三輪古墳群とザクロの花 [山登り]
もうすぐ入梅となる可能性がかなり高くなってきていますが、日曜日はまずまずのお天気となりました。
いつもの里山にウォーキングに行く際、連れ合いにも「三輪の古墳群を見に行こう」と声をかけましたところ、少し考えた末に今回は付き合ってくれることに。
一人で行くときには、ほとんど競歩に近い速歩で歩いているのですが、連れ合いと一緒の時には、彼女のペースに合わせて私はLSDにします。
これはこれで結構いい運動になるのでした。
さて、今回は懐中電灯を持参して、古墳の中を見てみることにします。
最初の古墳はかなり広いもので奥行きもあり、ケータイのカメラではうまく写りません。
それでも正面壁面には他と違う模様があり、もしかすると何らかの絵などが描かれていたのかもしれません。
奥の古墳はより顕著に違いがありました。
何れも天井部分に屋根構造を浮き彫りで表現した「家形横穴墓」であり、全国的にも珍しく都内ではここにしか見られないそうです。
連れ合いも、こんな遺跡がこんなに近くにあることに感嘆しておりました。
山道からゴルフ場に出て、車道を少し歩くと、何とザクロの花が咲いていました。
こんなにたくさんのザクロの花を見るのは始めたなのでちょっと感動。
帰り道に例の野菜直売場に立ち寄って、トマト・ズッキーニ・大根・きゅうりなどを購入。
いつもは横目で眺めてスルーしているマクドナルドで、「割引券があるから」という連れ合いの提案により「マックシェイク」を飲み、プチ遠足気分を味わって帰宅したところです。
このところ、世の中では何だか不穏かつ薄汚い話が横行しているような気がしてなりません。
共謀罪に関する無理押し的なやり方を見ていると、そういう監視社会を作るために性急かつ拙速な行動をとる政権与党の思惑が心寒く感ぜられます。
その一方、森友問題や加計学園に関するやり取りでは、投げやりでいい加減で不誠実な対応に終始している。
まるで、日本国民は愚民の集まりなのだから我々(政権与党・官邸)の云う通りにしていればいいんだ、と云わんばかりのように思われます。
この世の中に「正義」あるのか!?
青臭い限りですが、そんなことをつい思ってしまいました。
中島敦の「弟子」の中に次の下りがあります。
嫌な云い方ですが、正とか邪とかに関しては、その地域・環境・人それぞれによって判断基準が異なります。
人を騙してても己の利益を確保すること。これはそれを正しいことだと信じてやっている人間にとっては正しく「正」なのでしょう。
騙されるやつが悪いのだ、という一見理不尽な嘯きも、彼らにとっては理(ことわり)以外の何物でもない。
そもそも、天だとか神にとって、人間どもが考えている正邪の決め事などなんら意味もないものなのでしょう。
そうだとすれば、それはあくまでも当の関係者同士の中で決着をつけるべきものなのかもしれません。
加計学園をめぐるやり取りの中で、いくつかのソースが存在していますが、私は特に次の記事に興味を持ちました。
文科省から“援護射撃” 前川氏vs安倍官邸は全面戦争突入
<加計学園>「獣医特区」は妥当? 農水省、需要減指摘
前川氏のこれまでの発言に関し、官邸側は根拠のない否定を繰り返した上、人格攻撃によって貶めようという、人を舐めきった対応に終始しています。
「そういう事実はない」と強弁するのであれば、それを裏付けるfactが必要ではないかと思うのですが如何?
一方、こういう記事もあります。
前川元次官をヒーロー扱いする人を論破する --- 八幡 和郎
この人は、これで「論破」したと思っているのか、私のような浅学菲才の輩には到底理解不能な「論理展開」でした。
正邪がいずれにあるのか。
それは、ことが感覚の問題になるほどに判定は困難で、恐らく正解はないのでしょう。
ただ、せめてそうしたことに関する説明においては、きちんと筋道を立てて論理的に展開して欲しいものですね。
その意味で私は、前川氏の論旨の方に軍配を上げたいと思います。
私はこのブログではこうしたことについてなるべく書くことを控えたいと思ってきました。
しかし、夏に向けて輝きを増してくる青空を見ていると、なんだか地上における薄汚い暗闘がその対極のようにあぶりだされてきているように感じてどうにも我慢ができず、自分の中の禁を犯して書いてしまったところです。
妄言乱文をお詫びします。
いつもの里山にウォーキングに行く際、連れ合いにも「三輪の古墳群を見に行こう」と声をかけましたところ、少し考えた末に今回は付き合ってくれることに。
一人で行くときには、ほとんど競歩に近い速歩で歩いているのですが、連れ合いと一緒の時には、彼女のペースに合わせて私はLSDにします。
これはこれで結構いい運動になるのでした。
さて、今回は懐中電灯を持参して、古墳の中を見てみることにします。
最初の古墳はかなり広いもので奥行きもあり、ケータイのカメラではうまく写りません。
それでも正面壁面には他と違う模様があり、もしかすると何らかの絵などが描かれていたのかもしれません。
奥の古墳はより顕著に違いがありました。
何れも天井部分に屋根構造を浮き彫りで表現した「家形横穴墓」であり、全国的にも珍しく都内ではここにしか見られないそうです。
連れ合いも、こんな遺跡がこんなに近くにあることに感嘆しておりました。
山道からゴルフ場に出て、車道を少し歩くと、何とザクロの花が咲いていました。
こんなにたくさんのザクロの花を見るのは始めたなのでちょっと感動。
帰り道に例の野菜直売場に立ち寄って、トマト・ズッキーニ・大根・きゅうりなどを購入。
いつもは横目で眺めてスルーしているマクドナルドで、「割引券があるから」という連れ合いの提案により「マックシェイク」を飲み、プチ遠足気分を味わって帰宅したところです。
このところ、世の中では何だか不穏かつ薄汚い話が横行しているような気がしてなりません。
共謀罪に関する無理押し的なやり方を見ていると、そういう監視社会を作るために性急かつ拙速な行動をとる政権与党の思惑が心寒く感ぜられます。
その一方、森友問題や加計学園に関するやり取りでは、投げやりでいい加減で不誠実な対応に終始している。
まるで、日本国民は愚民の集まりなのだから我々(政権与党・官邸)の云う通りにしていればいいんだ、と云わんばかりのように思われます。
この世の中に「正義」あるのか!?
青臭い限りですが、そんなことをつい思ってしまいました。
中島敦の「弟子」の中に次の下りがあります。
大きな疑問一つがある。子供の時からの疑問なのだが、成人になっても老人になりかかってもいまだに納得できないことに変わりはない。それは誰もがいっこうに怪しもうとしない事柄だ。邪が栄えて正がしいたげられるという・ありきたりの事実についてである。
この事実にぶつかるごとに、子路は心からの悲憤を発しないではいられない。なぜだ?何故にそうなのだ?悪は一時栄えても結局はその酬いを受けると人は云う。なるほどそういう例もあるかもしれぬ。しかし、それも人間というものが結局は破滅に終わるという一般的な場合の一例なのではないか。善人が究極の勝利を得たなどという例(ためし)は、遠い昔は知らず、今の世ではほとんど聞いたことさえない。何故だ?何故だ?大きな子供・子路にとって、こればかりはいくら憤慨しても足りないのだ。彼は地団太を踏む思いで、天とは何だと考える。天は何を見ているのだ。そのような運命を作り上げるのが天なら、自分は天に反抗しないではいられない。天は人間と獣との間に区別を設けないと同じく、善と悪との間にも差別を立てないのか。正とか邪とかは畢竟人間の間だけの仮の取決に過ぎないのか?
嫌な云い方ですが、正とか邪とかに関しては、その地域・環境・人それぞれによって判断基準が異なります。
人を騙してても己の利益を確保すること。これはそれを正しいことだと信じてやっている人間にとっては正しく「正」なのでしょう。
騙されるやつが悪いのだ、という一見理不尽な嘯きも、彼らにとっては理(ことわり)以外の何物でもない。
そもそも、天だとか神にとって、人間どもが考えている正邪の決め事などなんら意味もないものなのでしょう。
そうだとすれば、それはあくまでも当の関係者同士の中で決着をつけるべきものなのかもしれません。
加計学園をめぐるやり取りの中で、いくつかのソースが存在していますが、私は特に次の記事に興味を持ちました。
文科省から“援護射撃” 前川氏vs安倍官邸は全面戦争突入
<加計学園>「獣医特区」は妥当? 農水省、需要減指摘
前川氏のこれまでの発言に関し、官邸側は根拠のない否定を繰り返した上、人格攻撃によって貶めようという、人を舐めきった対応に終始しています。
「そういう事実はない」と強弁するのであれば、それを裏付けるfactが必要ではないかと思うのですが如何?
一方、こういう記事もあります。
前川元次官をヒーロー扱いする人を論破する --- 八幡 和郎
この人は、これで「論破」したと思っているのか、私のような浅学菲才の輩には到底理解不能な「論理展開」でした。
正邪がいずれにあるのか。
それは、ことが感覚の問題になるほどに判定は困難で、恐らく正解はないのでしょう。
ただ、せめてそうしたことに関する説明においては、きちんと筋道を立てて論理的に展開して欲しいものですね。
その意味で私は、前川氏の論旨の方に軍配を上げたいと思います。
私はこのブログではこうしたことについてなるべく書くことを控えたいと思ってきました。
しかし、夏に向けて輝きを増してくる青空を見ていると、なんだか地上における薄汚い暗闘がその対極のようにあぶりだされてきているように感じてどうにも我慢ができず、自分の中の禁を犯して書いてしまったところです。
妄言乱文をお詫びします。
ザクロの花ですか。
初めて見ましたが、色合い的にボケの花を連想させますね。
>夏に向けて輝きを増してくる青空を見ていると、なんだか地上における薄汚い暗闘がその対極のようにあぶりだされてきているように感じ
確かに自分も同様に感じてます。^^
by のら人 (2017-06-06 07:04)
コメントありがとうございました。
「私刑」に熱中するネット民、自分は正義と思って
やっているので始末が悪いですね。
ザクロの花、はじめて見たような気がします。
鮮やかですね。
by いっぷく (2017-06-06 09:17)
山月記しか読んだことがありません。
古墳の中、わくわくですね。
by 夏炉冬扇 (2017-06-06 17:23)
のら人さん、こんばんは。
ザクロの花がこんなにたくさんついているのは私も初めて見ました。
色合いはボケに近いのですが、かなり大きなものです。
政権与党と官邸の見苦しい逃げっぷりが展開されており、この国はいったいどこに向かうのか非常に気がかりです。
by 伊閣蝶 (2017-06-06 22:43)
いっぷくさん、こんばんは。
「私刑」に熱中するネット民、自分の正体を明かさずに安全なところから個人攻撃を仕掛ける態度には度し難いものがあります。
それを正義と思っているところがなおのこと不気味です。
by 伊閣蝶 (2017-06-06 22:47)
夏炉冬扇さん、こんばんは。
山月記も味わい深い小説でしたね。
古墳の中は意外に広くて、非常に興味深く思いました。
by 伊閣蝶 (2017-06-06 22:50)
奥様といいウォーキングをされて良かったですね。
共謀罪については仰る通り、監視社会を作って国民を物言えぬ民にするのが目的です。
それを隠そうとするから質問されてもはぐらかし答弁に終始しています。
森友、加計については正邪というより権力を使ったあからさまな利益供与ですから許せないです。
そしてそれを追及しようとしても政府、官庁一体となって隠蔽、逃げ一辺倒です。
このような異常な状態はニュースを見ていてさえ分かるtこと、多くの国民がおかしいと思っています。
文科省の中から勇気ある方が出てくることを期待しています。
by tochimochi (2017-06-07 12:43)
tochimochiさん、こんばんは。
連れ合いがつきあってくれ、しかも満足してくれたようなので安心しました。
金田法相は治安維持法を評価していました。つまり共謀罪はこれと軌を一にするものなのでしょう。
戦前の暗黒時代をどのように考えているのか、驚きを禁じ得ません。
ところで、加計学園に関し、文科省の中から続々と情報が出てきましたね。
官邸のしらばっくれがどこまで通用するのか見物ですが、公明党が完全に官邸側に回っているのが、予想されたこととはいえ、やっぱりなと脱力してしまいました。
by 伊閣蝶 (2017-06-07 21:55)
もうザクロの花が咲いているのでやすね。
実がなっている様子も美しいでやすが花もいいものでやすね(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2017-06-07 22:20)
ぼんぼちぼちぼちさん、こんばんは。
私もまさかこんなに身近でザクロの花を見ることができるとは思ってもみなかったので感激しました。
実がなっている頃にも是非見に行きたいと思います。
by 伊閣蝶 (2017-06-07 22:43)