりの深い高橋新三郎氏の大作も展示されていたのですが、彼が好んで描いていた富士山の絵の即売会が行われていました。
私は絵画も大好きで、美術館や画廊を巡ったりするのも楽しみの一つです。
しかし、自分で絵を持とうとは余り思わず、我が家にある絵は、渓流釣の友人が描いた岩魚の水彩画と、従兄の知人が個展を開いた際にせっかくだからと購入したパステル画があるのみでした。
そんな私ではありましたが、何だか出会いのようなものも感じ、せっかくだからと富士山の絵を購入。
hakone06.jpg
めでたく我が家における三つ目の「アート」の座を占めることとなったのでありました。

今回の旅行では、二人でそれなりのお金を使ってしまいました。
一人一泊で30000円を超えるようなホテルに泊まるのはそれこそ20年ぶりくらいのことで、奇しくもそのときの宿泊先が箱根富士屋ホテル。
同じ箱根だったのだなと思い返しつつ、やはりお金にはかえられないサービスの質というものがあるものだと感じています。
いまはどうなのかわかりませんが、その折の箱根富士屋ホテルのサービスも誠に見事なものだったと、鮮烈に記憶しております。

いつもなら一泊二食付きでも10000円未満の宿を選んでしまうところを、今回は「清水の舞台から飛び降りる」覚悟でハイクラスな宿に泊まり、その延長で絵まで買ってしまった。
我ながら何と大胆なことかと苦笑を禁じ得ません。

それはともかくとして、ふと感じたことがあります。
冒頭にも書きましたように、このクラスのホテルはこの時期でも週末は予約でほとんど満杯でした。
私たちが泊まれたのもキャンセルなどの一瞬の隙間にうまくはまったからにほかなりません。
一方、湯快リゾートや大江戸温泉物語といった格安の宿も、週末などの予約はかなり困難なようです。
その割に、ちょうどその中間辺りに位置する価格帯の宿には比較的空室もあるらしく、つまりここでも消費傾向の差別化が進んでいるということなのでしょう。
クラス感のある対象か、それとも激安か。
消費性向は結構明確に分かれてきていますが、その辺りにこれからのマーケット戦略の方向性も見えてくるようで、なかなか興味深いものもありますね。

ところで、久しぶりの箱根旅行だったこともあり、その関連から、井上靖氏の短編小説集「愛」の中に収録されている「結婚記念日」を思い出してしまいました。
この小説は、妻を亡くした夫の回想の形で、つましい生活をしていた二人のささやかな箱根旅行の顛末が描かれています。
戦後の苦しい生活の中でもあり、新婚旅行などにはもちろん出かけることもなかった二人が、当時流行っていた懸賞金付きの定期預金で一万円(小説に描かれているのは昭和25年頃ですから、恐らく二ヶ月分くらいの月給にあたるのではないかと思われます)が当たったため、その半分を結婚記念日の旅行に充てようと考えたものです。
ちょっとほろ苦く、しかも、金銭的に厳しい時代をそれなりに生きて来た私たち世代には大いなる共感も呼ぶ内容で、車の中でその話を連れ合いにしながら、二人で「うーん、わかるなあ」などと盛り上がったところです。