モーツァルトのレクイエム、ホグウッド&エンシェント室内管弦楽団&合唱団 [音楽]
気温の変化の激しい日が続きます。
今日は少し暖かくなっているようですが、気温の変化が激しいと、どうしても体調を崩しがちになってしまい、先日還暦を迎えたこともあって、さすがにきついなと感じています。
モーツァルトのレクイエム。
長らくジュースマイヤーによる補作版による演奏が一般的でした。
私も、何度かこの曲の演奏には参加してきましたが、もちろんジュースマイヤー版です。
ジュースマイヤーによるオリジナル(SanctusやBenedictusなど)はいうに及ばず、モーツァルトの真筆とジュースマイヤーの加筆が施された部分においても、両者の違いは明らかで、その点での違和感はもちろんありますが、ジュースマイヤーの仕事は決していい加減なものではなく、モーツァルトの残した指示などに基づいてどれほど忠実に真摯に向き合っていたかがひしひしと伝わりますし、何よりもこの曲を、きちんとしたカトリック典礼の形に整えて後世に伝えた功績は大なるものがありましょう。
モーツァルトの絶筆となったLacrimosa。8小節目で途絶えた師のあとを繋いで彼が完成させました。
別宮貞雄氏などは「この甘美といえるほどの旋律で始まるLacrimosaを、ジュスマイヤーはなんとか平凡ではあるが、ひきのばして終わらせている」と酷評していますが、私は、この曲を歌いながら、そのジュースマイヤーの想いを忖度し何度もこみ上げてくるものをあらがうことが出来ませんでした。
8小節までの、奇跡的に美しい旋律を、懸命に守ろうとしたひたむきなジュースマイヤー。それが最も如実に表れていると私は思います。これを「平凡」に「ひきのばし」たとは、あまりに酷い言い方だな、と。
この版の定番中の定番はベーム&ウィーン・フィルによる演奏です。
私感ではありますが、この演奏ではジュースマイヤーの手の入っている部分、殊にAgnus Dei以降が素晴らしく、私は強く心を奪われました。
しかし、個人的なお勧めということであれば、リヒター&ミュンヘン・バッハによる演奏を挙げたいと思います。
何という真摯な演奏でしょう。
正にリヒター&ミュンヘン・バッハの真骨頂というべき演奏ではないかと思います。
そのモーツァルト・レクイエムの版問題に対する活性化の端緒の一つとなったのが、「ホグウッド&エンシェント室内管弦楽団&合唱団、ウェストミンスター・カテドラル少年聖歌隊」による1983年の演奏録音です。
この演奏・録音には、校訂を行ったイギリスの音楽学者リチャード・モーンダー氏ご自身が参加しており、完璧を期そうとした意気込みが見て取れます。
古楽器・小編成、声楽はビブラートを抑え、長らく主流を占めてきたロマン派的な演奏とは一線を画すものであり、想像ではありますが、恐らくモーツァルトの生きた時代の音はこのようなものであったろうと感じさせます。
一番の特徴は、1961年にヴォルフガング・プラートによって発見された「Amen fuga」を、恐らくこのレクイエムのために作られたものと判断し、Lacrimosaのあとに独立して配置したことでしょう。
これはまさに驚くべき壮麗な曲であり、このフーガを聴くだけでも、この盤の存在意義はかなり高いものがあると、私は考えます。
因にそのスケッチは以下の通りです。
この「Amen fuga」を見ると、モーツァルトが、Lacrimosaで一つの区切りをつけ改めてOffertoriumの「Domine Jesu」を始めようとしたことがわかります。
つまり、Introitus(入祭唱)、Kyrie、Sequenz(続唱)、Offertorium(奉献唱)、Sanctus(聖なるかな)、Agunus Dei(神の子羊)、Communio(聖体拝領唱)という、鎮魂曲の様式に沿うような構成を企図したのでしょう。
モーツァルト晩年の傑作アヴェ・ヴェルム・コルプスが美しい和声を響かせる合唱曲であるのに対し、この曲が対位法の極致といもいうべきポリフォニーのめくるめく世界を展開させるのも、ある意味、カトリック典礼に則った厳格なレクイエムの形を目指した創作意図によるものであるからなのかもしれません。
しかし、モーツァルトはついにSanctusを作ることができなかった。
そのためジュースマイヤーはこの部分を創作したのですが、ジュースマイヤーが手を入れた部分はモーツアルトの真筆とは認められないとするモーンダーのクリティカルな方針から、SanctusやBenedictusなどは割愛しています。
従ってこの演奏は様式的にカトリック典礼から外れたものとなりますから、モーツァルトにこの曲を依頼したヴァルゼック伯爵の注文を満足するものにはなりえなかったと思います。
その意味からすれば、やはりジュースマイヤー版の価値は十分に評価されるべきでしょう。
とはいえ、今日、この曲をカトリック典礼に則った宗教曲としてのみ聴くことはほとんどないものと思われますし、従って、あくまでもモーツァルトの残した芸術の一つとして考えるのであれば、最も原点に近い姿を再現しようとの想いを以てこうした版を校訂する意義はあると思います。
尤も、モーツァルト自身が、この校訂版をどのように評価するのか、こればかりはわかりませんが。
今日は少し暖かくなっているようですが、気温の変化が激しいと、どうしても体調を崩しがちになってしまい、先日還暦を迎えたこともあって、さすがにきついなと感じています。
モーツァルトのレクイエム。
長らくジュースマイヤーによる補作版による演奏が一般的でした。
私も、何度かこの曲の演奏には参加してきましたが、もちろんジュースマイヤー版です。
ジュースマイヤーによるオリジナル(SanctusやBenedictusなど)はいうに及ばず、モーツァルトの真筆とジュースマイヤーの加筆が施された部分においても、両者の違いは明らかで、その点での違和感はもちろんありますが、ジュースマイヤーの仕事は決していい加減なものではなく、モーツァルトの残した指示などに基づいてどれほど忠実に真摯に向き合っていたかがひしひしと伝わりますし、何よりもこの曲を、きちんとしたカトリック典礼の形に整えて後世に伝えた功績は大なるものがありましょう。
モーツァルトの絶筆となったLacrimosa。8小節目で途絶えた師のあとを繋いで彼が完成させました。
別宮貞雄氏などは「この甘美といえるほどの旋律で始まるLacrimosaを、ジュスマイヤーはなんとか平凡ではあるが、ひきのばして終わらせている」と酷評していますが、私は、この曲を歌いながら、そのジュースマイヤーの想いを忖度し何度もこみ上げてくるものをあらがうことが出来ませんでした。
8小節までの、奇跡的に美しい旋律を、懸命に守ろうとしたひたむきなジュースマイヤー。それが最も如実に表れていると私は思います。これを「平凡」に「ひきのばし」たとは、あまりに酷い言い方だな、と。
この版の定番中の定番はベーム&ウィーン・フィルによる演奏です。
私感ではありますが、この演奏ではジュースマイヤーの手の入っている部分、殊にAgnus Dei以降が素晴らしく、私は強く心を奪われました。
しかし、個人的なお勧めということであれば、リヒター&ミュンヘン・バッハによる演奏を挙げたいと思います。
何という真摯な演奏でしょう。
正にリヒター&ミュンヘン・バッハの真骨頂というべき演奏ではないかと思います。
そのモーツァルト・レクイエムの版問題に対する活性化の端緒の一つとなったのが、「ホグウッド&エンシェント室内管弦楽団&合唱団、ウェストミンスター・カテドラル少年聖歌隊」による1983年の演奏録音です。
この演奏・録音には、校訂を行ったイギリスの音楽学者リチャード・モーンダー氏ご自身が参加しており、完璧を期そうとした意気込みが見て取れます。
古楽器・小編成、声楽はビブラートを抑え、長らく主流を占めてきたロマン派的な演奏とは一線を画すものであり、想像ではありますが、恐らくモーツァルトの生きた時代の音はこのようなものであったろうと感じさせます。
一番の特徴は、1961年にヴォルフガング・プラートによって発見された「Amen fuga」を、恐らくこのレクイエムのために作られたものと判断し、Lacrimosaのあとに独立して配置したことでしょう。
これはまさに驚くべき壮麗な曲であり、このフーガを聴くだけでも、この盤の存在意義はかなり高いものがあると、私は考えます。
因にそのスケッチは以下の通りです。
この「Amen fuga」を見ると、モーツァルトが、Lacrimosaで一つの区切りをつけ改めてOffertoriumの「Domine Jesu」を始めようとしたことがわかります。
つまり、Introitus(入祭唱)、Kyrie、Sequenz(続唱)、Offertorium(奉献唱)、Sanctus(聖なるかな)、Agunus Dei(神の子羊)、Communio(聖体拝領唱)という、鎮魂曲の様式に沿うような構成を企図したのでしょう。
モーツァルト晩年の傑作アヴェ・ヴェルム・コルプスが美しい和声を響かせる合唱曲であるのに対し、この曲が対位法の極致といもいうべきポリフォニーのめくるめく世界を展開させるのも、ある意味、カトリック典礼に則った厳格なレクイエムの形を目指した創作意図によるものであるからなのかもしれません。
しかし、モーツァルトはついにSanctusを作ることができなかった。
そのためジュースマイヤーはこの部分を創作したのですが、ジュースマイヤーが手を入れた部分はモーツアルトの真筆とは認められないとするモーンダーのクリティカルな方針から、SanctusやBenedictusなどは割愛しています。
従ってこの演奏は様式的にカトリック典礼から外れたものとなりますから、モーツァルトにこの曲を依頼したヴァルゼック伯爵の注文を満足するものにはなりえなかったと思います。
その意味からすれば、やはりジュースマイヤー版の価値は十分に評価されるべきでしょう。
とはいえ、今日、この曲をカトリック典礼に則った宗教曲としてのみ聴くことはほとんどないものと思われますし、従って、あくまでもモーツァルトの残した芸術の一つとして考えるのであれば、最も原点に近い姿を再現しようとの想いを以てこうした版を校訂する意義はあると思います。
尤も、モーツァルト自身が、この校訂版をどのように評価するのか、こればかりはわかりませんが。
土曜日の朝は冷え込みましたが、その後は少し暖かくなりましたね。
今年は夏風邪を1回ひきましたが、現在の所冬はまだ大丈夫です。
体調管理にお互い気を付けましょう。^^
by のら人 (2016-12-19 11:23)
静かな曲は夜がいいです。
いい天気でした。
by 夏炉冬扇 (2016-12-19 18:15)
還暦を過ぎると体調維持も難しくなってきますね。
寒い時期はなおさらです。
そのためにも山を歩いています ^^
by tochimochi (2016-12-19 22:48)
(フィラデルフィアで)ムーティ指揮&フィラデルフィア管の定期演奏会に行った時、モーツァルトの『レクイエム』を聴きました...
by サンフランシスコ人 (2016-12-20 04:41)
のら人さん、おはようございます。
このところ小春日和が続き、少し体も楽になりました。
この冬はまだ風邪を引いておられないとのこと。体調管理、バッチリですね!
by 伊閣蝶 (2016-12-20 07:27)
夏炉冬扇さん、おはようございます。
そちらも良いお天気のようですね。
仰る通り、静かな曲を夜半に聴くのは格別です。
by 伊閣蝶 (2016-12-20 07:28)
tochimochiさん、おはようございます。
本当に年齢を感じます。
体調管理のための山歩き。
この面は重要ですね。寒い時期は気をつけなければなりませんが。
by 伊閣蝶 (2016-12-20 07:29)
サンフランシスコ人さん、おはようございます。
定期演奏会で、モーツァルトのレクイエムですか。
フィラデルフィアの演奏、素晴らしいものだったことでしょう。
版はどれを使われましたか?
by 伊閣蝶 (2016-12-20 07:31)
ジュースマイヤー版?
by サンフランシスコ人 (2016-12-21 02:12)